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MoDoKiのしりとりブログ

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お洗濯の季節や
【担当】 はしもと 【作成日】2007年07月15日 (日) 12時08分

雨が続く。10年使った洗濯機を買い換えようと思う。
乾燥機能がついて、除菌できるやつがいい。

思い立ったら、まずネットでチェック。
今回は、買い換えなので、設置やリサイクルのことを考えて、
近所の家電量販店で購入するつもりなのだが、とにかくネットでチェック。

あれやこれやと、情報が溢れている。
洗濯機についてのウンチク、メーカーの悪口、故障情報、
長所、短所…。
どうやら、洗浄力と使用水量、乾燥時間などがポイントらしい。

あれもいいし、これもいまいち…。
決まらないのである。

たぶん、この週末に家電量販店に出向いて、
店員さんと話して、まあ、これでいいか、となる。
たぶん、ネットの情報は関係なく購入するだろう。

抱えきれない情報を、何ひとつ活用できない自分がいる。
単に買い物ベタなのだろうが、
ネットの世界に答えは見つからない。

もうすぐ梅雨があける。真っしろな雲のもと、真っ白な洗濯物は気持ちいい。
といいつつ、乾燥機付きが欲しい。
目的と実行が伴わない日々が続く…。
(147)

【担当】 いろは 【作成日】2007年07月10日 (火) 19時32分

伊佐坂先生って、旧タイプがいたんだ〜、びっくり。フルネームも初めて知りました。

さて、「顔」がある‐で始まるCMが昔あった。この前チラッと似たようなのを見た気がする。名作だったから、アレンジして作り直したのかもしれない。
作家の山口瞳さんがかつて、勤めていた会社のCMだった。
顔がある、愛がある、憎しみがある。老人がいる、若者がいる、男がいる、女がいる、出会いがある、別れがある、明日がある、サ○トリーがある…。もっといろいろあったと思う。映画の断片をはりあわせた画面作り、対比する言葉、呟くようなサウンド。とても素敵で、今でもCMマイベスト1。

ビリー・ジョエルの歌に、「ストレンジャー」がある。この詩も結構穿ってる。
Well we all have a face、that we hide away forever・・・
人は皆、もう一つの顔を持っている。あるものはサテン、あるものはスチール(鋼鉄)、シルク、革でできた見知らぬ顔。

ずいぶん前になるが、リトルワールドのアフリカ展で「お面の展覧会」を見た。
名も知られぬ作者達が彫ったお面の数々。同行者が呟いた・・・これを作った人はどんな気持ちで彫ったんだろう?・・・ずらり並んだ「生きたお面」は夜の守衛さん泣かせだ、たぶん。

人は、どうしても顔が気になる。
TV特番「ビューティ・コロシアム」なんぞやると翌日のお昼休みの話題は盛り上がる。
すごい変わったよね〜と皆が口々にほめそやす。だからって、皆、そう簡単に私もやる☆とはならない。技術は昔より進んでいる。でも、「顔」だけに限って言えば、土台なんだよね。
(146)

