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光明掲示板・第三

 

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親への感謝・親孝行 (111)
日時:2014年09月05日 (金) 04時46分
名前:伝統

《ヘソの緒で知る親の貴さ》

        *「親孝行」尾関宗園・著(P196〜198)より

あなたの親がどんな親であるにせよ、
社会に出て活躍するエネルギーの源を磨きあげる砥石であることに変わりはありません。
そういう尊い試金石が親なのです。

「ふるさとや臍の緒に泣く年の暮」

これは「笈(おい)の小文(こぶみ)」と題された句集におさめられている松尾芭蕉の句です。

ひさしぶりに帰った故郷の家、年の暮れのこととて外には雪がちらついていたかもしれません。
そんなしんと静まりかえった家の中で、たまたま自分のヘソの緒を見つけて、亡き母を
思いやって涙を流している芭蕉の姿が、ありありと目に浮かぶようです。

ヘソの緒 ―― ちっぽけにひからびた、ほんとになんのへんてつもない、
いやむしろ、多少きみのわるいものですらあります。

しかし、芭蕉が、このひからびたヘソの緒を見つけて、亡き父母を思い、涙を流したという
気持ちは、けっして偽りではありません。

ちっぽけなひからびたものであるからこそ、母の胎内にいたときに、たったこれだけのもので
母とつながり、栄養と血と愛情と、すべてをそそがれて、生命を得、そして育ってきた。

いざ母の胎内を離れ、うき世の寒風にさらされ、辛い思い、悲しい思いをするのは、
芭蕉ばかりではありません。あなたも私もそうなのです。

そのなかでたくましく生きぬく生命の力を、親からもらった私たち。
血と肉ばかりでなく、この世を生きるさまざまなこころのはたらきを育ててくれた父や母の
尊さを、ヘソの緒を見ながらあらためて噛みしめようではありませんか。


・・・


      *谷口雅春先生・著『いのちの革命』(P84〜86)より
 
神様の「理念」が、夫婦関係と称するところの陰陽の結びによって起るところの
この“生命の波長”によって、神様の世界から天降って来たのであります。

我々の生命の本地(テレビ放送局のスタジオにあたるもの)は神の世界にあり、
我々の生命の本質は本当に神様の生命そのものだということなんです。

(中略)

もし、人間の親という媒介がこの地上になかったら、
「神の生命」すなわち、あなたの生命は何かに自己表現するより仕方がない。

だから、まだ地球が未発達であって、その時代の一番高等生物が
みみずかなめくじくらいのものにすぎなかったら、

みなさんの生命がいくら貴い神様の生命でも
今時分みみずかなめくじに生まれているということになるのであります。

(中略)

みみずにも生まれず、なめくじにも生まれず、豚にも生まれず、
最高の神様の自己表現であるところの人間として、地上に生まれることができたのは、
これは人間のお父さんお母さんの愛情を媒介として皆様が生まれることができたからだ
ということを知らねばなりません。

・・・

<関連Web>

(1)「“本流宣言”掲示板」内に関連として次のスレッドがあります。

  @母の大恩 (964)
    →  http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=224

  Aお母さんの偉大な力 (4535)
    →  http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=943

  Bいのちが響き合う (8809)
    →  http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=2067

  C父の恩 (2607)
    →  http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=509

(2)「光明掲示板・第一」

  @「親への感謝、親孝行」
    →  http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=77     

  A「母の日〜「心に響く”いい話”」 (8233)」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=1546     


(3)「光明掲示板・第ニ」

  @「親への感謝・親孝行 (27)」
    →  http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=15    

  A「母 (8071)」
    →  http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=1610   


            <感謝合掌 平成26年9月5日 頓首再拝>

親に感謝したとき吃りが治った貢くんの体験談発表 (128)
日時:2014年09月05日 (金) 22時43分
名前:童子

伝統さま 
  お借りします。


『神智の導きに身をゆだね』
    生長の家青年会鹿児島県支部執行委員長  貢  正 一


生長の家総本山 第3回実相研鑚会  『禊の時は今』
 昭和54年10月17日  龍宮住吉本宮練成道場 

http://blogs.yahoo.co.jp/vanon32/18677454.html


 ・・・・・・・・・・

 来週、柳川練成に行かれる方は必読です。

親に感謝するクセを身につける (315)
日時:2014年09月13日 (土) 04時32分
名前:伝統

        *「親孝行」尾関宗園・著(P200〜202)より

私には3つの楽しみがある。それは、母と友と書物である。
これは、近代経済学の始祖といわれるイギリスの経済学者アダム・スミスのことばです。

ほんとうの親孝行とは、じつは子どもにとって真の楽しみである、ということなのです。

おむつを取り替え、真夜中の眠い時刻に乳を与えてくれる。
おいしいものがあれば、自分が食べるよりもわが子に食べさせてやりたい、と思う。
それが親です。

それなのに、子どもは、「親の心、子知らず」です。
そして、親が死ななければ、親のありがたみはわかりません。

親が他人と違うのは、「自分のほんとうのお師匠さん」だからです。
だからこそ、私は、「親孝行しなさい」と言うのです。

「ワンテンスを神にささげる」ということばがあります。
自分のもらっている給料の十分の一を、神にたいする感謝の気持ちとしてささげた
ということから、このことばは生まれたのでしょうが。

