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光明掲示板・第三

 

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無限の富を汲みだす (69)
日時:2014年09月03日 (水) 03時34分
名前:伝統

《富は”信”を中心に集り来る》

           *『眞理』第九巻生活篇(P−185〜186)

富は常に信念なくして動揺するものには来たらない。
たとい富が一時(じ)来ることがあっても
磯に来る波のように常に動揺して去ってしまうものである。

先ず自己を信ずること、そして他(た)を信ずること、
そして自己のたずさわる事業に対して将来の一層繁栄を信ずることである。

そして”わが為すは神が為さしめ給うのであるから、
究極に於いて必ず自分の計画する事業は栄えるより仕方がない”ことを信ずることである。

自己にこの信念がなければ、他(た)の人々からその人は信頼をかち得ることができず、
多くの人々から協力を得ることができないで結局その事業は大きく成功することは
不可能となるのである。

また自分自身を信頼せず、自分自身に劣等感を持つ者は、
自分の持っている能力の半分も完全に発揮することができないのである。


<関連Web>

(1)「光明掲示板・第一」内スレッド「無限の富 (5854)」
     → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1098

(2)「光明掲示板・第二」内スレッド「無限の富を汲みだす (120) 」
     → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=56

            <感謝合掌 平成26年9月3日 頓首再拝>

《お金持ちを心底尊敬する》 (303)
日時:2014年09月12日 (金) 04時33分
名前:伝統

        *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年03月11日)」より

   (千田琢哉氏の心に響く言葉より…)

   「貧乏になりたければお金持ちの悪口を言うことだ。
   するとまわりから、お金持ちは去っていき、代りに貧乏が寄ってくる。
   お金もちになりたいのであれば、まずお金持ちを尊敬することだ」


   お金持ちの悪口を言うのが好きな人がいる。
   お金持ちの悪口を言うのは、貧乏になるための最短コースだ。

   なぜなら貧乏はお金持ちが大嫌いであり、
   お金持ちの悪口を言っている集団を見つけると喜んで仲間に入ってくるからだ。

   つまりお金持ちの悪口を言えば、周囲は貧乏だらけになる。

   貧乏がウジャウジャ群がってくる。

   これではどこからどうみてもお金持ちになれるはずがない。

  
   もしあなたがお金持ちになりたければ、お金持ちを心底尊敬することだ。

   貧乏な人にもたくさん欠点があるように、お金持ちにだって欠点はあるだろう。
   だがここで欠点比べを始めても何ら生産性がない。

   ここは一つ素直になって長所に目を向けてみようではないか。

         <『「あたりまえ」からはじめなさい』星海社新書>

         ・・・

友人や知人の成功を素直に喜ぶ人と、それを妬(ねた)む人がいる。

「成功」に嫉妬(しっと)すれば、「失敗」が喜んでやってくる。


不幸せになりたければ、幸せな人の悪口を言えばいい。
つまらない人になりたければ、面白そうな人の悪口を言えばいい。
苦しいと嘆きたければ、楽しそうな人の悪口を言えばいい。


