生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

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生長の家に関連する話題なら、広く受け付けます。
どの立場の人の投稿も歓迎しますが、谷口雅春先生の説かれた教えを支持、共鳴する人のためにサイトです。
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目的外の投稿の判断は、最終的には、管理人である「トキ」の判断になります。
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旧・生長の家「本流復活」について考える(したらば版)

生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)

生長の家「本流復活」について考える(せっかく版)

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これからの生長の家を考える (57221)
日時:2023年03月23日 (木) 21時34分
名前:梶猛弩

 “したらば版”という掲示板に
「これからの生長の家をどうするか、を考える板」
というのがありました。

 ただ、“したらば版”とか“せっかく版”とか“続したらば版”とか言っても、どう使い分けているのかわからないし、
この“続したらば版”以外のトキ掲示板を、閲覧オンリーの方は見ていないと思います。

 一方、“続したらば版=トキ掲示板”は、週間ページビューが、9,645件(2023-3-23集計分)あるそうで、もちろんこの9,600件以上のページビューは一人の方の重複閲覧も入っての数字だと思いますが、それでも、かなりの方が“続したらば版=トキ掲示板”を訪問されているのは間違いないと思います。

 “これからの生長の家を考える”は、私にとって、とても大事なテーマなので、こちらの板に移し替えてみることにしました。
 私の勝手な想いで、申し訳ございませんが、ご容赦ください。

<以下引用>
>▲3▼ これからの生長の家をどうするか、を考える板 (Res:5)
>1:トキ:2022/07/30(土) 09:18:00 ID:/Ak8PzEM
>宗教法人 生長の家は、いよいよ衰退が決定的になりました。

>この危機に、信徒はどうするべきかを、じっくりと腰を据えて議論をしたいと思います。

>真面目な投稿を期待します。

 (57224)
日時:2023年03月23日 (木) 21時44分
名前:tapir

これからの生長の家をどうするかについて、夢を語ります

>宗教法人 生長の家は、いよいよ衰退が決定的になりました。

この危機に、信徒はどうするべきかを、じっくりと腰を据えて議論をしたいと思います。<

生長の家では、困難を乗り越える名言を教えられています。

夜明け前が一番暗い、難あり有り難し、無駄なものは一つもない…。

衰退には理由があります。

宗教法人「生長の家」衰退の最大理由は、根本経典である『生命の實相』と『四部聖経』の販売が停止したことであり、財団法人「生長の家社会事業団」との不和対立が原因であると考えます。

「天地一切のものとの和解が成立するとき、天地一切のものは汝の味方である。」

岡正章先生は、ご自身のブログ「みすまるの珠」で、夢を語っておられます。


+++++

“私の夢は、生長の家と「谷口雅春先生を学ぶ会」、社会事業団などが一体化し協力し合って世界の光明化に勇往邁進することです。

 2030年、令和12年には生長の家立教100年を迎えます。この時には、『生長の家百年史』が、一体化した生長の家で作られることを目指したい。“

(「610 戦争で得をする人はいない」近況心境 岡正章「みすまるの珠」)
http://misumaru.o.oo7.jp/index.html

++++++

“生長の家と「谷口雅春先生を学ぶ会」、社会事業団などが一体化し協力し合って世界の光明化に勇往邁進する”という、岡先生の夢に、心から賛同いたします。同じ夢を描きたいと思います。

“2030年、生長の家立教100年に、『生長の家百年史』が、一体化した生長の家で作られる”との夢にも、心が躍ります。

生長の家の歴史を記録して、運動を振り返ることも、大切です。阪田先生の会報を読んで、いっそう、そう思います。

 (57225)
日時:2023年03月23日 (木) 21時46分
名前:tapir

頭注版『生命の實相』の再出版、再販は、生長の家再生の重要な鍵だと思います。
「多くの方が谷口雅春先生の聖典を手に取るやうにしていただきたい」
これは、亀の子氏のブログ、『生命の實相』の類纂本、『あなたは無限能力者』(谷口雅春著 楠本加美野編)と、『『生命の實相』に学ぶ』(徳久克己著)が重版されたことの喜びを語った中のことばです。

「二〇二二年文月廿三日00:00重版出来!の情報提供」
http://kamenoko4126.livedoor.blog/archives/16984397.html


>今後は、これらの原點といふべき頭注版(中略)も、“重版出来!”との情報が飛び込んでくること間違いなしです。

 小生としては、出版社は問いません。多くの方が谷口雅春先生の聖典を手に取るやうにしていただきたいのです。<


私は亀の子氏の政治思想では、意見が一致していません。しかし、この文章には、信徒として、共感できます。

引用にあたって、著者亀の子氏の許諾は得ていません。著者がこの投稿を眼にして、不本意であれば、遠慮なくお申し出ください。削除いたします。


頭注版『生命の實相』を、光明思想社でも、日本教文社でも出版社は問いません。社会事業団が許諾して、再販してほしいと願っています。

これからの生長の家の再生にとって、重要な鍵だと思います。

 (57226)
日時:2023年03月23日 (木) 21時47分
名前:神の子

そんな事を言ったとて、事業団が許諾する
訳無いでしょう。 夢みたいな理想を語るの
では無く現実を正しく観て実現可能な選択肢から具体的に此処からどうするか?
しかし、雅春先生も言っています。
『夢を描け』と。
それでも蜃気楼より大いなる夢を実現する
のも先ずは足元の一歩からですよ。

 (57227)
日時:2023年03月23日 (木) 21時56分
名前:梶猛弩

 生長の家が、今のような状況になり10年以上が経過しました。

 どんな人でも現象世界では歳を取ります。
 トップだった方も同じです。
 当時60代だった人は70代になり、70代の人は80代になります。

 一方、当時青年だった世代は社会の中堅層やリーダー層になっています。

 今一度、原点に立ち返って考えてみるのも大切なことだと思います。

 (57230)
日時:2023年03月23日 (木) 23時01分
名前:元信徒

これからどうするか?

って難しいです。 教えは、完全な形で本にありますし、
教団は組織だけがあり、雅宣先生の意のままにしか動かないですし。

その雅宣先生は、自分が指揮する教団が気に入らなければやめてよい。と、宣言しましたから、雅春先生の時代から、一緒にやって来た方は呆れて皆様ほとんどやめてしまい、沢山あった、支部も全滅に近いです。

本当はフランケンシュタインをかぶって、聖歌を歌っている場合ではないはずです。
しかし、彼らにはアドバイスなど聞く耳など昔からもたず、心配する信徒をよそに、どなたかが、生長の家をぶっ潰したい願望がある。とまで言われた方がいましたよ。

生長の家は、カルトではなく、ヤクザとのシガラミもなくクリーンな宗教でしたが、
学校も出来ず、雅春先生が作った神の国寮だけ。

こんなにやる気のない団体はダメです。
ハッキリ言って。

だから、住吉大神さまの浄化で、良くなって行くしかないと、観ております。
偽物は、全部一度崩壊するだけ。

あとは、建設しかないまで、崩壊していくと覚悟している。

昔の生長の家のままでは、甘い知るを吸う幹部ばかりだったから、今が出来上がった。

厳しく見ると、そう感じてならない。

全部崩壊したら再建出来ると思う。





 (57238)
日時:2023年03月24日 (金) 00時22分
名前:空即是色

カジモド様

日時:2023年03月01日 (水) 05時57分
名前:志恩

>”梶猛弩 (カジモド)”という ハンドルネームをつけたは、
ノートルダムの鐘突き男から取っております<


志恩ー

以前、トキ掲示板にハンドルネーム”身分卑しきもの”という名で
出てこられていたお方がおられました。このような名で出てこられるお方は、本当は、その反対のことが多々あります。

(『ノートルダムの鐘』を、ご存知でない方々のために、ざっと以下に、
  あらすじを、私なりに書かせていただきますが)

”カジモド”とは、『ノートルダムの鐘』の、主役の若い男性の役柄の名で、ジプシー女から生まれた醜いせむし男なのですが、
事情があり、ノートルダム寺院のてっぺんの鐘つき部屋に、
赤ちゃんの頃から青年になってまでも隠蔽された状態で、住まわされています。

でも、彼の身体能力は抜群で、頭も良く、心も慈愛に溢れた
人間としては最高の人間なのでした。

彼は、世にも美しい魔女的なジプシー娘のエスメラルダに生まれて初めて恋をしますが、途中から、別のかっこいいナイトが現れ結局はカジモドの恋は、実りませんでした。

しかし、恋敵にも彼は、優しくして、
彼は恋敵である ナイトと、エスメラルダを、自分の友人として、彼らの命を、全身全霊で、助けるのでした。
カジモドが、恋を愛に昇華してゆく姿は、観ていて、号泣しましたよ。

そういうわけで、貴方様のことは、
カジ様ではなく、カジモド様と呼ばさせていただくことにいたしましたので、今後ともよろしくお願いします。

_________________________________________

ホンモノの「カジモド」なら、

「フランケインシュタイン」の被り物の意味が
理会できるとおもうが。


空即是色様 (57304)
日時:2023年03月24日 (金) 19時49分
名前:梶猛弩

>ホンモノの「カジモド」なら、

>「フランケインシュタイン」の被り物の意味が
>理会できるとおもうが。


 有難うございます。


@“ホンモノの「カジモド」”の趣旨が、“初めての投稿です”の投稿者と同一性を有するかという意味か、ディズニー映画に出てくる“カジモド”なら理解できるはずだがという意味か、
どちらの意味にも取れるので、双方の意味合いについて回答しますが、

“初めての投稿です”のスレッドの投稿者と本スレッドの投稿者は同一です。

一方、ディズニー映画“ノートルダムの鐘”に出てくる“カジモド”の意味なら
志恩さんが、“カジモド”について、“身体能力は抜群で、頭も良く、心も慈愛に溢れた人間としては最高の人間”という最大の賛辞を贈っていただいてるので、とても感動しているのですが、残念ながら答は“否”です。

 私にとっての“カジモド”は、その映画の原作となったヴィクトル・ユーゴー著“ノートルダム・ド・パリ”の主人公である“カジモド”です。

 国家からも教会からも市民からもジプシーからも嘲笑され、ヒロインであるエスメラルダを命懸けで助けても、ヒロインに直視すらしてもらえず、最後は無様な骨となり塵となって消えていく、“愛”ではなく“哀”しか感じられなかった“カジモド”です。



A“「フランケインシュタイン」の被り物”の意味については、

被り物をした御本人の視点でなら、人間の科学の創造物は、人間と対立する悪しき存在となる可能性があるという意味で理解しており、

トキ掲示板の皆様の視点では、被り物をした御本人の愚行・ノー天気さの一端として共通認識されていると理解しています。

 私の投稿中の表現は、どちらの意味でもなく、
御本人は“「フランケインシュタイン」の被り物”をして笑い?(失笑?)を取っていても、御本人は“ホンモノ”のフランケンシュタインではないわけで、いつかはその肉体は老い、その魂は幽界へと旅立つのだから、今の現状が永遠に続くわけではないという意味で、この言葉を使っています。

 よろしくお願いします。



梶猛弩様 (57412)
日時:2023年03月25日 (土) 23時15分
名前:志恩

映画の原作となった
ヴィクトル・ユーゴー著“ノートルダム・ド・パリ”の
主人公である“カジモド”。


志恩ー
ディズニー映画“ノートルダムの鐘”に出てくる“カジモド”の意味なら
身体能力は抜群で、頭も良く、心も慈愛に溢れた人間としては最高の人間”というふうに描かれていますが、

梶猛弩様にとっての“カジモド”は、
ディズニー映画“ノートルダムの鐘”に出てくる“カジモド”ではなく、
映画の原作となったヴィクトル・ユーゴー著
"ノートルダム・ド・パリ”の主人公である“カジモド”の方の名を
拝借されたのですね。

つまり、
 国家からも教会からも市民からもジプシーからも嘲笑され、
ヒロインであるエスメラルダを命懸けで助けても
ヒロインに直視すらしてもらえず、最後は無様な骨となり
塵となって消えていく、“愛”ではなく“哀”しか感じられなかった
“カジモド”。........

私は、この原作の方の”あらすじ”を読みました。

そして、梶猛弩様が、なぜ、この原作の方の “カジモド”の
"梶猛弩"というハンドルネームにされたのだろうと、ずっと考え
込んでおりました。

ですが、私には、まだ、こうだったのですね。
それで、貴方様は、この名を選んだんですよね。
という答えが見つからないでいます。

禅の公案の答えが、見つからずに言えないように。





こうかしら、一つの考えですが、
”ノートルダム・ド・パリ”の舞台は大聖堂です。
つまり、聖なる宗教の場所です。
純粋な真心をもってエスメラルダを愛するカジモド。
この愛する相手は、「エメラルダ」ではなく、「生長の家」。
結果は、ヒロインに直視すらしてもらえず、最後は無様な骨となり
塵となって消えていく、“愛”ではなく“哀”しか感じられなかった
“カジモド”。........こうかしら、違うかしら...。

そして、実際のあなた様は、カジモドのような醜いお方ではなく、
その反対のお方なのかも、とも思っております。
前に書きましたが、”身分卑しき者”、というハンドルネームで
出られたお方のように。


総裁が、フランケンシュタインのお面をかぶって聖歌を歌っている
動画に対して、賛否両論あることに対しては、賛成でも反対でも
総裁であっても、われわれであっても、人間はいずれこの世での
使命を終えて、この世を去るのだから、
別に、総裁は、自分に 気にくわない人を突然 訴訟するとかいうような、
人ではないわけですし、賛成とか反対とか、
深く考えずに 心をラクにして生きて行きましょう。ということかしら。






志恩様 (57473)
日時:2023年03月26日 (日) 22時19分
名前:梶猛弩

 有難うございます。

> なぜ、この原作の方の “カジモド”の
>"梶猛弩"というハンドルネームにされたのだろうと、
>ずっと考え込んでおりました。
>ですが、私には、まだ、こうだったのですね。
>それで、貴方様は、この名を選んだんですよね。
>という答えが見つからないでいます。
>禅の公案の答えが、見つからずに言えないように。

 どのようにお答えしようか、PCに向かって書き始めてみたのですけど、
書き出すと中々難しいので、うまくまとめられるようになったら投稿しますね。
 
 今考えてみた投稿内容のイメージとしては、
“カジモド”のような少年が、
小・中・高校と練成会に参加し“ 無限の力湧き出でよ”と泣きながら唱え続けていた少年が、
10年後、20年後、30年後に、どのような人生を歩んできたのか
体験談のような話でまとめていこうかなと思案中です。

 ちなみに、私はただのサラリーマンです。
 30年以上、信仰とか活動とは御無沙汰でしたが、
この掲示板は、あくまで、“生長の家の教えを考える掲示板”ですので、
禅の公案のような哲学的なものではありませんが、
投稿により何かを考察するきっかけになったらという気持ちから、
こうしたことを考えています。

