[54] ニパ小ボリニパで酒ネタ(前編) |
- ウホッ!いいユンボル - 2007年05月30日 (水) 19時06分
ボリングがその男と思わぬところで鉢合わせたのは、偶然によるところが大きい。 トタンの片隅にある、とある酒場での事である。 貴重な「隠れ家」のひとつであるこの店で、安酒を薄めてチビチビ呑るのが、子供になってしまった彼の 数少ない楽しみだった。 グラスの中身は、以前の彼の人生から見ればお話にならない粗悪さだが、それでも幾許か味覚を慰める役には立つ。 不便な合金の手の代わりにストローを使い、薄い水割りを嘗めながら、ほろ酔い加減にしばし浮世の憂さを忘れる マセくり返った幼児(卑し系)。
接客態度の悪い無愛想なマスターが切り盛りする、薄暗く小汚い場末のバーは、かつて彼が支配していた街にあった ある店を思い出させる。 もっとも向こうは出す酒にだけは気合が入っていたし、それ以外の部分もこの店の方が数段ひどい。 しかし彼のような珍妙な客にも文句一つ言わないので、ボリングとしては重宝していた。 店を切り盛りしているのは、ラフト出身者らしい年齢不詳の大男で、無口を通り越して彼が口を利くのを ボリングはついぞ聞いた事がない。
カランカランとドアに取り付けられた鈴が、本日二人目の来客を告げる。 何となくそれに目を向けて、最初ボリングは「げ……」と呻いた。 入ってきたのは、一目で余所者と知れる若い男だ。吹けば飛びそうな長身痩躯に、男には珍しい腰までの長髪。 (ツイてねえ……よりによってコイツらかよ) バーラックでの離別、コルジオでの再会と、この青年にはいい思い出のないボリングである。 見つからぬよう店の隅っこに身を潜めて向こうを伺っているうち、「ん?」と彼は違和感に気付く。 特務で四方八方飛び回っているらしい男が、この地方に姿を現した事自体は、何の不思議もない。 しかし男と常に行動を共にしているはずの、もう一人の姿が見えない。 しばしボリングが観察していると、男はどこか不貞腐れた様子で、溜息つきつきグラスを傾け始めた。 (ほほう……) そういえば、と数日前に部下から聞いた話をボリングは思い出す。
本来ならば歓迎しかねる相手に、何故ちょっかいを出す気になったのかと問われれば 悪い酒でも回っていたのだろう、としか後の彼には答えようがない話ではあった。
「よォ!珍しいトコで会ったじゃねーかニッパ」 と声をかけた瞬間の、先方の間抜け面はなかなかの見ものだったと、後々まで彼は思う。 「……な!!?」 案の定、驚愕の表情のままその場に固まるニッパ。 イニシアチブを取った事に気を良くしたボリングは、調子付いて椅子伝いにニッパの隣ににじり寄る。 コルジオで不覚を取った屈辱があるだけに、焦って身を引く相手の様子が彼には愉快だ。 「なんで、お前みたいなガキンチョが、こんなとこ居るんだよ……」 「ご挨拶だな。オレぁここの常連だぜ?」 殺気走る相手にニヤニヤ笑いを返しながら、彼はその隣の席に陣取った。 「どういうつもりだ」 腰のブレードに伸ばされかけた手を素早く押さえ、噛み付くような問いに殊更気安い口調で答える。 「どうもこうもねーよ。酒場で見かけた顔見知りに、声かけちゃいけねーって法でもあるのか、アン?」 「だっ、誰が顔見知りだ!?思いっきり敵じゃねーかお前!」 当然の突っ込みを鼻で笑って、彼はニッパに言った。 「てめーも相変わらずヨユーのねえ人生送ってやがんな、ニッパ。ここはオレの気に入りなんだ。 んなとこで騒ぎ起こす気はねーから、安心しろや」 怖けりゃ逃げたって構わないんだぜ、と耳元で付け加え、ボリングはニヤケながら相手の動向を見る。 ボリングの知るかつてのこの男なら、誹られるまま黙ってその場から逃げ出したかもしれないが 人の弱味に敏い彼には、今のニッパがそうしないという確信があった。 予想に違わず「逃げる」という言葉に、相手はビクリと表情を強張らせる。 「……」 席を立ったら負けだとばかり、ニッパは苦虫を噛み潰したような顔で椅子に腰掛け直すと、ボトルをオーダーする。 「それにしても、ピンとは珍しいじゃねーか。おめーは隊長に引っ付いてるとばっか思ってたんだがな」 「っせーな!お前に関係ねーだろ……」 ヤケクソ気味にグラスを干し、仏頂面を更に不機嫌にむくれさせる相手の様子に、ボリングはクククと喉を鳴らす。 「どうせ、相方がお姫様あたりとお出かけなんで、寂しく一人酒ってとこだろ?」 「ぶはッ!?」 図星を突かれたのか、盛大に噴き出すニッパ。 「うお!きったねーな」 「ゲホッ……なっ、なん……」 面白いくらい顔色を変えるニッパに、ウヒヒとほくそえむボリング。 だが闖入者をからかって無聊を晴らそうという自身の思い付きを、彼は1時間もせずに後悔する事になった。
