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MoDoKiのしりとりブログ

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消しゴム
【担当】 豊田 【作成日】2007年02月05日 (月) 23時27分

 コレクターという人種がいる。自分の好きなものを一種類、あるいはそれ以上、集めては楽しむ人たちである。古いところでは切手収集、古銭収集など、今はアニメグッズのマニアなんて人も多いだろう。金に糸目をつけないとか、手段を選ばないとか、ときに困ったことにもなるコレクター魂だが、実は私もそのコレクターという人種に属し、様々なものを集めていた。中でも熱心だったのが、今回のお題、「消しゴム」である。小学生の頃のことだ。
 今の事情はよく知らないが、その頃は、子供の気をひくための文房具がたくさん発売されていた。特によく見かけた売り文句は「香りつき」だった。女の子向けには花の香りや果物の香りが多かったように思うが、中には「ココアの香り」や「カレーの香り」なんていうものもあった。当時、津の駅前のビルに本屋があり、その片隅の文房具コーナーが、私のいきつけの場所だった。今思えば大した品揃えではなかったと思うが、津に行くこと自体、子供にとってみれば今とは比べ物にならないほど大きなイベントであったし、いつも楽しみにしていたものである。
 買った消しゴムは、もちろん使わない。コレクターとはそうしたものだ。でも、せっかくのかわいい消しゴムや香りのついた消しゴムを、使ってみたいのも事実である。そこで「複数買い」という贅沢に走ることになる。贅沢といっても50円や100円の世界なのだが、同じものを2つ買って、ひとつを保存用にする訳だ。これは最近ではコレクターの常識になっているらしいが、子供の癖にそんなことを思いつくあたり、なかなか小賢しい、嫌な子供であったと思う。しかしその癖はいまだ抜けきらず、今日に至っている。
 その消しゴムがどうなったかというと、今でも持っている。友人や小さな親戚にあげたりして、数は少し減ったが、引き出し一杯分はあるはずだ。かなり珍しいものやばかばかしいものもあると思うので、また友人たちと広げれば、懐かしく面白いのではないかと思っている。

 消しゴムの思い出としては、「プラスチック消しゴム」というものもある。それは、消しゴムの収集に目覚めるよりも前の話になるのだが、私の使っている消しゴムがよく消えず、ノートがまっくろになるのを見て、教師をしていた父が、「勤務先の中学校の購買で『プラスチック消しゴム』を買ってきてあげる」と言ったのだ。それは、今からすればいたって普通の消しゴムだったし、その材質が本当にプラスチックだったのかどうかも分からないのだが、消しゴムなのにプラスチックでできたものがある、という情報が、よほど新鮮な驚きだったのだろう。むろんそれは、とうの昔に使ってしまったのだが、巻いてある厚紙のカバーに女の子の絵が描いてあったことはなぜか覚えており、ただそれだけの話なのだが、少し胸がせつなくなるのである。

 パソコンで文章を書くようになった最近、私の生活で、消しゴムの出番は減っている。しかし、無ければ困る文房具であることも間違いない。普段は気にもとめないが、欲しい時にどこかに隠れてしまって腹を立てたりしている。なくなってからありがたみに気付くものは多いが、消しゴムもそのひとつなのであろう。
(57)

イケイケ
【担当】 はしもと 【作成日】2007年02月02日 (金) 20時20分

「イケイケドンドンやで、橋本くん」と、ある人が言った。
そう聞いた僕は、イケイケドンドンやねって思えるといいのだが、
本当にイケイケドンドンなのか?と、立ち止まる。
もっと言えば、イケイケドンドンと言われたら、後ろに下がる位のモンである。

タイトルを読まれた方は、「イケイケのお姉ちゃん」のコトでも書くのだと想像されただろうが、
僕は「イケイケのお姉ちゃん」っていう定義がいまいちわからない。

そも「イケイケ」ってなんぞやと問われると、「イケイケやねん」と答えるであろう。
そのような日本語って、少なからず存在している。
例えば、「バリバリ」とか…。

はっきり説明できないのに、みんなの共通認識が得られるという
素晴らしい言葉である。

ちなみに、今の橋本は、「イケイケドンドン」と自分で思っている。
怖いね。

本日より、金曜日担当になりました。よろしくです。
(56)

