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피 천득 수필집(皮 千得 随筆集)No.4 |
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たっき〜
(138)投稿日:2013年07月06日 (土) 21時49分
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그 후 십 년이 지나고 삼사 년이 더 지났다. 그동안 나는 초등학교 일 학년 같은 예쁜 여자 아이를 보면 아사코 생각을 하였다. 내가 두 번째 동경에 갔던 것도 사월이었다. 동경역 기까운 데 여관을 정하고 즉시 미우라 댁을 찾아갔다. 아사코는 어느덧 청순하고 세련되어 보이는 영양이 되어 있었다. 그 집 마당에 피어 있는 목련 꽃과도 같이. 그때 그는 성심여학원 영문과 삼 학년이었다. 나는 좀 서먹서먹했으나, 아사코는 나와의 재회를 기뻐하는 것 같았다. 아버지 어머니가 가끔 내 말을 해서 나의 존재를 기억하고 있었나 보다.
그날도 토요일이었다. 저녁 먹기 전에 같이 산책을 나갔다. 그리고 계획하지 않은 발걸음은 성심여학원 쪽으로 옮겨졌다. 캠퍼스를 두루 거닐다가 돌아올 무렵, 나는 아사코 신발장은 어디 있느냐고 물어보았다. 그는 무슨 말인가 하고 나를 쳐다보다가, 교실에는 구두를 벗지 않고 그냥 들어간다고 하였다. 그러고는 갑자기 뛰어가서 그날 잊어버리고 교실에 두고 온 우산을 가지고 왔다. 지금도 나는 여자 우산을 볼 때면 연두색이 고왔던 그 우산을 연상한다. 「쉘부르의 우산」이라는 영화를 내가 그렇게 좋아한 것도 아사코의 우산 때문인가 한다. 아사코와 나는 밤 늦게까지 문학 이야기를 하다가 가벼운 악수를 하고 헤어졌다. 새로 출판된 버지니아 울프의 소설 「세월」에 대해서도 이야기한 것 같다.
その後10年が過ぎ、さらに3,4年が過ぎた。 その間、私は小学校1年生くらいの 可愛い女の子を見ると、朝子を思い出した。 私が2度目に東京に行ったのも 4月だった。 東京駅近くに旅館をとり、すぐ三浦先生のお宅を訪ねた 朝子は いつの間にか清純で洗練された令嬢になっていた。 その家の庭に 咲いているモクレンの花のように。 その時、彼女は聖心女学院の英文科3年生であった。 私は少し気はずかしかったが、朝子は私との再会を喜んでいるようだった。 父と母が時折、私のことを話していたので、私の存在を覚えていたようだ。
その日も土曜日だった。 夕食を食べる前に、一緒に散歩に出かけた。 そして あてのない 足どりは聖心女学院の方に向けられた。 キャンパスをぐるりと一回りして帰る頃、 私は朝子に 下駄箱はどこにあるかと聞いてみた。 彼女は何の話かと 私を見つめ、教室には靴を脱がずにそのまま入るのだと言った。 そして突然走って行き、その日、教室に置き忘れた傘をもってきた。 今も私は女性の傘を見ると、薄緑色がきれいだったその傘を連想する。 「シェルブールの雨傘」という映画を私があれほど好きだったのも、朝子の傘のせいかと思う。 朝子と私は 夜遅くまで文学の話をし、軽い握手をして別れた。 新たに出版されたバージニア・ウルフの小説「歳月」についても話したように思う。
今回は 週末なので 少し長文です。 後三回で終了しますが 非常に興味深い結末が待っています
楽しみに!
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□No.4 読みました。/みち
(142)投稿日 : 2013年07月09日 (火) 12時47分
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読むうちに、なんだか、島崎藤村の「初恋」を思い出しました。
今回は、時間がかかりました。 対訳との微妙な語感の違いがあったので、それを考えたりして。 例えば、次のような個所です。
그리고 계획하지 않은 발걸음은 성심여학원 쪽으로 옮겨졌다. 캠퍼스를 두루 거닐다가 돌아올 무렵,
(足どりは聖心女学院の方に向けられた。 キャンパスをぐるりと一回りして帰る頃、)
原文に浸るために、書き取りに時間がかかりました。
것 같다 と 나 보다 の使い分けも、作品を読み進むうちに 掴めて来ればいいな、と思います。
わたしが、好きだったのは、この個所です。
그 집 마당에 피어 있는 목련 꽃과도 같이.
対訳は、「モクレンの花のように」とありますが、 「モクレンの花にも似て…。」という感じを抱きました。
昔、聴いた歌が思い出されました。
♪ブロンドの髪ひるがえし 青い瞳のその姿 ペガサスの翼にも似て 我が心ふるわす♪ (心のひとオスカル)『ベルサイユのばら』
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