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MoDoKiのしりとりブログ

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ルックス
【担当】 森 【作成日】2006年12月05日 (火) 10時00分

「ルックス」という言葉を考えついて、まっさきに思い出したのはミュージカル『コーラスライン』の、ヴァルのナンバー「ダンス10(テン)、ルックス3(スリー)」。
 ミュージカルは結構好きで、「コーラスライン」はマイベスト2なのデス。劇団四季でその当時、ポールを演じたのが市村正親さんだった・・・というのは覚えている。ちなみに、マイベスト1は「オペラ座の怪人」。
 物語の前半、オーディションの最終選考に残ったダンサー達が、一人ずつ自分を語る課題を演出から出される。その一人であるヴァルは語る。田舎町からNYへ出てきて、これまでにダンス・オーディションを何回も受けたんだけど、なぜか片っ端から落とされた。その原因がワカラナイ。で、ある日採点表を覗くと、まさにそのタイトルどおりだったというワケ。そこで・・・♪ダンス、テン☆ルックス、スリー?★と、リズミカルに唄い、踊るヴァル。
 明るいナンバーだったが、同時に人生のほろ苦さも入っていた。なるほど、レオタード1枚で踊るノダ。大きけりゃいいというわけでもないが、出るトコ出てた方が見栄えするよね・・・で、アル。彼女は胸を大きく、ヒップもアップ、顔も直して・・・再出発。役もゲットできるようになって、自信もついた。
 私は、十数人いたキャストの中で、ヴァルは結構上位で好きなキャラだ。整形?いいじゃん・・・ただし、それは彼女が「ダンス、10」だからだ。
 これが「ダンス3、ルックス3」なら、話は違う。迷わずダンスをレッスン!と言うだろう。それから整形するかしないかは、本人の責任でどうぞ、だ。
 昔、ある女優志望の娘さんに会ってやってくれと、義理で頼まれた事がある。その時、私は小さなアマチュア劇団にいたから。話はこうだ。
 『私には才能がある。しかし、ブスだからなりたくてもなれない。』と。
 才能の根拠が何もないのには恐れ入ったが、(日舞、バレエ、ボイストレーニングの経験無し、舞台など立ったこともない)ブスだからなれない・・・にはおおいにひっかかった。
「・・・で、どうするの?」「あ、大丈夫です。整形しますから。」
 何を相談する必要があるというのだ。ブッツリ(堪忍袋の緒が切れる音)。
 経験が無いのは問題じゃない。問題なのは、何もしていない・・・もしくはしようとしないのにまわりの人々が自分を大歓迎してくれるだろうという思い込みだ。
 「コーラスライン」は、歌も振り付けも脚本も三拍子揃っていると思う。 「テーマ曲」「アット ザ バレエ」「ワン」・・・どれも珠玉だ。
 この前ひさびさに見たら、心なしか色あせてみえた。少し、悲しかった。
(12)

