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MoDoKiのしりとりブログ

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ビートルズ
【担当】 前田 【作成日】2008年06月27日 (金) 09時18分

高校生のとき、ビートルズ好きの友人がいた。
同じ部活だったのだが、彼女、ビートルズのすべてのシングルとアルバムと、その発売された順番を完全に覚えていた。しかも、このアルバムから弦楽器を多用し始めて…など、解説までついていたのだ。といってもいわゆる洋楽おたくではなく、ビートルズだけが好きであったようだ。

そんな彼女の強引なすすめで、私もビートルズを聞くことになった。
ビートルズを聞くなんて、なんか暗い高校生の象徴のようで(実際に彼女も暗かった)あまり乗り気ではなかったのだが、聞いているうちに不本意ながらもハマってきてしまったのである。そういえば私もかなり暗い高校生だったか。

で、数ある曲のうち、私がもっとも好きなのが、「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」である。
なぜか。
それは曲のなかに「どうしようもないもの」を感じるからである。「歌」として、歌詞だけでは、またメロディーだけではこのどうしようもなさは表現し得ないものだと思う。両者がひとつになってはじめて効果をなすのだ。さらにつけ加えるならば、この曲が発表されたときのビートルズの状況を知ると、この時期だからこそ生まれたのだろうと想像することができる。そしてこのどうしようもなさこそ美しいと私は思うのだ(それがなぜなのかは、後に語ろうと思います)

同じような理由で、南こうせつの「愛する人へ」という曲も好きである。歌詞とメロディーが一緒になって、どうしようもなさがものすごく感じられる。

と、いくら文章で熱く語ったところで、さほど伝わりはしないだろう。やはり一度聴いてみることをおすすめします。もう、本当にどうしようもないので。
(299)

えんむすび
【担当】 はしもと 【作成日】2008年06月26日 (木) 21時33分

準備中
(298)

景品引き換え
【担当】 豊田 【作成日】2008年06月20日 (金) 11時08分

 少し前、マグカップの引き換え券をもらった。コンビニで商品を買うたびにシールを集め、点数をためて引き換えができるというアレである。マグカップのキャラクターはリラックマ。せっかくなので引き換え、食事のときに使うことにした。カップにリラックマの目鼻がついたデザインの、大ぶりのものだった。
 さて、食事のとき、甥が何やら騒がしい。彼はこちらの言うことはよく分かるが自分でまだ言葉は話せないという段階。よくよく聞けば、どうやらそのマグカップを気に入ったようなのだ。甥に下げ渡しても構わなかったのだが、母親のマグカップを放り投げて2個ほど割ったこともある危険人物なので、そのまま私のものにしておいた。
 今度の誕生日にはリラックマのグッズでも探そうかなと思っていたら、その後リラックマの頭の形の貯金箱を買い与えられたらしい。以前、彼の姉にあたる姪に、私は長谷川町子美術館で買ってきた「タマ」の貯金箱をあげている。以来、二人で自分の貯金箱を持ち、ジジババに1円5円の小銭の集金に回っているという話だった。

 しばらくして、次兄が会員になっている家電店からお得意様案内の封筒が来た。期間中、封筒持参で2,000円以上の買い物をすると、リラックマのバスタオルがもらえる。これは期間中に行っておかねば、という話になったのだが、その関西系の家電店、家から一番近い店が滋賀県甲賀市水口町。リラックマ目当てに県境を越えることになった。
 会員になっているのは次兄だけなので、もらえるバスタオルは1枚である。引き換えの封筒を姪が見せてとせがみ、バスタオルの写真を見つけたので、弟のために引き換えてくることを告げると、案の定ひがんだ。
「わたしもクマちゃん好きやのに」
「じゃあ、仲間で使うことにしたら」
「なかまではつかわへんの」
 すっかりむくれ、
「ええもん。タマちゃんのお金でわたしも買うもん」
 と、言っていたそうだ。