不機嫌そうに、「不平不満」、「愚痴・泣き言」「悪口・文句」を言う人生がいいのか、

明るい笑顔で、「うれしい・楽しい・幸せ」、「感謝・ありがとう」を言う人生がいいのか。

いつでも、どちらの人生か選べる。


「善(よ)きことをけなし、悪口を言えば悪くなる」

成功している人を、素直に賞賛できる人でありたい。

         <感謝合掌 平成26年9月12日 頓首再拝>

富の道 (572)
日時:2014年09月23日 (火) 04時53分
名前:伝統

         *『生命の實相』第38巻幸福篇下(P78〜79)より

各人の富は、神の無限供給の源泉を、自分の心で受けた分量であるから、
自分の心の影だということができるのである。

もしすべての人のの富を回収して、それを全人類に平等に分配しても、
たちまちのうちに富む者は富み、貧しくなる者は貧しくなるのであろう。

その人の心が、その分配されたるものを操作して
おのおの異なる結果を生むことになるのである。

今日(こんにち)自分が働く力、考える力、生きる力、味わう力・・・等々を
与えられていることを感謝せよ。
すでに無限の供給の今あることに感謝せよ。

(損失なんて考える必要はないのである)そして、感謝のうちに報恩のために
働く力を、考える力を他(ひと)のために与えて奉仕せよ。

これが富の道である。

             <感謝合掌 平成26年9月23日 頓首再拝>

お金の意志 (701)
日時:2014年09月30日 (火) 04時16分
名前:伝統

       *「幸せな気持ちになる不思議な本」福田 純子・著(227〜233)より

私たちが毎日使っているお札(さつ)には思いがあり、方向があり、
足があるということをご存知でしたか。

昔の人はお金をことを「おあし」と言いました。
まるで足があるように人から人へ渡り歩くさまに由来するそうです。

ところで、お金に足があって歩いているとするならば、
どちらに行こうとしているのでしょう。

私たち人間がそれぞれに固有の生命の座あるのと同じように、
お金にも意志があり、思いの方向へ歩いていこうとしているのではないでしょうか。

お金はいろいろなところを旅して回ることを望んでいるに違いありません。
さらには、「信用と安心」さんのもとに行きたがっているのではないでしょうか。

『イソップ物語』にこういう話があります。

ある人が地下室に守銭奴のごとくお金を貯めていました。
ところが、近所の人がその財産を隠して、代わりに石を置いておきました。
それを観たその人は烈火のごとく怒りました。

すると、近所の人はこう言いました。

「あなたはお金があっても使わないじゃないですか。
だったらそこに石ころを置いて、それをお金だと思えば満足するのではないですか」

一生懸命守ろうとしているものがたとえ財宝であれ金銀であれ、動かさなければ
それは価値をなくしたものでしかありません。
全世界の経済がよりよく巡り、滞らないことを望みたいものです。


ところで、お札には方向があり、金運と関わっていることをご存知ですか。

ここで質問をします。

財布にお札をしまうとき、絵柄をきちんとそろえて入れますか。
そろえる人はバラバラに入れるよりもお金に縁がある人です。

さらにお札をしまうとき、上下をそろえ、
上端(福沢諭吉などの頭のほう)を上にして入れますか。
それとも財布の底に向けて入れますか。

お札の人物の頭の上下が問題なのです。

多くの場合、赤ちゃんが生まれるときは頭から出てくるように、
実はお札の頭が出ていこうとする方向なのです。

お札の上を財布の上端にして入れる人は、お金に縁があっても出ていく人です。
なぜならば、わざわざお札が出ていきやすいように、財布の口から頭を覘かせているからです。

反対に財布の底めがけて入れておくと、矢印が書いてあるようなものですから、
お札はあなたのお財布にしっかりと納まってくれます。

また、人さまにお渡しするときは、お札の顔を相手向きにして渡すと、
感じがよいだけではなく、ちゃんと自分のほうへと戻ってくるのです。
「そんなバカな・・・」と言わずに、ぜひ一度試してみませんか。


実は、私はかねてからこのことに興味をもち、いろいろな人に
「あなたは、お札をどのようにしまっていますか」と聞いています。

「受け取ったまま、無造作にしまう」が約4割。
「上向きにそろえる」が約5割。
「下向きにそろえる」が残りの約1割という結果でした。

なんと驚いたことに、堅実にお金を残していると思われる人ほど、
お札を下方向にしまっているのです。

(中略)

さらに、お札がお札を呼ぶというナンバーがあるそうです。
それは下二桁が5X(エックス)と5Z(ゼット)。
そのナンバーのお札を持っていると、仲間をいっぱい呼んでくれるそうですよ。

