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光明掲示板・第三

 

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年の暮からお正月へ (2514)
日時:2014年12月26日 (金) 18時51分
名前:伝統

師走はそれぞれ忙しい時を持ちます。
年末に向けた大掃除、神様を迎える準備・・・。

日本人は、古来から、神様は、今、目の前の人の中にもいると捉えておりました。

この師走の頃、(目に見えない)神様に会う前に、お世話になった人への
「ありがとう」の気持ちを伝えることが大事と、日本人は考えました。

まずお世話になった人にお礼、
ます隣のおじいちゃんにお礼・・・。

これがお歳暮の始まりとも言われております。


そして、クリスマスが過ぎると、お正月への準備が始まります。

一般的に今日は仕事納め。
明日からお正月休みに入り、9連休となる人もいます。


「もういくつ寝るとお正月・・」 童謡にありますように、
今年もあと幾日と指折り数えるほど暮れが押し詰まった日のことを「数え日」といい、
去る年を惜しむ思いと来る年への期待が交錯します。


「お正月」(唱歌・童謡)

 → https://www.youtube.com/watch?v=vN0Cz-P3Cqg

作詞:東くめ
作曲:滝廉太郎


もういくつねると お正月
お正月には たこあげて
こまをまわして あそびましょ
はやくこいこい お正月


もういくつねると お正月
お正月には まりついて
追ばねついて あそびましょ
はやくこいこい お正月


           <感謝合掌 平成26年12月26日 頓首再拝>

正月飾り (2536)
日時:2014年12月27日 (土) 19時15分
名前:伝統

(1)門松は歳神様が降りてくるときの目印となり、
   「松は千歳を契り、竹は万代を契る」との諺にもありますように
   松には長寿、竹には発展への願いが込められています。

(2)しめ飾りは不浄なものを寄せつけず、清らかな場所であることを示します。

(3)鏡餅の円形は円満をあらわし、新しい年の命の象徴でもあります。

(4)正月飾りの飾るタイミング

   29日の9は「苦」に通じるため、31日の大晦日に慌てて飾るのは、
   「一夜飾り」といって年神様に対し礼を失するとの理由で避けられます。

   となりますと飾るタイミングは自ずと限定されてきますが、
   一般的には明日28日までに飾るか、または30日に飾るのが良いそうです。

          ・・・


《本流宣言掲示板「正月飾り (5934)」より》
  (→ http://bbs2.sekkaku.net/bbs/?id=sengen&mode=res&log=1314 )

     *『白鳩』誌 昭和22年3月号 「道場聴き書」より抜粋

(1)正月には松を立てる。

  ①松とは何であるかと云えば、それは《ときは》木であって、永遠に栄える木、
   即ち《サカキ・榊》である。

  ②榊を神にそなえるとは、實は自分の心の中にサカキ(栄える木)を立てることである。
   榊は所謂『神様』に捧げるものではなくして、かえって『自分自身』に捧げるもの
   なのである。

   それ故、榊をそなえる場合には美しい緑の葉をみんな自分の方に向けて供える。
   『神様』の方には裏のきたない方が向いている。

(2)神前には《おみき》を供える。

  ①《おみき》はサケ(酒)である。 
   サケ(Sake)もやはりサカエ(Sakae)を表わす言葉である。

  ②サカキを立ててサケを飲むのは『サカエ』るものを観る事であり、
   それは『サカエ』るものを創造り出すことである。
   新たなる《いのち》の創造である。

  ③サケ(酒)はサカエ(栄え)であるから陽である。
   ものをいきいきと燃え立たせる働きである。

   それに対し水は陰である。

(3)正月には《しめなわ・注連縄》を張る。

  ①《しめなわ》は天照大御神が天の岩戸からお出ましになった時、二度と再びお入りに
   ならないように張り巡らしたものであると古事記に書いてある。

   それはどういう意味かと云うと『再び退転しない』という意味である。
   再びもとの暗い生活には帰らないという誓いをあらわす。

  ②《しめなわ》を張り巡らす所はどこかのかど口の様な所だと思っていたら大間違いで、
   実は自分の心の中に張りめぐらすのである。

   心の中で『二度と再び過去のあやまちには退転しない』と固く決心することなのである。



<参考Web:正月飾りについての豆知識まとめ
       → http://matome.naver.jp/odai/2129237717504061001


           <感謝合掌 平成26年12月27日 頓首再拝>

年の瀬を乗り切る「宝船」 (2579)
日時:2014年12月29日 (月) 23時53分
名前:伝統

平成26年も残り2日ほどで、いよいよ年の瀬も押し迫っております。

「瀬」とは川が浅く流れが急なところを指していますが、
1年のうちでもこの時期は急き立てられるように時間が経過することから
「年の瀬」と云います。

昔の人は、年始の準備やら暮れの支払いやらで、急流を船で越すように、
年の暮れを乗り越えるという感覚だったそうです。


「年を越せるかどうか」は、江戸時代の庶民にとっては重大事であり、
その大変さを、流れの急な「瀬」に喩えたものです。

渡り切れなければ、死につながるという感覚であったようです。

次のような歌があります。


 「年の瀬や 川の流れと 人の身は あした待たるる その宝船」


これは、俳諧師宝井其角と、その弟子赤穂浪士の大高源吾が、
忠臣蔵の討ち入り前日の両国橋で交わしたと言われている。

前半は、師匠の宝井其角が詠み、後半は、源吾がその思いを詠みつなげたといわれます。


江戸の庶民にとっては、大望を叶えた源吾のように、
年の瀬を越したその船は、きっと宝船に相違ないと捉えたのかも知れません。

           <感謝合掌 平成26年12月29日 頓首再拝>

「悲喜交々」の中で「光」で満たされていく (2594)
日時:2014年12月30日 (火) 17時51分
名前:伝統

「悲喜交々(ひきこもごも)」

       *「美人の日本語」山下景子・著(12月30日)より

「交々」は、もともと「此(こ)も此(こ)も」だそうです。
これもこれも、かわるがわる、次々に・・・そんな意味です。

1年を振り返る時期です。

あなたの交々は、「あんなこともあった、こんなこともこともあった」ですか?

