【広告】楽天市場にて 母の日向けギフト値引きクーポン配布中


HOME *** BLOG TOP

MoDoKiのしりとりブログ

申し訳ありませんがただいま更新を停止しております。

←キーワード入力で過去の記事を検索できます *************** 投稿(メンバー限定)


ウォーキング
【担当】 いろは 【作成日】2007年09月14日 (金) 22時34分

歩くのは好きです。自分が続けられそうで、無理がない健康法といったら、やっぱしこれしかないかも。今年みたいな猛暑の日中とか、どしゃぶりの雨、寒風吹きすさぶ2月の夜・・・は、いくらなんでも歓迎しませんけどね。でも、続けることです。
ジョギングとか、走るのは、体育系でもないくせに40過ぎてやると関節を痛めるそうです。心臓もツライよ。低血圧で冷え性なので、朝歩かないと、エンジンがかかりません。代謝が悪いのです。動いて循環を良くして、老廃物を身体から出してやらないと、じつに調子が悪いです。これからますますウォーキングは我が身にとって必要になるでしょう。
なんで好きなのか、つらつら考えてみました。無理しなくていい、楽しい、快適になり、ご飯も美味しくなる。足がすっきりする、お腹が引っ込む?体が喜ぶ。
ウォーキングの基本があるそうで、姿勢良く歩く。まっすぐな木か壁にかかと、お尻、頭の三点をいったんつけてから歩き出す。それがない時は手をまっすぐ上にあげておろし、それから歩く。歩幅は広め、身長の0.45倍がめやすだそうで(結構大また)手は大きく振って、足は二本の平行線の上をまっすぐに。かかとから下ろし、つま先で蹴りだす。
20分以上やらないと、脂肪燃焼効果がないと一時言われましたが、10分ずつ3回に分けて歩いても、30分いっぺんに歩くのでも、効果はかわらないそうです。
通販かジムによくありますが、ルームランナーでじゃあ、やる?天気、時間を気にせず歩けます。今どきのは、単調さをカバーするため、TVが見られるのあり、クイズだの、日本全国観光スポットを歩こうだの、盛りだくさんのチャンネル付き!でも、やっぱりゴメンナサイ、わたしはパス!!
夏の盛りは7時でも暑い。6時前にもう歩いてる人が結構いる。ウェアーから靴までキメテ、黙々と手を振って、すれ違う人にきちんと挨拶して…真面目を絵に描いたような人。
あるいはTシャツとジャージで、靴も普通で、フツーにご夫婦で話しながら田園地帯を散歩してはる人。大型犬になかば引きずられて行く人、さまざまだ。
わたしはコレが好きなのだ。天気が悪い、暑い、寒いがあるから好い日がありがたい。いろんな人、犬、景色…さまざまにうつろいゆく季節を感じるのが好きだ。タウンウォーク、田園ウォーク、それはどちらも優劣はない。車で通り過ぎてしまうとわからないものを拾って「歩く」のがなにより好きなのだ。
(178)

借金大王
【担当】 はしもと 【作成日】2007年09月13日 (木) 20時20分

ウルフルズの歌ですね。
まあ、お金だけじゃなく、借りたものを返さない人っているもんです。
私も例外ではないですが…。

よく忘れてしまうのが友人に借りる「本」や「CD」ですね。
たいがい期限なしの無条件で借りて、ちょっと読んだり聞いたりして
自分の所有する本やCDに紛れこんでしまうのです。はい。
なんとなく片づけでも始めると、はたと気付いて慌てて返却なんてハメに…。

もっと忘れてしまうのが、「ボールペン」や「ライター」ですね。
特にライターは、借りて火を点けた瞬間に煙草本体とセットにしていつもの定位置(僕の場合は胸ポケット)にしまいこんじゃうから、たちが悪い。
ひとくさり喋って、じゃあねなんて言って、さあもう1本吸おうって思ったら見知らぬライターが出てくる。
この時、貸した側も言いづらいもので、「ライター返してください」なんて絶対言えない。
少なくとも僕は言えない。人を責めてるような気になるし、100円ライターごときでガタガタ言うなんて、どうかしていると思うから。
で、しょうがなく吸いたくもないもう1本を取りだして、手振りでライターを示し、返して貰い、そそくさと自分の定位置にしまいこむ。これしかないのである。

