生長の家会員の個人サークル
谷口雅春先生倶楽部
谷口雅宣総裁になってからの生長の家は、創始者谷口雅春先生の本来のみ教え
とは違うものを説くようになりました。そして、本来のみ教えを求める多くの人は教
団を去りました。昭和15年に生長の家が宗教結社になった時の教義の大要は次
のとおりです。
『国体を明徴にして皇室の尊厳を明かにし、各宗の神髄を天皇信仰に帰一せしめ
尽忠報国、忠孝一本の国民精神を高揚し、悪平等を排して一切のものに人、時、
処、相応の大調和を得せしめ、兼ねて天地一切のものに総感謝の実を挙げ、中心
帰一、永遠至福の世界実現の大目的を達成せんことを期す』
生長の家教団は、本来の生長の家の教えを説かなくなり、創始者である
谷口雅春先生の説かれた生長の家の教えが正しく継承されていくのか
危機感を抱いています。生長の家会員自らがその危機感を訴えていくと同時に
教団内において正しいみ教えを学んで行きます。
トップページへ戻る
↓↓↓ 訪問者数 ↓↓↓
akakoさまへ (6772) |
- 日時:2015年04月23日 (木) 08時09分
名前:画龍点睛
合掌ありがとうございます。 4月20日の貴方さまのご投稿「冷静になりませんか?」を拝読させて頂きました。 http://bbs5.sekkaku.net/bbs/?id=snihonryuu&mode=res&log=1
上記スレッド子記事6751で貴方さまは「私は生長の家の人間ではありません」とおっしゃられていますが、「組織信徒」ではないと云う意味だと思います。貴方さまは、開祖・谷口雅春先生の御著書を読まれて、その教えに感銘を受けられ、御自分の生活に真理を実践されてきておられる方だと拝察申し上げました。
ご投稿の「タイトル」が“冷静になりませんか”と書かれていましたので、きっと本流復活の運動が、マサノブ総裁批判に益々過激的になって行くように感じ取られたものだと思わせていただきましたので、少々私見を申し述べさせて頂きたいと思うのでございます。
以下の3点に絞って書かせていただきました。
@ 「いつまでも現総裁が生きておられるわけではない」 A 「職員たちなど生活が懸かってしまっているという弱み」 B 「みなさんが帰ってこれる場所をみんな頑張って維持している」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
[ 1 ] 「いつまでも現総裁が生きておられるわけではない」について、―――
@ 人間の帰幽の時期はわかりません。明日か、一ヵ月後か、何十年先かはわからないのです。よく言われる言葉に「あんな言い人が早く死に、あんな悪人がいつまでも長生きしているなんて!」。肉体人間の死期はその人の今生の“タマシイ(魂)”としての修行を終えたときに訪れて参ります。この意味で、マサノブ君の寿命が終わる時期をただ待っている態度は消極的な生き方であると思うのです。
A 「生長の家」の生き方は、「今を生きる」という事なのですから、「今」何を第一にして生きるかでなければなりません。真の「生長の家」信徒であれば、開祖・谷口雅春先生の『御教え』を自分のものとして自己人生のバックボーンとして生きているものであれば、「生長の家」が地上に顕現した所以は、一言で言えば“實相の顕現”であると理会している筈であります。開祖・谷口雅春先生は、「『甘露の法雨』は個人の病を癒し、国家の病を癒す」と言われた如く、人々の病(病悩苦)を癒し(實相顕現)、日本国家の病(混乱)を救う(實相顕現して行く)使命があるのであります。