それとも、「ああすればよかった、こうすればよかった」ですか?

悲喜交々、さまざまな思い出に彩られて過ぎていく今年(平成26年)。

闇があってこそ光がわかるように、
悲しみがあってこその喜びなのかもしれません。

それでも、人は喜びをもとめて生きていくもの。

「これもしよう、あれもしよう」

そんな交々を用意して、来年(平成27年・乙未)に向いませんか。

・・・

<参考>

《平成26年の10大ニュース》

(1)御嶽山噴火で死者57人、行方不明者6人
(2)消費税8%スタート
(3)ノーベル物理学賞に青色LEDを開発した赤崎勇、天野浩、中村修二の3氏

(4)全米テニスで錦織圭が準優勝
(5)「アベノミクス」の評価を問う衆院選
(6)広島市北部の土砂災害で74人が死亡

(7)STAP細胞論文に改ざんなど不正
(8)ソチ五輪で日本は金1、銀4、銅3
(9)世界文化遺産に「富岡製糸場」
(10)高倉健さん死去

http://www.yomiuri.co.jp/feature/top10news/20141227-OYT8T50031.html

           ・・・

《2014年世界10大ニュース》

(1)西アフリカでエボラ出血熱流行、死者6千人超す
(2)消息不明のマレーシア航空MH370便
(3)ロシアのクリミア自治共和国侵攻

(4)韓国フェリー沈没事故
(5)サッカーワールドカップでドイツ優勝
(6)マレーシア航空MH17便撃墜事件

(7)スコットランド独立住民投票
(8)米国中心の国際社会が
   イスラム過激派組織「イスラム国」を討伐

(9)米中間選挙
(10)マイケル・ブラウン射殺事件
 
http://www.epochtimes.jp/jp/2014/12/html/d39405.html

・・・

《生きることは美しい》

          *「女性の幸福365章」(P74)より

悲劇にさえも其処に美がある。
悲しみさえも、それは生命(せいめい)の働きであるから
其処に美が構成されるのである。

人がその人生航路において右するも死、左するも死・・・の板挟みに立たされながら、
辛うじて「生」のバランスを保っているところには、
恰も生死の構図の不等辺三角形が、倒れんとして倒れないで、
不均衡の均衡を保っている美に類似した美しさがあるのである。

円盤投げ選手の姿勢の美しさや、体操選手の平均台上における美しいフォームなども、
不均衡の均衡、倒れんとして倒れざる、重圧に対してそれを克服しつつある
内部生命の美しさの表現である。

人生の重荷も、もしそれを私達がよく耐え忍ぶならば、
私たちはこの宇宙に何らかの「美」を創造しつつあるのである。

「私は今、この人生苦を耐え忍ぶことによって人生に“美”を創造しつつあるのだ」
という考えを起すならば、

無価値と見える人生に私たちは価値を見出し、
生きる希望と勇気とを与えられることになるのである。

・・・


西田幾太郎氏は、「年暮狂歌」の中で次の和歌を残しています。

<年ぐれにとしがゆくとは思ふなやとしは毎日毎時ゆくなり>。

 (さらさらと止めどなく時は流れている。それは、なにも歳末に限らない。)

これは、今この瞬間を精いっぱい生きろ。
そう背中を押してくれている歌であり、
年の瀬に捉われることなどはないとの叱咤激励の言葉だと思いますが、

それでも、やはり、多くの人にとっては
年末のこの時期は特別なような気がしてしまいます。


さて、年末の12月の異称として「年満月」というのがあります。

年(とし)が終わるのではなく、1年が満ちていく。

満ちていく月の晦日・大晦日において、
谷口雅春先生の言葉にあるように、それぞれの出来事に価値を見出し、
満ち足りた思いに転換していくことも必要かと。

           <感謝合掌 平成26年12月30日 頓首再拝>

「年越の祓(としこしのはらえ)」 (2598)
日時:2014年12月31日 (水) 06時06分
名前:伝統

今日は、12月31日(大晦日)。

神道では、6月と12月の晦日には「大祓(おおはらえ)」と言って、
神に祈って心の穢れを取り払う神事が宮中や各地の神社で執り行われ、
6月の大祓は「夏越の祓(なごしのはらえ)」、
12月の大祓は「年越の祓(としこしのはらえ)」と呼ばれている。

この「大祓」の儀式で読みあげられる言葉が、平安時代に完成した「延喜式」のなかに
載せられている「大祓詞」で、我が国で最も古い祓詞と言われております。

この「大祓」の儀式が全国的に広まるのは明治時代で、明治5年(1872)の教部省通達で
「毎年官社以下すべての神社の社頭に祓いの座を設け、府県官員はもちろん、一般国民もまた
社参して大祓せよ」との発令により、国民行事として広まったようであります。