ボヤっとしている場合ではない。
借りっぱなしのモノ、金、受けた恩…。いっぱいある。
本当にボヤッとしている場合ではない。
(177)

自転車
【担当】 豊田 【作成日】2007年09月10日 (月) 08時28分

 自転車にまつわる思い出というのはきっと誰もが持っていることだろう。何度も転びながら練習したなんていうのはその典型的な例だ。私にもそんな思い出はある。しかし今回は、ある強烈に奇妙な私の自転車の思い出を、満を持してお送りしたい。
 新品の自転車を買ってもらったのは、6年生に進級する春のことだった。普通は中学生になるのを機会に新調するものだろうに、なぜ私だけ1年早かったのかはよく分からない。それまであまりきちんとした自転車に乗っていなかったとか、私が欲しがったとか、その程度の理由だったのではないかと思う。
 買ったのは、遠い親戚筋に当たる自動車屋さんである。そもそも、いくら親戚といえど、なんで自動車屋さんに頼むのかもよく分からないのだが、向こうはなんとか探してくれたらしい。ちなみに当時は、今の学生が乗っているような小ぶりのものではなく、前の籠や荷台がしっかりとついた、やたら頑丈でかさばる大型のものが主流だった。変速器、いわゆる「段」なんてものもついていて、段の数が多いと羨ましがられたりしたのも懐かしい。
 さて、小学生や中学生が自転車に乗るときには、あるルールがあった。それは「ヘルメットを被る」ということである。事故から身を守るために、自転車に乗るときには必ずヘルメットを被らなければならなかった。
 ところが、私は昔から大柄な子供だった。体もでかけりゃ足も大きい。大人用の服や靴を、小学生の頃から身につけていたくらいである。頭のサイズもまた然り。帽子もいつも、かなり大きなサイズでないと入らなかった。
 母親は、自転車のついでに大きなヘルメットも探してくれと頼んだ。しかし、相手は自動車屋さんである。どうやら子供の自転車用ヘルメットまでは探すつてがなかったらしい。持ってきたのはなんと、成人女性が被る、原付バイク用のすこぶる重たいヘルメットだった。
 驚いたことに、母親はそれを返品しなかった。親戚という遠慮があったのか、これしかないなら仕方がないと思ったのか。とにかくそのおかげで私は、原付用のヘルメットを被って自転車に乗らなければならない羽目に陥った。
 考えてもみてほしい。自転車に乗って、原付用ヘルメットを被った大柄な小学生。ものすごくヘンな絵面である。乗っていく場所といえば当時習っていたピアノ教室と、かかかりつけの歯科くらいしかなかったと思うが、それでも十二分に恥ずかしかった。同じピアノ教室に通っていた幼なじみは、当時の私の姿を覚えているというが、本当に強烈に間抜けだった、と今でも話す。写真が残っていないのが、せめてもの幸いである。

 しかし、恥ずかしいと思いながら拒否もせず、原付用ヘルメットで自転車に乗っていた私は、なんと素直で育てやすい子供だったのだろう。私もぜひこういう子供が欲しいと思うが、そのときにはきちんと自転車用のヘルメットを買い与えてやりたいものである。
(176)

ミドルエイジ
【担当】 いろは 【作成日】2007年09月07日 (金) 10時52分

ミドルエイジ・・・日本語にすれば中年。中年って魅力ない言葉だなぁ。なんだか没個性でお腹が出て生活にくたびれて、ってカンジ。
ついこの間まで、「もうトシだから」とか「さすが若いナ〜♪」とかよく後輩達に言ってたような気がする。言葉のウラに「若くはないけど、それほどでは・・・。」という思いが少しあったのは否めない。何回か言われる方はゲンナリしたろうな。まさか「そうですね〜。」と肯定するわけにもいかないし。あと、折り返し点にキタ!ってのも嫌だった。折り返したら、人生下り坂じゃん、「下り坂」−なんと後ろ向きな。
でもね、考えようによっては下り坂も楽しい、楽だもの。はずみさえついてりゃズンズン・・・慣性の法則、景色を見る余裕だってできる。上り坂は余裕ない、頑張れればいいけどね、結果出せるし。でも、しんどい。ただ、下りはじめたら、時のたつのは、早い。