いささか
【担当】 豊田 【作成日】2007年07月10日 (火) 00時00分

 今回のお題「いささか」には、数量・程度の少ないさま、僅かばかり、などの意味がある。武家言葉のような響きがやや重々しく、「少し」「ちょっと」を文語的に改めた言葉という印象だ。
 しかし「いささか」と聞いて多くの日本人がまず連想するのはやはり、「伊佐坂先生」ではないだろうか。伊佐坂先生とは、サザエさんに登場する小説家、伊佐坂難物のことである。
 伊佐坂難物は、磯野家の隣人として漫画『サザエさん』に登場する。名が売れた大物小説家であるらしく、サザエはすでにファン。一家で引越してきたところをのぞきにいって奥さんに見つかり、御用聞きのふりをしてごまかしたりしている。しかしその後、伊佐坂夫人はフネの女学校時代の同級生だと判明。親密な近所づきあいが始まる。
 一方、あまり知られていないかも知れないが、伊佐坂一家を主人公にした『似たもの一家』という作品もある。こちらの伊佐坂家の隣人はサザエ、ワカメ、タラオにとてもよく似ている。しかし彼らは未亡人と2人の子供という関係であり、姓も「とんだ」というようだから、磯野家ではない。
 週刊朝日に連載されていた『似たもの一家』は、『サザエさん』の朝日新聞夕刊での連載が始まったのを機に終わる。昭和二十四年の四月から十二月までの短い命だったようだ。
 伊佐坂先生は、アニメのサザエさんにも磯野家の隣人として現在も登場し続けている。登場したのは多分、私が中学生くらいの頃だった。登場の仕方も、先に書いた漫画のサザエさんと同じで、サザエが引越しをのぞきに行って御用聞きのふりをするくだりもある。長女のウキエにカツオが一目ぼれ、なんて一幕もあった。
 その前の磯野家の隣人は浜さんという画家の一家で、漫画の方にはそれらしい一家は登場していない。強いて言えば、サザエが「今川ツネオ」という画家の作品展を観にいく話があり、その今川ツネオがアニメの浜さんに似ていると思う。
 と、すっかりサザエさんバナシになってしまったが、もうひとつ。実はアニメでは、浜さんの前にも磯野家の隣人がいた。それはなんと、伊佐坂難物という小説家なのである。
 しかし、そちらの伊佐坂先生は現在の伊佐坂先生ではない。旧伊佐坂先生は、今とは違って丸顔。被りの浅いニットキャップのような、頭にぴったりした帽子を被っていた。奥さんも、いわゆるざあますメガネをかけた色白で丸顔の人で、年齢もフネよりはサザエに近かったような印象があった。
 そもそもその隣人がなぜ伊佐坂先生になり、誰をモデルにしていたのかは分からないが、時を経て再び伊佐坂難物を登場させるにあたり、原作に出てくる人物により近い形に設定し直されたのだろう。その設定で現在までしっくりいっている訳だからそれでいいのだろうが、おかげで旧伊佐坂先生の存在はいまや「なかったこと」にされてしまっている。変な帽子を被った様子が子供の目に作家然としていてよかったのか、旧伊佐坂先生のことはけっこう気に入っていたような記憶があるから、残念といえば残念な気もする。

 さて、今回のブログ更新だが、投稿時に日付が変わってしまった。その差1分という惜しいところで「いささかの」遅刻になってしまった。これはいささか悔しい。
(145)

いいかげんにしなさい
【担当】 はしもと 【作成日】2007年07月06日 (金) 19時57分

と、お母さんが怒る。
子供たちは加減なんてわからないので、やりたい放題。
いくつになったら、子供たちは加減がわかるのだろう。
加減がわかるころは、もう、可愛くないんだろうなあ。

ほど良い加減、いい加減。

高田純次サンが、そのテキトーさ加減で人気らしい。
ボク自身、いい加減なところが多々あるけれども、
テレビで見る高田サンは、徹底していい加減で、
徹底できない僕も「なんかいいなあ」と思うのである。

徹底できない世の男性たちが、
高田サンに憧れるのは理解できるのだが、
なんだか女性にも人気があるようで…。

女性たちは、男のどんなところに魅力を感じるのか?
やさしい人、包容力のある人、まじめな人、
やんちゃっぽいところ、かっこいいところ…
う〜ん、強いて言えば、高田サンはやんちゃっぽいかなあ。

女性が感じる男性の魅力にも、やはり流行があるのだろう。
ちょっと前はちょいワルオヤジで、たぶん今は、高田サン。
で、次はルー大柴サンあたりで、その次はボクでしょうか。

流行仕掛け人の皆さん、そろそろボクの時代ですよ〜。
いい感じで、売れっ子にしてくださ〜い。
(144)

着物と女性
【担当】 いろは 【作成日】2007年07月05日 (木) 18時21分

続けて、森が担当いたします。

着物を着る機会がめっきり減った。
着物は嫌いじゃない、むしろ好き。誤解を恐れず言わせてもらうと、わたしは着物のほうが洋服よりも似合う、なで肩だから。でも、着物を着ていく場面は本当に減った。パーティだ観劇だ、で着物を持ち出すほど、ここは都会じゃないし(見栄ハリマシタ…そんなトコへ着てったことなんかアリマヘン)、もちろん最大の理由は、活動的でない、あと、汚さないように気を遣うのと、なんてったって面倒だ。入学式、卒業式、結婚式など式典くらいは…と思わなくもないが、準備、美容院、着付け・・経済的にも時間的にもウ〜ンとなる。子供が小さい時は、頭からその選択肢は飛んでしまってた。