 なので、“カジモド”は、あくまで自分の内面的・人生観に係ることであって、
生長の家の組織に関して意味づけしたハンドルネームではないです。

 なお、私は、和解派のトキさんの想いが引き続き継続できるような掲示板にならないかと、おこがましい気持ちから投稿を始めました。
トキさんのような直接情報を知りうる立場でもいないので、自分なりのスタンス(組織とはまったく無関係であるという意味で)や考え方でしか投稿できませんが。。。

 多分、自分の切り口は、他の投稿者の皆さんと大分違ったものとなると思います。
 お目障りになる場合も多々あると思いますが、ご容赦ください。

梶猛弩様 (57526)
日時:2023年03月27日 (月) 11時58分
名前:志恩

お返事くださって、ありがとうございます。
梶猛弩 (“カジモド”)とHNをつけられた理由は、
私が予想したものとは、違ったようですが、
それは、ご自分なりの理由でつけられたので、
他の人には、
わからなくてもいい、理由なのだと思います。

私は、以前、亡きトキ様に、”トキ”とつけられた
理由をお聞きしたことがあるのですが、その時の
トキ様のお答えは「昔、付き合ってた彼女が、
あなたって、普通の人と違うわ。まるで天然記念物の
トキみたいな人ね」と言われたことが、心に残っていたもんで、
”トキ”とつけました。」と言われました。

それはご本人でなければ、わからない心の内にある
理由です。

ですから、梶猛弩様に対して、これ以上は、
HNのお名前につきましては、お答えを求めませんので
ご安心くださいませ。

いづれ、体験談を書いてくださるそうですので、それには
期待申し上げております。

そして、何よりも、私も大好きだったトキ様のことが、
梶猛弩様も好きでいらしたこと、
投稿により何かを考察するきっかけになったらというお気持ちから、
こうしたことを考えて、ご投稿くださっていることを知りまして、
大変うれしくありがたく心強く思っております。

今後ともよろしくお願いいたします。

組織戦略の視点から  〜すべての始まり〜 (57577)
日時:2023年03月27日 (月) 21時18分
名前:梶猛弩

 私は、地元神社の氏子や、お寺の檀家としての信仰・活動はしておりますが、
生長の家から離れて随分の年月が経っています。
 少し離れた目線での投稿ですので、ご留意ください。

 今の様々な現象のすべての出発点は、昭和58年夏の“生政連の活動停止”から始まっています。
 当時の内部の方からすれば、もう少し前に遡るかもしれませんが、
外部に公表された事象としては、これが最初と言ってもいいでしょう。

 当時、生長の家は、玉置和郎、村上正邦の2名を参議院全国区で上位当選させてきました。昭和58年参議院議員選挙から全国区は全国比例代表に制度が変わり、玉置氏も小選挙区へと移ることになりました。
 その後継として、生え抜きの生長の家職員の女性を送り込むことになりました。
 前任の玉置氏は常に上位当選してきましたし、3年前の選挙で村上氏も生長の家票だけで当選してきたので、玉置氏後継の女性職員氏も当然に上位に位置づけられると誰もが思っていました。
 ところが、比例代表名簿が公表されると関係者は愕然。当落線上というより落選濃厚な順位に女性職員氏はいたのです。

 もともと、選挙に立候補するまで、玉置氏も村上氏も生長の家信者ではありません。
玉置氏も村上氏も“宗教票”目当てで生長の家に近づいてきたのです。
 それでも、生長の家は玉置・村上二人を当選させるために、熱心に活動し、自民党のドンと呼ばれるまでに協力してきたのに、生え抜きの生長の家職員を立候補させるとこの仕打ち。

 一生懸命協力し、武道館で開かれる全国大会では、100名もの国会議員を皆で応援してあげようと、壇上で紹介したのに。。。

 この落胆は半端ではありません。
 これ以上、生長の家や信者さんを政治家の食い物にさせてはいけない。

 端的に言うと、昭和58年夏の生政連の突然の活動停止はこうした理由です。

 昭和58年時点で、奉職して間もない雅宣氏に、それができる権限もありません。
 優生保護法改正運動の挫折云々も表向きの理由です。
 
 信者さんを票としか考えない玉置・村上その他数多の政治家連中(その後の小山・稲田なんかもそうですが、それについては稿を改めて)から、教団・信者さんを守るという点において、当時のこの決断は極めて賢明であったと思います。

>信者さんを票としか考えない玉置・村上 (57582)
日時:2023年03月27日 (月) 22時25分
名前:本音の時代

この認識は間違いだと思います。
私は当時も末端会員でしたがその思います。
多分、玉置・村上氏の近き存在でこのことを語る人はもういないでしょうね。

>今の様々な現象のすべての出発点は、昭和63年夏の“生政連の活動停止”から始まっています。

同感です。生政連の活動は政治の世界に生長の家の考え方を入れるためのものでした。しかし、政治の世界の汚い部分のみを見てしまい善の世界を見なくなったのです。それは現実世界からの逃避を意味します。現実の世界を変える希望を失った教えに魅力などなくなのです。政治家を変えていく当初の方針から、活動停止のいうマイナス行動に切り替えたのですか衰退するのみでした。そのことに組織の指導者は気づかなかったと思います。

>昭和63年時点で、奉職して間もない雅宣氏に、それができる権限もありません。

そうでしょうか。お孫さんという身分だけで組織の要職についています。それなりの生長の家誌ではそれなりの発言もしていました。もっと下積みの信仰現場を経験した方が良かったと思います。初めから雅宣先生、雅宣先生と褒め称えられた経験しかないのでは?

本音の時代様 (57583)
日時:2023年03月27日 (月) 22時54分
名前:梶猛弩

>この認識は間違いだと思います。
>私は当時も末端会員でしたがその思います。
>多分、玉置・村上氏の近き存在でこのことを語る人はもういないでしょうね。

 有難うございます。

 私は、当時、田舎から東京に出てきたばかりの大学生でしたが、
 その頃は、今のH君のように、政治の世界に興味を持って、複数の自民党政治家の事務所スタッフとしてボランティアしてました。いい経験でした。
 捉え方は人それぞれですが、自分では確実にそのように感じております。


>そうでしょうか。お孫さんという身分だけで組織の要職についています。

 お孫さんというだけで、組織の最高意思決定とも言える決断を下させてもらえるでしょうか?
 中小企業ではありません。当時公称80万と言われる巨大組織です。
 少なくとも、政治局長や生政連事務局トップに就任していたなら、理解できますが。

 もう少し後の時代の話ですが、生長の家本部の官僚的硬直性を目の当たりにしましたので、“お孫さん”という肩書では、巨大組織の意思決定を行えるとは思えません。

逆に思うこと (57584)
日時:2023年03月27日 (月) 22時59分
名前:日野智貴

 私は逆に、生政連活動停止は失敗だったと思いますが、諸先輩方が一理あると言われる以上はそうなのでしょう。


 しかし、私は今でも谷口雅春先生の『私の日本国憲法論』は愛読しています。

>捉え方は人それぞれですが、自分では確実にそのように感じております。 (57585)
日時:2023年03月27日 (月) 23時05分
名前:本音の時代

確認ですが、梶猛弩さんは玉置・村上氏のお二人が、谷口雅春先生をどのように見ていたと認識していますか?

日野様 (57586)
日時:2023年03月27日 (月) 23時12分
名前:梶猛弩

有難うございます。

 日野君の、政治活動をしたり、様々な宗教を観じたり、評論や小説を書いたりしてるのが、まるで大学時代の自分を見ているようで微笑ましいです。

 ただし、私の場合は、外に飛び出して大暴れした挙句、一周回って、卒業後は普通のサラリーマンになりましたが。。。

本音の時代様 (57587)
日時:2023年03月27日 (月) 23時18分
名前:梶猛弩

 有難うございます。

 遠い昔に玉置氏の自伝も読んでおりますし、インタビュー記事での谷口雅春先生への限りない賛嘆の言葉も知っております。

 ただ、公と私の違いも知っております。

RE;本音の時代様 (57587) (57588)
日時:2023年03月27日 (月) 23時36分
名前:本音の時代

公と私の違いも知っております。と書かれてもねぇ〜、わかりませんね。

逆に谷口雅春先生は、玉置・村上氏のお二人をどのように見ていたか。そして、吾々は谷口雅春先生の見方をしているのか?

谷口雅春先生と同じ見方をできないと、生長の家と名乗れないと思いますね。

谷口雅宣さんも、破邪さんも、護法さんも、帰りましょう管理人も、谷口雅春先生と同じ見方をできているのでしょうかねぇ?


日野君は政治が好きだね。

 (57589)
日時:2023年03月27日 (月) 23時37分
名前:元信徒

玉置さんと村上さんのお二人を生長の家が推した理由や関係はどうだからですか?

貴康先生がこちらの秘書に行かれたのはどう言う関係からですか?
もしご存知でしたら教えて下さい。

今回のカジモド様のお話しを興味持って見ております。
宜しくお願いします。

本音の時代様 (57590)
日時:2023年03月28日 (火) 00時00分
名前:梶猛弩

>谷口雅春先生と同じ見方をできないと、生長の家と名乗れないと思いますね。

 では、谷口清超先生以外は限られた数名の方しか生長の家を名乗れませんね。

 ちなみに私は、生長の家の教えにふれた者、信仰した者、活動した者とは言っておりますが、自分自身が“生長の家”そのものだと言ったことはありません。

 本音の時代様らしからぬ循環論法を展開されていますね。

元信徒様 (57591)
日時:2023年03月28日 (火) 00時18分
名前:梶猛弩

>玉置さんと村上さんのお二人を生長の家が推した理由や関係はどうだからですか?

 玉置氏の視点からであれば、飛鳥新書刊“玉置和郎の遺言”をご一読ください。私は20代のときにこの本を手垢で真っ黒になるほど読み込みました。
 村上氏の視点であれば、岩波書店の雑誌“世界”に連載された“聞き書 村上正邦 日本政治右派の底流”をお読みください。この連載当時は私は既にサラリーマンとして仕事に熱中してた頃であり、1回ないし2回くらいしか読んでませんので、記憶は曖昧な部分がありますが。

 谷口貴康氏については、“一寸先に光は待っていた”に経緯が書かれていたような気がします。貴康氏の書物に関してはうろ覚えでごめんなさい。

 (57600)
日時:2023年03月28日 (火) 05時28分
名前:これも


本音の時代さんは当時政治活動が禁じられた職業に就かれており、
活動はしていなかったという由を見た記憶があります。
外からの話も参考にはなりますが、

梶猛弩さんの活動の只中での認識、
そして何十年という月日を経た現在からの振り返り。
これからへの展望。

話に耳を傾けることができる幸運を喜んでおります。


RE;本音の時代様 (57590) (57604)
日時:2023年03月28日 (火) 07時29分
名前:本音の時代

>>谷口雅春先生と同じ見方をできないと、生長の家と名乗れないと思いますね。

> では、谷口清超先生以外は限られた数名の方しか生長の家を名乗れませんね。


谷口清超先生ですか。生政連の活動停止後は???

生長の家と名乗ることは難しいことですよねぇ。

徳久克己先生は生長の家「指導者のための生命の實相講義(1/9)」で語っています。
生長の家の(地方)講師は、谷口雅春先生がお説きになっている生長の家の教えを間違いなく伝えることが第一です。谷口雅春先生以外の者が、「私はこう思います」と言えば、それは谷口雅春先生の教えではなくなってしまいます。


徳久克己先生は違う講話の中で、玉置氏と一緒に活動していた時期のことを好意的に語っていました。

 (57606)
日時:2023年03月28日 (火) 08時14分
名前:これも

本音の時代さんー
少し静かにしていてくださいませんか。
傾聴を。




組織戦略の視点から  〜国際平和信仰運動〜 (57644)
日時:2023年03月28日 (火) 21時08分
名前:梶猛弩

 政治と距離を置くようになった生長の家は、新たに“国際平和信仰運動”を提唱しました。
 従来の反共を中心とする東西冷戦時の政治運動の旗印とも言われた“人類光明化運動”に代わる新しい基軸です。

 元々、ブラジルという強固な信仰を持つ国がありましたが、更に宮澤潔先生もアメリカ各地で多くの信仰拠点を創り上げ発展させ、谷口貴康氏も国際部長に就任するなど、世界的な布教強化、世界平和の運動は大きく前進しました。
 多くの苦難を乗り越えた諸先生方は、本当に素晴らしいと思います。

 しかし、共同歩調を取った他の宗教団体、例えば立正佼成会等は、昭和55年の段階で世界平和会議(WCRP)を創設、積極的な国際宗教協力を推進するなど、日本のメディアや国民の注目度もWCRPの方が一日の長がありました。

 結果として、“国際平和信仰運動”は国内の教勢拡大に繋がりませんでした。

 そうした中で、副総裁である雅宣氏は、“新しい生長の家の基礎づくり”を模索していました。
 例えば、まだインターネットも十分に普及していなかった時代ですが、雅宣氏はWEB掲示板やSNSができる前の“パソコン通信”と呼ばれる通信手段を活用して、いろんな方と議論や意見交換を行っていました。
 平成ヒト桁年代頃の雅宣氏は、新しい生長の家の中核を創り上げようとしていたと認識しています。

生長の家を真剣に考えると (57645)
日時:2023年03月29日 (水) 09時21分
名前:神の子

ああ…やっぱりそういう方面の話になりますか。
政治活動を始めたのがそもそも間違いの始まりではないですかね。

組織戦略の視点から  〜ただ一つの本源にある争い〜 (57654)
日時:2023年03月29日 (水) 20時48分
名前:梶猛弩

 平成10年以降、一般メディアでも報道されるほど、対立が表面化します。

  新しい文明の基礎となる“何か”を模索する谷口雅宣氏(教団本部)と、
  谷口雅春先生の教えの原点に立ち返るべきとする方々(いわゆる“本流派”)
との争いが、生長の家以外の一般の人たちも知り得るほど表面化しました。

 本流派の方々の動きは、
  生長の家社会事業団
  生長の家オーストラリア法人
  ときみつる会
  谷口雅春先生を学ぶ会
  新教育者連盟   等々
多くの団体の生長の家教団本部からの離脱、新規団体創設へ繫がり怒涛の勢いでした。

 これに対して、雅宣氏を中心とする教団は、新しい文明の基礎となる理念を具体化していきます。
普通に考えれば余りに拙速ということになりますが、早急に明確な基軸を打ち出さないと、本流派の動きが教団の根幹を揺るがしかねないとの危機感がありました。

 対立の根底には、谷口雅春先生の御著書の著作権の件もありますが、これについては、その後の“光明の音信”事案も含めて、トキ掲示板の他のスレッドで活発な議論が繰り広げられていますので、本稿では触れません。

 ただ、教団の性急な改革は、教団自身にも大きな迷走のきっかけとなり、それを攻める立場の本流派も複数の失策を侵すことになります。

 なお、私自身サラリーマンとしてですが、組織管理・組織運営の立場にいたこともあり、理想やマニュアルや定石で組織を動かせるものではないことも承知しておりますので、失敗・失策と書いてどちらかを咎めるものではありません。あくまで、今後の生長の家はどうあるべきかを考察するための過去の分析として記載しています。