よく、女性誌の見出しを賑わす『実年齢よりも5歳若く見られる方法』とかあるけど、あれもくせものだと思う。若い格好って、狙ってやると逆に老けて見えたりする、いわゆる『若づくり』。電車で時々見かける、コギャルの格好をした、どうひいき目に見ても60歳は越えてる女の人、子供達が無遠慮な視線を向けると、居心地悪そうだ。
昔、日舞の舞台で、先生は生徒に実年齢よりも若干、上のものを演らせた。20代だったら、30代くらいの芸妓さんのイメージで、衣装もそんな感じ。わからない私は、ドーセワタシは老けてるよ・・と、イジけてた。でも、自分のビデオを見て思った。少々上を意識して狙った方が、なぜか若く見えるのである、しかも嫌味なしに。
この間、TVでも故・阿久悠さんが、西城秀樹さんと語っていた。当時ハタチそこそこの彼(ヒデキ)に30過ぎくらいのオトコの歌を敢えて書いたという阿久先生。難しかったと語るヒデキさん・・・でも阿久先生は「なんでも、実年齢の少し上を狙うものですよ、成長のためには。そのかわり、キミが40過ぎても50でも、歌える歌を書くよ。」と言われたと。
ま、これも上り坂に適用の話ではあるかも。
若い時、自分達で固まっているには居心地良かったけど、分散して大人社会へ顔を出すのは勇気がいった。相手の考えてることがわからない。あちら(大人)も、何かと気を遣ってくれてたのは今にしてわかる。先人達もこうして繰り返してきたんだろうな。
あと、力づくで攻めてばかりいたものが、守ったり、受けに回ったり、いろんなやり方ができるようになるのは、思わぬ収穫…というか、嬉しい。

(175)

ズル休み
【担当】 はしもと 【作成日】2007年09月05日 (水) 16時28分

気持ちよかった秋が終わっていく昼下がり。
授業をさぼって午前中寝ていた僕は、ようやく起き出して、学校への道を登っていく。結構な山の上にある学校へは、バスで行くか、自転車で坂道をうねうね登るか、はたまた急な坂道を歩かないと登校できない。まさしく登校だな…とか思ったか思ってなかったか定かではないが、とにかく登る。もうすぐ学校だなってところに水防ダムがあり、その脇に小さな階段がある。もう学校は見えているのだが、当たり前のように学校は禁煙なので、その階段に腰掛けて一服する。
ズルである。
おばあちゃんに「おなか痛い」と告げて嫌な数学の授業から逃げたズルである。ちなみに、数学は小学生レベルの理解力でストップしていたので嫌いなのである。今でも割り算の計算方法?ヘンなカタチのほらっ、)って書いて横棒引いて計算するアレ!のやり方が解らない…。
他にもいろんな理由で学校をズル休みした。言い訳はもっぱら、おなかいたである。ひどい罪悪感のなかでもう一眠りするうれしさは、高校生までの特別なうれしさなんだろう。
流石に社会人になってズル休みはなくなった。あるとき「はた」と気付いたのである。嫌なら辞めればいいことに。
高校生までのあの逃げられない感覚は、ズル休みとなって誤魔化され、誤魔化したまま大人になって、本当はどう思っているのかを突き詰めないまま会社を辞めて、いまここにいるのかも知れない。誤魔化さずに大人になっていたら、また違う自分になっていたのだと思うと、「できません!」って数学の先生に言えずに、だらだらサボって誤魔化していた自分が悔やまれる。そんなことが多すぎる…。

僕が一服していた階段で、同級生のiくんと高校生のくせに煙草を燻らせながら、社会情勢や政治の問題をを喋っていたことを思い出す。これはこれでいい想い出だなって思うのも、これまたズル休みの言い訳である。ほんと、この誤魔化しってやつは際限がない。
(174)