最近は、外国人でも着物を上手に着こなせる人が結構いる、すばらしい。逆に若い日本女性で、着物の基本を知らないで洋服感覚で着くずす人も多い。特に浴衣…見るも無残な花火大会、ということがある。
若いころ日舞を習っていたので、着物はなじみがある。着物のファッション雑誌は美しく、見ていて飽きない。わが尊敬する女優さん達はいずれも着物の演技も着こなしも上手かった。
着物の美しさというと、みな振袖、付下げ…よそ行きの礼装を想像するだろうけど、勿論それもいいのだけれど、本当のよさはじつは、普段着の着物にあると思う。小紋、絣、紬・・・これを粋に着こなせたら、かなりの「通」である。神々しくて、ひれふしたくなる。洋服はアクセサリーなど、プラスしていくファッション、着物は削いでいく美なのではないかなぁ。
でも、どんどんその世界は失われていくのかと思うと、やはり寂しい。

蛇足ながら…襟元は暑いからといって開けない、後ろも抜きすぎない、おミズになります。
二の腕を出す、脛を出すなんざ、論外。
(143)

睦月
【担当】 いろは 【作成日】2007年07月03日 (火) 20時27分

睦月・・・旧暦で「一月」、私の誕生月です。
一月は特別です、もちろん個人的な理由じゃなくても。
お正月は原点へもどること。十二月で一年間積み上げたものを収めて、またスタートしましょう☆それにともなうお約束のお正月休み。お約束事のもろもろは簡略化されたり、様変わりしたけれど、お正月の雰囲気は変わってほしくないな。
なんてったって、軽くて、ホワ〜ンとして、のんびりしているのがいいな。
おうちによって、初詣だったり、代々木へラグビー観戦だったり、初スキーは毎年蔵王だとか、芸能人のようにハワイで・・・いろんなお約束事ができるのも平和の証。そうやって家内安全、世界中がお正月ムードだったら、「睦まじい月」というのにぴったりだ。

野田秀樹さんの初期の作品に、「小指の思い出」というのがある。この前BS2で深夜やっていた。野田さんの戯曲は難しい。詳しい筋はここに書かないが、妄想の少年達というのが登場する。
それぞれ、カスパ一月、三月、六月、八月。妄想なので、実体はない役である。
改めて、4つの月を並べてみるとそれぞれの持ち味が際立つ、しかも厄介な月ばかり。
それを背負わせて少年を描く野田さんはやはり非凡だ。しかも「三月」以外は女性が演じる。
今まで、一月の損なところばかり気になっていた。春生まれに羨望の念を禁じえなかった。星の強い四月生まれ、あこがれの五月生まれ。二つとも「スター」月だ。
でも、地味と思っていた自分の一月が、四月・五月を押しのけて役として演じられているのは、ちょっと気分良かった。1個で存在を強調するものと、他のものとのコントラストによって際立つ「個」…そんなことを見直した。


(142)

リップクリーム
【担当】 豊田 【作成日】2007年07月02日 (月) 23時34分

 リップクリームを使わない。
 耳はかなりの福耳で、ピアスの穴が5個は空くだろうし、手のひらも真ん中がくぼみ、手を広げた状態で水をすくっても漏らない感じ、これも幸多き相だそうな。しかし、唇は薄い。
 唇が薄いのは薄幸の相ということになるらしい。それでなくても女性としては、ある程度は厚みのある形の整った唇にあこがれるものである。ちなみに私が「唇の形が完璧」と思う女優さんはジリアン・アンダーソン。今の活動状況はよく知らないのだが、かつて一世を風靡したドラマ『Xファイル』にて、スカリー捜査官を演じていた人である。私が男性だったとしたら間違いなくタイプだろう。
 と、そんなことはどうでもいいのであって、リップクリーム。唇が薄いことが関係しているのか、リップクリームが欲しいと思う瞬間が全くない。
 一方友人には、リップクリームを手放せないという人がいる。外出したときに「リップクリームを忘れた」ことを思い出すと途端に落ち着かなくなる。リップクリームがないことひとつですっかり情緒不安定、結果、コンビニに駆け込むことになるので、同じリップクリームを何本も持っている。
 男性にも、いつもリップクリームをつけている人がいた。最近はそういう姿をあまり見ないので、何か理由があるのかも知れないけれど、いきなり唇が荒れなくなったというのもおかしな話だから、あれはタバコと同じようなクセのもので、口寂しいときに使う嗜好品のような役目を果たしていたのかも知れない。リップクリームにはメントール系の成分が入っていたりもするようだけれど、もしかしたらニコチンと同じように常習性があるということも考えられる。
 あまりに野放図に生きているもので、ときどきは反省して、風呂上りのローションとか、うるおいを保つクリームとかを衝動買いすることもある。リップクリームも然りである。しかし結局、ろくに使わないまま古くなってしまう。そういうものを使いこなす資格が、この年齢になってもまだないのである。

