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MoDoKiのしりとりブログ

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数学
【担当】 いろは 【作成日】2006年12月26日 (火) 08時59分

紫キャベツって、なるほどねぇ♪サラダに千切りで付ける他に、なかなか思いつかなくて・・・。酢漬けにすると、たくさん摂れて健康的。お題「すす」か「スイス」でも・・・と思ったケド。

数学が大嫌い。
中学まではともかく、高校に入ってからはさんざん。
この世に絶えて数学のなかりせばわが心はのどけからまし。
「やればできる」なんて、ウソ。人はあまりにも簡単にそう言うけど、でも、そうじゃない場合も、アル。
そもそも数学的思考ができないのである。数学という名の山があるとしたら、せいぜいワタシに登れるのは見当山か長谷山くらい。
小6の時に、その壁はあらわれた。「つるかめ算」という名のアイガー北壁。(大げさ・・・)
Aさんがいました。(ほぉ~)
Aさんは朝8時に家をでました。(えらい、ゆっくりやな)
10分後、Aさんの兄は忘れ物に気づき、(アッホやなぁ)Aさんの後を自転車で追いかけました。(えらい優しい兄さんやなぁ、ウチやったらそんなことだぁれもせぇへん)兄さんがAさんに追いつくのは何時何分でしょう。(そんなもん、時速○kmとかおんなじ速さで歩けるわけないやん。信号かてあるし・・。兄さんかて坂とかあったら無理やん。こんな計算するだけ、アホらし。)と、問題にツッコミを入れて毒づくのでアル。解こうという意欲がまず、オコラナイ。時間の無駄、こっちも楽しくない。
30過ぎまで、試験でできもしない問題と格闘している夢を見てた。憎たらしい数学、とっくに縁は切れたはずなのにおまえはどうしてあたしにつきまとうんだい?バカ、バカ!!
この憎たらしいものって頭のどっかに巣くってて、気になる存在なのよね。
算数さえできれば人は生きていけるのよ。普段の生活に微分も積分もイランワイ、高校生のアタシはそう思っていた。けど・・お勤めしてから思ったね。やっぱ、あなたは必要だわ、数学ちゃん。ナニガ?って言うなれば[数学的なものの考え方]ということ。あ〜、この欠点のせいで、「相殺払い」のやり方がなかなかわからず、オニ先輩に何度も何度も怒られた。「どうしてアナタはそうなのよ!」泣いてなんかいられない(泣いたケド)。クビはイヤ。韓国ドラマもマッツァオのキレーでコワーイ先輩に口答えする方が、方程式を解くより辛い。
・・・と嘆きつつ、ワタシはその時一人、人生の方程式を解いていた。
(27)

【担当】 豊田 【作成日】2006年12月25日 (月) 10時40分

 今回は「酢」である。本当は酢漬けの話なのだが、ここはあえて、しりとりとしては半反則技かも知れない一文字で「酢」にしてみた。

 畑で紫キャベツが穫れたので、会社の人にひとつ差し上げた。親類に農家がないらしく、我が家の収穫物をいつも喜んでくれる人である。もっとも我が家も農家ではなく、趣味の範囲で作っている。
 後日、すごく美味しくて家族にも大好評だったとの感想をいただいた。どうやって召し上がったんですかと訊くと、酢漬けだという。細く切ったものを塩もみにして水分を出し、それから酢に漬ける。みりんや砂糖などで甘みもつけ、味を調えるといいらしい。紫キャベツの色が酢にも移り、ワイン色のなかなか洒落た一品になるそうだ。塩もみにすると味もつくし、漬かりも良いとのこと。密閉容器でしばらく保存できるので、思いついたときに出してきて、付け合せにする。
 新しいひと玉が来たので、さっそく家でもやってみた。紫キャベツは普通のキャベツよりも厚みがあって多少切りにくいように思うが、ほどなく切り終える。酢はワインビネガーとりんご酢を使った。りんご酢は甘みの強い、薄めて飲料にもなるタイプのものなので、砂糖は入れず、かなり酸味を強く仕上げてみた。急いで食べると喉に酢がきてむせるのが難点といえば難点だが、色も鮮やか、健康に良さそうな一品ができあがった。
 輸入食品を多く扱う店にクリスマス会の買い出しにいったところ、ピクルスのコーナーに市販品もあった。ひょっとしたら、紫キャベツの食べ方としてはけっこうスタンダードなのかも知れない。
 紫キャベツといえば、小学校のときに理科の実験で使った覚えがある。なんのための実験だったのかはすっかり忘れてしまったが、ゆでて色素を出し、それをなにかに使うのだったと思う。どういうわけだか匂いを嗅いでものすごく気分が悪くなってしまったことだけ覚えている。それから敬遠するようになったということでもないのだが、わざわざ食材として使うということは、今までなかった。
 しかし今回のこのレシピはなかなか気に入った。一度に大量に食べるようなものではないが、折を見てたびたび作ってみたいと思う。紫キャベツに限定しなくてもできると思うので、よろしければお試し下さい。
(26)