井戸水
【担当】 豊田 【作成日】2007年09月03日 (月) 10時49分

 自宅の飲料水は井戸水である。どうやら深くていい井戸らしい。昔、日照りが続いて周辺の井戸が枯れたときも、家の井戸だけは大丈夫だったそうだ。家族に受け継がれている話題というだけなので、真偽のほどは分からないが、味はいいと思う。
 自分が水に恵まれた環境に育った、と気付いたのは、大学に入り、京都に下宿したときだった。水道水がとんでもなく不味いのである。カルキ臭が強いというのならまだしも、泥の味がするのだ。何しろ京都である。古都である。清水なんて地名もあるのである。そんなことは予想もしていなかった私には、かなりのショックであった。
 今は多分、飲食店で出る無料の水にも、浄水器を使ったりミネラルウォーターを使ったりする場合が多いと思う。しかし当時は、まさしく京都の水道水、という水を出す店もけっこうあった。しかも、みんなそれほど気にしていないようにもみえる。慣れなのかこれは、でも慣れですむ問題じゃないだろう、と非常に不思議に思ったものだ。
 今年の夏の始め、会社に『津市のおいしい水道水』というラベルのペットボトルがあるのを見つけた。聞くところによると、水道水の味わいや安全性を市民に知ってもらうため、津市の水道局が製作したものらしい。水道水を熱で殺菌して塩素を抜いているので、ミネラルウォーターに負けない美味しさになったという。1本もらって帰るつもりだったが忘れてしまい、結局飲むことは出来なかった。
 友人が、飲み終わったお茶のペットボトルに自宅の水を入れて飲んでいたところ、遊びに来ていた3歳の甥に「何飲んでるの?」と訊かれた。お水だよ、と言えばいいようなものの、なぜか「水道水」と答えたのらしい。子供というのは物まねオウムであると同時に、一度覚えた言葉は、カセットに録音してツメを折ったかのごとく消えないものである。以来、何を飲んでいても「それ、水道水?」と尋ねてくるようになり、そこで友人ははじめて「水道水」という言葉の持つ貧乏臭さに気付かされたという。
 水道水は殺菌も成分分析もされているので、私の飲んでいる井戸水よりも、多分安全性が高いのだろうと思う。しかし、言葉が持つイメージというのは案外大切なものである。先の商品のラベルを見て、兄も最初、何かの冗談商品かと思ったと言っていた。私と同じく水に不自由しないで育っているということもあり、飲む気はしなかったそうである。
 井戸水が持つ清冽なイメージと、水道水が持つ貧乏臭さ。実際のところは分からないのに、私は今日も自宅の井戸水を選んで飲み、美味しいと感じている。
(173)

共同体
【担当】 いろは 【作成日】2007年08月31日 (金) 22時55分

寝る前のかきあげ・・・まじコワイ
真夏の夜の天ぷらとかき氷も・・・アブナイよ〜

おどかすのはこの辺にしよう。さぁて・・
共同体―こう言ってしまうとカタいケド、ご近所まわしとかの意味です。じつは昨年から町内会の役を引き受けました・・・と言ってもたいした役ではありません。正直60歳以上の長老達がなさるものとたかを括ってました。でも、そうも言っていられないのが実情です。新興住宅地はいざ知らず、ドーナツ化現象でわが町は減っている真ん中部分。少子高齢化・・・まさに近未来の日本の縮図。

町内会もある意味面白い。
第一に、話のテンポが遅い。その結果、なかなか議題が進まない。メンバーはだいたい10人〜15人くらい。声が大きい、耳の遠い人が多いから。その結果、聞き漏らしたり、居眠りは皆無。スルーする議題とエラく拘るそれとの差が激しい。
町内会には必ず、わからず屋のガンコおやじが一人はいて、紛糾するイメージがあった。
まあ、それはある程度当たってた。たとえばだけど、建築系のオヤジさんは、ワンマンで自分で何でも決めて、「俺についてこい。」みたいに仕切る傾向にある、総代さんをさておいて。物の言い方も上から物を言ってしまう。確かにお仕事現場はウルサイだろうし、丁寧なこと言ってる余裕はないだろう。でも、それをそのまま無意識に他人にやると反感を買う。わが町内にも建築関係ではないけど、ガンコ系いらっしゃいました。はじめは揉めましたが、やはり力は年々衰えるし、民主主義に独裁者では勝てない、取り巻きと人望がないと。ううむ、勉強になる。
シニア知性派男性どうしの意見がぶつかると、どっちも理屈はあるので、ぎすぎすしてしまう。そういう時に、老人会の世話役のおばさんが、「まぁまぁ・・・。」となだめると、なごむ、さすが年の功。「オバサン」とカタカナで書くとかんじ悪くなり、「おばさん」とひらがな表記だと優しいイメージになるのね、ほ〜。
聞き手にまわってると『若い人のご意見も・・・。』なぁ〜んて言われて面はゆいケド、会社の感覚とはまた違った世界であるので、自分の中でならしが要る。
もっかの問題は地震とかの災害、あと防災である。年配者と若年層間にギャップがあるので、それこそ、阪神大震災級が来た時に、安否確認、救助などどうしよう、となるのである。シニア多くて、絶対数、不足。
ギャップというのは、話をしなくなって相手がわからないという問題。それが、いざという時に協力できるか?若い人がいろんな理由で町内の催しに消極的になった。あと個人情報うんぬんで、それぞれの家庭事情、人数が把握しにくい。立ち入ったことまで知る必要はないが、災害の時にこの家は何人いるのか?使えるのか、は必要情報だろう。共同体の力は弱まったように思う。
(172)