            ・・・

<大祓祝詞> 

高天原に神留生(かむつまりま)す。

神漏岐神漏美命(かむろぎかむろみのみこと)をもちて八百万の神等(かみたち)を
神集えに集い賜い、神議りに議り賜いて、我皇御孫之命(すめみまのみこと)は
豊葦原の瑞穂國を安國と平けく知し食(め)せと事依(よさ)し奉りき。

如此(かく)依(よさ)し奉りし國内(くぬち)に荒振神等(あらぶるかみども)をば
神(かむ)問わしに問わし給い、神掃いに掃い賜いて、語(こと)問いし
磐根樹根立草(いわねきねたちくさ)の垣葉(かきは)をも語(こと)止(や)めて

天の磐座(いわくら)放ち天の八重雲を伊豆の千別(ちわき)に千別て
天降りし依(よさ)し奉りき。

四方(よも)の國中(くになか)と大倭日高見之國(おおやまとひたかみのくに)を
安國(やすくに)と定め奉りて、

下津磐根(したついわね)に宮柱太敷立(みやばしらふとしきた)て
高天原に千木(ちぎ)高(たか)知りて皇御孫之命(すめみまのみこと)の
美頭(みず)の御舎(みあらか)に仕奉りて、

天の御蔭(みかげ)日の御蔭と隠(かくり)坐(ま)して安國と平らけく知らし
食(め)さん國中(くぬち)に、成り出でん天の益人(ますひと)等が、
過犯しけむ雑々(くさぐさ)の罪事は、

天津罪とは畔放(あはなち)、溝埋(みぞうめ)、樋放(ひはなち)、頻蒔(しきまき)、
串刺、生剥(いきはぎ)、逆剥(さかはぎ)、屎戸許々太久(くそへここだく)の罪を
天津罪と、法(の)り別けて、

國津罪(くにつつみ)とは、生膚断(いきはだだち)、死膚断(しにはだだち)、
白人胡久美(しらひとこくみ)、己が母犯せる罪、己が子犯せる罪、母と子と犯せる罪、
子と母と犯せる罪、畜(けもの)犯せる罪、昆蟲(はうむし)の災、
高津神(たかつかみ)の災、蓄仆(けものたおし)、蠱物(まじもの)せる罪、
許々太(ここだ)くの罪出でむ。

如此(かく)出でば、天津宮事以ちて、天津金木(あまつかなぎ)を本打切(もとうちき)り、
末打断(すえうちた)ちて、千倉(ちくら)の置座(おきくら)に置き足らわして、
天津菅會(あまつすげそ)を本刈り断ち、末刈り切りて、八針(やはり)に取り辟(さ)きて、

天津祝詞の太祝詞事(ふとのりとごと)を宣(の)れ。

  ・・・

  (注:太祝詞事には、諸説がありますが、
     ここでは、次の「禊祓いの祝詞」を述べることとします)

 【高天原(たかあまはら)に神詰(つま)り坐(ま)す、
  神漏岐(かむろぎ)・神漏美(かむろみ)の命(みこと)以ちて
  皇祖神(すめみおやかむ)伊邪那岐命、筑紫の日向(ひむか)の橘の小門(おと)の
  阿波岐原(あわぎはら)に禊祓いたまう時になりませる祓戸の大神たち、
  諸々の禍事(まがこと)罪穢れを祓い給え、浄め給えと、白(もう)す事の由を、
  天津神、國津神、八百万の神たちと共に天斑駒(あめのふちこま)の耳振り立てて
  聞(きこ)し食(め)せと畏(かしこ)み畏み白す。】

  ・・・

如此乃良(かくのら)ば、天津神は天の磐門(いわと)を押し披(ひら)きて、
天の八重雲(やえぐも)を伊頭(いず)の千別(ちわ)きに聞(きこ)し食(め)さむ。

國津神は高山の末、短山(ひきやま)の末に上り坐して、高山の伊穂理(いほり)、
短山の伊穂理を撥(か)き別けて聞し食さむ。


如此(かく)聞(きこ)し食(め)しては〈皇御孫之命(すめみまのみこと)の朝廷を
始めて〉天下(あめのした)四方(しのえ)の國には、罪と云う罪は在らじと、

科戸(しなど)の風の天の八重雲を吹き放つ事の如く、
朝(あした)の御霧(みぎり)夕(ゆうべ)の御霧を、朝風夕風の吹き掃う如く、
大津邊(おおつべ)に居る大船を、舳(へ)解き放ちて、大海原に押し放つ事の如く、
彼方(おちかた)の繁木(しげき)が本(もと)を、焼鎌(やきかま)の敏鎌(とがま)
以ちて打掃う事の如く、

遺(のこ)る罪は在らじと祓い給い清め給う事を、高山の末、短山(ひきやま)の末より、
佐久那太理(さくなだり)に落ち多支都(たぎつ)、
速川の瀬に坐す瀬織津比咩(せおりつひめ)と云う神、大海原に持ち出でなむ。

如此持ち出で往なば、荒塩の塩の八百道(やおじ)の、八塩道(やしおじ)の塩の
八百會(やおあい)に坐す速開都比咩(はやあきつひめ)と云う神、
持ち可可(かか)呑みてむ。