 時間の都合もあり、引き換えには新名神を使って出かけた。同行した私は、その道の景色が好きなので楽しかったのだが、考えてみればタオル1枚にけっこうな出費である。
 しかし甥は喜んでいたという。まだ口がたたないこともあって普段は姉に押され気味なのだが、叔父が自分のために持ってきてくれたことは分かるようで、姪に取り上げられそうになっても引かなかったらしい。親にたしなめられた姪はベソをかき、
「タマちゃんのお金で買うもん」
と、また強がっていたようである。
(297)

つっかけ
【担当】 いろは 【作成日】2008年06月19日 (木) 20時26分

つっかけ・・・むかしはサンダルと言っていた。
下駄、ではなくてちょっと庭とか玄関先、洗濯物を干したり、アパート階下のゴミ捨て場などに行く時に、つっかける履物のこと。ま、下駄もつっかけの一種ですけど。まったくの普段履きだから、もちろん高いモノを買う必要は全くなくて、スーパーやホームセンターで、もののついでに買ってくればいい、のだが・・・。
はて?つっかけ・・・って共通語かいな?

靴についても書いたけど、足の形がマイノリティなので、このつっかけにも困るのデス。どれでも¥780・・・てのでいいんです。1シーズン履けたらいい。裸足で遠慮なくガンガンはいて、少々くらいの雨だってかまわない、汚れたらゾーキンで拭いてハイおしまい、って乱暴さが。昔は近所の履物屋さんが、奥から木型をいくつか出してきてくれて、両サイドに釘を打ってくれたなぁ。子供時分は、走るとカタカタしてしまうけど、あの、木の感触が涼しくてよかった。じゃりん子チエの世界だ。ただ、足に合わないのを無理して走ろうものならガクッとなって、捻挫して痛かった。
一時期ぴったりのがなくて、あったとしても予算オーバーで、「だったらいいや。もう、なしでも!」と思って、つっかけを用意しなかった夏。
これは困った。アパートの玄関は狭く、履物の数が一つでも減るのは歓迎だったが、いちいち洗濯物干すのに、靴?あっついよ〜、ヒールのおでかけサンダルじゃ、汚れちゃう・・・宅配さんのハンコ押しに、いちいち靴の後ろ踏んづけてたんじゃ、となったもん。高いめでも、負けました買いました。

結構、あたりまえにあって、ふだんしか使わなくて、ぞんざいに扱ってあまり気にとめないけど、なくてはならないもの、ってあるな。
(296)

終末
【担当】 前田 【作成日】2008年06月19日 (木) 20時05分

中学生のころ、「終末」は、「週末」なんだと思っていた。

…と、字で書けば明らかに違う。なので正しくは、授業で先生がその言葉を使ったとき、「しゅうまつ」が「週末」ではないということに気付かなかったというべきだろうか。いや気付くも何も、中学生の私にとって「しゅうまつ」など「週末」ぐらいしかたぶん知らなかった。知識の及ぶ範囲でしか理解しようとした結果がこれ、ということか。
歴史の授業で習った、イスラム教の終末思想。これを週末思想なんだと思っていた。平日頑張って働いて、土日には遊びましょう。そういう思想なのだと思っていた。もしそのときの先生が終末と黒板に書き「土日のことじゃなくてこっちだからね」なんて説明すれば、まちがった理解をせずにすんだのである、が。

終末思想は、週末思想ではない。そのことを知ったのは、もういつだか覚えていない。

そして終末について、最近はこう思うのだ。世界の終末は、案外週末のようであるかもしれないと。終末は、きっと仕事が休みで、家族やカップルは行楽に出かけるような、そんな幸福な日曜日に突然やってくるのかもしれない。根拠はないが、なんとなくそう思う。

というよりむしろこれは願望なのだろう。だって、全人類が終末の日を知っていたら、あまりに恐ろしいではないか。世界の最後の日ぐらい、すべての人が幸せを感じられたらいいのに。
終末のその日までに、きっと私は死ぬだろうけど。
(295)