丑三つ時
【担当】 はしもと 【作成日】2007年08月31日 (金) 08時21分

昨日、草木も眠るヤバい時間に、えづいてしまった。
えづく=吐き気をもよおす、である。

たいして酒も飲んでいないのに、何故なのか…。
ふと目覚めて、冷や汗が出て、胃がキュっと音を立てて収縮する。
上を見ても、横を向いてもつらい…。
その前日、吾郎ちゃんの「ホンコワ」を見ていたので
あらぬ恐怖が、しんどいくせに襲ってくる。

あの壁の傷跡は、霊魂の仕業なのか…
はたまた、ときたま聞こえるポコンってたまに音がするのはラップ音ではないのか…
この手足の冷たい感じは、救急車を呼ぶべきなのか…
救急車と言えば、たらい回しはイヤだな…
あっ、また音がした!
「ええい」と、家人に水を淹れてもらおうと起きあがったとたん、吐いてしまった。

原因はたぶん、眠る30分程前に食べた「かきあげ」である。
揚げ物を寝る前に大量に摂取してはイケナイのだ…。

洗面所で顔を洗っていると、鏡に映る自分の右肩が気になる…
いや、左肩にも…
あろうことか洗面所に小さな時計が置いてあり、時刻はちょうど午前2時。
思わず鏡から目をそらし、布団に駆け戻る。

小学生並である、が、コワいんだから仕方がない。
丑三つ時は、かきあげ一つで恐怖を感じるにまで至る、ヤバい時間帯である。

ぎゅっと目を閉じ、眠りに落ちる直前、豊田さんの顔が浮かんだ。
そうだ!しりとりをしなければ!と思って、寝てしまった。ごめん。

今夜眠るのがコワイ…。ほんとに小学生並である。
(171)

ギロチン工場
【担当】 豊田 【作成日】2007年08月27日 (月) 08時51分

 桑名市の国道23号線沿いに大きな建物があり、その壁に『ギロチン工場鬼頭商店』と書かれている。三重県北部の住民なら知っている人も多いだろうが、通りすがりの旅行者にとってみれば、かなりのインパクトに違いない。
 私がその存在を知ったのは大学生になってからである。岐阜の大学に入った友人が自分で車を運転して通りかかったときに見つけ、話題にした。私も現場に連れて行ってもらい、「死刑執行に使われる、いわゆる断頭台を作る工場?」と一度は言い合ってみたものの、大学生にもなって、まさかそんなはずはないというくらいの分別は2人ともついたので、周辺情報を集めてみたところ、どうやら単なるスクラップ工場だということが判明した。
 その驚きを画像つきのブログにしている人も何人かみえるようなので、ご存じない方は一度検索されるといいかも知れないが、このギロチン工場、書体もけっこうインパクトがあって怖い。勘亭流にもう少しレトロな要素と手書き感を加えた雰囲気とでも言えばいいのか、独特の味がある書体である。ちなみに、同じ23号線沿い、四日市市の工場地帯には『ヂンダ倉庫』と書かれた建物があるのだが、その書体も鬼頭商店と同じにみえ、「きっと同じ職人さんが書いたに違いない」というのが、どうでもいいことだが、我が兄の見解である。