うかめる
【担当】 豊田 【作成日】2006年12月04日 (月) 23時45分

 今回のお題「うかめる」は、うちの母親がよく使う言葉であるが、インターネットの辞書では検索できなかった。なので久しぶりに重たい大辞林を開いてみたら古語の「うかむ」があり、「浮かぶ」と同じ意味だという。ただ、四段活用なので単体で「うかめる」とはならないし、そもそも今回の「うかめる」は、「浮かぶ」という意味ではない。
 この「うかめる」は「うっかりする」とか「油断する」という意味である。ぼうっとして消極的な子供だった私は、母親にやたら「うかめとったらあかへんに(うかうかしていてはいけません)」と言われながら育った。末の子というのは、親の心の中ではいつまでも大きくならないらしいが、それを差し引いても彼女はひどく心配性なのである。だから大学を出るような年になってさえもたびたび言われ、その都度業腹であった。
 そういえば父親もこれを使うことがある。人を事前に諭すというより、誰かが失敗をしたときに「うかめとるなあ(うっかりしているなあ)」と、怒りながら言うことが多いのだが、いずれにしろあまりいい場面で使われる言葉ではない。だからこの言葉から連想するのは、しまったという気まずい思い、ちょっとした反省、それから、なお残る反抗心だったりもする。
 辞書としての検索では見つからなかったが、口丹波地方の方言を扱ったサイトというのがあって、「うかめる=油断する」と、出ていた。行政でいうと京都府の亀岡市あたりなのらしい。母親は大阪の出だから、そこらへんから来た言葉で、父親にはあとからうつったとも考えられるが、同じサイトに「おくどさん=かまど」もあり、これは父方の祖母も使っていたので、もともと共通する部分も多いのかも知れない。「えらい=疲れた・病気でしんどい」も載っている。こっちは三重県で普通に通じると思うが、大学時代、風邪を引いている四国出身の子を「えらそうやな」と労ったら「偉ぶっている」と言われたのかとびっくりされたことがあったから、四国では馴染みの薄いもののようだ。
 口丹波地方と共通した方言がいくつかあるとしても、この「うかめる」は、不思議なことに、両親以外の人が使っているという印象がない。友人にきいても知らなかったし、学校の先生に言われた記憶もない。どうも我が家にだけ浸透しているんじゃないかと思うような、不思議な言葉である。
 最近では、兄や私が両親に対して使うことも多くなった。昔言われた腹いせというのも少しはあるのだが、語感が独特で面白いので、父や母が出かける際に「うかめとったらあかへんに」とふざけて言ったりする。
 火打石というのを、日本の時代劇で見かけることがある。火消しの親方のおかみさんなんかが、夫が出かける前に厄除けの意味で打ち鳴らしたりしている。切り火を切るともいうそうだ。これから出かける人や帰る人に「気をつけて」と声をかけるのは、この火打石みたいなものだと思う。「気をつけて」という言葉で切り火を切る代わりに、ちょっとしたノスタルジィも感じながら、「うかめとったらあかへんに」と、使っているのである。
(11)

蝋人形
【担当】 まとり 【作成日】2006年12月01日 (金) 23時55分

今回は、蝋人形について。・・・蝉人形ではない。全国の蝉人形ファンの方、ごめんなさい。
蝋人形と聞くと、とにかく不気味なものである、とほとんどの方が想像してしまうようだ。もちろん私もそうであるが、なぜなのだろう。
もしかしたら単に恐怖映画や小説の類の影響なだけで、本来の蝋人形はもっと明るいものかもしれないっ、先入観は良くないぞっ、と興奮しながら調べてみると・・・「医学研究用の解剖模型が原型で、17世紀にヨーロッパで死体を蝋人形化する手法が完成され・・・」
・・・ふぅーん。やっぱりなんか怖いわ。

ところで、ロンドンに「マダムタッソーの蝋人形館」という観光スポットがあり、世界中の著名人、政治家や歴史上の人物などの蝋人形が館内狭しと並べられている。ずいぶん前に友人と行った当時は確か、日本人では唯一、吉田茂元首相が展示されていたと記憶している。現在は千代の富士元横綱もあるようだ。
写真撮影がOKだったので、確かピカソだったかの人形の横で友人に撮影を頼み、カメラに向かって直立不動でいると、他のお客さんが私をしげしげと見ていた。後から考えるに、ポージングしている私さえも展示品の1つと思われたのだろうか。
・・・そういえば不思議そうに見てたような気がしないでもない。

その後、この際だから蝋人形を制覇しよう、と訳のわからない理由で団結した我々は別の館へ赴いたのだが、そこは処刑や拷問の様子を描いた、我々が抱くダークなイメージそのままの人形ばかり集めた所だった。まあお化け屋敷に入るつもりで展示品の数々を見ていると、その中のドラキュラの人形がいきなり起ち上がり歩き出した。人形ではなく従業員だったのだ。
さすがに心臓が止まるかと思ったが、その直後、こわもての友人が見事に尻餅をつき「日本人をなめるな〜っ」と日本語で力なく叫んでいるのを見たときは、おかしさと同時に物悲しいものがあった。
(10)

