生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)
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旧・生長の家「本流復活」について考える(したらば版)
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道鏡は忠臣であった。宇佐八幡宮のご託宣が示すのは「70年以上臣籍にあった旧宮家系男子の皇籍復帰は、婚姻を介さない限り、認められないということ。」皇位簒奪をねらう真の国賊は、他ならぬ竹田恒泰氏である (42380) |
- 日時:2021年07月22日 (木) 16時42分
名前:tapir
宇佐八幡宮のご託宣が示すのは、70年以上、臣籍(一般国民)だった旧宮家系男子の皇籍復帰は、皇族との婚姻を介さない限り、認められないということだと解釈するのが正しいと思います。皇位簒奪をねらう真の国賊は、他ならぬ竹田恒泰であり、決して、小室圭さんではありません。
道鏡は実は忠臣であったというのが真実のようです。
道鏡を皇位に就ける案が浮上した背景に、道鏡が、天智天皇の皇子、志貴皇子(しきのみこ)の御落胤、すなわち天智天皇の男系の孫だったという説があります。皇統と血縁がない人物を皇位に就けるという案が浮上することは、当時の慣習に照らして、考えにくいので、かなり有力な説であると思います。それが真実であれば、今日話題になっている、皇籍離脱した旧宮家の宮様の子孫の皇籍復活と、同じことになります。
すなわち、宇佐八幡宮の御託宣、
「我が国は開闢(かいびゃく)以来、君臣の分定まれり。臣を以って君と為すこと未だあらざるなり。天津日嗣(ひつぎ)は必ず皇緒を立てよ。無道の人は宜しく早く掃除(そうじょ)すべし。」
は、 『「皇統を離れて一般人になった者は、天皇の血筋(道鏡の場合は天智天皇の男系の孫)であっても、(生後)60年以上経ってから、皇族に復帰することはできない』というご託宣だったと解釈できます。
これは、そのまま『皇籍を離れた元皇族の男系子孫が、祖父、父が臣籍降下して70年以上経ってから、皇族に復帰することはできない』と解釈できます。
現に、長い皇室の歴史で、臣籍降下された方が皇籍復帰されたのは、臣籍であられた期間がわずか3年という第59代・宇多天皇と、同天皇が臣籍だった3年の間に生誕された第60代・醍醐天皇のお二方のみです。 このお二方についても、明治の元勲・伊藤博文は例外とすべしと述べています。
このことは、当掲示板でかつて話題になりました。再掲します。
https://bbs5.sekkaku.net/bbs/toki2/mode=res&log=6841
+++++++++++++++++++ (36937) 日時:2020年12月21日 (月) 16時36分 名前:トキ掲示板参考資料引用班
称徳天皇は実際には潔癖な性格だったそうですね。道鏡も忠臣だったそうです。 https://www.sejp.net/archives/5208
++++++++++++ 道鏡事件は江戸時代の脚色が甚だしいというのが真実のようですね (36949) 日時:2020年12月22日 (火) 17時32分 名前:tapir
トキ掲示板参考資料引用斑 様
道鏡事件の記事のご紹介ありがとうございました。興味深く読ませていただきました。
男系支持派は、女性天皇反対の理由に、しばしば称徳天皇と道鏡の例をあげますが、事件の解釈と宣伝の仕方は、称徳天皇の評価をおとしめようという、でっち上げに近いもののようですね。江戸時代に特にそれが広まったと聞いております。
最近、NHKや他のテレビの歴史番組で、称徳天皇と道鏡のことについて取り上げられているのを見ました。最近の学者の説は、貴方様がご紹介くださった記事に近いものです。
称徳天皇が道鏡を「寵愛という私的な感情」で皇位に就けようとしたではなく、「公的な意味合い」において、中継ぎとして皇位に就ける案が浮上したけれども、宇佐八幡宮の御託宣を支持した和気清麿など潔癖な側近により、その案が退けられたということでした。 称徳天皇は側近の判断を尊重し、正しい選択により、きちんと天皇の役割を果たされたとのことです。
背景に道鏡が、天智天皇の皇子、志貴皇子の御落胤、すなわち天智天皇の孫だったという説もあるようです(いくつかの記録がある)。確かにまったく皇統と縁がなければ皇位に就くという案が浮上することは、考えにくいです。
それが真実であれば、今日話題になっている、皇籍離脱した旧宮家の宮様の孫が皇籍復活するのと同じ理屈になります。
つまり、宇佐八幡宮の御託宣、『「皇統を離れて一般人になった元皇族(道鏡の場合は天皇の皇子の子)が、60年以上を経て、皇族に復帰することはできない』というご託宣は、そのまま『皇籍を離れて一般人になった元皇族の子孫が、70年以上を経て皇族に復帰することはできない』という話に、むしろ当てはまります。
道鏡が本当に皇位簒奪を試みていたら厳罰に処せられたはずなのに、そうならなかったという史実を丁寧に追っていくと、道鏡は忠臣であり、天皇のご自覚が高く潔癖だった称徳天皇も、何ら道を外れたことは、されていないのが事実だと思われます。
称徳天皇の聖徳太子に習おうとした仏教重視政策により、利益が損なわれた藤原氏が自己保身のために、また天智天皇系の正当性を強調したい人々が、天皇崩御後にデマを流し、その後、江戸時代には「男尊女卑」思想を徹底するために、女性が天皇になるのはまかりならんとの宣伝に利用されたというのが、真相のようですね。江戸時代の「禁中公家諸法度」における「女性に家を継がせない」施策を徹底するために、利用されたのかも知れません。
江戸時代は武家支配を徹底するために、男尊女卑が頂点に達し、明治時代にも、富国強兵のために男尊女卑が続き、大東亜戦争を経ても、それが尾を引いて今日に至っているという感じがします。
一方、庶民感情として、女性の側でも、社会に出ると男尊女卑の逆風にさらされるので、家庭や地域を主な活躍の場として安住して来たという面もあり、逆に男性は、社会で苦労して妻子を養うという役割を期待されて、平均寿命が短く、妻に先立たたれると地域に居場所が無く、身辺のことも処理できず苦労するという面もあります。一概に、男女平等を唱える他国の方が幸福だとも言えませんが……。
それでも「心身ともに健康な女性が男子を産めないことを責め立てられて心を病んでしまう」異空間、「女性に生れたことで自分を責める」異空間が、いつまでも日本の中心にあるという異常事態だけは、何とかしなければならないと感じております。
+++++++++++++++++++
竹田恒泰氏は、女性宮家案を断固としてつぶすために、小室さんのマイナスイメージを作り上げて、国民の間に広めました。それは一見、成功したかに見えます。しかし、竹田氏が小室さんをおとしめたことが、眞子様の評価を不当におとしめることになり、まわりまわって秋篠宮家の評価もおとしめることになってしまいました。これ以上、小室氏をおとしめるなら、いつ国民の攻撃の矛先が、皇室全体に向かうか、予断をゆるせない状況にあると思います。
竹田氏は、決して懲りないで、今後、佳子様、愛子様のご結婚に際しても同じ手を使って、女性宮家創設をつぶそうとするでしょう。それが成功すれば、悠仁様お一人が皇室に残る事になり、竹田氏および男系派が推薦する旧宮家系男子が養子として皇室入りする、男系派の思いのままにあやつれる皇室になる、左翼を排除して右翼を擁護する皇室になり、我が世の春を謳歌するつもりなのでしょう。まさに遠大な皇位簒奪、皇室乗っ取り計画といわざるを得ません。その狡猾さに舌を巻きます。
しかし、そうなったとき、国民がそのような野心あふれる人々の手あかにまみれた皇室を存続させたいと思うかどうかが、懸念されます。
真の皇位簒奪者は誰なのか? それは竹田恒泰氏と、彼を支持する男系派に他なりません。
国民は指をくわえて、彼らの横暴を許して良いのかが、今、まさに問われています。
STEVE様
おまけのツッコミ
>平成の道教<
老子様の話が、出て来るのかと思いました(笑)かんじんなところの誤字は、気をつけましょうね!
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道鏡後胤説? (42392) |
- 日時:2021年07月23日 (金) 12時45分
名前:千葉教区青年会会員
そんな馬鹿げた説を誰が信じるのでしょうか。 また、tapirさんが貼ったリンクには、日野の文章もあります。 私は日野なんかよりも、八木秀次先生の道鏡論が遥かに正しいと思いますが?
>実は、先のヒアリングで、里中満智子さんは次のような見解を示した。
〈女性皇族が結婚なさってその夫も皇族となれば、権威を得る手段として女性皇族を利用する男性が出現しないとは限らない――という、いささか古めいた心配だが、長い歴史の中ではそのような不安は現実となりそうな事例もあった〉
この見解は女性宮家創設に関する懸念を指摘したに過ぎない。だが、歴史をひもとけば、こうした“事例”は確かに存在するのだ。
「その最たる例として想起されるのが“道鏡事件”です」(八木氏)
事の発端は奈良時代にまで遡る。事件の渦中にいたのは、聖武天皇の娘・孝謙天皇(重祚(ちょうそ)して称徳天皇)と、その寵愛を受けた僧の弓削(ゆげの)道鏡である。
聖武天皇といえば、その治世で災害や天然痘などの疫病が頻発し、東大寺の大仏を建立する詔(みことのり)を出したことで知られる。聖武天皇が光明皇后との間に儲けた皇男子は夭逝し、その結果、娘の孝謙天皇が即位することになる。
皇室の歴史を振り返ると、女性天皇は10代8方を数えるが、ほとんどは男系の男性天皇に皇位継承されるまでの中継ぎ的な役割を果たした。実際、女性の皇太子も、皇太子を経て即位した女性天皇も、孝謙天皇をおいて他に例がない。
そんな孝謙天皇が病に臥した折、禅師として看病に当たったのが道鏡だった。
先の本郷氏が解説する。
「孝謙天皇は道鏡を重用するようになり、太政(だじょう)大臣禅師、さらに法王へと引き上げました。加えて、全国の八幡宮の総本社である宇佐八幡宮から“道鏡を天皇にすれば天下は泰平になる”との神託がもたらされ、道鏡が皇位に就きそうになった。ただ、和気清麻呂(わけのきよまろ)が勅使となって宇佐八幡宮に派遣され、〈わが国は開闢(かいびゃく)このかた、君臣のこと定まれり。臣をもて君とする、いまだこれあらず〉という神託を持ち帰り、先の神託を否定したことで道鏡の即位は阻止されたのです。あくまで私見ですが、“道鏡事件”は皇位継承に当たって大きなトラウマになったのではないでしょうか。女性天皇が即位して同様の事態に陥ることを当時の人々が危惧した可能性は否定できません。事実、道鏡事件以降は、江戸時代に明正天皇が即位するまで、実に約850年間にわたって女性天皇は現れませんでした」
閨房で道鏡を溺愛し、他の臣下の言葉に耳を貸さなくなってしまったという孝謙天皇。思惑をもって女性天皇に近づいた道鏡の野望を打ち砕き、皇統を護った忠臣である和気清麻呂は功績を讃えられ、その銅像は、皇居平川門近くの大手壕端に建立されている。
令和の皇室に前代未聞の混乱をもたらす小室さんの姿は、畏(おそ)れ多くも即位を目論んだ奈良時代の怪僧を呼び起こした。両者を重ね合わせる声が上がったとしても無理はあるまい。 < https://news.yahoo.co.jp/articles/facba13cf81bb45f8d67c90d0e4c853f2a29c30d?page=2
また、これは明らかに間違いです。
>現に、長い皇室の歴史で、臣籍降下された方が皇籍復帰されたのは、臣籍であられた期間がわずか3年という第59代・宇多天皇と、同天皇が臣籍だった3年の間に生誕された第60代・醍醐天皇のお二方のみです。<
首相官邸の公式サイトにはこうあります。
>1319年,第84代順徳天皇の皇曽孫で臣籍にあった源忠房が,後宇多 上皇(第91代後宇多天皇)の猶子となり 親王宣下を蒙り皇籍に復帰した , 。 ・1330年,第89代後深草天皇の皇孫で臣籍にあった源久良が親王宣下 を蒙り皇籍に復帰した。< https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/dai4/4siryou1.pdf
天皇陛下の孫でも曾孫でも親王宣下を受けて皇籍に復帰できるということです。
このことを忘れてはなりません。
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道鏡の評価は、最近、見直されつつあります。 (42394) |
- 日時:2021年07月23日 (金) 17時29分
名前:tapir
STEVE様の立てたスレッドに意見を書くと、間髪を入れずに千葉教区青年会会員様が投稿して来られる。お二人は本当に息が合っているのですね。
>私は日野なんかよりも、八木秀次先生の道鏡論が遥かに正しいと思いますが?<
そうでしょうか? 私は八木秀次氏の説は、過去の俗説を盲信しているカビの生えた古臭い説だと思います。日野氏の説のすべてを肯定するわけではありませんが、八木氏の、過去の俗説から一歩も出られない説よりも、はるかに学ぶことが多いです。
道鏡の評価は、最近、見直されつつあります。「道鏡事件」は無かったと唱える学者もあります。公平に見ても、諸説あるというのが、バランスの取れた見方だと思います。
その1、「道鏡事件」は無かったと唱える学者(関西学院大学教授・中西泰弘氏)があります。(社団法人 関西大阪21世紀協会HPより)
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怪僧、妖僧、悪僧・・・どこまで本当?