図形
【担当】 紅美子 【作成日】2007年02月01日 (木) 23時00分

 こんばんわ!
只今大学のテストの真っ只中の私ですが、昔から私は勉強が大嫌いでした。
中でも1番嫌いなのが英語です。はぁ?何言ってるの?といった感じで全く理解できませんでした。
逆に1番好きだったのが数学です。特に好きなのはコレと言ってないあたりが勉強嫌いの私そのものであったりすると思います。
数学の中で1番苦手だと意識しているのが、今回のお題である「図形」です。
図形というのは、三角形、四角形、円、球などの形の問題で想像力が必要である。想像することは好きなのだが、それを問題として応用していくことが私は苦手だったようだ。
補助線という名の自分で作るヒントを引くことができず、形に囚われてしまうパターンなのだ。
しかし、それは頭を柔軟にして克服することは可能なのだが、実生活の中で頭をいくら柔らかくしても形に囚われてしまうという性格はなかなか治らない。
どこかに補助線を引くところがあるといいのだけれど。
(55)

地図
【担当】 はしもと 【作成日】2007年02月01日 (木) 09時04分

昔の人は、地図を作るとき、どうやったのだろう。
たぶん、数学的な知識と、地道な努力、たくさんの人数をかけて
地図を作ったのではないだろうか。

そう考えると、僕には地図を作ることができない。
数学的な知識はなく、努力が苦手で、たくさんの仲間はいない…。

まあ、実際に地図を作れないことは、たいした問題ではないので、よしとしてもいいのだが、
この地図をつくる3つの要素は、生きていくために必要な3つの要素のような気がするから
始末が悪い。

さらに言えば、地図を作るということは、全体を把握することのような気もするし、
とても重要なことなのではないだろうか。
つまり、何をするにしても、そのルール、成り立ち、決定者、基準、本音と建前・・・・・
などなど、根本的に把握することが、その作業の地図を作ることってことか、なあ。

このハナシは、
知っているほうが幸せなのか、知らないほうが幸せなのかっていうことに繋がっていく。

ちょっと飛躍しすぎたので、この件はまた。
(54)

リッチ
【担当】 いろは 【作成日】2007年01月30日 (火) 08時46分

いきなりですが、私はバーゲンセールがあまり好きじゃない。
買い物は好き。バーゲンも大好き。でも、あの狭い締め切った空間で、押し合いへし合い、鵜の目鷹の目、あれもこれも、レジぎゅうぎゅうが嫌。選んでる余裕がない。
それならば、とバーゲンの達人に秘訣を聞いてみた。
チラシをよ〜くチェックし、これはと見込んだお店をゲットし、店員と仲良くなって有力情報をキャッチ。バーゲンセール直前には必ず店に足を運び、買いたいものを決め、ディズニーランドよろしく開店時間に出かけよう、あとは目当てだけを狙え。
…冗談じゃない、そんなんでけん。そりゃ、少しでも安く買えれば嬉しいヨ、痩せても枯れても女である。どうしても欲しくて定価で買ったものが、一週間後に半額になってたら死ぬほど悔しい!!漫画の「OL進化論」を読むまでもない。
でも、あれもこれもと欲張っても、所詮あたりがあれば、ハズレもある。
ハズした時がやはりザンネンなのだ。ハズしたくないなら欲張らない。そう思った。
本当に必要なものを吟味して買おう。焦らない。宣伝文句にもノらない。

 金持ちがリッチなんじゃない。本当にリッチな人は成金ではなく、雰囲気・たたずまいがものを言う。
 リッチとは、ゆったりと満ち足りた時空間を持つことではないか?たとえば、忙しい時、少しでも時間を作って、お気に入りのカップでお気に入りの紅茶を飲むのでもいい。
豊田さんのように夜釣りを楽しむのも、いい♪それは人さまざまで、何もやたらと宝石をお値打ちに買うのでも海外旅行をするだけでもないだろう。
…と、イキがっても、いざタイムサービス現場なんか行ったら、「30%OFF!」につられていらんもん買うて、しっかり後悔するんやろな。トホホ…
(53)

