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MoDoKiのしりとりブログ

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ノート
【担当】 紅美子 【作成日】2007年03月30日 (金) 00時19分

小さいころ、わけもなくノートを集めました。
なんだかよく解らないけれどノートを見ると欲しくてたまらない性分。
今でも変わってないです。
小学生の時に自由帳にマンガを描いていました。真っ白な何もない紙に私が筆を入れることで新しい世界が広がるのがなんともたまらなかった。
マンガに限らず、絵を描いたりお話を書いたりするのは決まって新しいノート。
時には授業のノートだって私のオリジナルの世界を作りたくてノーとつくりに専念したこともある。結果、授業と全く関係ないことばかり書いてあってテスト勉強に何も役に立たなかったのは言うまでもない。
今でも新しいノートを手に入れるとワクワクするし、どんな世界を描こうかと気持ちがときめく。
そして、新しいノートばかりを手に入れていき書きたい世界はあっても進まずに使われていない新品のノートだけがどんどんと貯まっていく。
使い道の決まっていないノートが本棚の中で声をあげているけれど私は聞こえないフリをしてキーボードを打つようになっている。
パソコンの登場により、なかなかノートに話を書くことがなくなってしまった。
パソコンの機能はやはり凄いなぁと思うが、やはりノートのような胸をときめかせるような魅力はあまりないようだ。
(87)

刑事もの
【担当】 いろは 【作成日】2007年03月27日 (火) 09時32分

期せずして「磯野家」のお話と関連しました。ワタシも妹によく「あんたはサザエさんみたい。」と言われたナ。
さて、「刑事もの」がテレビで流行った頃。
体育会系の男の子が盛り上がってたのは、「太陽にほえろ!」それから「西部警察」とか。絶対カッコ良く見えて、ダンディー(?)で、やたらアメリカンなニックネームの新人刑事が入ってくる、と相場は決まってた。スニーカーだかテキサスだかGパンだか(今だとデニム刑事?ありえやん!)「あんな格好の刑事、イナイヨ!」と、TVの前で凍った…ていうか、ナンシー関化していた。
西部警察は、やたらめったらクルマを壊すなぁと思ってた、「あぁ、もったいな〜。なんか犯人が地味で刑事がド派手ってサカサマやんか?」と思ってた。あの衣装とオーラで張り込みか!W哲也の大門刑事?男から見たらカッコイイかも知れないが女から見たら面白味がない、こういうのは絶対ひとりよがりな愛し方をするゾ、とか思ってても、放映日の翌日、大盛り上がりの体育系男子どもには、当然言えない。どうも体育会系は、あの正義感のカタマリの男達が群れて、悪に立ち向かうという構図がとても好きなのだ、酔っていらっしゃると言っても過言ではない。運動音痴の女に「あのぉ、すみませんが・・・」なんて言われたいわけがない。「あそこのセリフ、ヘンです。」なんて言おうもんなら、頭叩かれるからな・・・そこまでして、言わんならんもんやないし。
まぁ、キョーヘイさん・トオルさんの「あぶない刑事」、あそこまでいくとさすがに笑えました。「刑事コロンボ」。パターンは面白いと思いましたが、趣味に合わない話だと、ちょっとダレた。まぁ、国産の「あんな刑事、いねぇよ。」のアンチテーゼとしては好好♪。
われながら*こおとい趣味だとは思いますが、刑事もので好きだったのは「特捜最前線」とか「銭形平次」のマイナー人情モノ。いちおう岡っ引きだって刑事ものでぇい。必殺仕事人シリーズ、ホラーチックはイイとしてもギトギトしすぎ★でも中村主水さんのキャラは好き☆あと覚えているのはたった30分で事件を解決する有能な「刑事くん」S健一主演、N章さんが良かった・・・これも青春系だったな、柔道一直線のハチャメチャが懐かしい。あんな物理の法則無視の必殺技、もう見られないな。あの頃のテレビ俳優さんて健気だワ。話がそれました。健気と言えば、「特捜最前線」には必ず場末のアパート三畳に、けなげに男に尽くす女が住んでいたりして、アパートの窓からピンネットに必ず洗濯物を干している。刑事サンに気づくと、いぶかしげな顔しつつも、ペコリと頭を下げる気立てのいい女。最後までに必ず殺される、お決まり。
でも、分かっててもハマっちゃって、ラストの暗い唄、「あ〜の〜ひとぉは、あのひとぉわぁ〜、わ〜た〜し〜だけのじゅぅじか〜。」のトコロをわんわん泣きながら、歌うわけでして・・・思い返すと、われながらキモチ悪いんですが・・・いったいなんなんでしょう?
ちなみに、*こおとい・・・とっても地味なこと、です。
(86)