 さて、お題通りに「ギロチン工場」について書いてみたが、「ギロチン」そのものについてもひとつ、触れておきたい。
 有名な絵本のキャラクターに「タンタン」という少年がいる。ベルギーの漫画家、エルジェが生み出した作品で、きれいに彩色された大判の絵本は漫画のようにコマが割られ、丁寧に台詞が書き込まれ、とても読みでがある。従弟が小さいときに大好きだったキャラクターで、私も好きである。
 タンタンというのはフランス語の発音なので、表記としては”Tintin”になる。以前、そのタンタンと愛犬スノーウィーの顔が描かれ、下にTINTINとロゴが入ったトレーナーを着ていたところ、ある同僚が「えらい服着てますね」と、嬉しそうに近寄ってきた。何かと思ったら、このキャラクターを知らない彼は、どうやらTINTINを英語読みで読んでしまったらしい。別に構わないのだが、その喜び方のレベルに、お前は小学生か、と思わず突っ込みたくなった。
 そこでギロチンである。ギロチンというのはそもそも、18世紀末に、あるフランスの議員が提案した処刑道具らしい。頭をちょん切るという点で、一見非常に残酷に思えるが、すばやく首が落ちるので苦痛が少ないのだそうだ。そんなこと、やって見なきゃ分からんじゃないかと思うものの、様々な経緯があってその処刑法は定着し、議員の名前をとってギロチンと呼ばれるようになった。
 だが、ギロチンというのも実は英語読み。先のタンタンのように、フランス語でTINはタンとなるので、フランス語ではギヨタンと発音する。ジョゼフ・ギヨタンがその議員の名前なのだ。
 ギロチンというと恐ろしいが、フランス語ではギヨタン。まるでよい子のぬいぐるみキャラクターみたいではないか。「おーい、ギヨターン」と叫べば「はーい」と返事でもしそうである。
 タンタンの絵本なんか持ち出してみたが、言いたかったのはこれだけ。お粗末さまでした。
(170)

とんぼのめがね
【担当】 はしもと 【作成日】2007年08月23日 (木) 08時13分

今日は豊田さんに引きずられつつ書くこととする。

毎日気持ちよくリセットして快眠を貪る僕だが、職業柄パソコンでの作業が多いので、図らずもリセット癖がついており、現実の世界で、例えば料理なんぞしていると、にんじんを形よく切りたいなんて衝動に駆られ、念入りに切ったつもりが変な三角形が出来てしまい、おっこれは!と無意識のうちに、左手の指先がリンゴを押しながらZを押すような変な動きをしていたりするので、おいおいこれは現実だよと一人ツッコミをしたりするのであるが、現実世界で生きながら仮想世界の住人であるところの偉いお坊さんたちの評伝を読むにつけ、昔はこんな倒錯はなかったろうと少し現代人の自覚を持ったりして、瞑想でもしてみるかあってノートに瞑想と書くと書けなかったりして、次候補をスペースキーを押すように頭の中で考えていたりする。
ゲームにはまっていない僕でも、そういう感覚はわかる。わかるが、当たり前の如く、目の前には生身の現実しかない訳で、殺人とまではいかないが、取り返しのつかないことばかりやっている。

ちょっと告白すると、仮想と現実の区別がなくなることに憧れていた。それこそ高尚な僧や、自ら現実世界と決別する詩人のような…。

酒席でよく出る話題で「やり直すとしたらいつからにする?」というのがある。以前は、周囲の状況が見え始めた高校生かなと思っていたのだが、最近は保育園の頃かなと思う。というのは、保育園のみんなと行ったバス旅行で僕の親父さんが「とんぼのめがね」を歌ったことを思い出したからで、もしかしたら記憶違いかもしれないけど、なんだか嬉しい思い出なのだが、嬉しかったはずなのに、少々恥ずかしい思いを持ち続けていたことに気付いたのである。自分が父親になって初めて気付いた…。

知覚できない五次元の世界ではなく、時間に沿って今が過去に変わっていくこの世界を生きている僕たちは後戻りできないのは当たり前で、せめて自分の感情に正直に生きてみようと思った。

最後に豊田さんが書いておられる件に触れておく。精神が異常であれ情緒が不安定であれ、やったことはやったこと。その報いを受けるのは当然で、法律以前に当たり前のことである。殺人者の言い訳など聞きたくもないのである。

変な文章を書いてしまった。
(168)

