[21] 「ノアの方舟」 解釈 |
- 童子 - 2014年06月22日 (日) 14時43分
『ノアの方舟』は旧約聖書 創世記 第6章 〜 第9章 に書かれてあります
・・・ 主は人の悪が地にはびこり、すべてその心に思いはかることが、いつも悪い事ばかりであるのを見られた。 主は地の上に人を造ったのを悔いて、心を痛め、「わたしが創造した人を地のおもてからぬぐい去ろう。 人も獣も、這うものも、空の鳥までも。 わたしは、これらを造ったことを悔いる」 と言われた。 (第6章 5ー7節)
・・・ 神はノアに言われた、 「わたしは、すべての人を絶やそうと決心した。 彼らは地を暴虐で満たしたから、わたしは彼らを地とともに滅ぼそう」 (第6章 13節)
そして40日40夜にわたる大雨で ・・・・
「世界壊滅の伝説 “ノアの大洪水” は原爆であったという説を、僕はギリシャの古い文献で読んだことがある。 私は作家だから科学にも政治にも門外漢だが、この文献には深く心を打たれた。 人類の精一杯の行きどまりは結局原爆だというのだ。 人類の歴史は原爆、あるいは原爆的のものの発明によって終焉を告げる。 この全滅劇で、一期間は亡び、またそのあとに新たな次の人類の期間が発生する ・・・ 」 (白井竟二 『老作家國を憂ふ』 )
そして 谷 口 雅 春 先生は ・・・
私はこの、人類生存の一期間を仏教では “一劫” というのだと解釈している。
その “一劫” の終末が来ることを、「劫尽きる」 というのである。 法華経の如来壽量品に 「衆生、劫尽きて大火に焼かるると見る時も、わが浄土は安穏にして天人常に充満す」 と書かれているのであるが、 「劫尽きて」 即ち人類生存の一周期が終末となって、 「大火に焼かる」 というのは恐らく 「原爆・水爆」 類似のものでそのはげしい放射で焼かれることを射すのだとも解釈できるのである。 それが水爆であるならば、 “大洪水” という象徴語で神話的表現をするのにピッタリするのである。
その大洪水が今や近づきつつあるのではないか。 その大洪水のときに、のがれるためには “ノアの方舟” が必要なのである。
その “ノアの方舟” を私は No 〜 A と解する。 No は 無相 であり、 A は 実相 である。 〈即ち “無相、実相、微妙 の法門我にあり” と釈尊が金波羅華を衆に対してお示しになりながら、瞬目揚眉せられたその釈尊の真意を解しない限り、この 「ノアの方舟」 に乗って、龍宮海にのがれることはできないのである。
(明窓浄机 47年新年号)

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