元手はかかりませんので、ぜひ一度お試しになってみませんか。
そして、本当にお金が入る縁にあすかるようになった人は、
効果的に流通させてあげましょう。

新たな経済の復活は、一人ひとりのお金の使い方に関わっているのですから。

             <感謝合掌 平成26年9月30日 頓首再拝>

横取りをせず縦取りをせよ (892)
日時:2014年10月08日 (水) 04時23分
名前:伝統

        *「幸福を招く365章」(P10)より

生長の家の教えでは、「縦取りはよろしいが 横取りは可(い)かぬ」 と申します。 

横取りと云うのは、有限の世界から物を取って来ることでありまして、
それは必ず誰かと衝突するのもであります。 
これには必ず奪い合いを生じ、戦いや争いが起こってまいります。 

縦取りというのは、神の世界から、無限の世界から、頂いて来ることであります。 
これは頂いても相手は減らない頂きようです。 

そんな頂き様が 本当に出来るのでしょうか。 
貴方が何をやっても儲ける方から考えていると、「横取り」の方であります。 

これを「お客を喜ばせたい」「人類に献(ささ)げたい」と云う方から考えていると、
それは神へと縦に連なっているのであります。

             <感謝合掌 平成26年10月8日 頓首再拝>

神と富とに兼事(かねつか)えうるか (1082)
日時:2014年10月15日 (水) 04時24分
名前:伝統

        *「生命の實相」第30巻聖典講義篇(P261〜264)より


  なんじら己(おの)がために財宝(たから)を地(ち)に積つむな、
  ここは虫(むし)と錆(さび)とが損(そこな)い、
  盜人(ぬすびと)うがちて盜(ぬす)むなり。

  汝と己(おの)がために財宝(たから)を天(てん)に積(つ)め、
  かしこは虫(むし)と錆(さび)とが損(そこな)わず、
  盜人(ぬすびと)うがちて盜(ぬす)まぬなり。

  汝の財宝(たから)のある所には、汝の心もあるべし。

  身(み)の燈火(ともしび)は目(め)なり。
  此の故に汝の目ただしくば、全身あかるからん。

  然(さ)れど、汝の目あしくば、全身くらからん。
  もし汝の内の光(ひかり)、闇(やみ)ならば、その闇いかばかりぞや。

  人(ひと)は二人の主に兼事(かねつか)うること能(あた)わず、
  或(ある)いは、これを憎み、かれを愛し、或は、これに親したしみ、
  かれを軽(かろ)しむべければなり。

  汝ら神と富とに兼事(かねつか)うること能わず。

                 <マタイ伝6−19〜24>



ここには神と富とには兼ね事(つか)うることができないという
宗教上の大問題が書いてあるわけであります。

生長の家では「無限供給」と申しまして、
一方神に事えながら富にも兼ね事えることが自由自在だと説いてあります。
他の宗教のように貧乏にならなければ神様が喜び給わないとは説かないのです。

ところがここには神と富とには兼ね事えることは能(でき)ないと書いてある。
それではこれをどうして生長の家と、キリスト教とにおいて調和せしめうるか、
それを説明しなければならぬのであります。

「宝を天に積め」というのはどこへ積むことであるかとまず考えます。
聖書を解する時にはたいてい「天」とは永遠の世界(実相の世界)のことでありまして、
それに相対して「地」と申します場合は、有限の世界(現象界)のことを申します。

「地」すなわち現象世界に宝を積んでおいたってこれは要するに、
虫と錆とが損い盗人うがちて盗むのであります。

ところが、実相の世界において神はいっさいを持ち給うから、無限の富者であります。
換言すれば、神と財宝とは一つのものであります。

天に財宝を積むとは「神なる無限の富者」と一体(ひとつ)に繋がることであります。
ところが、われわれが財宝を「地」すなわち現象世界に積んでも、
現象世界は移り易(かわ)るものでありますから、その富も決して永続するものではない
のであります。