【担当】 はしもと 【作成日】2008年06月13日 (金) 18時26分

準備中
(294)

特注
【担当】 豊田 【作成日】2008年06月13日 (金) 11時25分

 家というものに憧れを持っている。家庭、ではなく、住む家のことである。広大な豪邸でなくてもいいのだが、住み易く、掃除が行き届いていて、家具に統一感がある家がいい。掃除が行き届く、の部分にやや不安を感じないでもないが、大丈夫。美しい家ならきっとやっきになって掃除をするに違いない。
 中でも、「作りつけの本棚」に憧れている。なんていい響き。壁一面が本棚で、そこにお気に入りの本を並べてみたい。最近また本が増えたので、それらをすっきりと収納したいのだ。本棚に本を横向きに置くのが嫌いなので、縦型に背表紙を見せるか、マガジンラック形式で飾るかが理想だと思っている。大きな作りつけの本棚にズラッと並んだ本を眺めるというのは、至福のひとつだと思う。
 しかし、住宅や家具を注文するにあたっては、それなりの知識や根気がいるに違いない。当然、余分なお金もかかる。中には、そこが重要というか、力を誇示するためにやっているので、金をかけることに満足する人もいたりするのだろうが、重要なのはセンス。わざわざ大金をはたいて作ってもらったのにこれか、と人に思われるのもなかなか寂しいので、まあ、自分さえよければいいのかも知れないが、そこら辺は覚悟して臨んだ方がよいだろう。
 さて、危険を伴いながらもやはり憧れる特別注文の世界であるが、もっと卑近な特注というものもあり、それにはちょっとした悲しさが漂ったりする。いわゆる、衣服の特注である。
 思えば、私は体が大きかったので、そういう特注には慣れた人生を送っている。学生時代の制服には確か採寸があり、いわば全員が特注だったので問題はなかったのだが、某市役所の制服とか、某書店の制服のときは、なんだか困った覚えがある。特に上半身が大きいので、ベストのようなものが入らない。結局どうやってしのいだのかよく覚えていないのだが、入らないままでは済まないはずなので、結局特注して作ってもらったような気がする。
 特注ならずとも、下着などは、店頭ですぐに買えないことが多い。取り寄せ、とか言われ、時間もかかるしデザインも少ないなんてことになると、ええもう今度でええわい、てな気持ちになってしまう。なので、その場でぴったりくる商品が見つかったときには、同じものが何枚も欲しくなる。確かジャイアント馬場さんが、海外に行くと入る靴が沢山あるので山ほど買ってしまうらしい、という話を聞いたことがあるが、その気持ちはよく分かる。
 靴の話が出たが、私の高校には制靴というものがあり、これがまた入らなかった。いわゆる校則が厳しい学校で、しかし靴は特注ができないらしく、別のよく似たメーカーのものを使用することになる。それにあたっては、制靴を履かない「許可証」を携帯しなければならなかった。頭髪規制も厳しく、天然パーマの子にも許可証が必要だったはずである。うろ覚えだが、髪の色が薄くまだらになっている女の子が「髪を染めている」と揶揄されて非行に走るドラマを見たことがある気がする。そういえば私は髪の色も薄かった。しかし現在は、誰もが髪を染める時代だからか、私の頭髪は友人の誰よりも黒い。
 最後に、私の特注に関する初めての記憶だが、名前に関するものである。幼稚園の頃、当時はまだ珍しかったであろう、いろいろな名前がアルファベットで型押しされた革製品のキーホルダーがあり、母親が、当時の友人たちの分と合わせて買ってくれることになったのだが、友人たちの分はすぐにあったのに私のものはなかった。それで業者に頼んで作ってもらったのである。そのときは別に悲しい気分にはならず、わざわざ作ってもらったことの方に満足していたと思う。
 しかし現在は、そういう商品自体が多いし、私よりも変わった名前も山ほど想定されているので、もう、名前を特注する必要はないだろう。
(293)