如此可可呑みてば、氣吹戸(いぶきど)に坐す氣吹戸主と云う神、
根の國底に氣吹き放ちてむ。

如此氣吹き放ちてば、根の國底の國に坐す速須佐良比咩と云う神、
持ち佐須良比失いてむ。如此失いては、罪と云う罪は在らじと、
祓い給い清め給う事を、諸々聞し食せと宣す。


②禊祓祝詞講義

谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐「[319] 「禊祓祝詞講義」」
 → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=48

           <感謝合掌 平成26年12月31日 頓首再拝>

「大晦日」から「元旦」へ (2607)
日時:2014年12月31日 (水) 13時22分
名前:伝統

(1)年越しそば~大晦日に食べる蕎麦

   由来にもいくつかあるようです。

  ①一つは、その昔、あるお寺が、貧しくて年の越せない人々に蕎麦がき
   (蕎麦粉を熱湯でこねたもの)をふるまったところ、翌年から皆に運が向いてきた
   ことから、「運そば」として広まったというもの。

  ②または、もともと商家では、つごもり、つまり月末に蕎麦を食べる習慣があり、
   それが元になったとする説。

  ③金細工の職人が金粉を集めるのに、練った蕎麦粉を使っていたことから、
   蕎麦は金を集める縁起物として食され、

   またはその形状から細く長く達者に暮らせるように願ったとの話や、

   蕎麦は切れやすいことから、
   その年の苦労を切り捨て翌年に持ち越さないよう願ったという話もあります。

  ④痩せ地でも実を結ぶ蕎麦は、雨や風にも強い植物です。
   風に寝かされても、雨に打たれても翌日には起き直ります。

   このことから捲土重来(けんどちょうらい)を期す食べ物とも言われています。

(2)お正月のお節(おせち)。

  ①来客の度に台所に立たなくてもいいように、日持ちのよい料理を重箱に詰めた
   お節料理も縁起の良い食材でいっぱいです。

  ②マメ(健康)に暮らせるようにと黒豆を、子孫を増やし家が繁栄するようにと
   数の子を、喜ぶことが多いようにと昆布巻きを、腰が曲がるまで長生きしたいとの
   願いで海老を、金運を呼ぶ栗きんとん(金団)、遠くまで見通せるレンコンなどなど。


(3)年籠り(としごもり)

   大晦日の夜は、神社では境内で火を焚き、夜を徹して神主が罪や穢(けが)れを
   清める大祓(おおはら)えを行なう。

   一家の長は、氏神の社に除夜から翌朝まで籠もって歳神を向かえる。
   これを年籠り(としごもり)と呼んだ。

   この年籠もりが、大晦日の「除夜詣」と元日の朝の「元日詣」の2つに分かれ、
   後者が現在の「初詣」の原型になった。

(4)寺院では、午前零時を前にして除夜の鐘をつき始め、108回鳴らす。

   これは中国の宋代に始まった慣習だが、
   静かな夜更けに響く鐘の音は、いかにも荘厳な雰囲気を盛り上げる。
   歳神様を迎える聖なる時にいかにもふさわしい。

   異国から伝えられた仏教行事も八百万の神々のおわすわが国では、
   土着の慣習に自然に融合しているのである。


(5)「初詣」と「おみくじ」

   初詣の際におみくじを引く方が多いかと思いますが、意外と知られていないのが
   おみくじの縁起の良い順番で、上から順に下記のようになっています。

      大吉 中吉 小吉 吉 末吉 凶 大凶

   さらに細かく分かれている場合には、

      大吉 中吉 小吉 吉 半吉 末吉 末小吉 凶 小凶 半凶 末凶 大凶

   となります。

   引いたおみくじをどうするかについては、良いおみくじは持ち帰り、
   良くないおみくじは境内の木の枝などに結ぶというのをよく見ますが、
   決まりはないそうです。

   凶のおみくじを、利き腕でない方の腕で境内の木に結べば、
   困難な行ない(修行)を達成をしたことになり、
   凶が吉に転じるとの説がありますが、

   「結ぶ」という行為には神さまとの縁を結ぶという意味があるため、
   良いおみくじを結んでも構いません。

   また、良くないおみくじでも、記されている教訓を戒めのつもりで持ち歩く
   という人もおり、逆に滅多に出ない凶や大凶のおみくじを縁起が良いとする
   考え方もあります。

   この1年の吉凶を占うおみくじですが、良いおみくじであっても怠らず励み
   良くないおみくじであっても用心して誠実に事にあたれば、
   必ず御加護があるそうです。


・・・・

新たな年に、ますます好運と福の神を呼び込もうという風習は、大事にしたいものです。

           <感謝合掌 平成26年12月31日 頓首再拝>

明日は元旦、「瑞気」を呼び込む日です。 (2616)
日時:2014年12月31日 (水) 21時44分
名前:伝統

一月一日(いちがついちじつ)
https://www.youtube.com/watch?v=iREdv7j03kc

文部省唱歌

作曲は上眞行、
作詞は千家尊福


♪ 年の始めの 例(ためし)とて 終りなき世の めでたさを ♪
 ♪ 松竹立てて 門ごとに 祝う今日こそ 楽しけれ ♪


 ♪ 初日の光 さし出でて 四方(よも)に輝く 今朝の空 ♪
  ♪ 君がみかげに 比(たぐ)えつつ 仰ぎ見るこそ 尊とけれ ♪


・・・

「瑞気」を取り込むと幸せになる

          *「神様にほめられる生き方」(P10~16)より


「瑞気(ずいき)」とは「めでたい気」「新鮮で、かつ美しい気」という意味ですが、
昔の人は、この「瑞気」をいかに家や体に取り込むかに苦心したものです。

たとえば神棚に飾る榊(さかき)の枝は、毎月1日と15日に取り替えます。

榊は「栄える樹」で「サカキ」。
つまり、榊の持っている、常に栄え続ける瑞々(みずみず)しい気を
家の中に取り込むために飾る。

(中略)