「現象の世界」というものを一面から考えますと、これは「物質の世界」あるいは
「個我の世界」である。すなわち自分と他人とが分離した世界であります。

自分と他人とが区別された個々別々の「分裂せる世界」に富を積んでおくと、
実相と無限供給というものが出てこないことになるのであります。


「天に宝を積め」ということは「供給を実相に仰げ」ということであります。
実相は離れ離れの世界ではありません。自他一体の世界であります。
神は「渾(すべ)ての渾て」であります。

渾てでありますから、神の造り給える世界すなわち実相の世界は自他一体の世界であります。
自他一体の世界に富を積んでおいたら、盗人が金庫に孔をうがって盗むことはできない。

どこにその富があるにしましても、自他一体であるから、皆自分のものであって
必要のときには、どこからでも流入してくるのであります。

よく生長の家で「生長の家の誌友は無限供給である」と言いますと、
そういう先生自身からして何憶万円の金を持っているわけじゃあるまいし
やはり有限の富しか持っていないじゃないか、
とこういう疑問を提出される人も時たまあるのであります。

そういう疑問を出す人は、「無限供給」というものを「天」すなわち「実相の世界」に
蓄えてあるとは考えないで、「個我」の世界―盗人うがちて盗む世界に置かなければ
「無限供給」だと考えられない人です。

「無限供給」ということは決して個我の世界 ―― 現象の世界 ―― 
に積んでおくのではないのであります。現象世界(個我の世界)に積んでおいたものは
皆有限であって「無限供給」というものはないのであります。


またこの現象の我、個人の我というものが
あまりたくさん富を積んでおいたらかえって邪魔になる。

仮に10万円わたしが持っているにしても、
どうもこんなところに紙幣が積んであっては邪魔になるし、
誰か来てその紙幣を持って行かれては困ると思って、
いろいろ心遣いをしなければなりません。

それがまだまだ無限憶万円も個人に持たされたら背負いきれない。
どれだけ蔵をこしらえても蔵が足りないというふうになってしまう。
それではかえって保存するのに困って、持っているそのことが無限供給でなくなる。

ですから、無限供給ということは個人の懐にむやみに持っていることではないのです。
無限供給というのは要るだけ出てくるということで、
ちょうど大黒さまの持っておられる「打ち出の小槌」のように振れば出てくる。

振らねば出てこぬというのが無限供給であります。
「振る」というのは「振動」であります。
コトバであります。働きであります。

祈りと働きによって要るだけ出てくるのが神様の供給であります。
要るだけ出てくるといって、遊んでおっては出てくるものではない。
働き ―― すなわち生命を生かすことと、正しきコトバの振動によって
出てくるのであります。

             <感謝合掌 平成26年10月15日 頓首再拝>

あなたが《豊かな富》を祈るとき (1275)
日時:2014年10月24日 (金) 04時51分
名前:伝統

           *『白鳩』誌(S.42年5月箴言)より

あなたが裕かなる富を与え給えと祈るとき、
決して「自分は貧しいから」と思って祈ってはならないのである。

「自分は貧しいから」と深く思って祈るならば、『深く思うこと』そのことが祈りであるから、
その思う通りの「貧しさ」を引き続き実現することになるのである。 
このような人が「私は祈ったけれども諾かれなかった」というのである。

「富を得よう」と思うならば、
『私は神の子であるから、本来豊かな富をもっているのです。有り難うございます。
その実相をあらはし給え』と祈るがよい。

そのように祈っても、天から貨幣が降って来る訳ではない。
神は霊的存在であるから、霊的なもの即ち《アイディア》または《仕事》を送って来られ、
それを実行することによって、富が実現するのである。