磯野家
【担当】 豊田 【作成日】2007年03月26日 (月) 23時19分

 わが兄妹はちょっとした「磯野家マニア」である。磯野家といえばもちろん、サザエさん一家のことだ。
 アニメのサザエさんは、夕飯時によく見ていた。時代の流れによって声優やBGMが変わるにつけ、残念ながら興味が薄くなってしまったし、今は小さな子供がいるので夕飯時にテレビを見ることもなくなったのだが、ひと昔前にはビデオに録画してまで見ていたものである。
 しかし、別に『サザエさん』のビデオをコレクションしたかった訳ではない。いうなれば「ご飯のアテ」として、当時ちょうどよい番組だったのだ。鬼気迫るような映画とか、怒鳴ったり笑ったりの感情の起伏が激しいバラエティなんかは、食事をしながらの鑑賞には向かないと思われる。その点、『サザエさん』の、バッドエンドがくるでもなし大爆笑するでもなしのほのぼのさ加減は、消化の邪魔をせず、集中して見る必要もなく、我が家の夕食にはちょうどよい匙加減の番組だった。
 構成に無理がある場合も、それはそれでよかった。突っ込みどころ満載のイレギュラーの登場人物たちもどこか憎めず、もちろん突っ込みつつ見てはいたのだが、それはそれで面白かった。例をあげるならば、白雪姫みたいな衣装を着てうさぎを沢山飼っている女の子(高校生くらいなのに学校に行ってる雰囲気がない。しかも明日引越しだというのにカツオ達と十五夜のお月見会をしている)、鯨岡というマスオの大阪時代の友人(大阪人と強調したいのは分かるが、初対面の三河屋さんに『あんた磯野はんの知り合いか?』という口の利き方は無礼千万)、自動車のセールスマン(名刺に『車うる夫』と書いてあった)などなどである。
 また、サザエさんといえば、三谷幸喜氏が脚本を書いていたことがあるというのでも知られる。「タラちゃんが筋肉増強剤を飲んでムキムキになる、という本を書いてボツになった」というのが有名なエピソードであるらしいが、我が家に実際放映されたものとして残っているのは、ワカメの友達に波平が釣り指南をするものと、カツオのピクニックに持っていくおにぎりをワカメが作る、というものである。三谷氏自身がどういう思いでその本を書いたのかは分からないが、話に適度な盛り上がりもあるし、人の心の機微も描かれているし、なかなかいい本だなと、私は思う。
 アニメのことばかり書いたが、家には漫画のサザエさんも揃っている。姉妹社から出ている単行本には抜けているものもあるが、あとで朝日新聞から出た文庫本は全て買い揃えた。連載期間が非常に長い漫画なので、昭和の風俗が分かってとても面白い。
 もっとも、子供の頃には読んでも理解できない単語が沢山あった。サザエのアルバムを勝手に持ち出したワカメを「SPに連れて行ってもらうよ!」とサザエが怒ったり、飴玉には「シソ糖」「ダイナマイト糖」が含まれている、とカツオがワカメらを脅したり。分からないなりにも、漫画ということもあって雰囲気は伝わるので、そういうものだと思って理解していたフシがあった。
 そんな我々であるから、これもひと昔前に流行った『磯野家の謎』という本はもちろん面白かった。サザエさんの世界を大真面目に、しかも辛辣さを交えつつ論じているのがよかったと思う。それに比べると、後で出た別のキャラクターの分析本(二匹目の泥鰌をねらうかのごとく、沢山のキャラクター本が出版されたと記憶する)の中には、読めば分かるようなことを「かわいい」「面白い」とだけ語っているものがあり、これは全然面白くなかった。やはり世の中、多少斜めに見た方が興味深いことが沢山見つかるもののようだ。
 少し前には『サザエさんを探して』という本が出た。これは、サザエさんに登場する当時の風俗を解説したような本で、皮肉な部分はなく正統派であるが、それはそれで楽しめる。
 うちの兄妹は「サザエさんのフレーズ」を生活に引用する、ということをよくやる。例えば、動物園で波平が猿にエサをやるのに夢中になってしまう、という話。4コマ目でフネが、「ご自分ばかり餌をやって! お菓子なくなったじゃありませんの」と波平を非難し、ワカメとタラオが泣いている。これを引用し、誰かがひとりでお菓子を食べていたりすると、「ご自分ばかりお菓子を食べて!」と言ったりするのである。まあ、かなり特殊な家庭環境ではあるのだろうが、思えば漫画のサザエさん、特に中期のものには、フレーズそのものにおかしみがあると思う。
 少し間が抜けてはいるがどこか品があって穏やかなサザエさんの世界、おすすめである。
(85)