師走
【担当】 まとり 【作成日】2006年12月22日 (金) 23時55分

再び「し」が回って来たのだが、考えてみたら「シューチーズ」は食べたこと無いので
書けないなあ。ごめんなさい。今回は、師つながりで「師走」です。


12月は、イベントも目白押し。なかでも一番の賑わいを見せるのはクリスマスだろう。

至る所にツリーが飾られ、どこの店にもクリスマスソング。
デパートではプレゼントを買うために、レジに長蛇の列。
サンタは、やはり爺さま。婆さまだとしっくりこない。
おもちゃ売り場などは、蜂の巣をつついたようなお祭り騒ぎ。
それを尻目に、イノシシをむさぼり食う私・・・・どこの街角でも見られる光景だ。

ところでこの季節になると時おり聞くのが、どこもかしこもカップルばかりでむかつく、という声。
実は私は、子供の頃それが不思議でしょうがなかった。

例えば、そのどちらかに好意をよせているのであればまだわかるのだが、見ず知らずのカップルが
仲よさげにしてるのは微笑ましいではないか。まあ、確かに限度にもよるが(笑)。
もしかしたら、大変な苦難を乗り越えて巡り会った二人かもしれない。織姫と彦星のように、年に
一度のデートを楽しむ遠恋カップルかもしれない。
幸せそうに見える人が、幸せとは限らない。
どんな人にも、心に哀しみが、痛みがある。それでも一生懸命、生きている。
表面的にしか見ずに、個人的感情で矛先を向けるのは少し大人げないのではなかろうか。

と大層な結論を出しすっかりご満悦の私は、当時中学生。ケーキを買ってもらえずに少しブルーになっている、おませな少年の青い春だった。・・・いや、冬だった。
(25)

猟師
【担当】 紅美子 【作成日】2006年12月21日 (木) 23時26分

 随分と昔の話ですが、母の実家にイノシシが突っ込んできました。イノシシは家の中を走ったそうです。詳しい状況は知らないし私もまだ小さかった頃なので覚えていません。
ただ、その話を聞いた私はイノシシというのは恐ろしい動物なのだと思いました。

 さて、そんな恐ろしい動物と認識していますが、実は私、イノシシを食する機会が多いです。こちらは父方の祖母の友人がイノシシを獲ってくるので私も食べる機会があるのです。イノシシのお肉はどんな味と想像するでしょうか?
私は幼い頃よりイノシシは冬になるとよく食べる食材だったので、イノシシの味としか言えないのですが他ではどうなのだろうと気になるところです。
 
 イノシシを食べるということで最近面白い話を聞きました。母方の祖母から聞いた話なのですが、とある研究所でイノシシと豚で新たな食用の肉を得ようとしているそうです。聞いた話なので、何を目的としているのかは定かではないです。母方の祖母はそのイノシシと豚の子どもを食べたことがあるそうです。味についてはあまり詳しくは聞いていないのですが、豚肉より油っぽいそうです。
そして、イノシシと豚の子どもの名称は、そのままの「イノブタ」らしいです。もっと考えればいいのに・・・

ただ、このイノブタがもっと出回るようになれば、イノシシを獲る人は減るのかもしれない。
最近は野生の動物達が人間に慣れ山や森から出てきて住宅地に住み着いたりもしているという。動物の生態系も人間が地球の環境を変えつつあると同時に変わってきている。私たちにとって住みやすくても、野生の動物達にとっては住みにくい。住処をなくした動物達が山を出てくるのは当たり前で、猟師たちが彼らを殺すことには首を傾げてしまう。

