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光明掲示板・第三

 

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利他 (109)
日時:2014年09月05日 (金) 04時38分
名前:伝統

光明掲示板第二「利他 (10598)」からの継続です。
    → http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou2&mode=res&log=2033


《高貴な自己犠牲の精神》

        *池間哲郎・著『日本はなぜアジアの国々から愛されるのか』より


東日本大震災時に出動した自衛隊は、一人でも多くの被災者のみなさんに元気になってもらおうと、
温かい「みそ汁」「ご飯」「おかず」の炊き出しを行なった。

自衛官たちは温かい食事に手を出す者は、誰一人いなかった。
あくまで被災者優先。

湯気のたつ食事を口にしても、文句を言われることはない。
それでも野戦食の缶詰だけを口にしていた。
缶詰オンリーの食事の結果がすぐに出た。

多くの隊員が、ひどい「口内炎」に冒された。極度のビタミン不足で、口の中はひどい状態。
さらに便秘にも苦しむ。
それでも塩味の強い野戦食の缶詰だけを食べ続け、任務を遂行。

自衛官たちは日増しに無口になる。
「口内炎」の激痛に耐え激務をこなす。
ある司令官は、あまりのひどさで言葉を発することもできなくなった。

なぜ、これほどまでに日本国民を思うのか。
なぜ、ここまでの高貴な自己犠牲の精神が育成されるのか。

そして、なぜこれほどまでに立派な軍人たちを批判する日本人がいたのだろうか。

ちょっと前までは、自衛隊に関する報道は、事故を起こしたとか、隊員の犯罪とか、
左翼運動家たちが自衛官に対して罵倒する姿などがほとんどだった。

東日本大震災以降、変わった。

被災者を懸命に救助する自衛官の姿、泥だらけになって遺体捜索をする姿、
子供たちと戯れる姿など、日本国民のために命懸けで職務を全うする彼らの姿が、
数多く報道される。

その美しい姿に、多くの日本国民が感動した。

昭和初期の宰相、吉田茂は、「自衛隊員は一生、日陰者でいてくれ」と言った。

そんなことは、もう捨て去ろう。
体を張って日本国民そ守る自衛官にこそ、眼も眩むぐらいの光を当てるべきだ。

天皇陛下も「東日本大震災に関するおことば」では、
真っ先に「自衛隊」との固有名詞をお使いになり、感謝のお言葉を述べられた。

これほど嬉しいことはない。
日本国民の総意だと、私は思う。

              <感謝合掌 平成26年9月5日 頓首再拝>  

笑顔と親切心のある人 (369)
日時:2014年09月15日 (月) 04時45分
名前:伝統


        *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年08月08日)」より 

   (東大寺別当、筒井寛昭氏の心に響く言葉より… )

   東北の大震災のあと、災害に直面した人々を助けようと、
   多くの人々の手が差し伸べられました。

   その「絆」が縁となり、大きな人の輪ができました。

   皆さんのなかには、その輪になんらかの形で加わった人も、いらっしゃるでしょう。

   なかには手助けしたかったのは山々だけど、何もしてあげられなかったと
   悶々としている人もいらっしゃることと思います。


   しかし、本当にそうでしょうか。

   あなたが誰かにあげられるものは必ずあります。


   例えば、どんな人にも笑顔があるはずです。
   いつも優しくほほえんでいる人は周囲をなごませ、幸せにします。


   『雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)』には、
   『無財(むざい)の七施(しちせ)』と呼ばれるものが書かれています。

