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MoDoKiのしりとりブログ

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米原万里さんとロシア
【担当】 いろは 【作成日】2007年08月07日 (火) 19時15分

米原万里さんは、ロシア語の同時通訳者。
新聞にコラムやエッセイを書いていらしたので、だんだん「いいな、面白いな。」と思うようになり、彼女のファンになった。御自宅にはたくさんの犬や猫が同居していると知り、ますます好きになった。父親の仕事の関係で、少女時代をチェコで過ごした時に、親の方針でロシアの学校に通い、ロシア語を覚えられたと。チェコはロシア(当時ソ連)の衛星国だった。彼女はロシア語が堪能である。エリツィン、ゴルバチョフ大統領も名指しで通訳を頼んだほどの腕前だった。
だった・・・というのは、昨年53歳という若さで亡くなられたから。亡くなられてから、彼女の書かれたものを、片っ端から読んだ。
「ガセネッタ&シモネッタ」「嘘つきアーニャの真っ赤な真実」「魔女の1ダース」「ヒトのオスは飼わないの?」同時通訳の大変さと面白さ。ロシア人と日本人の意識の違いや、世界共通の下ネタ・・・彼女が語ると、実に品がいいのです。抱腹絶倒。
翻訳からわかる言葉の世界と、通訳でしか味わえない臨場感。予習の大変さ(例えば、医学のシンポジウムなら専門用語とかの知識も必須)ダジャレをとばすクライアントは呪いたくなる・・・それは、対訳不可能だから・・・規定時間以上、沈黙することは許されない、禁止用語は使えないとか、問題山積みである。
まして、国際間の政治的駆け引き、しかも相手がロシアときた。そんな過酷な仕事をなぜ、引き受けるのか・・・それは「笑い」があるから、と彼女は言い切る。
そんな彼女が見せてくれる世界は「アメリカ中心」ではない、そもそもそれが「世界」なのだ。それはあまりに我々が疑いもなく、マスコミの「アメリカ的世界」を世界観としている誤りに気づかせてくれる。
(162)

蝶よ花よ
【担当】 豊田 【作成日】2007年08月07日 (火) 00時28分

 蝶よ花よと育てられた娘、という表現がある。子供を非常にかわいがり大切にするというたとえで、多くの場合、女の子に使われるものであるらしい。
 自分に子供ができた以上、それを自然に愛するというのは基本であると思う。しかし先日、仕事で子供の虐待相談件数の推移グラフを作ったら、近年では県内だけでも年間500件以上の虐待相談が寄せられているということで、単純に驚いた。件数そのものもそうだが、ここ10年間で数値が2桁から3桁へと右肩上がりになっていることが気味悪い。もちろん全国規模でも右肩上がりで、数値でいえばこれの比ではないのである。見聞きする話題でも、子供の虐待事件は本当に多くなったと思う。
 人間でも動物でも、子供は顔や体のつくりが「大人からかわいがられる」ようにできているときいたことがある。生き延びるために、親の本能に訴えかけるようになっているそうだ。しかし、人間社会の現実はこれである。もちろん私なんぞに社会を読み解く力はない訳であるが、子を育てる大人の精神が未熟、ひいては社会全体が未熟なんだろうなあ、と思わずにはいられない。
 さて、蝶よ花よである。私がその言葉を覚えたのはかなり子供の頃、多分小学校の低学年だったと思う。話自体は覚えていないのだが、確か創作民話の長者の娘に対して使われていた言葉だ。子供用の本なので、表記も「ちょうよはなよとかわいがられていました」だったはずである。読みにくかったが、それが「蝶よ花よ」であることが分かれば、意味合いは子供にでもよく理解でき、その長者の娘を羨ましいと思った。むろん私は虐待されていた子供ではなく、どちらかといえば蝶よ花よのクチであったが、その言葉には、いわゆる女の子が誰でも抱く憧れがあった。
 敬愛する作家である小川洋子氏が、
「生まれて初めて女の子が出会う物語には、必ずお姫さまが登場すると言ってもいい」
「お姫さまは、広大な想像の世界へ羽撃いてゆく際の、水先案内人に他ならない」
と書いている。私は、蝶よ花よとかわいがられる長者の娘に、そういうお姫さまへの羨望を感じ、想像を巡らせたのである。
 ただ、蝶よ花よというのは確かに古めかしい言葉であった。私は当時、自分で作った物語にもお姫さまを登場させ、「ちょうよはなよとかわいがられていました」と書いた。しかし、小さな子供がそういう表現を使って物語を書くこと自体奇妙であり、「大人の真似をしているに決まってるけれど、一体誰がこんな言葉を教えたんだこの子に」というおかしみを伴ってもいるので、年の離れた兄からは散々からかわれたのだった。
 蝶よ花よという言葉には、過保護や溺愛といった、否定的な意味合いも幾分含まれていると思う。しかし、虐待される子供に比べれば、蝶よ花よと育てられるというのはなんと幸せなことであろう。昔の社会事情を考えれば、子供を蝶よ花よと育てたくても経済的事情が許さないということもあったはずである。それを思えば、子供をそうやって育てられること自体が大人の幸せでもあったのだと想像できる。
 ありがたいことに、周辺のごく身近なところでは、児童虐待の話はきかない。逆に、子供をかわいがっている人、特に父親が多いと思う。彼らは「子供を虐待するという意味が分からない」と言い、オレがこんな人間になるなんてさー、という照れをのぞかせつつも、自分の子供をかわいがっている。これはなかなか微笑ましく、心おだやかな光景である。ささやかなことではあるが、やはりこれが正しいのだろうと思う。
(161)

