[543] 希望實現のための十六箇条 |
- 伝統 - 2015年03月24日 (火) 18時59分
(第一箇条は「みとめるものがあらはれる」)
*谷口雅春先生、昭和43年講演記録 より
法華経の如来壽量品には
『天人が天の太鼓を撃ち、諸々の技芸を競うて、天から萬陀羅華の花びらふりそそぎ、 衆生及び佛を飾って今現にこの美しき實相の浄国があるのに、衆生たちの眼には 〃焼け尽きて憂怖諸々の苦悩が充満している〃ように見えているのだ』という真理が 書かれている。
天国実現も、地獄実現も、ただ自分の心の波長を合わすか否かにあるのである。
◆認めるものが顕れる
希望実現のための”心の法則”の第一は『みとめるものがあらはれる』ということだ。
諸君は、今現れている現象の有様を、究極的に真実そのままの姿だと思ってはならない。
現象には真象と偽象とがあり、真偽混交して二重写しの写真のように、 本来の実相が曇らされ、歪められて現れているのである。
真象とは『甘露の法雨』の冒頭ちかく示されいるところの
「神の心動き出でて言葉となれば、一切の現象展開して萬物成る」
とあるところの「神の想念」の展開としての現象である。
この「神の想念」の展開としての現象は即ち”真象”であって、 実相世界に神のコトバが展開して成就せる世界である。
そしてこの真象の世界においては
「神があらわれば乃ち善となり、義となり、慈悲となり、調和おのずから備わり 一切の生物ところを得て争う者なく、相食む者なく、病むものなく、 苦しむものなく、乏しきものなし」
と『甘露の法雨』に示されているが如き萬徳円萬の世界なのである。
しかし、このような萬徳圓萬の世界が真実の象(真象)として実在しているに拘らず、 それは「認めなければあらわれない」のである。
不完全な偽象の世界を越えて、この真実の象(かたち)の世界をみとめるために、 皆さんは、肉眼を閉じ、心の眼を開いて 實相を観ずる修行『神想観』を毎日怠らず実修するがよい。
(”童子 さま”のブログより拝借いたしました)
<感謝合掌 平成27年3月24日 頓首再拝>
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