[ No.4287 ]
皆様へ |
2021年07月18日 (日) 11時32分 |
投稿者:杉江香代子
<皆様へ>
個人的な事で大変に恐縮ですが、昨日の未明に母が旅立ちました。一度、帰宅していた私は早朝の日の出とともに、母の所へ向かいました。 悲しいはずなのに、朝陽がこの様に綺麗に出て、途中の抜け道でこの様な綺麗な向日葵の群集を見て、田んぼにこの様な綺麗な朝陽が光りました。母が如何に幸せに旅立ったか…私に宛てた「母のメッセージ」「ありがとう」の言葉の様に感じて、思わず車を止めて写真を撮りました。 今日からバタバタしておりますので、藤井さん、Masaakiさん他、顧問、相談役の皆様、サイトの事をお願い致します。 父を亡くして18年、母の食事を運んだ5年。往復、2時間かかるので私のT日の半分を母とともに過ごす歳月でした。私がいつも移動しているので交通事故を心配して下さった方、健康を案じて下さった方…、本当に、本当に、有難うございました。
さて、自分を一番後回しにして生きてきた、私の最後の親孝行を終えました。これから、母に費やして来た時間と神経を作詩に費やして行こうと思います。動けない、勉強できない月日を取り戻したく思います。作詩コーナー・歌唱作曲コーナーに私の関わるコメントや作品が出ておりますが、拝読致しております。心有るコメントが出来ない現状故に、お詫び申し上げながら、これから更に皆様に刺激を与える作品を書いて行きたく思いますので、お許し下さいませ。ひょっとしたら淋しくて、沈み込んだ作品かも知れません。作品から杉江香代子を見せながら、次の私を歩いて行きたく思います。今暫く、投稿下さる皆様のお力で虹の音楽舎を廻して下さい。宜しくお願い致します(拝)。 虹の音楽舎・ 杉江香代子
投稿者:Masaaki
訃報に接し、香代子さんの悲しみを思うと お慰めの言葉もございません。 一日も早く立ち直られますよう、 お祈りいたします。
香代子さんの留守の間、微力ながらサイトを 管理していきますから、ご安心ください。
落ち着きましたら、また素敵な作詞の提供を 待っていますよ。 香代子さん、 くれぐれも身体に気を付けてくださいね。
投稿者:キー
杉江様 ご母堂様が逝去されたとのこと、お悔やみを申し上げます。介護の日々は精神的にも又、肉体的にも色々なご苦労が有り、大変であったろうと、推察して居ります。落ち着かれるまでには、暫くは日数が必要と思います。どうか御身ご自愛ください。
投稿者: 奈良市 徳田 勝行
お母様の訃報に接し、慎んでお悔やみを申し上げます。そして、お母様のご冥福をお祈り申し上げます。ご苦労様でした。
悲しいはずなのに、朝陽がこの様に綺麗に出て、途中の抜け道でこの様な綺麗な向日葵の群集を見て、田んぼにこの様な綺麗な朝陽が光りました。母が如何に幸せに旅立ったか…私に宛てた「母のメッセージ」「ありがとう」の言葉の様に感じて、思わず車を止めて写真を撮りました。
これこそ、娘に対するお母さんの感謝のお気持ちの表れでしょう! それを可能にしたご主人はじめご家族への感謝でしょうね。 素晴らしい、お母様の見事な生きざまだと思います! 母が如何に幸せに旅立ったか…私に宛てた「母のメッセージ」「ありがとう」の言葉の様に感じて!
杉江さんの受け止めた通りだと思いますよ! この時間も、体験もが作詞への仕込みの蓄積でしょう! 直ぐにも初盆が来ます。あわただしい時期が続きますが、健康に注意して、自分が寝込むことの無いように気を付けてください。 そして、これからはご主人と仲良く! それぞれの趣味を生かして、人生を謳歌してください。 もちろん、代表は作詞の道を究めることでしょうから!