《アイディア》や《仕事》が降って来ても、実行しなければ富は実現しない。
神は人間に《最後の実行》によって、魂をみずから鍛えることを欲し給うのである。

http://blogs.yahoo.co.jp/yghms533/19884154.html

             <感謝合掌 平成26年10月24日 頓首再拝>

富を築くための新しき生活設計〜10の教え (1512)
日時:2014年11月06日 (木) 06時13分
名前:伝統

谷口雅春先生は、『眞理』第5巻女性篇第10章において、
富の概念、富を得る道を丁寧に深く示されております。


(1)富を得る第一の心条件は、富に対して正しい概念を持つことです。

(2)富は決して穢(きた)い物でも、汚(けが)れた物でもないのであります。
   その清さ穢さはその扱い方によって定まるものだと知らねばなりません。

(3)富は形の上では物質や貨幣のように見えているけれども、その実体は、
   神の生命(せいめい)、智慧、愛の顕現だということを知らねばなりません。

(4)富とは金や貨幣のみとだ考えてはなりません。

(5)冨を得る原則は、現在頂いている冨に、先ず感謝するところから、
   次の冨を受け取る資格が出来ると云うことであります。

(6)あなたは食物に感謝しなさい。空気に感謝しなさい。日光に感謝しなさい。
   衣服に感謝しなさい。住居(すまい)に感謝しなさい。その功徳は無限です。

(7)心の波長をよくするには家族が仲よくなることが大切です。
   特に夫婦の調和ということが、事業の発展に大いなる影響を与えるものだと
   云うことを知らねばなりません。

(8)富を得るためには、自分自身が富そのものにならなければなりません。

(9)「我れは神の子なれば、神の無限の富の後継者(あとつぎ)である」と
   常に念ずるように致しましょう。

(10)人間に父母があるように、富にも父性原理と母性原理とがあります。


この10の教えの詳細については、
別の掲示板「谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐」にて
順次謹写してまいりますので、そちらの方でご確認ください。
  → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=38

             <感謝合掌 平成26年11月6日 頓首再拝>

あなたの事業が繁栄を欲しても繁栄しない場合 (1684)
日時:2014年11月14日 (金) 04時52分
名前:伝統

《富を築くための新しき生活設計〜10の教え(詳細篇)》については、
別の掲示板「谷口雅春先生をお慕いする掲示板」にて、謹写を終えております。
 → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=38

・・・

《あなたの事業が繁栄を欲しても繁栄しない場合》

       *『生長の家』誌(昭和39年11月8日の法語)より

仮にあなたが経済的繁栄を欲していながら、
いつまでも貧乏であったり、事業がうまく発展しないような事があったら、
それを普通の人なら、外界の事情が悪いからだと考えがちであるけれども、

いやしくも光明思想の研究家であるあなたは原因を外界に帰してはならないのである。

私たちは、何事が外界に起ろうとも、その誘発的な原因は 
“自己” にあると教えられているのである。

 
若しあなたが繁栄しないならば、現在意識では繁栄の希望をもっていながら、
潜在意識の中に繁栄を妨げる何らかの “自覚の障礙” があるのである。

その “自覚の障礙” となるものの根本は、
「人間は“神の子”であり、神の有ち給える凡ゆる善き事物の後継者(あとつぎ)である」
という真理を忘れてしまていて 

「人生はどうせ思うようにならぬものだ」 
という一般的な常識に妥協してしまっていることである。

 
或は、「人間は “神の子”」 という真理は知っているのであるけれども、
「富むということが物質欲の表現であるからよいことではない」 とか、
「富める者は貧者から搾取しているのだ」 とかいうような

自己限定の観念が潜在意識の何処かに潜んでいるのである。

 
或はあなたは富者を憎んでいるのかも知れない。 
富者を憎む心がある限り、自己が 「富者」 となる事をも憎む考えが潜在的にあるから、
自己が富むような事情が起って来そうになると、

潜在意識はそれを “無意識行動” によって失錯を演ぜしめて、
富む事を妨げることになるのである。

http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/18851735.html

             <感謝合掌 平成26年11月14日 頓首再拝>

すでに与えられている無限供給の実相を引き出すには (1953)
日時:2014年11月25日 (火) 04時08分
名前:伝統

        *『生命の實相』第36巻幸福生活篇功徳篇下(P4〜5)より

供給は祈るも祈らぬもすでに与えられている。
栓をひねったらすぐ出るように、もうそこまで来ているのでありますけれど、
祈りは心にそれをハッキリと描く作用によって栓を開くのであります。

