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MoDoKiのしりとりブログ

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童謡
【担当】 いろは 【作成日】2007年04月24日 (火) 08時51分

「童謡」よく聞きました。
日本の童謡はよくできていると思う。メロディも歌詞も可愛いし♪
子供さんにあんまし小さいウチからゲーム三昧やらすよりも、こういうの聞かせたほうが情緒の安定によっぽどええと思う。お父さん、お母さんの生ウタがいいけど、自信がないんなら好みのCDでも、もちろんいい。時間も場所もとらんし…でも今や親たちが「桃太郎」も「浦島太郎」も知らんというのですから、ちょっと嘆かわしいかも。もっとも、日本の風景が歌とマッチしなくなってきたのは否めんな。

さて、オススメを少々。
「雨降りお月さん」「さっちゃん」「富士山」「小さい秋みつけた」「たき火」なんかいいですよ。
もちろんその子の好みがあるので、まぁ、親がいいなぁ〜と思うものをシャワーのように聞かせれば、おのずとコドモは好きなのを選び出していくものですが…。
私としては、湿っぽいの短調モノよりは、長調の方がどっちかというと好み。
「花嫁人形」とか「十五夜お月さん」なんて、キャ〜と叫びたいほどクライもん。

あと、なんだかわからないけどちょっとコワ〜イのってありません?
「かごめかごめ」「通りゃんせ」「めぇめぇ子山羊」ナド。
この、わけがわからなくコワ〜イのってわたしの、ある意味ありがたくないツボでした。
「うしろの正面だぁれ?」だとか「行きはよいよい、帰りはこわい」だの、子山羊に至ってはものすごく可愛〜くキターと思ったら、サラッとラストには首っコが折れて…そこで子山羊はメェ!となァく・・・ですよ!なんなの、これ!?
幼稚園児だったトシコちゃんは気になってしかたがなかった。
「ねぇセンセイ、どうして帰りはこわいの?うちへ帰る、って用事じゃないの?」
「犬のおまわりさん」でも、それからあの場はどうなるのか、気になって気になって…。
センセイはおっしゃいました。
「あのネ、トシコちゃん、これは歌なのヨ。心配しなくても大丈夫。」
センセイはワタシの「コワガリ」を気にしてらっしゃたでしょうね。でも、そういう歌も聞いて、世の中はなんだか得体の知れないこわいものもあると、ある意味脅しの要素もあったのでしょう、恐るべし、オトナ。子守唄がある種、恨みのエッセンスが少し入っているように。

(102)

図書カード
【担当】 豊田 【作成日】2007年04月23日 (月) 23時00分

 今の小学校ではひょっとしたらバーコードリーダーなんかが導入されているのかも知れないが、私が小学生だった頃は、図書室の本には裏表紙の内側に「図書カード」がついていた。本を借りた日や自分の氏名を書く欄があるカードで、封筒のような袋に入れてある。これで貸し出し状況を管理していた訳だ。どういう仕組みだったのかははっきりと覚えていないのだが、多分、それに必要事項を書いてもらい、貸し出し期間中は図書室で預かっていたのだと思う。
 当時母は、小学校の教師をしていた。私の通う学校ではないが、勤務先は居住市内である。小学校なので担当教科はないというものの、修めた学問からいえば国語になるのだろう。長く図書室の担当をしていた。
 今思えば非常に恵まれた環境だったのだが、母は、自分が良書と思い私が欲しがる本ならなんでも買ってくれた。しかし書店の方では、市内の小学校の図書室担当教諭からの注文という先入観からか、学校に納めるのか自宅用の本なのかを勘違いすることがあったのらしい(むろん図書費を横流しして娘に本を買っていた訳ではない)。サービスのつもりか、本の裏表紙にわざわざ図書カードを貼り付けてくれるのである。特に単発の本でなくシリーズものなんかを買うと、勘違いが起こりやすいようだった。
 まずは、ポケット学習図鑑。これは5冊セットだったしソフトカバーの新書様式の本だったので、母が剥がした。しかし、『椋鳩十の本』となると、そうもいかなかった。椋鳩十といえば、日本の動物文学の第一人者である。『月の輪熊』や『片耳の大鹿』なんかは小学校の教科書に載っていたので、我々世代なら必ず読んでいることと思う。私が欲しがったのは理論社から出た全集で、二十五巻に補巻を加えて二十六冊もあった。自分で欲しがっておいてなんだが、よく買ってくれたよな、と思う。装丁のきれいなハードカバーだったし、思えば書店の勘違いも無理はないのかも知れない。剥がせば痕が残って汚くなる、という判断は当時の私にもついた。なので結局その図書カードの袋は、今もついたままになっている。

