[50] 記憶にない男(マスター主役ギャグ) |
- ウホッ!いいユンボル - 2007年05月05日 (土) 13時26分
ドヴォークという国が地図から消えた日、オレはかつての名も肩書きも捨てて地下に潜った。 寂れた田舎町の場末にあるバー「TRONICA」の店主が今のオレだ。そう表向きは。 しかし地下では同じようにくすぶっている仲間を探し、情報を集め、牙を剥く機会を伺う。 それが、元ドヴォーク重機士団総長にしてタビル会メンバー、チュー・ブラインの日常だ。
奴が店に転がり込んできたのは、そんなある日の事だった。 というか、正確には拾ったが正しいか。 死んだ魚みたいに店の裏手に転がっていたのが、先だって壊滅したバル・クロウ組の新入りだと 気づいた時にはオレも驚いたものだった。 とりあえずまだ客の居ない店内に引っ張り込んで、CLOSEDの札をかけ直し、適当なもん食わせながら 事情を聞こうとした矢先、奴はこう言った。 「あれ?あんたどっかで見たことあったっけ?」
「……」 まあ、新人だしなぁ……そんな目上の人間なんていちいち覚えちゃいねえよなぁ…… しかし総長と言えば、それなり以上に顔は知られてるし、重機士隊に入ろうって奴が その総元締め覚えてねえってのはどうよ? 別に頭に来たわけじゃないが、向こうが払いの事を言い出す前にオレはそいつを店から蹴り出した。 どうせ無一文だろうしな。
それ以降、ツケにしてやってるのが仇になったか、このガキには延々と居付かれる羽目になっている。 どのみち若い身空で職も故郷も失って、敵地のど真ん中に放り出されたのを邪険に出来るほど オレも鬼になれるわけがない。 まして噂に聞こえてくる、顔をしかめたくなるようなこいつの今の境遇を知れば尚更だ。 できるならこいつもレジスタンスに引っ張り込みたかったんだが、なに分つるんでいる相手が悪すぎる。 そんな負い目もあり、このガキに関しちゃ、なし崩しで面倒を見てる形になっちまっている。 頑なに働こうとしないのには辟易したが、まあ出来の悪い息子でも持ったと思えば、オレもそう悪い気はしない。 強いてムカつく点を挙げるとすれば、いまだにこいつが人の顔を思い出さない事だ。 そんなある日の事だった。
「ハッ、なかなかにボロくてイイ店じゃねーか」 派手な音を立てて店に闖入したその男に、オレは見覚えがあった。 いや、この街に住む人間なら、嫌でもこいつの事は知っているだろう。 特徴的なアフロヘアに悪趣味極まりない服装で、物騒なのを二人ほど従えたその男は 凍りついた店内をひと舐め睥睨すると、フンと片眉を上げる。 ロッド・ボリング。この街の監督官であり、あいつをレジスタンスに引き込めない「元凶」だ。 そして元バル・クロウ組の一員…… 背筋に冷たいものが走る。常である無愛想なマスターの顔を装いながら、手が無意識にカウンターの下を探る。 指に当たるリボルバーの硬い感触を確かめながら、オレは相手の動向を探った。 「オイ、マスター」 呼び止める声に、動揺を隠すのは一苦労だった。 「この店に、ニッパっつーロンゲの若えのが入り浸ってんだろ。ヤツぁどこだ?」 薄暗い店の照明が幸いしたか、奴はまだこちらの正体に気付いてはいないようだ。 「そいつなら今日はまだ顔見せてねえよ。客じゃないならさっさと帰んな。ここは酒を飲む店だ」 殊更に不機嫌な声を作って返すと、奴はニヤニヤと意味ありげな笑いを浮かべ、カウンターに歩み寄る。 (チ……) ――しくじったか。元重機士団総長もヤキが回ったもんだ。 気付かれる距離まで近付かれる前に安全装置を外し、トリガーの位置を指で確認する。 後ろで控えてる連中は、ジャケットの脇の具合から、かなりごついブツを携えているのがわかる。 三対一、ボリング本人は丸腰のようだ。こちらから仕掛ければ、何とか相手できなくはない……が その場合、客を巻き込まないのは至難の業か。掌に、じわりと嫌な汗が滲む。 躊躇っている間に、この薄暗い照明でも互いのツラが視認できる位置まで奴がやってくる。 「……」 まあ最悪、ボリングだけでも仕留められれば御の字か…… 腹を括ったオレの前に、ドサッと束になった紙幣が置かれた。