それとおなじように、親が子を思う気持ちの十分の一ぐらいだけでも、
子どもは親を思う気持ちがなかったら、ダメです。

そうしないと、自分の命をたいせつにしていないことになります。
人に引きずられていることになります。


だれがあなたのことを考えてくれると思いますか。
ほんとうにあなたのことを考えてくれるのは、だれだと思っているのですか。
それは、あなたの親ではないですか。

「言之甘者其心必苦」(言の甘き者、その心かならず苦<にが>し)といいますが、
ほんとうにあなたに心の底からの苦言を言ってくれるのは、あなたの親しかいません。

あなたに苦言を呈する親に、あなたは感謝しなければなりません。

「父の日」や「母の日」などには、「おとうさんとおかあさんがいるから、
いまの私はこうやってあるのだ」と、感謝の気持ちを込めて、
おとうさん、おかあさんにプレゼントをするのです。

こうやって、親孝行の訓練をすることによって、感謝するクセがつきます。

それが、社会に出てからの人間関係に生きてくるのです。

           <感謝合掌 平成26年9月13日 頓首再拝>

孝(こう)〜明治天皇御製 (620)
日時:2014年09月25日 (木) 04時29分
名前:伝統

明治天皇御製 


孝(こう)

   たらちねの親につかへてまめなるが
   
         人のまことの始なりけり



注釈:孝ーよく父母に仕えること。親孝行。
   たらちねのー親にかかる枕詞。
   (枕詞)ーおもに和歌で、ことばの前につけて、
       調子を整えたり、意味をかざったりすることば。
   まめーまじめ。誠実。




心をこめて、父母にお仕えすることが、人のまことの行いの始まりであります。


・・・

親孝行とマザコンは大いに違いがあります。

志を持ち、信念を持って親の喜ぶことを一生懸命するのが親孝行であり、
親に自分の事を決めてもらって自己責任のない人がマザコン。


<子は親の背を見て育つとは的を射た言葉>

(1)親が金銭至上主義ならば、子供は親にお金があるときだけ近寄ってくるでしょう。

(2)親が精神的に自律ができていなければ、
   子供はいつまでたっても親離れせずに、
   親にしがみついて脛をかじり続けることが親孝行と思うでしょう。

(3)親が他者の喜ぶことをして、他者の喜ぶ姿に喜びを感じているような人ならば、
   子供も自然と社会貢献をすることを良しとし、

   いつの日か「お宅のお子さんには助けられています。素晴らしいお子さんですね」
   という言葉が親に寄せられるでしょう。


<親孝行には3段階ある>

@一段階目…親にお金でプレゼントを買ってあげる。

A二段階目…肩もみ、旅行のお供、買い物の代わりなどをする。

B三段階目…最高の親孝行は、他人様から「素晴らしいお子さんですね」と褒められることです。


親の生き方は親孝行にまで影響しているようです。

           <感謝合掌 平成26年9月25日 頓首再拝>

娘の結婚式 (718)
日時:2014年10月01日 (水) 04時16分
名前:伝統

        *「結婚式で本当にあった心温まる物語」山坂大輔・著より


1ヵ月後に挙式を控えた新婦のお母様から電話がありました。
... 「あの、バージンロードのことなんですが、
エスコート役は直前でも変更可能なのでしょうか」

事前のお打合せでは、お父さまの足がご不自由なため、
新婦の7つ年上のお兄さまがお父さまの代わりに歩かれることになっていました。

「大丈夫ですが、お兄さまのご都合が悪くなってしまったのでしょうか」
いったいどうしたのだろうと、おうかがいすると、
「娘には内緒なのですが、実は主人が歩く練習をしているんです」