ですから、その水道の栓をいかにうまく捻って神様の無限供給を引き出すかということが、
現象界の人生を幸福に生きてゆく上に問題になるのであります。

これをうまくやれましたならば、われわれの住むこの世界はこのまま無限供給、
このまま病気も不幸もない世界が現れて来、地上がそのまま天国になるはずであります。

生長の家はいかにしてこのすでに与えられているところの神の幸福の無限供給を
この現世に引き出したらいいかということを研究しその方法を発表しているのでありまして、

それを『生命の實相』に書いて発表しておきましたところが、
皆さんがそのとおり行なってみて「なるほど、そうじゃ」と体験して下さったのであります。


無限供給と申しましても、無限供給の中には、金の無限供給も、職業の無限供給もあり、
そのほか、生命の無限供給もあれば、知恵の無限供給もあり、ありとしあらゆる種類の
無限供給をすでにわれわれは神の子として神から与えられているのであります。

それが得られるか得られないかは、ただ一つ実相の扉の開き方にあります。

扉を開くには鍵穴に鍵の形が合わなければならない。
鍵孔と鍵の形との類似ということが必要なのであります。

すでに与えられている無限供給の実相を引き出すには
実相と同じ形の鍵をもって開く ―― 実相と同じ念を起こせばよいのであります。

偉そうに言っても生活に困ったり、家庭が不和であったり、現象界が整わないのは、
実相の鍵孔と同じ形の鍵に自分の心がなっていない証拠で、悟りが開けていないのであります。

             <感謝合掌 平成26年11月25日 頓首再拝>

富を得るための5つの法則 (2164)
日時:2014年12月06日 (土) 03時38分
名前:伝統

谷口雅春先生は、『希望を叶える365章』(第3項光明思想を生活に生かすには)
において、富を得るための5つの法則を示されております。

(1)第一の法則:「人を幸福にするアイディア」に波長を合わせる。

(2)第二の法則:神の無限の富の後継者としての自覚を持つ。

(3)第三の法則:神の世嗣者”として富んでいることを心に念じる。

(4)第四の法則:「与えよ、さらば与えられん」は繁栄の黄金律である。

(5)第五の法則:今まで与えられていた物に対して感謝をする。


この5つの法則の詳細については、
別の掲示板「谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐」にて、ご確認ください。
→ http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=43

             <感謝合掌 平成26年12月6日 頓首再拝>

神を親として生まれた富 (2379)
日時:2014年12月17日 (水) 03時24分
名前:伝統

         *『眞理第九巻生活篇』(P189〜190) より

富を、神の愛の目的に使わないとき、富はその出所たる親をわすれて孤児となり、
神の目的にそわない放蕩児となるのである。

富を神の愛の目的に使うとき、
富は神の令嬢として、神の栄えを顕現するものとなる。

神を離れて、「富」を愛してはならない。
神の令嬢として、神の目的にかなう如く富子さんを愛しなければならない。

快楽を得るために富を得んとする者は、神の令嬢富子さんを陵辱しようとするものである。

神の目的にささげたる自己の生涯の伴侶となすべく”富”を娶るならば、
”富”はあなたの生涯の伴侶となって、神の栄えをあらわす。

”富”は神を親として生まれ、其処からあなたに娶られて来たのであるから
時々「実家帰(さとがえ)り」をさせることによって
更に彼女の活力は増すのである。

             <感謝合掌 平成26年12月17日 頓首再拝>

宝くじの当せん者は、あの世のOB・OGが決める! (2519)
日時:2014年12月27日 (土) 04時32分
名前:伝統

            *『お金に愛される魂のみがき方』美鈴・著(P182〜185)より

以前、ロト6のCMで、あの世で5人の神様が「今週は誰に当てようか?」という
会議をしている場面がありましたが、

まさに霊界では、それぞれのグループソウルのOB・OGである
守護霊が集まって誰に宝くじを当籤(とうせん)させようかを相談しておられるのです。

そして大金を手にすることで生まれる前にあの世で決めてきた宿命解消に役立つのであれば、
「3億円を与えてみよう。このお金で宿命を解消するために役立つような使い方をするか、
見てみようではないか」とOB・OG組合のご厚意により宝くじ当せんが決定するのです。