【担当】 紅美子 【作成日】2006年11月30日 (木) 22時58分

 さて、2回目のお題が回ってきました。今回のお題は「色」です。
そして私は、このお題にしたことに少し後悔しています。何を書こう・・・
色と言えばやはり「Color」なのでしょうか。他にも色々ありますよね。今使った「色々」でもいいのですから。
 でもここはやはり「Color」で行きましょうか。
あぁ・・・でも私は色のレパートリーが限りなく乏しくて、色の組み合わせなどが大変苦手です。そのことを思い出すために今から時間を巻き戻してみましょう。
 私は小学生の時の図工の時間に絵を描いていました。
シャボン玉の絵を描くという課題だったと思います。私は幼い頃から絵を描くことが大好きだったので、得意げになって描いていました。
下書きの段階で、私の自己評価では最高でした。「私はなんて絵が上手なんだろう」そう思っていました。でもそれはあくまでも下書きです。
そうなのです、鉛筆での下書きです。
絵を描く授業だったのです。
その後、色とりどりの絵の具集団が待ち望んでいました。幼い私は、絵の具集団にまだ慣れていませんでした。絵の具集団たちは口々に言いました。
「俺は赤だぜ!!赤レンジャーだ!!」
「私は綺麗なオレンジ色よ」
「ブルーは欠かせねぇだろ?」
「オイねえちゃん、みどり様を忘れねえでくんろ」
絵の具集団たちの誘惑は魅力的でした。私はシャボン玉を出来るだけ想像しました。
そうだ、シャボン玉は光に当たると色々な色を出すじゃないか!!あの綺麗な表面を、この絵の具集団たちで綺麗に塗ってみようと意気込みました。
 色というのはそれぞれ単体で使えばそれまでだけれども、混ぜればまた違った新しい色が生まれます。私はその新しい色の誕生に心を弾ませながら沢山の色を混ぜて自分だけの色を、キャンバスのシャボン玉たちに綺麗に塗っていました。
 しかし、最初に述べたように私には色の組み合わせが大変苦手です。それに気が付いたのは最近ですが、実はこの頃から苦手だったようです。
そうなのです・・・キャンバスのシャボン玉たちは見るも無残な色になっていたのです。そこから聞こえてくるのは、元々何色だったのか解らない絵の具たちの悲鳴と、かつてはシャボン玉だったはずの丸く描かれた班別不能の丸集団の訴えでした。
可愛そうな彼らは、今でも私の家の押入れで嘆き続けています。
 私はそれ以来、絵の具集団を使うことが苦手になりました。
そんな私が年を重ねて今悩むことは、洋服を買うときにいつも黒や白の無難な色を選んでしまうことでしょう。色のレパートリーが限りなく少ないのです。
みなさん素敵な色の組み合わせをご指導ください。切実に・・・
(9)

つまらない
【担当】 はしもと 【作成日】2006年11月30日 (木) 00時21分

自意識過剰な僕は、くせ毛である。
そして、自意識過剰でくせ毛な自分が好きである。
ちなみに社員旅行のある会社で働いたことがない。

先日、勤め先で柿を貰った。
外注さんの差し入れで、同じ職場のみんなに1個ずつ。
僕だけ2個貰った。1個余ったかららしい。
柿を特に好きな訳ではないが、秋の味覚を貰って僕はとても嬉しかった。
しかも2個だったので、かなり嬉しかった。
が、わざと、つまらなそうにした。

職場での立場上もあるが、職場以外でも僕は、人前で大抵つまらなさそうにしてしまう。
まるで、そんなことで喜ぶなんて馬鹿らしいっていう感じで…。
昔気質のおじいさんじゃあるまいし…。と思うけど
やっぱりちょっと照れくさいのである。

そもそも小さい頃から、他人に自分のことがバレるのを怖れているので、
素直に自分の感情がでてこないことがある。
バレるのが怖いくせに、ブログ書くなよってハナシだけど…。

ちょっと飛躍すると、
こうやってブログ書いたり、戯曲書いたりっていう作業もそうだし、
毎日、誰かと会って、話したりっていう作業は、
自分で自分を作っていってるんだなあと、感じる。