「娘の結婚式が決まってからというもの、
時間がとれると『リハビリに連れて行ってくれ』と言うようになって、
それも子どもたちには内緒で」

「バージンロードを歩くために、ですか」
私は胸がいっぱいになりました。
「わかりました。ぜひ、お父さまにお願いしたいです。」

支度を終えた新婦がバージンロードの前で待機していると、
車椅子のお父さまとお母さま、そしてお兄さまがこられました。

「お兄ちゃん、よろしくね」

新婦が声をかけると、ウエディングドレス姿の妹を見つめながら、
お兄さまは黙って首を横に振りました。
「えっ、どういうこと?」

答えの代わりに、お兄さまが少しかがんでお父さまに肩をかされました。
お母さまは既に涙ぐみながら、お父さまに杖を手渡されます。

「え・・・、お父さん?」

「行くぞ」

「・・・・はい」

新婦は瞳をうるませて、お父さまの腕に手をかけました。

お父さまがエスコートするのではなく、新婦がお父さまを助けるかのように支え、
歩みを合わせているのが、こちらからもわかります。

お父さまは堂々と前を向かれ、歩みを進めていきました。
新郎の背中をぽん、と叩き「頼んだぞ」とお父さまの声が聞こえたような気がしました。



披露宴の半ば、
突然司会者がこう切り出したのです。

「本来、ここで祝電を披露させていただくのですが、
ここに一通のお手紙をお預かりしておりますので、ご披露させていただきます。
差出人は新婦のお父さまです。それでは、代読いたします。

___


しのぶへ。

私は静岡の田舎で男兄弟ばかりの中で育ったものだから、
女の子をどう育てていいのかわからず、母親に任せっきりにしていました。
運動会や学芸会もほとんど行けず、仕事ばかりしてきた父親でした。

すまないと思っています。

ただ、父親の務めであると思いながら、どんな仕事も一生懸命やってきました。
それだけは自信を持っています。

とはいっても、あなたにとってみれば、
厳しくて、門限にもうるさくて、うざったい父親だったでしょう。

でも、君がうちの娘に生まれてきてくれたこと、
本当にうれしかったんだ。
今まで言ったことなかったけど、

本当にありがとう。

今日、あなたが花嫁となって、
岡崎家の人間から梅村家の人になっていくこの日に、どうしても何かしたくて、
恥をしのんで、お母さんとリハビリをがんばった。
これで今まで何もできなかったことは許してもらえるとうれしいです。

寛くん。どうぞ、しのぶをよろしくお願いします

___

あふれ出る涙をぬぐう新婦。その横では、
新郎がお父さまに向かって頭を下げています。

会場のあちこちで、鼻をすする音が聞こえてきました。

読み終えたお父さまからの手紙をしまった司会者が、もう一通、封筒を取り出しました。

「実は、新婦からもお手紙を預かっております。続けてご披露させていただきます」

その手紙にはこんなフレーズがありました。


「・・・いつも怒ってばかりで、門限も厳しくて、
お父さんの存在が嫌になったこともたくさんありました。

でも、今は、厳しく育ててくれたことにとても感謝しています」


先ほどまで堂々とされていたお父さまも、目を真っ赤にしていらっしゃいます。
会場は感動に包まれ、温かくやさしい拍手がしばらく鳴りやみませんでした。

_______

           <感謝合掌 平成26年10月1日 頓首再拝>

あなたに耳打ちしたい”親の喜ぶこと20” (914)
日時:2014年10月09日 (木) 04時27分
名前:伝統

        *「親孝行」尾関宗園・著(P218〜222)より

(1)体を丈夫にしておくこと。
   「身体髪膚これを父母に受く」といい、病気をしないことが何よりの親孝行です。

(2)親に心配をかける。
   昔から、「親不孝も親孝行のうち」といいます。

(3)親に説教をする。
   「釈迦に説法、孔子に悟道」といいます。時には親に、説教をする。

(4)その日のできごとを話す。

(5)父親と酒を飲む。

(6)親に手紙を出す。

(7)親の自慢話を聞く。

(8)親子そろって墓参り。

(9)母親と見る思い出の写真。

(10)親戚の人の家で礼儀正しく。

(11)ひとりより兄弟そろって。

(12)親の体の調子をだれよりも早く知る。

(13)いやな仕事の肩代わり。
   トイレ掃除、ゴミ捨て・・・。

(14)両親にそろいのプレゼント。

(15)父の友人とときに親しく。

(16)親の代理をりっぱにこなす。

(17)親といっしょに温泉旅行をする。

(18)親の趣味について質問してあげる。

(19)親といっしょに暮らす。

(20)できるだけ早く孫の顔を見せる。

           <感謝合掌 平成26年10月9日 頓首再拝>

感謝の便りを (1173)
日時:2014年10月18日 (土) 04時20分
名前:伝統

上の記事(あなたに耳打ちしたい”親の喜ぶこと20”〜(6)親に手紙を出す)
に関連し、

        *メルマガ「人の心に灯をともす(2011-04-26)」より

   (松原泰道師の心に響く言葉より…)

   「二度とない人生だから
   一ぺんでも多く
   便りをしよう 
   返事は必ず
   書くことにしよう」       (坂村真民)