組織戦略の視点から  〜人類が科学により創造したるもの〜 (57683)
日時:2023年03月30日 (木) 22時24分
名前:梶猛弩

 今の教団が矢継ぎ早に打ち出す新しい基軸は、私のような昔の生長の家しか知らない者としては、???としか思えませんでした。

 教団が信仰の基軸として打ち出したものが、雅宣氏が言うところの“人間の科学による創造物”としか映らなかったのです。
 
 例えば、“太陽光発電”。ずらりと並んだソーラーパネルを見て、宗教的な感動を抱きません。
 “ノーミート”で推進する人工肉など人造加工食品そのものです。
 “家庭菜園”にしても、本物の農家が汗水たらして農作業に勤しんでいるのに、宗教が趣味の園芸やっても、信仰の賜物だとは感じられません。

 数年もすれば旧式になってしまう技術や一時の流行を見ても、そこに“永遠なるもの”や“心の底から湧き起こる信仰”を感じることはできないです。

 私は、教団の打ち出す基軸を、それ自体が“人類が科学により創造したるもの”そのものであると感じ、そこに宗教的意味を見出していません。
 ずっと私はそのように感じ、今もそう思っています。

 一方、もしかしたら私の人工物批判は単に手段を批判しているだけであり、本質は別のところにあるのではないかとも最近、考えるようなってきました。

 手段はアイテムであって、アイテムが何かで争ったところで、本質を巡る議論には繋がらないのかと。

 教団の方針・施策は、私にとって昔も今も???でありますが、
本質と手段をごちゃ混ぜにしていると、推進する側であっても、反対する側であっても、どちらの立場であっても、いつまでも議論は深まらず、根本的な解決には至らないのではないかとも感じています。

組織戦略の視点から  〜究極のキャラ設定〜 (57722)
日時:2023年03月31日 (金) 21時25分
名前:梶猛弩

 2016年に放映されたNHKスペシャルに“そしてテレビは戦争を煽った”という番組がありました。
 同じスラブ民族の兄弟国家であるウクライナとロシアが、最初に起こった政変をきっかけに対立をエスカレート。更にメディアやSNSが自分たちに都合のいい一部を切り取った映像だけを流したために、対立は憎しみに変わり、2014年のロシアによるクリミア併合、両国間のドンパス戦争にまで発展させたというその経過を特集した番組です。
 放映された2016年時点では、よもや2022年に両国が全面戦争状態に突入するとは誰も思わなかったので、その番組は過去に起こった紛争を検証するという意味で制作されました。

 2016年放映のNHKスペシャルでは、その頃の日本では無名の芸人が登場します。当然その名前はナレーションもクレジットもされず、コントも一部を切り取って数十秒しか流れませんでした。
 
 コントはウクライナの芸人が、“俺様はロシア様だ〜”と叫んで毒のある笑いを取っているシーン。ウクライナ国内テレビのお笑い番組で2014年10月に放送されたものです。
 当時両国がテレビの中で相手に対する敵意を煽って収給がつかなくなっていく事態を、一つの検証事例として紹介。

 検証番組で名前すら紹介されなかった毒舌芸人。
 しかし、ウクライナでは、2015年に政治風刺ドラマ“国民の僕”で主役の大統領役を演じ、その勢いで2019年には“ホンモノ”の大統領に。2022年以降は日本でも誰でも知っているウクライナ人になりました。
ゼレンスキー大統領その人です。

 ウクライナ東部出身のゼレンスキー氏は、母語はロシア語です。ウクライナ語はコメディアンとして売り出した当初は喋れませんでした。十代の頃にはロシアのバラエティ番組に出演、2008年にはロシアの映画にも出演しヒットしています。

 ゼレンスキー氏が反ロシアの毒舌キャラを固定化するのは、2014年のウクライナ・ロシア間の争いが始まってからです。

 彼の足跡を辿っていくと、ウクライナ国民の救世主として神格化され、世界史に残る英雄となりつつある人が、元々は芸人の“キャラ設定”だったということが、とてもよくわかります。

 日本において、右だ左だと評価されたり貶されたりしている政治家や評論家も、実は極論を展開している人ほど“キャラクターを演じているだけ”ということも、彼の足跡を辿って感じたことの一つです。

組織戦略の視点から 〜少し忙しくなってきたので。。。〜 (57735)
日時:2023年04月01日 (土) 18時32分
名前:梶猛弩

 サラリーマンをやっていると、年度が替わる4月は繁忙期になります。
 文章を書くのは好きな方なので、毎日この掲示板に投稿したいのですが、さすがに余裕がなくなり、明日以降は不定期投稿になってしまいそうです。

 しばらく投稿する余裕がないかもしれないことから、あらかじめ、投稿論点について「タイトル・課題提起」という形で簡単に挙げてみますと、


〇組織戦略の視点から 〜人を活かす組織〜
→トップの地位と内部権力がCEOに集中するアメリカ型企業は、弱肉強食的な自由競争社会では有為だが、日本ではむしろ反発の方が大きい。(カリスマ指導者が引っ張るのなら別だが。)
 日本の組織運営で人の心を動かすのは、管理者(事務や業務を実質的に取り仕切る人)が組織の顔となることなく、表に出ない黒子に徹する、上座を譲る謙譲心だと思う。
 平成の時代は、退職した教団教化部長が、続々と本流派の大会に講師として招かれた時期があった。そうした先生方は、ブログや機関誌で積極的に情報発信しているが、講師をお受けいただいた時点で、たとえ名誉職でも非常勤でも、役員として綺羅星の如く名を連ねる組織になることができれば、まさに“光の進軍”を遂げたのではなかろうか。
 OB・脱会者の受け皿としてのあるべき姿も含めて考察したい。


〇組織戦略の視点から 〜公益は私益の対義語・反対語ではない〜
→平成20年に施行された公益法人制度改革により、それまでの財団法人(旧公益財団)は、5年間の猶予期間終了までに、公益財団か一般財団のいずれかを選択する必要がでてきた。しかし、日本の旧財団法人の大部分は一般財団を選択。新制度での公益財団を選択したのは国・地方公共団体の外郭団体か、大企業の収益社会還元団体がほとんどだった。
 多くが、寄附金控除や税制優遇があっても公益財団を選択しないだけの理由があり、財政的に難しい理由を含め、公益財団であり続けることの課題を提示し、将来的な一般財団化も含めた法人組織の見直しを考察したい。


〇組織戦略の視点から 〜遷都の意味〜
→日本で古代に頻繁に行われた遷都は、祭祀的な目的を旗印に掲げていたが、既存勢力の一掃・人心一新といった組織戦略的な目的が強かったと認識している。
 “森の中のオフィス”移転についても、“環境云々”や“エネルギー云々”は信者さんを説得する“手段としての目的”であり、組織戦略としての目的が別にあったと考えた方が理解できる。
 原宿本部に居続けることや、住吉本宮や宇治別格本山や河口湖道場への移転では、真の目的が達成できなかった、そう考えることにより一つの解が見出される。
 組織戦略としての“遷都”の視点から、“森の中のオフィス”への移転の意味を考察したい。


〇組織戦略の視点から 〜これからの生長の家を考える〜
 →→→次の投稿→→→

組織戦略の視点から 〜これからの生長の家を考える〜 【勝手にまとめ】 (57736)
日時:2023年04月01日 (土) 18時35分
名前:梶猛弩

 私には、今の教団と本流派の対立は、生長の家の教えの本質である
“世界平和”と“真の日本国建設”という本来なら両立するはずの理念を、
手段の部分で批判し対立しているように見えてしまいます。
 
 手段では対立・論争しても、その根源にあるものは一つであり、
対立して存在するものではありません。

 私はこの掲示板で勝手に“和解派”を名乗っていますが、
元の鞘に収まることだけが“和解”とは思っていません。
むしろ、皆が共存・共栄・共生し、結果、新しい日本を担う世代へ生長の家の教えが
継承され浸透していくことも、“和解”の一つのあり方だと考えます。
 
 ユダヤ民族の古事記でありユダヤ教の聖典であった“ヘブライ語聖書(旧約聖書)”が、
ユダヤ教とキリスト教、西(ローマ)と東(正教)、カトリックとプロテスタント、
そして現代にも繋がるイスラムとの関係、等々数えきれない対立と和解を経て、
今や世界全体の根底を流れる教えになったように、
 左右中道関係なく、誰でも生長の家の教えに触れられる社会。
 生長の家の教えが、日本の根底をごく自然に流れている社会。
そんな未来を理想として捉えています。
 
 その前提として、議論も対立も協調もしながら、
生長の家関係の掲示板がますます盛り上がっていくこと、
 意見が合わなくても問題提起・情報発信・意見交換を続けていくことに
とても高い意義があると認識しています。

 Tom&Jerry♪ Do fight happily♪

 無理やりまとめてしまいましたが、
今後の私の投稿は、少しペースダウンして、他の方の投稿に対するレスを中心にし、
自分の意見を書きたいときは、時間があるとき出現するくらいのペースになります。

 今後も、生暖かい目線でご指導いただけたら幸いです。

 有難うございます。

選挙シーズン。負の波動をあちこちに感じる季節 (57803)
日時:2023年04月06日 (木) 21時15分
名前:梶猛弩

 選挙シーズンになると、WEB上も大賑わいで、
特に“愛国者”とか“市民活動家”とか自分で自分のプロフに書いているSNSアカウントの投稿が一層過激さを増しているように感じます。

 普通の人が政治に興味を持つのは、とても大事なことだし、
政策の合致する政党や政治家を全力で応援する人達は、評価されこそすれ非難される筋合いはまったくありません。

 しかし中には、自分の嫌いな政党や候補者をひたすら叩くためだけに、罵詈雑言を毎日SNSに投稿している人達を見かけてしまい、ある意味、可哀想な気持ちになってきます。

 今でこそ、週刊誌やSNSの目があるから相当自重しているけど、
 バブルの頃なんかは、昼間はテレビで喧嘩腰で討論をしていた与野党議員が、
委員会主催の視察旅行の宿泊先で一緒に乱痴気騒ぎなんて、当たり前のように見られた光景だったし。
 今でも、選挙終わったら、議員懇談と称して、呉越同舟みんな仲良く赤坂界隈吞みに行ってるし。
 寝食惜しんで対立政党の悪口書いても、 味方(と思っている)政党は貴方をコマとしてさえ認識してないよ。

 政治に興味があるなら、推しの候補者にエールを送ったり、主義主張の異なる人達と冷静な政策論争したりして、日本の政治民度は高いと諸外国から称賛されるような、そういうエネルギーの使い方をした方がいいのではとつくづく感じている今日この頃です。

映画感想 “神は見返りを求める”  (57851)
日時:2023年04月09日 (日) 11時56分
名前:梶猛弩

 今、掲示板で議論になっている案件をYoutubeで観ていたら、たまたま関連画像で“神は見返りを求める”という邦画の予告編が流れていて、面白そうだったので、そのままAmazonPrimeで視聴しました。

 ちなみに、2022年公開でムロツヨシ主演のこの映画。“神”とか“宗教”とかまったく関係のないテーマです。

 今話題のバズりたい系Youtuberの生態を紹介しながら、文字通り炎上していくまでを描いていて、リアルYoutuberとは全く縁のない田舎のサラリーマンである自分には、なかなか社会勉強になりました。


【以下少しネタバレが入りますのでご注意ください。】
 主人公のタモガミは、ムロツヨシ演じる真面目な中年サラリーマン。仕事柄PC編集が得意な彼は飲み会で出会った底辺Youtuber兼普通のOLのYuriを、純粋に応援しようと悪戦苦闘する。
彼によって少しずつ視聴者が増え始めたYuriにとって、タモガミは最初のネ申。

 だけど、売れ始めた途端、イケメンデザイナーの新しいネ申、ムラカミがYuriをプロデュース。タモガミはセンスが古くてキモいオジサンとして容赦なく見捨てられる。

 彼女を人気Youtuberにするためだけに自分の仕事もお金も犠牲にしたタモガミと、今やサイン会を開催する程に若者のネ申となったYuriとが、WEB上で壮絶な中傷合戦を繰り広げる。観ていると何だかリアル社会の出来事とオーバーラップします。


 そして、、、
 全てを失ったタモガミとYuri。
スマホも付いてない自撮り棒を片手でかざして、ひとり踊り続けるしかない人生。

 それでも、Yuriから一言「有難う」と呟かれ、すべてが吹っ切れたタモガミの姿に救われた。
見返りを求めることは、彼にとって本当のネ申の姿ではなかったのだから。。。

梶猛弩様 (57852)
日時:2023年04月09日 (日) 12時19分
名前:栞

“神は見返りを求める”
良い映画のご紹介、ありがとうございます。
早速、プライムビデオで私も観てみます。

映画見る前に、急いで選挙の投票へさきに
行ってきます。

財や名誉を欲しがるのではなく (58112)
日時:2023年04月20日 (木) 21時11分
名前:梶猛弩

 情報化が当たり前になった時代。
 一昔前なら宗教のベールの中で明らかにならなかったような不祥事が、WEB時代の今は、光の速さで世界中に知れ渡っていきます。

 例えば、神社本庁の不動産転売(土地転がし)、総長ポストを巡った裁判沙汰など、国民の素朴な氏神信仰に泥を塗った訳ですし、
 昨年の統一教会の問題では、信者さんの僅かな財産すら貪り尽くす実態が明らかになりました。

 本来、信者さんを救うべき宗教人が、浄財を食い物にしている。
 それが当たり前のようにニュースで流れる時代。

 そうした時代だからこそ、私心無く財も名誉も欲しないホンモノの宗教人・信仰者の存在が求められるのでしょう。
 自らの信仰に自信や誇りを持てなくなってしまうのですから。

 生長の家の教えが現象世界の財や名誉と別の次元にあるものだと信じていますので、
万教帰一の旗のもと、財や名誉に走った他の宗教人達が自らの過ちに気づき正しい信仰のお手本としていただけるような、清らかで素晴らしい信仰活動が再構築できないのだろうか、、、
 WEB上のいろんな記事や投稿を読みながら、そんなことを考えてしまいます。

 (58113)
日時:2023年04月20日 (木) 21時44分
名前:タレコミ

https://jijyo.jp/page.php?id=145

有名な話ですが神社本庁の裁判も内田智弁護士が関わってます。
内田弁護士は事業団理事ですよ!問題でしょう!

問題であり、驚きです。 (58115)
日時:2023年04月20日 (木) 22時33分
名前:栞

タレコミ様

https://jijyo.jp/page.php?id=145

有名な話ですが神社本庁の裁判も内田智弁護士が関わってます。
内田弁護士は事業団理事ですよ!問題でしょう!<

 (58120)
日時:2023年04月21日 (金) 01時29分
名前:元信徒

神社本庁でも裁判とかしていますの?