共存する手立てはないのだろうか。

そして、来年はイノシシ年ですね。
(24)

まつり
【担当】 はしもと 【作成日】2006年12月20日 (水) 23時42分

年末を迎え、仕事がおまつり状態である。
テンションが上がり、怒りっぽくなり、よくしゃべる。
しょうもないことで、笑って、なんとなく楽しい。
忙しい年末が、僕は好きで
仕事柄、毎年追い込まれて、泣きそうになるのだが
「まつりだあ」の一言で頑張ってしまう。

本当の「お祭り」も、好きである。
ただし、テンションはあがらない。
まったりと、のんびりと、ぶらぶらと、様子を眺めるのである。

様子を眺めるというのは、僕の生き方でもあるのだが、
冒頭のように、一旦巻き込まれると実は楽しかったりする。
例えば、お御輿。
小学生の時以来、担いだことはないが、ちょっと羨ましいと思って眺めている。
上げ馬神事も、丸太ん棒に乗って坂道を下るのも、
阿波踊りも、夜通し踊るのも、流鏑馬も、
ちょっぴりいいなあと思って、眺めている。
なにがいいのかは、わからないけど。

もっと、深く考えると、
祭りの中のどの部分にコミットするかが、重要なポイントのような気がする。
例えば、上げ馬神事でも、周りで囃し立てる人たちのことを僕は眺めていない。
駆けていく馬と人に対して、いいなあと思うのである。

難しいのは、全員が主役というような、阿波踊り系統のまつりである。
どこを眺めるか…。困る。
たぶん、その祭りを深く知れば、本当の主役を見抜くことができるのだろう。
でも、そこまでは知りたくない。だって、どうだっていいし、
僕にとっての祭りは、別のところにありそうに思う。
そりゃ、僕の祭りが、阿波踊りでないことは確かであろう。
そりゃそうだ。

様子を眺める生き方を変えるつもりはないが、
自分自身が、巻き込まれ型の人間であることも認識している。
来年あたり、いきいきと阿波踊りを踊っていたら、どうしよう。
とても怖い。
どうか、阿波踊りには、巻き込まないでいただきたい。
(23)

爺さま
【担当】 いろは 【作成日】2006年12月19日 (火) 10時33分

 私が三つか四つくらいのとき、近所は小さな商店街でした。
 家の前はちょうど、商店街のはずれにあたり、二人の花売りさんが毎朝早うから来てはりました。

 一人は愛想の良い、白髪で色白のおばあちゃん。
 もう一人は、苦虫をかみつぶしたような顔の、大きな前掛けと毛糸の帽子の小柄なやせたお爺さん。

 二人とも、昔の籐製の大ぶりの乳母車に、いろんな季節のお花をわんさか載せて、朝も早うから立ってはりました。


 さて、この花屋さんがた。
 おばあちゃん花屋さんは話し好きで、明るくて、安かった。
 一方、おじいちゃん花屋はどうかというと・・、
客商売のくせに、ニコッともしない、(値段を)まけない、おまけに、高い★ いつも怒ったような顔をして、口をへの字にしてはりました。

 でも・・・、花は素晴しかった。なんともいえず生き生きして。
 綺麗な花たちと無愛想な爺さまとがひどくミスマッチというか、でも、よく考えると、『それもアリかな?』のコントラスト。(男前と薔薇の組み合わせの方がありきたりダナ・・・ホストか?)

 値段は花1本あたり2倍ではきかないくらい差があったと思うけど、花の持ちもそれ以上に違いました。
 普段は世間話をしてB花屋から買う祖母も、法事や何かイベントの時は、いまいましくもG花屋から買わねばならない・・・そう決めているようでした。
 気位が高く、勝ち気な祖母。
 かたや、職人気質で男尊女卑な明治の男。

カーン☆(ゴングの鳴る音)