ザ・ぼんち
【担当】 はしもと 【作成日】2007年08月04日 (土) 17時16分

A地点からB地点である。おさむちゃんとまさとである。
あの時代、何が面白いかなんて考えない年頃だった僕は、おさむちゃんが面白かった。
今、観ると面白くないのは当然のハナシで、もともと面白くないのである。
ひどいね、この文章…。
この流れでいけば、やすきよも面白くないのである。念のため。
阪神巨人、カウスボタン、いとこいさん、こだまひびきは面白くて
紳竜、B&Bは面白くない。
ダウンタウンは別格で、チュートリアルや130Rはイケてるが、
ブラックマヨネーズはちょっとね。

これが、僕の好みだけど、どう?
どうって言われてもねえ…。
(160)

銀座
【担当】 はしもと 【作成日】2007年08月04日 (土) 17時15分

全国各地に銀座通りはあるが、僕は上野(三重県です)生まれなので、銀座通りと言えば、上野の銀座通りである。
市街から外れた、かなりの田舎に住んでいたので、幼い頃は結構あこがれたものである。
幼い心は、家の中を征服したら、ご近所へ、そして上野市内へ、高校生になって名張、三重県内。大学生になって全国へ、大人になって海外へと広がっていった。
今にして思えば、かわいいものだし、今時の若者たちは、世界が大きくて手の届かないものであることを実感として持っているかもしれないが、おぼこい僕は、少しずつ世界を広げていった、段階的に。

端的に言うと、怖がりだったのである。

人と出会うたびに感じる怖さ。新しいことをはじめる怖さ。
それと同じ怖さを、土地や地域にも感じていた。
しかも、いまだに感じている。この幼さはなんだろう。

子供たちが少しずつ世界を広げていく。
小さなベッドから和室へ。いつしかリビングに顔をだし、お外へのお出かけも多くなった。
驚いたことに怖いもの知らずなのだ。もしかして当然?

そこで僕は、僕が怖れている世界は、怖るるに足らずってことだと
子供たちに励まされていると勝手に思いこむことにした。

僕の世界はこれから広がっていくのだろうか。とりあえず、東京の銀座に行ってみたいと思う。
(159)