 最後に、リップクリームに関わる事件をひとつ。
 ある日、車のサイドブレーキが下がらなくなった。一応動くのだが、車内のブレーキランプ表示がついたままになってしまうというゆゆしき事態。仕方なく修理に持っていき、お金がいくらかかるだろうかと心配していたところ、
「こんなものがはさまってたよ」
と、小さなリップクリームを見せられた。そういえば思い出したが、昨日乗せた友人が、「リップを塗ろうと思うのにない。どこかに落としてきた」と車内で騒いでいたのだ。
 リップクリーム1本といえどなかなかあなどれない。危ないところであった。
(141)

宇野総理
【担当】 はしもと 【作成日】2007年07月02日 (月) 21時08分

宇野宗佑。女性スキャンダル+参議院選挙での敗北を受け退陣した総理大臣。
しりとりブログで、このテーマは、まったく訳がわからない。

俳句を嗜む、粋な人であったらしいのだが、ダメな人のイメージしか残っていない。
イメージってこわいのである。

僕の高校生の時の夢は、総理大臣であった。
あほだったが、馬鹿ではなかったので、総理大臣の仕事は一応理解した上で、
総理大臣になりたかったのである。

社会人になってはや10数年。仕事って決断していくことの連続だと実感しているのだが、
日本で一番の決定権者の総理大臣になろうなんて、怖ろしいことを考えていたものである。

要は、自分の回りの環境に、不満があったのである。
なんとかしなくては!と、若い僕は総理大臣になることに決めた。

決めてしばらくして、その器じゃないと思い知る。あきらめる。
早すぎるあきらめは、どんどん連鎖していき、
総理大臣、弁護士、教員、記者、料理人…をあきらめ、今の仕事をしている。

何故、今の仕事をしているか。あきらめる前に仕事が迫ってきたからだ。
総理大臣の職務が迫ってきたら、やっていただろうか。
総理大臣に限らず、アナウンサーなんてどうだ。役者とか…。
主夫ってのはどうだ?

宇野さんは、わずか69日で退陣した。
彼は若い時、総理大臣になりたかったのだろうか。
(140)

右往左往
【担当】 豊田 【作成日】2007年06月28日 (木) 23時25分

 今週の木曜日は豊田が担当いたします。

 かなり以前、テレビでこんな実験をやっていた。
 まず、被験者をニセの面接で呼び出し、複数のサクラとともに一室に待機させる。それから火災報知器を鳴らし、いかにも火事が起きているふうを装って、部屋に煙を入れる。
 このような状態になれば、普通、人は慌てるはずである。しかし、サクラは全員落ち着き払って我関せずという態度をとり続けている。互いに他人同士という設定なので口も聞かず、逃げようともしない。すると、火事かも知れないと思っているはずの被験者はどうなるか?
 なんと、かなりの確率で、彼も逃げるための行動を起こせなくなってしまうのである。皆が落ち着き払っているので大丈夫だと安心してしまったり、ひとりで右往左往すると白い目で見られそうで恥ずかしい、という心理が働いたりするらしい。結果、煙がもうもうと立ち込めた部屋でぼんやりしている被験者もいた。実験の詳しい内容は忘れてしまったが、人間の危機管理意識が薄くなっているのに加え、このような集団心理が、火事などで大勢の人が逃げ遅れる事態を招くのだと説明していたと思う。
 こんな実験をされて、周囲がテコでも動かないのに私が逃げられるかといわれれば、ちょっと自信はないのだが、そもそも私はすぐに右往左往してしまうタイプである。ちょっと変わったことがあると、散歩に行く前の犬のようにすぐにテンションが高くなってしまうので「落ち着け、落ち着け」と制されることもしばしばだ。
 ありがたいことに、そういう私の性格をそれなりに受け止め、寛容に見守ってくださる方も沢山みえる。しかし中には、少しぐらいのことで何を右往左往してるんだとばかり、明らかに小バカにしたような態度をとる人もいる。そういう人たちには、今まで何度も笑われてきた。
 しかしだ。確かに右往左往するのはみっともないことであるが、喜怒哀楽を表に出さずに気取っているのがそんなに立派なことなのだろうか。何かあったときに落ち着いて機敏な行動が取れるとか、頼りがいがあって的確な判断ができるとか、そういうことなら何も問題はないし、是非見習いたい態度である。だが、人を小バカにする程度の器量しか持ち合わせない人間では、まずそんなことはない。右往左往する人間を見下して自分はさぞ落ち着いているつもりかも知れないが、その実、やるべきことが何も分かっていない愚鈍ぶりを発揮している場合だってあるのである。
 慌てたり失敗したりして笑われるのは恥ずかしい。だけど、格好ばかりつけて笑われないよりは、そっちの方がよっぽど人間らしいのではないかと思う。
(139)