道鏡は戦前、平将門、足利尊氏とともに日本三悪人に数えられた。道鏡と称徳は平安朝からスキャンダルの的となった。道鏡の巨根説、称徳の広陰説、「道鏡は座るとひざが三つでき」という川柳まで残る。明治以降は小学校用教科書に和気清麻呂と頻繁に登場するようになり、「国体護持」「万世一系」の皇国史観から道鏡は天皇の座を狙った悪僧、清麻呂はそれを阻止した忠臣の代表となった。
宇佐八幡神託事件は、称徳主体説、道鏡主体説、道鏡・称徳共謀に整理できる。戦後、古代史家・北山茂夫は「女帝こそが一介の名もない看病禅師をひきたてて、ついには、法王の地位をあたえた」「スキャンダル視したのは、古代の宮廷人であり、また多くは、後世の儒教的な立場に立つ御用学者たちであった」(『女帝と道鏡』)と称徳主体説を唱えた。
これに対し、関西学院大学の中西康裕教授(古代日本史)は『続日本紀』に出てくる宣命と地の文の詳細な検証を進め、「称徳には道鏡を皇位に就けようという意思は毛頭なかった」(『続日本紀と奈良朝の政変』)とし、道鏡事件は『続日本紀』の編者の創出とする。皇統は天武(?−686)から8代7人、天武系が続いたが、称徳亡き後、天智天皇(626−671)の孫の光仁(709−782)、その子の桓武(737−806)と天智系に変わった。『続日本紀』は桓武治世下で編纂されており、道鏡事件を「『前王朝』の失態」として描いたと問題提起している。
さらに東京女子大学の勝浦令子教授(古代日本史)は評伝『孝謙・称徳天皇』で、称徳を革新的な女性天皇として描いた。称徳は歴史上ただ一人の女性皇太子。従来言われるような「中継ぎ」ではなかったとする。一部で奴婢を解放したり、位階、勲等は男女比6対4の比率で授与し、いまの知事にあたる国造にも女性を任命するなど画期的な施策を進めた。「『天』が授ける者であれば皇統以外でも可能とする」「歴史上でも類いまれな、万世一系を否定する王権像」を持っていたとする。そして道鏡事件は後世の為政者が「女性天皇をスキャンダルまみれに伝える」のが狙いで、「男女の関係におぼれた愚かな悪女という図式」を描いて女性天皇の出現阻止に使われたと書いている。
いずれにしても道鏡が皇位簒奪(さんだつ)を本当にはかったとすれば、称徳没後の道鏡への処分は奈良時代のほかの事件と比べて余りにも軽すぎるといえそうだ。
(「なにわ大阪をつくった百人」(社)関西大阪21世紀協会=足跡をたずねて=) https://www.osaka21.or.jp/web_magazine/osaka100/039.html
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[1の感想]
『続日本紀』を詳細に検証された、関西学院大学の中西康裕教授(古代日本史)の説は、かなり説得力があると思います。
○道鏡事件は『続日本紀』の編者の創出(創作) ○称徳には道鏡を皇位に就けようという意思はもうとうなかった。 ○皇統が天武系から天智系に替わった時、道鏡事件を『前王朝』の失態として描いた。
「皇統が天武系から天智系に替わった時」、すなわち皇統が別系統になった時、前の系統を悪者に仕立てるのは、日本書紀にもみられることです。 「勝者が敗者を悪者として記録する」のは、日野氏も書いている通りです。(戦後の日本についてのアメリカの記録にもそれが見られますね。)
「いずれにしても道鏡が皇位簒奪(さんだつ)を本当にはかったとすれば、称徳没後の道鏡への処分は奈良時代のほかの事件と比べて余りにも軽すぎるといえそうだ。」
皇室に謀叛を企てたことの処罰はいつの時代でも死に値する厳しいものですが、道鏡の処分は左遷という軽すぎるものだったということからも、本人に謀反の罪が無かったのは明らかだと思います。
その2、道鏡の名誉回復を願う、出身地・大阪府八尾市の有志団体「道鏡を知る会」により、木彫の坐像(ざぞう)が作られ、ゆかりの西大寺(奈良市)に奉納されました。坐像の制作者は、籔内佐斗司(やぶうちさとし)・東京芸大大学院教授。籔内氏は奈良県のマスコットキャラクター「せんとくん」も考案した彫刻家です。
(「道鏡、実は「悪人」の事績乏しく 名誉回復願い坐像」日本経済新聞2020年10月22日) https://www.nikkei.com/article/DGXMZO65273930R21C20A0AA1P00/
○道鏡の実像を語り伝えられてきた庶民が、道鏡の名誉回復を願って、坐像をつくったという記事です。
その3、「奈良まちあるき風景紀行」では、道鏡事件について、「具体的な悪行」は何一つ伝わっていない、評価に諸説ありとしています。
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道鏡が何かを自らで大規模に粛清したとか、特定の存在を極端に弾圧したとか、誰かと共謀してまれに見るような凶悪な働きを果たした。といったような歴史に残る「具体的な悪行」は特に伝わっていないことは紛れもない事実です。
(「道鏡とは何者なのか?悪人とされがちな僧侶についてシンプルに解説【宇佐八幡宮神託事件】」奈良まちあるき風景紀行) https://narakanko-enjoy.com/?p=35061
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○『「具体的な悪行」が特に伝わっていないことは紛れもない事実です。』
具体的な悪行が特に伝わっていないのに「謀叛人」「極悪人」にされているのなら、それはいわば冤罪ではないでしょうか。
○観光案内的なホームページですが、幅広い見方があるlと、紹介しています。
[全般的な感想]
八木氏は、道鏡と孝謙天皇に男女の関係があったと思っているようですが、道鏡60歳、孝謙天皇45歳というご年齢から考えても、また、孝謙天皇が潔癖な御性格であられたこと、道鏡が優れた高僧であったと配流先でも民から慕われていることから、肉体関係は無かったと考えるのが自然です。
小室圭さんが、まじめな一般国民であるのにかかわらず、ぬれぎぬを着せられて、謀反人に仕立て上げられ、マスコミのバッシングの標的にさせられてしまったことは、何の罪も無かった道鏡が、デマによって極悪の謀叛人に仕立てられたのと、実は、似ているかも知れません。
そして、眞子様は、東京女子大学の勝浦令子教授(古代日本史)がいうところの、
『後世の為政者が「女性天皇をスキャンダルまみれに伝える」のが狙いで、「男女の関係におぼれた愚かな悪女という図式」を描いて女性天皇の出現阻止に使われた』
という、称徳天皇の置かれた状況にそっくりです。
『時の為政者をあやつる男系維持派が、「女性皇族(内親王)をスキャンダルまみれに伝え」、「男女の関係におぼれた愚かな悪女」に仕立て上げて、「女性宮家の出現阻止に使われた」』
と言葉を置き換えれば、なんとそのまま、すべてが当てはまるではありませんか。歴史は繰り返すというのは真実ですね!!
勝浦教授はこうも述べています。
(称徳天皇は)「一部で奴婢を解放したり、位階、勲等は男女比6対4の比率で授与し、いまの知事にあたる国造にも女性を任命するなど画期的な施策を進めた。」
このような女性優遇策が、古代中国の男尊女卑文化が浸透しつつあった当時の為政者にとって、伝統破壊に思えたのでしょう。その反感が、続日本紀の記録者に映し出されて、称徳天皇をおとしめる記述の動機の一つになったのではないでしょうか。
それにしても腹立たしいのは、女性宮家制度創設をつぶすために、何の罪もない無名の一般国民を、デマをまき散らして、極悪の謀叛人であるかのように仕立て上げた人々の存在です。竹田恒泰しかり、八木秀次しかり。一般国民に過ぎない一人の青年のプライバシーをあばき、デマを流し続け、悪人に仕立て上げる、これでも法治国家だろうか、一般国民を守ろうとしない国が、民主主義の国だろうかと、日本人に生まれたことが、真底、恥ずかしくなります。
里中満智子さんは、デビュー当時からファンだったのですが、結局、男性に肩を並べることに生きがいを感じる、名誉白人ならぬ名誉男性の一人で、本質的なことが何も分かっていない浅はかな人だったと知って、がっかりしています。知識量と、人間として正しい判断ができるかどうかは、まったく別物ですね。
これが、女性宮家の制度が出来ていて、小室圭さんの皇室入りが選択できるというなら、国民が色々と声を上げたくなるのは、まだ理解できます。美智子様が婚約され、皇室入りが決まった時も、柳原白蓮などが、猛烈な妨害活動を行い、暴力の行使も辞さないという勢いだったそうですから、歴史は繰り返すと思えば、理解できます。
しかし、今の制度のままでは、眞子様が一般国民になられると決まっていて、小室圭さんが皇室入りすることができないことが分かっているのに、国民が大騒ぎするのはなぜなのでしょう?
裏を返せば、眞子様に女性宮家の当主になっていただきたい、その伴侶も皇室入りしてほしいとの、国民の潜在的な願望が高まって、彼らを異常な行動に駆り立てているのではないでしょうか? 現在意識では分からなくても、国民の潜在意識が「女性宮家を創設してほしい! 女性天皇を実現してほしい!」と大声で叫んでいる、その気持ちがねじくれて、可愛さ余って憎さ百倍となっているような気がします。
男系維持派は、そのような国民の魂の底からわきあがる声なき声、「女性天皇待望、女性宮家創設を願う声」を「左翼の陰謀だ!」と決めつけます。
「日本は男尊女卑の国だぞ!」
「天皇の霊統は、男性にしか伝えられないのだ!」
「女は畑だ、替えはいくらでもある!」
「古代中国様がそういっておられたのだ、われらはその伝統にしたがうのだ!」
「皇室こそは男尊女卑の伝統を守る最後のとりでなのだ!」
といつまで、叫び続けるつもりなのでしょうね。
>1319年,第84代順徳天皇の皇曽孫で臣籍にあった源忠房が,後宇多 上皇(第91代後宇多天皇)の猶子となり 親王宣下を蒙り皇籍に復帰した , 。 ・1330年,第89代後深草天皇の皇孫で臣籍にあった源久良が親王宣下 を蒙り皇籍に復帰した。<
教えていただいてありがとうございます。今まで知らなかったので、勉強になりました。
しかし、このお二方が、皇籍復帰された事情が良く分かりません。分かれば教えていただけますか。
そして、忠房親王(ただふさしんのう)、久良親王(ひさながしんのう/ひさよししんのう)ですが…
久良親王は、一代限りでした。男のお子様は親王になれませんでした。
忠房親王も、男のお子様は親王になっていません。 女のお子様お二方が皇族の奥様になられたようです(男系派にとって女のお子様は何の価値もないので関係ありませんね。)
どちらの皇籍復帰も実質的に一代限りだったことになります。男系男子による皇位の継承に関与しなかった(させてもらえなかった)のはなぜなのでしょう?
何のための、皇籍復帰だったのか、その点からも、興味があります。
なぜ、それぞれの親王の、男のお子様が、皇族になれなかったのでしょう?