 さて、その図書カードの本体だが、別のことに使った。バインダーに原稿用紙をファイルして書いていた自作の物語の後ろに、図書カードさながらにつけたのである。小学校低学年から中学年頃、勝手に自分の「シリーズ」として書いていたもので、しかし別に続き物ではない。それこそ全集のつもりだったのだろう。椋鳩十を買ってもらった時期とは少しずれるため、本物のカードは数枚なのだが、慣習は残し、あとは自分で原稿用紙を切ってカードにした。今見ると、家族や年上の従姉の名前なんかがぱらぱらと書かれていて、懐かしい。学者肌の当時大学生だった従兄に「凝っとる」と評された記憶もある。
 どうやら凝り性はその頃からだったようだ。
(101)

マント
【担当】 はしもと 【作成日】2007年04月20日 (金) 20時23分

日ごとに春らしくなってきて、マントの季節が終わろうとしています。
みなさんいかがお過ごしですか?
日頃、マントなるものを使うことは、非常にまれで、
私なんぞ、生まれてから一度も羽織ったことがない次第です。
ところがですね、赤ちゃんは使うんですね。
子供たちの誕生のお祝いに、Yさんからいただきまして
毛布がわりに使えるので、非常に重宝しました。
暖かくなってきたので、マントはまた来年の登場となります。
もしかしたら、僕も小さい頃、マントを羽織っていたのかもしれないと思うと
少し嬉しくなったお父さんでした。
もう少し、年をとったら羽織ってみたいもんです。
何故って?
もちろん、かっこいいから。

ではまた。
(100)

ママ
【担当】 紅美子 【作成日】2007年04月19日 (木) 23時51分

こんばんわ。
ママと言えば母親です。
何を隠そうウチの母親は世界最強です。

最近の出来事を書こうかと思います。
私の友人の間では結構有名な話かもしれませんが、折角このお題になったので書かせていただこうと思います。

ウチのママはよく本人の前で嫌味をタラタラタラタラと言うのですが、いちいちにこちらが反応して反論するとヒートアップしていきます。
そして最後にはぶち切れるか、半日以上無視し続けるかのどちらかに納まります。
1番いい解決法は、聞かないフリで反応しないことだと思っていました。しかしこれはこれでよくないのです。
何が悪いかと言えば、いきなり「どう思ってんのよ?」です。
ようは、絡みたいのでしょう。

しかしです。
うちのママの前でこちらが独り言を言うと
独り言は人に聞こえないように言いなさい。
と、説教されます・・・
じゃあ、ママも独り言は聞こえないように言ってくださいよ。と要求すると

聞こえるように言ってるんです。

と突っぱねられました。

何かが可笑しいのです。
多分、世の中は彼女が中心で回っているに違いありません。

そんな母親ですが、やっぱり私のママなのです。
(99)

パーマ
【担当】 いろは 【作成日】2007年04月17日 (火) 08時44分

女が結構悩むものに「ヘアスタイル」がある。

私はくせ毛なので、冬は静電気、梅雨は湿気、毎日寝ぐせで悪戦苦闘。髪で手間取らなければ、もっと快適な朝が過ごせるのに・・・とつくづく思います。
もう5年以上パーマをかけていません。くせ毛だからあまり意味ないのです。
それはそれでいいのです。パーマはもともと嫌いなのです。
薬液のニオイが大の苦手。肌も弱いので、長時間ロットとタオルを巻いて女性週刊誌など読むお決まりのパターンをやっていると、耳の上あたりからムズムズしてきます。頭痛のする時はもうダメ。女性週刊誌もちっとも面白くないし。

ワンレンがはやったころは、「ストレートパーマかけよかな?」とも思いましたが、人間やっぱバランスというのはあるもので、あの髪型は太くて髪の量の多い人がやってこそキマるもの。正反対の私には向きません、似合わないのです。

パーマは髪が痛む。昨今、白髪にも悩まされつつあるので、両方かけていたら、財布も、時間も、髪の毛も、ズタボロ。
美容院のスタイルブックをパラパラめくっては、ため息をつく。
これほど、スタイルがあっても髪質に合うデザインが見つからないのです。別に、「エビちゃんにしたい。」とか言ってませんよ。あれもパーマが決め手だな。スタイルは髪質と顔かたちで選ぶもの。

子供の頃、大人になってもあの「オバサン」パーマにだけはなりたくないと思ってた、今ではほとんど見かけなくなったけど。
昔は「『三原じゅん子』みたいにしてくれ。」とか美容院でよく言えたと思う。ファンだからじゃなくて、巷に『聖子カット』があふれていたから。ただ、それだけ。若かったのネ。

PS:ヘアスタイルをコロコロ変える人は、心理学的に見ると「自分に自信がない人」なんだそうな。当たってます?