夜神 月(ライト)
【担当】 いろは 【作成日】2008年06月12日 (木) 23時47分

話題になった「Death Note」の主人公の名前です。
映画で、藤原竜也クンが演ってくれました。松山ケンイチ君も良かったです。父親役の鹿賀丈史さんも、あいかわらず凄いです。藤村俊二さんもいい味出してます。エスプリが効いてちょっと得がたいキャラですね♪とってもおしゃれな俳優さんだと思います。

このテの、漫画から映画化されたイマドキSFタッチ(?)は正直おおいにニガテでした。が、これははまりました!女優さんには点が辛いワタクシですから、ミサはちょっと・・・だけど、まぁ、あれは誰がやっても難しい、小悪魔で女神サマだし。見栄え、年齢限られるし、若いってタイヘン。

ストーリーのサワリだけ。主人公 夜神 月は死神リュークと出会い、彼からDeath Noteをもらう。ノートに名前を書かれた人は、一定時間たって特に指定がなければ、心臓麻痺で死ぬ。ライトは凶悪犯などを選び、この世から抹殺してゆく。この犯人(キラ→ライトのハンドルネーム)を捕まえるべく、インターポール(!)から派遣されたのが、エル(松山)で、その警察捜査本部の偉いさんが、父親役の鹿賀さん・・・という布陣です。脇役の死神達、主にリュークとレムですが、アニメと現実が違和感なかったことに、まずびっくり。リュークの声は、中村獅童さんが担当。獅童さんも好きな俳優さんです。ちょっと、顔コワいけど。投げやりで残酷でよくしゃべるワルなリュークと、なんだか武士っぽい(騎士というべきか)無口なレムが現代っぽくて、面白かった。
おおっと、ライトの話でした。
長くなってもなんなので、見所、というか私が選ぶ『ライトのベスト2シーン』を紹介します。

その1---ライトはエルの本名を何よりも知りたい、Death Noteに書きたいから。で、それをつきとめたであろうミサに電話をかけたら、「もしもし・・。」とミサの携帯からエルの声が・・・。勝ったと思って嗤おうとしてたら、大逆転をかけられて愕然として、でも相手に悟られないように押し殺した声で『・・・・・何が、もしもしだ。』悔しさのオーラ爆発、と背中合わせになっている正面→ライト、後ろ向き→エルの立ち位置が良かった。

その2---何と言っても、ラスト圧巻の月の高笑い。人が裁けない、いわば天に代わって悪を斬る立場だった「必殺仕事人」が、しっかり悪魔になっちゃってるという「嗤い」だけど、この表現が凄みと色気満載でした。でも、あれは大人が見るもので、R15指定はしたいところ。鑑賞者の半分はたぶん、ツラいというだろうと思う。でも敢えてそれをやっちゃうところがまた、いいな、と。以上、見たもんチェックでした♪
(292)

深夜
【担当】 前田 【作成日】2008年06月12日 (木) 19時23分

突然だが、これをお読みのみなさんは、最近生活のなかで「深夜」を感じたことがおありだろうか。
例えば「深夜」急に目覚めたり、「深夜」まで起きていたり、「深夜」番組をみたり、など…。あるとすれば、何時ごろから「深夜」になるのだろうか。

私は、ない。
夜が更けても、それを深夜だと感じない。夜が更ければ、朝である。具体的に言えば、私の場合午前2〜3時ごろまでが夜であり、4時だともう朝である。
なぜか。それはおそらく、日によって寝る時間と起きる時間がばらばらだからなのだと思う。3時に寝る日もあれば、3時に起きる日もある。夜と朝はつながっていて、そのどこかで寝るのだ。よって、感覚としての深夜はない。