呆れてしまいます。


日本中が、どこもかしこもダメなんですね。


警察も酷い怠慢。うちの地方の警察はヤクザか警察か分からない所です。
まあ、ほぼヤクザ。笑笑
全然機能していない。警察自体が予防が出来ない組織で、無駄。
もっとキチンと対応してほしいわ。

今も、自民とつながるあの宗教とかの噂もありますし。

世の中乱れすぎだわ。

致命的な感じです。

生長の家で、住吉大神様を復活して祈りたい。


 (58124)
日時:2023年04月21日 (金) 10時08分
名前:???

http://payoyomaru.livedoor.blog/archives/14195622.html

神社本庁の裁判、かなり悪質ですね‼️

 (58130)
日時:2023年04月21日 (金) 21時50分
名前:梶猛弩

 コメント有難うございます。

 事態を憂慮した神社本庁統理の鷹司尚武氏(統理は神社本庁の最高権威にあたる役職)(鷹司尚武氏は伊勢神宮宮司・代表役員を歴任されており、上皇陛下の義理の叔父にあたる方)が組織正常化のために尽力し、規定に基づき新総長を指名したにも関わらず、役員会の多数決で引っ繰り返し、問題の現総長を続投させようとしているのが、今の神社本庁の姿です。

 神社本庁自らが、日本古来の神道の伝統や権威を失墜させる張本人になっている現状に、本当に堕ちるとこまで堕ちたなと絶望的な気持ちになってしまいます。

 2億円超を関係者間の土地転売で懐にし、正義の告発を行った職員を“神”の御名において退職に追い込んででも居座り続ける役員たちは、今も健在です。

 日本の大手マスコミは、神社を敵に回すのが怖くておざなりな報道しかしません。

 声を上げなければ、悪はますます蔓延るということを思い知らされた事件です。

唯物史観との闘争の大義を信仰者に対して用いる過ち (58271)
日時:2023年05月06日 (土) 00時22分
名前:梶猛弩

 私が、初めて、生長の家関係の掲示板に投稿したのは、今年2月26日。トキさんの訃報を耳にしたときです。
 以来、トキ掲示板にお邪魔し、2か月以上が経つわけですが、
 投稿者の立場で様々な事象を観じていると、それ以前の閲覧専用者だった頃には、見えなかった視点とか全体像が朧気ながらわかってきました。

 
 なぜ争うのだろうか。
自らが正義であり、批判者は敵対者として排撃しなければならない
そういう、敵を作り敵と闘争することを、何故、信仰の中に位置づけなければならない人達がいるのだろう。

 気づいたことがあります。

 第一に、その中核を担う人達の世代層です。
元号法制化運動時代に青年会員であり、自分達の運動が法律を作ったのだという達成感、運動を通じて得た心理的高揚感が忘れられなくなっている人達が中心になっているということです。

 第二に、闘争を正義とする理屈です。
 元号法制化運動世代は、反共闘争=正義でした。
 これは当然正しいのですが、
 無意識のうちに、いつの間にか闘争=正義という感覚にすり替わっているのです。

 昭和の時代の共産主義とは“唯物史観”そのものでした。
 唯物史観とは、“唯心所現”の対極を為すものです。
 唯物史観が蔓延すれば、それは生長の家だけの問題ではない。人間の宗教性が否定され、日本においてはあらゆる日本的な精神が否定されることになりかねない。
 その防波堤となることに大義があったからこそ、信仰・活動が闘争であっても、素直に受容され、政府や大多数の日本国民から賞賛されてきたのです。

 ところが、平成となり更に時代を経るにつれ、唯物史観との闘争=大義という観念を
自分達の敵対者との闘争=大義と、勘違いというか意図的に換骨奪胎するようになってしまった。
 そして、同じ谷口雅春先生の御教えを信じる者に対しても闘争の大義を応用し、自分達の敵対者をつくっては争い繰り返すことが信仰だと勘違いし始める人達が出てきたのです。

 当事者以外はそれを見ても、内部紛争としか思いませんし、嫌悪感さえ抱きます。
 ところが、争っている当事者は、潜在意識の奥底に“闘争=正義・信仰の本質”とインプットされているために、敵を作っては、宗教的な理由付けをした上で闘争を開始する。闘争こそが信仰だと信じ切っているから、和解とか結集とかいう言葉に見向きもしない。

 これが、今の生長の家の本質的問題だと思います。
 
 そして、生長の家(教団も本流派も)が、このような状況を脱し、再び躍進を遂げるのは、意思決定層の世代交代以外に道はない、、、それが、この数か月間の事象を踏まえた私の率直な感想です。

梶猛弩さん (58280)
日時:2023年05月07日 (日) 16時23分
名前:元信徒


素晴らしいお話をなさっていらしてご迷惑でしょうけど。

昔、谷口雅春先生が行う講習会は必ず晴れていました。

先生は、何故ゆえにいく先々に晴天をもたらすのでしょうか。
検索すると、晴れ男は稲荷様がついていて、逆に雨男は龍神様だとか。

講習会はお稲荷様が導いているのでしょうか。
それとも、雅春先生の日頃の行いが良かった?

雅春先生の日頃の行い とはとんな事で、何が晴天に左右するのでしょうか?


 (58289)
日時:2023年05月08日 (月) 09時02分
名前:元信徒

ご回答ありがとうございます😊

信徒のみんなが喜んでお待ちしていると言う事は、それも要因の一つだと思います。

雅春先生は天候を支配できた素晴らしい先生でした。

多くの信仰上の流浪の民を出したのは誰なのだろうか (58299)
日時:2023年05月09日 (火) 20時57分
名前:梶猛弩

 いわゆる本流派と呼ばれる各組織は、長年にわたり生長の家の信者さんに脱退を呼びかけておられます。本流派組織自体が教団から離れているわけですから、それ自体は当然のことでしょう。
 問題は、教団脱退を呼びかけたはいいが、呼びかけた組織が脱会者の受け皿として機能していたのか、包容力を持って受け入れてきたのかです。

 文化庁が毎年宗教年鑑という冊子を発行しています。WEB上では平成7年以降の毎年の宗教年鑑が閲覧できます。
 これを読むと、日本の宗教全体の趨勢や、各宗教団体個別のデータが把握できます。

 各団体の申告制なので、昭和の頃は実態を反映していないと言われていましたが、いろんな宗教関係の事件もあったことから、平成以降は比較的適正な数値を示すようになりました。
 それでも、宗教全体計が日本の人口を上まわってますが、これは、例えば地元神社の氏子であるとともにお寺の檀家であるという風に一人がダブルカウント・トリプルカウントされるのが多宗教・多神教の根付いた我が国の特徴なので、延べ人数という意味で正しい統計結果を反映しているといえるでしょう。ちなみに生長の家は、聖使命会員数となります。

 さて、この宗教年鑑のデータを経年比較をしてみますと、
 日本の宗教全体の信者数は、平成14年には2億1,476万人あったのが平成24年には1億9,689万人、令和4年には1億7,956万人と減少傾向となっています。
 過去20年間で16.4%の減少、うち過去10年間で8.8%の減少です。
 現代人の宗教離れが言われて久しいので、この減少幅は想定の範囲でしょう。

 次に生長の家の信者数の推移ですが、
 平成14年の84万人が、平成24年には62万人、令和4年には35万人と、
 過去20年間で58.3%の減少、うち過去10年間で43.6%の減少と惨憺たるものです。
 信者数80万以上を維持してきた団体が、直近20年で約50万人もの減少というのは、只事ではありません。
 日本全体の宗教全体の減り幅と同程度であれば、高齢化とか現代人の宗教離れといっていられるのですが、ここまで極端に大きいと、生長の家固有の事情で脱退する人達が急増しているのが如実に表れているといえます。

 これは一般には、現教団の方針変更に原因があり、谷口雅春先生本来の教えに帰りたいという人々が教団を辞めていったと言われています。
 一番説得力のある理由だと思います。
 
 では、こうした谷口雅春先生に帰ろうと教団を辞めて行った人々が、新しい居場所を見出すことができたのでしょうか。

 直近20年の減少率から宗教全体の減少率を控除した形で減少者数を出してみましょう。
即ちお亡くなりになられたとか、社会風潮としての宗教離れに起因して減少した数を除いた数は、
 (35万人―84万人)×(100%−16.4%)=▲41万人
となります。

 40万人以上の方が、本来なら継続的に信者であり続けたのに、現教団の方針への違和感や脱会を呼びかける雅宣氏反対派の声に押されて、教団の信者であることを辞めたということになります。

 本流派と呼ばれる組織は、この20年以上ずっと教団の脱会を呼びかけてきたわけですから、これらの人に信仰の場を失わせないためにも、40万人規模を受け入れる受け皿とならないといけないわけですが、
呼びかけた中核としての使命を担い、少々の異論を持った人がいても受け入れる門戸を開き、数十万の人がどっと押し寄せても受け入れられるよう努力を行ってきたのかは疑問符がつきます。

 結果だけ見れば、宗教年鑑のみならず、東京都宗教法人担当サイト、内閣府公益法人Information等をあたってみても、本流派と呼ばれる宗教団体や公益法人が、脱会した人達の受け皿と成り得て、数十万規模の信者数や会員数に生長したという痕跡が見当たりません。
 厳しくいうならば、現在値はおろか過去のある時点の信者数・会員数といったデータ自体がまったく把握できないのです。
 
 もしかしたら、求めに応じ教団を辞めて行った信者さんを受け容れる準備さえできてない中で、言うは易しで教団を辞めるよう呼びかけ、結果として、多くの有為な人材を失ったり、救いを求めている信者さんさえも信仰の流浪の民へと押しやっているのではないでしょうか。

 同じ谷口雅春先生の御教えを学ぼうとする人達の中で、一度は自分達の組織の門戸を叩いた人達を、自分達に異論があることを持って排撃する今の本流派各組織の姿をみていると、
一日も早く改革すべきは、教団以上に、善良な信者さんたちに教団脱退を促してきた本流派各組織なのではとの考えに至りつつあります。

文句を言いながら抱きついてくる。 (58303)
日時:2023年05月10日 (水) 03時34分
名前:神の子

それなら本流に異論がある人同士でべつのグループを作るのではダメなんですか?
もしくは教団に戻って活動する。
教団にも現在の本部の方針には異論が有るんだから異論が有る点では本流でも教団でも同じ事で、そもそも学ぶ会は教団の正当な法燈継承者に異議を唱えて反旗を翻して発足した反乱軍みたいなもの。意見が違うなら包容力を期待するより関わらないのが良いんでは無いかな?

 (58306)
日時:2023年05月10日 (水) 11時47分
名前:元信徒

谷口雅春先生が生命の実相を残してくれたから別に流浪の民にはならない。

教団は、雅宣先生自身が自分が嫌いなら出て行って良い。と、宣言してくださいました。
講習会に参加して、生長の家の真理が聞けるわけで無し、環境の話しは自分とこの自治体で聞きますからわざわざ生長の家講習会で聞かなくて大丈夫ですし、雅宣先生の文章、講師試験、全部が雅宣先生中心で創始者とは関係ないものと自己判断できたので、アッサリやめれました。


学ぶ会は、
せっかくボランティアに行ったのに、アイツにありがとうでもなく尊大な態度で接して来られて、コイツも生長の家ではないな。と、すぐに見切った。
持っている情報も少なく視野の狭い人間の元にいたく無い。
と思った。
とにかくコイツが、来るまではまともだった学ぶ会がおかしくなっていったのは事実。


教団も嫌い、学ぶはもっと嫌い。

谷口雅春先生の生まれる前は生長の家など無かった。
と、考えれば、生命の実相、真理はあるし、YouTubeでは良い話もあるし、流浪の民などではないです。

私の入信した頃は愛国運動などしていないし、教勢拡大ばかり。

なら、今は仕事を頑張るわ。
と、言う所でしょうか。

又、
困っている方がいたら、真理を話して雅春先生の本を差し上げており、教団は別の話をしているから本でしっかり勉強してね。
と、言っております。

又、先祖供養をお勧めするにもその方の浄土真宗式の先祖供養をお勧めしています。

地域のお寺が活性化して良いと思いました。


谷口雅春先生の言葉の無い教団など生長の家では無い。

いつの時代も生命の実相や真理を基本に学び、今、教団に鎮座されていらしゃる神々に甘露の法雨を読誦出来ないのは、生長の家ではありません。

私は、生長の家が大好き‼️

生長の家の生き方が大好き、だから、教団とも学ぶとも離れました。

再建は、心ある谷口家のどなたかがやらない限りは、二度と行かないと思います。





 (58307)
日時:2023年05月10日 (水) 12時07分
名前:元信徒

これからの生長の家を考える、


考えるのはいくらでもできるけど.再建になったら大変だわ。

飛田給道場には黒い勢力が蔓延しているのを感じたから、人間で言うとガンに冒されていると言う感じに私には見えている。

自浄出来なくて悪い細胞が増え放題かな?

再建できる?

雅春先生時代には戻れないだろうし、
素晴らしい総裁が出現しても自浄するのに、相当時間がかかる。


教勢拡大とは、信徒を大切に信徒に尊敬される事ではないですか。 (58308)
日時:2023年05月10日 (水) 15時47分
名前:元信徒


教勢拡大するのに、

その教え自体が素晴らしいから、聞いた人が信徒になり、その人が自分の知人を連れて又その知人と増えて行くのが組織だし。

教祖がなくなり教祖の代理がいなけれは、それに変わる人間が教えを説いて、縁のある方々が自然に集まると言うのが、今までの組織拡大の図式だったのかも知れませんが。


私が所属していた頃は、良いお話をしてますから聴きに来て下さい。
と言うのも教区練成会まで、講習会には誰も誘えません。

一般信徒が沢山動員して講習会できっかけを作って入信者が増えていくのですが、
講習会にお連れして、時間の無駄、意味分からない。つまらない。
の感想ばかり。だから信徒は減少し続けるだけ。

誰がお金を使って時間の無駄のような場所に行きます?

とにかく、メンバーチェンジと、雅春先生の真理を伝道しない限り、

生長の家に未来など見えない。
見えるはずもない。


彼の方が副総裁になった最初の講習会で、

こりゃ 信徒か大激減するわ  と思いました。

理由としては、立派な大人なのに、その年まで全然 生長の家を学んでいない。
信徒を心から拝んでいない。

まるで、場違いな人間が副総裁に立ったと直感した。

こんな人を副総裁に据えるなんて元々の組織がアホだったとしか思えなかった。

案の定、想定通りの衰退劇を演じています。

いつまで演じていくのでしょうか?


早く実相世界の生長の家を又現すように号令をかけれるリーダーが出ない限りは、現状維持しかないでしょうな。

リーダー!出て来い!