ゲゲゲの鬼太郎
【担当】 いろは 【作成日】2007年06月26日 (火) 18時27分

ゲ・ゲ・ゲゲゲのゲ〜、朝は寝床でグ〜グ〜グ〜。
この漫画ずいぶん前に読んだ。テレビも何回再々放送を見たか数知れない。もの凄くロングセラー。それだけ年齢幅も広く、性別も問わないということだろう。♪
でも先日、最新版を見てぶったまげた。

何と言っていいのか…(絶句)。
私のイメージの「鬼太郎」と全然違うやん!原型もとどめてない、唯一同じだったのは、「めだまのとうさん」だけ。猫娘なんか完全に元キャラと、違う。ちゃんちゃんこもなんだか垢抜けちゃって〜・・・なんでも最新版にして、「今の子たちにもウケルように」という不変のコンセプトなんだろうけど、なんだか、『ブルータス、おまえもか!』

なんせ、ワタシの鬼太郎ちゃんワールドは白黒なのである。白黒TVを見たことない皆さんには想像しにくいと思うが、怪談は白黒にした方が怖さがUPする。闇に潜むものを想像する怖さ、影の怖さ、浮かび上がる形相と人の目の恐ろしさ!!多少のアラはわからなくなる。
最新版はなんだかカラフルで格闘モノなのである、目がチカチカ。真夜中って都会はいざ知らず、本当は漆黒の闇。それは自分の手すら見えない。
一番怖かったお話はナニ?と、問われれば、迷わず『イースター島奇談』。
30分でそれはそれはゾッとする世界へTRIP。何回観てもコワイ。めちゃめちゃ怖い主役妖怪じゃなくて、心理的な怖さ。音響の効果も抜群に効いている。
今の子供にこそ、ああいう大いなるものを畏れる思いというのは、必要なんだと思えてならない。ちなみに、わたしは砂かけオババのファンです♪次いで一反木綿。
(138)

きくらげ
【担当】 豊田 【作成日】2007年06月25日 (月) 23時50分

 きくらげというのはクラゲの仲間で、だから海に住んでいる生き物だと思っていたようなフシがあるが、むろんこれは間違いで、れっきとしたキノコの仲間である。漢字では「木耳」と書き、確かに木に生える耳のような形をしているから、うまい字をはめたものだと思うが、だったらなんで「きくらげ」と発音するのか、よく分からなかった。
 キノコということが分かってからも、わざわざ買って食べるようなことはしていなかったのだが、数年前に行った中華料理屋で頼んだ木耳の炒め物がめっぽう美味しかった。同行した人たちみんなが気に入って、以来、その店に行くたびに真っ先に頼むようになった。
 美味しいと分かれば自分でも作ってみたいと思うのはこれ人情というもの。キノコがカロリーをほとんど持たないというのも、もちろん魅力的な要素である。たいていは乾燥して売られているそれを買ってきて戻し、他のキノコ類も入れてキノコづくしの炒め物を作った。家族の評判がどうだったかは忘れてしまったが、コリコリとした食感はなかなか歯ざわりがよくて気に入った。そこで初めて、それが「きくらげ」と呼ばれる所以は、このくらげに似た食感にあるのではないか、と思い当たった次第である。