嬉しいのにつまらなさそうにしたり、つまらないのに嬉しそうにしたり、
いったい僕は、どういう自分を作りたいんだろう。

つまらない顔しながら、毎日楽しんでいるけどね。
(8)

荷物
【担当】 森 【作成日】2006年11月28日 (火) 08時10分

ズッキーニ・・・名前は知ってたケド食べたことはないです。でも、食べてみたくなりました。ヘボかぼちゃってええなぁ^^
さて、マイ今回のお題です。  
                                     
人は旅行に行く時に、荷物を持っていく。
多い、少ないは人によってさまざまやけど、荷物全然ナシ!ちゅうのは小さい子供でもなければまず、ありえない。で、人は荷造りに悩まされる。
 私は、はっきり言って荷物の多い方だと思う。たぶん、自己分析するに「怖がり」の「優柔不断」の、そして、たぶん物事をあまり考えてない方なんだろう。「いる」か「いらない」か・・・となった時に、「・・・いるかもしれない。」にさっさとシフトしちゃうんだな。
だから、荷物の少ない人をとても尊敬してしまう。社員旅行の時にトートバッグひとつ、しかも中身がパンパンになってない!なんて凄い女ダ☆と、思っちゃう。さかのぼれば、高校時代、テストの時に筆記用具とお弁当だけで登校してくる男子というのもカッコ良かった。なんか、やるべきことはやったぜ!みたいでさ。 さて話を戻すと、社員旅行の際に荷物の多い女は下心があるという・・・。該当するやつも確かにいるにはいたが、こっちはそんな色っぽい理由ではなかった。マイカーでの個人旅行ならともかく、大荷物を持ち歩いて観光地をフーフー歩いているのははっきり言って野暮です、重たい。しかも社員旅行はたいてい近場なのだ。運悪く駅などで知り合いに会おうもんならとても恥ずかしい。
そこである日決心した、ヨシ!荷物を減らしてかっこよく生きるゾ!と。
 なんてったって「荷物少人」とは決断力ある人なのだ…カッコイイのダ。見習うゾ、あやかるぞ、オー!!
 で、インタビュー。
私:「なんで、そんだけなん?着替えとかは?」
女:「え?一泊やし、翌日もおんなじでかまへんやん・・・。」
私:「(寒かったらなんか最低一枚は欲しいやん、夏は汗かくし・・・)。化粧品は?」
女7:「ホテルにあるやん。」
私:「むぅ。(肌にあわんヤツやったら、どないする・・・)くるくるドライヤーとかは?」
女:「なけりゃないでなんとかなる。」
私:(他人様に借りるんか?なるほろ、でも、それ言い出すのが私はイヤなんやなぁ・・・クセ毛やし。)
 かくして、トートバッグ一個颯爽!の夢は儚く消えたのでした。でも、社員旅行も(このところめっきり無くなったケド)場数よ。慣れれば荷物は、減る。あと、自意識もね。
(7)