あと昔にくらべ、深夜は深夜のようでなくなったのではないだろうかと思う。コンビニやファミレスは24時間開いている。最近はファーストフード店とてそうだ。テレビ番組も、今ではいつつけてもやっている。インターネットも当たり前のように24時間つながる。いつの時間帯も世間は動いていて、そして我々はそれに対応していかなくてはならない。
このような理由で、「深夜」が感じられない人も多いのではなかろうか。

夜中、なぜか目が覚める。家族は全員寝ている。テレビをつけても砂嵐。窓の外をみると、どこも寝静まって、街灯さえ消えている…
そんな「深夜」がなつかしい。そういう、すべてが活動を休む時間というのは、もう来ないのだろうか。
(291)

タクシー
【担当】 はしもと 【作成日】2008年06月11日 (水) 01時02分

準備中
(290)

捕まえ方
【担当】 豊田 【作成日】2008年06月06日 (金) 22時42分

 先日、ドライブに行ったところ、池の真ん中に何だか泡立っている場所があった。車で通り過ぎただけなので、それがなんだったか確かめもしなかったのだが、そういう場面に遭遇したとき、本気にしろ冗談にしろ、ついついネッシーのことなんかが頭をよぎってしまうのは、私だけではないだろう。
 未確認生物の伝説というのは各地にある。一番有名といっていいのがネス湖のネッシー。ヒマラヤには雪男がいるし、アメリカ・カナダのロッキー山脈といえばサスカッチである。サスカッチはビッグ・フットという方が有名なのかも知れないが、私が子供の頃読んだ本ではサスカッチと表記されていた。
 その本の題名は『なぜなに世界の大怪獣』である。ネッシーや雪男などの未確認生物に加え、ナウマン象系の古代動物や、麒麟や河童など伝説上の生き物について記された、子供向けの図鑑だ。―と、ここまで書いて思い出したのが、私はこのしりとりブログの「雷獣」の回で、この図鑑について言及している。よほどのお気に入りかつ、インパクトが強い本だったということなのだろう。
 さて、お気に入りはお気に入りとして、その図鑑には非常に「こどもだまし」な要素があった。いや、それで随分とワクワクしたのだから、こどもだましというのは人聞きが悪いのかも知れないが、大人になった今、冷静に考えてみると「んなアホな」なのである。
 中でも白眉は、「ネッシー生け捕り作戦」というページであった。なんでも、ネス湖のネッシーを捕まえると莫大な賞金がもらえるらしい。そこで、捕まえ方を工夫してみようというのであるが、その例がとんでもないのである。
「湖に強い電気を流し、ネッシーがショックで気絶したところを捕まえます」
「湖に毒液を流し、ネッシーがしびれて動けなくなったところを捕まえます」
 などの、環境問題を全く無視したものや、
「ネッシーの頭の上からとても冷たい液体を撒いて、かちかちに凍ったところを捕まえます」
「ネッシーに麻酔弾を打ち込んで眠りガスを出し、眠ったところを捕まえます」
 といった、問題の根本が間違っているものなど。そもそも冷凍液を撒いたり麻酔弾を打ち込んだりするためのネッシーの実体が確認できるのなら、苦労は要らないのである。
 ネッシーについては、先ごろ、代表的な写真とされていたものについて、関係者が捏造を告白して話題になった。むろん、「ネッシー生け捕り作戦」の記事を真剣に読んで楽しんでいた私の子供時代はとっくの昔に終焉していたのであるが、なぜだかちょっと残念な気がした。

 捕まえ方といえば、『じょうずなワニのつかまえ方』という本がある。様々な物事について、そのハウツーが書いてあるのだが、これが役に立つのか、と言われれば、そうとは限らない。「吸血鬼の見分け方」や「フラミンゴの羽を紅色に保つには」といった方法を知ったところで、それを役立てられる人はかなり少ないと思う。
 ちなみに、この本で「ワニのつかまえ方」は最後の項目として出てくる。小さなワニなら頭の真後ろから片手でしっかりつかみ、もう片方の手で足を動かせないように押さえながら胴体を抱える。大人のワニなら上アゴと下アゴをしっかり閉じ、引けばきつく締まるロープを鼻の上からかけて、大勢でよってたかって捕まえるそうである。
(289)