釣り
【担当】 豊田 【作成日】2007年01月29日 (月) 23時51分

 本格的に釣りをしたのは大人になってからで、仕事仲間や幼なじみやらの雑多な仲間が集まっての堤防釣りだった。道具は何も持たずに行ったのだが、釣り歴が長い同僚が貸してくれた釣竿がよく馴染み、ビギナーズ・ラックというやつも手伝ってか、けっこうな釣果があがった。「投げ釣り」というのを教えてもらったのだが、竿を勢いよく振ると糸がヒューンとのびて遠くに落ちるのがひどく面白く、ひとりで夢中になった。
 そのときの私の熱中ぶりが話題になっていたのか、その後、腕がいいという会社の上司が、市の開催するハゼ釣り大会に誘ってくれた。投げ釣りを教えてくれた同僚なども加わり、4人でチーム結成である。チーム名を決め、それをゼッケンにするという規約があったので、どうせならとゼッケンをアイロンプリントしたお揃いのTシャツを作った。腕には会員番号もプリントするという気合の入れ様だった。
 Tシャツを仕上げ、ちょうど夜勤で会社にいる同僚たちに見せに行ったのが、2001年9月11日の夜である。歓談をしながらふと会社のテレビを見ると、燃えさかるビルが映っていた。ビル火災の中継だと思ったら、どうやら飛行機がぶつかったのらしい。どういうことだろう、と引き続き見ていたら、リアルタイムで2台目がぶつかった。上司が驚いて声を上げる。いうまでもなく、あの事件だった。
 世界を震撼させた事件である。不条理に沢山の人が命を絶たれることについて、関係ないとかどうでもいいなどとももちろん思わない。しかし、数日後に釣り大会を楽しもうとしている私たちにとって、それはやはりどこか遠い出来事であった。まるで映画を見ているように現実感がなかった。
 ただ、あの日のことは、その現実感のなさも含め、多分ずっと忘れないだろうと思う。そしてそれはもしかしたら、自分が歴史の中に生きているという、漠然とした思いなのかも知れない。

 さて、ハゼ釣り大会であるが、あまり芳しい結果は得られなかった。後で参加した幼なじみを含む総勢5人の分を合わせても、小さなハゼが数匹のみである。大会は夕刻でお開きとなったが、まだエサもあるし、このまま夜釣りにでも行くか、ということになった。むろん夜釣りもはじめての経験であった。
 夜釣りには「電気浮き」というものを使う。浮きが夜の海に浮かびながら光り、魚が食いつくとクイッと水中に引き込まれ、それを合図に釣りあげるという仕組みである。晩夏の夜の海に浮かぶ浮きは、なかなか文学的に美しかった。この情景を小説に書きたい、と思った記憶がある。戯曲と思わなかったのは、当時まだ戯曲に手を染めていなかったからでもあるが、今同じ情景を見ても、やはり小説と思うだろう。暗い場所で小さな浮きをずっと眺めていたため後で目がしょぼしょぼしたが、この夜釣りは魚がよくエサを食べる頃合、いわゆる「時合い」であったらしく、ハゼ釣り大会よりもずっといい釣果となった。

 釣りといえば、好きな歌がある。宮沢和史が作詞・作曲した『釣りに行こう』である。矢野顕子のアルバムにも入っていて、最初に聴いたのは矢野顕子の方だったと思う。歌詞にはよく意味の分からない部分もあるが、メロディラインがゆったりと美しいし、穏やかな時間が描かれた、透明感のある歌だ。その歌に出てくる人は、魚がひいていても知らん顔で昼寝をしていたりする。
 釣れれば嬉しく、釣れなければ腹が立つのが釣り。それが釣りの楽しさでもあるだろう。しかしこの歌のように穏やかな、昼寝をしているような釣りが、あるいは私の理想であり、憧れであったりもする。
 なかなか憧れのようにはいかないだろうが、暖かくなってきたら、久しぶりに誰かと釣りに行ってもいいかななどと、ふと考えている。
(52)

担当者変更について
【担当】 MoDoKi 【作成日】2007年01月29日 (月) 12時14分

しりとりブログをご覧の皆様
1月26日に本人が言及していますとおり、真鳥が担当から外れます。これは一身上の理由による休団に伴うもので、期間は1年〜1年半程度の予定です。

それに伴い、ブログ担当者を変更いたします。更新曜日を月・火・木・金とし、水曜を担当していた橋本が金曜に移ります。ただし今週は水・金の二日間、橋本が担当いたします。
引き続きしりとりブログをよろしくお願い申し上げます。
(51)

真実
【担当】 真鳥 【作成日】2007年01月26日 (金) 22時22分

「真実」。また大層なテーマにしてしまった。今回はちょっと気負いそうなので、なるべく
あっさり心がけます。

先日、あまり付き合いの長くない友人とこのサイトの話題になり、自己紹介コーナーの私の
文章のことでなんとなく嫌な予感がしたので聞いてみた。
「もしかして、ネタだって事分かってない?」
「えっ、そうなの?やたら長いしオチ無いし・・」
やっぱり、わかってなかった・・。
「あのぅ、長いのがネタで、以下省略ってのがオチなんだよ?」
「あっ、そうかあ(笑)」
分かってくれたのね、嬉しいよ。あれネタじゃなかったら、ただの危ないヤツやんか。
でもこの様子じゃ他に分かってない人もいるんだろうなあ、世間って怖いと笑いながら話し
たのだが・・。