(98)

スパ
【担当】 豊田 【作成日】2007年04月14日 (土) 14時35分

 スパ。スパゲティのことを略していうこともあるが、今回はその話ではない。『ナガシマスパーランド』のスパである。スパあるいはスパーといえば、「温泉」。また、それを中心としたリラクゼーション施設のことを指す。ちなみに前述の『ナガシマスパーランド』は、三重県民なら誰もが知る場所で、リゾート施設として手広く事業展開をしている。うちの会社の大きなスポンサーでもあり、「スーパーランドではなくスパーランドですからね。まさか間違ってやしないでしょうね」と、神経を尖らせた営業サイドによく確認をされる。
 スパときいて連想する施設はもうひとつ。大阪にある「スパワールド」である。行ったことはないのだが、「だっちゅーの」で一世を風靡した(そんなこともありましたねえ)パイレーツが、「♪会社の帰りにスパワールド」と、やる気のない低音で歌っていたCMソングが耳についている。
 確か98年、大阪に住んでいた私は、ひょんなことから通天閣で行なわれた『谷川俊太郎ライブ』に行くことになった。ご子息の賢作さんのバンド演奏に俊太郎さんの朗読が加わった、やや変わった趣向のものである。俊太郎さんは私の父と同年になるのだが、その言葉のセンスや朗読のテンポには、驚くべきものがあった。また、通天閣という場所の独特さがなんとも奇妙な世界観を構築し、ライブに彩りを添えていたようにも思う。あれは思い出してもなかなか興味深い体験だった。そして、その通天閣の鉄骨に組まれたガラスの向こうに見えたのが、フェスティバルゲートやスパワールドである。なんだか遊園地遊園地したカラフルな建物で、それも別の意味での異世界感をかもし出していた。ちなみに、フェスティバルゲートは経営が破綻してしまったようだが、スパワールドの方は今でも繁盛しているということだ。

 実際に尋ねた温泉としては、上司や同僚とともに行った岐阜の白鳥というところにある温泉が印象深かった。その名も「美人の湯」である。山の中にあるきれいな施設で、お湯がアルカリ性なのか、少しぬるぬるしていて非常に気持ちが良い。ヒノキ風呂と大理石の内風呂、それに露天風呂もあった。
 こんな場所でのんびり湯に浸かるのは至福の喜びであるはずである。だが、連れて行ってくれた上司はとにかく型破りで有名。食事にしろ取材にしろ、テキパキというのとは少し違った意味で早すぎる人なのだ。
「じゃあ、30分後ロビーに集合」
 うそーん、と思っても、異議を申し立てる暇さえなかった。
 時間を気にしつつ温泉に浸かるほどせつないこともないだろう。お湯は非常に良かったのだが、おかげで美人になり損ねてしまった。

 ところで、本来ならば月曜日に投稿予定の私、今回もフライングでこの記事を書いている。つまり月曜日は不在なのだ。で、どこに行ってるかといえば長野の温泉なのである。父母の湯治にポーターとして同行するのであって、残念ながら艶っぽい話でないのだが、内心とっても楽しみにしている。けけけ、皆様悪しからず。
(97)

キス
【担当】 はしもと 【作成日】2007年04月13日 (金) 21時19分

物語の最後は、甘くせつないキスで締めくくりたいものである。
「せつない」というところがポイントで、
甘く楽しいキスでは駄目である。

せつなさに包まれたキスは、やはり甘くないといけない。
苦く楽しいキスはありえない。

大人の世界の現実を知って落ち込む少女に
優しい紳士が、そっと、やさしく、ほっぺに口づける…。
少女は、軽くうつむいて…、ふっと目を上げた瞬間、
優しい紳士は背を向けて立ち去っていく。

理想的なラストシーンだ。しかもありきたりだ。

しかしである。
ありきたりのラストを違和感なく見せる物語を書くべきなのである。
なんてったって、甘くせつないキスは、甘くせつないからである。

つまり、今日の僕は、物語を見た後、甘くせつない気分になりたいのである。
(96)