それまでは、
雅春先生の真理を日常の中で発揮して感謝して幸せに生活しますね。


何教団やらどけらへんにわざわざ行って嫌なお話を耳に入れる必要など無いですからね。



 (58309)
日時:2023年05月10日 (水) 17時48分
名前:元信徒

上記3つ

変でしたら全部削除しますけどね。

諸悪の根源 (58312)
日時:2023年05月10日 (水) 20時49分
名前:本音の時代

谷口清超先生が谷口雅宣さんを後継者に選びました。
結果論として、適材適所は大切だった。
善くなるという願望は、現実の前には無力だった。

本音の時代様 (58313)
日時:2023年05月10日 (水) 21時31分
名前:梶猛弩

 有難うございます。
 
 本音の時代様の気持ち自体は、よく分かります。

 ただ、生長の家の組織を語るときに、私が本音の時代様をはじめ
他の方とズレがあるのは、

 私の生長の家での活動期(中学・高校・大学時代)というのは、
御講習会にしても、全国大会にしても、谷口清超先生が前面に出られていた時期で、
 谷口雅春先生の御話を直に聞けた時代は、私は幼すぎて記憶になく、
 谷口雅宣氏が副総裁になった頃には、幽霊青年会員と化していたので、
 直にお話を聴けたのは谷口清超先生で、その時代しか知らないという、掲示板の中では特殊な世代にいるからなのかもしれません。
(雅宣氏が総裁になられた後に雅宣氏の講話を聴いたことは何度もありますが、その時には既に私は退会者で、親族か知人に誘われて行ったという“傍観者”の立場でした。)

 なので、谷口雅春先生の講話を直で聴いて谷口雅春先生の御許で信仰・活動されてきた諸先輩からみると、
私の考え方は違うと感じられるのかもしれません。そうした本音の時代様のような考え方の方が正しいと私も思います。

 ただ、これは自分の原点・活動の黄金期がそういう時期だったということで、御理解いただけると嬉しいです。
 よろしくお願いします。

信徒が独立心を持たなきゃ (58315)
日時:2023年05月10日 (水) 22時59分
名前:本音の時代

本来の人類光明化運動に興味のない総裁を仰いでいる人たちが牛耳っている現在では変化は無理。
谷口雅春先生の生き方や生長の家の歴史を学ぶ機会や場を増やしていけば変わるのでないだろうか。
谷口雅宣総裁が行った各種運動の検証も必要。
谷口雅春先生時代の歴史から何を学ぶかを徹底検証したのに、自身のことに関して検証しないのは矛盾している。

本音の時代様 (58317)
日時:2023年05月10日 (水) 23時23分
名前:梶猛弩

>本来の人類光明化運動に興味のない総裁を仰いでいる人たちが
>牛耳っている現在では変化は無理。
>谷口雅春先生の生き方や生長の家の歴史を学ぶ機会や場を
>増やしていけば変わるのでないだろうか。
>谷口雅宣総裁が行った各種運動の検証も必要。

 おっしゃる通りだと思います。
 教団のみならず既存の本流派各組織でも、無理だとわかりつつある今、
本音の時代様や私達のような在野の者が立ち上がっていかないといけないと思います。

本音さん (58319)
日時:2023年05月11日 (木) 10時27分
名前:元信徒

本音さん、
> 善くなるという願望は、現実の前には無力だった,

これは、信徒は祈りつづけなくてはならない事かも?
元信徒は、メチャクチャこき下ろししてますが、
雅宣先生出現で浄化もあったと思っています。

宗教教団の中で幹部が職員を愛人にして子供2人も産ませたり、それはモラルの低下していた時期があり、雅宣先生はその方を左遷した人事にして、そこからまたおかしくなって行きましたが、雅宣先生以外の甘い方が総裁になられていたら、教団内はもしかしたら、愛人だらけに堕落したかも。です。

悪い事だらけですが、その中で浄化もありました。


本音さん、
皆様でランチのするお話があります、ご一緒にいかがですか?

ここでは書けなかった事など、直接会ってお話できたら楽しいかもしれません。

如何ですか? ですが何時になるか分かりません。
他の皆様も本当にいらしゃるか分かりません。笑笑

でも現実は何時来るか分かりません。
元信徒は、その時の為にいまから貯金します。

沢山の方々でパーティができたら楽しいだろうなー。




教勢分析時に感じた疑問 (58329)
日時:2023年05月12日 (金) 21時20分
名前:梶猛弩

 先日、宗教年鑑(文化庁発行)の関係数値をExcelに落とし込んで生長の家関係の教勢を分析し投稿させていただきました。
 その際に他の公的機関のWEBサイトや各団体の情報公開資料などを閲覧しました。
その中で何となく疑問に思ったことがありましたので、覚えという意味も含めて箇条書きにしてみます。
 自分の観察力・洞察力の足りなさゆえにわからなかっただけかもしれませんので、お気づきの点がありましたらご指摘いただきますと有難いです。

1.谷口雅春先生を学ぶ会、生長の家社会事業団といった本流派各団体の信者数・会員数等数値的な実態が過去も現在もまったく把握できないこと。
 東京都のデータや内閣府の公益法人サイト、各法人・各団体のWEBページ、情報公開資料を片っ端から検索したのですが結局わかりませんでした。

2.平成18年宗教年鑑において、生長の家教団のデータが見当たらないこと。
 文化庁宗務課に毎年欠かさず報告している宗教法人がこの年だけ不存在というのはちょっと有り得ないです。それ以降も毎年報告しています。前年に報告のあった資料に基づき文化庁は集計しますので、平成16年〜平成17年頃に教団事務局において国へ報告すらできないほどの混乱する事態があったのでしょうか。

3.公益財団法人生長の家社会事業団の会費収入が、寄附金と一括記帳され、会員数や会費収入が把握できなくなっていること。
 国の公益法人会計基準では、会費収入は、大科目「受取会費」、中科目「正会員受取会費」「特別会員受取会費」「奉賛会員受取会費」で計上することを標準としています。
 ところが、事業団規程(第6条)によれば、公益法人会計なので受取寄附金で計上するという不思議な規定が書かれています。
 そして、「会費の収受は、…貸借対照表を公告し、…一般公衆の閲覧に供するほかその概要をホームページにおいて情報公開する」(第6条2項)となっているにも関わらず、会費の収受を把握することができません。

 故意とかではないと思いますが、実態を分析しようとすると、何故かこういう不思議なデータ公表をされているため、結果的に、適正な実態把握ができない状態に陥っています。

これまた、すごい話です。 (58330)
日時:2023年05月12日 (金) 22時00分
名前:⊕「訊」⊕



>>国の公益法人会計基準では、会費収入は、大科目「受取会費」、中科目「正会員受取会費」「特別会員受取会費」「奉賛会員受取会費」で計上することを標準としています。
 ところが、事業団規程(第6条)によれば、公益法人会計なので受取寄附金で計上するという不思議な規定が書かれています。
 そして、「会費の収受は、…貸借対照表を公告し、…一般公衆の閲覧に供するほかその概要をホームページにおいて情報公開する」(第6条2項)となっているにも関わらず、会費の収受を把握することができません。<<


 これまた、すごい話が飛び出しましたね。公益法人会計基準では、会費収入は、大科目「受取会費」、中科目「正会員受取会費」「特別会員受取会費」「奉賛会員受取会費」で計上することを「標準としています」とのことです。ならば、なぜ事業団は、標準の会計基準を採用しなかったのでしょう。

 誤報サン、そろそろトキ掲示板でご説明をお願いいたしますよ。


 (58353)
日時:2023年05月14日 (日) 00時04分
名前:元信徒

今、伝道はどのように指導されているのだろうか?

 (58940)
日時:2023年06月14日 (水) 23時34分
名前:神の子

阪田さんや破邪さんと護法さんは争ってばかりだが彼らは若い頃から生命の実相を愛読して活動も熱心にしてきたんだと思う。しかも国立大学とかの高学歴で頭も良いから雅春先生の著作は難しいのも有るが意味がわかって読める人達なんですよ。
生命の実相哲学は現実の問題に対しては無力なのかな?

彼ら個人の資質の問題なのか? (58941)
日時:2023年06月14日 (水) 23時46分
名前:神の子

藤原先生は祈ったら子どもの永久歯が2度生えてきたり多くの信徒を指導して救ってきたらしい。
破邪さんや阪田さんでも力不足で藤原先生の境地に達する事が出来ないなら自分を含めたこの掲示板の人間全員はこの先、生長の家をいくらやっても生命の実相の真髄に触れる事は不可能じゃないかな。

 (58942)
日時:2023年06月14日 (水) 23時48分
名前:神の子さんへ

〉国立大学とかの高学歴で頭も良いから〈

破邪さんがどこ出てるか知らないけど
さすがに護法さんの頭は良くないと思う
そもそも国立大学じゃないし
偏差値高くないし

 (58944)
日時:2023年06月15日 (木) 00時07分
名前:神の子

言いたかったんは、この宗教の教義は欠陥が有るんじゃないかな?て事なんですよ。

神想観してる時だけは神と一体の気分になって終わって現象世界に戻れば、天地一切を訴訟せよ(笑)とか書き込んで楽しそうなのが生長の家の信者ですよ。

「善くなるという願望は、現実の前には無力だった。」について (58949)
日時:2023年06月15日 (木) 15時47分
名前:本音の時代

願望だけではダメなんです。
善くなるための法則(方程式)を無視していたら、現実は改善しない。
「祈ることです」という人がいるかもしれませんが、「祈り」だけじゃダメなんです。
遅刻しそうな時に祈れば遅刻しませんか?
そうじゃないですよね。
「間に合いますよう」にと願い、祈り、そのために行動(歩くから走るでしょうか)しますよね。

ところで、教団は良くわからないけれど、本流を掲げる学ぶ会で説く生長の家は先祖供養教になったのでしょうか。毎月、先祖供養祭をやっていますが霊牌1柱100円毎月ですか?集金と組織離れ防止、おかげ信仰には良いのかもしれないが、本来の生長の家の教えから離れて来たなという、うがった見方をしています。
熱心な先祖供養ファンから見れば、余計なことでしょうが。

 (58954)
日時:2023年06月15日 (木) 20時02分
名前:神の子

ちょっと先祖供養祭はやり過ぎですね。
信徒が実際はそれを望んでいるから需要に応えてる面も有ると思いますがご利益信仰にはウンザリです。

本来の生長の家とは何か?と言うとやはり生命の実相でしょう。
生命の実相を1巻から読み進めて観行編を参考に神想観をやってみる…のが王道かと思う。

本音の時代様 (58956)
日時:2023年06月15日 (木) 21時06分
名前:梶猛弩

私が子供の頃、テレビや映画で“宮本武蔵”が放映されて、子供心に興味を持って観ていたのですが、
謂わずと知れた宮本武蔵の名言
「我、神仏を尊びて、神仏を頼らず」
が三つ子の魂百までというやつで、私の中でハウリングしている台詞です。

本音の時代さんについては、私がこの掲示板に書き込むようになるずっと以前、本音の時代さんがWEB上でいろんなチャレンジされている頃からずっと注目していまして、いつの頃からか無意識のうちに宮本武蔵役の高橋英樹さんと本音の時代さんがダブっていて、
本音の時代さんの書き込みを読むたびに、高橋英樹のようなタフガイがこの書き込みをしているんだとイメージしていました。

なので、本音の時代さんの
「善くなるという願望は、現実の前には無力だった。」
という投稿は、
「我、神仏を尊びて、神仏を頼らず」
というフレーズに脳内変換されて私の心の中に響いてきます。

本題の学ぶ会の先祖供養祭に関しては、
私自身は未体験なので所見を述べるには至りませんが、
本音の時代さんや神の子さんが、やり過ぎと感じているということは、その通りなのでしょう。

これからの生長の家、あえて愛の生長の家を作りましょう。 (58957)
日時:2023年06月16日 (金) 00時02分
名前:本音の時代

私は霊感とは全く無縁です。なので、先祖供養で迷っている霊が救われているのかもわかりません。私の先祖供養は、今この世、現象世界というこの世に存在させてもらっていることの感謝です。
先祖供養で迷っている霊が救われるというのなら、霊界自体では救われることはないのでしょうか。こちらの世界で行う先祖供養で霊界の霊が救われるのなら、こちらの世界の方が格上なのでは?
わからないことばかりです。

話は飛びますね。
谷口雅春先生時代は、生長の家は愛にあふれていたと勝手に想像しています。谷口雅春先生が愛の人ですからね。信徒の苦しみを我が苦しみと感じていたことでしょう。
人間も愛したし、国も愛した。だから、生政連を立ち上げた。堕胎禁止も目的であったろうが、政治家の意識革命がなによりだったのではないでしょうか。ところが、優生保護法の改正が無理となったとか、比例代表制の導入で落選したとかで、政治から撤退。でもね、世の中そんなに簡単に変わるものじゃないのです。なぜ、そんなに結果を急いだのでしょうね。なによりも政治にかけた谷口雅春先生の思いを簡単に捨てすぎなのではないでしょうか。
あの頃から、愛の生長の家に排除や排斥の考えがのさばり始めたように感じます。左遷人事の乱発から裁判の乱発、口先で大調和を唱えても、行動は排除や排斥。愛の生長の家は何処へ。
これからの生長の家、合言葉は『愛の生長の家』

本音の時代様 (59011)
日時:2023年06月16日 (金) 21時56分
名前:梶猛弩

“愛の生長の家”ですか!
素晴らしいですね。

生長の家のことが話題になるときは“排除・排撃”の話ばかりですので、本音の時代様から本物ズバリの言葉が出てくるとホッとします。

最近、親族やリアル知人が教化部へ行っても学ぶ会へ行っても、どちらかと言えば表面的な話ばかりしか聴けないとそれぞれ愚痴っぽく語っていましたが、
本音の時代さんや訊さん、志恩さんのようにど真ん中ストレートの話題を聴けるのは、とても貴重だとよく言ってます。
先ほど、シオ(志恩)さんが、週間掲示板ランキングで“生長の家”本流復活”に関する掲示板”(トキ掲示板)は2位9,290件のアクセスランキングと投稿されていましたが、、教団であっても学ぶ会であっても、どちらの会員であっても誰でも、とても興味を持って閲覧している掲示板だと実感しております。

これからの生長の家を考える上で、
余人をもって代えがたい本音の時代さんにおかれましても、
今後とも頻繁に、この掲示板で貴重なお話をしていただけたら嬉しいです。

よろしくお願いします。

 (59063)
日時:2023年06月17日 (土) 20時45分
名前:神の子

死骸を相手にお経を読むのは宗教の本来の役目では無い…とか1巻だったかな?最初から読み進めて行くと先祖供養を否定しているとも受け取れる表現が有る。先祖供祭やっても良いんだけど、殊更そこだけに焦点を合わせると教義が曲げられて仏壇でお経を読む宗教になってしまう。

ミイラ取りがミイラになる。みたいな感じ。 (59065)
日時:2023年06月17日 (土) 20時54分
名前:神の子

葬式仏教と言う言葉は明治大正から有ってその頃から問題視されていたそうな。
世の中の宗教がそういう葬式仏教ばかりになって生きている人間を救う力が無くなった現状でこれじゃマズイってんで雅春先生が生長の家を起こしたのにですよ。
生長の家までも毎日仏壇でお経を読んで効果的に功徳を積んでご利益を貰う宗教にしたがる人達もいる。