   いくら貧しくても生活にゆとりがなくても毎日実践できることがある。

   その中に笑顔があります。

   忙しくて被災地に行けなくても、周囲にいる人に笑顔で接すれば
   その人はきっと幸せな気分になり、その喜びは多くの人に伝わります。

   笑顔だけでなく、他にもこんな行為が人のためになると書かれています。


   「正しく丁寧な言葉を使うこと」

   「いたわりの言葉をかけること」

   「愛情のこもった温かい言葉で人に接すること」

   「礼儀正しく人に接すること」。


   どれも特別に時間をつくらなくとも、家庭や職場でできることばかり。

   他の誰かが施す姿を見て、ともに喜ぶことも布施をするのと同じものとされます。

   笑顔と親切心があれば、実はいつでも誰かのために何かできるのです。

       <『仏様からのアドバイス』ワニブックス >

       ・・・

昨今は特に、何かボランティアをしなければいけない、と強迫観念のように思う人は多い。

もちろん時間と余裕のある人がボランティアをすることは崇高な行為だ。


しかし、逆に言うなら、いくらボランティアに行ったとしても、

「丁寧な言葉を使わず乱暴な言葉で人に接する」
「いたわりの言葉や優しい言葉など一切かけない」
「冷たく人に接する」など、

『無財の七施』と逆のことをしていたらいったいどうだろう。

どんな崇高な行為であろうと、一切が無になってしまう。

どんなことをするにも「なんのために」するのかという、
よって立つところの「志(こころざし)」がそこになかったらやる意味はない。


「人の喜びをわがことのように喜び、笑顔と親切心のある人」

誰かに喜んでもらうため、まず身近な小さなことから実践したい。


<参考Web:「光明掲示板・第一」内スレッド『無財の七施』
        → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=koumyou&mode=res&log=110 >


              <感謝合掌 平成26年9月15日 頓首再拝>

【人から信用されるには】 (912)
日時:2014年10月09日 (木) 04時23分
名前:伝統

        *メルマガ「人の心に灯をともす(2013年05月19日)」より 

   (齋藤孝氏の心に響く言葉より… )

   【その義を正しくして、その利を謀(はか)らざれ】「小学」(外篇 嘉言)

   「義」を行い、それによって自分が利益を得ようと思う下心があってはいけない。
   「義=人としての正しい行い」と「利=利益」なら、
   「義」を優先させろということだ。

   もちろん、大きな深い意味での「利」は常に考えている必要があるが、
   まずは「義」を優先することが大事である。


   普通、利益といえば自分が得することを考える。

   しかし、宮沢賢治は、遺作『雨ニモマケズ』のなかで、
   「ジブンヲカンジョウニ入レズニ(自分を勘定に入れずに)」と書いている。

   それは、利益というものから自分を外して考えるということだ。

   そして、「ミンナニデクノボウートヨバレ、ホメラレモセズ、クニモサレズ、
   サウイウモノニ ワタシハナリタイ(みんなにでくの坊と呼ばれ 褒められもせず 
   苦にもされず そういう者に 私はなりたい)」と書いている。

   結局、利益から自分を外して考えられる人は信用され、
   「彼に任せてみよう」「彼はズルをしないからお金をまかせて大丈夫」と、
   一つひとつ小さなところから信用を得ることになる。

   それが積み重なって、大きな信用につながっていく。


   こう考えてみればどうだろう。

   「自分は常に周囲の人たちから、
   “自分の利益ばかり考えて行動する人間かどうか”を試されている」と。

   自分を勘定に入れずに行動していれば、
   たとえ、でくの坊に見えても、大きな仕事を任されるはずだ。

   そう考えれば、正義を行なうことは、
   結局は自分の利益と矛盾しないということになる。

        <『「座右の銘」が必ず見つかる寺子屋の人生訓』小学館 >

            ・・・

昨今、出世するということにあまり興味を示さない人たちは多いが、
齋藤孝氏は、この出世についてこう語る。


「“出世する”とは、私は「自分を信用してくれる人が増えること」だと考える。

出世を望まない人はいても、信用のない人間になりたいと思う人はいないだろう。

出世するとは、人から「あいつになら任せられる」「あいつに頼みたい」と、
自分の信用をアップしていくチャンスでもある。

出世意欲がそれほどではないのに、どんどん出世していく人を見るがいい。

公私ともに信用をコツコツ築いている人物ではないだろうか」(同書より)