運動神経
【担当】 はしもと 【作成日】2007年03月24日 (土) 16時16分

鉄棒、マット運動、逆立ち、ブランコ、登り棒…
嫌いである。だいっきらいである。
遊園地のバイキングと同じぐらい、想像するだけで気持ち悪くなる。
特にブランコの揺れは最悪である。うわっ気持ちわるっ。

小学校でやるようなスポーツは、たいてい嫌いである(※ドッチボールを除く)。
気持ち悪くなる+出来ない×必要ない=嫌い である。
※ドッチボールはスカッとするので好き。

ソフトボールとかバレーボールとかは、好きである。
面白い×それなりに出来る+勝負事=好き である。

学生時代はクラブで、卓球・バスケットボール・野球・ハンドボールなどなど
いろいろやったもんである。
今は、まったくしていない。
機会がない+めんどくさい+暇がない=運動しない である。

なんとなく、運動がしたくなる季節である。
鉄棒は嫌いだけど、公園にあるのを見つけると、一応、鉄棒に手をかける季節である。
ふとした時間に、ボウリングのスローイングやってみる季節である。

春ですねえ。虫たちと同じで、むずむずしますねえ。
春になるとおかしな人に出会うとか出会わないとか…。
僕もおかしくなってきている…。

へえ〜、僕はボウリングがしたいんだ、と、ちょっと感心してしまった。
そして、僕は計算が好きなのか?

やっぱりおかしくなってきている…。
(84)

くるみ割り人形
【担当】 紅美子 【作成日】2007年03月23日 (金) 00時48分

 私は夢のある話が大好きなのです。1番好きな話はくるみ割り人形です、と書きたいのですが不思議の国のアリスです。
その次に好きなくるみ割り人形は、幼い頃かってもらったビデオテープが擦り切れるほど沢山見ました。それよりももっと沢山不思議の国のアリスは沢山見たのですが・・・。
さて、今回ここでくるみ割り人形の話を書くのですが、私は人形が大好きです。
多分、オタクの域に余裕で入っているのではないでしょうか。
 何故、好きなのかは解らないけれど、どうしても人形を見ていると生きているのではないだろうかと思ってしまう。
 物にはそれぞれ命がある、縄文時代の人間はアニミズムの思想を持っていたと言われているけれど、それに似ているような似ていないような少し違う気もするのだがどこか私の中で通じるものがある。
 そこまで突っ込んで考えようとも思っていないので、ここで止めておく。
 そして、くるみ割り人形と言えば19世紀末に活躍したピョートル・チャイコフスキーのバレエ音楽の「くるみ割り人形」です。
 特に好きなのは、多分1番有名だと思う『行進曲』
私は『行進曲』を聞く、幼い頃の夢が溢れてきて沢山の夢が詰まった曲なのかなぁと1人で想像してしまいます。
(83)