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お久しぶりです (42397) |
- 日時:2021年07月23日 (金) 23時37分
名前:日野智貴
tapir様、私の記事を紹介してくださりありがとうございます。 私はご存知の通り仏教史学を研究していますので、この問題に関心が深いのですが、迂闊にコメントすると自称青年会の皆様が騒いで本題が逸れるのでこれまで投稿を控えていました。 この度ブログに記事を書きましたので、ご一読いただけますと幸いです。皆様がこの掲示板に引用・批評されるのも大歓迎ですが、反応は私のブログでさせていただきます。出来れば私のブログにもコメントを頂けますと嬉しいです。 https://snitennoukokunippon.hatenadiary.com/entry/2021/07/23/232732
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RE: お久しぶりです (42409) |
- 日時:2021年07月24日 (土) 22時03分
名前:tapir
日野智貴様、お久しぶりです。ご投稿ありがとうございます。
こちらこそ、ブログを使わせていただき有難うございます。
>この度ブログに記事を書きましたので、ご一読いただけますと幸いです。皆様がこの掲示板に引用・批評されるのも大歓迎ですが、反応は私のブログでさせていただきます。出来れば私のブログにもコメントを頂けますと嬉しいです。<
日野様のブログを一読しました。里中満智子さんの作品のことなど、示唆に富んだ内容だと思います。もう少し読み込んでからコメントを書かせていただきます。少々お待ちください。
なお、日野様も、誤字には気をつけた方が良いと思います。以前から時々、気になっていたので。お節介ですみません。
>この問題に関心が不快のであるが< ↓ この問題に関心が深いのであるが、
ですよね。
感謝合掌
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フロイト的失言だね (42410) |
- 日時:2021年07月24日 (土) 22時22分
名前:千葉教区青年会会員
道鏡の話題を出されるのが不快だという、女系天皇推進派の潜在意識の表れ。
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STEVE様、男系派は、不老不死、仙人にあこがれている? (42422) |
- 日時:2021年07月25日 (日) 12時46分
名前:tapir
>平成の道教<
不老不死や仙人など神秘を信じたい。祈っていれば、男子が皇室に続々誕生するという、神風頼みの男系派の潜在意識の表れ(笑)。
ちなみに、私も仙人物語は、夢があって好きです。 STEVE様は、きっとロマンチストなんですね。
ところで、以下の質問の答えはまだですか。
>そして、忠房親王(ただふさしんのう)、久良親王(ひさながしんのう/ひさよししんのう)ですが…
久良親王は、一代限りでした。男のお子様は親王になれませんでした。
忠房親王も、男のお子様は親王になっていません。 女のお子様お二方が皇族の奥様になられたようです(男系派にとって女のお子様は何の価値もないので関係ありませんね。)
>どちらの皇籍復帰も実質的に一代限りだった、男系男子による皇位の継承に関与しなかった(させてもらえなかった)<
何のための、皇籍復帰だったのでしょう?
>なぜ、それぞれの親王の、男のお子様が皇族になれなかったのでしょう?<
どちらも男のお子様があったのに、皇族になれませんでした。
つまり、宮家系男子が皇籍復帰しても「一代限りであるべし」という例にしか、ならないのではないですか?
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男系の皇統を守ると言うことが大切 (42423) |
- 日時:2021年07月25日 (日) 13時33分
名前:STEVE
皇位継承者が多かった時代と今では話が違います。 今は皇位継承者が少ないのですから、男系の皇統を守る努力が大切です。 伏見宮家を残していたのは先人の知恵です。
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旧宮家も断絶が進んでいます。側室復活が無ければ男系継承は続きません (42424) |
- 日時:2021年07月25日 (日) 15時00分
名前:tapir
旧伏見宮家は、「嫡流断絶見込」だそうですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E7%9A%87%E6%97%8F
他の宮家も、次々に男系断絶していますね。
一夫一婦制を続ける限り、男系断絶が避けられないのが、この表「宮家一覧」を見ただけでも明らかです。
旧宮家系男子を皇室にお迎えできたとしても、近い将来、男系断絶するのは、眼に見えています。男系断絶を避けるには、側室復活しか手がありません。
STEVE様は、側室復活に賛成ですか?
歴史をかえりみれば、遠縁の男性皇族(継体天皇、光格天皇など)が皇位に就かれた時、直系の内親王が皇后になられる(手白香皇女)、前女性天皇(後桜町天皇)が相談役になるなど、女性皇族が献身的に、遠縁の天皇をお支えしてきたのが皇室の歴史的事実です。女性皇族が、様々な形で、歴代天皇の生き方を、直接伝承する役目を担っておられました。
現代において、一般国民が婚姻を通じてのみ皇室入りできることの、重大な意味がそこにあります。結婚を通じた天皇御夫妻の情熱、時には自己犠牲もいとわない御夫妻の固い愛情が、皇室の伝統を支えて来たともいえるのではないでしょうか。「美智子様の恋文」を読んで、そう思いました。
女性皇族を全員追い出して、男性お一人以外は、遠縁の男系男子ばかりという皇室は、歴史上、前例がありません。直系の女性皇族不在の皇室に、ご結婚という形でなく、遠縁の男系男子が何人も入られたとき、126代続いて来た、歴代天皇の生き方が、その方々に伝わるでしょうか。
悠仁様が男子に恵まれなければ、同世代の女性皇族が不在の中で、今上陛下の遠縁の方々に皇統が移ることになります。600年前の天皇との血筋だけがつながっていても、実質的な王朝交替と言っても、過言ではありません。
それがSTEVE様の理想の皇室像なのですか?
また、男系派は、男系継承でなければ、皇室が皇室でなくなるといいますが、皇室が皇室でなくなるという根拠は何ですか? 私は、現在の皇室メンバーが、大部分、もしかしたら全員、いらっしゃらなくなってしまうことの方が、これまでの皇室の歴史を全否定することになりかねないと思えるのですが。
STEVE様は、皇室は、どれほど遠縁でも、男系の血筋がつながった男性がいらっしゃればそれだけでよい、女性皇族など不要であると、お考えなのですか?
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側室についての竹田恒泰先生の文章です (42433) |
- 日時:2021年07月25日 (日) 20時40分
名前:STEVE
>昨今になって「側室制度を復活するべきだ」といった声が一部から聞こえるように なったが、これは二つの視点から現実的ではない。第一に、国民感情が側室を認めない 点が挙げられる。現在のアラブ諸国と同様に、戦前までの日本では、一般人であっても 経済的に余裕があれば妾を持つことが社会的に認められており、妾に何ら違和感は なかった。
しかし終戦後は俄(にわか)に妾を悪とし、一夫一婦主義を唱えるキリスト教思想が 日本を支配することになり・妾を認めない社会に変わつたのである。これにより、 天皇の側室は国民感情の許さないものとなってしまった。
そして第二に、男子禁制の御内儀の復活が困難であることから、側室制度が担保 されないことが指摘できる。
中国の朝廷では男性でも生殖機能を失わせて宦官(かんがん)となれば後宮に 入り込むことができたが、日本では御内儀で 天皇の秘書業務をこなしたのは全て 女性であり、一切の男性の立ち入りが固く禁じられてきた。中国では宦官に権限が 集中することで政治腐敗を招き、幾つも王朝が滅亡してきたが、日本は宦官制度を 採らなかったために、そのような弊害を生じることがなかった。
もし御内儀に男性が入り込んだ場合、妊娠した局の父親が 天皇であることが 担保されなくなり、皇統は保証されないことになる。そのため御内儀は男子禁制と なってい女官が妊娠した場合は間違いなく 天皇の子であると断定できるからである 。 このように、側室制度は御内儀の存在により担保されてきた。御内儀が解体された 現状では、側室が身ごもつて其の子の父親が 天皇であることが担保されず、 側室制度本来の成立条件を満たさない。また明治期までと同様の御内儀を復活させる ことは、あるいは側室制度の復活以上に国民感情の反発が予想されるため、側室制度の 復活は現実的でないと結論せざるを得ない。
しかし、側室制度の復活は困難としても、皇后を複数立てる方法であれば御内儀を 復活させる必要はない。だが、この方法も現在では違和感を覚える人が多いと思われる 。したがって側室制度と複数の皇后を立てる制度の復活が望めない現在は、別の手段、 つまり皇族を充実させて傍系からの即位を可能にする方法を強化し、皇統の維持を 図らなければならないのではないだろうか。 <
https://plaza.rakuten.co.jp/09mimo3/diary/?PageId=51
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男系でないと皇統ではない (42483) |
- 日時:2021年07月28日 (水) 17時01分
名前:千葉教区青年会会員
女系をそもそも皇統と言えるのか、という問題がある。 八木秀次先生によると、皇統が双系と言うのはデマである。
>すなわち、皇統は男系女系の双系主義という見解でございます。その際に根拠とされるものが『養老令』の「凡皇兄弟皇子、皆為親王。女帝子亦同」という規定でございます。 しかしながら、ここで言う女帝の子は、具体的に想定された人物がおります。すなわち、第35代皇極天皇の前夫、高向王との間の皇子、漢皇子のことでありまして、後に母宮が高向王の没後、舒明天皇の皇后になり、舒明天皇崩御後、皇極天皇として即位したので、そのお子さんであります漢皇子は女帝の子、すなわち皇極天皇の子どもではありますけれども、もともと男系の男子でありますので親王ということになります。したがって、この規定は双系主義の根拠になり得ません。< https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kousitu/dai6/6siryou3.html
また、そもそも新田均先生によると、我が国の考えでは「血統=男系」である。「女性の血統」と言うのは妄想である。
>それでは、「皇統に属する男系」とは、そもそも何なのでしょうか。結論を予め申し上げれば、「血筋・血統」についての日本の本来の考え方に則れば、本人が男性であるか女性であるかに関係なく、「血筋・血統」とは、自分の父親、その父親、そのまた父親と先祖を遡っていく父系、ちち系、のことです。「女系天皇」という言葉で誤解が広がってしまったのは誠に残念ですが、母親をたどっていく母系という「血筋・血統」というもの本来存在しません。様々な父系、ちち系があるだけなのです。大切な点なので繰り返しますが、世の中に男女の別は存在しますが、女系というものは存在しません。皇統とは異なる様々な父系、ちち系、(男系)があるだけです。この原則に則って、皇室典範は、女性皇族との結婚を通じて、皇統とは別の父系に皇位が移り、初代の神武天皇以来の父系(皇統)が断絶してしまうことを防ごうとしているわけです。< https://www.moralogy.jp/salon200406-1/
「女系の血統は存在しない!」という事実。つまり、女系天皇とは「別の血統」と言うことである。 tapir様はどうも「女系の血統」が存在すると勘違いされているのではないか。
>「天皇の霊統は、男性にしか伝えられないのだ!」<
「霊統」の話ではありません。「血統」の話です。 tapir様は「天皇陛下が女系容認であればどうする!」と言われますが、天皇陛下と雖も「血統」の事実を変更は出来ません。 そのことについて、新田均先生はこう述べられています。
>第10代崇神天皇の時代に災害が続いたので、それを鎮めるために占いをしたところ、倭迹迹日百襲姫命〈やまとととひももそひめのみこと〉に大物主神〈おおものぬしのかみ〉が乗り移って自分を祀るように言った。そのお告げにしたがって崇神天皇ご自身が祭祀を執り行ったが一向に効き目がなかった。そこでもう一度祈ったところ、崇神天皇の夢に大物主神が現れて、大田田根子〈おおたたねこ〉に自分を祀らせるように告げた。それにしたがって全国に触れを出すと大田田根子が見つかり、大物主神の子孫であることが分かった。そこで大田田根子に祀らせると災害は治まり、五穀が豊かに実った。こういう物語です。 ここから古代のどういう観念が分かるかと言うと、祭祀が~に通じるためには、祭り主は祭神と父系で結ばれていなければならないということです。たとえ、天皇が祈っても父系で繋がっていなければダメなのです。<
もしも「女系の血統」が存在するのであれば、皇室も国津神の血は入っていますから、崇神天皇陛下が祭祀しても良かった。それが出来なかったのは、天皇陛下でも「血統」を変えることはできない、という厳然たる事実です。 従って、天皇陛下が「血統の変更」を試みると言う“越権行為”をなされることはあり得ません。不可能、と言うことです。