米国の心理学者アルバート・ナントカビア〜ン博士(仮名)によると、話した言葉はたったの
7%しか真実を伝えられないそうである。書いた文章ならなおさら低くなるだろう。ならば
理解する側の主観、偏見、時には悪意によりさらに真意から遠ざかることもあり得るわけだ。
どうやら、何かを伝えるということには相当なリスクが付きもののようだ。こうなったらもう、
しりとり書くのすら恐くなってくる。

ところで、どんな世界にも表面と内面の顔があり、当たり前だが内面は深く関わらないと
知ることは出来ない。
「知らない」ことは怖いことであり、だが幸せなことでもある。
「知る」ことは勇気のいることであり、だが良い結果になるとは限らないものでもある。
それでも私は、真実から目を背けずに生きたいとは思っている。

伝える術がないということは、辛いこと。
まっすぐに伝わらないことは、それより遙かに苦しいこと。
ならばそれは、さらすものではなく守るべきものなのかもしれない。

真実はこの胸にあれば、きっとそれでいい・・・・フッ。


後半、ちょっとカッコつけてしまいましたので、この後はあっさり書きます。
実は、毎週金曜日を担当してきました私の回は今日がラストです。今までお付き合い頂き、
ありがとうございました。このコーナーはこれからも続きますのでお楽しみに。(あっさり)
(50)

追試
【担当】 紅美子 【作成日】2007年01月26日 (金) 21時20分

 しりとりブログ、1日遅れてしまってすみませんでした。
さて、今回のお題は追試です。
私は今まさに追試の危機に陥っています・・・。

追試という言葉には随分昔から苦しめらます。この言葉を初めて知ったのは、小学生の時でした。当時進学塾へ入った私は出来が悪く、毎回行われるテストでは追試に引っかかっていました。
その頃からでしょうか、この言葉に恐怖を覚えるようになりました。
今思うと、追試という言葉は恥かしいと感じるのですが
実際にコイツと直面すると恐怖でしかありません。
しかも、よくよく考え直すと、追試という言葉の意味を履き違えていることに気が付きました。
私が思っている追試の意味は点数が悪くてもう一度テストをやり直しさせられる再試験ということばであって、遅れて後からやり直させてもらう追試という意味ではなかったのです。
でも、妙にこの言葉を再試験の意味で定着させている私は、ドキッとしてしまい、
今でも恐怖の対象です。
(49)

【担当】 はしもと 【作成日】2007年01月24日 (水) 23時41分

引っ越しである。
学生時代も含めると、通算9回目の引っ越しである。

荷造り、ゴミ出し、手続き、買い物…
てんやわんやである。

お金はかかるし、手続きはややこしいし、段取りをキッチリしないといけないし、
不安だし、疲れるし、慣れることはないし、ハンコいっぱい押さないといけないし…
大変である。

といっても、リセットできるっていう、楽しみもある訳で。
うまくいかないことや、もやもやした気分が一新できる「気」がするのである。
あくまで「気」がするだけで、自分自身は何も変わらないけれど
この際「気」が重要なのだ。

「住み慣れた部屋を今日限り引き払い、また次の場所へ行こうと思うんだ」
このフレーズが、引っ越しの度に、アタマの中をぐるぐる巡る。
この曲の最後のフレーズは「今度こそ幸せになれますように、そんな思いで車を走らせた」
となるのだが、荷物をいっぱい詰め込んで車を走らせると、
なんとも言えない気持ちになる。

別に今が不幸な訳でもないし、特別な感傷を抱くこともないはずなのだが、
引っ越し自体が、何か意味のあるようなものに思えてくるから不思議だ。
「気」がするだけなのに、ねえ。
なんだろう、あの気持ちは。

不安と楽しみが入り交じって、過去と現在と未来がぐるぐるして、
もう戻れないっていう気持ちと、どこへ行くんだろうっていう期待と
どこでもいいや、って気持ち?

まあ、悪い感じじゃないから、よしとしよう。


で、「津」に引っ越します。
いいことありますように。
(48)

【担当】 いろは 【作成日】2007年01月23日 (火) 08時39分

 「靴」という言葉って何となく可愛い。シンプルさが心地良い。
 でも、その実態は、たいてい私にとって、心地良くなかった・・・。
 足に合う靴になかなかめぐり合えない、そんなコトありませんか?