【担当】 いろは 【作成日】2007年07月31日 (火) 10時59分

夏バテには鰻・・・とよく言われる。特に夏バテするほうではないが、本当に夏バテしたら、『鰻なんて無理じゃないか?』と思う。
鰻の名産地は「浜松」と聞いていた。『そうか。』と思ってた。目がないほど大好き!とまではいかないが、まぁ、好きなほう。
以前、家人が出張で浜松へ行くことになった。「浜松→鰻」とアタマの中で図式化される。
「せっかく行くんだから、一度は味わわないと(損だよね)。」と私。「うん。」と家人。
まんざらでもないらしい。
さて、出張から帰ってきたので「どやった?」と聞く。「ウン・・・。」と家人。
ちょっと考えてから「こっちの方が旨いゾ。」という。「へ?」
そりゃいきなり高そうな店には入らない。出張先の人に『ここは鰻が有名ですね。』と振るか振らんうちに『よろしければ是非鰻を・・・。』とアピールされたらしい、フムフム。
で、オススメのお店へ行ったのだがドーモ甘めで、家人の口にはイマイチ合わなかったらしい。それよりかは津のポピュラーなトコのが、旨かったという。
なんと、津はそんなとこが名産やったのか?
で、まわりの人々に聞いてみると、結構皆さま知っている。Hが美味しい、Sがいい。Dはワタシャ好みでない。支店によっても味が違う、ナドナド。関にあるお店に週末車で出かけるが、ここが一番美味しいと教えてくれた人もいた、
鰻は蒲焼で、うな丼がいい。関東風は蒸してから焼くので、なんだか油落ちがして年寄り向きっぽい。裂き方逆やし。東京育ちの人で、結婚後こっちで初めて関西風を食べたが、こっちのが美味しい、といってくれた人もいる。うな重は高いわりに冷めちゃうと目も当てられない。あと、鰻の骨はクセモノでアル。のどに刺さるとナカナカ抜けない、しなやかにしてしぶとい。上手な店は骨抜きも上手い。スーパーのは要注意。
会社の鰻好き上司に、浜松の鰻についてまた聞いた。タクシーの運転手さんオススメで、町から離れたド郊外に連れていかれたが、今までで一番美味しかったという。街から離れたところこそ、名店があるものなのか?これも有名らしい。
何はともあれ、宣伝・広告ばかりがすべてじゃない。
(158)

雷獣
【担当】 豊田 【作成日】2007年07月30日 (月) 23時30分

 仕事が終わって車に乗り込むと、フロントガラスに雨の粒があたった。参院選の投開票日の仕事だったため、すでに深夜というより朝の方が近い時刻である。雨音はあっという間に大きくなり、激しく車をたたき始めた。
 強い雨といえども、車に乗っていればさほど困難ではない。ワイパーを動かし家に向かう間、雨は強くなったり弱くなったりを繰り返した。
 ふと気が付くと、ライトに照らし出される道路が乾いている。夏特有の局地的な雨らしく、ここまで雲が来ていないのだ。家にたどり着いて車を降りたら、雨は全く降っていなかった。しかしそれもつかの間、軒下に入るとすぐ、雨音が降りかかった。ちょうど雨に追いかけられて帰ってきた格好だった。
 激しい雨を気にせず、シャワーを浴びるために風呂場へ行った。体を洗っていると、どーんという、ものすごい音が響く。「何?」と思わず声をあげ、とりあえずのものだけ羽織って外へ出た。というのも、退院したばかりの父が、トイレにでも行こうとしてつまずいたのではないかと思ったのである。しかし、廊下はひっそり静まり返っていた。父の寝室をのぞくと、平気な顔をしてすやすや眠っている。そこでやっと、どこかに雷が落ちたのだろう、と気が付いた。
 なあんだ、と拍子抜けして再び風呂場に戻る。そしてふと、人は置かれている状況によって、怖いと思うものもいろいろ違うんだな、と思った。

 雷獣というのは、雷が落ちるときに一緒に落ちてくると考えられていた獣のことである。立ち木に鋭い爪あとが残っていたという話もあり、人から恐れられていたらしい。
 私がこの雷獣のことを知ったのは、小学生の頃である。『なぜなに世界の大怪獣』という子供用の図鑑に載っていたのだ。その図鑑はまだ家に残っているため確認してみたところ、雷獣は口から火を吐き、尻尾が3本ある狐のような姿で描かれていた。そして、その正体は「テンやイタチだろう」とあった。近くの木に雷が落ちたのにびっくりして飛び出したテンやイタチを、昔の人が雷とともに落ちてきた獣だと勘違いしたようだ。雷に打たれて死んでいる姿もよく見られたため、余計に想像力も掻き立てられたらしい。
 その本以外でも、例えば滝沢馬琴が調べたところによると、小型のイヌに似て灰色で、長い頭と狐に似た尾、鷲のようにとがった爪を持つという。違う文献には落ちてきた雷獣をつかまえたという伝承もあり、それによると後ろ足の関節がひとつ多かったらしい。天狗や河童ほどメジャーでないはずの雷獣だが、けっこういろんな文献があるのには驚いた。やはり雷という、自然現象に深く関わりのあることから生まれたものだからだろうか。