B この、「生長の家」地上顕現の意義と目的を三代目マサノブ君は、否定してしまったのです。開祖・谷口雅春先生への反逆であります。彼は、衆生の病悩苦からの救済をその必要ナシと明言しました。そして、 天皇国日本の實相顕現を否定し、左翼共和国大統領制にする思想を語っているのです。マサノブ君は、天照大御神の「天壌無窮の御神勅」を拒否して、「天皇は朝鮮から来た」と語りました。そして、「日本精神」という言葉は既に“死語”だと言い、「女系天皇制」を容認して天皇国解体の方向へ信徒を誘導しているのであります。地球環境改善・自然との共生・脱原発・鎮護国家思想の排斥・・・何れもサヨク同一路線であります。マサノブ君は地球温暖化防止のためのCO2排出抑制を教団第一の運動目標として実施しておりますが、CO2排出大国としての共産中国に対しては何も語らず、でありますし、共産中国の尖閣諸島奪取計画や韓国の竹島占領についても一言の抗議声明すら発しません。共産中国や韓国の日本領土侵奪を容認しているのであります。マサノブ君は、このことからいっても“隠れサヨク”であります。
C これまでの諸宗教を見ましても、衆生救済(病悩苦からの解放)は説けども、国家の救済(日本国實相顕現)を説いた宗教はありませんでした。衆生の救済(成仏)と国家の救済(成仏)の両者が説かれているのは「生長の家」が始めて、しかも現代日常語で平易に理解できるように説かれたのは開祖・谷口雅春先生お一人でありました。この様な意味で、「生長の家」の『御教え』は釈迦・キリストを超えた“完成の『御教え』」であったのです。「生長の家」の『御教え』の神髄は、熱い求道心を持って開祖・谷口雅春先生の御著書を真剣に熟読しなければ判らないのであります。そして、その神髄を自分のものとするには、“背水の陣”を敷いて直面している自己の人生問題、生活問題を何とか解決(實相顕現)しようとする努力のうちに『御教え』の神髄が自己生命と一体となって把握でき、その問題そのものも解決できてくるのであります。これが開祖・谷口雅春先生時代の御講習会や清超先生時代の御講習会に全国各地で発表された奇跡的体験談そのものでありました。かくして、「生長の家」の『御教え』は、単なる哲学理論ではなく、また、単なる道徳的教えではなく、日常生活とともに生きて歩む実際的救済の教えであったのでした。
D 然るに、三代目のマサノブ君は、何故か、開祖・谷口雅春先生に対して排斥心を持つ様になり、彼の生来のサヨク同調思考から『御教え』をこの地上から抹殺し、「生長の家」自体を完全に解体消滅させてしまおうと考え始め、約束された三代目総裁の座を目指して生長の家教団に乗り込んできて、教団解体戦略を緻密に練り上げ、親衛隊の構築を行い、現在見るような教勢低下を進めてきたのでした。彼・マサノブ君には、真剣な求道心はコレッポチもなく、『御教え』に基づいた自己の問題解決の生命的・霊的体験もなく、『生命の實相』の読み方も、彼の左翼唯物現象論による「生長の家」解体に役立ちそうなところと物言いの付けられそうなところを探すアラ探しの眼で以って読んだに過ぎないのです。言うなれば、『御教え』を換骨奪胎してサヨク唯物現象論(これがマサノブ環境論の本質)へ信徒を洗脳してゆくために、その都度、その都度利用できるところを探す拾い読みであったわけであります。講習会で感謝の涙で話す信徒の奇跡的体験談も「タマタマの偶然で万人にそのような奇蹟は現れるものではない」とマサノブ君は頭から信用せず、むしろ否定して聞き流していると語っているのであります。
E しかし、熱心に『御教え』を求めて自己の病悩苦から救われた大勢の信徒にしてみれば(私もその一人であります)、この「生長の家」の『御教え』は(哲学的に言えば『唯神實相哲学』・『生命の實相哲学』)は、世界最高峰に位置するものであるとの絶対的自覚持つと同時に、これは人類全体の至宝でありますからもっともっと広く世界に宣布せられるべき『御教え』であると判るのであります。『御教え』の継承者はその使命をもって教団拡大に挺身しなければならないのに、三代目マサノブ君は、こともあろうに「生長の家」教団を“解体と消滅”させようとしており、教団資産(信徒の浄財)を湯水の如く、立教の目的外のことに蕩尽し、自己資産化を図って行きつつあるのです。『御教え』を自己人生の最大のバックボーンとして生きてきた真の生長の家信徒なら、「生長の家」の『御教え』が僅か三代にして滅んでしまうことに手をこまねいて傍観しているわけには行かないのであります。マサノブ追放、大政奉還、原宿凱旋を何とかして成し遂げねばと思うのは当然であります。マサノブ君の死を待つだけで、傍観するだけで何もしないのではいられないのです。