(古舘一郎調で)
おっ、まずはB花屋と世間話をする祖母、しかしいつになくちょっと落ち着かないか。チラッとG花屋の品揃えを見ている・・・B花屋のもザッと見たようだ・・・さぁ、どっちから買うのか、祖母!
おぉっと、G花屋の松をいきなり手に取った祖母!Gは明らかにムッとしたぁ。
「これ、ええ松やなぁ。あ、これもこれも。」
松ばかり4本も5本も引っぱり出す祖母ぉ・・・もはや黙っていられなくなった、G花屋。
「松ばっか・・・あかん。」・・・そうだよ、花も買いなよ。Gももうちょっと、愛想、言え(ハラハラ)
 「(カチン)あぁ、こわぁ。(B花屋に)松ばっか、あかんて。」・・・祖母!Bに振るなよ。愛想笑い引きつるB★(同情するぜ、Babe)。しかぁし、祖母も只者ではナイ、松Onlyじゃなきゃいいのね・・・ワカッタワヨ。
 松と鶏頭(フェルトみたいな派手な色の花)4、5本に決めたァ、ホッ・・・まぁ、いいか。あとのお花はB花屋。


 バトルを終え、踵を返す祖母、おつかれぇ♪
  爺さまもおつかれ・・・とふりむいた少女の私に、忘れもしない・・・爺さまは、手を振った、バイバイ、と。
あいかわらず、苦虫をかみつぶしたような、無骨な、せいいっぱいのサービス、今でも忘れてない。
花と爺さま。私が、人生で初めて出会った、プロフェッショナル・・・
(22)

レジ
【担当】 豊田 【作成日】2006年12月18日 (月) 09時07分

 1000円以内の買い物をしたとき、金額的には1000円札を出せば事足りる訳だが、おつりのことを考えて1000円と小銭を出すことがある。例えば960円。10円玉が4枚よりも50円玉が1枚返ってきた方が財布の収まりがいいので、1010円支払う。あるいは自分の財布に10円玉が沢山あって早く使ってしまいたい場合に、6枚使って1060円。するとおつりは100円玉1枚になる。
 分かりやすい例を使ってみたが、実際にはこういうことは1円単位で発生する。支払い金額と自分の手持ちの小銭から計算して、なんとか財布をすっきりさせようと試みる訳である。
 最近は性能のいいレジスターがあるせいか、コンビニなどで細かい金額を出しても、まず変な顔をされることはなくなった。機械的に計算して、機械的におつりをくれるだけである。だが以前は、余分な小銭を返されることがけっこうあったように思う。1000円札1枚で足りる金額の支払いに、どうして余分な小銭を払うのか。その道理が分からないだけならまだしも、「多いですよ」と小銭を返してくるレジ係が、薄ら笑いを浮かべてこちらを見下している風だったりするのには、無性に腹が立ったものだ。
 もちろん、こういうことに頓着せずに支払いをする人も多いに違いない。ある友人の友人は、買い物はすべて、札で済ませているらしい。そして戻ってきた小銭のおつりを毎日、部屋の貯金箱に入れる。そうすると一年で30万円くらい貯まるんだそうである。やってみたいなあとも思うが、生活にそれだけの余剰があるというだけの話な気もするし、結局、1円単位の支払いに小さなかけひきを重ねている。

 レジといえば気になるのは、最近のおつりの受け渡しである。私は小銭入れのついた二つ折りの財布を使っていて、札は財布を折らない状態、小銭は折った状態で出し入れする。なので、おつりを受け取るときに、それが札か小銭かで、財布の構え方が違ってくるのである。
 このごろ、札と小銭、両方のおつりがあるときに、「大きい方からお返しします」と返してくれる人が多くなったように思う。そういう場合、財布を開いて構えておけばいい。それをしまう間に小銭の分を用意してくれるので、財布を折り、小銭入れの口を開けて小銭とレシートをもらうのである。
 ところがそうでない場合がある。財布を折らずに待っていたのに、札の上に小銭を置いて一度に返してくれる。そうすると、小銭から先にしまわなければならないので、財布を折って小銭入れを開くことになる。相手をお金を差し出させたまま待たせることになるので、ちょっと焦ってもたもたする。先に受け取ってしまったらしまったで、小銭だけ落ちないように持ちかえたりするので手間取ってまごまごする。後ろに並んでいる人のことも気になる。
 あれ、なんとかならんもんかね。喫茶店に寄った帰り道、私は友人に言った。
 そんな細かいことに気をもんでいるあんたの方にイライラする。友人は言った。
(21)