「健全なる肉体に健全なる精神が宿る」というのは、西洋の考え方です。

東洋ではその逆で、「魂を健全にすれば自ずと肉体も健全になる」と考え、
魂をいかに健康に活発化するかということを大切にしました。
魂を振り動かし、活力を与えることを「振魂(ふりたま)」といいます。

「みそぎ」をするために水の中に入るのは、体を浄(きよ)めることはもとより、
水の霊力を自分の体に振りつけて、魂を活性化するために行なうのです。


家に「瑞気」を呼び込むのは、魂に活力を与えるための行為です。

正月が何故「めでたい」かというと、正月に家を訪ねてくださる神様、
「歳神様」「歳魂(としだま)」をお迎えする行事で有るからです。

氏神様をお迎えするために清らかな道を設け門松を立てて祝うのです。


正月に正装をし、いつもと違う雰囲気に身を置くことも、
「瑞気」を呼び込むための方法の一つです。

「儀式ばる」ことで家も心も雰囲気が改まり、単調な日常に節目がついて、
生活のリズムを改めることができます。

暮らしの中で儀式とはとても大切なものです。

(中略)


「瑞気」を呼ぶと家が栄えます。

来客が多い家は栄えるといいますが、
人々で賑わい、談笑が絶えないと活気が家に充満し、繁栄をもたらすのです。

家だけではありません。
人もそうです。

陰気な人では瑞気は呼べません。
何事にも前向きで陽気な人には瑞気も集まってきます。
笑うことが大切で、神様もよくお咲(わら)いになることが『古事記』にも書かれています。

          <感謝合掌 平成26年12月31日 頓首再拝>

『正月の餅飾りの意義を語る』 (2622)
日時:2015年01月01日 (木) 05時02分
名前:伝統

     _〆
     (∴)
    ( ̄ ̄ ̄)
  <( ̄ ̄ ̄ ̄)>
  [二◆二二◆二]    『 瑞 祥 新 春 』    
   |◇ ● ◇|
   |◆   ◆|
   |____|

  【 元 旦 】

『正月の餅飾りの意義を語る』

          *『光の泉』誌(昭和38年新年号)より
           冒頭の部分を紹介いたします。
           (先代の掲示板に掲載されておりましたが今は消滅致しております。
            ”童子 さま”のご了承をお願いいたします)


皆さん、新年おめでとうございます。

今、私の目の前に三方が置かれているのであります。 

それはお正月の飾りであるお鏡餅が盛られて、その下に昆布が敷かれ、
「裏白」という羊歯類の植物の葉が飾られ、その上に串柿があり、
伊勢海老と橙の果実が頂上に置かれてあります。

正月の儀式だけではありませんが、
古えからある祭礼等に行われる‘しきたり’の多くは、一種の象徴的行為であります。 
象徴とは見えざる心の姿を、視える象(かたち)又は徴にあらわしたものをいうのであります。

では、この正月の鏡餅のお供えは、
私達の心の象徴として如何なる希望をあらわしているものであるかを
考えてみることに致しましょう。

私は皆さんが今年一年365日に毎日一章づつ読んで頂くように書いた本を
『幸福を招く365章』と題して出しましたが、
その元旦の章にこんな事が書かれております。

『吾々が眠りより覚めて意識の世界に再び帰って来たとき、
其処に吾々は新らしく生まれた自分を発見するのである。

過去との一切のつながりは、除夜の鐘を境として、完全に断切られたように見える。 
過去の一切のものは完全に過ぎ去ってしまったものに感じられ、「新らしく生きるのだ」
という希望と決意とが湧き起って来るのである。

まことに正月元旦は新生の時であるのである。 
元旦の曙こそ、吾々の心が浄らかな白紙のように浄められている時である。

あなたの未来は、今あなたの掌中に握られているのである。 
今、この時、善き事を考えましょう。 
今善き事を計画しましょう。 まことに一年の計は元旦にあるのである。』

この元旦の計画の一節にあります 「新らしく生きるのだ」 
という希望と決意の象徴がこのお鏡餅のお供えであります。


・・・以降については、「谷口雅春先生をお慕いする掲示板 其の弐」
    → http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=yuyu6&mode=res&log=49
   にて確認することができます。

              <感謝合掌 平成27年1月1日 頓首再拝>

【初詣と祈り】 (2637)
日時:2015年01月01日 (木) 17時10分
名前:伝統

          *メルマガ「人の心に灯をともす(2015年01月01日)」

   (志賀内泰弘氏の心に響く言葉より…)