   ある定時制の高校でお話する機会があり、この坂村真民さんの詩を紹介しました。

   すると、ひとりの生徒が、こういうのです。

   「僕たちは昼間の学校に行っている友達ともハンディがあって1年余計勉強するんです。

   田舎で中学を終わって、故郷を出るときに、
   ああこれから友だちより1年多く勉強しなければならないんだなという
   憂鬱(ゆううつ)な気分で汽車に乗りました。

   集団就職ですから友だちも多いから寂しくはなかったんです。
   僕はさいわい電車窓側に座れたので、窓の縁(ふち)に手を乗せていました。

   発車のベルが鳴ると同時に気がついたのは、
   僕の手の甲の上にお母さんの手が重ねられていたのです。

   僕の手の甲を押さえてくれるお母さんは、
   老いと仕事の疲れでザラザラになった荒れ果てた手で、
   僕の手の甲を押さえて僕の耳に口を寄せて言ってくれました。

   4年前の言葉です。

   『東京へ行ったらね、できるだけたくさん便りをおくれ。
   お母さん待ってるからね、葉書でいいからおくれよ。
   疲れていたり、忙しくて書けなかったら、寝るとき必ず故郷の方を向いて寝ておくれ。
   お前の夢を見ることが出来るかも知れないからね』

   といってくれたのです。

   今、先生のお話を聞いて思い出しました。
   僕書きます。
   寮に帰ったらすぐ書きます」

         <『禅のこころに学ぶ 日々好日』総合労働研究所>

             ・・・

二度とない人生だから
まず一番身近な者たちに
できるだけのことをしよう
貧しいけれど
こころ豊かに接してゆこう    (坂村真民)


親が子を思う気持はいつの世も同じだ。
どんなに口やかましくいう親でも、
子どもが家を離れ、巣立っていくときは、涙を流す。


吉田松陰の歌に

「親思ふ 心にまさる親心 けふのおとづれ 何ときくらん」

松陰が獄中にあるとき、両親はたびたび、着る物や、食べ物を差し入れ、書物も届けた。
また、不衛生な獄舎の生活に、母親はよく洗濯にも通ったという。

「親が子を思う気持ちは、子どもが親を思う気持ちより数段深い。
私が処刑されることを知ったら、どんなにか悲しむことだろう」

処刑される前にうたった歌だそうだ。
信念を貫いた自分は仕方がないが、
私を思ってくれる親に対して申し訳ない、という切々とした思いが伝わる。

親が生きているうちしか、親孝行はできない。
誰もが分かっていることなのに、多くの人は親が亡くなってからこの事実に気づく。

二度とない人生だから…

親に感謝の便りを出したい。

           <感謝合掌 平成26年10月18日 頓首再拝>

一流の職人とは (1329)
日時:2014年10月28日 (火) 04時24分
名前:伝統

      *メルマガ「人の心に灯をともす(2013-11-11)」より

   (家具職人・秋山木工代表、秋山利輝氏の心に響く言葉より…)

   技術は、繰り返し練習すれば、誰でも習得できます。

   しかし、心はそうはいきません。

   私が時代遅れのような徒弟制度にこだわり続けている理由は、ここにあります。

   集団生活を通してしか「思いやりの心」「人に気遣いができる心」
   「感謝できる心」が育たない、そう思っています。


   一番大事なのは「親孝行」です。
   「親孝行」ができない人は、職人にはなれません。

   日本では昭和の初め頃まで、大家族が普通でした。
   祖父、祖母が一緒に暮らすのも当たり前。

   兄弟も多く、一つ屋根の下で10人以上が生活することも珍しくありませんでした。
   目上の人を敬い、ルールを守り、兄弟姉妹の面倒を見るのは当たり前。
   和を乱さない、困ったときは、お互いに助け合う…。

   そういうしつけが家庭で自然とできていました。
   人に気を使わない限り、大人数で生活することなんてできません。

   礼儀作法を教えるのは、おばあちゃんの役割です。

   箸の上げ下ろしから挨拶の仕方、口のきき方まで、
   昔は小さな子どもでも人前に出して恥ずかしくない立ち居振る舞いを
   身に付けていたものです。

   ところが戦後の高度成長を経て、日本では核家族化が進んでいきました。
   子どもも減った現代の家庭では、プライバシーが守られるメリットはありますが、
   親も十分なしつけを受けていないわけですから、
   当然、自分の子どもに十分なしつけができるわけがありません。

   また、夫婦共働きも多く、子どもが好き勝手に振る舞っても注意する人がいません。

   集団生活を経験したことのない人は気遣いができず、人のために働けません。

   それで、いざ大人になって、世の中に出て初めて、
   困ったことになる人が続出しているのだと思うのです。


   私は、中学校を出てから、当時はもうなくなりかけていた
   徒弟制度を偶然にも経験しました。

   その5年間の集団生活で、家具を作る技術だけでなく、
   職人としての立ち居振る舞いや作法を教わりました。

   今の自分があるのは、間違いなく、徒弟制度のおかげです。

   プロの技術を自分のものにするのは容易ではありません。
   しかし、住み込みで24時間、寝食を共にし、
   一挙手一投足を見逃さないようにと夢中でついていくうちに、
   吸い取り紙のように技術を吸収し、腕を上げていくことができました。