F 開祖・谷口雅春先生は、「日本の国のためにならない『生長の家』なんて一つや二つ潰れたって構わない」と仰いました。現在の「マサノブ教」はサヨク反日宗教であります。看板「生長の家」を横領しているのです。宗教的窃盗罪であります。マサノブ君は、信徒からその点を追及され辞職退陣を迫られても、一言の言い訳も出来ない事は常識的に考えても当然なことなのです。
G この様なわけで、三代目を自称するマサノブ君には、宗教家の素養は全くなく、霊的理解力も真理への求道心も真理体験もないのであります。「無」の関門を超えた實相世界の直接的霊的把握の体験(宗教上の悟り)も全くないのです。マサノブ君は、霊的悟りなき肉体頭脳知で真理の言葉の自己流解釈を述べているだけであります。『生命の實相』の読み方を開祖・谷口雅春先生の示された読み方(海綿が水を吸うが如く無心になって一切の計らい心を捨ててただひたすらに読む進む)に全く反逆した読み方をしているわけです。彼が一日総裁の座に居続ければ、それだけ救われるべき人も救われない事になります。最早、“先生”なんて敬語は彼には必要ありません。真の生長の家信徒であれば、彼・マサノブ君に対して、彼の説教の非真理性を遠慮なく追求しなければならない。これは“批判”ではない。“虚説”の論破であり、これを為さねば“虚説”が益々はびこるばかりです。マサノブ擁護・温存派の信徒はこの“批判”と“虚説”の区別が判らず、また“神性隠蔽”と“人格攻撃”との区別がわからず、本流復活側の“虚説論破”と“神性隠蔽の指摘”を、対マサノブ“批判”,“人格攻撃”と単純に思い違えているのであります。『生命の實相』を熟読すれば、マサノブ擁護温存派の考えはマチガイであると判るのであります。このことから考えましても、生長の家信徒であっても『生命の實相』の全巻読破をしていない人たちが如何に多いか、が判るわけであります。最近の地方講師試験では『生命の實相』の全巻読破の条件がないそうですが、地方講師の真理理解力が大幅に低下し、誌友会でも古参の信徒さんからの質問に答え得ず、しどろもどろになる講師も居るらしいのもむべなるかな!であります。
H ここまで、書き進んだとき「トキ掲示板」に、マサノブ君に公開質問状をホームページで掲載した、元本部講師・現地方講師の岡正章氏に対する“地方講師解任”の速報が出ました。これで、冷酷無比の四無量心のかけらもない絶対独裁者「チャウシェスク・マサノブ」の正体が全信徒の前に示され、そのニュースは全世界の信徒の皆さんに伝達されたのであります。<公開質問状に答えず無視して、有無を言わせずに斬って捨てる>、これが“神性隠蔽”120%の今生に於けるマサノブ君の救われることのない正体であります。この一事を持ってすらも、肉体人間は、いずれ死ぬんだから、<過激なマサノブ追放等を止めてマサノブ君の肉体死の時期を待てば良い>などとの貴方さまのようなご意見は、大変甘すぎるマサノブ擁護・温存に等しきご意見です。一刻も早き全信徒の力によるマサノブ追放を為さねばなりません。「悪貨は良貨を駆逐する」のが現象世界の厳然たる法則であります。
[ U ] 「職員たちなど生活が懸かってしまっているという弱み」について、―――
@ 開祖・谷口雅春先生時代の本部職員の皆さんは、世界最高の真理に救われた報恩行為としての燃えるような真理普及の使命感を持って、毎月の給料のことは二の次にして昂揚感を伴って聖務に勤しんでこられたのでした。生活費の足らない部分はそれぞれ奥様方の内職や奨学金で賄われ、本当に質素倹約の物質的には豊かとは言えない生活を送っておられたように聞き及んでいます。