   初詣(はつもうで)で、二礼二拍手一礼。
   
   今年のお願いごとである。

   まずは、健康第一。
   つぎに仕事がうまく回りますように。
   お金がたまりますように。

   取引先とうまくいきますように。
   おっと、家族もみんな健康でありますように。
   それから…。

   一度、顔を上げてからも「あっ」と思い出して、交通事故に遭いませんように…。

   なかなか立ち去れないでいる。


   あるとき、神社の方に諭されてドキッとした。

   神社では願いごとをするのではなく、

   「おかげさま」

   と感謝するものだと。


   人は欲を出して求めれば求めるほど、幸せは逃げていく。
   今、今日この時に自分にあるものすべてに感謝していれば、
   自然に幸せはやってくるのだという。

   たしかに、至言である。


   早速、やってみる。

   パンパンと柏手を打って、

   「昨年はありがとうございました。おかげさまで家族全員健康で暮らせました」

   なぜだか心地よく爽やかなのが不思議であった。

        <『元気がでてくる「いい話」』グラフ社 >

           ・・・

春日大社の元宮司、葉室頼昭氏はこう語る。

「お祭りというのは、神さまをお喜ばせするというのが本意です。

だから祝詞(のりと)でいい言葉をあげ、
神楽(かぐら)を舞い、それで神さまを喜ばせる。
神楽とかはみんな神さまを喜ばせる行事ですからね。

だから祝詞のなかにも、若い巫女(みこ)が神楽を舞うのをご覧になって
お喜びくださいと書いてある。

人間と同じことです。

日本の神さまは、西洋の神さまのような全てを超越した万能神ではない。

日本の神さまは人間と同じだから、
お喜びにもなるし、お悲しみにもなるし、お怒りにもなる。

食事も召し上がるから神饌(しんせん)をお供えしているわけでしょう。
毎日、朝晩ご飯をお供えしております」 (“神道”のこころ)より


お神楽の舞は、神さまに喜んでもらうために舞う。

だから、すべては、参列者に見せるためではなく、神さまに向かって舞う。


人は、お願いばかりされていると嫌になる。
それは、自分の利益しか考えていない「ちょうだいの人」だからだ。

反対に、相手を喜ばせる人は「与える人」。
そして、「与える人」は感謝の多い人。


元日は、神社では「歳旦祭(さいたんさい)」というお祭りの日。

午前5時半から天皇陛下は四方拝を行われる。

四方拝とは、この新たな一年、日本に起こるすべての災いが、
すべて私の体を通して過ぎ去ってくださいと祈るもの。

つまり、陛下がすべての困難や災いをお引き受けになるということ。


陛下の祈りは究極の祈り。

陛下の域には到底及ぶべくもないが、せめて…

「おかげさま」と、感謝することから始めたい。

            <感謝合掌 平成27年1月1日 頓首再拝> 

【おめでとう】 (2647)
日時:2015年01月02日 (金) 12時32分
名前:伝統

       *「美人の日本語」山下景子・著(1月2日)より

「めでたし」は、「目出度し」や「芽出度し」と書くこともあるようですが、
語源は「愛(め)づ」の運用形「愛で」に「甚(いた)し」がついた
「愛(め)で甚(いた)しです。

「愛づ」とは、心がひきつけられるという意味の言葉で、美しいもの、すばらしいもの、
かわいいものに深い愛情を寄せる気持ちを表します。
そして、「甚(いた)し」は、その状態が、はなはだしいことを意味します。

祝福の言葉として定着したおめでとうは、
そんなとっても「愛したい」気持ちが込められている言葉なのですね。

喜ばしい、楽しい、みごとだ、おいしいなど、
広い意味で「めでたい」という言葉は使われてきました。

「おめでたい人」も、結局は、愛すべき人です。

おめでとう・・・
言う方も言われる方もうれしくなれる、すてきな言葉なのです。

            <感謝合掌 平成27年1月2日 頓首再拝> 

一富士二鷹三茄子 (2652)
日時:2015年01月02日 (金) 20時26分
名前:伝統

初夢を見て、心ウキウキの人も多いのかも知れません。

昔から、一富士二鷹三茄子の夢をみると縁起がいいと云われております。

「一富士二鷹三茄子」には、「四扇五煙草六座頭」という言葉が続くとのことです。

《いちふじ にたか さんなすび しおうぎ ごたばこ ろくざとう》


この言葉は江戸時代の諺で、初夢に見ると縁起のよいものの順と云われております。

縁起がよい理由として

(1)富士山は、日本一の山。(将来が)末広がり。

(2)鷹は、威厳のある百鳥の王。(運気が)高く舞い上がる。

(3)茄子は、生す”“成す”で物事の生成発展するさまを言い表わしている。
   実(身)に毛が(怪我)ない。


(4)四扇(しおうぎ or しせん)は、扇は末広がりの型です。

(5)五煙草(ごたばこ)は、煙草の煙は上に上がっていきます。

(6)六座頭(ろくざとう)は、
   座頭は昔の按摩さんですが、頭は坊主で「毛が(怪我)」ありません。


一説として、一富士二鷹三茄子と四扇五煙草六座頭はそれぞれ対応しており、
富士と扇は末広がりで子孫や商売などの繁栄を、鷹と煙草の煙は上昇するので運気上昇を、
茄子と座頭は毛がないので「怪我ない」と洒落て家内安全を願うという。

            <感謝合掌 平成27年1月2日 頓首再拝> 

正月五日~福寿草 (2697)
日時:2015年01月05日 (月) 17時58分
名前:伝統

          *「美人の日本語」山下景子・著(1月5日)より

福寿草 ~ 小さな花に託した、たくさんの思い ~ 

 元日草(元日)、朔日草(ついたちそう)とも呼ばれます。
 まさにお正月の花です。

 南天と合わせて寄せ植えにされるのは、
 「難を転じて福となす」という語呂合わせだそうです。


 人生には、「五福」といって、五つの福があるとされてきました。

 長寿(寿命が長いこと)、
 富貴(財産に不自由なく、その人の地位が尊ばれていること)、
 康寧(身体は健康、心は安定していて穏やかなこと)、
 好徳(好んで徳を積むことができること)、
 善終(臨終を迎えるときに、心残りなく、安心して現世を離れることができること)