 しかし今の社会、雷が鳴って怖いのは、雷獣よりも停電やパソコンの故障である。テンやイタチも雷に打たれて死ぬよりは車にはねられて死ぬ。単純な時間の流れの中にいるだけでも、怖いものはやはり移り変わっていくのだろう。
(157)

北の国から
【担当】 はしもと 【作成日】2007年07月30日 (月) 10時20分

あなた変わりはないですか、ではない。
はるみちゃんは好きであるが…。

北の国からのファンは多い。
男の子は、純に思い入れ、おっさんは五郎に共鳴し、
女の子は、蛍を身近に感じる。

もちろん僕は、純の気持ちに寄り添い
彼の失敗を見たくなく、彼の苦悩を自分の苦悩にし、
彼とともに成長し、はては、
五郎の思いを受け止め、物真似を試みたりする。

富良野を訪れると、おのずと気分は高揚し、
頭の中で、さだまさしがぐるぐる回る。
この時、音楽だけならよいのだが、さだの顔がチラチラ映像化されるので困りものだ。
で、うさぎ印の帽子を購入したりする。

昨日のテレビでは、富良野の旅とやらを草太にいちゃんがしていた。
彼は味噌ワンタンメンを食べて「うまい」と言った。
もちろん、僕は家族揃って「ええなあ」と言った。
何がええのやら…。

この日の僕の中での結論。
富良野のイメージにやられている…。イメージに惑わされてはいけない。
(156)

風呂焚き
【担当】 いろは 【作成日】2007年07月26日 (木) 18時43分

今日も、森が担当します。

子供の頃、━小学校高学年あたりから、中学2年まで━ 風呂焚きはわたしの担当する家事手伝いだった。・・・と、いう話を長じてからしたら、「明治生まれなんですか?」と後輩に即、返された。そんなコト、あるかい!!
もっとも毎日毎日やってたわけでは、ない。祖母と一日交代でやってたように覚えている。いや、実際は祖母の方が多かっただろう。昭和40年前後、同級生は小1か2の頃、近所の子と遊ぶ時に赤ん坊の妹をおんぶさせられて「子守り」スタイルで来た。鬼ごっこやかくれんぼには非常に不利だったろう。紙芝居のオジサンが、水飴持って太鼓たたいて近所の空き地にやって来た。豆腐屋さんがラッパを吹いて自転車で売りに来た。ボールを手に手にみんな買いに出た。上手に持って帰らないと、落っことして怒られた。
そういう時代だった。自宅に電話のあるおうちが少なかった。ない家は、呼出といって近所の電話を貸してもらうのである!勿論長電話なんてできない。お風呂は内風呂のほうが少なかった。お風呂屋さんはたいがい大繁盛。お風呂屋さんに売ってたフルーツ牛乳とラムネが飲みたかった。