ズッキーニ
【担当】 豊田 【作成日】2006年11月27日 (月) 12時07分

 今回ははじまりが「ズ」で、思いついたのがズッキーニだったので、買ってきて何か作ろうと思っていたのだが、あいにく売っていなかった。夏野菜なのでもう時期はずれということだろう。
 舌で味を確認できないとなれば、思い出すしかないのだが、そう何回も食べている野菜ではない。知ったのは多分、ハーブ関係の料理本を買い漁っていたときだと思う。かなり以前にキッシュを作った記憶があるが、案の定、家族には「これ何?」と言われた。
 見た目はきゅうりに似ている。だから最初は、火を通したら酢豚に入っているきゅうりみたいな食感になるのかと思っていた。しかし実際は柔らかくて、きゅうりというよりナスである。
 分類上は、ペポかぼちゃというかぼちゃの仲間になるらしい。きゅうりなのかナスなのかかぼちゃなのかはっきりしろ、と言いたいところだが、「だってズッキーニですから」と言われてしまえばその通り。ズッキーニはズッキーニなのである。
 フランスの伝統的な野菜料理「ラタトゥィユ」には欠かせない野菜らしいが、原産地はメキシコ。食材として広まったのはイタリア料理としてである。ここらへんもなんだかややこしい。
 日本に入ってきたのは戦後だという。しかし、私が子供の頃は、こんな野菜はきいたことがなかった。もっとも当時は、市内で「生クリーム」を売っているスーパーすらなかったのだ。悶々とケーキ作りの本を眺めるのみだった女子小学生が、ズッキーニなんて知るはずもない。
 ちなみにズッキーニはイタリア語である。聞いたとき、なんだか美味しそうだなと感じた記憶がある。いかにもイタリア語的な語感がそうさせたのか、よくは分からないが、とにかく食べてみたいなと思った。料理法としては、生では食べず、火を通す。蒸してオリーブ油を振りかけるとうまみも逃げないし、シンプルで美味しいらしい。細く切ってフライにしてもいい。
 味の自己主張は強くないけれど、健康的な気分になれるし、実際なかなか美味しいと思う。今度の夏までめぐり合えないのか、それともその前にどこかで見つけるか、とにかく今度、また買ってみるつもりである。
(6)

シリーズ
【担当】 まとり 【作成日】2006年11月24日 (金) 23時47分

いやあ、皆さんわりとしっかり書いてますね。困ったぞ(笑)

「シリーズ」・・ときたもんだ。
「シリーズ」・・直訳すると、続き物。意訳すると、芋づる式。または柳の下のどじょう。一回目が評判良いと、ついついその恩恵にあやかりたくなるのが、人情というものです。

・・・・で?

いやね、実は今、このお題にしたこと後悔してます。だってシリーズって範囲が広すぎるんですもん。もっとスケールの小さいお題にすりゃよかった・・・「しみ」とか。

ここだけの話だが、このしりとり、ルールとして最初と最後の言葉さえ変えなければ一週間以内に変更できるシステムになっている。だから「し」から始まり「ず」で終わる単語なら何でも良いのだが、「シミーズ(死語)」しか思い浮かばない。こうなったら猫の手も借りよう。友人数名に訪ねてみたところ・・・はい、全員仲良く「シミーズ」と答えてくれました。まさにお約束どおりです。
他にはないかと尋ねたら、

「渋谷東急ハンズ」・・いや、それは東京ローカルだし。もうちょっと親近感のあるものないの?
「清水みすず」・・うん、確かに親近感がある。って誰じゃそら!もっと話が膨らみそうなもの無いの?
「シーラカンズ」・・・・シーラカンスの複数形だそうです。

君たちに聞いたのが間違いでした。しかたないので無理矢理シリーズで書きます。

第1回 よくある不思議なことシリーズ!!

道路を横断するおばちゃんが、わざわざ自転車を降りるのは・・なぜ?

ご飯粒付いてるよって指さすと、反対側を取ろうとするのは・・なぜ?

忘れたことを思い出すのに、さっきまでの行動を再現すると、思い出すのは・・なぜ?

正解を知ってる方は、是非掲示板の方へ。

・・・ま、今回はこんなもんです(笑)
(5)