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RE:(42433) 側室制度復活はあり得ないし、旧宮家案では安定継承にならない。八方ふさがりですね (42506) |
- 日時:2021年07月29日 (木) 18時30分
名前:tapir
>終戦後は俄(にわか)に妾を悪とし、一夫一婦主義を唱えるキリスト教思想が 日本を支配することになり・妾を認めない社会に変わつたのである。これにより、 天皇の側室は国民感情の許さないものとなってしまった。<
>側室制度の復活は困難としても、皇后を複数立てる方法であれば御内儀を復活させる必要はない。だが、この方法も現在では違和感を覚える人が多いと思われる。<
谷口雅春先生も、天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)のご結婚を例にひいて、一夫一婦が日本精神であると説いておられたことを記憶しています。(原典を探したのですが今見つかりませんでした。見つかったらまた報告します。)それを目にして深い感動に包まれたことを覚えています。
側室、皇后を複数立てることは、いろいろ考えますと、竹田氏の言を待つまでもなく、あり得ないことですね。
>したがって側室制度と複数の皇后を立てる制度の復活が望めない現在は、別の手段、 つまり皇族を充実させて傍系からの即位を可能にする方法を強化し、皇統の維持を 図らなければならないのではないだろうか。<
これは日野氏も書いている通り、4家以上の宮家を建てなければ当面の皇統の存続さえできない、到底、皇位の安定継承につながらない方策です。
現実に、大正天皇には、直系の男子が4名いらっしゃいました。それでも、昭和天皇の御代に皇族男子は2名になり、上皇様の御代は幸運にも昭和天皇の皇子が男子2名、三笠宮家にも男子3名がいらっしゃいましたが、今上陛下の御代の次の世は、悠仁様1名になられます。
終戦時に旧宮家が臣籍降下したからと言われますが、旧宮家も、既に嫡系男子は4名とのことです。その方々4名が全員皇室入りされ、宮家を創設されても3代後に男子が途絶えることも予想されます。 そのときは男系男子をどこから探してくるつもりなのでしょう。2、3代ごとに男系男子をさがし出すことを繰り返すつもりではないですよね。また、男系男子確保のためだけに、宮家をたくさん創設することも、国民感情が許さないでしょう。
どう思考を巡らせても、男系男子継承を続けることは不自然であり、無理があると思います。
すなわち、女系を拒否し続けるのは、皇室が無くなることを待ち望むのと同じことになります。政権内部でも、それに気が付いている議員があるはずですが、猛烈に反対する頑迷固陋な男系派議員の勢いに押されて、何も決めないでいたずらに時間かせぎするという、情けない有様です。敗戦後遺症で、覇気を無くしてしまった人たちばかりですね。
日本は結局、GHQ占領下の時に、アメリカで沸騰していた日本国天皇制廃止を熱望するという怨念の残滓の前に、屈してしまうのでしょうか。
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RE:(42483) 皇統が双系でなかったというのは、八木氏のデマです (42507) |
- 日時:2021年07月29日 (木) 19時07分
名前:tapir
皇統が双系でなかったというのは、八木秀次氏のデマです。デマと言うより無知による、底の浅い、古臭いカビのはえた、誤った考え方に固執しているのかも知れません。
古代史の学者の間でも、日本の古代が双系社会であったことが、当たり前になりつつあります。『古事記』『日本書紀』などで古代史を学べば学ぶほど、神話が発祥した頃の日本社会が男系社会ではなかった、男系社会が浸透したのは、後世の、律令制導入以降の、歴史の変化によるものだったし、その変化があったにも関わらず、日本固有の「双系的」な傾向が淘汰されずに生き続けていたということが、分かります。。
その上、八木秀次氏は、かつて皇太子だった天皇陛下の、皇位継承の変更、皇太子妃殿下だった皇后陛下との離婚を想定せざるを得ない、と主張をしたトンデモ学者です。
当時皇太子だった、天皇はつつがなく即位され、令和の御代となりました。八木氏は、過去の、皇位継承の変更、離婚を想定せざるを得ない事態になる、と述べたことを訂正するでもなく、反省の一言もなく、偉そうに皇統のことを語っています。その恥知らずな有様に、同氏の人間性を疑わずにいられません。このような不誠実で不人情な人物が、いくら偉そうな見解を開陳しても、ひと言も信用する気になれません。顔を洗って出直して来なさいと言いたいです。
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“「ここであえて議論を起こしたい。皇太子ご夫妻(天皇・皇后両陛下)の離婚問題についてである」
「(皇室典範は皇后の離婚を想定していないので)御代代(替)わりが起こった後ではもはや離婚はできない」”
“「今は雅子妃のご快復を願う。だが、一皇太子妃のご病状快復と…宮中祭祀が天秤に掛けられるようであれば、離婚ないし皇位継承権(ママ、皇位継承順位)の変更を想定せざるを得ない事態になると思われる」(八木秀次氏、『SAPIO』平成19年5月9日号)
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>離婚ないし皇位継承権(ママ、皇位継承順位)の変更を想定せざるを得ない事態になると思われる<
「離婚ないし皇位継承権の変更を想定せざるを得ない」とまで、書いたのが八木氏です。
皇后陛下は、いまだに御病状回復の途上ですが、八木氏は、この時の見解を取り消したのでしょうか。それともいまだに、天皇陛下の離婚、または皇位継承権の変更(は今さらできないので早期の御譲位?)とを企図し続けているのでしょうか。
八木氏の以下の理屈も変です。論理が破綻しています。
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>すなわち、第35代皇極天皇の前夫、高向王との間の皇子、漢皇子のことでありまして、後に母宮が高向王の没後、舒明天皇の皇后になり、舒明天皇崩御後、皇極天皇として即位したので、そのお子さんであります漢皇子は女帝の子、すなわち皇極天皇の子どもではありますけれども、もともと男系の男子でありますので親王ということになります。したがって、この規定は双系主義の根拠になり得ません。<
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「漢皇子」が「高向王」の御子であるというだけだったら、天皇の男系の子孫でも、当然のこととして、「漢王」と呼ばれたはずであることは、普通の読解力と、当時の皇族の呼称の基礎知識があれば、子供でも分かります。「王」の子は、「王」です。「親王」「内親王」は、天皇のお子様のみの呼称です。
母君の皇極天皇が「天皇」に即位されてはじめて「皇子」を名乗ることが出来たのです。それを母が女帝になったことと関係が無いというのは、「王」にしかなれなかった方が、母が天皇に即位したことで「皇子」と呼ばれるようになったという、明白な歴史的事実を否定する詭弁です。
八木氏は、天皇陛下の離婚と皇位継承の変更を企図する延長線で、天皇陛下の直系継承(愛子様の皇位継承)を阻止するために、男系男子固守を主張し続けているのでしょうか。 あるいは、男系男子固守を主張するあまり、知的なバランス感覚を失っているのかも知れません。結果的に、皇統を守るような顔をして、皇統を破壊しようとする、恐ろしい人物だと思います。人格が破綻しているか、お金になれば何でも書き散らす金儲け主義の、売文家だと見られても仕方がありません。恥ずかしげもなく、マスコミに顔を出さないでほしいです。取り上げるマスコミもマスコミです。物を考えず、先の見通しもなく、お金第一主義のマスコミには、ほとほと嫌気が指します。
新田均氏の文章は、「皇室に氏があるという」最初の前提自体が、間違っています。
++++++++++ >はじめに 古くから日本の社会で受け継がれてきたものー「世襲」されるものーは大雑把に言って二つあります。一つは、「祖先祭祀」、もう一つは「財産・職業」です。この二つの継承原理は異なります。祖先祭祀は「氏」という父系(男系)を団結の核とする集団によって受け継がれます。財産・職業は「家」という夫婦を団結の核とする集団によって受け継がれます。 そして、前者の継承原理が純粋な形で続いているのは、皇室と出雲国造のみです。そして、国家との関係を有するのは皇室だけです。ここに皇位継承の最終的な拠り所があります。< https://www.moralogy.jp/salon200406-1 ++++++++++++
>祖先祭祀は「氏」という父系(男系)を団結の核とする集団によって受け継がれます。<
>前者の継承原理が純粋な形で続いているのは、皇室と出雲国造のみです。そして、国家との関係を有するのは皇室だけです。<
新田氏は、「皇室に『氏』が無い」という重大な事実を知らないようです。皇室は「氏」を与える立場であり、皇室自身に「氏」が無いというのは、非常に重要なことですが、多くの男系派はこのことを理解していません。新田氏は、一般国民と同じ「氏」があると述べることによって、根元的な祭祀について、皇室を一般国民のレベルに引きずり下ろすという、過ちを犯しています。
『「氏」の無い皇室』を語るにあたり、「『氏』という父系(男系)を団結の核とする」という言葉を使った時点で、学問として不正確で、アウトだと思います。この文章は、新田氏が皇室の「氏が無い」という重大な特性を理解しない、一知半解の無学の徒であることを露呈しています。
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>古代の日本では、世襲は、本人が男性であるか女性であるかにかかわらず、父親→父親→父親と遡っていって共通の始祖につながる父系での継承を意味し、同一の父系に属する人々を仲間・同族と捉えていました。この父系を英語では、Father’s LineageあるいはFather’s Lineといい、東アジアでは「氏」といいます。 同じ父系に属する一族を、他の父系に属する一族と区別するために、東アジアで用いられた名称を「姓」と言います。この古代感覚を今に伝えているのが中国人や韓国人の姓です。姓は父系の継続を表わす名称ですから、結婚しても変わりません。結婚しても実の父親は変わらず、血筋も変わらないからです。そのため、中国人や韓国人は夫婦別姓なわけです。< (同上) +++++++++++++++++++
新田氏は、日本は東アジアの一員として、中国や韓国に見習って神話の昔から「男系主義」だったと信じているようです。『古事記』、『日本書紀』を虚心坦懐に読めば、日本が古代中国や韓国と一線を画す「双系主義」だったことが、自然に分かるのですが、それに眼を閉じて、「偉大なる古代中国様と同じ男系主義こそ尊いのだ」という盲信から抜け出せないのは、哀れなことです。
日本が西洋と東洋の中間に位置するゆえに、「双系主義」という男系も女系も尊重する独特な文化が発展した国だったとの事実を認める方が、よほど日本に誇りを持てると思うのですが、コチコチ頭「中国様、バンザイ」の新田氏には、無理なのでしょう。
>崇神天皇陛下が祭祀しても良かった。それが出来なかったのは、天皇陛下でも「血統」を変えることはできない、という厳然たる事実です。<
「天皇陛下でも血統を変えることができない」、一国民が、何故このようなおこがましいことが考えられるのかと、理解に苦しみます。天皇陛下が「血統」を変えることができない、と天皇陛下の地位とお役目を、一国民に過ぎない新田氏が勝手に決めつけて、天皇陛下を軽く視ていることそのものが、あまりにも不遜であると思います。
この場合の血統は「男系」「女系」ではなく、太田田根子が父母共に正当な身分の者の子孫であるということではないでしょうか。
太田田根子に祭祀をさせるにあたって、父方が大物主神であることと同時に、母とその親が誰であるかを記している『日本書紀』の記述は、単に父が大物主神であることだけで祭祀を任せたのではなく、母方も正当な血筋であることが重視されたことが表われていると思います。
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天皇、卽ち親(みづか)ら神浅茅原(かむあさぢはら)に臨(いでま)して、諸王卿(おほまへのきみたち)及び八十諸部(やそもろもろとものを)を會(めしつど)へて、太田田根子に問ひて曰(のたまは)く、「汝(いまし)は其れ誰(た)が子ぞ」とのたまふ。對(こた)へて曰(まう)さく、「父(かぞ)をば大物主大神と曰(まう)す。母(いろは)をば活玉依媛(いくたまよりびめ)と曰す。陶津耳(すゑつみみ)の女(むすめ)なり」と曰す。
(『日本書記 上』 p240 岩波古典文学大系)
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父系が大物主神でありということだけが尊い、母方はどうでもよいというのであれば、母とその親まで、母方の血筋を記録にとどめる必要は無かったはずです。母方まで記述したのは母方の血筋も、父方と同様に正当であることが求められていたからではないでしょうか。
東アジアの他の文化圏と一線を画し、男系も女系も尊重されていた双系社会が日本古来の姿であるというのは、日本人が胸を張って、誇ってよい文化だと思います。新田氏にはその誇りが感じられません。古代中国さまと同じ男系主義の日本であったということに、限りなく誇りを感じて、何が何でも固執する、その奴隷的なメンタリティーは、まったくもって理解不能です。