ときどき
【担当】 紅美子 【作成日】2007年04月12日 (木) 22時17分

 ときどき、どきどきする。
本当はいつもどきどきしていたいけど、どきどきに慣れてしまうのは嫌だ。
どきどきするのはときどきだから心地いい。

 ときどき、雨が降る。
雨なんて降らないでほしいと思うけど、降らなかったら沢山の命が失われる。
雨がときどき降るのは生きる者たちのため。

 ときどき、切なくなる。
切なくて胸が張り裂けそうになんてならないでほしいけど、切なさがなかったらきっと淋しい人になってしまう。
ときどき切なくなるのは素敵な人間になるためのステップアップ。

ときどきはいつもと違うことがあってもいいじゃない。
ときどきはいつもより楽しくてもいいじゃない。
ときどきはいつもより悲しくてもいいじゃない。

ときどきって程よい感じがしませんか?
(95)

ポスト
【担当】 いろは 【作成日】2007年04月10日 (火) 08時07分

「願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月のころ 」(西行法師)
夕べは夜桜見物。ちょうど名残の桜で麗しかった。さて、今日のお題です。

なぜか「ポスト」が好きなのです。ほっとします。
特に、むかしタイプの、アタマが学生帽に似た、手が噛まれそうな円筒形のポスト。
たまにめぐり合えると「アンタ、まだ生きてたの?」と、
親戚のお爺ちゃんに再会したような気分になりマス。
もちろん現役であってほしい。ただ、記念に残されてるんじゃなく、一日にたった1、2回でいいから郵便局の人が集めに来てくれるといい。できれば、そこから投函したい。
手紙を入れた時の音が好きだから。

私は、むかし人によく手紙を書きました。返事の返事も書きました。ポストまで出しに行く時間が好きでした。その締めくくりがあの「コトン」という音だったように思えます。
「コトン」がポストからのお返事。「わかったよ、引き受けた。」今の、投函口が二つあるタイプはちょっと金属的でトーンが高くなった。「よっしゃ。」

定形外の大きい封筒をたまに出す時の、ポストとの絡みも、今思うと面白かった。
「入る?」「う〜ん、ちょっと難しいねぇ。二つに曲げたら?」「あ、入ったワ。」「良かったなぁ。」などと童話チックに擬人化。あとはC-C-Bの「ロマンチックが止まらない」を鼻唄にフェード・アウト。
まだまだ、東京の街に残ってるそうですよ、噛まれそうなポスト。古いからといって何でも新しくしないでほしい。ここから手紙を出せば、誰かに伝わる。
ポストは「つながり」を連想させてくれるアイテム。
(94)

蒲公英
【担当】 豊田 【作成日】2007年04月09日 (月) 23時56分

 今回のお題は「タンポポ」である。お題は漢字にしてみた。どうしてこんな字を書くのかは知らないのだが、蒲(がま)という字があるため、なんとなくあの綿毛を連想することはできる。名前そのものの由来としては、あの丸い綿毛が、綿を丸めて布で包んだ「たんぽ」に似ていることかららしい。
 小学校の頃は、タンポポを道端で摘んで綿毛を飛ばすということはよくやった。摘むと茎から白い汁が出たりしたものである。確か、茎の中は空洞で、摘み取りやすい草だった。ままごとの道具としてもよく使われていたと思う。
 しかし、ままごとでご飯代わりにはしても、タンポポが食べられる草だという認識はなかった。仮に認識があったとしても、野菜全般が嫌いだったため、どうせ食べる気はしなかっただろう。
 長じて野菜好きになってからは、植物について、食べられるか食べられないかをすぐに考えてしまう癖ができた。ハーブ類に興味を持ってからは特にそうだ。むろん、食べられない草よりも食べられる草の方により興味が深いことは、言うまでもない。
 そんな中、タンポポも食べられるということを知った。食べたことはないが、葉は天ぷらやおひたしにできるそうである。あと、最近有名になってきたと思うのは「タンポポコーヒー」。これは、根を煎って作り、普通のコーヒーと同じように抽出する。コーヒーの代用ということだが、よく考えてみれば、私はもともとコーヒーを飲まないので、代用としてのコーヒーを必要としていない。かといってコーヒーが好きな人は、多分普通のコーヒーの方がいいだろうと思う。
 しかし、このタンポポコーヒーには血液浄化作用があるらしい。カフェインを含まないので寝る前でも大丈夫だし、授乳中の妊婦でも飲める。また、利尿作用もあるし肝臓にもいいということなので、一度試してみたいなと思ってはいる。
 季節は春。今日は天気も良かったので、2歳の姪はおじいちゃんと散歩に出かけ、桜もタンポポも沢山咲いていたと、満足して帰ってきた。してみると春の野の花は、ささやかな幸せの象徴なのだなあという気が、少しした。
(93)