リセット
【担当】 豊田 【作成日】2007年08月20日 (月) 23時56分

 機械や装置などを初期状態に戻すことをリセットという。ゲーム機器などにはリセットボタンがついていて、何か不都合が起こってもそれを押すことによって回避できる。つまりは「なかったこと」にできる訳だ。
 リセットは便利であり、必要とされる機能でもある。調子が悪くなったら最後、ウンともスンとも言わなくなる昔の機械のことを考えると、リセットボタンがついた機器によって、生活はより快適になった。また、何かを白紙に戻すという作業は、一からやり直せるという点においては清々しくもある。やり直しがきくことには気軽に取り組めるし、後悔を恐れることも少ない。
 しかし、実際の世の中は、そうそう簡単にリセットできる事柄ばかりではない。
 確かに、失敗してもがんばればやり直せる、と思うことは大切だ。だがそれは、失敗に対して不注意でいても構わないという意味ではないはずである。やり直せるからといって迂闊で自分本位な行動を繰り返すのは、ただの無責任でしかない。
 少し前、未成年者が事件の加害者となることが立て続けに起こった。ニュースとして耳に入るのだから、強盗や殺人などの重大な事件ということになるが、その動機に、非常に自分勝手で短絡的なものが多かったように思う。生活態度を注意されたとか自分のやりたいことが聞き入れられなかったとか、普通に生活していれば日常的に起こるような事柄だ。多分、そういう苦言や勧告に対する耐性がないので、少しのことですぐに取り乱してしまうのだろう。そして、思いもよらない重大な結果を招いてしまう訳だ。
 こういう事件を見聞きしていつも思ったのが、「ゲームじゃないんだから」ということだった。ゲームで人だの仮想ペットだのを殺しても、リセットすれば生き返る。しかし、実際に人を殺してしまったら、もちろんリセットはできない。
 むろん、犯行に及んだ少年たちにもそれは分かっていたに違いない。しかし、リセットできる仮想社会に馴れることによって、心のどこかが緩んでしまった人もいるのかも知れない、とも思う。
 ちなみに最近、そういう人々のリセットボタンの代わりになっているのかな、と感じるのが、精神や情緒の不安定を訴えるというやり方である。特にどの事件とは書かないが、私は精神の弱い人間です、と訴えることによって問題から逃げ出したり情状酌量を願ったり厳罰を免れようとする姿勢。弱者に対して優しくあろうという社会風潮を逆手にとった卑怯なやり方であり、「それさえ持ち出せばなんでもありなのか」と、かなり憤らずにはいられない。もちろん、中には酌量されるべき事例もあるのだろうが、抜け道として使おうという魂胆だけの場合もある気がしてならないのである。

 話が不愉快な方向へ向いたので、最後に穏やかな話題を。
 生活の中の小さなリセットとして、私が有効だと思うのは、お風呂に入ることである。イライラして集中力がないとき、お風呂に入ると気分がリセットされ、落ち着く。
 もちろん、リセットしたいときにすぐにお風呂に入れる状況だとは限らないし、お風呂に入ってからではできないことだってあるだろう。しかし、家にいてやらなければならないこと(例えば原稿の執筆ですね)の前にお風呂に入って気分をすっきりさせると、案外楽しく仕事がはかどる。
 ただし、すっきりしすぎるとそのまま寝入ってしまう可能性もある。要注意である。
(167)

担当者と更新日変更のお知らせ
【担当】 MoDoKi 【作成日】2007年08月20日 (月) 12時57分

いつもご愛読ありがとうございます。
お盆休みはいかが過ごされましたでしょうか。

さて、しばらくブログ執筆を休んでおりました藍井紅美子が、この度一身上の都合により退団することとなりました。
それに伴い、更新日とブログ担当者を変更いたします。更新曜日を月・水・金とし、月曜日担当が豊田、水曜日が橋本、金曜日が森となります。
合わせ、記事の検索機能がつきました。過去の記事を再びご覧いただくときにお役立ていただければ幸いです。

なるべく遅延のないように更新してまいります。
引き続きしりとりブログをよろしくお願い申し上げます。
(166)

お盆休みのお知らせ
【担当】 MoDoKi 【作成日】2007年08月11日 (土) 12時00分

いつもご覧いただいている皆様、ありがとうございます。
おかげさまでこのしりとりブログも160回以上続いています。

さて、誠に勝手ながら、この度しりとりブログは1週間のお盆休みをいただくこととなりました。
次回更新は8月20日の月曜日となります。

今後ともどうぞよろしくお願い申し上げます。
皆様もよいお盆休みをお過ごし下さい。
(165)