「……は?」 意図せず拍子抜けした声が、口から漏れる。 「客だろ?この店で一番高え酒(ヤツ)を頼まぁ」 カウンターに肘をつき、野郎は普段のオレなら酒の代わりに拳のひとつも食らわすような台詞を吐いた。 こっちの顔も見えているはずだが、真正面から見据えたニヤケ顔には何の変化もない。 ……どういうことだ? カウンターの下、握り締めていた凶器から手を離す。 罠という可能性を捨て切れぬままカウンターに背を向けるが、向こうから仕掛けてくる気配はない。 差し出したボトルを手に取って眺めると、奴は鼻先で笑い、手酌でショットグラスに注いで一息に干した。 「邪魔したな。残りはあのバカにでもくれてやれ」 言い捨てると、派手な背中が護衛と共にドアの向こうに消える。
「……」 も、もしかして、完全にスルーされたのか? というかオイ、ひょっとしてすっかりさっぱりオレの顔忘れてるのか、あの男。 い、いや……ま、まあ、何事もなかったのは何よりだ。 「フ……」 掌にかいていた汗はすっかり引いていた。店内は少しずつ喧騒を取り戻しつつある。 安堵と共に、オレは何故か釈然としない気分を拭いきれなかった。
その後も、何事もなく時は過ぎた。 このバカはいまだに、オレが何者かわかっていないが、もう諦めた。 この間別のツテからこいつの生年を知って些か青くなったが、今はもうこいつも二十歳越えてるし、時効だ時効。 ボリングの野郎は、あれ以来ほとんど顔を見せてはいない。 時折部下を差し向ける事はあるが、いずれにせよ迷惑な話だ。 しかし奴がこちらの正体に気付くそぶりも見せない事は僥倖だった……僥倖だったということにしてくれ。 そんなある日の事だった。
バーの分厚いドアを、場違いに小さな人影が開く。 ソファーでくだを巻いてるバカは別として、まだ客もほとんど入っていない宵の口。 懐かしい空気と共に、一人の「男」がこの店を訪れた。
予感はあった。 昼間、再開発区域で起きた騒ぎの話は、オレの耳にも入っている。 つい先日、リベッタ姫が彼女の方からコンタクトを取ってきた時、初めは聞いた話をオレは眉唾だと思っていた。 だがその折に案内された研究施設と、それを話す彼女の表情、そして何より今実際に目の前にいるこの男が あの途方も無い話をオレに信じさせた。 姿形こそほんのジャリだが、身に纏う空気と、何よりその面魂には覚えがある。 伝説の重機士バル・クロウ。 そうか、還ってきたのか。 何やら沈んだ顔でフラフラとカウンターに腰掛ける、久しくまみえた同志に向け、オレはとびきり渋く笑って見せた。 やっこさんの目が、のろのろとカウンターのこっち側に向けられる。 「……」 「……」 反応がない。
――ブルータスよ、お前もか!!!
かつての同志の顔をすっからかんと忘れているらしきこの男に、思わず謎のフレーズがオレの頭に湧いた。 何事もなかったかのように、やっこさんは「バーのマスター」相手に自分の境遇を愚痴り始める。 いやまあ、ありえる話ではあるよな、うん。こいつ昔からかなり天然入ってたしさ。 いいさ、目の前の工事しか見えてないのが、この男のいいところでもあったからな。あ、ちょっと涙出てきた…… 心の中で詠嘆するオレをよそに、まだ自分の境遇を受け入れられないのか 荒れるバルの拳がカウンターを叩き割った。まあ無理もなかろう。 オレは一旦カウンターの奥に引っ込むと、湯気の立つマグカップをコトッと奴の前に置いた。 「店を壊されちゃかなわねえな。ホットミルクだ、落ち着くぜ」 言うと、オレはくだらない落胆を胸に押し込め、もう一度とびきり渋い笑みをこの男に向けた。
かつての重機士隊長とその部下が、ドツキ漫才を繰り広げながらドアの向こうへと消える。 カウンターも大破しちまったし、今日はこれで店仕舞いとするか。 とにもかくにもヤツラの新たなる着工に乾杯だ。 ひとりごちて、オレはいそいそと壊れたカウンターの片付けに取り掛かる。 顔で笑いながら泣いているオレの背中を、きっとボトルだけが知っていた。

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