A 教勢が拡大するにつれて教団財政も豊かになり、二代目清超先生のときに大幅な職員の給与引き上げがなされたようですが、職員の方々の使命感はいささかも衰えることなく、使命感に燃えて光明化運動の中心を担ってこられたのであります。
B その後、日本経済はそれまでの高度成長時代から低成長時代、デフレ経済に移行していくにつれ、民間の給与水準は実質横這いから中小企業では管理職給与のカットまで為されていきました。そして、いつの間にか世間の民間中小企業の給与レベルに較べれば、本部職員の給与は恵まれた部類に入って行き、世間のデフレによる就職難の時代には、本部へ就職するほうが将来への安定生活が保障されていると考えられ、サラリーマン化していったのではないでしょうか? かくして、教化部長の年俸は1000万円以上、理事・参議の年俸は1300万円〜1500万円、理事長・副理事長は年俸2000万円を越すのではないかと聞き及んでおります。マサノブ君も副総裁時代には年俸2500万円以上だったと漏れ聞いています。現在は年俸5000万円を越しているのではないでしょうか? 八ヶ岳への本部移転に際しては、一般職員の給与も大幅に引き上げられた様子であります。しかも全員、設備の整った豪華な職員寮や一戸建て邸宅付き・・・一向に発表がありませんが、マサノブ君の総裁邸の規模と中味は?
C このように、職員意識も大変化を来たし、信徒の浄財からの給与であるとの意識が薄く、燃える使命感もなくなり、今この職場を失うと忽ち今までのような恵まれた豊かな文化生活は出来なくなると思って、定年まで辛抱しようと思っている職員の人が殆んどではないでしょうか? お金のためにタマシイを売ることを潔しとしなかった職員の人は、殆んど辞職し、経済的には苦しいながらも「神の子」の誇りをもち続けて新しい道を切り開いていっておられるのです。この様な人達は、真理の理解度も高く、有能な人たちであったわけであります。一方、「神の子」のタマシイをお金のために売り渡して「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿主義に徹してひたすら定年を待ち続ける現在の『別派・マサノブ教団』の職員、――上は理事長・副理事長から下は一般事務職員にいたるまで、そのタマシイの霊的レベルは極端に低下してしまっている。その結果、業務遂行能力も極端に低くなってしまっているのではないでしょうか?
D 「生長の家」教団への就職は、普通一般企業や公務員と同列の就職先の一つだと考えて職員となった人はいない筈であります。マサノブ君が実権を握ってからは、信徒の家族や交友関係で職員となった人もいるかと思いますが、殆んどの人は、開祖・谷口雅春先生の『御教え』の素晴らしさの布教に心からの情熱的使命感を持って職員となった人たちだと思います。職員となられた人達は、われわれ一般信徒と較べても魂のレベルは高い方達であったのでした。高級霊であったはずであります。しかし、この地上世界は、肉体を持ってタマシイ修行する場であるわけで、マサノブ君の様な教団解体を目指すワルが目の前に現れたときにどう対処するかによって、タマシイ修行に掛ける真剣さの真贋がテストされるのであります。真理理解のレベルがハッキリと証明されるのです。
E マサノブ君の如き、教祖反逆児、破壊と蕩尽の独裁者、とても宗教家とは言えない人物が現われ、職員となって金銭を超えて真理伝道に使命感を感じて業務に勤しむ情熱を奪ってしまう事態になった時に、今後の自己人生の進むべき道の決定を如何に為すか、これは、その人にとっての今世の自己人生の現実的公案であります。タマシイの向上(實相顕現)を取るか、安定した物質的生活のために三猿主義に徹してタマシイの退化の道を取るかであります。勇気ある職員は、マサノブ君に辛口の諫言をなしました。しかし、マサノブ君はそれを無視して冷酷な人事政策で辞職に追いつめていきました。多くの宗教的信念かたき職員は、それまでの高待遇の所得を捨て、『御教え』護持のために信念を貫きました。