それでは、復帰第一作を楽しみに待ってますよ! お母さんに笑われない、BIGな作品を待ってま〜す! 御身、お大事に! 合掌 奈良市 徳田 拝
投稿者:林貞行
杉江代表 突然の訃報に接し、お悔やみとともに、お母様のご冥福をお祈り申し上げます。 掲示板を見ずに拙作を推敲していたため、投稿させて頂いた後に知り、申し訳なく思っております。 私の母も94歳の高齢で、奈良も猛暑になってきたので、気を付けるようにと話していた矢先のことで、他人事とは思えません。 心身ともにご自愛下さり、お帰りを心待ちにしております。合掌
投稿者:藤井有人
杉江さんとは同級生年齢ですので、お母上も昭和ひと桁世代と推察いたします。水面下メールで時々状況を連絡していただいており、毎日の看病お疲れさまでした。皆様の意見と同様、こころが落ち着くまで休息いただきたくお願いします。
[ No.4293 ]
写真のような。 |
2021年07月19日 (月) 06時54分 |
投稿者:田浦 賢
おかぁ様のご逝去、お悔やみ申し上げます。 写真の向日葵のようなとてもとても温かいおかぁ様であったと何度もお聞きしておりました。 我が家も同じような年回りの母がおります。 この頃、昔の出来事を繰り返し繰り返し話しております。 毎日毎日を「そうだったねぇ〜…そがんことのあったねぇ〜」と言いながら過ごしております。 向こうとこちらは鏡の裏表、何時でも大事な人は私たちを、すぐ傍から見守ってくれているんだそうです。 私も遠からずそんな時を迎えるのだろうと思っています。 次に生まれる時も、かぁちゃんのところに生まれたら…そして嫁さんや子供たちと一緒に暮らせたら…なんて思っております。
おかぁ様は杉江さんに感謝されてすぐそばで微笑んでおられることでしょう。 「ありがとうねぇ」とおっしゃられていることと思います。
投稿者: 時女礼子
杉江香代子様、 この度はお母様のご逝去のお知らせに私も胸にこみあげるものがありました。長い長い時間のお母様への介護を心からお疲れ様と申しあげます。御愁傷様でした。
杉江さんの写された向日葵のなんて素晴らしいこと、亡くなられたお母様の杉江さんへのメッセージやお礼にみえますね。 杉江さんもお寂しくなりますが、どうぞ作詞に全力を注いでくださいね。今後も入賞を続けられ天国のお母様にご報告してくださいませ。 私はずっと杉江さんを応援しております、応援しているなかの一人です。 どうぞ1日も早く杉江さんの寂しさが癒されますように。本当にお疲れ様でした。
[ No.4296 ]
お悔やみ |
2021年07月19日 (月) 08時15分 |
投稿者:高 幸吉
お母様のご逝去を悼み、謹んでお悔やみ申し上げます。
杉江さんにおいては心身ともにかなり疲労されているかと思いますが、また詞が書けましたらコラボさせていただきたいと思います。
新しい杉江さんの復活?誕生?をお待ちしています。
高 幸吉
投稿者: 小池 蓮
誠に悲しい事ではありますが、いつか天に還す命です。 しかし病院へ面会に行く大変さなど、ご相談頂き大したアドバイスも出来ぬおり、介護施設の院長が知り合いで優先的に入居出来た事などを伺い安堵して居ましたが・・点滴が始まったと聞いた時点で『気をしっかり持って覚悟はしておきなさい』とアドバイスした気がします。 お母上は最後まで世話をしてくれた貴女に感謝して旅立てた事と思います。幸せだったと思います。 香代子さん頑張って行きましょう。合掌。
投稿者: 観世丸六郎
お母さまがご逝去なされたとのこと、お悔やみ申し上げます。 憔悴なさっていらっしゃるであろう香代子さんには今どんな言葉を並べようとも何の慰めにもならないと思いますが、お母様をテーマにした複数の香代子さんの詞から、どの様にお母様を愛し愛され尽くして来られたのかが手に取る様に分かります。 お母様もきっとお喜びだった事でしょう。「幸せです〜は母からの贈り物」の歌詞にある・ ありがとう・ 幸せです の気持ちで笑顔であの世に旅立たれた事でしょう。あらためてご冥福をお祈りします。
[ No.4300 ]
合掌。 |
2021年07月19日 (月) 10時40分 |
投稿者:萩原たかし
母上様のご逝去を悼み心からお悔やみ申し上げます。合掌。
ここ数年来母上様のご様子はメールで拝察しておりましたが香代子さんの献身的な介護の有様には頭が下がる想いをいたしておりました。