さて、夏は暑いから風呂焚きタイヘンと思うでしょ?・・・でも冬の方が苦労したように思う。火はつきにくいし、水の温度が低いので、焚けども焚けどもなかなかあったまってこないのである。下に燃え易い紙くずを敷き、つぎに火がつきやすい「こわ」とよんてた、やわい廃材みたいな木を組んで、その上に薪とか火力の強い「オガライト」を置いて燃やすのである。ビニールのくずなんか、まず無かった。後年、オトナになって公園でボーイスカウトが演習をやっているのを目撃。薪の上に新聞紙を乗せてファイアー・・・に、ならんテ、ボーイズ(嘆)。
閑話休題。真冬は3時過ぎから焚き始めても、7時近くまでかかった。4時からでは遅かったのを覚えている。五右衛門風呂だったから温かかったが家族は続けて入らないと、冷めたとき追い焚きしなくてはならない。その際埋み火が残ってるから、火は点きやすかったけど。だんぜん面倒だった。追い焚きと言えば、順調につけはじめの難関を突破しても、薪をくべるのを忘れてしまうと、一からやり直しになる。いま、野外授業の飯盒炊爨で、先生が火をつけて、「おい、消えやんように見とれよ。」と命じてその場を去ると、本当に見ているだけで、薪を継ぎ足さない生徒が続出だ★とあった。
いま、蛇口をひねればお湯がでる、スイッチひとつでガスが点く。あの時はそんなこと将来できるなんて思いもしなかった。火が順調に燃えている時の、充実感とか落ち着き、暖かさ、二宮金次郎の心境はかくや?・・・ちょっと忘れがたい。
(155)

財布
【担当】 いろは 【作成日】2007年07月24日 (火) 11時07分

財布にこだわる方だ、と思う。
財布選びに時間がかかる。値段との折り合い、使い勝手…。
カード入れは、多すぎず少なすぎず。お札も硬貨も同じところじゃ困るし、お札がピンと入る長タイプは、小さめのバッグに収まり悪いし。ファスナータイプは安っぽい。お札やレシートが引っかかったりすると煩わしい。
安物がなんであかんかというと、すぐに傷むから。安いの3個買うより、上等のが1個が持ちと気分がいい。
最近はがま口タイプが減ったなぁ。なんでもあの留め金を作る職人さんが減ったのだそうな。昭和の財布といやぁ、がま口がアタリマエやったのに。あの時代はそういや、カードなかったもんな。がま口、硬すぎても手、挟んでイタイ思いしたし、ゆるぅてもたよりない、お店で最低三回は試しとったなぁ。今思うとカサ張らんしお札と硬貨も分けられて、コンパクトでよかったなぁ。ポケットにも入ったし、持ちやすかった。
まぁ、それはいいとして。
納得いくのはやっぱりブランドものかな〜。これ見よがしのシャネルは、けどナ〜。
COACHは色も形もいいけど、なんせ高い!!貢いでもらうならいいけど、自力ではムリ!!
お財布買う時、一回目ではまず買えません。検討して×2、特商会を待って20〜30%OFFで買う。これくらいがせいぜいの抵抗かな?
けっしてブランドに拘るわけじゃなくて、信用おけるところが少なくなった、と思う、特に地元に。職人気質のおっちゃんが、財布でも鞄でも作っていて、『アンタにはコレ!』と自信満々。「え〜、なんで?」と思っても事実それが良かった時の、あの「参りました。」ってカンジ・・・また、味わいたい、味あわせてほしい。値段には理由が、あってほしい。
(154)