ブラック・ジャック
【担当】 いろは 【作成日】2007年03月20日 (火) 17時38分

「ブラック・ジャック」のファン、ただし漫画だけね。
「ブラック・ジャック」は、漫画好きの私のターニング・ポイント。それまでは、少女漫画一辺倒だったのが、この作品に出会い、ある意味卒業したように思います。出会ったのはいつとはもう思い出せないけど…まだ、どこか「子供」の世界にしがみついていたい自分が、大人の世界へ入ってもいいやと、決別した時だったように思います。
それまでの自分は、「いい子」でいることでした。その昔、子供は上の言うことに絶対服従、口答えはいけない、まして女の子はなおさら。私は結構理屈っぽい子でしたから、よけい締め付けはキツかったように覚えています。
「こうしなさい。」と言われて「何故そうするのか。」と聞くと「理屈を言うな、女は黙って言うことを聞いてればいい。」とまわりに言われると凄く不満でした。逆らっているのではなく知りたかっただけなのに。それが生意気と言われました、プラスたたかれる。
「女は何故我慢しなきゃいけないの?」と聞くと「女だから。」という答えになっていない答えが返ってきたものです。男が決めて女が従う、という図式が厳然とありました。それで、その「いい子」「フツー」の枠にはまるべく、日々調教されてました。断っておきますが、親がめちゃ暴君だったわけではありません。
で、この本で、自分を殺してまで「いい子」の枠にはめなくてもいいじゃん、人に聞いてそうだと言われたからでなく、内なる自分がそうだと言いました。そうしたら、ラクになりました。ただし、人に合わせていれば少なくとも敵は作らないわけで、「変わってる」ところを出せば、おのずと孤立したりはするもの。でも、一つをとれば一つは失うのです、両方は取れません、ならば八方美人と決別。
今でも読み返すと新しい発見があります。隠れてコソコソ読んでいた頃、親に「マンガなんか読んでアホになるぞ!」と言われて「これはそんな漫画やない!」と言い返した時。友達に「え〜、そんなん読んで…。」と言われて「これ、面白いと思うよ。」と言えた時。小さい事やけれども、それはやはりターニング・ポイント。「シャチの詩」と「春一番」なんか特に好き。「骨肉」も結構性格出てるな…と思います。
(82)

類は友を呼ぶ
【担当】 豊田 【作成日】2007年03月19日 (月) 22時37分

 仲が良い者同士はどこか似ている。似ているから仲が良いのか、仲が良いから似てくるのか。「似た者夫婦」という言葉もあるが、それもそういうところに起因するのだろう。
 以前、あるミュージシャンのファンが集うBBSで、音楽以外の趣味のことをちらっと書いたところ、私にもその趣味があります、と返信をくれた人がやたらいた。かなり不思議な現象だったが、これも「類友」の例だろう。傾向の似た者は自然と集まってくるものらしい。
 さて、自分の周囲を見回してみたら、やたらと個性的な人が多い気がする。現在の職場環境がやや特殊ということもあるのだが、それにしても、とも思う。いろいろ不満を言いつつも、そんな中でけっこう居心地よくやっている自分も、人から見たらやはり変わっているのに違いない。まあしかし、そんなことを喜んでいる場合ではないとも思う。自分の個性を見極めて伸ばしていくのは大事なことだが、「私って変わった人でしょ」なんて言ってるうちはまだまだだからである。
 そういえば、仲のいい女友達はほとんどが結婚していない。女性が結婚すればかなり生活環境が変わるので、そういう友達とは自然と疎遠になってしまうということももちろん原因ではあるのだろうが、この年になって結婚式自体、数回しか出たことがない。もともと友人の数が少ないのだろうか? それも大いにありうることだが、それにしてはまだまだ結婚しそうにない同年代の女性を何人も思い浮かべることができる。
 気の合う同士で話すのは楽しいし、むしろそれ以外のことはしたくないとさえ思う。しかし、ふと気がついたときに困ることは、「自分の位置に対する比較対照がない」ということである。これって常識的に考えてどうなんだろう? と自分を疑ったとき、意見を求めた人間が自分と同じ意見しか持たなかったとしたら、修正の余地がない。だから「類友」の中だけで暮らしていると、世界はどんどん小さくなっていく。しんどいけれど、たまには外に目を向けて眩しさに目を細めてみることも必要なのだ。
(81)