そしてタマシイの歓喜を味わったのでした。神の世界(實相世界)では、経済的にも行き詰まりナシ!であります。『御教え』の真理がわがものとなってさえおれば、次なる生活の糧を得る場所は用意されており、それを見出せば良いのであります。この信念ある職員の人は潔く「マサノブ教団」を去りました。そして自己の生きる道を見出していかれたのです。この『御教え』に対する全幅の信頼のない信念稀薄の職員は、生活の糧の場を失うことを怖れて、恐怖感にさいなまれながら、マサノブ君に三猿主義でかしずかざるを得ないのであります。それでは「生長の家」の真の信徒とは言えないのであります。
F 私は、本部職員ではなく、一般社会で生涯仕事をして来ました。長い人生には幾回かの岐路がありました。最大の岐路は、真理を取るか、実利を取るかという岐路でありました。そのような時には、私は真理の道を取りました。それでも経済的にはそれなりの道が開けてきました。この様な実体験から言っても、「生長の家」に奉職した職員の皆さんは、常に真理に基づいた方向へ進むべきと思っています。たとえ、経済的に豊かな恵まれた生活(宗教貴族生活)を捨てても、真理優先、第一のものを第一にする、タマシイの勝利者となる道を選んで進むべきであります。それでこそ、「生長の家」の真の信徒といえるのではないでしょうか?
akakoさまは、「職員たちなど生活が懸かってしまっているという弱み」と表現されていますが、そのような現象観は、極めて常識的な見方であって、「生長の家」の『御教え』から見ればマチガイであります。「生長の家」信徒であるならば、先ず求道心から、真理の実践から決断を下さねばなりません。信徒の浄財から生活の糧を得ている職員の皆さんにはキビシイ公案が与えられるのです。勇気を持って、真理第一の生活に生きる道を選べば、おのずから「無凝(むげ)の大道」が開けてくるのです。これが、求道というものであり、信仰というものなのです。本部職員の人達は、今からでも遅くありません。団結して、辞表を懐にマサノブ君に諫言する行動を取るべきであります。一般社会の普通の職場ではないことを心に明記しなければなりません。
[ V ] 「みなさんが帰ってこれる場所をみんな頑張って維持している」について、――
@ 事態は、そんなに甘くはありません。
1、 マサノブ君は現在62才、現在の状況では、この先長命かも知れません。したがって、総裁の定年は肉体の寿命がつきるまで、つまり終身、総裁の座に座っておれるのです。その期間はこの先、何十年かも?
2、 マサノブ君は、現在の教勢低落の責任が自分にあるとは思ってはいないのであります。
3、 したがって、マサノブ君は自分から辞職する可能性は、現在のところゼロであります。マサノブ君の精神は既に異常な状態にあり、常識的判断力さえ失って、明らかに精神分裂症の状態にあるのです。
4、 マサノブ君の精神分裂症状の源は悪霊界にあります。心霊学的分析によれば、明らかに天皇制の日本国家を解体し、愛国心の中核をなす「生長の家」を完全解体し、開祖・谷口雅春先生とその『御教え』を地上から抹殺しようとしている強力な悪霊魂と心の波長が通じている状態にあります。その悪霊魂(複数)は時々マサノブ君をして完全憑依下の状態に置きます。その時には彼の表情が変わっているのです。なんともいえないニヒルな笑みを浮かべたり、冷笑したり、能面的白痴的無表情の要望に変わってしまうときです。あるいは気味悪い顔かたちに変貌します。
5、 マサノブ君の「神の子」たる“神性”は完全な“隠蔽”状態にあります。だから、教勢急落の事態に直面しながら最高責任者たる総裁としての責任についても何も感じてはいず、実母の恵美子先生を軟禁状態に置いたり、義兄実弟の方々を追放してもなんとも思っていない。宗教家と称しながら非常識なことを平気でして恬として恥じない。これ等の行動は、マサノブ君と心の波長のあった霊界の霊魂との共同作業だと考えざるを得ないのであります。