この上はどうぞ十分な静養をされてから作詞活動に励まれるようお勧めいたします。
投稿者:華木かおる
杉江様 この度、お母様のご訃報に接し、謹んでお悔やみとご冥福をお祈り申し上げます。 また、お母様のご生前時のご介護、本当にお疲れ様でした。 今後共、気を落とされずお身体には充分ご自愛下さい。
投稿者: ながいさつき
只今サイトを訪れ訃報に接しました。 突然のことで驚いております。 お母さまのご冥福をお祈り申し上げます。
私も長らく入院していた身内があり、昨年末見送ったばかりでした。 大変我が儘で、病院側の目を盗んでの買い物や洗濯ほか随分 手を焼き、電話の度に杉江さんに愚痴ったものでした。 杉江さんもお母様から電話がある度に、毎日のように長い時間をかけて通っていたと言っておりました。
あれだけ悩まされた身内でしたが、いなくなってこの頃とても寂しく感じます。
お帰りをお待ちしております。
1
投稿者:杉江香代子
皆様のお悔やみ、励ましのお言葉を感激しながら拝読させて頂きました。本当に有難うございます。 告別式が終わりました。でも…変なんですよね。通夜、告別式は家族葬なので、親しい親族ばかり。中には泣いている人もいるのに、私は祭壇を見ても、母を見ても、御骨を見ても涙が出てこないんです。写真を撮ろうとも思わない…。淡々と打ち合わせに加わり、淡々としているのです。何故? 昨日、ご挨拶にと思い付き、最後にお世話になった施設に行きました。お世話になった看護士さんがお二人、玄関に駆け寄っていらして、労いのお言葉を受けて握手をした途端に涙、涙。次に、母の何十年もの主治医の所に行き、先生が直立不動でご挨拶して下さり、母を案じていたとお聞きした途端に涙、涙…。最後は幾つもの選択肢の中を決めてきた。その時時に信頼したお方達だったから「ホッ!」としたのだろうか?!自分が自分で分からない。
兎に角、98歳4か月の人生を、絵に描いたような大往生。選択が間違っていないかと、コロナの中の異常な環境の中で何度も自問自答したが、決めた後は流れに乗りながら、状況を把握しながら、それでもお任せしてきた。兎に角、感謝の言葉ばかりを私は吐いていた。通いの介護はとても大変で、母も自宅に居たとしても、淋しさと不便さと戦う事になった。最後の最後はプロの手を借りて正解だったと思う。そして、小さくてとても良い施設に入ったので、面会もさせてもらえた事にも感謝、感謝です。 今もお話を聞いて来るたびに「とても強くて、とても賢い人」と母の事を言われる。自分が死にそうなのに、看護して下さる方の手が温かいと心配する言葉を掛け、労いの言葉を掛けていたと言う。トイレも最後まで意思表示して、コールをしていたと言う。皆さんに、「大好き!!」と言ってはお世話の労いを言い、食事も食べなくなった後は、「部屋に持ち帰ります」と言って、残すことを申し訳なく思っての配慮を言ったと言う。 何が食べたい?と聞けば…ウナギの特上の大盛りと言ったり、焼き豚!と言っては笑いを誘い、最後まで食べようとしたと言うが、寿命が来たと言う事ですね。母の取った行動の、「ありがとう〜」「大好き〜!」「幸せ」の言葉は大いに見習う、魔法の言葉の様に思います。私もこの言葉を枕詞の様に言うように修行し、残りの人生を謳歌しようと思います(笑)。 留守番電話の保存を間違えて消去してしまったのですが、母の声も残らない現在。涙を流さない為にもこれで良かったのか?と思っています。既にご両親を亡くされていらっしゃる方が多い中、私は今日まで甘えてきました。これからはシャキッ!!と頑張りますので、今暫くサイトを皆様にお任せさせて下さい。宜しくお願い致します。本当に有難うございます。
投稿者: 時女礼子
杉江さん、無事にお通夜告別式も終えて、お世話になられた方々へのご挨拶も済まされたご様子ですね。気持ちが張っていらっしゃるので涙がでないのでしょうね、きっと。 私も同じでした、父の時にも涙はでませんでしたがその後気持ちが緩んだときに、遺品整理が辛かったですね。幼い頃の父の笑顔、母の笑顔が浮かんできては涙しました。
35日、49日もあっと言うまにきます。 杉江さんも全力でお母様孝行をなさいましたので寂しさの中にも晴れやかなお気持ちがおありかと思います。
全力で作詞に向かう前に少しお身体を休めてくださいね。お疲れ様でした。
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