ここにも、戦争に負け続けている日本人の姿、古代中国思想の前に喜んで膝を屈している自己の姿にさえ気付かない情けない日本人の姿を見る思いです。
アメリカに屈し、中国にも思想的に屈している、新田氏のような情けない日本人がリードする、日本の行く末がこれからどうなるのか、見つめて参りたいと思います。
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日野様のブログについてのコメントです (42518) |
- 日時:2021年07月30日 (金) 10時40分
名前:tapir
日野様のブログに対するコメントを、ブログに投稿するか、ここに投稿するか迷いましたが、ここでの議論に深い関係があるのと、文章が長くなったのとで、この掲示板に投稿することにしました。
日野様のブログ https://snitennoukokunippon.hatenadiary.com/entry/2021/07/23/232732
以下のコメントは、日野氏の文章を多少書き変えていますから、文責は私tapirにあります。 日野様、省略の仕方などが、文意を曲げているところがありましたら、どうぞお知らせください。
T、旧宮家復活論について
(日野様の順序だてた推理は、具体的でとても分かりやすく納得が行きます。)
1、女性宮家設立可能性低下の大チャンスを、男系派は結果的に妨害した。
○眞子内親王殿下が小室さんと結婚して臣籍降嫁すると、佳子内親王殿下と愛子内親王殿下だけに女性宮家を認めるのは困難になるから、女性宮家設立の可能性は著しく低下する。ところが、眞子内親王殿下の小室さんとのご結婚という「女性宮家設立の可能性が低下する」、男系派にとっての大チャンスを、旧宮家復活論者は妨害した。
○眞子内親王殿下が皇籍にいる間が長引けば長引くほど、女性宮家設立の為の猶予が生まれて、男系派は不利になる。
○しかし、現役皇族の彼氏を悪く言えば言うほど皇室にダメージが生まれる。
2、宮家の数が3つ以下であれば、側室抜きの旧宮家復活では、皇統は断絶」することを、竹田恒泰氏は知っている。知っていて推進しているのは、竹田氏が意図的に皇統断絶を狙っているからである。
○「宮家が4つから5つあれば側室が無くとも皇統は守られる」という竹田氏の言は、裏を返せば、旧宮家の数が3つ以下であれば「側室抜きの旧宮家復活では、皇統は断絶しますよ」と言う意味になる。
○旧宮家の内、嫡流で男系男子が残っている家は、4つしかない。しかも、その男系男子が婚姻適齢期を過ぎても独身であったり子供がいなかったりする家もある。それが現実である。
○次世代においては旧宮家の数が3つ以下になることは、確実。
○「嫡流以外であれば!分家の皆様も皇籍に戻ればいい!」と言う皆様、竹田恒泰氏を始め、分家の皆様は現に皇籍復帰しないと明言しておられます。
○旧宮家復活論者の皆様は「4つから5つ宮家があれば側室が無くても大丈夫(3つ以下だと大丈夫じゃない)」「3つ以下の旧宮家を復活させ側室を認めない」と言っていることになる。
○要するに、男系の皇統は(旧宮家復活では)維持できないと言うことである。
○結論として、旧宮家復活論者は、意図的に皇統断絶を狙っているとしか思えない。
○左翼のスパイが戦前から保守界隈に工作をしてきたことはご存知の方も多いとは思う。例えば、近衛文麿内閣を支持した右翼も多かったが、その中にはチャッカリ共産主義者が幹部で居座っていた。今回の件にも私は同じ匂いを感じるのである。
[tapir所感]
「旧宮家復活論者は、意図的に皇統断絶を狙っている」としか思えないという意見は、最近、特に竹田恒泰氏の論について、私もそう思うようになりました。「意図的な皇統断絶」が彼の動機であるとしたら、実現不可能な「旧宮家復活」案に固執する理由が説明できます。
左翼のスパイが云々はにわかに信じがたいですが、旧宮家復活論者が、当初はそう意図していなくても、結果的に利用されてしまうことは十分考えられます。
本流派の信徒は、気付いていないようですが、皇統断絶を願う(無意識的にせよ、意識的にせよ)彼らの意図を、賢く見抜いてほしいと思います。
U、里中満智子さんの作品について
「週刊新潮」の結び付け方、記事の取り上げ方は、毎度のことですが、いい加減ですね。里中さんも意図しない形で掲載されて、気の毒です。
『女帝の手記』は読んでいませんでしたが、日野様によれば「道鏡擁護論」の初期の作品ということなので、里中さんを少し見直しました。
『天上の虹』は、全巻読みましたが、『「恋愛=性行為」と言う前提があることが気持ち悪い。』に私も同感です。『天井の虹』では、中大兄皇子と間人皇后に男女関係があったように描かれていましたが、「当時は、異母兄妹の恋愛・結婚はOKだが、同母兄妹の恋愛・結婚は厳禁だったはず」なので、決してあり得ない、兄妹愛以上のことがあるはずがない、と腹立たしかったのを覚えています。それが一番気になった個所でした。
女性の性格の描き方にも、女性らしさが気の弱さとして描かれているところが鼻につき、日野様と似た感想を持ちました。最近、『日本書紀』を読んでいますが、神功皇后、推古天皇、皇極天皇、どの御方も男性に引けを取らない男勝り、男前ぶりで、意志の弱い女性方でなかったことがよく分かります。単なる中継ぎやお飾りで天皇の御位につかれたのではなく、それぞれの方の人格、識見、決断力などが周囲から認められてのことであったとうなずけます。 『続日本紀』はまだ読んでいませんが、孝謙天皇も当然そうであったと拝察しております。
有識者会議のヒアリング資料を読みますと、実は、里中満智子さんも、綿矢りささんも、女系天皇しか選択肢のない状況、皇族の減少を考慮すると、(女性宮家も)ありうる方向性であると、述べています。
どちらも旧宮家皇籍復活案が実現可能だと思っていて、それに引きずられている感じです。
旧宮家復活案が実現不可能であると認識できれば、女系容認に反対しないでしょう。
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[綿矢りさ氏の意見]
(「問 7. 内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持することについてはどのように考えるか。その場合、配偶者や生まれてくる子を皇族とすることについてはどのように考えるか。」という質問に対して、)
「慎重な検討が必要ではあるが、皇族の減少の問題を考慮に入れると、ありうる方向性ではないかと思う。」
[里中満智子氏の意見]
『もし仮に「女系天皇しか選択肢がない」ような状況になれば、女系天皇、新しい王朝という事態も受け入れることも考えておく必要がある。』
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おそらく、今一つ自信のない一般国民も同じような意見であると思います。
旧宮家皇籍復活案が実現不可能という現実を知っていただき、最善の皇位の安定継承の方法は、女性天皇を認めることと女性宮家創設であることを、広く世間に知らせる必要があるのではないかと思いました。
日野様には色々と学ぶことの多い記事を書いていただいたことに感謝申し上げます。
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日野は「憲法九条が日本を守っている!」と言う左翼です (42522) |
- 日時:2021年07月30日 (金) 18時47分
名前:STEVE
>よく「憲法9条では国を守れない!」と言う人がいますが、私はむしろ「『日本国憲法』第9条が日本人を守っている」面は大きいと感じます。
無論、世界の多くの人は『日本国憲法』第9条の存在などは知らないでしょう。しかし「日本の軍隊は自分たちの同胞を殺していない」という事実は、親日感情に大きく貢献しているはずです。
後藤健二さんが「ダーイシュ」政府(自称「イスラム国」)に殺されたとき、日本のマスコミは「ISを許すな!」の大合唱でした。しかし、もしも日本がアメリカの侵略戦争に参加すると、何十人、何百人もの人を殺してしまうかもしれません。そうすると、殺された側は「日本を許すな!」の大合唱になるはずです。
私がインドにいた時、一番恐れていたのが、安倍首相が自衛隊をアメリカの指示で中東に派遣して、そこで自衛官が現地のムスリムを殺してしまうことです。
その瞬間、イスラム教徒の間での日本への親近感は、一気に消えます。特に現にイスラム教徒によるテロが頻発しているインドでは、文字通り命が危なくなるでしょう。<
https://snitennoukokunippon.hatenadiary.com/entry/2021/04/30/115254
まさしく左翼の妄想。藁
彼は一霊四魂の教義も良く判っていないそうです。
>生長の家の方ならば理解してくれると思いますが、天皇陛下が崩御されると、陵墓には荒魂が祀られて、高天原に奇魂が帰られて(恐らくは天照大御神様の元に帰られる?)、神社や宮中三殿では皇室の氏神(皇祖皇宗の御神霊)として和魂が祀られるわけですが、では、幸魂はいずこに、と言う話なのです。<
https://snitennoukokunippon.hatenadiary.com/entry/2021/07/25/214911
ありゃりゃ、教団では絶版にしているから判らないかぁ。藁
尊師の文章を読みましょうね〜
兎も角氏の祖先が守護神として我々を守護しているのは事実であります。生長の家では「○○家先祖代々親族縁族一切之霊」として祖先霊をまつりますから、その中に氏神も含まれていて別に霊媒を通して、氏神が何某の命という古代の神様だというやうなことを知らないでもよいといふことになってをります。
と、言う訳で、幸魂が氏神なんですよー こんなんじゃ教団青年会が解体されても当然だね
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答えに行き詰まると個人攻撃に終始するのは見苦しい (42524) |
- 日時:2021年07月30日 (金) 20時26分
名前:tapir
スレッド本来のテーマに対する質問への回答に行き詰まると、関係の無い別のテーマを持ち出して個人攻撃するのは、いつものSTEVE様の手ですね。
側室のこと以外のご返事を、未だいただいていません。
最も重要な質問のお答えをいただいていません。
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「側室無しの宮家復活案は皇統断絶をもたらすだけ。」
○側室復活、複数の皇后は、現実的に無理だと竹田氏も言っています。
この八方ふさがりから、どう抜け出しますか? 一夫一婦制で、女性天皇の即位、女性宮家の創設、女系天皇を容認する以外に、妙案がありますか?
STEVE様は、天皇の離婚を平然と口にする皇室バッシング急先鋒の八木秀次氏や、皇統断絶を狙う竹田恒泰氏を、まだ信じるつもりですか? 彼らの行動は、結果的に、皇統断絶を現実のものとする、銃の引き金を引くに等しいのに。
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女系こそが皇統断絶 (42526) |
- 日時:2021年07月30日 (金) 21時19分
名前:STEVE
女系の血統は存在しない、と言う新田先生の言葉は重い。
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男系でも皇統断絶 (42528) |
- 日時:2021年07月30日 (金) 21時48分
名前:tapir
男系でも皇統断絶
女系でも皇統断絶
つまり、どうがんばっても、「皇統断絶」
を日本人は受け入れるしかないということになりますね。
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天皇の御叡慮に全託するしかない (42529) |
- 日時:2021年07月30日 (金) 22時30分
名前:tapir
皇統断絶をまぬがれるには、
一切の人間知を超越されている天皇の御叡慮に全托するしかないということです。
天皇の御叡慮はいかに?
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神の叡智だと・・・(笑) (42537) |
- 日時:2021年07月31日 (土) 08時09分
名前:千葉教区青年会会員
皇統は絶対に断絶しないじゃん。(笑)
女系の血統は存在しないんだから(これについてtapirさんの反論は無し)、男系が守られるよう神の叡智が現れます。
現に、悠仁親王殿下が誕生されましたよね?
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反天皇、神を信じないことを白状しましたね (42541) |
- 日時:2021年07月31日 (土) 11時54分
名前:tapir
千葉教区青年会会員様
ついに、ご自身が、反天皇であるのみならず、神も信じていないことを白状しましたね(笑)
私は「天皇の御叡慮」と書いた。
千葉教区青年会会員さんは、
「天皇の御叡慮」=「神の叡智」と、頭脳内で置き換えて、
「神の叡智」をあざ笑いました。
つまり、「天皇の御叡慮」など、信じられない。
同時に「神の叡智」も信じない。
それが本流派を自称する、千葉教区青年会会員さんの本音であることを、白状しましたね。
正直でけっこう、けっこう(笑)
父方、母方、双方を尊重するのは、谷口雅春先生の「すべての人間は神の子である」のみ教えと、同一です。
谷口雅春先生のみ教えも信じない。
信じるのは、竹田恒泰だけ?