流れ
【担当】 まとり 【作成日】2006年12月15日 (金) 22時25分

紅美子さんの詩はいつも綺麗で、そして切ないですね。
「流れ」。今回のこのテーマも、何となく切なさが漂うと思うのは、私だけだろうか。
「流」という文字のせいかもしれない。

流れ星。流れる時。萩原流行。
ご存じ、「流れる」の三段活用である。受験生の皆さん、要チェックだ。
それはともかく、私には儚いイメージがあるこの言葉だが、それでも私は、流れるという字が
嫌いではない。


流れ星。
流れ星に願いをかける。子供の頃何度もやろうとした。
しかし高速で流れ、そして消えてゆく星に願いが届くことはなかった・・・。

流れる時。
月日がたち、大人になった私は流れ星を探すことなどしなくなった。
ただ、空を見上げるのは今でも好きだ。たとえそこに、流れ星がなくとも。

そうだ、たった今思い出した。なぜこんなにも「流れ」が切ないのか。まさに運命のいたずらである。

流れ作業。
小学校の時、社会見学でパン工場へ行った。
ベルトコンベアーの上で出来たてのパンたちが綺麗に列を作り、流れていく。他の学校の生徒も来ており、少し離れたところに列を作り、同じように見学していく。
湯気の出ているパンに見とれて、思わず隣の友人に話しかけた。
・・・全然知らない子だった。慌ててその隣の子に話しかけると、これまた知らない子。
「アンタ誰?」と言いそうになった私に彼は言った・・・。「アンタ誰?」と。

そう、いつの間にか他の学校の列に並んでいたのである。
平静を装い、もといた列に戻っていく私の背中に視線が突き刺さる。迎えるクラスメートのニヤニヤ
笑いが胸を締め付ける。

「大人になってもパンみたいに、流されたくない」

その時そう思ったかどうかは定かでないが、ほろ苦く、青い思い出である・・・。
(20)

ルナ
【担当】 紅美子 【作成日】2006年12月14日 (木) 22時36分

 冬の寒い夜キミと月を見る。吐く息がとても白くて、何故か切ない。
雲ひとつない空の月はとても明るくて、そこにある空気はとても澄んでいてまるでキミのようだ。
ボクが空を見上げるとキミも一緒に空を見上げる。

そうだ、この月に一緒に願い事をかけよう

と、キミはボクに言った。
今でも覚えている、あのときの願い事。
キミの願いは叶ったのだろうか。ボクの願いは叶うのだろうか。

今年の冬は、あの夜の寒さより厳しいけれど
吐く息の白さの切なさは、あのときの方が切ない。
隣にキミがいたからだろうか。

そして今夜の空には雲がある。
月は雲の陰からぼやけた光をかもし出し、ボクに語る。

願うから叶うのではない

ボクはまだ先に進めない。
もう1度キミに会いたい。

寒さの中で、真っ白な息を吐きながら手を擦るキミはどこにいるのだろう。
冬の月はキミの行方を知っているようだ。

あのときの白い息が切なかったのはキミの体温を感じることが出来たからだろうか。

もう1度あの声が聞きたい。

そう思ったボクはもう1度月を見上げ、あのときとは違う願い事をかけることにした。あのときと同じように。
(19)

いらいらする
【担当】 はしもと 【作成日】2006年12月14日 (木) 00時10分

よく行くラーメン屋の店主が、いかにもラーメン屋なのである。
僕が想像している通りの動き、発言を、この人はする。
だから、僕はこのラーメン屋に行く。
だから?

あまりに想像した通りに、店員を叱りとばし、客に大きな声で挨拶し、
素早くラーメンを出し、段取りよく客あしらいをし、たまに味をチェックする。
一連の動きに、スキはなく、とにかく安心なのである。
で、ここへ、よく行く。

お店に入って、自動券売機でラーメンチケットを購入している間に、
店主は、限られた客席を順序よく埋めていくために、座ってほしいところに水を置く。
その指定席に素直に座って、ラーメンをいただくのである。