刺草
【担当】 豊田 【作成日】2007年07月23日 (月) 23時16分

 刺す草と書いてイラクサと読む。読んで字のごとく植物の名前で、イラクサ科の多年草。葉や茎にあるとげにはギ酸が含まれていて触れると痛く、水疱ができたりするというが、若葉は食用になるらしい。
 このイラクサをお題にしようと思ったのは、名探偵ポワロのDVDを見ていたら、「イラクサ・ジュース」なるものが出てきたからだ。DVDなので原作と設定は違うかも知れないが、ポワロが料理店で人事不省になり、肥満が原因と診断されて転地療養させられる話。その島のホテルでは今でいうデトックスやロハスを取り入れたダイエットを提供していて、ポワロにはアルコール禁止。代わりに勧められるのが「イラクサ・ジュース」である。当然ながら日本語訳された結果なので、本当のイラクサのことなのかどうかは調べないと分からないけれど、青汁の類と思えば間違いはない訳で、美食家で洒落者のポワロとしては散々な目に遭い、さらに彼は案の定、殺人事件に巻き込まれていく。
 イラクサは「蕁麻」とも書くという。私もついさっき調べて知ったのだが、これにはやや気色ばんだ気分になった。これに「疹」とつければ「蕁麻疹」。私は中学生の頃からジンマシン持ちで、散々苦しめられてきたからである。ジンマシンにはアレルギーや物理的刺激、内臓疾患などいろいろな原因があるが、その名前の由来はやはりイラクサで、イラクサ(蕁麻)の葉に触れると発疹ができるということからついた病名らしい。いや、たかが蕁麻疹とあなどるなかれ。私は一昨年、劇症の蕁麻疹で病院へ担ぎ込まれている。正式にいうと蕁麻疹で倒れたのではなく、倒れるに至るほどの体調不良により劇症の蕁麻疹を発症したのだろうが、腕が腫れてただでさえ浮かびにくい血管が全く見えなくなってしまったため、太ももの付け根の動脈から採血検査を受ける羽目になった。
 さて、ポワロの転地療養はともかく、普段は積極的に食用にすることもなく、植物としてそう馴染み深くもないこのイラクサ。ふと、遠い記憶が囁いていることに気付いた。子供の頃、イラクサが出てくる物語を読んだことがあったのだ。私がイラクサを知ったのはそれが最初で、非常に厄介でイヤな草だと思った記憶も残っている。
 なんだったっけ、としばらく考えてみたら幸い思い出した。それは『白鳥の王子』というアンデルセン童話である。継母の魔女に白鳥に変えられてしまった11人の兄を救うために、イラクサを編んでシャツを作るお姫様の話。おまけに彼女は、11枚のシャツができるまで一言も口をきいてはいけないという試練まで与えられる。何も言わないことによって誤解を招くことは多々あるもので、事態はどんどん暗転、ついに彼女は死刑宣告まで受けるが、ぎりぎりのところでシャツが完成、11羽の白鳥は王子に戻ってめでたしめでたし、となる。
 しかし、イラクサというのはちくちくするのみならず、触るだけで手が腫れるような代物なのだなあ。それを思うとその草でシャツを編み続けるお姫様にはいっそう同情せずにはいられないが、それにしてもこのお姫様といい人魚姫といい、アンデルセン童話にはどうしてこう痛い試練がつきものなのだろうか。
(153)

ルパン三世
【担当】 はしもと 【作成日】2007年07月21日 (土) 18時10分

土曜日の昼は、ルパンの再放送を欠かさずチェックする、
普通の小学生であった。それにしても普通だ。
そして、カリオストロが登場。
ますますルパンファンになってしまった。
その後、グランブルーの影響もあって、
FIAT500に魅せられ購入。
ただし、ルパンカラーにはしなかった。
テレビのナレーションで、次元の声を聞けば
「ああ、次元だ」と思い起こし、
金曜ロードショーのルパンの予告を見て、
「ああ、栗貫に変わったんだなあ」と感慨深くなる。
結婚式で、お色直し後の登場曲は、
「私の仕事を邪魔しない?」っていう例の曲にしたし、
ルパン関連のプラモデルを集めたりもしている。

銭形が最後にいい声でどなる。
心地よく、終わる。

ああ、洗練された物語が書きたい。
(152)