私は、今上陛下を一筋に信じます。
それが、千葉教区青年会会員様と、私の根本的な違いです。
それは、それとして、
>女系の血統は存在しないんだから(これについてtapirさんの反論は無し)<
反論しなかったのは、あまりにバカらしく思えたからですが、そういって突き放すのは、愛が足りない行いですね。千葉教区青年会会員様の言われる通り、STEVE様の御質問にきちんと答えなかったのは私が悪かったです。新田氏の論についての所感は、整理してからご返事します。少々お持ちください。
>悠仁親王殿下が誕生されました<
それをいいことに、たったお一人の青年皇族に、皇統の未来のすべてを託そうとするのは、神意に反すると思いませんか。悠仁親王殿下の御誕生の意義は、多くの日本人が、皇統継承について時間をかけて広く深い視野を持って熟慮しなさいという、神意だと思います。
>皇統は絶対に断絶しないじゃん。(笑)<
「側室無しで男系に固執すれば皇統断絶」
旧宮家系復活案では、皇統断絶は免れない。それは竹田恒泰も知っている。政府も分かっている。 (竹田氏は皇統断絶を狙っているとしか思えない)
「男系に固執すれば皇統断絶」という、明々白々な近未来の現実を男系派は認めなければならないと思います。そうでなければ、男系の血筋でなければ皇統断絶と強弁されても、「男系固執で皇統断絶」と言い返すしかありません。
天皇に甘えて、手前勝手なことばかり言って、いくらわがままを言っても皇統断絶はあり得ないと思ったら、それは大変な心得違いです。
古代中国(シナ)男系主義の影響を受ける以前の、本来の日本人は父方、母方ともに重視していました。古代中国の歴史書さえも、古代日本では女性である卑弥呼が祭祀者として、国を統治していたことを記録しています。新田均氏は、近代史には詳しいのかもしれませんが、古代史の知識は浅いのだと思います。
詳しくは、後程、書かせていただきます。
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学ぶ会は天皇絶対論を否定しているの? (42544) |
- 日時:2021年07月31日 (土) 17時54分
名前:冷静に読み比べ
新田均氏「絶対神的な天皇像というのは、加藤玄智という宗教学者が、外国人にも分かるように、キリスト教的に模して日本人の尊皇心を説明しようとしたことに由来する。それが昭和に入ってから社会に広がっていったのは、共産主義という強烈な国家否定、天皇否定のイデオロギーに対抗しなければならなくなったからだった。」
四宮正貴氏「谷口雅春先生のこの論議を敷衍すれば、谷口雅春先生は、「男系による皇位継承でなければ皇統は断絶する」とは考へてをられなかったといふことになる。それどころか、先帝の皇女が皇后となられれば、その婿が皇位についても、皇統は継承されると考へてゐたと類推することも可能である。何故なら、第二代総裁であられた谷口清超先生は婿養子であるからである。しかし、雅春先生はそこまでは考へてをられなかったと信ずる。」
日野智貴氏「新田均氏の文章を元に「天皇も血統を変えることはできない」みたいな、的を射ないことを書いておられた方もいたが、天皇絶対の真理――これは、単に谷口雅春先生の宗教的直観であるのみならず、歴史学的事実でもあったことが証明されつつある――を深められれば、そのようなことは言われなくなると思う。」
学ぶ会のイデオローグ二人と日野氏のどちらが雅春先生の御教えに適っているか、ですね。 https://snitennoukokunippon.hatenadiary.com/entry/2021/07/30/150534
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女系の血統は存在しないという新田氏の見解についての私見 (42559) |
- 日時:2021年08月01日 (日) 19時38分
名前:tapir
>女系の血統は存在しない、と言う新田先生の言葉は重い。(STEVE様)<
>2.母系(女系)という観念は存在しない それでは、「皇統に属する男系」とは、そもそも何なのでしょうか。結論を予め申し上げれば、「血筋・血統」についての日本の本来の考え方に則れば、本人が男性であるか女性であるかに関係なく、「血筋・血統」とは、自分の父親、その父親、そのまた父親と先祖を遡っていく父系、ちち系、のことです。(新田均氏)<
>「血筋・血統」についての日本の本来の考え方に則れば、<
と新田氏は述べますが、同氏の根拠とするのは、あくまで明治の旧皇室典範です。
旧皇室典範が作成された1889年(明治22年)から132年経ちました。132年というと長いように感じますが、皇紀2682年(神武天皇即位を紀元)の日本の歴史の中では、ほんの最近のことです。それなのにそれ以前の2550年が、ずっと男系主義だったように主張するのは、事実と異なります。悪く言えば世間にデマを流布していることになります。
男系主義だったのでなければ、旧皇室典範制定まではどうだったのかと疑問が起こるでしょう。男系も女系と区別せず、「親から子に継承する」ことだけが意識されていたと思います。
日本歴史における男系主義の概括(私見)
以下は私的解釈ですが、多くの日本人はきっと納得が行くと思います。おおざっぱなところがあると思いますが、その点はご容赦ください。ご意見、誤字の訂正、歓迎します。
江戸時代の武家社会や、薩摩出身者が多数を占めていた明治政府の重臣たちは、男系主義を至上のものとしていたかも知れません。しかし宮中には、そういった武家の世界とは、別の考え方がありました。
例えば江戸幕府が宮中に押し付けた「禁中並公家諸法度」で「女性の家督相続」を固く禁じていたのに、2代の女性天皇を即位させたのが、江戸時代の宮中でした。天皇は、幕府の押し付けた「諸法度」を超えていらっしゃることを、行動で示されたのです。
神武天皇以来、男系継承がずっと続いて来たではないかと男系派は言います。確かに父方をたどると神武天皇に行きつきます。しかし、それはそうなる条件が整っていたからであって、条件が変化して、皇統断絶するのが目前に迫った時にも変えられないほどの、皇統の本質にかかわるという重大な伝統ではないと思います。
今、多くの人は男系が途絶えることに危惧を抱いています。しかし、明治になって、武士が断髪して刀をささなくなり、皇室も和装から洋装に変り、牛肉食をはじめられ、一夫一婦制を採用し、民間人が皇室に入られ、天皇のお子様をお手元で育てられるようになったなど、それぞれの変化の時に、多くの人々が危機感を持ち、時には激しく抵抗しましたが、今となっては、どれも当たり前のことになりました。そういうことと、本質的に変わりがないと思っています。
その理由を、日本のこれまで歩んできた歴史を概括することで、解いてみたいと思います。
日本の、古代からの中国との関係性に、男系継承が近年まで、途絶えなかった主な理由があると、私は思います。
日本は、歴史始まって以来、明治になるまで、5000年の歴史を誇る古代中国を、身近な先進国として、到達目標にしてきました。
(中国と言う呼称について、政権が色々変わっているので諸説あると思いますが。便宜上、古代から中国大陸に展開して来た国を「中国」と呼ばせていただきます。)
先進国であり、ライバルだったとも言えますが、日本歴史の黎明期(飛鳥・奈良時代以前)において、儒教、仏教、漢字、酒造、養蚕、工芸など多くの文化や産業が、中国から日本に伝播しました。中国なくして、今の日本文化は成り立ちません。文字でさえ、中国の漢字が基礎になっています。中国さん漢字をありがとう、と感謝しなければなりませんね。
中国に初めて外交使節を送った時、日本人使節の礼儀や習慣が中国人に理解できず、日本は野蛮国であると相手にされなかったという話があるそうです。明治の日本が西欧を前にした時のことを思えば想像がつきます。アメリカ人などは、日本人を猿に例えたりして、人間扱いしてもらえませんでしたね。
そのような古代中国と対等に外交を行うには、日本人が中国の習慣や制度をよく理解していることを知ってもらわなければなりませんでした。日本人は必死で漢文を学び、古代中国の慣習を学びました。日本書記も中国人に理解できるように漢文で書き、内容も中国に受け入れられやすい書き方を選びました。
唐の都に習った平城京の建設、律令制度の充実など、先進国である中国に何でも見習った国づくりが必須でした。男系主義を文明とする中国と肩を並べるために、男系継承も、側室制度を置くことで、保ち続ける必然性がありましたし、時代が下るに連れて男子の天皇の継承が多くなりました。
ところが、江戸末期になって、手本としていた中国が西洋諸国に蹂躙されていることを知り、日本は国として生き残るために、見習うべき先進国は、既に中国ではなく、西洋諸国であることに気が付きました。かくして明治維新以降、日本は目標とする先進国を、西洋諸国に全面的に切り替えたのです。脱亜入欧ですね。
帝国憲法も、旧皇室典範も、そのひな形は西洋諸国の法律でした。
旧皇室典範制定の経緯について、以前、国史大辞典から引用しましたが、伊藤博文が西洋諸国を見聞したことが大きな推進力になり、西洋人の相談役も招かれました。
旧皇室典範は、西洋の王室の家法に見習って、日本の皇室も家法を設けようということで、律令の見直しという、大改革がなされ、作成されたのです。
皇室典範のひな形は、キリスト教国である西洋諸国に軽蔑されずに外交関係を円滑にするために、「一夫多妻制」を、「一夫一婦制」に切り替えなければならないということも、日本の歴史始まって以来の大変革だったと思います。「王様と私」というミュージカルがありますが、西洋人が、東洋の王様が複数の妻を持つ習慣を野蛮であると見たことが、よく表れされていると思います。非文明国と思われることは日本人として耐え難いことでした。
明治天皇も側近の公卿方もそのことを真剣に考えたはずです。しかし明治天皇には既に複数の奥様がいらしたうえ、皇位継承者たる唯一の男子(後の大正天皇)は庶子であられました。それで、一夫一婦制の導入は、大正天皇の御代からと、先送りされたのではないかと拝察いたします。一夫一婦制を目に見える形で採用されたのは昭和天皇でしたが、大正天皇もお后を貞明皇后お一人しか迎えられなかったのは、明治天皇の意を汲まれたからではないでしょうか。
このような流れを見れば、天皇と側近の公卿が皇室典範の原案に、「女系、女統も容認」と書かれたのは、きわめて自然なことだったと思います。一夫一婦制を徹底すれば、そういうケースを想定せざるを得ないことは、当事者であられる明治天皇と、それをお近くで見て来た側近の公卿方にとっては、自明のことだったはずです。
なお、この時代には天皇の男系の血筋をひく皇別摂家との婚姻が当たり前の時代でしたから、女系、女統といっても、婿となる方が男系の血筋を引いた方とするという条文案もあり、男系の血筋が続くことが考慮されていました。(これを書かないと男系派にフェアでないので、敢えて書きます)
しかし、女系、女統容認の案が、井上毅らの強固な反対により、「庶子の皇位継承を認める(一夫多妻制を維持する)」、「皇位継承は男系男子に限る」という、明治天皇のご希望に真っ向から反対する案が通ってしまったのは、以前に詳述した通りです。
話を元に戻します。新田均氏が、『「血筋・血統」についての日本の本来の考え方に則れば』の根拠とする旧皇室典範の正体は、日本でも男尊女卑の気風が強い薩摩出身の重鎮の希望を、当時の多くの日本人の複数の妻を持つことをよしとする慣習が後押ししたものであって、日本の本来の考え方でも何でもありません。「日本本来の考え方」は、単なる後付けの理屈です。
後付けでないというなら、歴代天皇のお言葉の中に「日本は男系主義の国である」との記述があるはずです。それを示してください。天皇以外の皇族の言葉、公家の言葉、武家の言葉ではダメです。天皇ご自身のお言葉でなければなりません。
日本が西洋諸国に伍していくためには、今後、一夫一婦制を変えることはできません。一夫一婦制のもとで男系男子の継承が行き詰まることにいち早く気付いた西洋諸国に見習って、日本が女性による継承を認めるのは、「親子の継承」に基礎をおけば、極めて自然なことです。
>皇室典範が依拠している「氏」の世襲観<
新田氏は、皇室典範に「氏」の世襲観があると言いますが、それはどの条文ですか? それは新田氏及び男系派の恣意的な解釈ではないのですか。
天皇に「氏」はありません。天皇は、臣下に「氏」や「姓」を与えるお立場の日本で唯一の方ですから、「氏」は無いのです。これは非常に重要なことなので、私の考えを整理する意味でも、別途、スレッドを立てたいと思っています。
歴史上、天皇に「氏」をつけたのは、実は古代中国の皇帝です。日本人ではありません。「倭の奴王」と中国の歴史書(後漢書)に書かれていますね。古代中国は、やまとの王、と署名された日本国の天皇からの書面を見て、日本の天皇の氏が「やまと」であると誤解して「倭」の字を当てたそうです。ここにも新田均氏の古代中国崇拝・大好き思想が表れていますね(笑)。
>1つは、皇室典範が寄って立っている考え方で、「父系(男系)」のみを血のつながり(血筋・血統・世襲)だとするものです。もう一つは、一般国民が寄って立っている考え方で、父母から生まれた実子が継ぐのであれば、男が継いでも女が継いでも、血はつながっている、それでも家は続いているという考え方です。次に詳しく説明しますが、前者は「氏」という観念に則っており、後者は「家」という観念に則っています。<
天皇に「氏」はありません。家制度の意味する「家」もありません。(ご家庭はありますが、それは家制度の「家」とは別物です)。「天皇家」というのは誤りということを、私も最近、知りました。
天皇家といってしまうと、安倍家、枝野家などと並立することになってしまうので、その意味で、「家」制度における天皇家というものはないとの主張を読み、非常に納得するものがありました。これもいずれ、別途、詳述したいと思っています。
天皇の御存在は、新田氏の言われる「皇室典範がよって立つ考え方」を超越されています。
修正されるべきは、皇室典範がよって立つ考え方『「父系(男系)」のみを血のつながり(血筋・血統・世襲)だとするものです』の方であって、その考え方に、天皇が、何が何でも未来永劫拘束されなければならないとなれば、それは本末顛倒というものです。日本国憲法に非武装が規定されているから、憲法は改正せずに、その条文に従わなければならないということと同じように不合理です。不都合なものは、時代に合わせて改正しなければなりません。
>1.「女性差別」いう錯覚<
男系継承は男尊女卑ではない、女尊男卑の男性差別なのだと、男系派は言いますが、ある小学生がこれに対して、すばらしい答えを出しています。
「男性差別もダメじゃん!」
男性差別もダメです(笑) 男尊女卑がダメなら、女尊男卑もダメです。
男女公平でなければなりません。当たり前の話ですね。
STEVE様のご質問への答えになったでしょうか?