 (59066)
日時:2023年06月17日 (土) 21時00分
名前:神の子

一日中、講師の話を座って聞き続けるのも眠くなるし人間の集中力ってそんなに続かない。
家に帰ってから覚えてるのは冒頭の破邪先生のダジャレだけだった。てな人は少なくないかも知れない。
個人的には笑いの練習を講話の合間に挟んでもっとやってほしいと思う。

神の子様 (59070)
日時:2023年06月17日 (土) 23時41分
名前:梶猛弩

笑いの練習!
いいですね〜(^o^)
練成会や見真会の原点があります。
毎回、笑いの練習があれば私も行っちゃいます。

講話で人が集まる魅力は、何よりも講師の魅力にあると思います。
話の上手い人。熱血漢。誠実な人。
講話の内容には得手不得手があるかもしれないけど、こうした講師の先生の集まりには自然と人が集まり、増えていくのは間違いないです。

先祖供養を毎月の行事の中でどの位重きを置くか、
これについては、いろんな意見があると思いますが、
次の世代を担う若き講師陣の育成。
血が通い誠実な人達をどれだけ育て上げられるのか、
未来に向けた伝道の中で最も大切な役割なんでしょうね。

web誌友会 (59105)
日時:2023年06月19日 (月) 10時16分
名前:神の子

たまには生命の実相の話がしたいと思う。
ahopeさんが昔はやっていたが元気にされてるだろうか。

神の子様 (59123)
日時:2023年06月19日 (月) 21時25分
名前:梶猛弩

 WEB誌友会ですか。

 私もあと数年したらサラリーマン辞めますので、
そしたら、ZOOMとかTEAMSとかどんどん使って
やってみたいし、いろんな方の誌友会にお邪魔してみたいです。
それまでは、顔出し、声出し、厳禁ですので我慢です。

 最近、遅ればせながら、Youtubeでいろんな講師の方のご講話を視聴するようになりました。
 私は正直、リアルではお話が上手いという先生を知らなかったのですが、
今、自分の姿と声をそのまま出して講義をされている先生方を観てると、
生長の家の先生方には、こんなに人を惹きつける魅力ある話ができる方が沢山いるんだな
と改めて感激しているところです。

 ただ、惜しむらくは、こうした先生方はほとんど70代で、次に80代、今はもう鬼籍に入られている方といった方が多く、60代の先生は何人いらっしゃるんだろうという感じで、30代、40代のエネルギッシュな脂の乗り切った世代の講師はいるんだろうかと心配になってきます。教団であっても、学ぶ会であっても。

 いくつになっても活き活きとお話をされる先生はとても魅力的ですし、人を歳で甲乙つけるつもりはまったくありません。
 ただ、未来を考えるならば、若い人をどんどん前面に押し出した組織運営をしてほしいと願います。
 WEB時代ですから、特にそう思います。

 (59138)
日時:2023年06月20日 (火) 08時04分
名前:神の子

学ぶ会の集まりに行くと参加者の高齢化がすすんでいて講師の先生も高齢だから聴衆に合わせて高齢者向けの話をするから自分には合わない話も有るんですよ。
教団は更に高齢化して介護施設みたいな雰囲気ですが。

 (59139)
日時:2023年06月20日 (火) 08時11分
名前:神の子

学ぶ会は長崎大学だったかを卒業して東京の本部に入職したとかの若い人も数人いて若者の活動の担当らしいです。教団に期待出来ない現状では若い人に期待してます。

最近は話題にもならない教団について (59140)
日時:2023年06月20日 (火) 08時24分
名前:神の子

若くて優れた講師の育成は大事ですがそれが実現したからと言って雅宣先生の『今の教え』の事は知らぬ存ぜぬで押し通して雅春先生の教えだけを説く事は出来ないと思う。
聴いている人も納得しない。
雅宣総裁が引退した後で本流と和解してもそれとは別で雅宣総裁が改変した教義の総括が必要になる。

 (59141)
日時:2023年06月20日 (火) 08時47分
名前:神の子

で、梶モードさんが会社を引退されるならご自身が講師になって人類光明化をされては如何でしょうか?
自分が神の子だとわかったなら、そのわかった神の子を今生きていくのが必要…だったかな?
久遠仏性編の我らの祈願及び修養にそんなの有ったんですよ。

 (59143)
日時:2023年06月20日 (火) 08時56分
名前:神の子

それは自分にも言える事だが。

千葉県市原市に生長の家台って土地が有るらしいんですよ。生活編の朝の時間を生かせの模範農場の土地。たぶん戦後はGHQに没収された?
人類光明化運動の為に土地を寄附した人もいる。わかった神の子を実際に生きるって例えばこういう事かな…と思ったりする。

神の子様 (59151)
日時:2023年06月20日 (火) 21時32分
名前:梶猛弩

 次世代を担う若き講師の育成は急務だと思っています。
 教団であっても学ぶ会であっても。
 
 神の子様のお話では、学ぶ会本部に大学を卒業して講師をされている方がいるということ。心強いですね。
 そうした世代に早めにバトンタッチされて新陳代謝を図っていただきたいものです。

 教団も少しずつ変わってきているかもしれません。

 私はワーカホリックと周囲に言われるくらい、30代・40代の頃は働きづめだったので、
流石に60歳になったら定年延長とか第二の職場とかそんなことは考えずに、
自分のやり残したことをやろうと思っています。

 谷口雅春先生の言葉を学んだり実践したり、そうしたシニアライフは憧れますが、
まだ社会の第一線にいる身としては、時折聞かれる浮世離れした発言や、一般常識から懸け離れた行動を見ていると、自分の第二の人生を賭けるに相応しい場を願うのも事実です。

 己の“終の棲家”をどうするか、真剣に見極めたうえで、いったん動き出したら身命を賭してみたい。

 決断の時は否応なく迫ってきますが。。。

 (59267)
日時:2023年06月26日 (月) 21時31分
名前:神の子

少数ですが頑張って活動する若い人も本部にはいたりする訳ですよ。学ぶ会でも教団でも。
しかし一般の信徒さんで熱心に活動する30代40代って皆無では無いですが少ないですよ。
親子で生長の家やってる人でも親世代が熱心で子世代はそれほど…って印象です。
本当に興味が有って活動してるのか親がしつこいから仕方無く付き合いでなのか腹の中はわかりませんが。

 (59268)
日時:2023年06月26日 (月) 21時39分
名前:神の子

将来に支部長を担うような人材が足りない。
教団も学ぶ会も将来は規模を縮小していくでしょう。
学ぶ会は教団から信徒を引き抜いて会員を増やす破邪先生の『受け皿戦略』から脱して社会に広く教えを広めて欲しいと思う。

神の子様 (59269)
日時:2023年06月26日 (月) 23時07分
名前:梶猛弩

 もうすぐ夏休みですね。
 ここ数日続けてLineで友人の丸子さん(仮名)から教化部主催の夏休み小学生練成会(見真会)のリーフレットが、大先輩の円男氏(仮名)から学ぶ会の夏季青少年練成会の動画が送られてきました。
どちらも楽しそうで、ここへ行くととてもいい子に生長して帰ってくるんだろうなと思うような雰囲気で、
日程違うんだから両方行ってもいいんじゃないかと思ってしまうような素晴らしいものでした。

 そう思うと、教団も学ぶ会も、争いは裁判じゃなくて、
どちらが参加してくれた子供たちによき伝道が出来たかを競い合うとか、
そういうプラスの競争をしてほしいな〜
と、思った一日でした。

 最近は仮面ライダーとかヒーロー実写モノのテレビも、
子どもじゃなく、一緒に観るパパさんママさんの心を掴む工夫をしているし、

 子供が行きたい行事なら、自然とその親世代の30代・40代にも心が通じていく。

 著作権なんかで争わずに、
「漫画絵巻 生命の實相」とか「四コママンガ マサハルくん」
とか作って、Twiiterで気軽にアップするとか、

そういうところに全知全能を傾けてほしいです。
裁判で策略を巡らせるよりは、よほど健全です。

 組織運営に携わる先生方におかれましては、今回の裁判騒動で本当に本当に眼を醒ましていただいて、
20年後、30年後の未来を担う若者たち、子供たちが、
気軽に行事に参加できるような、そうした組織運営を心がけていただきたいものです。

改めて題名を見直すと (59346)
日時:2023年06月30日 (金) 00時39分
名前:神の子

これからの生長の家を考えるとなっていますが『これから』の文言は一旦置いといて『生長の家』って何でしょうね?
人によって捉え方が違うようです。
阪田氏は最新の文章で本流が先祖供養祭に傾倒しているのを批判しているようですが…

 (59347)
日時:2023年06月30日 (金) 00時45分
名前:神の子

著作者人格権の件では意見が違うがここは阪田氏の意見に同意するのだ。
先祖供養祭なら献金を集めやすい金儲け主義のやり方だとかは悪い方向に観ればそう見えるかも知れませんが。三正行を中心に教義を曲げないでやって欲しいとは思います。

 (59348)
日時:2023年06月30日 (金) 00時52分
名前:神の子

万教帰一編の菜食論の話も堂々と講話でやって欲しいですね。肉を食べたい人や焼肉屋を営む信徒が反発しても教義は教義として教えを歪みなく伝える事を宣言してるんだから。

 (59349)
日時:2023年06月30日 (金) 01時00分
名前:神の子

それなら肉を食べないのか?

雅春先生の教義では肉食禁断が望ましいが現象の自分はまだ修行中で未熟だからこれからも肉食やります。で良いと思うんです。
変な言い訳したり教義を捻じ曲げて自己正当化しなくても。

 (59357)
日時:2023年06月30日 (金) 21時23分
名前:梶猛弩

 生長の家とは何でしょう?

 「生長の家とは何か?」この問いほど易しく、また難しいものはない。

“生長の家とは如何なるものか − 生長の家家族の祈願および修養−”
が確か実家の書斎にあったと思いますので、帰った折に熟読してみます。

 ただ、神の子さんの言う肉食禁断は果たしてどうかと思います。
 教義を正しく伝えるということと、実社会で実践することは明らかに異なります。

 エホバの証人の“輸血拒否”のように、聖書原理主義に陥ってはいけません。

 教義に回帰することと、教義を絶対化することは似て非なるものなんだということを伝える側も気づかないと、伝道の輪は大きく広がっていかないと思います。

 (59360)
日時:2023年06月30日 (金) 22時26分
名前:神の子

良くも悪くもバランス感覚に優れた意見ですね。日々の生活の中に教えを活かして幸せな生活を送ろう…みたいなカジュアルな形の体制を望んでいるイメージを感じました。

神の子様 (59361)
日時:2023年06月30日 (金) 22時41分
名前:梶猛弩

 生長の家は在家の信仰です。

 葬式宗教でも出家宗教でもありません。

 今自分が存在する社会と調和すること、
それが本物の在家宗教です。

 (59362)
日時:2023年06月30日 (金) 22時53分
名前:神の子

昔、何回かスキーに行った事が有るんですが上に登ってリフトから降りると正面に緩やかな斜面が端の方は多少は急な斜面になっていたんです。
初めての人は緩やかな所を少し慣れた人は少し急な所を挑戦してみたり。そこを降りずに更に上に行くリフトに乗るともっと難しい上級者コースが有るみたいな感じだったと思うんです。

 (59363)
日時:2023年06月30日 (金) 22時57分
名前:神の子

で、何が言いたいのかと言うと、教義オタク向けの上級者講座も有って良いのではないですかね?

一般向けには梶モードさんの方向で良いと思うし異論無いですよ。

神の子様 (59364)
日時:2023年06月30日 (金) 23時07分
名前:梶猛弩

 そうですね。
 その通りだと思います。

 ただ、私は今の教団や学ぶ会のことがよく分かっていないので
トンチンカンなことを言ってるのかもしれませんが、
 私は勝手に、例えば
教団だと、宇治の研修生制度
学ぶ会なら、教義研修講座
がその役割を担っているのかなと思ってました。
違っていたらごめんなさい。

 (59365)
日時:2023年06月30日 (金) 23時08分
名前:神の子

雅春先生は当初は哲学的思想運動として始めた生長の家が世間から宗教と認められたのは有難い事でも有り迷惑な事だと言っている。

哲学的思想運動なら生命の実相の教義を絶対視するガチな勉強会も選べたら良いと思います。
とは言え哲学では無いので頭だけで理解するモノでは無く神想観なる観行が必要になりますが。

神の子様 (59366)
日時:2023年06月30日 (金) 23時23分
名前:梶猛弩

 個人的な意見ですが、
もう生長の家が一つに戻ることはないと思うので、
それなら逆に、それぞれの人達の価値観に基づき
 神想観を実践する道場、
 生長の家哲学を学ぶ私塾、
 個々の救済をめざす宗教
 政治に積極的に関与する団体
というふうに、おもいおもいの夢を実現する
小規模な団体や集まりが沢山できて、
結果的に日本中に谷口雅春先生の教えが
浸透していく、
そうした形が理想ではないかと思っています。

 神の子さんもぜひ、その一翼を担っていただく存在に
なっていただけたらと願っています。

生長の家哲学を学ぶ私塾なら (59375)
日時:2023年07月01日 (土) 09時16分
名前:神の子

この掲示板にも掲載されている錦糸町の勉強会はそれに該当するかと。学ぶ会の勢力下ですが関東圏の人であれば県外から来ても後悔はさせないと思います。
政治に関与する団体はですね…どうも政治が絡むと汚くなるような。政治を論じるのは間違いでは無いと思いますが。

錦糸町の私塾とは、学ぶ会のこれですね。 (59377)
日時:2023年07月01日 (土) 09時36分
名前:志恩

https://bbs5.sekkaku.net/bbs/toki2/mode=res&log=7852



錦糸町の私塾の指導講師である坪内先生の考え方は、
ここに⬇️載っていました。

坪内先生は、「新編・生命の實相」の絶対支持者でいらっしゃいます。
ですから「新編・生命の實相」の絶対支持者のお方でしたら、
参加されましたら、波長が合うので、魂が喜ぶのでは、ないでしょうか。

https://www.youtube.com/watch?v=aeCz2dkvZ3g

 (59396)
日時:2023年07月01日 (土) 18時25分
名前:神の子

それと神想観の道場と個々の救済を目指す道場ですか。梶モードさんはアイディアが豊富ですね。それが実現したら本来の生長の家の完全復活ですね!しかし…?

人間は2種類のタイプがあって物事を具体的に考える人と抽象的に考える人があるらしい。優劣では無いが神の子は前者、梶モードさんは後者かなと思う次第。

 (59397)
日時:2023年07月01日 (土) 18時30分
名前:神の子

その道場は誰が立ち上げるんでしょう?