 です。


 そして、「寿」という言葉には、それらの福を言葉で祝う意味があります。

 花の少ない1月という時期に、鮮やかな黄金色の花を咲かせてくれるのが福寿草、
 そんな小さな花に人はたくさんの思いを託したのでしょう。

・・・

 以下は、福寿草に因んだ、谷口雅春先生の和歌より


 昭和37年  『土』

   黒土ゆ黄金の花咲き出でぬ土を尊くしばしをろがむ (福寿草を見つつ)


 昭和49年  『朝』

   朝、朝、朝、うまれかはりの朝なりき吾(あ)を祝福すと福寿草花咲く

              ・・・

 (次は、福寿草ではありませんが、初詣の和歌<昭和49年 『朝』>


   初詣で済ませて橋の袂まで来しとき燦と大日輪のぼる(神宮橋にて)


            <感謝合掌 平成27年1月5日 頓首再拝> 

大盤振舞 (2711)
日時:2015年01月06日 (火) 07時53分
名前:伝統

          *「美人の日本語」山下景子・著(1月6日)より

大盤振舞(おおばんぶるまい)~ 一膳のご飯から ~


もとは、「椀飯振舞」と書いて、「おうばんぶるまい」と言いました。
「椀飯」とはお椀に盛ったご飯のことです。

平安時代、宮中に参上した人々を
お椀に山盛りのご飯でもてなしたことに由来するのだそうです。

白いご飯は、この上もないご馳走だったのですね

江戸時代には、お正月に親戚など集めて催す宴会のことをこう呼んでいました

そして 「椀飯」は「大盤」へつまり食べ物を盛った器をのせる台へと変化していきます。

今では、盛大なご馳走を意味するようになりました。
また、気前よくお金や品物を振舞うときにも使われます

どこまでエスカレートしていくのかわかりませんが

すべては一膳のご飯から始まったことです。

         ☆   ☆   ☆

        《白いご飯がご馳走》

     古の人々の苦労が伝わる言葉です。

     今はなんと~無駄にしていることが多いことか。
     恵まれ過ぎて、元を忘れているのではないだろうか・・・。

     お天道様の恵みに感謝せざるを得ないように感じます。



・・・

<参考>


大盤振る舞いの「大盤」は当て字で、
本来は「椀飯振る舞い・椀飯振舞(おおばんぶるまい)」と書く。

「椀飯」とは椀に盛った飯のことで、「わんばん」から「わうばん」、
さらに「おうばん」へと変化した。

平安時代、公事や儀式のときにお椀に盛った食事が振る舞われることを
「椀飯振る舞い」と言ったが、江戸時代に入ると庶民にも伝わり、
正月などに大勢の人を集めて開く酒宴を「椀飯振る舞い」と言うようになった。

さらに、豪勢な印象からか、現在は「椀飯」と「大盤」が混同されて
「大盤振る舞い」が多く用いられるようになり、食事に限らず気前良く振舞うことを
言うようになった。
http://gogen-allguide.com/o/oobanburumai.html

・・・

周囲の人々に対して、気前よく振る舞う事。または、一切の出し惜しみをしないさま。
現代でも、宴の席などで耳にする機会があることだろう。

正式には「椀飯振る舞い(椀飯振舞)」と表記する言葉で、
これは平安時代辺りから公家などでもてなしの席で椀に盛った飯を
主君や来客へ振る舞う儀礼が存在していたことに由来している。

(椀飯=お椀に盛った飯、の意。『わんばん』と読む)

平安時代以降、鎌倉~室町時代からは幕府でも同じ儀礼が定着し、
江戸時代になると庶民の間でも正月に親戚縁者や大勢の客を招いて宴の席をひらく
風習が広まっていくのだが、これらの酒宴も同様に「椀飯振る舞い」と呼んでいた。

そして現代へ時代が移っていくにつれ、「椀飯(わんばん)」の部分が
「おうばん」へと変化していき、豪勢なイメージからか漢字も「大盤」という
漢字(当て字)が用いられるようになった。

椀飯と大盤が混同されて使われるようになったためか、
現代では宴の席のみならず気前よくもてなしたり金品などを施す事を指して言われている。

ちなみに「大判振る舞い」と表記する事もある。
江戸時代に大判(小判と同様の、江戸時代の貨幣)を用いてもてなした事から
きていると言われ、こちらの言葉も厳密には間違いではないのだが、
「大盤振る舞い」の表記がやはり一般的であろうか。

http://dic.nicovideo.jp/a/%E5%A4%A7%E7%9B%A4%E6%8C%AF%E3%82%8B%E8%88%9E%E3%81%84

            <感謝合掌 平成27年1月6日 頓首再拝> 

若菜摘(わかなつみ) (2716)
日時:2015年01月07日 (水) 03時15分
名前:伝統

          *「美人の日本語」山下景子・著(1月7日)より

《今日は七草粥》
 
若菜とは、春の七草のことです。

 ~芹、薺、御形、繁縷、仏座、菘、蘿蔔これぞ七草~(「連歌至宝抄」)