   厳しい親方でしたが、教えていただけることをありがたいと思いました。
   その心から感謝が生まれ、人間性を磨いていただいたと思います。

   ここに至るまでの道をつくってくれた両親と、
   周りの方々には感謝するしかありません。

   だから、私は今を生きる若者たちにもこのことを教えたいのです。

   一流の職人になるには、自分のちっぽけなプライドは置いておいて、
   まず、親方の言っていることを丸飲みする素直さが必要です。

   そうでなければ伸びません。

   そして、技術はもちろん、
   人間的にも成長し、感謝の心を身に付けなければいけません。

   素直さと感謝がなければ、人は成長できません。


   弟子たちには、
   「親孝行をしたい、親を喜ばせたいと思わなければ一流の職人にはなれないよ」
   と言っています。

   私が育てたいのは、「できる職人」ではなく、「できた職人」です。
   「できた職人」とは、常にお客さまを喜ばせたいと思う心を持った人、
   不測の事態が起こっても、堂々と自信を持ってその場を乗り切れる判断力を持った人。

   お客さまとスムーズに話せるコミュニケーション力を備えた人。
   家具や材質について、どんなお客さまともしっかりお話ができる人のことです。

   心が一流なら、技術も必ず一流になります。

       <『一流を育てる 秋山木工の「職人心得」』現代書林>

            ・・・

秋山木工は、1971年に、代表の秋山利輝氏が創業。

最初は3人だったスタッフも、現在では総勢37人の規模だという。

見習いの若者を「丁稚(でっち)」と呼ぶ、
独自の「職人研修制度」は寮での集団生活が基本。

最近では、テレビでたびたび取り上げられる影響から、
ここ10年ぐらいは採用枠の10倍以上の応募者が来るようになったが、
それ以前は高校の就職担当の先生に会ってもらえないときもあったという。