会社だけでなく、色々な会でリーダーに祭り上げられる人は、
自分の利よりも先に、公の利を先に考える人だ。

自分の損得がギラギラと出てしまうような人は信用がない。

セールスなども同じで、売りたいという気持ちがミエミエの人からは誰も買わない。


「先義後利」(荀子)

道義を先に行い、利益は後回しにすること。


自分を勘定にいれず、人の利を先に考える人でありたい。

              <感謝合掌 平成26年10月9日 頓首再拝>

「喜びの種をまく」 (1322)
日時:2014年10月27日 (月) 04時29分
名前:伝統

          *『致知』2014年1月号巻頭言 より
           ~  中條孝徳(アサヒビール名誉顧問)


《まなざし、笑顔、言葉は廻天の力を持つ》

筆者が中学生の頃、菩提寺の和尚さんが
『易経』の「積善之家必有余慶」の因果応報を分かりやすく、

「幸せになりたかったら
 他人様にどんどん喜びの種をまきなさい」

と説いた。

ひどい貧乏で真面目な男が

「和尚さん、そうしたいが
 お金が一文もありません」と。

これに答えて

「おまえさんの了見違い(考え違い)も甚だしい。
 おまえさんには素晴らしい笑顔があるではないか」

と反論。

彼は一念発起、やがて上京し、笑顔に徹して立派な商人になった。


筆者長じて学んでみれば 『雑宝藏経』に

「仏説きたもうに七種施あり。
財物を損せずして大果報を得ん」

とあるではないか。


1、眼施(げんせ)
  ――やさしいまなざし


  昔から「目は口ほどに物を言う」と言われてきた。

  眼施一つで恋実り、そのおかげで多くの若者が幸せを掴んできた。

  天下の切れ者、石破茂自民党幹事長のまなざしは異様。
  眼施に気づけば鬼に金棒、天下が取れる。


2、和顔悦色施(わがんえつじきせ)
  ――慈愛に溢れた笑顔で人に接する


  道元禅師はやさしくほほえんで赤ちゃんにかける言葉を「愛語」と称され、

  「慈念衆生、猶如赤子のおもいをたくわえて
   言語するは愛語なり。(中略)
   怨敵を降伏し、君子を和睦ならしむること、
   愛語を根本とするなり。

   むかいて愛語をきくは、
   おもてをよろこばしめ、こころをたのしくす。
   むかわずして愛語をきくは、
   肝に銘じ、魂に銘ず。

   しるべし、愛語は愛心よりおこる、
   愛心は慈心を種子とせり。
   愛語よく廻天のちからあることを学すべきなり、
   ただ能を賞するのみにあらず」(『正法眼蔵』)

  と説く。


  安岡正篤師もまた
  「斉家の箴」で五か条を挙げ、
  最初に

  「和顔愛語を旨とし、
   怒罵相辱かしむるをなさず」

  と説く。


3、言辞施(げんじせ)
  ――言葉には廻天の力あり


  『致知』の2002年9月号で紹介された

  「ありがとうおかあさん
   ありがとうおかあさん
   おかあさんがいるかぎり
   ぼくは生きていくのです
   脳性マヒを生きていく

   やさしさこそが大切で
   悲しさこそが美しい
   そんな人の生き方を
   教えてくれたおかあさん
   おかあさん
   あなたがそこにいるかぎり」

  の詩には、どれほど涙を流したか分からない。
  脳性マヒの子供が 悲しみ悩む母親に「喜びの種」をまいたのだ。


  今上陛下のご指南もされた碩学・小泉信三氏が、
  戦死したご子息の信吉大尉へ宛てた手紙の一節を紹介しよう。


  「我々両親は、君に満足し、
   君をわが子にすることを
   何よりの誇りとしている。
   僕は若し生まれ替わって妻を選べといわれたら、
   幾度でも君のお母様を選ぶ。
   同様に、若しもわが子を選ぶということが出来るものなら、
   我々二人は必ず君を選ぶ」


