[23] 肉体を超えるよろこび |
- 明鏡 - 2014年06月23日 (月) 01時22分
『 生長の家 』誌 昭和32年5月号 巻頭言 谷口雅春先生
三月三日の講習会のときであった。 松葉杖を片脇にはさんで本部の演壇に登って来て体験談と感謝の辞を 述べられた娘さんがあった。
この娘さんは吉田恵美子さんといって幼い時に小児麻痺にかかって 両脚が麻痺してしまったのが生長の家の教えに触れて以来 次第に回復してこの程度まで回復したのだと言われた。
併し吉田恵美子さんがその不自由な脚でありながら演壇まで上って 感激の辞を述べられたのは、その脚のことではなかった。
私は滅多に此の様な純粋な肉体を超えた悦びの感謝の辞をきいたことはない。
多くの人たちは、生長の家の説くところの「人間は霊的実在である。 肉体は本来ない」という大切な根本的な真理を忘れてしまって、 私の机上に山積する手紙は殆ど全部と云ってよいほど、 「“自分の”此の病気はどうしたら治るか 」と云う質問である。
無論病気は治る。中には半ば治って停っている人もある。 肉体は因縁所生のものであるから因の変化、縁の変化によって 変化してあらわれる。
縁の変化によって治そうとするのは医術である。薬に触れ、 手術に触れて治るのである。触れるのが縁である。
しかし薬もなく、手術もなく、心の変化によって忽然として 治ってしまうこともある。心因の変化である。 心因は過去に遡れば幾代も生れ更っているその前世に及ぶ。 治り難い人も、迅速に治る人もあるのはその為である。
高級霊が尚一段自分の魂の力を訓練し増大せんがために、 わざとハンディキャップを肉体に造って、そのハンディキャップを 超える練習をする場合もある。これも心因の一つである。 (『生命の實相』霊界篇参照)
吉田恵美子さんはそのような高き霊であると思う。 講習会の後に私に手紙をくださったがそれにはこんなことが書いてある。
「私はもと天理教や創価学会の方から必ず足が立つからとすすめられた時、 足が癒るという餌よりも、人間として生まれた意義や、 生命の神秘や、愛や、何か魂に触れるものを説き明かしてほしい願いが強く、 真に求めるものは、人の子の悩みの解決でした。
足がたとい良くなっても、それは五体満足という普通の当り前の線に 届いたというだけで、その時どんなに嬉しくてもすぐ馴れて、 又必ず別の悩みにつきまとわれるに違いない事は、 最初から五体完全な人が、殆ど悩みをもってるのを見て感じたことでした。
もっと根本のものが解決しなければ喜べない気がしてなりませんでした。 生長の家の教えが私にその満足を得させた事は申す迄もないことです。
・・・形になった供給より、赦しの心や、他(ひと)のためにも 祈れる愛の心の無限供給が良くなり、足のことや・・・・・・ さして気にならなくなり・・・・長い間の最大の超え難かった問題から 心がすかんと断ち切れました。」
吉田さんはこうしてハンディキャップをついに超えたのである。
( 原文のまま。ただし原文は、旧漢字、歴史的仮名遣い。)

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