 昔は靴は贅沢品でした!!(オッ、またトシヨリ得意の昔話パターン♪)
 子供時代、靴が足にピッタリしている時のなんて短かったこと!たいていは大きめを買い、ほんまに窮屈になるまではかされて、足とは辛抱するためにあるものやった。
 別に、うちが特にスパルタでもビンボーだったのでもないよ。今みたいに種類もサイズも数もないんだから。せやから、運動会の徒競走ではみんなたいがいハダシで走ってました。スプリンターはたいがいハダシ。準ずる者は、「ハダシ足袋」=「おもいでぽろぽろ」に出てくるタエ子ちゃんのです。丈夫で、結構踏ん張りが利いて、洗濯できるけど一回で真っ黒。写真に撮ると、ダサかった。まだ、学校時代はシャレっ気のない時代で、みんなおんなじモノ履いてればよかった。

 パンプスを履くようになった時、本当に困った。
 161cmのアタシの背が日本人女性の標準より高かった時代、24cmサイズは少なかった。そこへもって私の足は日本人の基準からそれている。またしても、デザイン・履き心地などとは言うとれへん。なんとか履いて歩けるのが、お店に2足しかなかった(悲)。
 あるだけマシともいえる。わたしより大きいサイズの人は大阪まで買いに行ってた。そうそう、サンダルはいつも同じデザイン。そうでないと、すっぽ抜けて、指が地面について汚れてしまう。
 サイズもデザインも豊富になった今でもぴったりのにめぐり合えると、涙が出るほど嬉しい!!  運命に感謝☆☆☆

 靴はファンタジーに必須のアイテムなのに、こんなにも現実的なしろもの。
 ベビー用品店で、『初めて履く靴』とか見ていると飽きない。想像が翼を広げる。      
 親はどんな思いでこの靴を買うのか。その子は次にどんな靴を履き、どんな風に靴達はその人と係わっていくのだろうと。
 
(47)

記憶
【担当】 豊田 【作成日】2007年01月22日 (月) 11時25分

 記憶力にはいささか自信がある。とはいえ、受験の暗記物のような役に立つ部分でではない。いわゆる「いらんことばっかりよう覚えとる」というやつである。これは持論であるが、記憶力のいい人間は執念深いと思う。ひどい目にあったとき、記憶がなかなか流れていかないので、いつまでも恨みに思ったりするからだろう。
 大学の授業で、南方熊楠の逸話を聞いた。授業の核ではなく完全な余談だったが、やはりそこだけ覚えている。どういうものだったかというと、彼は「忘れることができない」人間だったという話だ。妻が実家に帰ってしまったとき、その玄関口に立って、結婚したその日に君はこう言ったじゃないか、二日目にはこう言ったじゃないか、と、延々話し続け、ついに妻の親元が恥ずかしくなって「早く熊楠の元に帰れ」と娘を戻したらしい。しかし彼はいろんなことを忘れることができなかったため、ついに頭の中が大変なことになってしまった、と教授は話していた。忘却は、人間にとって必要な要素なのである。

 さて、「他人と記憶が食い違う」という経験は、誰でも一度はあるのではないだろうか。一緒に旅行に行ったときの順路とか天気とか、あのとき誰がどう言ったとか、なんでもいいが、細かな部分で食い違いが起きる。大半は、今さらどうだっていいようなことばかりなのだが、躍起になって言い争ったりしてしまう。
 一年半ほど前、フランスへ旅行することになった。ところが友人が、同行する別の人間のことを、「私の友達」という言い方をして、なかなか名前で呼ばない。訊いてみたら、Tさんだった。ああ、Tさんだったのか、と言ったら、友人は驚いて、「どうしてTさんを知ってるの?」と言う。
「だって会ったことあるよ」
「え? どこで?」
「あんたの家で」
「うそー! 会わせたことないよ?」
 今度は私が驚く番である。私は友人の家で、Tさんに会っている。Tさんが友人の家に泊まりに来て、そこに私も訪ねたのだ。どういう話をしたか、と訊くので、ムダ毛処理とかエステとか、美容に関わる話をした、と答えたら、確かにTさんはそういうことに興味を持っており、人となりも合致した。
 友人は、どうでもいいと思うことはさっさと忘れていくタイプである。だからきっと、そのときのことを忘れてしまっただけだろう。そのときはそれで納得したのだが、それには後日談があった。友人がTさんにその話をし、私の写真を見せたところ、
「えー、私、こんな人会ったことない!」
と言ったというのだ。
 二対一。形勢はいささか不利である。しかし、私が旅行先で実際に会ったTさんは、やはり友人の家で一度会ったTさんなのである。
「会ってるって。だってTさん、私が覚えてる人だもん」
「じゃあなんで、向こうはあんたを知らんって言うの?」
「Tさんが覚えてないだけでしょ」
「でもさ、あんたみたいなインパクトのある人に会って、それをTさんが覚えてないと思う?」
 むむむむむ…。それはそうなのだが、私が正しいのは間違いないのだ。
 しかし、私の記憶の中でしか、それはすでに立証できない。
(46)