  それほどまでに自分を考えてくれる両親の愛情を確と受け止め、
  信吉大尉は前線に赴き、お国のために散っていった。


《「恕」の心を持ち、相手に奉仕する》

4、身施(しんせ)
  ――自分の身体を使って人のために奉仕する

  この施しの極めつけの実践者は靖国に眠る英霊たちであろう。
  幾度英霊の御霊に参ずるも、その思いやりの人生に粛然として声無く
  深い感動に襲われ、自ずと合掌する。



5、心施(しんせ)
  ――思いやりの心を持つ

  大切な三配りの3原則「目配り、気配り、心配り」を働かせて相手の身に立って
  考えること。即ち孔子の「恕(じょ)」の心そのものである。


6、床坐施(しょうざせ)
  ――自分の席を譲る

  地下鉄やバスに、「優先席」と書いてあるのに
  知らぬ顔をきめ込む若者たちが多くなったのは、
  わが民族の劣化である。

  我われ年配者も定年のない役割では、その退任の機会に気をつけねばならない。
  つまり適切な対人が周囲に喜びの種をまくことをゆめ忘れてはならない。


7.房捨施(ぼうしゃせ)
  ――宿を貸すこと

  昔は一宿一飯の恩義と言っていたが、宿泊設備が完備し、
  個人の家に厄介になることなど皆無となった。

  昨年、筆者の関係ある学生たちに体験学習として、京都の寺社に一切の紹介状なしに
  一宿のお願いを交渉させる訓練をした。だが、難行苦行であった。

  それだけに一宿を許された者は「喜びの種をまく」ことの重さをしみじみと感じ取った。


  時移り、場はかわれども、「喜びの種をまく」価値はいささかも衰えていなかった。

              <感謝合掌 平成26年10月27日 頓首再拝>

よき表情を与え、よき言葉を与える (1530)
日時:2014年11月07日 (金) 04時56分
名前:伝統

           *『眞理』第5巻女性篇(P238~239)より

自分が与えられようと思ったら、まず与えなければならぬ。
横取りをしてはいけない。

自分がカラッポになって尽くせば与えられるということになるのであります。
ですから、皆さんもできるだけ与えるようにするといいのであります。

与えると言っても自分は何も持っていないと思っていらっしゃる人が
あるかもしれませんが、すべての人間は与えるものを持っているのです。

それは何でもないことです。

いつも和顔をしていること、
つまり、いつも優しい顔をしているだけでも人に喜びを与えるのです。

優しい顔や、愛に満ちた顔をしていること、それだけでも大いに与えているのです。

にが虫をつぶしたような顔、そんなものを与えてもだめですけれども、
いつも人を喜ばせるものを与えることです。

一言(ひとこと)ものを言っても人を喜ばしめるように言う。

―― どなりつけるような言葉は人を殺します。
「人を殺すなかれ」とモーセも、釈迦も、キリストも教えています。

殺すなかれということは、殺人をするなとか、殺生をするなというような、
具体的な血みどろな殺生だけでは決していない。

人の生命(いのち)を殺すような言葉を吐くなというようなこともふくまれています。
せっかく人が意気揚々としているのに、さっと止(とど)めを刺すような言葉を使って
意気消沈させてしまったら、それは人の心を殺したことになるわけであります。


だから、すべての人を先ず言葉で生かしてあげなければならない。
すべての相手の心持ちや生命を生かすようにしてあげることは
すなわち与えることであります。

それで与える愛は相手を生かすのです。

              <感謝合掌 平成26年11月7日 頓首再拝>

【人の喜ぶことを先にする】 (1754)
日時:2014年11月17日 (月) 04時18分
名前:伝統

          *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年11月04日)」より

   (笠巻勝利氏の心に響く言葉より…)