リーガル
【担当】 豊田 【作成日】2007年07月20日 (金) 10時42分

 リーガルといって革靴を思い出す人も多いと思うが、今回は綴りが”legal”の方。すなわち「法律に関する」とか「合法的な」という意味の言葉である。
 この言葉に最初に出会ったのは、中島らも氏のエッセイの中だった。非常に幻覚作用の強いサボテンについて書かれたもので、しかしそれは「合法」、つまりリーガルなのだとある。かなり以前のエッセイなので、そのサボテンがいまでもリーガルなのかどうかは分からないが、言葉の響きが気に入り、便利でもあるので、逆の意味のイリーガルと合わせ、よく使うようになった。
 中島氏は2003年に大麻取締法違反の容疑で逮捕され、拘置所生活も経験しているが、逮捕前は、そういう無害なもので逮捕されるのもバカバカしいので麻薬をやりたいときはそれがリーガルとされる海外でやる、と話していた。なるほどな、と思っていたので、逮捕のニュースを聞いたときは意外だったし、ちょっと残念に思った。
 先の『薬物中毒』ではしもとさんも書いているが、私も、「法律を守らなくちゃ」という気分が非常に強い人間である。「優等生」ではなく「優等生気質」だったので、たとえば中学時代の、無駄に反抗的なスカートの長い女の子たちの主張も、まったく意味が分からなかった。
 ただ、「先生に言われたことだから守らなければ」という気持ちの一方、「ここだけ押さえておけばしょーもないことで因縁つけられず、心穏やかに暮らせるのに。どうせ3年で卒業するんだしさ」という、打算的な気分も伴っていたように思う。つまり、「法律を守らなくちゃ」ではなく、「法律を破って難儀なことにならないようにしなくちゃ」だったのだ。あたしはここまできちんとやってるんだから文句つけないでよね、という自己防衛。ことなかれ主義など、いささか問題が出てくる場合もあるだろうが、やみくもに法律を守ることに気を取られて自分の考えが分からなくなっている人間よりはマシだろう。つまり、どうして法律を守るのか? と聞かれたとき、「だって法律だから」と答えるよりは「だって刑務所いやだもん」と答えたいのだ。
 リーガルといって思い出すことはもうひとつ。かなり以前、ある役者が、マジックマッシュルームという合法ドラックの幻覚で奇行を起こしてニュースになった。その後、かなり活躍している人だけれど、おかげでいつも、彼を見るとそれがどんな役どころであろうが「あ、マジックマッシュルームで屋根に上った人だ」という、余計な情報が脳裏をよぎる。何人がいまだにそう思うのかは知らないが、人にいつまでもそんな風に思われるのもなかなかみっともない話である。リーガルといえど、大人である以上やはりそういった行動は自分の責任で、よく考えてから起こすべきなのだろう。
(151)

トムとジェリー
【担当】 いろは 【作成日】2007年07月17日 (火) 10時51分

ぎゃああああ・・・・・! 現実版「蜘蛛の糸」、怖いよ〜!わたしゃ、絶えられない!!

き、気を取り直して、マイお題、いきまーす。
このタイトルを聞くとイントロの、ジャカジャ、ジャンジャジャン・・・♪が、すぐ浮かんでくる。作られたのが確か戦時中だったというから、トムもジェリーもいいお爺さん、ていうか、寿命、長すぎ・・・?
レンタルビデオもよく借りた。子供も幼稚園時代に見てはよく転げまわって笑っていた。スタンダードナンバーは時代を選ばないのだナ〜、とつくづく思った。

子供時分、トムさんの大ファンだった。
でも、まわりに聞くと、みんな揃いも揃って、ジェリーだという・・・ええええ〜?
永遠のコメディアンは、トムさんでしょ〜?などと、小学校低学年はまだ、ボキャブラリーが貧しい・・・いたくショックだったのは覚えている。トムさんの受けの芝居は秀逸よ。多分、わたしはこの頃から辛口テイストだったんだな。
特筆すべきは、動きと、間合いと、表情、音響(曲付け)と、そして、色。
長じてから、BGMに結構有名なクラシックが使われていたことを知って驚いたもんだ。
例えば、リストのハンガリー狂詩曲とか。
よくも、これだけスタッフが粒ぞろいだったもんだ。ワープしてメイキングの様子を見学したい。ど〜やって作ったんダロ?手抜きしないということかな?でも、新作はちっともよくないのよね、ホンマなんでやろ。制作費ケチったの?
それと、脇役も冴えていた。ブルさん、ブッチ、お手伝いさん・・・
犬の動きと猫のそれの違い・・・ブッチとトムの生活環境からくる性格の違いも、見事体現されていた。お手伝いさんは猫の目線から・・・あの、怒り狂ってモップを振り回す様は、おっそろしく母親に似ていて、妹とワタシはそのたびにウケまくっていた。コメディの基本、つーかお手本!オチもすべて頭に入ってるんだけど、それでも飽きない、まさに戯曲ってこういうカンジ?
また、見たくなってきたな〜、「ピアノコンサート」「土曜の夜は」もう麻薬だね。
トムさんて、旦那にするには、じつにいいかも・・・。
(150)