信者が減少していく状況でそれをやる人材がいないと思うんです。
梶モードさんも立ち上がらないんですよね。

夜明け前が一番暗い (59398)
日時:2023年07月01日 (土) 18時35分
名前:神の子

日が沈んで暗くなったら太陽が昇らないかな…と日が昇る光景を夢想していてもしなくても布団を被って寝てしまっても時間が経って日の出の時刻になれば必ず夜は明けるんです。

 (59399)
日時:2023年07月01日 (土) 18時40分
名前:神の子

しかし時間が経っただけでは勝手に道場は立ち上がらない。畑を作るには自分で土を耕す事を始めなくては。

 (59400)
日時:2023年07月01日 (土) 18時45分
名前:神の子

あっ!神の子か。
神の子に立ち上がれと?

いやいや…困ったな(笑)

 (59401)
日時:2023年07月01日 (土) 22時12分
名前:梶猛弩

 我を捨てることさえできれば、難しいことでも何でもないんですよ。
 ただ今の生長の家は、教団も本流派も自分達と違った視点を持ったら途端に排除・排撃を始めるために、幅広い人材が広がっていくネットワークを築き上げていくことができない。
 むしろ逆に、生長の家を源として、社会のいろんなところで活動している人達はみんな仲間なんだくらいの器の大きさを持つべきだと思います。

 個人であれば、
 アクエリアンさんも、本音の時代さんも本来なら組織の中に取り入れるべき力強い活動を個人でされている。
 他のトキ掲示板の方も言わずもがな。志恩さん、元信徒さん、、、まさに一騎当千。

 あまむし庵さんも、裁判以降、一回り大きくなられたご様子。

 本部講師をされていた方々の活動もみんなで共有していけたらと思います。
 大熊先生の“いのちを守る親の会”、阪田先生の“光明の音信”、粟野先生、岡先生(故人)の“みすまるの珠”。

 “ときみつる會”もぜひ表舞台に登場してほしいです。

 こうした活動を“All or Nothing”で線引きするのではなく、みんな生長の家の仲間なんだ!と。。。

 理想を言うなら、
 研修会には分け隔てなく演者としてお招きして、信者・元信者が主催する生長の家に関する行事なら、飛田給も宇治も日本橋も国立市も会場として活用する。(いろんな事情で難易度が高いかもしれませんが。)

 ただ一つ、生長の家を谷口雅春先生の教えを軸にとても広い間口と奥行きの“家”として考えていく。
 その発想の転換により、低迷から上昇気流へと大きく変わっていくと思います。

 今回の裁判を巡る一連の事件は、信者同志で争うことが如何に虚しい消耗戦となるかを知らしめました。
 みんなが何かを学んで発想の転換ができたら、今回の争いはその1点だけでも無駄ではなかったのかなと思います。
というか思いたいです。

意見の違いはどうするんですか? (59411)
日時:2023年07月02日 (日) 02時01分
名前:神の子

生長の家がもう1つに戻る事は無い。って言ってたような…1つには無理でも合同行事は可能って事でしょうか。
対立している団体は切り分けたケーキの大きさが違うとか些細な事で喧嘩して感情的になって仲違いしてる訳では無い。教義に対する意見が違って双方が絶対に妥協できないから異を唱える人間を破門追放したり同じ意見の人同士で自ら組織を抜けて新団体を設立したりしてるんですよ。

 (59412)
日時:2023年07月02日 (日) 02時10分
名前:神の子

我を捨てるとか発想の転換というのは自分がこだわってる教義に対する意見を引っ込める、相手に合わせて妥協する事ですか?
会社の会議なら上司に強く言われたら自分の意見を無条件に引っ込める事はできますが。

 (59413)
日時:2023年07月02日 (日) 02時19分
名前:神の子

宗教団体が異分子を組織から排除するのは問題無し。大いに結構だと思います。
時代が違えば処刑や国外追放なのに今は裁判やったぐらいで人でなしみたいに非難される。
平和な時代に生まれて良かったです。

 (59414)
日時:2023年07月02日 (日) 04時00分
名前:神の子

意見の違いと言うか現に教団では礼拝の対象である実相額の前に三重の塔のミニチュアを置いたり造化の三神を信仰したりしている。
別の宗教になったと言うしかない。

昔は喧嘩したけど生長の家同士なんだから仲直りして…みたいな理屈が通用する段階を超えている。交わる事はないがそれぞれの信じる人類光明化を頑張ろうみたいに裁判はやめて敵対的な関係は改善されたら良い事だと思う。

神の子様 (59417)
日時:2023年07月02日 (日) 07時59分
名前:梶猛弩

 考え方の根底で違いがあると、不毛な議論になってしまいますので、私の考えを少し補足しますね。


(1)過去に起こったことは変えられない。しかし、未来を変えることは可能であること。

(2)出来事は変えられない。しかし、形は変えられること。

(3)人の心はなかなか変わらない。しかし、人が変わればその人の行った行為を別の人が変えることはできること。


 変化への希望があるから、それそれの人が変化に向かって行動しているのだと思います。この掲示板の存在意義もそこにあると思います。


 (59418)
日時:2023年07月02日 (日) 08時53分
名前:梶猛弩

 先ほどは、日曜日の朝御飯前に大急ぎで投稿しましたので抽象的に書きすぎましたね。
 一つ一つに回答する形で補足します。

 >我を捨てるとか発想の転換というのは自分がこだわってる
 >教義に対する意見を引っ込める、
 >相手に合わせて妥協する事ですか?
 >会社の会議なら上司に強く言われたら
 >自分の意見を無条件に引っ込める事はできますが。

 今の教義に拘っているのは、総裁先生他ごく限られた人達です。
 また、時代が変われば説き方も変わると、その総裁先生自身が言われていますので、そう遠くない将来、時代が変わり、次の世代に継承されたとき、今の解釈は、必然的に変化を遂げます。
 それは妥協ではありません。強く言われたから無条件に引っ込めるものでもありません。

 (59420)
日時:2023年07月02日 (日) 09時02分
名前:梶猛弩

  >宗教団体が異分子を組織から排除するのは問題無し。
  >大いに結構だと思います。
  >時代が違えば処刑や国外追放なのに今は裁判やった
  >ぐらいで人でなしみたいに非難される。
  >平和な時代に生まれて良かったです

 これも、神の子さんは捉え方を間違えています。
 処刑や国外追放が許容される時代や地域であれば、あるいは許容される可能性があったのかもしれません。
 将軍様や総書記が自分が君臨する国でそれをするなら、ここまでボロクソに言われることは無かったと思います。

 今の日本で、将軍様や総書記のような行いをするから、何様なのということになっているのです。

 その過ちにより人心が益々離れ、結果的に致命傷になりかねないから批判するのです。

 (59421)
日時:2023年07月02日 (日) 09時09分
名前:梶猛弩

  >交わる事はないがそれぞれの信じる人類光明化を
  >頑張ろうみたいに裁判はやめて敵対的な関係は
  >改善されたら良い事だと思う。

 この考え方は正しいと思います。 
 仮に交わることがなくても、それぞれが新しい場所で、それぞれ新しい種を撒けば、結果的に新しい光明化運動が展開される。
 現状を許容した上で行動するなら私の考え方に近いです。 

異分子 (59422)
日時:2023年07月02日 (日) 10時55分
名前:本音の時代

生長の家教団は谷口雅春先生が作ったものです。
私はこれを基本として考えるようになりました。
十数年前に教団を退会し、3年前に復活しましたが、去年の11月からは聖使命会を更新していませんが、いつでも更新してよいと考えています。
復活後、更新時期になっても教化部からは連絡がありませんでしたので、教化部に行き1年分納めました。去年の教化部からは何の連絡もなかったので、更新していないのです。教化部が会員の維持や増加に関してやる気がないのだと感じています。
谷口雅宣総裁も異分子ですが、谷口雅春先生が作った生長の家教団を正当に護ろうとしない人たちも異分子だと思います。
もちろん、自分も異分子です。
異分子だらけなので、谷口雅春先生が考えた生長の家の組織はなくなってしまっているのでしょう。

本願寺 (59423)
日時:2023年07月02日 (日) 11時02分
名前:神の子

本願寺は戦国時代に政治的意見の対立(信長と徹底抗戦か和睦か?)からの跡目争いで2つに分裂、江戸時代になっても本願寺を警戒する徳川家康の分断政策で分裂状態が維持されて現代でも東西の2つの本願寺が存在するそうな。

 (59424)
日時:2023年07月02日 (日) 11時07分
名前:神の子

細かな作法の違い(数珠のかけ方)はあっても教義に決定的違いは無いが合同せずにそれぞれがお互いに良い意味でのライバル関係で切磋琢磨してるらしいのだ。

神の子は教団と学ぶ会も将来的にはそのような関係を望んでいるのだ。

本音の時代様 (59428)
日時:2023年07月02日 (日) 14時28分
名前:梶猛弩

 長年素晴らしい活動をされている本音の時代様に、私如きが意見を言うつもりは、まったくありませんが、聖使命会費を自ら納めに行くという確固たる意思表示をされているのですから、相愛会の一員として誌友会を開催してみては如何かなと思います。

 3年以上前は、学ぶ会の勉強会をされていた本音の時代様が、今度は、教化部の勉強会を開催するとしたら、本音の時代様の存在感は、本部講師以上のものがあり、全国の教団関係者、本流派関係者にも知られていますから、潮目を変える象徴的な動きになる気がします。

 実際にその動きは、複数の教化部で始まっているようにも感じます。デリケートな部分なのでWEB上では見えない(言えない)だけで。

今も学ぶ会で勉強中 (59430)
日時:2023年07月02日 (日) 15時32分
名前:本音の時代

教化部は集会を再開したのかなぁ。
3月に行事が再開したら連絡するとのことだったのですが、その後連絡はありません。
学ぶ会の勉強会は継続参加中です。昨日は、日本政策研究センターの岡田幹彦先生の偉人に学ぶ歴史講座「坂本龍馬」に参加しました。

本音の時代様 (59432)
日時:2023年07月02日 (日) 15時57分
名前:元信徒


素晴らしい‼️

みんなでお話する場所も大切で必要ですけど、

本音の時代様、お部屋をつくって勉強の感想やら雑感などお話下さいませんか?
暗いことでなく明るい話題でのお部屋を。

バラバラにお話しするともったいないですので。

是非‼️

私の部屋は、今のところ無目的な一人雑談部屋ですが、
のちに、整理したいです。笑

本音の時代様 (59434)
日時:2023年07月02日 (日) 16時43分
名前:梶猛弩

 教化部も対人での集まりを再開しているようです。
 
 本音の時代様は、とても力の有る方ですので、それぞれの集まりで積極的に発言されて、組織そのものを動かす取り組みを始められますと、大きな波となりそうです。

 教化部も学ぶ会も、このままではいけないという問題意識を持ち始めているようにも感じます。
 元の鞘には収まらなくても、時代は次の段階に入りつつある予感がします。

 (59451)
日時:2023年07月03日 (月) 05時19分
名前:元信徒

そうですね。

どんな争いも

迷いと迷いの自戒作用なら 関わる必要ないとしか思えない。

無い迷いは根無草、やがて消える運命にあるものに 関わっても時間の無駄でしか無い。


生長の家はみんなと仲良くする教え。

皆んなと仲良くすると言うことは、

他者に

求めない事

何一つ求めない事


に尽きる。

元信徒は、そう思うけどな。

特に仲間同志で、やめてよね。

神の子様 (59499)
日時:2023年07月04日 (火) 22時24分
名前:梶猛弩

>東京の本部に入職したとかの若い人もいて若者の活動の担当らしいです。
>若い人に期待してます。

 なかなか聡明そうだし、ユーモアもありそうだし、期待度満点の若者ですね。
 将来が楽しみです。

 (59551)
日時:2023年07月08日 (土) 05時43分
名前:神の子

昨日、カレーを作っていてジャガイモを入れたら煮込んでいるうちに全て溶けてザラザラ食感のカレーが出来てしまいました。
具材は肉と玉ねぎだけで事足りるかも知れませんがジャガイモを入れるなら事前に質感の見極めが重要みたいです。

 (59552)
日時:2023年07月08日 (土) 05時47分
名前:神の子

みんなと仲良くするというのはそういう…ジャガイモが溶けたカレーみたいな状態なのか?と云うと違うんだろうな。
溶け込んでるけど不調和なカレー…。

 (59553)
日時:2023年07月08日 (土) 05時51分
名前:神の子

平等にして差別が有るのが大調和。
蛇は座敷に上げてはいけない。
と人生読本に書いてあります。

 (59554)
日時:2023年07月08日 (土) 05時54分
名前:神の子

阪田氏も護法さんもそれぞれの持ち場で人類光明化をやって欲しい。
相手にちょっかいを出さないようにまた何か言われても一旦は堪えて欲しい。

神の子様 (59568)
日時:2023年07月08日 (土) 20時54分
名前:梶猛弩

 若い人に期待すると言われて思い出しましたが、國學院大學出身で学生会議で活動されていた女性がいましたが、今も活躍されているでしょうか?

 数年前まで新聞・テレビやWEBで紹介されていて、注目していたのですが、コロナのせいか最近あまり聞かなくなったので。
 神の子さんならお詳しいかと思ってお尋ねしました。

これからの生長の家 (59571)
日時:2023年07月08日 (土) 22時16分
名前:本音の時代

生長の家って何だろう。
学ぶ会は学ぶ会であり生長の家ではない。
社会事業団は社会事業団であり生長の家ではない。
ときみつる會はときみつる會であり生長の家ではない。
生長の家教団は生長の家がわかっていない人が総裁をやっている。
阪田先生は生長の家を確認するために「光明の音信」を発行しているのではないかと、毎号継続して読み始めてから私は考えています。

本音の時代様 (59572)
日時:2023年07月08日 (土) 23時05分
名前:梶猛弩

>生長の家って何だろう。

 本音の時代様にとってのお答えは、“谷口雅春先生の御教えを学び人類光明化運動に邁進すること”と思います。(表現はひとそれぞれですが、ほとんどの人にとっても。)

 なお、私にとって真っ先に思い浮かぶのは、“人間神の子”であり“万教帰一”なので、
仮に上記のような問が突然発せられたなら、神そのものという回答をするでしょう。

梶モードさま (59573)
日時:2023年07月09日 (日) 03時31分
名前:神の子

自分が考える生長の家を信仰している人の定義は生命の実相を日々読んでそこに書いてあるように神想観に励む事だと思っています。
で、基本的に本流支持ですが若い人の件は聞いた話だから書き込んだだけで。政治の話と人間関係とか馴れ合いは苦手なので。

 (59574)
日時:2023年07月09日 (日) 03時40分
名前:神の子

それでその分野は全く詳しく無いので学生会議てのも何だか知りませんでした。
何故、詳しそうに思われたのか…?
人間って難しいですね。

神そのものと信仰 (59577)
日時:2023年07月09日 (日) 05時27分
名前:本音の時代

神そのものなら生長の家という名称など使わなくてもよいのではないでしょうか?

信仰が、生命の実相を日々読んでそこに書いてあるように神想観に励む事なら、それが何になるのでしょうか?
信仰と日常を生きることは別のことですか?