試しに、店主が目を離していたので、指定と違うところに座ってみた。
目の前に水はない。黙って購入したチケットをカウンターに置く。
ここで、15秒ほどの間。僕は、とりあえず煙草に火をつける。
つけた途端、大きな声で「お客さん」と呼ばれた。
それだけである。がっかりした声ではない。怒った声でもない。
にこやかに、だが大きな目を開いて、指定席を指している。
素直に従っておいた。軽くうなずいて店主は目を逸らせていった。

この店のラーメンは、こってりしている割にパンチに欠けるので、
「辛い味のヤツ(豆板醤かな)」を入れたいところである。
が、これがまた、やっかいである。
まず、カウンター上に「辛い味のヤツ」は置いていない。
入れたい人は、店主に「辛いヤツ」と注文するのである。
店主は、おもむろにレンゲを取り出し、「たっぷり?ちょびっと?」と聞く。
ここはぜひとも「たっぷり」と答えておきたい。
「ちょびっと」は避けた方がよいと思う。
さすがに、勇気がなくて「ちょびっと」を試したことはない。
他のお客さんが「ちょびっと」と言うのを聞いたこともない。

「ちょびっと」なら頼むなよ。とか
「ちょびっと」が可能なら、カウンターに置いてあってもいいのではないか。とか
店主が「たっぷり」を先に言ってるから、たっぷりの方がいいのではないか。とか
いろいろ考えてしまう。「ちょびっと」と言えば、店主はイラつくだろうか?

短い昼休みのラーメン屋で、できることは限られている。
作戦を練ってみたいと思う。

しかし、この文章、いらいらしますねえ。
(18)

ぬくたい
【担当】 森 【作成日】2006年12月12日 (火) 08時05分

 公演、終わりましたね。おつかれさまでした。
 はぁ、冬ですなぁ。明け方はやっぱり冷え込みます。

 さて前回は、風紀委員かどこぞのセンセみたいな文章になってしもたんで、
今回はサラッと行きたい。

 「ぬくたい」…「ぬくい」でも、「暖かい」でもかまへんのやろけど、
 ワタシには「ぬくたい」がぴったり、くる。なんでやろ?
 一つには「寒がり」やで。
 もひとつは、三重県人やで、かな?

 方言て「ふだん着」やよね。せや、せや
 「うかめる」は、なるほど初めて聞いた。
けど、べつにびっくりはせぇへん。なんとなくカンジでわかるし、
 ワタシもたいがい職場の人らから、コテコテの伊勢弁スピーカーやと思われとるけど
 このアタシにしたかて、いまだ時々父母の口から
「え?なんやてぇ・・・わからへんわぁ、もっぺん、ゆうてぇ。」
てな言葉が出てくるからさぁ。

 「ぬくたい」は、「さっぶぅ〜」の対極にある言葉。
 冬になるとこの言葉、実感としてありがたい。
 そう、アタシにはこの言葉が「暖かい」より「ぬくい」より、もっと
迫ってくる実感なんやねぇ・・・と思う。
「ぬくたい」がかもし出す雰囲気は、「こたつ」、「日だまり」、そして「ほどほど」。

(17)

【担当】 豊田 【作成日】2006年12月11日 (月) 23時46分

 お題に入る前にご報告。三重県小劇場上演研究実行委員会第2回公演『ウチハソバヤジャナイ』が終了した。まとり氏が下でちょっと書いている「面白舞台」がそれで、秀逸な戯曲や県内で馴染みの薄い劇作家の作品を、キャスト・スタッフを募って上演しようという企画である。今までここでは何もお知らせしていなかったが、実は、MoDoKiメンバーの内3人(過半数ですね)が、この公演の関係者だった。名前を変えている人もいるので詳しくは書かないが、キャスト、宣伝美術、映像という3分野での参加である。私は映像の担当で、当日は受付を手伝ったのだけれど、脚本を書かれたんですか? とお客様に何回か訊かれた。公演の意図としては戸惑いも感じるが、過去のリーディングや演劇塾などを記憶に留めてくださっているのは、ありがたいことであった。
 キャストと私の2人は、四日市での合宿に参加したりもして、なかなか濃密な稽古時間を過ごした。今回の戯曲はナンセンスコメディの傑作とも言われているもので、まあ、到底MoDoKiで書くのは無理だろうが、いろいろ勉強になることも多かったので、今後の精進につなげられればと思う。ご来場いただいた皆様、本当にありがとうございました。