梅干
【担当】 藍井 【作成日】2006年11月23日 (木) 23時00分

しりとりブログが始まって、私が初めて書くお題は「梅干」です。
 個人的には梅干に対して、いろいろ思い入れがあります。
梅干というのは、好き嫌いがあって私の周囲には嫌いという人も結構多いです。でもそれに負けないくらい好きという人もいます。実際私は好きです。
さて、思い入れと大袈裟に書いてしまったのですが、それは、実際一時期梅干なんて大嫌いだった時期があったからです。
 私が小学生の時、給食があってお弁当なんて遠足や社会見学のときくらいでした。それが中学に上がってからは、毎日がお弁当でお弁当箱を開ける瞬間、胸が高鳴ってどんなお弁当が待っているのか楽しみで仕方がありませんでした。
そんな楽しいお弁当の時間というのは、短い期間でお弁当の常連さんが一体誰なのかが分かるようになると
「今日もアイツがいるのか・・・」
と、開ける瞬間に常連となったアイツがいないことを願うようになったのです。
そう、そのアイツというのが梅干です。
梅干はいつも、お弁当箱の中の主役であるふりかけのかかった白いご飯と蓋とサンドウィッチ状態で少し潰れ、いかにも工事現場で働いているぜぃ!俺は梅干さまでぃ!と潰れて割けた割れ目から梅肉をチラつかせ主張していました。
本当に、お弁当箱の中でアレだけ主張できるというのはやはり、正真正銘の常連さんなのだと思います。
 しかし、そんな梅干は主張するだけの常連さんではありませんでした。
夏の暑い日には防腐作用のため働いてくれていましたし、あんなにしわしわで不健康そうな顔をしているけれど、意外と栄養価も高いのです。
 ですが最近、そんな梅干は私のお弁当箱に現われなくなりました。もう何年も常連を疎ましく感じていたのに、いざ常連の席が空っぽになると淋しいもので急にあの常連の梅干が愛おしくなりました。
そして気が付いたのです。私は梅干が好きなんだ!

あの渋い顔といい、色といい・・・

みなさん、考えただけで口の中を潤わせる梅干を砂漠のお供にどうでしょう?
(4)

五郎
【担当】 はしもと 【作成日】2006年11月22日 (水) 23時43分

五郎である。
野口と続けるのが妥当である。
それ以外考えられない。
いやまてよ。前田のセンもありえるか?
五郎。
5番目の子供なのか?
今の時代で、たとえ5番目の子供であれ、
五郎と名付けることはないような気がする。
つまり、その昔、世の中の五郎さんが生まれた頃は
今で言う「翔くん」や「翼くん」のように
ある程度トレンドだったのだろうか?
ありえない。ありえない。だって五郎だもの。
一郎、次郎、三郎、四郎、五郎、六郎、七郎、八郎…。
なんなんだろう、この名前たちは…。
鳥羽、大佛、石倉、伊東、野口、望月、深沢、たこ…。

で、「郎」の字を漢和辞典で調べてみることにする。
〈意味〉小学館 新選漢和辞典 第7版より抜粋
1 おとこ(男子の美称、若者、息子、主人の呼称)
2 戦国時代におかれた官名
3 年若い女子、女郎
やっぱりである。おとこなのである。
つまり、五郎は五番目の男なのである。

話は変わるが、僕は井上純と同じくらい野口五郎が好きである。
だから、五郎というのは、いい名前だと思う。
だって野口五郎だからだ。
名前の善し悪しなんて、そんなものかも知れない。
果たして僕の名前は、どういう風に受け止められているのだろう。
野口五郎のように、好かれたいと思う。
(3)

りんご
【担当】 森 【作成日】2006年11月21日 (火) 08時07分

今日もスーパーへ買出しに行く。いつもと何ら変わらぬ風景。
 まずは、野菜、果物コーナーから。梨、栗、柿、バナナ、アボガド・・・なるほど、フムフム。そろそろみかんの出番で、りんごが、いつもの定位置にでん!と収まっている。
 ふじ、サンつがる、王林・・・りっぱやなぁ、と、つくづく眺める。
 りんごを見てしまうと、他の果物がちょっと引いて見えてしまうのは、私のひいき目か?

 わたしが子供のころには、こんな1個が300円以上もするようなのはなかった。
 国光、紅玉、ゴールデンデリシャス・・・すっぱくて、小さくて、かすかすしていて、ザルか何かに、デン!と盛ってあった。
 ちなみに、外国のりんごも、日本のよりもっとすっぱくて、小さくて、味が弱いらしい。
 お客に出す時も、お弁当にして持っていく時も、皮を剥いて何等分かに切って芯を除いて・・・なんてことは、しない。映画で見るように服の袖でゴシゴシやって、かぶりつくノダ。(うさぎリンゴなんて、まず想定外でしょうな。ニュートンのりんごも実はマズくて食べれへんかったとは、『トリビアの泉』談。)
 それでも、あの昔給食に出てきた、いまいましい国光、めっちゃくちゃすっぱい、まっかっか〜の紅玉がなつかしいのは、なんでかな?