どんなに、知識や技術があろうとも、
それに心がともなっていなければ、一流になることはおろか、
必ずどこかで行き詰り、駄目になる。

心とは、「思い遣り」、「気遣い」、そして「感謝」の気持ち。
その根底には、「人を喜ばせる」という思いがなければならない。

現代は、いい学校やいい会社へ入るため、
知識や記憶力という「頭」さえ磨けばよい、と考える人も多い。

しかし、心が磨かれてない人は、ただの頭でっかちの鼻持ちならない人間になるだけだ。


人に好かれ、人の役に立ち、人に喜んでもらう…

気遣いや、感謝の気持のある、素直な人でありたい。

           <感謝合掌 平成26年10月28日 頓首再拝>

親孝行の本当の姿 (1588)
日時:2014年11月09日 (日) 05時00分
名前:伝統

     *「神 真理を告げ給う」(P89)より


葡萄の枝が親樹の繁栄のために全力を尽くす時、
枝自身も繁茂して多くの果を結ぶこととなり、
親樹の悦びであると共に枝自身の悦びでもあるのである。

親孝行ということは戦後の日本国では廃れた語(ことば)になっているが、
親孝行は上から強いて行なわしめることではなく、

葡萄の枝がみずから伸びて行く悦びで親樹のために自然に尽くしていながら、
自己が豊かな果(み)を結ぶようになるのが親孝行の本当の姿である。

           <感謝合掌 平成26年11月9日 頓首再拝>

父母に感謝して食事する心 (1810)
日時:2014年11月19日 (水) 05時00分
名前:伝統

          *”山ちゃん1952 さま”のブログ(2014年08月19日)より

私は以前に海野馬一陸軍少佐のことでこのブログに書き留めた。
その一部ですが抜粋します。


《「生長の家」の人 ;海野陸軍少佐》

海野馬一

12月31日

  昨夜金刀比羅様と安仁神社の夢を見た。私は加護されてゐるのだ。有難い。

   山桜             No.120855


昭和23年元旦

  兎に角元旦を迎へた。目出度い。五十歳になった。

  一,日一日を正しく楽しく生きる為,元旦に次のことを誓ふ。

  一,腹を立てぬこと。

  二,物事を悪意に解しないこと。

  三,人に親切にすること。

  四,小言を云はぬこと。

  五,迷信にとらわれないこと。


  自分の欠点はよく判ってゐながら,それが矯正できなくて苦しんでる。
  自ら神の子であることの実相が見えずに苦しんでゐる。

  「神よ(我即実相)なることを悟らしめ給へ。(我は神なり)と云ふことを悟らしめ給へ」



  牢獄の粗食なれ共父母に
     お供へして我はいただく

  若水に洗身するや星淡し

  牢の暮ひねもす聖書読みにけり

  君が代の声あり牢の春の朝

  牢の朝遊び来れる蝶二つ

  初日の出鉄格子より拝みけり        山桜            No.120860



引き続き遺書を発表します。

海野馬一氏
  岡山県出身。陸軍士官学校卒業。陸軍少佐。
  昭和23年4月5日,ポンチャナックにて刑死。49歳。



  遺 書

  児等よ。この本の余白に父の手記がある。
  文章の下手,字のまずいことを笑ってくれるな。
  牢屋の内で監視の目をかすめながら,内々に書いたものだ。

  長さ五分にも足らない鉛筆の芯に,椰子の葉の筋を括りつけてかいたものだ。

  予は敵俘虜を戦場の勇者として愛の心で接してゐたし,
  部下もよく自分の言を守ってやって呉れた。
  之等の部下は後備兵で、直接俘虜達と交戦してゐず,皆温和だった。

  武装は解除したが,俘虜のもってゐた金は私有財産として引き上げなかった。

  私の父母は信仰家で,母は予の出征の際懇々と「無用の殺生をしないやうに」と戒め,
  その言は耳に沁みている。私は人を斬ったことはない。

  キリストの言葉である「汝の敵を愛せよ」を常に心してゐた。

  ポンチャナック刑務所では4月18日,4月20日,4月24日,5月5日非常な私的制裁を受けた。
  然し予はキリストの「人もし汝の右の頬をうたば左をも向けよ」との教を心に持ち,
  「こんなことをする者も亦神の子だ」と思ひ,心に愛を充たしてゐた。

  当地の住民や刑務所の看守等で当時のことを知ってゐる者は
  私に感謝の意を述べるものが多い。

  「海野が俘虜斬殺に関係してゐたら完全な身体で本日迄ゐる筈がない」
  と言ふて呉れる看守もある。

  此等のことを裁判の時陳述しやうと思ひ書いておいたが,
  弁護士さんが「日本内地の裁判なら効果があるが,此処の裁判では、
  このやうなことも述べると悪い結果になるのでやめた方がよい」と云ふので
  一言も述べなかったし,弁護弁論の中にも加へられなかった。

  取調を受けたのは4月18日より10月に亙り6回であったが,
  9月30日の取調では,調書を読み聞かせられることなしに署名させられた。

            ・・・


私はこの人こそ「生長の家」の鏡のような人であると思います。


  牢獄の粗食なれ共父母に

     お供へして我はいただく


こうした姿勢にこそ信仰としての素晴らしさがあるのではないでしょうか?

私自身でも父母に感謝して食事をいただくことは少なくなっています。
本当に感謝して頂くことが本当の大切なことです。

それを忘れて何が生長の家なのか、
私は現在の生長の家の人は海野馬一陸軍少佐の遺書や遺詠としての書かれたものを
是非読んでいただきたいものです。

(以上までが、”山ちゃん1952 さま”のブログからの引用です。
 ”山ちゃん1952 さま”のお許しをお願いいたします)

  (http://tecnopla1011.blog.jp/archives/11505704.html


・・・

海野馬一 陸軍少佐の”別の遺書”をスレッド『英霊の言乃葉U』内で
「海野馬一陸軍少佐の遺書 (1729)<2014年11月16日>」として紹介してあります。
そちらも参考にできます。

 → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou3&mode=res&log=28

           <感謝合掌 平成26年11月19日 頓首再拝>

親孝行は今日一日だけ (2048)
日時:2014年11月30日 (日) 03時50分
名前:伝統

        *「人生山河ここにあり」佐々木将人・著(P117〜119)より

結婚したばかりだというのに山賊のような生活を強いられる娘が可愛想になったのか、
妻の両親が我が家によく足を運ぶようになった。
それが度重なるにつれて、長逗留することが多くなった。

妻には、兄が3人もいる。
にもかかわらず、”婿”でもいない私が妻の両親を世話している
―― それは義兄に対して失礼であり、筋違いである。

さりとて、もう来るなともいえず、はたと迷ってしまった。
そこで、我が師・中村天風の教えを乞うことにした。

ひととおり事情を説明するのをじっと聞いておられた先生は、おもむろに口を開かれて、
「妻の両親と共に住むのは、道が違うというものだ。しかし、親孝行というのも、
修行のうちだ。帰ってもらうにしても、せめて”今日一日”だけ、面倒をみてごらんなさい」
とおっしゃった。

”命を捨てても”とまで信頼しきってきた先生である。
が、その言葉には、正直のところ、がっかりした。

「いくら”道”が違うといっても、明日、帰らすとはあまりにも殺生ではないか。
忠孝仁義は人の道ではないのか」

と、私は心安らかず帰路についた。

電車に乗って、本を開いても、憤懣やる方なく、頭に入らない。

何度も、先生の言葉が頭の中をめぐっていたのであった。

”今日一日だけ、面倒をみなさい”
  今日一日だけ、今日日だけ・・・”

