[ No.4224 ]
ご参考まで。 |
2021年06月02日 (水) 19時09分 |
投稿者:キー
先日BSTV番組で、小椋佳氏78才が引退することを決意し、最後の音声収録をするドキュメンタリーが、放映されていました。ご本人が語られていたウンチクは、作詞だけでなく作曲にも通ずると感じました。能書きを垂れるだけで、到底足元にも及ばぬ私ですが、作詞に対する熱い思いが、此処かしこに溢れていました。人は夫々の考えでやれば良く、良し悪しや新旧は関係有りませんが、何かの参考に成ればと思いアップ致します。
@在り来たりのフレーズや、単語による表現を排することを、自らに課して創造性を高める。
(注)演歌や歌謡曲などで、好んで多用されるものは使わない様に、心掛けている。
A常に考え続ける。それを継続することで、より良いものが生まれる。
(注)表現したい言葉の「縁語」を何層も辿ることで、多用な表現に気付いて、選択肢が広がる。
B歌を作るのは、青春時代に経ちかえること。
(注)高校生の時に創造的な人生を、如何にして送るかに付いて悩み、哲学書を読み漁った挙句の果てに、ノイローゼになった。それが以後の会社勤めと、作詞作曲活動の併行生活の原点。
C歌詞の持つ力を、信じて創作する。
D??? 書き忘れました。
➅斬新な言葉やフレーズを、重ね合わせる。
(注)一見不思議に見えても、意図が直ぐに理解出来る表現。
[ No.4225 ]
勉強になりました |
2021年06月03日 (木) 13時08分 |
投稿者: 時女礼子
こんにちは。小椋佳さんはシクラメンの香りでデビューでしたか?すでに半世紀も前になりますね、、、つい最近のようにも感じますが、この歌が街に流れている頃に親友が恋の悩みを私に打ち明けてくれました。
お嬢様とそのお宅に入った料理人の方の恋でしたが彼女のご家族の猛反対で別れてしまいましたが、私は今でもシクラメンの香りを耳にしますとあの頃を思い出します。
小椋佳さんが引退なさったことは初めて知りました。作詞もよく書いていた頃は眠っている以外は考えていましたね、確かに。 常に考えていることと、ありきたりのフレーズは使わない、これが難問なんですね、、、これから少しずつ勉強させて戴きたいと思います。
私は作曲できる方を尊敬しております。 その作詞の内容に合わせてピッタリ曲がつくことは感動です。
投稿者: 杉江香代子
改めて参考になりました。小椋佳さんが第一勧業銀行(現・みずほ銀行)浜松支店の行員だったころ、息子の高校の先生方が私学の父母懇談会の大会に呼びたくて、直接県外の銀行まで押しかけて、終わるのを待ち伏せて口説いた話を聞いております。口説かれて、愛知県の私学助成の大掛かりな大会に出られました。先生方の情熱に口説かれた、情の有られる方と言う事でしょう。 作詩に於きましては共通するお話しが有ります。「形容詞」は使わないと言う事。行間でイメージさせろと言う事。 つくずく思うのですが…作詩は、特にテーマや要望が決まっている時などは根気のいる作業。コンクールもそうですが、引きこもりになるくらい集中していると…こりゃー病気にもなるし、早死にするな〜と私など思います。まして、仕事を持っていると大変な仕事だと思います。
[ No.4227 ]
諸々..。 |
2021年06月03日 (木) 16時27分 |
投稿者:キー
小椋佳氏の現役時代の二刀流は、凄いと言えば凄いですね。会社に入れば、創造的な人生を送るなど..到底無理と思っていたが、実際にはそうではなくて、会社生活の中でも創造は出来ることが分かった..、とのご本人の弁でした。
中途退職前に第一勧銀の浜松支店長を命ぜられ、その時に部下に対して宣言したのが「午後5時退行」の励行だったそうです。(早く帰って自分のために時間を使え!..と言うことです)小椋さんより4歳年下の私の弟も、大手の都市銀行に勤務していて、勤めの様子を聞いていました。当時は夜の10時や、11時は当たり前だった様なので、それが如何に型破りであったか想像が付きます。
ご本人が好適な例題として上げられたのは、美空ひばりの為に書いた「愛燦々」でした。
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