途方にくれる
【担当】 はしもと 【作成日】2007年03月17日 (土) 19時20分

そして僕は途方にくれる…は名曲である。
あの歌声は、ほんとに途方にくれている。

普段生活をしていて、途方にくれることって、めったにない。
が、たまにあるような気がする。

気がするだけである。

途方にくれるとは、方法がなくなることなのであるが、
なんともしょうがない…って状況は、まあない。
うやむやにしたり、逃げたり…。
つまり、立ち向かわなければ途方にくれることはないのである。

こんな僕でも、一応、立ち向かおうとする。
しかしである。
続くのである。途方もないようなことが…。
で、逃げる。
「逃げ」ではないんだって言い聞かせながら逃げる。

そもそも、逃げるって何?

違う道筋に行くだけのこと…って思うけど…どうかなあ…逃げるって嫌な言葉…
逃げではない…新しい道…新しい自分……言い訳がつづく…

このブログを書いていて、言葉や考え方の問題でよく途方にくれている。

途方にくれている暇があったら、今日こそ考えるのだ。
と思ったが、明日考えることとする。これの繰り返し。

結論を出さなければいけない!
と思ったが、結論なんて、ずうっと先にあればいいこととする。これの繰り返し。

ちょっと途方にくれてきたので、
うだうだと、風呂にでも浸かって「逃げる」ことについて考えてみよう。

ではまた。
更新遅くなってごめんなさい。
(80)

突っ走ること
【担当】 紅美子 【作成日】2007年03月15日 (木) 20時07分

 焦ることが多い毎日ですが、何をしたらいいのかいまいち解らない。
 焦れば焦るほど周りが見えなくなり、余計に動きが取れなくなっています。
 吹っ切るように毎日突っ走ることで焦ることが解消されると思うけれど、何だかとても疲れてしまった。無気力になってしまう。
 やらなければならないと言われると、何も出来なくなるし何も考えられなくなってしまう私は突っ走って何かをしようとするけれど、見栄を張って出来ないことにまで手を出してしまったり、出来ないのにやりたいからと言って、出来なくて苛々してしまう。
 うまくいかなくてたまらない。
 突っ走ることで焦る気持ちは吹っ切れないんだと感じる。

 それでも今は突っ走りたい。
(79)

ルーツ
【担当】 いろは 【作成日】2007年03月13日 (火) 08時41分

ずいぶん昔になるけど『ルーツ』なる本が、アメリカで大流行したことがありました。日本にも入ってきました。TVの連続物にもなりました。「ルーツ」すなわち根っこです。自分の根っこですから、いわばご先祖さんですね。

この前、音出しを手伝った芝居に、「アンタは自分の、ひいおじいちゃんやひいおばあちゃんのこと知っとるか?」というセリフがありました。私個人に関して言えば、父方も母方もひいじいちゃんひいひいばあちゃんまでは名前知ってます。

何で覚えているか?たぶん、それは私がそういうことに興味をもつタイプだからでしょう。
小さいころから、いろんなエピソードを聞き出すのが好きでした。
自分が好きなので、まわりの人たちも皆、そうなんやろ、とごく自然に思とったんですが…そうでもないらしい。、昔は兄弟の数が多いから祖父母の兄弟、子までたどっていくと結構あるある。
大流行したスペイン風邪で、ほんとにわずか数日で逝ってしまった人、シベリアへ抑留された人、無茶苦茶働き者で、夜明け前に起きて田んぼの稲刈りを一人で済ませ、それでもまだ夜が明けないので怖くなって家へ帰ってその後、隣近所の人たちが起き出てきて、ウチの田んぼが一晩のうちに刈り取られているのを見て大騒ぎになったという伝説の女。「○○さんとこ、晩のうちにキツネが刈ってったぞ!」