蜘蛛の糸
【担当】 豊田 【作成日】2007年07月16日 (月) 23時56分

 自宅の駐車場までの道のりに庭木の植え込みがあるのだが、そのせいでこの季節よくひっかかる罠がある。何を隠そう、蜘蛛の巣だ。
 蜘蛛の巣がかかった部屋、などという表現には、長い間使われていないという意味も多分に含まれていると思うが、その実、蜘蛛が巣をかけるのにかかる時間は案外短い。8時間もあれば立派な巣を作るそうで、つまり、寝て起きた翌日にはまた同じ場所に蜘蛛の巣ができていてもおかしくないことになる。ちなみにこれは、子供の頃に読んだ推理クイズの問題から得た知識。蜘蛛の巣が張っているので犯人はこの窓から出入りしなかった、という推理が成り立たないと説明してあった。
 庭木の間に張ったレース状の蜘蛛の糸はかなり見えにくい。しかも私がそこを通るのは大抵早朝か深夜である。なのでついそのまま歩いて、頭やら体やらをひっかけてしまう。よく見かけるのは、アメンボみたいに体の細い、茶色の蜘蛛。しかしこの蜘蛛の糸はそんなに強くないので、鬱陶しくはあるものの、まとわりついても、蜘蛛そのものが体にくっついたりしなければ、それほど厄介ではない。
 が、つい先日、小雨の降る早朝にひっかかった蜘蛛の巣の罠にはいささか参った。濡れた葉っぱに触れたような気配を右肩に感じたので、枝が突き出していた訳でもないのに、と思って見てみると、肩先に全長5センチくらいの大きな蜘蛛がとまっていたのだ。つまり、雨に濡れた蜘蛛の巣に右肩から突っ込んでしまったことになる。雨に濡れていたのなら巣は見えるじゃないか、と思う向きもあろうが、薄暗い早朝、傘をさすのが面倒で急いでうつむき加減に歩いていたのだからそうもいかない。
 流石に驚き、大急ぎでふりはらったが、大きな蜘蛛だけあって、糸の感覚がなかなか取れないし、べたべたとしつこくて気持ち悪い。結局、一度戻って腕を洗うはめになってしまった。幸いその後、彼女の姿は見ていないのだが、より注意して通行するようにこころがけるようになった。

 さて、蜘蛛の糸といえば、なんといっても芥川龍之介だろう。名作『蜘蛛の糸』は、子供が最初に出会う本格日本文学といっても過言ではないのではなかろうか。極楽と地獄というモチーフが子供にも分かりやすいし、細い蜘蛛の糸をたぐって上へ上へと登っていく悪人犍陀多のことを思うと、実にスリリングな気分になる。犍陀多は、蜘蛛の糸を独り占めしようとして結局地獄に逆戻りしてしまうが、私は割と素直な子供だったので、その教訓も素直に受け入れて、自分ひとりがいい思いをしようと思っていては必ずしっぺ返しがくるのだ、という思想をまんまと学んだのだった。
 そしてこれは友人の話であるが、彼女は子供の頃、その『蜘蛛の糸』が大好きで、就寝前の読み聞かせとして、いつも親にリクエストしていたらしい。彼女は多分、教訓じみたことではなく、地獄極楽のその雰囲気が好きだったのだろうが、なんだか夢見が悪そうな話である。
(149)

薬物中毒
【担当】 はしもと 【作成日】2007年07月15日 (日) 12時10分

週刊誌で、覚醒剤で何度か逮捕歴のある役者さんのインタビューを読んだ。
まさに、中毒である。やめたいのにやめれない。
行間から「またやるかも知れない」という心持ちが伝わってくる。
本当にやめたいのか?

薬物ではないが、僕も依存して生きていると思う。
僕だけじゃなく、誰もが何かに依存している。
ちなみに、僕の依存しているものは、
煙草、仕事、素麺、活字、映像、キムチ、家族、ピノ、などなど。

この日本で法律違反をして、何かに依存するメリットなんてなにもない。
ので、合法の範囲内で依存することとする。

体に悪いから、お金がもったいないでしょ、精神的にわるいよ、
なんて理由で、依存はやめれない。

ということはですよ、
僕を支えているのは法律を守らなくちゃっていう気分なのか?

なんとなく嫌な気持ちになった。
(148)





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