OB・OG(守護霊)としては、感謝の気持ちで自分や家族以外の誰かのためにも
お金を使えるかどうかを試しているのですが、そのとき、すべて自分で使いこもうすると、
とてつもなく大きなマイナスのカルマが発生します。

よく「宝くじに当たったら不幸になる」と言われるのは、
このマイナスのカルマが返ってくるからなのですね。

実際、家が火事になった、不仲で一家がバラバラになってしまった、
交通事故にあって大けがをした、大病をして仕事を断念せざるを得なくなった.......など、
宝くじが当たった方の不幸話をよく耳にします。

仕事で知り合った不動産会社を経営する豪快な社長さんのお話です。
この方は地上げ屋のようなこともされていて、弱い人たちをいじめて
お金をもうけたりもしていました。

お金の使い方はとても派手で、宝くじもハンパではない額を買い込みました。
 
霊視をすると、案の定3億円を当てていたので、
私は社長さんに「すべて自分で使いこんだら大変なことになるから、寄付してね」と
お伝えしましたが、「俺、3000円しか当たってないよ〜!」と言ってごまかすのです。

しばらくたって、社長さんにガンが見つかり、入院されました。

しかし、お見舞いにきてくれる奥さまや、看病をしてくれる看護師さんに何の感謝もせず
「なんで、俺がこんな目にあわな、あかんねん!」と言って怒ってばかりいるのです。

退院してからも仕事と遊びばかりで、家族と向き合おうともしません。
奥さまも息子さんもみんな離れていってしまいました。
 
その後、仕事は暗転し、訴訟問題を抱えたり、リゾート開発に失敗したりで、
大金が出ていく一方です。とうとうお金が底をついたときには、もう周りには
誰も社長さんを支えてくれる人はいませんでした。

その後、社長さんがホームレスになられたという噂を聞きました。
しばらくたった頃、私のところに「3000円でいいから貸してくれ」と連絡があったのです。
 
私は社長さんにお会いし「3億円当たったときに寄付をしてくださいとお話ししましたよね。
あれが、宿命に気づく最後のチャンスだったんですよ」と伝えると、
「そうだね。今考えるとそう思うよ。あのときからどんどん悪い方向に進んだからね」と
おっしゃられました。

私は、社長さんが立ち直り、幸せになることを願って、
たびたびお金を差し上げていたのですが、結局は持ち前の変なプライドが邪魔をして、
お友達の不動産会社で働かせてもらうこともできず、
最後はご病気になってブルーテントの中で寿命を迎えられました。

何も失うものはない状況での寿命だとしても、さまざまな想い、無念の執着で、
死後、長い間この世をさまよっていらっしゃいました。

3億円分のマイナスのカルマは、本当に怖いにです!

3億円が当たったら、せめて3分の1、いや5分の1でもかまいませんから、
それくらいは誰かのために善意のお金を使ってくださいね。

具体的には誰かを幸せにするために使う方法が決まっている方もそうでない方も、
少しでもマイナスのカルマを少なくするために、寄付などすることをおすすめします。

             <感謝合掌 平成26年12月27日 頓首再拝>

「我が家は既に富めり」と念ぜよ (2689)
日時:2015年01月05日 (月) 03時45分
名前:伝統

         *「女は愛の太陽だ」(P44〜45)より

「我が家は既に富めり」と念ずることは、現象の貧しさを見ている限り、抵抗を感じて、
念じにくいと思う人もあるでしょう。しかし「現象は実在ではない、それは”心の影”で
あり、仮存在に過ぎないのだ」という生長の家の哲学がその時、役立つことになるのです。