しもねた
【担当】 はしもと 【作成日】2007年04月06日 (金) 23時33分

こう見えて、下ネタが嫌いである。
下品な会話が楽しいと思ったことは一度もない。
頭の中は、けっこう下品なのに、ねえ。

お酒の席での会話は、下品な会話が多い。
特にサラリーマン。
元サラリーマンの僕も、それなりに会話をしていたけれど
調子を合わせるのに一苦労していた。
会社の同僚、上司とのお酒の席では、ネタがないので、下に走る。
もっと喋ることあるやろに!

女性の前で、イヤラシイ話をするのは、完全にセクハラである。
イヤラシイことを思うのは自由である。犯罪と一緒ですなあ。

思うことからも解放されたいのだが、そうもいかない。
男ってやつは…。
女性はどんなこと考えているんだろうか…。
永遠のテーマである。

僕は、四六時中、変なことを考えているわけではない。念のため。
(92)

だんごむし
【担当】 紅美子 【作成日】2007年04月06日 (金) 23時19分

だんごむしのダンちゃんというのを昔、妹と飼っていました。
飼っていたというより、だんごむしは皆ダンちゃんでした。

ある日のことです、ダンちゃんのもとにべつのだんごむしのデンスケ28号が訪れました。
デンスケ28号はだんごむしたちの中でガキ大将的な存在を目指していました。
ダンちゃんはデンスケ28号とは仲良しでしたが、デンスケ28号はダンちゃんを自分の子分だと思っていたため、ダンちゃんは少しデンスケ28号が苦手だと思うこともありました。
そのため、ダンちゃんはデンスケ28号を見るたびに体が少しだけ丸まるのでした。
デンスケ28号は体が大きかったために丸くなっても巨大でした。
巨大なだんごむしは私の妹のお気に入りになったために散々掌で弄繰り回されて、遂には地面に置いても丸まったまま怯えていました。
それを見たダンちゃんは少しだけざまーみろと思ったかもしれません。
でも、心配してデンスケ28号に寄って行き、短い触角を動かして慰めているように見えました。

私は、だんごむしを見て昔はそんな事を考えていましたが、今はだんごむしを見ると虫唾が走るようになりました。
年齢と共に、そういう遊びが出来なくなり、そういうことを考える感覚がなくなっていくのは少しだけ淋しいです。
(91)

らくだ
【担当】 いろは 【作成日】2007年04月03日 (火) 11時02分

「らくだ」ってユーモラスな動物だと思う。
漢字で書くと「駱駝」。こう書くと、俄然「月の砂漠」のイメージがして高尚に思えるから不思議だ。
一度、駱駝に乗った経験がある。
シルクロードならぬ、確か九州のとある「なんとかパーク」だったような気がする。勝手にロマンチストのワタシは、確か新婚旅行中ということもあってかなり舞い上がり、旦那に「あれ乗りたい♪」と、子供がプレイランドの乗り物にでも乗る調子でほざいた。ちょっと狼狽した、できたてホヤホヤ旦那は「(高っ!)まぁ、ええけど・・・。」「あんたも、乗る?」「・・・乗らん。」てな、会話をかわしたと思う。旦那は当時、巨漢の上に高所恐怖症。駱駝さんからしたって「マジっすか?」と言いたい客だったろう。客が来ん時はお昼寝モードのラクダさん♪客が来ると雰囲気でわかるみたい。「あ、客や(もの好きな)。」じつにまったりしている。よいこらしょっと起き上がる。おぉぉ、でかい!
すっかり(月の砂漠の)お姫さま気分だったワタシは、自分も高所恐怖症だったことを思い出す。駱駝さんは駱駝乗り場から乗る。モノレール乗り場みたいに階段を少し上がって、コブの位置にちょうど座るのだ。お馬さんに乗るよりはラク。コブが前後にあるのでいざとなったらしがみつける。飛び降りはやめた方がいい。無理。けっこう硬く、ラクダくさい(生き物ですから)、そして無表情。
Ready Go!とにかく高い。下ばっか見てしまう。カメラマン旦那が顔を上げろと駄目を出す。へいへい。デカイということは歩幅がある、一歩で結構体が前に出る。でも、「月の砂漠」のあんなしずしずムードではないぞ、スーッと進まない、何て言うか・・・そう、モンローウォークなのだ!一歩毎に、腰をくねらせる駱駝マリリン。短時間だからいいけど、こんなの2時間以上やられたら、乗り物酔い、即ちラクダ酔いしてしまう。ちっともラクではない。昔のキャラバンって頑健でないとつとまらないのね。「箱根越え」よりキツイのではないかしらん、羊肉食べて砂漠越えか、いややわぁ。カッポカッポ・・・じゃない、1・2・グネ〜ッ、1・2・グネ〜ッ。公園内一周して、ハイご苦労さん。愛想は良くないけど、なんとも人間くさい顔。ズルくて、文句タレで、好奇心の強い駱駝さん。「月の砂漠」のイメージが、変わった。
(90)