   二宮尊徳は、親戚の川久保民次郎に下男として働いてもらっていた。
   民次郎が一家を構える年になったので地元へ帰すことになった。

   尊徳は、民次郎に人の間で生きていくための心がけを話した。

   「たとえば、腹が空いた人が他人の家に行って、
   “ご飯を食べさせてください”と言っても、誰も食べさせてはくれない。

   しかし、空腹を我慢して庭の掃除をしてから頼めば、食べさせてくれるかもしれない。
   この心がけがあれば困った時でもなんとかなるだろう」


   続いて、

   「私が若い頃、鍬(くわ)が壊れてしまった。隣家へ借りに行ったら、
   “畑を耕して、菜の種をまくところじゃ。終わるまでは貸せないよ”と断られた。

   そこで、“その畑を耕してあげましょう。耕し終えたら、ついでに種もまきましょう”
   と言って作業を終えた。

   隣家の老人は、ニコニコ顔で、
   “鍬だけでなく足りないモノがあったら、何でも言ってくれ、いつでもいいよ”
   と心を開いた」

   
   尊徳は、さらに言った。

   「お前は、まだ若いから、毎晩、寝る前に草鞋(わらじ)を一足つくれ。
   それを、草鞋の切れた人にやるがよい。
   それで、お礼を言ってもらえれば、それだけ徳を積める。

   この道理をわきまえて、毎日、励めば必ず道は開ける」


   民次郎は、すっかり感心して明るい顔で郷里へ旅立った。

         <『目からウロコが落ちる本』PHP文庫>

             ・・・

自分のことだけを考える人を自己中心的な人、利己の人という。

その反対に、他人の幸せを先に考える人のことを、利他の人という。


オレがオレが、私が私が、と自分の利益を先に考える人は、
人がどんどん離れていき、まわりの協力を得られず、やがて運から見はなされる。

利他の心を持った人は、協力者や仲間が一人ずつ増え、やがて運も味方してくれる。


「人からお礼を言ってもらえれば、それだけ徳を積める」

人の喜ぶことを先にする利他の人でありたい。

              <感謝合掌 平成26年11月17日 頓首再拝>

【喜ばしたもん勝ち】 (2015)
日時:2014年11月28日 (金) 03時02分
名前:伝統

          *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年11月13日)」より

   (小杉俊哉氏の心に響く言葉より…)

   私の直接の知人、友人二百数十人に、ラッキーについての
   アンケート調査に協力を依頼し、約百人から回答をもらいました。

   回答者の属性はかなりバラエティに富んでおり、男女の比率はほぼ同じ、
   年齢も20歳そこそこの学生から60代までかなりの幅があり、
   職業もビジネス・パースンから専業主婦まで含まれています。

   その結果、大変興味深いことが分かりました。

   自信を持って自分自身がラッキーであると考えている
   全面的ラッキー派の人たちは、自らラッキーであると思い、
   自分自身の働きかけによって、そうなっていると答えているのです。

   また、ラッキーであるために普段から具体的な考え方や行動をとっています。

   すなわち、ラッキーは自ら働きかけることにより、
   コントロールできるものである、と考えています。

   回答してくれた人の顔を思い浮かべると、
   客観的に見ても皆ラッキーと言える人生を送っています。

   ラッキーかどうかは性格によってきまるのではなく、
   考え方や行動によって決まるのです。

   ただ、性格によってラッキーになりやすい考え方や行動をとる
   傾向があるということです。

   そのような性格でなくとも、ラッキーになるような考え方、
   行動を意識してやってみる、それを習慣づけることで
   まったく問題ないということです。

   あなたの行動が変わればそれは周りの人にも影響を与えます。
   周りの人の行動の変化はあなたにフィードバックされます。

   すると、それがあなたの性格にも影響を与え、変えることもできると、
   自身の経験や周囲の人の観察から私はそう考えています。


   住宅メーカーで人材開発に関わるIさんは、
   忙しい中、入社15年目に意を決して、全国に散らばる
   百数十名の同期に声をかけて同期会を企画しました。

   入社以降配属が分かれてしまうため、
   通常そのような集まりは他の期でもなかったようです。

   誰も幹事役を買って出る人がいなかったからでしょう。

   同期会会場でも、Iさんは話をしていて相手に悩みがあったりすると
   「そんなことなら○○君のところへビール持って話しに行けや!」とか、
   「それなら今後○○さんを紹介したげる!」とかやって仕切っていたようです。