 さて、本題の「犬」である。
「犬が好きか猫が好きか」で人を分類することは、しばしばある。「自分の性格が犬か猫か」という話題も、よく出るのではないだろうか。何より身近な動物だし、種としての性格も正反対とされているところがあるので、比較もしやすいのだろう。
 私は犬が好きである。猫も嫌いではないのだが、選べといわれれば犬だ。鼻がぺちゃんとした屋内犬よりは、いわゆるくちばしがある日本犬がいい。日本犬の子犬が数匹、ころころと遊んでいる姿なんかを見かけると、「カワイイイー!」という超音波が心の中で鳴ってしまう。
 犬好きの人間が犬の性格で、猫好きの人間が猫の性格で、ということは別にないと思うのだが、私は性格も犬である。しかもけっこう役に立つ番犬だ。こう書くと自画自賛に聞こえるかも知れないが、そうではなく、つまり、ご主人様と認めない人には懐かないのである。嫌いな人を警戒して、喉の奥でウーッとうなり続けているようなところがある。嫌いじゃなくても、知らない人には頭をはたかれるのではないかと警戒して、なかなか近寄れなかったりもする。一方で、一度懐くと尻尾を振ってまとわりつくので、逆に見くびられ、疎まれたりもする。
 そんな自分が好きか嫌いかと言えば、もちろん嫌いだ。嫌いというよりは、不器用でもどかしいと思っている。
 犬と猫では犬の方が強者だというのは生物学的な通例だが、私がしてやられるのはいつも猫型の人間である。その場限りの愛想と要領で、自分の必要なものを必要なだけ手に入れ、自分が満足したら後は知らんふりをしている。一段高いところにいて他人を見下ろしているが、仕草がかわいい駆け引き上手なので、人にも好かれ、ずるい部分を気づかせない。別に猫が悪い訳ではないのだが、そういう人はやはり、吼えてうるさい犬よりも、しなやかでスマートな猫のイメージなのだ。見習ってうまくやらなきゃ損だと思って奮闘したりもするが、もちろんそうそううまくやれる訳もない。
 犬という言葉は、人を蔑む時に使われたりもする。あまりに上司の機嫌を伺って指示通りに動く人に、もう少しで「この犬!」と言いそうになった、と話している人がいた。ある鼠のキャラクターが嫌いな友人がその昔、商品を握りつぶす真似をしながら「資本主義の犬め! …鼠やけど」と言ってたこともあった。後者は笑い話ではあるが、こう考えるとちょっと犬が可哀想になってくる。
 今思い出したのだが、私は今年2月の演劇塾『月下綺譚』の脚本で、
『お母さんいつも、一生懸命家族のこと考えてたのに、お父さんその信頼を裏切ったんだわ。なついてシッポをふってる子犬、蹴るみたいに。』
という台詞を書いた。
 要領のいい猫が羨ましいと思いつつも、結局、気持ちは犬の味方なのである。
(16)

てんてこ舞い
【担当】 まとり 【作成日】2006年12月08日 (金) 23時17分

最近の私は、まさにてんてこ舞いである。しかしそれはどうでも良い。
てんてこ舞い・・・どことなく不思議で面白い言葉だと思いませんか?音というか、響きが。

語源を調べてみると、「てんてこ」というのは、祭り囃子などで使う小太鼓の音のことで、
それに合わせて慌ただしく踊る姿から「てんてこ舞い」が出来たそうだ。
面白い言葉は他にもある。
「すっとこどっこい」「おっちょこちょい」「しっちゃかめっちゃか」「にっちもさっちも」など。
「おっちょこちょい」などは、「おっちょこ」と「ちょい」が合わさったものだと思うのだが、
もしかしたら「おっ」「ちょこちょい」かもしれない。などと想像を巡らせているのが結構
楽しかったりする。いずれにしても意味はわからないのだが、これがちゃんと調べて
意味がわかってしまうと、案外つまらなくなるのだろう。

ともかく同じような意味でも言葉遣いにより、それを受け止めた人の印象は全く違うものになる。
言葉の選び方1つで、意図したことが相手に伝わらず苦労した経験は誰にでもあるだろう。
しかし、もう安心。面白言葉たちが、あなたのお悩みを解決します。例えば、