何かと、言葉足らずのところがあると思います。ご質問を歓迎します。
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八木秀次氏は、日本書紀を読んでいないのか、それとも意図的にウソをついているのか (42560) |
- 日時:2021年08月01日 (日) 19時53分
名前:tapir
「RE:(42483) 皇統が双系でなかったというのは、八木氏のデマです (42507)」 のスレッドで、私が書いた補足説明の資料が見つかりました。
++++++++++++
>八木氏の以下の理屈も変です。論理が破綻しています。(tapir)<
+++++++
>>すなわち、第35代皇極天皇の前夫、高向王との間の皇子、漢皇子のことでありまして、後に母宮が高向王の没後、舒明天皇の皇后になり、舒明天皇崩御後、皇極天皇として即位したので、そのお子さんであります漢皇子は女帝の子、すなわち皇極天皇の子どもではありますけれども、もともと男系の男子でありますので親王ということになります。したがって、この規定は双系主義の根拠になり得ません。(八木氏)<<
+++++++++++++++++
>「漢皇子」が「高向王」の御子であるというだけだったら、天皇の男系の子孫でも、当然のこととして、「漢王」と呼ばれたはずであることは、普通の読解力と、当時の皇族の呼称の基礎知識があれば、子供でも分かります。「王」の子は、「王」です。「親王」「内親王」は、天皇のお子様のみの呼称です。(tapir)<
上記の見解を裏付けする記述が『日本書紀 下』にありました。岩波書店版の注釈ですが、信ずるに足る資料だと思います。八木氏は、これを読んでいないのでしょうか。
+++++++++++++
日本書記 卷第二十六
[一]天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと) 斉明天皇(さいめいてんわう)
天豊財重日足姫天皇は、初に[二]橘豊日天皇(たちばなのとよひのすめらみこと)の孫(みまご)高向王(たかむくのおおきみ)に滴(みあひ)して、[四]漢皇子(あやのみこ)を生(あ)れませり。後に[五]息長足日廣額天皇(おきながたらしひひろぬかのすめらみこと)に滴(みあひ)して、二(ひとはしら)の男(ひこみこ)・一(ひとはしら)の女(ひめみこ)を生(あ)れます。
[欄外注釈] 一 はじめ皇極天皇、のち斉明天皇。(以下略) 二 用明天皇 三 未詳 紹運録が用明天皇の子とするのは誤り。 四 未詳 夭折か。王の子であるのに皇子と記すのは母が天皇になったためである。 五 舒明天皇 (p326)
(『日本書紀 下 日本古典文学大系68』岩波書店)
++++++++++++++++++
斉明天皇は、舒明天皇のお后になる前に、高向王と結婚(みあひ)されて、漢皇子を産んでいらっしゃいました。
「漢皇子」を説明する注釈四に、「王の子であるのに皇子と記すのは母が天皇になったためである」と明記されています。
男系の男子だから、母(斉明天皇)の身分にかかわりなく「親王」であるなど、トンデモ説を書かないでほしいです。知っていて、意図的にウソをついたのなら、いっそう悪質です。 人をだますのもいい加減にしてほしいです。
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新田均氏の「天皇不信仰」につき合うのは、正直な所、疲れます (42561) |
- 日時:2021年08月01日 (日) 20時29分
名前:tapir
冷静に読み比べ 様
新田均氏は、天皇を信じていませんね。
彼はどちらかと言えば、古代中国の易姓革命に近い考え方で、日本の天皇のことを見ています。
易姓革命がなぜ起こるかと言うと、天子の徳が失われた時、人民が天に変って、天子を追放(放伐)したり、譲位を迫ったりできる(禅譲)という思想があるからです。
それは日本人の天皇観とはまったく異質のものです。日本人は天皇が天皇であられることに価値を見るので、天皇がご病弱でもご幼少でも、天皇であられることを仰ぎ奉り、他の国民が天皇に取って代わることなど、夢にも考えません。
新田均氏はじめ、男系派の多くの論客は、天皇が左翼に取り込まれたとの妄想に駆られて、天皇を廃位したい、皇統を断絶したいと願っているように見えます。その急先鋒が竹田恒泰氏ですが、新田均氏も大同小異です。
>旧宮家復活論者は、意図的に皇統断絶を狙っているとしか思えない。
左翼のスパイが戦前から保守界隈に工作をしてきたことはご存知の方も多いとは思う。例えば、近衛文麿内閣を支持した右翼も多かったが、その中にはチャッカリ共産主義者が幹部で居座っていた。
今回の件にも私は同じ匂いを感じるのである。<
との日野氏の見解は、実は的を射ているのではないかという気がしてきました。
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(42562) |
- 日時:2021年08月01日 (日) 20時39分
名前:こんなのもあります
歴史を直視すれば、皇統は直系男子優先で継承されている。 男子優先であって、男子限定ではない。
江戸時代にわかりやすい事例がある。 当時の公家たちが、万世一系をどのように認識していたのかよく分かる。 江戸時代、田沼意次が老中だった頃、第118代後桃園天皇がお隠れになった。 後継ぎは欣子内親王だけ。 公家たちは過去の事例、継体天皇、安閑天皇、宣化天皇を参考に、次期天皇を求めた。 欣子内親王の夫にふさわしい人物ということで、結婚し、妻子のある皇族は除外された。 最終的には2人。第113代東山天皇のひ孫と、北朝第3代崇光天皇の子孫(伏見宮、世襲親王家)に絞られた。 後桜町上皇は伏見宮家からの養子を望んだが、関白は後桃園天皇に近い一族ということで、東山天皇のひ孫(閑院宮典仁親王六男、後の光格天皇)を選んだ。 傍系の光格天皇は後桃園天皇の養子になり、欣子内親王を皇后とした。 典型的な末期養子であり、女性宮家のわかりやすい前例でもある。
光格天皇の子・仁考天皇は、欣子内親王の実子と公表されているが、実母は藤原氏の娘。 権中納言典侍・三位局 藤原(勧修寺) 婧子(ただ子) 後桃園天皇ー欣子内親王ー仁孝天皇という直系のつながりを重視し、万世一系は途絶えていないという建前を維持したものと思われる。 現在は情報公開されていて、実母の存在も知られているが、江戸時代は直系で継承されていると思われていた。 このようなことがあるので、朝廷の公式発表はかならずしも事実とは限らない。 古事記や日本書紀を読むときも、すべてが事実と思ってはいけない。
この事例からは、万世一系が直系継承であり、当時の貴族は「直系の血が断絶することを忌み嫌った。あるいは恐れた」と理解できる。
余談ながら、明治18〜19年頃に作られた皇室制規では、女性・女系による皇位継承もできるとされた。 明治天皇や公家の三条実美らの考えと思われる。 明治天皇は女系継承容認、永世皇族制反対、譲位希望だったのだが、伊藤博文と井上毅の政治的妥協で、すべて実現しなかった。 妥協の結果で作られたのが、旧皇室典範。 明治天皇はかなりご不満だったようだ。しばしば伊藤博文に嫌味を言ったと、記録に残っている。
https://open.mixi.jp/user/7741892/diary/1971965119 より
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ありがとうございます。元気が出ました (42563) |
- 日時:2021年08月01日 (日) 21時21分
名前:tapir
こんなのもあります 様
以前、長崎の晩霞様がご紹介くださったブログですね。
共感を持って読みました。
>歴史を直視すれば、皇統は直系男子優先で継承されている。 男子優先であって、男子限定ではない。<
「男子限定ではなく、男子優先」だったのですね。それは「男子限定」でないと「皇統断絶」という現在の男系派が説く過激論とは一線を画します。当時の自然なあり方だったと思います。
>この事例からは、万世一系が直系継承であり、当時の貴族は「直系の血が断絶することを忌み嫌った。あるいは恐れた」と理解できる。<
江戸時代、光格天皇の御時も、「直系継承」が重視され、その形を保つ努力がなされていたのですね。「直系継承」の重視について、学びを深めたいと思っています。
>古事記や日本書紀を読むときも、すべてが事実と思ってはいけない。<
その通りで、武烈天皇、雄略天皇のことも、実はそれほど暴君ではなかったと言われていますね。道鏡のことも、「続日本紀」ですが、実像がずいぶんゆがめられているようです。
>余談ながら、明治18〜19年頃に作られた皇室制規では、女性・女系による皇位継承もできるとされた。 明治天皇や公家の三条実美らの考えと思われる。<
明治の典範に、いくつか案があったことも、長崎の晩霞様から教えていただき、感謝しています。
天皇が独断専行ではなく、臣下の意見に耳を傾けて、御自分の意思を押し通そうとしないことも学びました。
>明治天皇はかなりご不満だったようだ。しばしば伊藤博文に嫌味を言ったと、記録に残っている。<
とても人間らしくて、ある意味、ホッとするような気がします。とはいえ明治天皇におかれましては、いつまでもお気がかりでいらしたことと拝察され、お気の毒に思われます。
>明治天皇は女系継承容認、永世皇族制反対、譲位希望だったのだが、伊藤博文と井上毅の政治的妥協で、すべて実現しなかった。<
「永世皇族制反対」は、GHQが実行してくれたことになるのでしょうか。
「譲位希望」は、上皇陛下の御代に実現しました。後は、皇室典範を改正して本文に記載するべき、ですね。
令和の御代に、「女系継承容認」を実現すれば、明治陛下の願いがすべてかなえられます。
最後の懸案、女系継承容認が実現すれば、天界にいらっしゃる明治陛下も「長いことかかったね」と微笑まれ、およろこびになられることでしょう。
ぜひそうなってほしいです!
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四宮さん雅春先生に学びましょう!(笑) (42565) |
- 日時:2021年08月01日 (日) 23時08分
名前:ツッコミ
〉谷口雅春先生のこの論議を敷衍すれば、谷口雅春先生は、「男系による皇位継承でなければ皇統は断絶する」とは考へてをられなかったといふことになる〈
四宮さん、そのとおりです!(笑)雅春先生に学ぶと女系容認です!