   そんなことから、参加者から大変感謝されたそうです。

   しかし、Iさんは、「むしろこちらのほうが感謝ですわ」

   「同期全員に顔を覚えてもらって、みんなに感謝されて
   こちらのほうが得したんですよ。その後各支店に頼み事をしたり、
   情報をもらったり、仕事にもとっても役立っています」と。

   ちなみに、Iさんのモットーは「喜ばしたもん勝ち」だそうで、
   他人が「自分と出逢えてラッキーだった。お前がそうしてくれてラッキーだった」
   と言ってくれるのを常に目指しているそうです。

           <『ラッキーをつかみ取る技術』光文社新書>

             ・・・

「自分はラッキーだ」と思える人は、ラッキーになるような行動を取っている。

「自分はツイていない、アンラッキーだ」と思っている人は、
ツキがなくなるような行動をとっている。


『ラッキーが来ない人』は…

つまらなそうな顔をしている人。
悲観的に考える人。
自信がない人。

エネルギーを吸い取られるようなところへ行ってしまう人。
感謝のない人。

ツイていない人とばかり一緒にいる人。
ラッキーが来たことに気づかない人。

(以上、同書の中から抜粋)


「喜ばしたもん勝ち」

人を喜ばせることが好きな人にはラッキーがやってくる。

「私はラッキー」、と言えるような行動と習慣を身につけたい。

              <感謝合掌 平成26年11月28日 頓首再拝>

【人を喜ばすことは、不老長生の秘訣】 (2232)
日時:2014年12月09日 (火) 03時24分
名前:伝統

          *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年11月15日)」より

   (無能唱元氏の心に響く言葉より…)

   先日、テレビで「アルプスの少女ハイジ」という
   有名な児童小説をアニメにした番組を見ておりました。

   その日のタイトルは「クララのしあわせ」というのです。

   このクララというのは、両足が動かず車椅子の生活をしている少女です。
   このクララがハイジに招かれて、アルプスの山の中へ来て暮らすようになったのです。

   そして、この日、ハイジの仲良しである近所の盲目のおばあさんの家に行き、
   そこでクララはおばあさんに本を読んであげます。

   クララは聡明な子で、本を読むのが好きなので、とてもうまく読むことができました。

   読み終わった時、おばあさんは感動して、お礼をいい、
   「まるで天使の声のようでした」といったのです。

   この時、クララの胸の中に名伏しがたい歓喜の思いが沸き起こりました。
   急に黙ってしまったクララにハイジたちは心配して、口々にどうしたのか?
   と尋ねました。


   すると、

   「嬉しいんです!」

   とクララは叫んだのです。

   「こんなに嬉しい気持ちは生まれて初めてです!」

   思えば、車椅子の生活は、他人の厄介になるばかりでした。
   このアルプスへ来るにも大勢の人の手を借りて、やっと来ることができたのです。
   クララの人生はそれまで、すべてが人の助けで生きてこれたといえます。

   ところが、この日、本を読んであげて、
   それにおばあさんが心から感動して、お礼をいってくれたのです。


   「自分でも、人の役に立つことができる!」
   これが解った時、クララの喜びは、まるで洪水のように胸の中にあふれたのです。

   みなさん。自己重要感を高めるもっとも効果的な答えがここに示されております。

   それは、

   「他人の役にたつ」ことです。

   人々はこの故にボランティア活動をします。

   それは、社会のためでも道徳のためでもなく、
   他人を救うという崇高な目的でもなく、まず第一に、自分自身を救うためなのです。


   アドラーという世界的に有名な精神科医は次のようにいっております。

   「うつ病やノイローゼなどの患者は、私のいうとおりにすれば、2週間で治ってしまう。
   それは、人をどうやったら喜ばせることができるか?
   ということを考え始めることである」