「おい、お前は本当にバカだな!」

などと言ってしまうとやはり相手はムッとする。そんなときは、面白言葉の出番です。

「おい、お前は本当にスットコドッコイだな!」
「いやあ〜、それほどでも〜」

となる・・・かもしれない。これは褒め言葉と間違えている一例である。特に相手が帰国子女で
日本語をあまり知らなかったりするとこうなりやすい。また、

「あたしはね、アンタみたいなヒマ人と違って忙しいんだよ!フンッ!」
「な、なにを〜!」

とこうなるところが、

「もう、私ったら最近忙しくて、ホントてんてこ舞い!うふっ♡」
「なにか、手伝おうか?」

とこうなるってもんだ。騙されたと思ってぜひ、女性は男性に試して欲しい。
言葉遣い以前の問題とのご指摘もあろうかと思いますが、責任は持てません。


なにかと世知辛い世の中、皆さんもギクシャクしがちな人間関係に、世渡りのお供に、
是非この「面白言葉」を使ってみてはいかがでしょうか?
そして明日、明後日は、三重県文化会館の小ホールにお出かけになり「面白舞台」を
ご覧になってはいかがでしょうか?・・・しりとりに関係ないけど。
(15)

利き手
【担当】 紅美子 【作成日】2006年12月07日 (木) 23時47分

さて、今日は時間が間に合うかが勝負です。3回目のお題は「利き手」です。
 
 私は勿論のことながら右手が利き手です。滅多やたらと左利きの人がまわりにいないのでこういった表現を使っています。
左利きと聞くと私だけかもしれませんが、少し凄いなぁと思ってしまいます。自分と違うからでしょうか。おそらく私の左手は私の右手のように細かくは動きませんし、左利きの人のように滑らかな動きは出来ないからでしょう。
自分が出来ないことがあるとできるようになりたいと思ってしまう私は、早速左手を使う訓練をしようと試みました。お箸を持つのも字を書くのも左を使ったのですが、進歩がないのです。
なぜあんなに左手が滑らかに動くのだろう・・・
出来る出来ないを通り越して、憧れになってしまっていました。
結論からすれば簡単です、彼らにとって左手が利き手で私にとっては右手が利き手だからなのです。
しかしここで話を切ってしまうと面白くない。
左手も利き手になる方法はないか考えました。



思いつきません。
やはり、何度も何度も使い使ってなれることが一番の近道なのでしょうね。

しかし、そこまでして左手を酷使して訓練をつみ利き手にする必要があるのか。
ありません。
私の利き手は右手なのです。

それでもやっぱり左の聞き手を持つ人間には憧れます。

左利きのみなさんはどのように思われているのかが気になるところです。
(14)

好き
【担当】 はしもと 【作成日】2006年12月07日 (木) 00時15分

晴れた冬の昼下がり、窓を開け放してゆっくり煙草を吸う。
手が届きそうなところにある雲が、
ゆっくり形を変えながらゆっくり目の前をすべっていく。
そのテンポよりもゆっくりと吐き出した煙は
徐々に雲に追いついて、やがて、すうっと吸い込まれていく。
ほうっとため息をつき、コーヒーを啜る。
窓の下を、おばさんが自転車で走っていく。
後ろに乗った子供は、ぼうっとしている。
締切を過ぎた仕事の資料が、風にゆれた。
この感じ、好きだな。と思う。

ある人が、みそ煮込みうどんを「嫌い」と言った。
僕は「好き」だと言った。
ああ、そういうことかと勝手に得心して
僕が「好き」ならそれでいいと、思った。


人に迷惑をかけてはいけないとか、損しちゃいけないとか、
理屈ではこうだとか、スジが通ってないとか、いろいろあるけれど、
そういうこともひっくるめて「好き」「嫌い」の判断ができることが重要なのだが、
好き嫌いの判断は、そう簡単ではない。
うかつに判断すると、せっかくの「好き」を逃がしてしまうこともありうる。
「好き」だったものに裏切られることもある。
「好き」と決めたから「好き」になることだってある。その逆も。

やっぱり、自分の「好き」を信じるしかないってことかも知れない。
信じた人は、なんとなく成功しそうな気がするし。なんとなくだが…。
どこかから「好き嫌いしちゃいけません」って聞こえてきそうだ。
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