突然「ハッ! 」と気が付いた。

「そうか! 親孝行は、今日一日だけなんだ。毎日が今日一日だけなんだ! 」

私は無明の迷いから醒めた。そして先生のお宅の方を向いて合掌した。

夕食後のことである。私は、妻の両親を前にして、話を切り出した。

「この家に来て、妻の手伝いをしてくださるのは、いつも感謝しています。
しかし、世間体というのがあります。義兄(おに)さん達の顔をつぶすことは
したくありませんので・・・申し訳ありませんが、明日帰って下さい」

といった。

妻の両親は言葉もなく、うつむいたままだった。

妻はいたたまれず、涙をかくすようにして台所へ走った。

(夫婦は最も近い他人にして、
背中合わせ不仲となると地球一回りの最も遠い他人となる。
その夜は最も遠い他人だった。)

翌日、両親は荷物をまとめ、帰り仕度を始めた。

私はわざと、
「どこへお出かけですか? 」とたずねる。

「いや、昨夜(ゆうべ)、”明日帰ってほしい”と言われたから・・・」

という。

「ですから、明日帰ってください。今日ではありませんよ」

というと、しばらく、両親は私の言葉の意味が分からなかったようだった。

「実は、昨日、天風先生のところに行き、お言葉を頂いたのです。

”人生は今只今あるのみ、明日も昨日もない”と。

つまり、毎日が”今日一日”なのです。

私は親孝行がいくらよいといっても、正直なところ、一生面倒みるのは嫌です。
しかし、今日一日だけは我慢できます。
ですから、”今日一日”だけは気楽にして、明日になったら、帰って下さい」。 

両親と妻は、言葉もなく涙を流した。

それから、「今日一日」が20年続いた。
そして、義父は、寝たきりの病に伏した。

妻ひとりでは、風呂に入れることも出来ないので、3日に一度は仕事の途中で帰宅し、
義父を風呂に入れては、また出かける具合だ、

それが、約2年続いたのだ。

最後のとき、義父は私の手を握り、一筋の涙を流して旅立っていった。

           <感謝合掌 平成26年11月30日 頓首再拝>

徳川光圀公の親を敬う心 (2161)
日時:2014年12月06日 (土) 03時29分
名前:伝統

今日、12月6日は【黄門忌】

水戸徳川家2代藩主、「水戸黄門」こと徳川光圀の命日。
今から314年前の本日(1700年12月6日)、
水戸黄門で知られる徳川光圀公が没しました。73歳でした。

諸国から学者を招いて『大日本史』の編纂に着手したことで知られる。

名君の誉れ高く、権中納言の唐名から水戸黄門と呼ばれた。

彼が没した際、江戸では「天が下 二つの宝つきはてぬ 佐渡の金山 水戸の黄門」
という狂歌が広まったともいわれている。


水戸黄門(徳川光圀公)は、大変な親思いであったと、
吉川英治は、次のように描いている。

《誕生日は、最も粗末な食事でいい。この日こそ、母を最も苦しめた日だからだ》



生母のひさ子がこの世を去ってから後である。
光圀は、自分の誕生日には、かならず梅干と粥ですましていた。

   
不審に思って、近臣が尋ねると、

「なるほど、誕生日は、この世に生まれた祝うべき日であるかもしれない。
 しかし、この日こそ自分が亡き母上を最も苦しめた日なのだ。
 それを思うと、珍味ずくめでお祝いなどする気にはどうしてもなれぬ。