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四宮正貴氏の論 (42571) |
- 日時:2021年08月02日 (月) 09時44分
名前:tapir
ツッコミ様 ありがとうございます。
その通りですね。
則天去私様のブログに転載された、四宮正貴氏の講演記録を拝見しました。
「四宮正貴 講演会 〜昭和天皇と大東亜戦争〜 日本の心を学ぶ会 平成30年8月26日」から、則天去私様が転載された文です。
私は四宮氏の文章を多く読んだわけではありませんが、以下の部分に注目しました。
+++++++++++++++++++
皇位継承・天皇の御即位とは、先帝が高天原に上りたまひ、新たなる天皇の御神靈が日継の御子に天降るといふことである。女性天皇は「天津日嗣の高御座」を継承された現御神であらせられるのであり、断じていはゆる「中継ぎの天皇」ではあらせられない。西洋法思想や外國の君主制度そして西洋の生物學や外来の男尊女卑思想などによって、この道統を隠蔽するやうなことは絶対あってはならない。
(「訃報に接し慟哭す」 則天去私様ブログ 2021年04月29日21:13) http://tecnopla1011.blog.jp/archives/84578012.html
+++++++++++++++++
>女性天皇は「天津日嗣の高御座」を継承された現御神であらせられるのであり、断じていはゆる「中継ぎの天皇」ではあらせられない。(中略)外来の男尊女卑思想などによって、この道統を隠蔽するやうなことは絶対あってはならない。<
四宮氏は、上記に続く段落で、以下の様に述べておられます。
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終戦後六十年以上を経過して、愈々益々終戦直後の、戦勝國によるわが國の傳統破壊・弱體化政策を原因とする様々な問題が噴出してきてゐる。しかもそれは、わが國存立の根幹をも揺るがしかねない事態となってゐる。『皇室典範』が『憲法』の下位法となり、「皇位継承」といふ神聖なる日本國體の根幹に関はる重大事を、権力機構が多数決で決定できる事になってゐる事が大問題である。これは「俗」が「聖」を、「政體」が「國體」を、「権力國家」が「祭祀國家」を規定し規制することとなり、國體破壊につながる。皇室の重大事は、國體の本義・道統に基づいて決定せられるべきである。そして道統の継承者は上御一人・日本天皇であらせられる。『大日本帝國憲法』下においては、天皇御自ら主宰される皇族會議があった。枢密院といふ天皇の最高諮問機関があった。また、常時、天皇を輔弼し奉る内大臣がゐた。宮中顧問官などもゐた。宮内省があった。このやうに、天皇及び皇室を輔弼しお守りする體制が整へられたゐた。戦後は、占領軍の弱體化政策により、悉く廃された。宮内省は宮内庁に格下げとなった。かうしたことが、天皇を君主と仰ぐ國體を隠蔽する大きな原因の一つである。一刻も早く是正されなければならない。
(同上ブログ) ++++++++++++++++++++++
上記引用の、
>皇室の重大事は、國體の本義・道統に基づいて決定せられるべきである。そして道統の継承者は上御一人・日本天皇であらせられる。<
と、先に引用した、
>女性天皇は「天津日嗣の高御座」を継承された現御神であらせられるのであり、断じていはゆる「中継ぎの天皇」ではあらせられない。<
と併せて敷衍すれば、上御一人・日本天皇たる今上天皇が女系容認であらせられることは明白なのですから、四宮氏も「女系容認」せざるを得なかったと思うのですが…。
あと一歩だったのかも知れませんね。
そして「外来の男尊女卑思想」に「古代シナの男尊女卑思想」が含まれることに気付いておられたかどうか?
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雅春先生が女系容認? (42572) |
- 日時:2021年08月02日 (月) 10時00分
名前:千葉教区青年会会員
故・四宮正貴先生が引用した尊師の文章は、あくまでも創価学会への批判を目的としたものである、ということに注意すべきです。
そもそも、本当に教団の世襲が尊師の真意であったかは、疑問です。
前原先生も言われていますが、世襲による「お孫様信仰」が今の教団の衰退の根本原因ではないでしょうか?そうだとすると、これを皇室に応用するのは、誠に不敬極まりない話となるでしょう。
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(42574) |
- 日時:2021年08月02日 (月) 20時10分
名前:元青年会
千葉さん
>そもそも、本当に教団の世襲が尊師の真意であったかは、疑問です。
谷口雅春先生は、昇天される前から講話などで副総裁だった清超先生を自分の後継者であるとおっしゃっていました。
それは生長の家の信徒であれば、誰もが知っているはずです。
ただ、清超先生からは雅宣総裁が後継者であるとは聞いたことがありませんが。
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もしも雅春先生の真意が世襲であれば・・・ (42583) |
- 日時:2021年08月03日 (火) 00時37分
名前:千葉教区青年会会員
>ただ、清超先生からは雅宣総裁が後継者であるとは聞いたことがありませんが。<
もしも、雅春先生の真意が世襲であるならば、雅宣総裁か貴康先生かは判りませんが、清超先生もご自身のお子様を後継者であると明言されていたことでしょう。
しかし、清超先生はそれをなされなかった。世襲をするとは、言われなかったのです。
それはどういうことか。清超先生は世襲で後継者を決めることをよしとされなかった、そう言うことであります。
事実、雅宣総裁が総裁代行になる直前の平成八年の規約改正で、谷口清超先生は「創始者の家系に属する者」だけでなく「その他『生長の家』の信仰厚き者」も総裁候補となれるよう、規約を改正していたのです。
もしかしたら、清超先生の中では、有能な教化部長を次の総裁にしようという意図が有ったのかもしれませんね・・・。
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RE: (42562) ← 出典が分かれば教えてください (42592) |
- 日時:2021年08月03日 (火) 11時40分
名前:tapir
こんなのもあります 様
または、長崎の晩霞 様
>余談ながら、明治18〜19年頃に作られた皇室制規では、女性・女系による皇位継承もできるとされた。 明治天皇や公家の三条実美らの考えと思われる。 明治天皇は女系継承容認、永世皇族制反対、譲位希望だったのだが、伊藤博文と井上毅の政治的妥協で、すべて実現しなかった。 妥協の結果で作られたのが、旧皇室典範。 明治天皇はかなりご不満だったようだ。しばしば伊藤博文に嫌味を言ったと、記録に残っている。<
との一文を教えていただき有難うございました。
>明治天皇はかなりご不満だったようだ。しばしば伊藤博文に嫌味を言ったと、記録に残っている。<
の部分ですが、もしも出典が分かれば教えていただけますか。
貼っていただいたリンク先の末尾の資料でネット検索できるものは一読しましたが、この内容は、見つけることが出来ませんでした。 https://open.mixi.jp/user/7741892/diary/1971965119
この書籍の何ページと教えていただければ幸いです。 ネット上で探せるなら、もっと有り難いです。
こういう大切な情報は、世間に広く知らせてほしいですね。
合掌
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尊師の真意 (55511) |
- 日時:2023年01月20日 (金) 21時02分
名前:神聖なる宇治
>事実、雅宣総裁が総裁代行になる直前の平成八年の規約改正で、谷口清超先生は「創始者の家系に属する者」だけでなく「その他『生長の家』の信仰厚き者」も総裁候補となれるよう、規約を改正していたのです。
もしかしたら、清超先生の中では、有能な教化部長を次の総裁にしようという意図が有ったのかもしれませんね・・・。 <
大切なポイントですね。
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虚説は排除させていただきます (55512) |
- 日時:2023年01月20日 (金) 23時11分
名前:事情通
>もしも、雅春先生の真意が世襲であるならば、雅宣総裁か貴康先生かは判りませんが、清超先生もご自身のお子様を後継者であると明言されていたことでしょう。 しかし、清超先生はそれをなされなかった。世襲をするとは、言われなかったのです。
それはどういうことか。清超先生は世襲で後継者を決めることをよしとされなかった、そう言うことであります。 ****************************************
総裁は世襲にすることを決められたのは谷口雅春先生です。 そして、それが教槻に明確に記されて長く登録されていました。 従って、その教槻が基本です。 そのことを熟知されている清超先生が
それの改正を行ったのは次の二点によるもの
@宗教法人法の改正により、教団の民主化が求められている事に配慮して、世襲以外にも間口の広がりを持たせるため
A海外の法人化時に、世襲を理解できない国にも配慮するため
清超先生は世襲で後継者を決めることをよしとされなかった、という事は、当時の改正時の事情を知らない部外者の妄想です。
従って、特定の教化部長を総裁にしたかったという事も妄想です。
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追伸 (55513) |
- 日時:2023年01月20日 (金) 23時19分
名前:事情通
もしも、諸君たちに
世襲ではなく教化部長のある人を清超先生は総裁にしたかったと言っている先輩が元教化部長ならば
そのひとこそ、令和の道教です。
教団についてつべこべ言わずに、日本会議でご活躍ください。
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部外者でないお方? (55514) |
- 日時:2023年01月21日 (土) 00時01分
名前:日本会議は雅春先生が生長の家の一つや二つ潰れてもいいとまで仰せられて立ち上げられた日本を守る会の後身
事情通さまは部外者ではない部内者のお方?
詮索は趣味ではありませんが筆禍となりませんことを
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(55520) |
- 日時:2023年01月21日 (土) 10時15分
名前:うーん。
〇もしも雅春先生の真意が世襲であれば・・・
日時:2021年08月03日 (火) 00時37分 名前:千葉教区青年会会員
>ただ、清超先生からは雅宣総裁が後継者であるとは聞いたことがありませんが。<
もしも、雅春先生の真意が世襲であるならば、雅宣総裁か貴康先生かは判りませんが、清超先生もご自身のお子様を後継者であると明言されていたことでしょう。
しかし、清超先生はそれをなされなかった。世襲をするとは、言われなかったのです。
それはどういうことか。清超先生は世襲で後継者を決めることをよしとされなかった、そう言うことであります。
事実、雅宣総裁が総裁代行になる直前の平成八年の規約改正で、谷口清超先生は「創始者の家系に属する者」だけでなく「その他『生長の家』の信仰厚き者」も総裁候補となれるよう、規約を改正していたのです。
もしかしたら、清超先生の中では、有能な教化部長を次の総裁にしようという意図が有ったのかもしれませんね・・・。
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>それはどういうことか。清超先生は世襲で後継者を決めることをよしとされなかった、そう言うことであります。
>もしかしたら、清超先生の中では、有能な教化部長を次の総裁にしようという意図が有ったのかもしれませんね・・・。
事実を知らずに、 または希望的自我観点でものを言うお方に、
事情に通じているお方がそれは違いますよと嗜める、 のが「筆禍となりませんことを」となるでしょうか、普通。
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なりますとも (55522) |
- 日時:2023年01月21日 (土) 11時20分
名前:日本会議は雅春先生が生長の家の一つや二つ潰れてもいいとまで仰せられて立ち上げられた日本を守る会の後身
よほどその人にしかわからないお立場の方が窘めることはあるかもしれませんが。
※「嗜める」は好む、嗜好品、つつしみ、などの意味ですよー 「窘める」と仰るのでしょう?ここでは
「窘める」というのは、穏やかに注意をするという意味です。 上の事情通さまのご発言にはそれを逸脱した傲慢なお言葉がありましたのでつつしんでお窘め申し上げたのです。以下の御名言です。 事情に通じた方の品位をお保ちくださるようにお祈り申し上げる次第です。
>そのひとこそ、令和の道教です。
教団についてつべこべ言わずに、日本会議でご活躍ください。
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「世襲以外にも間口の広がりを持たせるため」の改正を行った (55523) |
- 日時:2023年01月21日 (土) 11時55分
名前:神聖なる宇治
>それの改正を行ったのは次の二点によるもの
@宗教法人法の改正により、教団の民主化が求められている事に配慮して、世襲以外にも間口の広がりを持たせるため
A海外の法人化時に、世襲を理解できない国にも配慮するため
清超先生は世襲で後継者を決めることをよしとされなかった、という事は、当時の改正時の事情を知らない部外者の妄想です。<
清超先生は「世襲以外にも間口の広がりを持たせるため」の改正を行ったということです。
しかも、副総裁に法灯を継承されなかったと、阪田先生も言われている。
この二つを合わせると、真相は明白な気がしますね。
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(55524) |
- 日時:2023年01月21日 (土) 12時48分
名前:閲覧中
@宗教法人法の改正により、教団の民主化が求められている事に配慮して、世襲以外にも間口の広がりを持たせるため
A海外の法人化時に、世襲を理解できない国にも配慮するため
清超先生は世襲で後継者を決めることをよしとされなかった、という事は、当時の改正時の事情を知らない部外者の妄想です。
従って、特定の教化部長を総裁にしたかったという事も妄想です。<
これが本当の本当のようですよ千葉宇治サン。
<日本会議は雅春先生が生長の家の一つや二つ潰れてもいいとまで仰せられて立ち上げられた日本を守る会の後身>サン。
「日本を守る会」からは雅春尊師御存命中に雅春尊師の御意思で、〖離脱〗されていると知っているだろうに....。
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ハッキリと「世襲以外」と事情通さんが明記(笑) (55527) |
- 日時:2023年01月21日 (土) 14時56分
名前:神聖なる宇治
>宗教法人法の改正により、教団の民主化が求められている事に配慮して、世襲以外にも間口の広がりを持たせるため<
閲覧中さん自身が引用している中に、ハッキリと「世襲以外にも間口の広がりを持たせるため」と書いてあります。
繰り返しますが、そのことと阪田先生が述べられていた副総裁に法灯の継承は無かったという事実とを照合すると、真相は明白ですね。
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