ご先祖様を分類すると、体育系・文系・理系・マジメ系・やんちゃ系・その他、でした。(ゲージツ系はいない、明治前後でしかも地方で芸術で食べられたら、上等や)私がもし男だったら、もっと男の人の深い話を聞けて、スケベ系も上げられたかもしれん、惜しい。男女合わせて、美形はまぁナントカ2割くらい、残ってる写真上での話。超イケメンを一人アルバムで見つけて、宝くじ当てたみたいに嬉しかった♪。やはり、聞いたところA化成だか衣料メーカーから、モデルになってくれという依頼が来たそうである。かたや、『伝説の悪ガキ』というのもいるもので、子供の頃ワルザをするとよく、「××の生まれ変わりや。」とか言われたり(ワタシじゃないよ)するのである。
今回のこともあり、父に祖父の兄弟姉妹を確認したら、祖父は長男だったが、上にもう一人姉がいたことが判明した…まだまだ発掘の余地はありそう。
(78)

ギャンブル
【担当】 豊田 【作成日】2007年03月10日 (土) 23時30分

 いつもしりとりブログをお読みいただきありがとうございます。日曜日からまるまる2日家を空けるため、来週月曜日の更新ができません。遅刻がありならフライングもありだろうということで、今回は早めの更新とさせていただきます。

 ある人が以前、どういう経緯でか「パチンコを始めたらハマりそうな人物は誰か」ということを考えてみたところ、私の顔がポンッと真っ先に思い浮かんだそうだ。研究熱心で凝り性だからきっとハマるに違いない、自分はパチンコで身を待ち崩した人は何人も知っている、だからあなたは近づかない方がいい、と言われた。なるほどそんなものかな、と思っただけだが、忠告ありがたく頂戴し、以来、パチンコ屋には一切足を踏み入れないことにしている。以来と書いたがそれ以前にも踏み入れたことはないので、全くの未経験である。
 その他のギャンブルにも、幸い興味はない。仕事で競艇や競馬の映像を見たり、入場者数などのグラフを頼まれたりもするが、解説をきいてもいまいち分からない。知識がないと仕事上失敗することがあるのでそういうことには気をつけているが、それ以上勉強しようという気はさらさらない。
 なぜギャンブルが嫌かといえば、それはもちろん、負けるからである。むろん勝つことだってあるのだろうが、ギャンブルというもの全て、トータルして利益が勝るようなことは在り得ないのだ、という論理はよくきくし、多分その通りなのだろう。しかし、それでもハマってしまうのが多分ギャンブルなのだ。ギャンブル好きに生まれつかずによかった。
 ただしそれは、実際の遊戯としてのギャンブルである。人生を賭けに例えることはよくあるが、一か八か、決めなければならないことが人生には山ほどある。そういうときに及び腰になってばかりで、簡単な道、不本意な道しか選べないというのでは、ちょっと情けない。
 もちろん、堅実地道に生きる幸せというものもある。それで満足できるのであれば、これほどけっこうなことはない。しかし、やりたいことがあるのなら、多少不安でも決断し、飛び込んでいくような勇気を持たなければ、人生を楽しくすることはできないのだろう。
 どのエッセイだったか、向田邦子さんが、麻雀が好きだった父親に対して賭け事を一切やらなかった母親、というものを書いている。母親はギャンブルをする必要がなかったのではないか。親に勧められたよく分からない男と結婚、その男の子供を生む、それは男か女か、出来は良いか悪いか…。そんな、昔の女性の生き方の中では、そういう人生そのものが賭けであり、わざわざ賭け事をして遊ぶ必要がなかったのではないか、と言うのだ。
 なるほど、と思った私は、今の女性(に限らないが)について考えてみた。すると随分、ギャンブル性が少なくなっている気がするのである。ゲームはすぐにリセットできる。パソコンの文書もアンドゥで何手も前まで戻るし、インターネットで感情に任せたブログを書いてしまってもすぐ削除して知らんふりである。買った商品はクーリングオフがきく。気に入らなかったら返品・交換すればいいのだ。だからよく考えずに買い物をする。結婚だってそうだという女性も増えただろう。気に入らなければ慰謝料とって離婚すればいいんだからさ、なんて言う。
 やり直せない選択を怖がって決断ができない人、逆に軽はずみに行動してしまう人。いずれにせよ、人生への覚悟はちょっと希薄になっている気がする。
(77)

