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피 천득 수필집 (皮 千得 随筆集)No.5 |
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たっき〜
(141)投稿日:2013年07月08日 (月) 23時46分
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그 후 또 십여 년이 지났다. 그동안 제2차 세계 대전이 있었고 우리나라가 해방이 되고 또 한국 전쟁이 있었다. 나는 어쩌다 아사코 생각을 하곤 했다. 결혼은 하였을 것이요, 전쟁통에 어찌 되지나 않았다, 남편이 전사하지나 않았나 하고 별별 생각을 다 하였다. 1954년 처음 미국 가던 길에 나는 동경을 들러 미우라 댁을 찾아갔다. 뜻밖에 그 동네가 고스란히 그대로 남아 있었다. 그리고 미우라 선생네는 아직도 그 집에서 살고 있었다. 선생 내외분은 흥분된 얼굴로 나를 맞이하였다. 그리고 한국이 독립이 돼서 무엇보다도 잘됐다고 치하를 하였다. 아사코는 전쟁이 끝난 후 맥아더 사령부에서 번역 일을 하고 있다가, 거기서 만난 일본인 2세와 결혼을 하고 따로 나서 산다는 것이었다. 아사코가 전쟁미망인이 되지 않은 것은 다행이었다. 그러나 2세와 결혼하였다는 것이 마음에 걸렸다. 만나고 싶다고 그랬더니 어머니가 아사코의 집으로 안내해 주었다.
それからまた十余年が過ぎた。 その間、第二次世界大戦があり、わが国が 解放され、さらに朝鮮戦争があった。 私は時折、朝子のことを考えたりした。 結婚はしたのだろうし、戦争中に何かあったのではないか、ご主人は戦死したのではないだろうかなど、 さまざまな思いを巡らした。 1954年、初めて米国に行く時、私は東京に寄り、三浦先生のお宅を 訪ねた。 意外にも、その町はそっくりそのまま残っていた。 そして 三浦先生ご一家は まだその家に住んでいた。 先生ご夫妻は興奮した面持ちで私を迎えてくれた。 そして、韓国が独立して何よりもよかったと祝ってくれた。 朝子は戦争が終わった後、マッカーサーの司令部で翻訳の仕事をしていたが、そこで知り合った 日系2世と結婚して、別の家に住んでいるとのことであった。朝子が戦争未亡人に ならなかったことは幸いであった。 しかし、2世と結婚したというのが気になった。 会いたいと言うと、夫人が朝子の家まで案内してくれた。
今日はここまでです 次回が最終回となります どんなクライマックスか 想像して見てください
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□No.5 読みました/みち
(144)投稿日 : 2013年07月12日 (金) 08時14分
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ストーリーがどう展開するか、楽しみになってきました。 (韓作文は、さんざんです。 原文の調子に慣れたいと思います)
同じ対訳でも、異なる語彙を使っていますね、たとえば、
「時折」に、가끔と、今回は、어쩌다 を使っていますが、 その語彙の違いのニュアンスが知りたいです。
韓韓の使い分け辞典も見ましたが、語彙が少なくて載っていないのです。
たっきーさんの先生に伺ってみて戴けたら、ありがたいのですが。 よろしくお願いいたします。
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