秋の七草は見て楽しむのに対して、春の七草は味わって楽しむものです。


一月七日に七草粥を食べる風習はご存じの通りですが、
実はその七草は、その日の朝、摘んできたものを使っていました。


 ~君がため 春の野に出でて 若菜摘む 我が衣手に 雪は降りつつ~


百人一首でおなじみのこの歌は、男性である光孝天皇の作ですが、
若菜を摘むのは、若い娘の方が縁起がいいとされていたそうです。


新春に食べると、長生きができると信じられた、七草粥。


大切な人のために、早朝、袖をぬらしながら春の七草を摘む……日本の至るところで、
そんな風景が見られたのでしょう。


・・・

<参考:七草粥と七種粥>

ななくさがゆ【七草粥】
①正月七日に、春の七草を入れて作る菜がゆ。

②正月一五日に、米・麦・ひえ・あずきなど七種類の穀類でたくかゆ。
 のちは「小豆(アズキ)がゆ」になった。
 _「②」は、「七種粥(ナナクサガユ)」と書く。
__
昔は「②」が行われたが、次第に「①」「②」を共に行うようになり、
江戸時代以降はもっぱら「①」だけになったとのこと。

           ・・・

<参考:七草粥の由来>

①芹(せり)②薺(なずな)③御形(ごぎょう)④繁縷(はこべら)
⑤仏の座(ほとけのざ)⑥菘(すずな)⑦蘿蔔(すずしろ)の七草のことを言い、

七草粥とは、正月の1月7日の朝に、この7種類の野菜が入った羮(あつもの)を
食べる風習のことです。

“七草粥”の由来は、古くは中国にあったようです。
その風習が日本に伝播し、正月1月7日に、「春の七草」と呼ばれる野菜を
炊き込んだお粥を食べて、1年の無病息災を祈るようになったと伝えられています。

江戸時代の七草は、人日(じんじつ)として五節供の一つに数えられており、
江戸庶民の間では“七草粥”が食べられていたようです。

旧暦の新年(正月)は、新歴の2月に相当します。

2月は山野に草木の新芽が出始める季節でもあります。
その新鮮な七草の強い生命力にあやかって、“七草粥”を頂くことで、
万病から身を守ってもらうと云う風習でもあったようです。

           ・・・

<参考Web:七草粥の豆知識
 → http://www.kikkoman.co.jp/homecook/college/10shoga/nanakusa.html >

            <感謝合掌 平成27年1月7日 頓首再拝> 

伝統様、おめでとうございますm(__)m。 (2724)
日時:2015年01月07日 (水) 09時12分
名前:道産子

日本人のパワー、伝統様のパワーを頂いて、今年もありがとうございます。

穏やかな、よきことのみのある羊の年であるように祈ります。

本流一致団結の、谷口雅春大聖師のお悦びになられる年にもなるよう、精進いたします。

ありがとうございます。

”道産子 さま”ありがとうございます。 (2730)
日時:2015年01月07日 (水) 20時46分
名前:伝統


>今年もありがとうございます。
>穏やかな、よきことのみのある羊の年であるように祈ります。


”道産子 さま” お久し振りです。
そして、おめでとうございます。

”道産子 さま”の『乙未』での、ご多祥をお祈り申し上げます。


それにしても、谷口雅春先生の【實相】の軸には、圧倒されます。

真理から外れる勿れ! とのお叱りを受けているようにも感じました。


”道産子 さま”のご愛念に、心より感謝申し上げます。

            <感謝合掌 平成27年1月7日 頓首再拝>

仕合せ拍子 (2741)
日時:2015年01月08日 (木) 21時28分
名前:伝統

          *「美人の日本語」山下景子・著(1月8日)より


仕合せ拍子(しあわせびょうし)とは うまく幸運に巡り合うという意味です。

   ~しゃんと手拍子口拍子
    仕合せ拍子うちつれて
    顔もいきいきにこにこと~
                 (歌舞伎「二人夕霧」より)

本当にうきうきしてきますね。

仕合せ拍子の「拍子」は 物のはずみとか 調子という意味です。

そして 幸せという言葉は もともと「仕合せ」と書いて
単なる 巡り合わせという意味でした。

それがやがて よい巡り合わせだけを仕合せと呼ぶように 
幸いを意味する「幸」という漢字と結びついたそうです。

不幸な仕合せ(巡り合わせ)になるかもしれないのに、幸せな仕合せしか考えない……

「仕合せ」という言葉も プラス思考で「幸せ」になったのですね。

・・・・


歌舞伎「二人夕霧」については、
次のWebが参考になります。
 → http://blog.goo.ne.jp/yokikotokiku/e/8ac41e68472823de122b193a0cddfdae

            <感謝合掌 平成27年1月8日 頓首再拝>

おみくじ「大吉」の教え (2764)
日時:2015年01月11日 (日) 03時49分
名前:伝統

【神の教】

死ぬる思いも祈れば神の強い力で生き返る

七ころび八起きという。
倒れても起き上り、ころんでも立ち上がり、力をおとさず、
希望をすてず、神様御照覧の下(もと)に、正しい道を、ぐんぐん進んで行く。

ただ此世かぎりの生命(いのち)ではない。
幾千万年までつづく、魂の世界がある。


【わが思う港も近くなりけり 追手のかぜのまにまに】

災(わざわい)自ずから去り福徳集まり
誠に平地を行くが如く目上の人の助(たすけ)をうけて
喜事(よろこびごと)があります。

信神怠らず心直く行い正しくなさい。

            <感謝合掌 平成27年1月11日 頓首再拝>



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