【担当】 まとり 【作成日】2007年01月19日 (金) 23時35分

『時は金なり法隆寺』 (真鳥 2007年ボツ)

これは伝説の詩人、真鳥氏が単なる思いつきで詠んだ歌である。あまりのくだらなさにすぐ
ボツにした、というエピソードが残っている。

で今回は・・「時」。

過ぎた時は戻らない。そして過去は変えられないが未来は変えられるという。
ところが何かの本に、未来は変えられないが過去は変えられる、とあった。通説を根底から
覆す一文に興味を持ち読んでみると、未来は未知のことであり、これから経験する出来事は
自分にとって良いものになるか悪いものになるかは分からない。しかし過去の出来事は自分
の考え方次第で全て良い経験に変えられる、という意味だったと記憶している。

なるほど。では過去も未来も変えることが出来るわけだ。人の心は面白い。
だが良い未来、良い過去のためには「時」を犠牲にしなければならない。そしてその「時」は、
絶えず「今」なのだろう。
ならばずっと変わらない想いを胸に、未来と過去を自在に操ってみようか。今と引きかえに。
まさに、『時をかけるまとり』。・・ちょっと古いな。ではここで一句。

『時、すでにおそ松くん』 (年代不詳)

これはあの哲人、ソクラテスの近所に住んでいたマトリクスの言葉である。
時代はすでにおそ松くんだったことを思い知ったチビ太の苦悩、という意味かどうかは定か
ではない。今回もおそ松様でした。
(45)

ずっと
【担当】 紅美子 【作成日】2007年01月18日 (木) 23時57分

 長い間一緒にいると、少しの変化に気が付かなくなる。
 ずっと見つめていると、ほんの少しの変化に直ぐ気が付く。

あれ?

どうして矛盾しているんだろう

長い間一緒にいるからこそ、気が付かなくなる面もあれば
直ぐに気が付くようになる面もある。

時間というのは不思議なものだと思う。
当たり前だといってしまえば当たり前だけれど、巻き戻すことも出来ないし、早送りすることも出来ない。

それでも、人間は未来に憧れ、過去に惹かれる

長い時の流れを見つめてきた樹は何も変わらずにそこに立っているけれど、
長い時間をかけて変化をしている

人は、短い生涯を生きて常に変化し続けている


ずっと変わらないもの、そんなものはあるのだろうか

この地球でさえ時とともに変化を遂げている


ずっと変わらないもの・・・

それは人を想う心だと思う。

慈しみ、喜び、悲しみ、憎しみ

それらはそれぞれ違うけれど、人を想うからこそ生まれる気持ちだと思う。

私は、何もかもが変わる世界で
人を想う心だけは
ずっと変わらないでほしいと願っているのかもしれない。

ずっと
(44)

ノイズ
【担当】 はしもと 【作成日】2007年01月17日 (水) 23時02分

ノイズというと、音の世界のことと考えてしまいがちだが、
私が職業としているグラフィックの世界でも、常に意識されている。
簡単に言うと、伝えたいことを邪魔するヤツ(←ノイズ)を排除せよってことで…。

短絡的に突き詰めていくと、
飾りをなくし、文言を減らし、色数を減らしってことになっていって
ついには、「真っ白な紙面に、スミ文字一つ」って状況に陥る。

と、ツマラナイのである。当たり前だが。

どこまでがノイズで、どこからが伝えたいことなのか…
そこを突き詰めるのが、表現者の勝負処であるように思う。

なんて、真面目に言ってみるほどの表現者でもないので
僕は「気持ちのいい落とし所を見つける」ことに専心する。

考えてみれば、ノイズ=遊び であったり、ノイズ=ゆとり であったりするのかもしれない。
雑音の多い毎日だが、それを楽しむ余裕を持ちたい。
(43)





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