現象は常に移り変わる。移り変わるというのは、現在《ある》ものが消えて、次の別の姿が
あらわれるということである。「現在《ある》ものが消える」というのは、現在《ある》
ように見えていても、それは「本当に《ある》」のではないからこそ消えるのである。

「本当にある」ものを「実在」又は「実相」という。
「本当にあるもの」は「神の世界」にある。

イエスが「御心の”天”に成るが如く地にも成らせ給え」と祈れと教えた時の”天”と
いうのは、この「神の世界」のことである。その「神の世界」に於いては、既にあなたは
あらゆる善きものが豊かに完全に備えられているのである。

それを地上に実現せしめ給えと祈ることは、
「神の世界」にそのような「善きもの」が既に存在することを確認して、
それに心の波長を合わすようにせよとの意味なのである。

まことに「あなたの家は既に富めり」であり、
その実相の”無限の富”に、あなたの心の波長を合わして、
それを現象界に実現せしめ得るかどうかの問題であるのである。

             <感謝合掌 平成27年1月5日 頓首再拝>

「損失を拝め」 (2821)
日時:2015年01月15日 (木) 04時58分
名前:伝統

            *「信仰百話」橋本徹馬・著より

多くの「身の上相談」の来書の中に、
金銭や土地などに関する損失を苦にしているのが沢山来ます。

例えば

「友人が一寸立て替えてくれ、直ぐ返すからといったので
貸したのが、いつまでも返して貰えない」

「友人の保証人になったところが、その友人が破産をしたので、
責任が自分のところへ来て、その債務に苦しんでいる」、

或いは「盗難に遭って困った」とか、言うが如き類です。


そのような人達にいつも私がいうのは、

すべて財産上の損失は「前世(さきのよ)の借りを返すか、今貸すか」だと
考えてくださいということです。

あなたがどんなに苦しい損失をしても、
あなたが前生で借りていたものを、返したのだと思えば、
何も腹を立てることも苦にすることもないでしょう。

前生の借りが済んでよかったと思えるはずです。

若しまた前生で借りたことがないのに、損失を受けたとすれば、
それは今生で貸しを作ったことであるから、
たとえ苦しくとも、いつかは何かの方法で、あなたのところへ返って来る。


神様の勘定に間違いがないから、安心していなさいというのです。

勿論本人の身になってみれば、あれだけの金があればと思う事が、
いろいろあろうけれども、それをあっさりと諦めて、逆にその損失に感謝し、
その損失を拝むのが、さとりある人の態度です。


たとえ訴訟をしたら取れると思うものであっても、
訴訟をしたり、喧嘩をしたりせねばわが手に入らぬものは、
自分に授かった財産ではないと、思い切らねばなりません。

そうして

「神様ありがとうございます。
これで私の前生の借りが払えたものと思います。
お蔭でさっぱり致しました。ありがとうございます」

と感謝するのです。


損失を苦にする代わりに、かく損失を拝む。

そこに奇跡が現れるのです。

時々古証文を出して見て「この金が取れればなあ」と
愚痴をいう人があるが、それは世の中を小さく渡る人のことです。

それよりは損失を転機に一大躍進の工夫をすべきであります。

この大宇宙は無尽蔵の宝庫であり、なお毎日無限の創造が続いているのです。

愚痴に心を留めることなく、
この宇宙の無限の宝庫の鍵を開くことに進む、明朗にして闊達な気性が大切です。

そうしてそれには、常に万物と万事に感謝しつつ、
現在の自分の境遇を基礎として、最も多くの人を生かす工夫を重ねては、
それを実行することです。

それが宇宙の宝庫を開く鍵であります。(昭和37年12月)


※宇宙の宝庫を開く鍵は皆自分の手に渡されているのであるが、
  ただその使い方を知らぬのである。

             <感謝合掌 平成27年1月15日 頓首再拝>



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