6、 開祖の教団を継承者自らが解体し、消滅させていく。『御教え』の中味を「唯神實相論」から全く反対の「左翼唯物現象論」に置き換え、「愛国」から「反日」へと巧みに転換、そしてそれらを『生長の家』と言う看板を堂々と掲げながら遂行していく。悪(ワル)の行為ここに極まれり。これが今日の「別派マサノブ教」であります。
A 副総裁就任以後から強力な親衛隊作り(筆頭は、今日のイソべ理事長)に努力し、教規改正(実は、改悪)を重ねて完全独裁権力を握った今日の『別派・マサノブ教団』に於いては、マサノブ方針とは異なる意見の具申は身を滅ぼすため、自然と職員は“三猿主義”をモットーにせざるを得なくなるのです。その人間心理の弱みを突き、1000億円の教団資産の合法的自己資産化(マネーロンダリング)が完成するまで教団を今しばらく維持して置くために、職員に世間並み以上の年俸を与えていると見るのが至当であります。
B この様な現状を考えても「皆さんが帰ってこれる場所」なんてそのうち無くなってしまうのは確実です。1000億円の教団資産といっても大半以上が土地建物であって残りの流動性資産から、ユキシマ金庫番が必死で利ザヤ稼ぎをしている有価証券・株式投資資金を除けば、現金預金はわずかでしょう。現教団(別派・マサノブ教団)の決算は3年前位から連続赤字決算でその赤字累積は膨らむ一方、退職者のお蔭で人件費は横這いか減少であっても、これからは「森のオフィス」や「メガソーラー発電所」や「いのちの樹林」の莫大な維持管理費用が嵩んできます。練成参加者も激減の為、総本山・宇治別格本山・全国の本部直轄練成道場の維持管理修理修繕費用も嵩んできます。一方、「聖使命会費」はこのところ毎年減少に次ぐ減少、教団資金繰りは火の車、やがて信徒数激減に伴い教化部の統廃合と売却が始まり教団資産の現金化となり、最後は「森のオフィス」一ヶ所だけを残すのがマサノブ戦略の概要だと思われます。教団外から推測するだけで正確なところはわかりかねますが、当らずとも遠からずと言うところであります。少なくとも、終身総裁・マサノブ君の寿命がつきるときまでは教団の“竹の子経済”は維持でき、最後は教団解散宣言で“ジ・エンド”となるでしょう。「残存職員は、みんな頑張っている」のではなく、「あきらめ顔で、定年まで追放されずに、宗教貴族生活を維持できるように何とか居りたい」と考えているのが実態だと言えます。
C マサノブ・イソベ君さえおらなくなれば、事態は完全に改善されます。それこそ、「和解念仏和尚」の「トキ管理人」氏が言う如く、開祖・谷口雅春先生の『御教え』を100%復活する前提に立っての「別派・マサノブ教」(現教団)と「正統・生長の家」(本流)との常識的意味に於ける“和解”(一体化、原宿凱旋)は可能となるのです。そこで、今、為さねばならぬことは、――
1、「掲示板」や口コミでもって、マサノブ君の「サヨク唯物現象論」の誤り、その非真理性を徹底的に明らかにする事、
2、教勢急落に関する責任を総裁と理事長が取り辞職する事を要求し続けること、
3、マサノブ・イソベの退陣が決まるまで、全信徒がこぞって「聖使命会費」の奉納を一時停止する事、
4、マサノブ講習会の受講券の購入を拒絶する事
5、マサノブ講習会への参加をボイコットする事
このようにして、マサノブ・イソベ二人の最高幹部責任を追及して、彼らをして辞職せざるを得ない状況に追い込んで行ってこそ「生長の家」教団の正常化と開祖・谷口雅春先生の『御教え』完全復活が可能となり、より多くの人達の「病悩苦」が救われ、日本社会の思想的異常状態も徐々に改善され、やがては開祖・谷口雅春先生の悲願であった日本国の實相顕現が為されてくるものと信じます。akako様の「冷静になりませんか」の言葉は、結果的にはマサノブ・イソベ体制の延命・擁護・温存を図るだけの意味しか持たないものであります。以上、私見でございますが述べさせていただきました。 再合掌
-
|
|