 しかし、私のきくらげに対する最初の思い出は、実はそこにあるのではない。
 小学生だった頃、NHKで『クイズ面白ゼミナール』という番組があった。名物アナウンサーだった鈴木健二さんが司会をしていた、人気番組である。何チームかに分かれた解答者たちがアカデミックな趣きの問題を解き、優勝チームはクウェスチョンマークの形をしたトロフィーをもらう。そのマークは前後左右どこから見てもクウェスチョンマークに見えるように作られており、ちょっと欲しかったのを覚えている。また、鈴木さんはゼミナールの教授のような役回りだったため、解答者に答を促すときに「はい、書きなさい」「答えを見せなさい」など、やや命令口調で司会進行していたのも、番組の特徴だった。
 鈴木さんは当時、『気くばりのすすめ』という著書を上梓し、ベストセラーとなっていた。私もなぜか、続刊の『続・気くばりのすすめ』まで持っていて、愛読していたものである。我ながら変わった小学生であった。
 さて、そこで「きくらげ」なのだが、番組の問題として登場したのかといえば、実はそうではない。まったく別の番組で、伊東四朗さんが『クイズ面白ゼミナール』のパロディを演じていたのである。
 鈴木健二さんに扮した伊東さんは、面白ゼミナールの司会でコントをしながら、自分が書いたという『きくらげのすすめ』という本を取り出した。そして「さあ、買いなさい」と、解答者たちに迫ったのだった…。

 という訳で今回は意外な展開であったことと思う。しかし私はいまだに、「きくらげ」という言葉を聞くと、『きくらげのすすめ』というあの本を思い出してしまうのである。
(137)

とっておき
【担当】 はしもと 【作成日】2007年06月25日 (月) 20時26分

とっておきのプリンが消える。
ああ、そういえば、プリンがあったなあ…って思ったときにプリンが消える。
やきそばUFOや、お土産で貰った地ビール、戸棚の奥にあったはずのフライビーンズ、果てには冷凍庫のPINOもよく消える。

とっておきの、アイデアが、パクリだと気付く。
マッキーではないけど、心に留まっていた、とっておきのアイデアを使おうとして、
よ〜く考えてみると、ああ、あそこで見たねってことになる。
とっておきが使えない。

とっておきの言葉が、しれっと流される。
伝えたい言葉が、しれしれっと流れていく。
誰の記憶にも残らず、僕の記憶からも消えていく。
流れた言葉は、どこへ行くのか。

「お〜い、とっておきたちよ、帰ってこ〜い!」
「あほやねえ、とっておくからイケナイんだよ〜!」

そもそも、とっておきは、毎日更新されていかなくてはならないんである。
そうそう、ブログもね。ごめんなさい…。
(136)

ノート
【担当】 はしもと 【作成日】2007年06月22日 (金) 19時48分

今週も、木・金ともに、はしもとが担当します。
といいつつ、更新遅れてすみません。

さて、本題。

先日、事務所を片づけていたら、古いノートを発見。
なにやら昔のネタ帳らしい。(漫才師ではないです。念のため)
何を書こうとしていたのか、僕の汚い字で
意味不明の文章が並び、挙げ句、
3ページ程進んだところで、破りとられていた。
あとは何も書いてない。

たぶん、7〜8年前のノートだと思うのだが、
いつ何のために書いたのか、まったく不明だ。
もちろん、破られたところに何が書いてあったか、
知る由もない。

何を書いたんだろう。

7〜8年前の自分が何を考えていたのか、思い返してみたが、
そんなもの出てくる訳もなく、
先週何を考えていたかさえ、はっきりしないのに…。
そもそも、ノートは、記録に留めておくツールのはず。

そんなに記憶を消したかったのかい?
ねえ僕? 聞いてる? 記憶は消えたよ、これでいいかい?
(135)

安物
【担当】 いろは 【作成日】2007年06月19日 (火) 19時20分

古人曰く「安物買いの銭失い」。
またしても!と思いつつ、人はなんで同じことを繰り返すのでしょう。

衣料品、食料品、日用雑貨・・・あらゆるものを、毎日買って生活している。毎日毎日、新聞と一緒に届く凄まじいチラシの量!「お買得」と「SALE」の文字が躍ってル。本当に「お買得」だったら、お店側はやっておれんダロ〜ガ?とツッコミ入れつつ自分が行けそうな範囲を見てみる。主婦のカガミ(?)は端から端までくまなくチェックして、お店の傾向とか、あと、この品は何曜日が底値☆とかをつかむのである。今はもうそこまで、できやん。時間、気力それと意地もない。
よくやったなぁ〜とつらつら思い出されるのは、やっぱりコドモのBABY時代。
紙おむつのバーゲンの日は絶対チェックしてた。 
バーゲンでも、チラシにデカデカ謳ってある「安物」にゆめゆめ手を出してはなりませぬぞ。消耗品はいいのデス。「消えもの」に無駄なお金使うと、後で「損した」感がつのる。でも、紙おむつは結構コダワってたかな?