げんかつぎ
【担当】 はしもと 【作成日】2007年03月09日 (金) 20時59分

げん=縁起である。
縁起のシャレた言い方だそうで、ことさら僕はこだわっている。

めざましテレビの占いを見た日は、ランキングの上下にかかわらず
パッとしない日が多い。
今日も見てしまった。週末占いも。
やはりパッとしない。
まあ言うても、気のモンである。
見たことさえ忘れている日は、こんな事考えもしないのだから。

その昔、ギャンブルに手を出していた頃は、とにかく縁起をかつぎまくっていた。

ジュースの飲み方、靴の履く順番、朝シャワーを浴びる、朝ご飯は食べない、
たばこを置くときは口を手前にしてライターをその上に向こうを向けて置く、
トイレに行く回数を制限する、しゃべり方を統一する、人にやさしくする…

なんでもかんでもである。しかも必死である。
人にやさしくするなんて当たり前のことが原因で、勝負に負けた気がするのだから
ギャンブルってコワイのである。

とはいえ、現在の暮らしもギャンブルのようなもので
それなりに縁起をかつぐ。靴を履く順番ぐらいのことだが…。
人にやさしくすることも、忘れずに続けている。←えらいでしょ。

ちなみに、自分にやさしいのは言うまでもない。

ではまた来週。
(76)

懺悔
【担当】 紅美子 【作成日】2007年03月09日 (金) 15時42分

すみません。また更新が遅くなってしまいました。
今回のお題のとおりですね。

はい「懺悔」です。
私がこのお題を選んだのは、私の好きなアーティストの曲に「懺悔」という曲があります。私はその曲を聴いてとても衝撃を受けたことがあります。
その曲を聴いてなぜか胸が締め付けられました。

この言葉には色々と考えることがありますが、やはり1番最初に思いつくことが曲のことです。
懺悔しているというような曲ではなかったけれど、人生を悔やむことは悪いことではないというふうに思いました。
どんな過ちをしたとしても、いつだってそれをバネにして立ち直るチャンスがあるということを伝えたいのではないだろうか。
とか、遅刻の投稿を懺悔しながら考えていました。
(75)

インフルエンザ
【担当】 いろは 【作成日】2007年03月06日 (火) 18時20分

さて、インフルエンザ。
今年は、流行、そんなでもなかったかな?昨年でしたっけ、大変だったのは。
2、3年前も、職場じゅうハヤっちゃって、向かいの席の人が罹ると、必ず正面がやられていた。隣は比較的、大丈夫なのだった。
職場は学校と違って出席停止なるものがナイ。休んでも業務のシワ寄せが他の人に行くし、出ていってもうつすし、どっちにころんでもドボンなのだ。会社は「治りかけに出てくるな、うつすから、ゆっくり休んで・・・。」などというが、そんなのは「タテマエ」。
おまけに、現代のオフィスビルなるものは、あれほど悪化にふさわしい容れものもないというくらいよくできている。ホコリっぽい、乾燥する、空気を換えない、人数たくさん。
謳い文句を飾るくらいなら、職場環境をなんとかして。加湿器、入れて!!