   ところが面白いことに、多くの患者はそれに対して、

   「ああ、それなら簡単だ。それはいつでも私のやっていることだ。
   それなのにやつらは少しもそれに感謝せんのですよ」
   といまいましげにいうとのことです。

   「彼らは他人のことなど考えていない」とアドラーはいいます。

   「彼らは自分のことばかり考えています。そしてそれが彼らの病気の原因なのです」

   自己重要感がうまく充足されないで、その弊害が嵩じて行くと、
   遂に精神病にさえなるのですが、このような無明の道を照らすともしびこそ、
   この、「人を喜ばそう」とする行為なのです。

   これこそ、人間の五大本能の中でもっとも重要と思われる
   自己重要感を高めるための最高の技術(敢えて技術といいます)だといっても
   過言ではないでありましょう。


   他人の顔に喜びの微笑を浮かべることができれば、
   あなたの顔にも微笑が浮かぶことでしょう。

   そして、あなたの心身はより一層若やぐであろうことは疑いありません。

   すなわち、不老長生のための最高の秘訣がここに示されているのであります。

            <『君の霊格を高めよ』竹井出版>

              ・・・

自分の自己重要感が高い人は、人の自己重要感も高めることができる。

反対に自分の自己重要感が低い人は、人の自己重要感などおかまいなしだ。
たとえば、自分だけが勝手にペラペラとしゃべり、人の話などまったく聞かない人。

自己重要感の高い人は、人から感謝の言葉をもらっている人、
愛情やあたたかい言葉をたくさんもらっている人。

「人を喜ばそう」とするからこそ、
人から感謝や、愛やあたたかい言葉をもらうことができる。


「不老長生の秘訣」は、「人を喜ばす」こと。

自己重要感を高める生き方をしたい。

              <感謝合掌 平成26年12月9日 頓首再拝>

想念によって人々を援助することができる (2421)
日時:2014年12月20日 (土) 04時16分
名前:伝統

         *「女は愛の太陽だ」(P78)より

あなたが現実に金銭や物質を援助することによって人を救けることができないでも、
想念の世界に於いて、その人に神の祝福が雨降るように注ぐことを心に描いて
祝福してあげることによって、

あなたは心の世界で、その人を祝福し援助することができるのである。

それは遠隔治療の一種であって、
実際それが現実世界に効果をあらわすことができるのである。



              <感謝合掌 平成26年12月20日 頓首再拝>

他人の幸せを念ずる (2618)
日時:2015年01月01日 (木) 04時40分
名前:伝統

          *メルマガ「人の心に灯をともす(2014年11月17日)」より

   (小林正観さんの心に響く言葉より…)

   渡辺和子さんは、二・二六事件で暗殺された教育総監・渡辺錠太郎氏の娘です。
   九歳のとき目の前で父が殺されました。

   彼女は二十代後半になってアメリカの修道会に入り、十年ほどして帰国しました。
   現在は岡山県のノートルダム清心学園の理事長をされていて、
   多くの素晴らしい本をお書きになっています。

   渡邉和子さんがその修道会にいたときのことです。

   食事の準備のために、食卓にお皿を配っていた渡辺和子さんに、
   あるシスターが寄ってきて訊ねたそうです。

   「あなたは今、何を考えながらお皿を配っていますか?」

   渡辺和子さんは戸惑いつつ、「いえ、何も考えていません」と答えました。

   そのときシスターは、

   「あんたは時間を無駄にしています。
   なぜ、このお皿を使う人の幸せを祈りながら配らないのですか。
   この世に雑用という仕事はないのですよ」

   そう教えてくれたというのです。

   炊事も洗濯も掃除も、また子どもの世話も会社の仕事も、
   「しなければならないこと」と考えると、その通りです。

   しかし、そこに

   「この食事をいただいた人が元気になってくれるように」
   「この服を着る人が幸せになってくれるように」
   「この廊下を歩く人が笑顔で過ごせるように」

   「この仕事で関わる人が、みんな幸せになってくれるように」

   と念をこめたら、それは単なる雑用ではなく、また単なる仕事でもありません。

   そのように考えていくと、
   「ねばならない」という作業や仕事はなくなるのではないでしょうか。

   日常におけるすべてのことは、
   周りの人たちの元気や幸せを祈る大切な手段になるのです。


   宿泊業の人にこの話をしたところ、
   大半の人が「宿泊業はとても素晴らしい仕事だったんですね」と言いました。

   食事を作り、風呂を沸かし、部屋や廊下を掃除し、それらすべての作業が、
   「泊まりに来てくれる人の幸せを祈れることだった」ことに気がついたからです。

   「ねばならない」と思っていたことでも、
   実はそれが「幸せを念じられること」だと気がつくと、
   もっと、そういう時間や場所がほしいと思えるようになるのではないでしょうか。