ぼったくり
【担当】 はしもと 【作成日】2007年08月11日 (土) 10時07分

ぼったくりにあったことはない、と思っている。
思っているだけで、あっている可能性は高い。

ご存知の通り、僕は缶コーヒーが大好きなのであるが、自動販売機で購入するともれなく120円。たまにアタリが出ているので(20回に1回くらいか?)1本あたり114円。ところが、スーパーなどで見かける缶コーヒー(有名ブランド)は60円程度である。ぼったくられている…。しかも、60円で利益が出ているハズ…。どうかしている。

航空料金などは、様々なカラクリがあって値段が上下するのは、まあ理解できる。ただし、実質いかほど航空会社や缶コーヒーメーカー、小売店は儲けているのか?

いやいや、安くしろって言っているのではない。
たっぷり儲けないと、いいもの作ろうって気にならないのは、フリーランスで仕事をしてみた実感である。
ということは、「消費者の味方!」とかってダイエーが始めた安売り商売の罪は大きいのかも知れない。

先日から、新聞の購読を始めた。
毎朝チラシを眺める。安い=魅力的である。
少しでも安く、損しないように必死になっている自分がいる。
安売りなんてなくせばいいのに…とか、社会主義者のようなことを思ってしまうが、必死に値下げ競争をしているみなさんに申し訳ないような気になって、なんだか、日本的資本主義社会に組み込まれている自分を実感した。

しかし経済の仕組みって難しいですね。どうでもいいけど。
(164)

あめんぼ
【担当】 豊田 【作成日】2007年08月09日 (木) 12時30分

あめんぼ赤いな あいうえお
浮きもに 小えびも泳いでる

 このフレーズを知らない演劇人はいない、のではないだろうか。歌詞はわいうえをまで揃っていて、発声練習によく使われている。『五十音』という、北原白秋の詩だ。
 私がこの詩に出会ったのはまたしても小学生の頃だった。演劇と出会うよりも遥か以前のことになる。家にあった「赤い鳥名作集」というレコードのシリーズに入っていたもので、芥川龍之介の『杜子春』『蜘蛛の糸』や坪田譲治の『魔法』などの朗読、それから北原白秋の『この道』などの歌があった。この『五十音』も歌、つまり、メロディーがついていた。児童合唱団が歌っていて、軽快なリズムが面白く、添付イラストがきれいだったのも加えてとても気に入っていたのだが、少なくとも私の周辺では『この道』のように有名なものではなく、知っているのは私だけ。なので、その歌について語れる友達はいなかった。
 その後、長い間忘れていたそのフレーズに再び出会ったのは、大学生になった時である。サークルの部室が集まった学生会館という建物があり、そこの5階ベランダから聞こえてきたのだ。見上げると、下腹部に手を当てた演劇部員たちが、大きな声で発声している。むろん歌っているのではなかったが、とても懐かしい気分になった。
 演劇活動は活発な大学であったと思う。サークルもいくつかあり、学生会館にはいつも公演を知らせる立て看板がかかり、学生たちが呼び込みをやっていた。同じ会館の小説サークルに所属していた私は、足しげくそのそばを通ったが、小説の方に気をとられていたこともあって、ほぼ観ずに終わってしまった。今考えると、惜しいことをしたと思う。
 その後、演劇と関わるようになって、また赤いあめんぼと出会った。自分で発声するのではなくて役者さんの練習を聞いているのだが、面白く韻を踏んではいるが無理をしていないし、日本語としても美しく、なかなか味わい深いものだと感じる。
 ただ、昔から思っていたことは、あめんぼって赤くないのに、ということである。夏休みのプールによく浮かんでいたあめんぼ。虫を常食としているらしいから人の血は吸わないだろうが、間違ってお尻で踏んだりすることがあり、そうすると刺された感じになってけっこう痛かった気もする。もう長い間姿を見ないが、それはあめんぼのいる水辺に行かなくなっただけであって、今もスイスイ泳いでいるのだろうか。
(163)





Number
Pass

ThinkPadを買おう!
レンタカーの回送ドライバー
【広告】楽天市場にて 母の日向けギフト値引きクーポン配布中
無料で掲示板を作ろう   情報の外部送信について
このページを通報する 管理人へ連絡
SYSTEM BY せっかく掲示板