 「ふじ」も「王林」も今の都会のお嬢さんみたい。甘く、綺麗で、優しくて、クセがない。昔は、安かったケドなかなか甘いのに当たらなくて、文句タラタラ齧ってた気がスル。
 ・・・でも、多分あれが原種に近いのではあるまいか。
 昔、自分のまわりにいた女達、近所や親戚のオバチャン、遊び仲間。みんな、甘くはなかったな。
 けど、昔のりんごは、ジャムにするとすごくおいしい。砂糖を加えて程よく煮詰めて、レモンたらすとりんごの味は主張しつつ、美味しい。
 今のりんごはジャムにすると味気ない。何か勿体無いというか、負けてしまう。
 綺麗で、気立ても良くて、頑張り屋さんで、ある日突然糸が切れたように辞めてくOLがいる。苛められても、いろんな運命の波が押し寄せても、歯を食いしばって耐えた女子社員もいた。昔の娘達、今ほど、おしゃれでもなく、化粧も下手やったなぁ。
 なぜ、物足りなく思うんだろう・・・美しく、甘く、優しいのはいいことなのに。
 ただ、人は酸っぱさに鍛えられ、甘さに慣れる。これから、時代と人はますます甘いりんごを求めるのだろう、な。 
・・・初回は緊張してこんなものでアル。「ご」なんていきなり難しいの振ってごめんね
(2)

しりとり
【担当】 豊田 【作成日】2006年11月20日 (月) 11時34分

「劇作家集団MoDoKi」ホームページの個人ブログがなかなか更新されないということで、解消策として企画されたのがこのしりとりブログである。モノを書くという作業には、当然個人的な要素が多く含まれるのだけれど、まがりなりにも「集団」であるのだから、ウェブ上で手軽にできる共同作業を何か持ちたいと思ったのも、きっかけといえる。
 言いだしっぺということで、私が最初の執筆者となった。お題は『しりとり』。
 中島らも氏の著作に『しりとりえっせい』というものがあり、コンセプトとしてはこのブログと同じ、尻取り形式で綴っていくエッセイである。今回の企画を思いついたとき、その本が頭にあったという訳ではないのだが、いざ始めるにあたっては、ひそみに倣い、初回のお題を『しりとり』とさせていただくことにした。
 さて、しりとりである。しりとりで遊ぶなんてことは、昔はよくやった気がするのだが、今はめっきりやらない。学校のような、友達が集まる環境がないということが第一だろうが、集まったらやっていたのか、と訊かれれば、そうとは言えない。では、いつやっていたのか? 謎である。
 しかし、まったくやらなくなった訳ではない。これは、今の会社の性質と、演劇に関わっているということで、周囲に「日常会話がコント」という人が多いせいかと思う。「ごりら、らーらーらー」「しりとりじゃないって」というような会話が繰り広げられる機会は、大人の割にはけっこうある。
 今思い出したのは、「ん」のつくしりとり。普通しりとりでは最後に「ん」のつく言葉を言ってはいけないが、このしりとりでは二文字前からを採用することにし、逆に最後に「ん」がつく言葉を言う。「炭酸」「参観」「観音」といった具合である。
 けっこう物心がついてからだったが、友達数名でこれをやったところ、「○○の世代、の○○!」と言った子がいた。今、その世代は退職の時期を迎え、ニュースに取り上げられることも多いので、それが「ダンカイの世代」であることをみんな知っているが、当時は似た字と読み間違えてそのまま覚えている人も多かったのかも知れない。
 このブログは曜日の担当を決めて続けることになっている。ときどきは空いた曜日にゲスト執筆者を招いてみてもいいだろう。苦悩すると予想される点は、「自分の書きたいお題で書けない」ということである。「あ、『ヘ』かよ〜、今『ジャイアント馬場』で書きたいのに〜」といったことが起こってくるに違いない。
 しかし、解決法は簡単。そういうときは個人ブログを更新すればいいのである。
(1)





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