   そしてその念は、必ず目に見えるかたちで現れてきます。

   そうなればもう、「ねばならない」と思っていたことも、
   楽しくて仕方がなくなるのです。

          <『22世紀への伝言』廣済堂出版>

           ・・・

齋藤一人さんはこう語っている。

「人の幸せを願うようになると、心が豊かになるんです。

心が豊かになると、人相も変わってくるんです」(愛のセラピー)より


他人の喜びを我が事のように喜び、幸せを願うなら、それはいつか自分に返ってくる。

反対に、人の不幸や失敗を願えば、心が貧しく、冷たい人間となり、
結局は自ら不運を招くことになる。


「この世に雑用という仕事はない」

すべての作業や仕事は、周りの人たちの元気や幸せを祈る大切な手段。

他人の幸せを念じられる人でありたい。

              <感謝合掌 平成27年1月1日 頓首再拝>

利他の心で創意工夫 (2767)
日時:2015年01月11日 (日) 04時00分
名前:伝統

       *読売新聞(平成27年1月4日)1面『戦後70年』
        ~ 京セラ 稲盛 和夫 名誉会長の記事 より

日本人が持っているおもてなしの精神を、サービス産業ではもっと発揮すべきだ。
作られた笑顔ではなく、心からのおもてなしの気持ち。
お客様が思っていることを気持ちよくしてあげることが一番大事になる。

  ==========

経営が厳しい地方の中小企業でも、創意工夫がカギになる。
現在のビジネスをこのまま続けていて良いのか。

通りいっぺんのやり方で、なかなか利益が出ないと嘆いていてもうまくいかない。
どうやったら利益が出るか、考えて工夫しないといけない。

  ==========

自らの利益をただ追求するのではなく、
自分以外の周囲の人たちが豊かになるように考える「利他の心」が大事だと思う。

今も、中堅・中小企業の経営を助ける活動をボランティアでしているが、
利他をベースに経営している会社は非常に順調にいっている。

  ==========

世界で貧富の格差が問題になっている。ますます、
思いやりや礼儀正しさといった日本人が持つ良さが称賛される時代が来ると思っている。

http://blog.livedoor.jp/lovechanfujiwara/archives/51438965.html

http://ameblo.jp/yyyamachan/entry-11973251451.html



・・・

<参考Web:日本では当たり前の「礼節と美徳」 
        中国人の心にも響いた“稲盛イズム” >

      *Sankei Biz(2015.1.2 )より

カラーテレビ用電子チューナー部品で日本市場のシェア70%、
世界市場でも50%を持つ浙江中興精密工業有限公司の経営者、張忠良氏に話を聞いた。


「それまでの『どう儲けるか』という西洋哲学に対して、
稲盛哲学は『利他の心』を説いていました。

われわれ中国の企業経営者は、中国経済の高度成長期とともに、
30年以上発展し続け、お金をたくさん稼いできました。

しかし、お金を稼ぐことが目的化し、何のために稼ぐのか、考えたこともありませんでした。
心が空っぽだったのです。それがそもそもの問題だったと気づきました」



「『利他の心で判断し、社員の幸福を追求する』という稲盛哲学は苦境を抜け出す道しるべ
となったのです。稲盛氏の人に対する真摯さは、日本企業の仕事に対する誠実さに
相通じるところがあるでしょう」

http://www.sankeibiz.jp/business/news/150102/bsg1501020700001-n1.htm

              <感謝合掌 平成27年1月11日 頓首再拝>



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