巷に百円ショップが増えた。上手に利用すれば結構助かる。なんと、ネクタイだってある。ただ、これらをついついストックするほど余分に買っちゃうと、もてあます。安いからって要らないのにストックすると「安物買いの・・・」にハマる。百円ショップの品物は大量生産できるから安いわけで。でも、それって、なぜか飽きる。飽きたものは捨てられる、か、悪い意味の埋蔵品と化す。なんでもかんでも安きゃいい、というのは私は、疑問。安いと捨てるのに抵抗感が少ない。大量に買って大量に捨てるのって、エコでないのは勿論、やっぱり美しくない。良い品を季節はずれとか閉店とかで**%OFFで買うのはいいの。これは「安物買い」とは違う。
高くても、いびつでも、一品もので、心を捉えて離さないものってある。必要か、必要でないか、いつも心でしのぎを削る・・・とは、おおげさか。でも宝くじに大当たりして、イッキに「杜子春」生活するのと、果たしてどっちがシアワセなんだろ?
(134)

居酒屋
【担当】 豊田 【作成日】2007年06月18日 (月) 23時56分

 お酒は弱い方である。
 それでも学生の頃は先輩たちにつきあって少しは飲んでいたから(成人してからですよ)、強いとも弱いとも思ってはいなかったが、大阪に就職したとき、一緒の部署にいた2人がいわゆる「ザル」で、「はっきり言ってあなたは弱い」と宣言された。
 その後三重に戻り、仕事帰りに職場の人と飲める場所へ行く機会が増えた。しかし、自動車で通勤するようになっていたため、結局飲むことができない。飲む機会はほとんど失われることになった。
 飲む機会がないと、どうやら肝臓はお酒に対して適応能力がなくなるらしい。久しぶりに泊りがけでの同窓会に出かけ、やれ嬉しや今日は飲める、と思って飲んだらぶっ倒れてしまった。人に迷惑をかけるのもよくないので、以降、自粛している。
 幸い、飲まなくてもストレスは感じないタイプである。重ねて、車の運転も嫌いな方ではないので、飲み会では運転手を買って出ることが多い(ただし車内で吐いたりしたら七代祟るのでそのつもりで)。昨今の飲酒運転取締りの強化を考えても、飲んでる人が運転する車に乗るくらいなら、人を送って帰る方が百万倍賢明というものである。他人を思いやって、というよりは結局自分のためなのだ。
 しかし、居酒屋に行くのは好きである。お酒はたしなまなくても、お酒のつまみになるようなものは好き。いろいろな料理を何種類もとって楽しむのがいい。飲み物はお茶で充分である。最近はノンアルコールカクテルの種類が豊富なところも多い。
 加え、私はどうやら飲んでいなくても飲んでいるようにみえるらしい。自分でそう演じている訳では決してないが、妙にハイテンションになったり、ぐだぐだと体勢を崩したりしはじめるので、知らない人はすっかりできあがっていると思い込むようなのだ。特に演劇系の集まりではそういうことが多いらしく、死体のようになって転がっている私の姿というのは、「一種の風物詩」であるらしい。
 まあ、そんなこんなで飲めないなりに居酒屋は楽しんでいる。なかでも気の合う人たちと飲み食いするのが一番食欲が出るし、健康にもいいというものだろう。

 そういえば一週間前に行った居酒屋は不思議だった。何もかもが、異様に出てくるのが遅いのである。確かに働いている人は少なかったが、客もそれなりに少なかったのだから、もう少し対処の仕方もあったのではなかろうか。店の名物と言われる手羽先も、信じられないくらいに辛かった。塩辛いのではなく、山椒辛い。中国の味で分類でいう「麻」の部分である。他の人はひとつずつしか口にしなかったと思うが、おかしなところで趣味が極端な私はその実けっこう気に入り、残りを平らげてしまった。
 それにもまして謎だったのは「梅キュウリ」である。一番出てくるのが遅かったので、味付けに手間取っているのかと思いきや、包丁で乱切りしただけのキュウリが信じられないくらい小さな小皿に乗り、上にねり梅が乗っているだけ。しかもその梅は、明らかにチューブから出したままの形をしており、頼んだ人間をしばし唖然とさせた。
 まあ、たまにはこういうこともあるということだ。
(133)





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