桃太郎伝説
【担当】 いろは 【作成日】2008年06月05日 (木) 20時50分

「桃太郎伝説」と「桃太郎電鉄」
どちらもファミコン・ゲームの傑作です。特に後者は何度も続編が出て、ヴァージョンアップされました。結構買いました。前者はロールプレイングゲームだったから、初期のドラクエ同様に、意味のない文字を書き取ってはゲームを続けていた。パスワードね。だんだん長くなって、一言一句間違えないようにと結構神経使った。

それでも間違えて、涙・涙・・・。

確かに『桃鉄』の方が人気高かったし、それはわかるんだけど、『伝説』も昔話の味が十分生かされていて、結構楽しかった。登場キャラ「勉強の鬼」や「金銀・パールプレゼントの鬼」とか、笑わせてもらった。音楽もよかった。不埒だけど、桃太郎が鬼に放つブヮシッ!という擬音、ろっかく仙人の技、「ろっかくーん!」の後の、キラリン☆の音とか、なかなか凝ってたなぁ・・・と今にして、思う。ちなみに「ろっかくーん」をくらうと、ダメージが倍★になるので、あの音は心臓に悪かった。と、いうふうに面白がってたくせに、「今時の子供は、ゲームで昔話を知るのかい?ふん、世も末じゃ・・・。」と私の中のオババ心がブツブツと・・・われながら嫌な奴。しかし、それもいまや昔・・・。現在は、元話のサワリしか知らない子供も多いんじゃないのかな。

桃鉄は、電車好きの男の子と、お手軽に遊ぶにはもってこいだった。さりげなくファミリーで楽しめるのはありがたい。旦那はアウトドアスポーツ派ではなかったので、休日の空いた時間に子供と楽しめたと思う。なんだか、このゲームはお父さんが旗色悪くて、結構ビンボー神を抱え込んでいた。不機嫌そうだったが、大人がしかたなくつきあってやってやる、というより、不機嫌でも一所懸命やってる方が、子供も、ぜったいのる。休日に小さい子供の相手は、オトーサンも疲れるだろうが、ナニ少しの間だけよ。そのうちまとわりつかなくなる。後で埋め合わせようってったって、そうはいかない…
わたしは、これで、結構、各都道府県の位置、都市名、それと名産品を覚えた・・・ような気がする。思わぬ副産物だった♪

いまや、ゲームはやらなくなった。「ファイナルファンタジー」なぞ、まだ続いているという。懐かしい限りだ。それでもまたやってみたい、とは思わない。
初期のもの、たとえばスーパーマリオカートとか、トランプとかダイヤモンドゲーム、昔ながらのは、やりたいけど。
(288)

車はあくまでも
【担当】 前田 【作成日】2008年06月05日 (木) 19時42分

♪車はあくまでも 快適に暮らす道具 車にのらないと いけないわけではないぜイェーイ♪

奥田民生『And I love a car』の出だし部分である。この出だしの後、まさに車へのラブソングとでも呼べるような歌詞が続く。

以前から車が好きである。どこがといわれたら、うまく答えられない。まず見た目が好きだ。そして駐車場に自分の車があると安心できる。運転することは何より好きであるが、むしろ運転席に座るだけで落ち着く。私が車に乗らない日があったとすれば、それは車が壊れた日ぐらいだろうか。

しかし私自身、車好きでありながら、車なんて嫌いになってしまいたいと思っているのだ。
ガソリンの価格高騰、渋滞、環境汚染、事故の危険性、あと運動不足…自転車でどこへでも行っていたころがなつかしい…。