「しっかしまぁ、ちいと見ねー間に、随分フテブテしくなっちまったじゃねーかオイ。 昔はあんなにカワイかったのによ」 「そっちはゲスっぷりに磨きがかかったみたいだな。いっそ頭の中身もイチからやり直しゃよかったんじゃねーの?」 ギスギスと会話が弾む中、ニッパは素面でこの場に居られるかとばかりのハイペースでグラスを干してゆく。 「何だよ、つれねーな。人がせっかく旧交を温めようってのに、乾杯の一つも上げる気にゃなんねーのか?」 「お断りだ」 即答である。 「ハ、こりゃまた嫌われたもんだな」 「好かれるとでも思ってんのか?」 にべもなく返される殺気の篭った声に、ボリングは苦笑するしかない。 「ま、仕方ねーか。てめーにゃ随分と……」 「オレの事なんざどうだっていい!!」 言いかけた言葉を、ニッパの声が鋭く遮った。 握り締めたグラスを睨みつけながら、低く続けられる彼の言葉は、真っ直ぐボリングへ向かう。 「お前は隊長やみんなを裏切って死なせた。隊長は拘る気ないみたいだけど、オレは忘れちゃいないし 許してもいねえ。わかってんだろ?」
「……フン」 沸きあがった苦々しい思いに、殊更に下卑た口調と台詞で答えるボリング。 「ずいぶん偉そうな口利くようになったじゃねーか、その悪党にさんざっぱらアンアン言わされてたヤツがよ」 びくりとニッパの骨張った肩が震え、グラスを見つめるその表情が険しくなる。 が、相手が激昂して殴りかかるか、怒って席を立つかを期待していたボリングの思惑は、すぐに裏切られた。 「否定はしねーよ」 「へっ!?」 思わず間抜けな声で隣へ振り向く彼に、ニッパは震える声で、だがしっかりとした口調で続ける。 「……それで、なんとかオレが生きてこれたのは事実なんだから……けど、それとこれとは話が別だ」 言ってまたグラスを呷るニッパに、ボリングの目がまじまじと向かう。 強がっているのは一目瞭然だが、口にした言葉に嘘は見えない。 あのバーラックの夜から自分と再会するまでに、この青年に何があったのかはボリングにはわからない。だが (変わりゃ変わるもんだ。いや、オレが知らなかっただけか?) 出所のわからぬバツの悪さに、早々に場を離れたくなったのは彼の方だった。
隣席と隙さえあれば険突くような言葉を交えながら、そういえば、とボリングは思い出す。 この青年と隣り合って他愛のない会話を交わした事など、彼には数えるほどもなかった。 5年もつるんでいながら、再会するまで相手がこんなに表情豊かな人間だということさえ、彼は知らなかった。 ボリングの記憶にあるこの男といえば、沈鬱に顔を俯けているか、卑屈に体を縮こまらせて自分を伺っているか 抜け殻みたいにどこか遠い所を見ているかばかりで、まともに彼に視線と感情をぶつけてくるのは いつも彼が特定の人物の名を引き合いに、相手を嬲る時だけだった。
「コルジオでお前見つけたときは、この手でブチのめせるかって期待したんだけどな」 「ナヌッ!!?」 (妙に嬉しそうだったのは、そーゆーコトかよオイ!!!) 不満たらたら唇を尖らすニッパに、ボリングは思わず心の中で突っ込む。 内心かなりガックリきている彼の感情などつゆ知らず、もう大分出来上がっている声で相手が話を続ける。 「隊長が無闇にやっつけんな、って言うんじゃ、こっちにゃどうしようもねーし」 と、ニッパはまたひとつグラスを呷る。 「あの人がオレに言ったんだ。『アイツにゃアイツが完成させなきゃなんねー道がある』……ってさ」 「――!!」 空のグラスを手酌で満たすニッパの横で、ボリングは以前、同じ人物が彼に言った言葉を思い出す。 ニッパの心酔するパートナーであり、かつて彼自身にとっても憧れだった男の言葉だ。 「オレにも多分無関係じゃない、って。まあ何がオレに関係あんのかとか、正直、まだよく意味はわかんねーけど」 ぼんやりと言うニッパと裏腹に、彼にはその言葉が重く、耳の奥に落ちていくのがわかった。
「んじゃそろそろ、嫌われモンは早々に退散……」 グラスの中身もそこそこに、逃げるように席を離れようとしたボリングのアフロを、ぼふっと酔っ払いの手が掴む。 「てめ!」 「……嫌ってねーよ」 ボソっと吐かれた台詞に、再びボリングは驚いて隣を見る。 「お前のことは絶対許せねえし、最低な野郎だと思ってるけど……別に嫌ってなんかいねえよ……」 仏頂面をアルコールに上気させ、カウンターにしなだれて言うニッパの言葉に、彼は目を丸くして聞き入る。 気付かずに相手は、もう相当に呂律の怪しい口で続けた。 「似たもん同士だしな、オレら……」 「――っ」 僅かに表情を緩ませるニッパから、彼は目を背ける。 「……ハ」 その時起きた感情を何と呼べばいいのか、自省とは無縁の人生を送ってきたボリングにはわからない。 ただそういえば、かつてまだ少年だったニッパに、そんな風に言っていた事もあったな。と、彼は思い出す。 幼児の顔には似つかわしくない苦しげな笑みが、その口辺に浮く。 それでも、自分が本当は嫌悪されるべきなのだ、と、己にとことん甘い男であるボリングが口にするには このひと時はどうにも居心地が良すぎた。 「似てねーよバカヤロウ」 それだけを言葉にして、コツと硬い指の先が、カウンターにへばったニッパの額を小突く。 「ちっとも、似ちゃいねえよ……」 ストローを咥え直すボリングだったが、氷が溶けすっかり薄まった水割りは、子供の舌には些かほろ苦かった。

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