イクラ
【担当】 豊田 【作成日】2007年04月02日 (月) 23時54分

 私は大変な偏食児童であったので、子供の頃は全ての野菜が嫌いだった。魚も、好きだったのはツナ缶のみと記憶する。だから寿司も嫌いで、お稲荷さんばかり食べていたし、ツナ巻が登場してからは兄たちと行った寿司屋のカウンターでツナ巻ばかりを頼み、かっこ悪いと後で叱られた。
 先日、MoDoKiの勉強会で、大人になって食べられなくなったものの話が出た。しかし、私はそんな偏食児童だったせいか、大人になって嫌いになった食べ物がない。その自己体験により、偏食は大人になったら自然に直るものと思っているフシもあるので、時々、大人のくせに偏食の激しい人に出会うとびっくりする。
 もっとも、上の兄は比較的偏食である。年が離れていることもあって、子供の頃の私の失敗を折りにつけ持ち出されたりもするのだが、「あんたは肉しか食わなかった」というのもそのひとつ。なのでそういうときには「今は私の方が好き嫌いがない」と言い返すことにしている。
 さて、今回のお題のイクラも、大人になって好きになった食べ物のひとつである。北海道に住んででもいない限り、日々の食卓で大量に消費するような食品ではないと思うので、お寿司になったものを食べる程度だが、寿司屋(回ってるやつである)に行けば必ず食べていると思う。ああいう魚介類にはプリン体が多いのがやや気になるものの、口の中でプチプチ潰れる食感を楽しんでいる。昔は生臭くて大嫌いと思っていたはずなのに、不思議なことだ。
 イクラについて思い出すことといえば、大学でロシア語を教えている、年の離れた従兄のことである。随分昔、彼とお寿司を食べたときに聞いたところによると、ロシア語では魚の卵を「イークラ」と呼ぶのらしい。なのでキャビアも「イークラ」なんだそうだ。私は子供だったので、そのときのお寿司のイクラに興味はなかったのだが、なぜかそれだけ覚えている。
 先週の続きのようになるが、「サザエさん」にもイクラちゃんという男の子が登場する。サザエの従弟のノリスケとタイコさんの子供だ。漫画の方では赤ちゃんなので印象が薄いが、アニメでは主要登場人物の一人(今はアニメを見ていないのではっきりしたことはいえないが、多分そうであろう)である。
 で、私はこのイクラちゃんは嫌いなのである。とにかくわがままだからだ。子供はすべからくわがままなものだが、その内容に可愛げがないし、結局折れていうことをきいてしまうサザエたちにも、もっとしっかり教育せんかい、とか思ってしまう。
 イクラちゃんのわがままぶりは冒険心が強い証拠だという分析もあろう。そんなことで腹を立てるのは大人気ないという意見もあるかも知れない。しかし、なんと言われようが私が好きなのはイクラちゃんではなく、タラちゃんなのである。
(89)

とんでもない
【担当】 はしもと 【作成日】2007年03月31日 (土) 18時07分

男1「いえいえ、私なんか、とんでもないことです、はい…」
男2「またまたあ」
男1「いえいえ、ほんとに、とんでもない」

やりたいのか、やりたくないのか、はっきりしないこの言葉。
とんでもないと言いつつ、やってみたいというニュアンスも出せるので便利だ。

謙遜+びびっている+やりたくない+でも、やってみたい気もする=とんでもない

本当に否定するときも「とんでもない」
けしからん!って思ったときも「とんでもない」

日本語らしい日本語ですねえ。

新しいお話を書き始めている。
とんでもないことだと呟いて、今夜も書く。

世の中は花見の季節らしい。
この週末は、ほんの少し乗っかって、浮かれ気分で過ごしてしまおうと思う。
(88)





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