だけど、だけど、乗らずにはいられない、好きにならずにはいられない車。この気持ちは何だろう…
と、考えているとき、ふと民生氏のこの曲を思い出した。
そうか、だからなのか。車をやめられない理由は。妙に納得してしまった。
そして、おそらく私だけではないはずなのだ。車に恋をしてしまった人は。職場のガラス戸から外を見ると、いつも車で道が詰まっている。自転車を使ったほうが早かろうに。
もし彼らに車に乗っている理由を聞いたとしたら、半数はきっと答えられないだろう。恋に理由なんてない、ということか。
歌はこう続く。♪だけど好きなんだ いいだろ こんなにも 愛しているよ♪

(ブログ1日遅れてごめんなさい)
(287)

胃腸薬
【担当】 はしもと 【作成日】2008年06月03日 (火) 21時35分

投稿準備中
(286)

犯罪
【担当】 豊田 【作成日】2008年05月30日 (金) 12時07分

 ドラッグストアのヘアワックスに画鋲を入れた女子高生が捕まったそうだ。
 異物混入という犯罪自体はそう珍しいことでもないのだろうが、逮捕の経緯というのが、彼女が自分のブログにその行為を書き込んでいたことにあるらしいから、なんともお粗末な話である。
 しかし、ここでの教訓はもちろん、「ブログは誰が見ているか分からないのですから軽はずみなことを書いてはいけません」ということではなく、商品のヘアワックスに画鋲を入れる行為は犯罪なんだぞ、ということにある。きつくお灸をすえてやってほしい。
 ただの悪ふざけのつもりだったのか、本当に誰かが怪我すればいいと思っていたのか、心情は分からないけれど、ブログに書くという時点で、彼女は「犯罪を自慢」している。そこがなんとも幼いなあと思う。
 思えば、自分がいかに不良だったか、ということを語る人は多い。こんなに粗暴な行いをしたとか、自分がいかに力を持っていたかとか、明らかに社会秩序に反することでも、過ぎたことは過ぎたこと、それはいつの間にか武勇伝となってしまうのである。
 確かに、年配の人からオヤジのヤンチャ話として当時の社会風俗をまじえて聞くのなら、興味深いことがあるのも事実だ。しかし、若造はいけない。
 よく覚えているのは、大学のとき、路上駐車の自転車は鍵がかかっていなければ乗って帰っても大丈夫、と言った人のことである。酒が入っていたこともあるのだろうが、飲み会の帰り、彼はそれをその場で実行しようとしたので、女性陣がよってたかって「ホンマにやめて。ホンマにやめて」と必死で止めた。それでも彼は不服そうに、過去そういう行為を繰り返してきたことを語っていたと思う。彼の中では武勇伝、しかし、現実的な女性たちにとってみれば、それはただただ白ける物語であり、私をそんなことに巻き込まないで、ということでもあった。
 武勇伝を感心して聞いてくれる人なぞ、そうはいないのだ。

 画鋲混入の犯人は女性だが、そういう自慢をするのは男性が多いようにも思う。つきつめればむろん個人差にしろ、男性は社会的にも、自分を大きく見せなければという切迫感にとらわれることが多いだろうし、意外と精神が幼なかったりもするのだと思う。
 しかし、やれやれと思いながら、女性は男性のそういう部分を愛して黙っているようなところもある。だから、それほどの心配は要らない。

 今回の画鋲混入を、かわいらしいものだと許してしまっては絶対にいけないが、それにしても最近は陰惨すぎる事件が多くて、しょっちゅう心がへこんでいる。何しろ、隣人に細切れにされてトイレに流されるご時世なのである。これ以上はないだろうと思っていても、まだ上をいくようなひどい事件が出てくるのは本当に恐ろしい。
 ケロッとした顔で「そこに女がいたから」と暴行して殺してしまう彼は、蟻を引きちぎる子供と同じで、本当に幼い。そして残念なことに、それをやれやれと許してくれる人は、もう誰もいない。
(285)





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