 母上を思い、母上のご苦労を思えば、
 自分はせめて一年中でこの日だけでも、
 粗末な料理で母上のご恩を感謝してみたい」

と言ったという。 

           <感謝合掌 平成26年12月6日 頓首再拝>

江戸時代の「親孝行」 (2378)
日時:2014年12月17日 (水) 03時21分
名前:伝統

             *Webより

江戸の人々は三世代同居が普通だから、
年老いた父や母の世話を焼くのは、当然の事とされた。

それというのも、国策として親孝行が奨励されたからで、幕府は天和2年(1682)、
「忠孝札」を立てさせ、「不忠不孝の者は重罪たるべき事」と公布した。

将軍綱吉は同じ年の3月17日、駿河国富士郡今泉村(静岡県富士市)の百姓、
五郎右衛門を孝民として表彰している。

五郎右衛門は農作業で忙しいのに、暇を見つけて父母によく尽くし、
凶作の時には自らの蓄えを提供して、近隣の困窮者を救った。

これを聞き及んだ巡見使が将軍綱吉に報告、この日の表彰となった。

五郎右衛門は綱吉から、田地九十石の年貢免除を記した朱印状を賜ったが、
老中の前に出た彼は恐縮するあまり、身を震わせながら、

「おれには、この恩恵にあずかる資格はございません。
これまでの父母への行ないは、当たり前の事をしたまでです」

と辞退したのです。

だが、居並ぶ老中以下の者達は、その謙虚さに感じ入り、
朱印状の他に多くの金銀を与えた。
これが幕府による孝行者への初の表彰だった。

更に幕府は享保5年(1720)、孝行者に対する報奨を定め、
老いた親に孝養を尽くした子や嫁を表彰し、褒美を与えるようにした。

神沢杜口の『翁草』は、寛政2年(1790)、
大阪天満橋二丁目(大阪市木太久の31歳になる源兵衛と、
その弟妹が孝子として表彰された事を取り上げている。

源兵衛は15歳の時、父を亡くして家業を継いだが、
それからというもの、弟や妹たちと力を合わせて母を養った。

特に母が中風を患ってからは、手厚く介抱し、母が仏参したいとか、医師や湯屋へ
行きたいと言えば、かねてから求めておいた駕籠に乗せて兄弟で担いだり、
或いは背負ったりして連れていった。

源兵衛は、母の看病の障りになると言って妻を迎えず、
妹も又同じように、年頃になっても嫁に行かなかった。
こうして兄弟妹が協力し稼ぎにも精を出してきたのである。

江戸表ではその孝心を褒め、源兵衛に銀20枚、弟や妹達5人に
それぞれ銀10枚ずつをくだされた。
更に、一同の励ましの為にと、町中に触れさせたという。

http://blogs.yahoo.co.jp/redstone_tetsu/67503556.html

           <感謝合掌 平成26年12月17日 頓首再拝>

父母に感謝するとき生命の幹につながる (2524)
日時:2014年12月27日 (土) 04時52分
名前:伝統

           *「女は愛の太陽だ」(P107〜108)より

愛行はすべての幸福及び好運の原因となるのである。
なぜなら一切の良きものは神から生まれて来、神を本源として生ずるのであり、
而(しか)して神は愛であるからである。

愛行を為すとき、神の愛の放送に対して、
同波長を起してスイッチを入れたのと同じような働きをするのである。

あなたの生命そのものが神の愛によって創造され、
父母の愛によって此の世に生まれ出て来たのである。

従って、神に感謝するだけでは足りない。
父母に感謝されなければならないのである。

感謝は自分の”生命の根”に霑(うるお)いを与えることになるのである。
”生命の根”に霑(うるお)いを与えなければ、いくら大地に養分があっても
それを自分の生命に吸収することはできないのである。

終戦後、占領軍司令部にては、日本を東洋の四等国以下の劣等国に永遠に置くために、
日本弱体化の政策とし、「家」の制度を廃止したのであった。

「家」とは建物のことではない。いのちの系譜のことである。
そしてすべての教科書から「家」という字を省いて、人間をことごとく、
神より発して祖先を通じ父母からその子孫へと連綿としてつながる生命の流れから断絶して、

「ひとりの人間」は父母にも祖先にもつながらぬ孤立せる単なる「個生命」に過ぎない存在
とした憲法を押しつけ、その制度の下に於いて、日本の少青年の教育が行なわれたのである。

その結果、「親孝行」などといえば嘲笑する学校の先生が出て来たりした。
従って親を尊敬しない子供が《ざら》にあり、
無論、親に感謝などは滅多にしなくなってしまった。

その結果、「生命の根」に霑(うるお)いが与えられないで、
その性格が歪んだ若い人がたくさん出て来たのである。

非行青年、不良少年など続々輩出する原因は、この日本弱体化のためにつくられた
憲法であり、それが父母に対する感恩の心を忘れさせたのである。

神示には、「神に感謝しても父母に感謝せぬ者は神の心にかなわぬ」と教えられているが、
父母に感謝するのが天地の道であることは父母に感謝することによって
多くの病気が治っている事実によっても証明されるのである。

           <感謝合掌 平成26年12月27日 頓首再拝>

室町時代の禅僧、一休の言葉。 (2720)
日時:2015年01月07日 (水) 03時38分
名前:伝統

        *『天国の親が喜ぶ39の習慣』植西聰・著 より

「父母とは、火打のようなものだ。
父は金属である。母は石である。
金属と石が打ち合わせておこる火が、子どもである(意訳)」


つまり、

「火をおこすときに金属と火打石がガチンガチンと打ち合わせるように、
身を削るような自己犠牲的な努力をして、父母は子どもを産み育てていく。

それだけ父母は子どもが可愛い。
子どものためならどんな苦労もいとわないものなのだ」

           <感謝合掌 平成27年1月7日 頓首再拝>



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