予防が大事、罹ってからでは遅いノダ。
「うがい」「手洗い」「人混みはなるべく行かない」「睡眠不足にならない」「胃腸の調子を悪くしない」「適度な運動」、風邪対策とおンなじ、基本につきる。女性は冷えないように、も大事。冷えると免疫力、低下するそうな。
地味だけど、それが結局は近道であり王道。こういうことは何にでも通じる。
最近、人は身勝手になり、好きなこと、やりたいほうだい無茶をして、いざ、そうなってから何か『特効薬』で治そうとする。この場合は「タミフル」か。
だけど、はっきり言ってそれは危険が伴う、と覚悟した方がイイ。「タミフル」があるからいいや♪という考え方が、である。(また内容がカタクなったな)
「タミフル」を使うな、じゃない。特効薬使ったんだからもう大丈夫と思って、安静にしない。気をつけたいのは、その『待てなさ』である。
たとえ、魔法の薬があったとしても、それはサブ。メインはあくまで、自分自身。
(74)

未確認飛行物体
【担当】 豊田 【作成日】2007年03月05日 (月) 12時48分

 すなわちUFOである。
 ときには焼きそばだったり流行り歌だったりするそれだが、「ユッフォー」ではなくて「ユー・エフ・オー」だ、と、村上春樹さんがエッセイで主張していた。だってUFOがユッフォーならUSAがユッサーになるではないか、ということだったと思う。そのエッセイは私の蔵書のどこかに収録されているはずなのだが、探す時間がない。ごめんなさい。ちなみに、日本では「ユーフォー」が一般的であるが、やはり英語では「ユー・エフ・オー」と読んでいるらしい。
 UFOとは“Unidentified Flying Object”の略で、「未確認」ということが重要なのだそうだ。単純なイラストで思い浮かべるならば、UFOはアルミの灰皿を逆さにしたような形をしていて、カマキリみたいな宇宙人(いわゆるグレイ)とかクラゲみたいな火星人が乗っている。だが、それでは「異星人の乗り物」ということがはっきりしてしまい、すでに「未確認」ではなくなってしまうのだそうだ。つまり、異星人が乗っている乗り物は厳密に言えばUFOではないらしい。異星人などという「不確かなもの」が使っているということを「確認」することで、それが「未確認飛行物体」でなくなるのだ。一種手品のような趣を感じて、大変興味深い。
 異星人が不確かなものだと言ったが、宇宙人に「いるかいないか」論争はいまだ付き物である。河童、天狗、竜などは、民俗や宗教の中から生まれた想像上の生き物だということがもう分かっていて、住んでいるのは我々の「心の中」ということになるが、宇宙人ということになると、ちょっとカテゴリが違うような気もする。「X-File」のようなテレビ番組があり、また、アメリカ軍とか秘密研究組織なんかの、まあ庶民には到底手が届かないような話がからんできたりもして、純粋に想像上のものとは言いにくいし、かといって見た人がいる訳ではない(あるいは少ない)。異星人の登場する物語はSFという分野で非常に発展をしてきたし、今後も躍進を続けていきそうだが、未知の世界ということで想像が大きく膨らむ部分は大きいのだろう。未知の世界を切り開いていく人間の叡智は本当に大したものであるが、人間の想像力は、その未知の世界よりも大きいのかも知れない。
 で、その宇宙人だが、「こんなに広い宇宙の中で地球だけに生物反応が起こって文明が発達しているのはおかしい、だからこういう星は他にもある」と、言っている人がいた。一理ある。生命の誕生はとんでもない確率の奇跡らしいが、それでもここ一箇所とは限らない。
 だが、生まれて死ぬ星のサイクルで、2つの星に同レベルの文明が同時に栄えている確率はさらに低くなるだろうし、そういう星の人間がはるばる地球を攻めてくる可能性というのも、もっと低いのではないかと思う。なので結局、自分自身としては、今暮らしている世界を享受するので精一杯である。また、同じ星の物語でも、宇宙戦争のようなものよりも、たとえば『星の王子さま』みたいに、クレヨンで書かれたような悲しくも味わい深い物語を選んでいくのだろうと思う。
(73)





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