本音の時代様 (59624)
日時:2023年07月09日 (日) 21時10分
名前:梶猛弩

 私は、本音の時代様のような考え方をする方を、正統派、真の本流派として憧憬の念でみております。

 ただ、これからの生長の家、次代に継承するために何を為すべきかを考えるときに、私の行動理念は異なります。

 私が理想とするのは、日本人が、ごく自然に生長の家に触れることができる社会です。

 例えば、今の日本では誰でも“論語”に慣れ親しむように、生長の家の言葉、一つ一つに触れることができないだろうか。
 
 あるいは、世界の多くの人が、クリスマスをお祝いするように。
 ケルトの宗教行事ハロウィンも、今や国民みんなに浸透しました。昭和の頃には全然見かけませんでしたが。


  >信仰と日常を生きることは別のことですか?

 信仰と日常が一体化する人は素晴らしいです。
しかし、全ての人にそれを求めるのではなく、日常のごく自然なところに生長の家の観方が受け継がれることを考えたい。
 それが本音の時代様の問いに対する私の答です。

 (59719)
日時:2023年07月13日 (木) 13時57分
名前:神の子

生命の実相を読む事と神想観は大事だといったんですよ。だからってそれだけで良いとか。
それと生活が別になっても良いとか悪いとか言ってませんよ。

生長の家を信仰している人の定義 (59724)
日時:2023年07月13日 (木) 15時52分
名前:本音の時代

(59573)からは (59719)のような解釈はできませんでした。すみません。

 (59866)
日時:2023年07月19日 (水) 23時11分
名前:梶猛弩

変革の時。

今変わらなくて、いったいいつ変わろうというのか。。。

 (59872)
日時:2023年07月20日 (木) 06時30分
名前:神の子

さて、なんか書きますか。

コンビニ (59873)
日時:2023年07月20日 (木) 06時34分
名前:神の子

昔は色んな店が有りましてね。
サークルKサンクスやスリーエフとかampmとか色々。
各社が工夫して競争していて昔の方が良かったと思うんですけど今は大手3社に集約された形になりましたね。

 (59874)
日時:2023年07月20日 (木) 06時43分
名前:神の子

都市銀行と携帯キャリアも偶然なのか大手3社に絞られた格好ですね。
たぶん偶然では無い。何かの必然性が有ってこうなってきてるんだと思う。経済の専門家に言わせても何か法則性が有るって言うと思うんですよ。
例外は車。日本には多数のメーカーがひしめいてそれぞれが強みを持っていて生き残ってるのは凄いと思う。

 (59875)
日時:2023年07月20日 (木) 06時50分
名前:神の子

一方で宗教を見ると仏教でもキリスト教でも分裂して枝分かれしている。
現に生長の家も考えの違いから複数の会派が出来た。逆に細かい意見の違いは有るけど合併しようなんて動きは宗教で聞いた事が無い。

これも宗教特有の法則でその通りに動いてるんだと思う。

 (59876)
日時:2023年07月20日 (木) 06時59分
名前:神の子

宗教の歴史を踏まえると本流と教団が法律的には和解しても今さら一つになる事は無い。
それよりは学ぶ会が2つに分裂して教団も分裂して事業団も分裂して更に派閥が増えるのがあり得る話で。

と言うか既に事業団から離反して阪田さんが独自の活動をしているし。

教団も本流も阪田さんも (59877)
日時:2023年07月20日 (木) 07時08分
名前:神の子

それぞれが譲れない部分があるんだからそのままで独自に活動していけば良いと思うしそれしか出来ない。
原因と結果の法則で。
良い種をまけば良い果実が出来るし悪い果実が出来たなら何かが間違っていたって事で。

 (59878)
日時:2023年07月20日 (木) 07時33分
名前:神の子

ときみつる会はネットを見てもホームページすら出てこない。今の時代にですよ。
宮澤先生の本は持っているが、たぶん今の学ぶ会みたいにやりたかったんだろうな…とは思うが資金と人が足りないんだろうな。

学ぶ会は当初は教団に対するレジスタンスみたいだったのが途中で前原先生が入った頃だろうか何か強力な支援者を獲得したんだろうな。

 (59883)
日時:2023年07月20日 (木) 15時22分
名前:神の子

同じ生長の家同士、雅春先生の弟子達が裁判で争うのは愚かだ、和解すべきって意見が有るが。

同じじゃないんですよ。
新編生命の実相を認めるか否かって所に自身の信仰の考え方に決定的に違いが有る。

 (59884)
日時:2023年07月20日 (木) 16時37分
名前:神の子A

> 同じ生長の家同士、雅春先生の弟子達が裁判で争うのは愚かだ、和解すべきって意見が有るが。

同じじゃないんですよ。
新編生命の実相を認めるか否かって所に自身の信仰の考え方に決定的に違いが有る。



それも意見がバラバラ。
新編は消える運命という前提で話をしているかな。認めるより消える想定しか出来ない。その上での和解論。


 (59885)
日時:2023年07月20日 (木) 17時24分
名前:神の子

現状では65巻までの完結は達成しそうですよ。当初は自分も無理なのではと危惧していましたが。

でも売れてないとか大量脱会が相次いでるとか新編は消える未来の前提とか客観的事実に基づかない希望的観測は要らないです。

消えるってのがイメージ出来ないんですよ。消えないでしょう。 (59886)
日時:2023年07月20日 (木) 17時32分
名前:神の子

それと譲って言えば新編生命の実相が売れてないのが事実だとしましょうか。
それでも売れないから利益出ないから止めます。とは言えないでしょう。事業団も学ぶ会も。 出版事業に限らず彼らの事業の経営が破綻するなら別ですよ。
新編が消える時は同時に事業団と学ぶ会が消える時ですよ。

笑わせないでくれ。 (59887)
日時:2023年07月20日 (木) 17時41分
名前:神の子

それと新編が消えた場合には次の生命の実相が出版される事は無い。
ってのは認識しておいた方が良いでしょう。
高齢化が進んで新しい本を出しても読者がいない。新編生命の実相よりも環境は厳しい。私は買いません。この掲示板の論客みんなで買い支えますか?

その前提での新編生命の実相の出版事業ですよ。

 (59890)
日時:2023年07月20日 (木) 20時49分
名前:神の子A

> それと譲って言えば新編生命の実相が売れてないのが事実だとしましょうか。
それでも売れないから利益出ないから止めます。とは言えないでしょう。事業団も学ぶ会も。 出版事業に限らず彼らの事業の経営が破綻するなら別ですよ。
新編が消える時は同時に事業団と学ぶ会が消える時ですよ。


売れてないの問題の前に、
どんな本でも一度購入したら買わないでしょう。新規伝道しない学ぶがなんで、本が売れていくのでしょうか。事業団は伝道してるか知らないけど、教団も学ぶも事業団も伝道しない限り売れないのは当たり前。
やり方次第だよね。なんでも。

新編なら新編でやり方次第で爆発的に売れるだろうし。
なんでもやり方。
学ぶ会は、新編でやると決めたら、一心不乱にやるしかないの。
背水の陣でね。
様々な意見はあるよ、だけど、この時代に、即決してやり始めたのだから、しっかりやるしかないでしょ。頑張って。

ただ、現状の時点で伝道しないのであれば、終わるな。

としか思えない。 客観視するとね。



新編『生命の實相』は (59897)
日時:2023年07月21日 (金) 04時51分
名前:志恩

65巻中、何巻まで、出たかしらと調べてみましたら、
最新のは、2023.07.01に「第57巻(幸福生活篇)」
が出版されていました。

「第56巻」は、2ヶ月前に出版されました。

あと9巻で、65巻全巻、揃います。

 (59903)
日時:2023年07月21日 (金) 06時13分
名前:神の子A


みんなそれぞれ自由に真理を広めたら良いでしょう。
もう裁判なんて、アホらしくて。
僧侶が犯罪を犯しているくらいアホクサイ。

裁判するくらいなら、誰にも何も求めずに、責めずに仲良く、生命の実相を使えば良いではありませんか。
相手を批判しないで、独自の好きな事を好きなようにやりゃーいいんじゃ‼️

生命の実相を巡ってアフォーな事するなよ。って思う。

仲良く使用しなよ。

自分の道を行け。 元信徒の部屋さんの中にある詩のように、
神様に許された道を一筋に歩むなり。
しかないだろう。

裁判ばかりしていたら
教えの知らない人から、教えが間違えているんだろうな。って思われるよね。
ま、伝道の邪魔じゃないの? 自殺行為はやめてみんな独自の道を歩んだが利口。

仲良く使用したがいい。


 (60055)
日時:2023年07月24日 (月) 21時55分
名前:神の子

教団は雅宣さん抜きにしても組織の運営に問題が有るからなあ。
講習会の受講券の買い取りに雑誌の一括購入に断っても強引な家庭訪問と勘違いした白鳩のオバサンが威張って勉強不足で薄い話しか出来ない講師…

 (60056)
日時:2023年07月24日 (月) 21時58分
名前:神の子

谷口雅春師の思想に興味を持った人がいてもオススメしにくい。どうしてこうなった?

 (60057)
日時:2023年07月24日 (月) 22時27分
名前:神の子

この掲示板では教団には原点回帰する動きが有るらしいとの事。雅宣総裁がやる気無いから間隙を突いて雅春先生の文章を雑誌に載せているらしい。

それはそれで何だかなあ…

 (60058)
日時:2023年07月24日 (月) 22時45分
名前:神の子

昨年、某会のM代表に『久しぶりだねー』と握手を求められたからその手を握って、ふと視線を上げると、そっぽ向いてるの。

少ない時間で出来るだけ多くの人に顔繋ぎをしたいから次は誰に声を掛けようかなって思ったんだろうけど。
そういうところなんかな。

 (60059)
日時:2023年07月24日 (月) 22時48分
名前:神の子

でも青年会の先輩とか男性の高齢信徒の前では借りてきたネコみたいになるんだよね。

 (60060)
日時:2023年07月24日 (月) 23時11分
名前:神の子

和解したくないと言うか。
法律的な和解ならともかく総裁と理事長が今さら過去の事を水に流して手を繋げるわけ無いじゃん。
前原代表も立憲支持の総裁と組んだら百地章氏とか日本会議との付き合いをどうするのか?

大人だったら無理なのわかりそうな気がするが。

神の子様 (60061)
日時:2023年07月25日 (火) 00時16分
名前:梶猛弩

 人が“和解”という言葉を使うとき、どのような状態をイメージしているんでしょうか。
 
 現象的な一般社会人としてイメージしたとき「和解しよう。」という言葉を「一緒になろう」とか「家族になろう」という意味には使わないような気がします。もう少しよそよそしいというか。。。
  元旦那が元妻に対し「和解しよう」という場面を連想すると、もう元の鞘には収まらないけど、雑談かせめて挨拶できるくらいにはなろうねみたいな。
  googleで“和解”を検索してみると「争いの当事者がお互いに譲歩し合って その争いを終結させる合意をすること」が一番最初に出てきますし。

 神の子様としてはどうなんでしょうね。

 「私はあなたを赦しました。貴方も私を赦しました。貴方と私とは神に於いて一体でございます。私は貴方を愛しております。貴方も私を愛しております。私と貴方は神に於いて一体であります。私は貴方に感謝しております。貴方も私に感謝しております。貴方と私は神に於いて一体であります。有難うございます。有難うございます。」

 たぶん、教団と本流派の和解を求めている人の“和解”は、信者同士が同じ生長の家の神様を信じているもの同士、「有難うございます」と挨拶して、大人の態度で接している。裁判なんて昔そんなことあったっけなくらいのイメージであって、
そこには、
 >総裁と理事長が今さら過去の事を水に流して手を繋げる
 >前原代表も立憲支持の総裁と組んだら
という、神の子様が想像しているものはないと思いますよ。

 
 また、大人といってもいろんな年齢層がいて、例えば、生長の家が分裂して学ぶ会ができた頃にはまだ産まれていなかった人たちが、もう20代になりTwitterやYoutubeの中心層になってきているわけですし。
 神の子様や私が、「朝敵徳川に薩長の意地を見せてやれ!」と言われてもピンとこない、、、くらいに世代によって感覚が異なりつつあるかもしれません。

 (60108)
日時:2023年07月27日 (木) 20時48分
名前:神の子

信徒は世代によっては感覚が異なるかもしれないけど雅春先生はたくさんの本を残されてます。
勉強熱心な若者なら意外と立教当時の正しく古風な考えを持っているかもしれない。

 (60109)
日時:2023年07月27日 (木) 20時52分
名前:神の子

人を観る時に世代で一括にするのはあんまり好きじゃないですね。そんなに人間は単純では無いと思ってるので。
信徒によって感覚が異なるのはその人自身の資質の違いだと思う。

大型船の船底は赤い。 (60111)
日時:2023年07月27日 (木) 21時02分
名前:神の子

貨物船とかの船底が赤いのは喫水線を示す他に理由が有ってフジツボとかの海中の生物が付着するから防汚塗料が塗られているらしい。
長距離航海をしてる時には生物が沢山付いて速度が低下して燃費が悪化するそうな。

 (60112)
日時:2023年07月27日 (木) 21時05分
名前:神の子

今の生長の家もそんな感じ。

色々、余計な物がくっついて汚れがそのままでおかしくなってきた。
トキ管理人に言わせれば業を積んできたとか。

いつの時代の生長の家が好きですか? (60113)
日時:2023年07月27日 (木) 21時22分
名前:神の子

私は立教当時が至高だと思います。

時代が経るにつれて発展しながら同時に汚れてきた。雅宣さんが入る前だって結構汚れてたんじゃないかな。当時を自分の目で見てはいないけど文章を読んで想像すると戦前と戦後では教団内の文化が結構違うような印象を受ける。

外見と中身 (60114)
日時:2023年07月27日 (木) 21時23分
名前:本音の時代

外見は生長の家を装っていても中身は生長の家ではない。
なので、和解とは無縁と考えてよいのではないでしょうか。

分派は分派であって本流ではないと考えるようになりました。
谷口雅春先生が作った生長の家教団の中にあって本流を行ずること。
雅宣さんは嫌がるかもしれませんが、教義は変わっていないようなのでやる気になれば。すでに、生命の実相勉強会を行っているところもあるようですから、拡大していけば教団を変えていける。夢が正夢になりますように。

 (60115)
日時:2023年07月27日 (木) 21時38分
名前:神の子

私は生長の家ってのは生命の実相、雅春先生の教えだと思うんですね。
分派の中に居ても生命の実相の勉強をやるなら(新編の評価は置いといて)それは本流だと思うし教団に居て生命の実相勉強会が実現出来るならそれも本流だと思う。

神の子様 (60116)
日時:2023年07月27日 (木) 23時02分
名前:梶猛弩

 投稿有難うございます。
 
 本日の神の子様のおっしゃってることとは、とてもよくわかります。
 あえて言うながら、人それぞれの感性とか表現が異なるだけで、根底を流れるものは変わらない。
 ただ、その作法というか、外部に表すアウトプットの仕方が違うだけで、全然違うもののように見えてしまう。。。
みんな、谷口雅春先生が大好きで、谷口雅春先生に薫陶を受けてるから、ずっとこの掲示板に投稿し続けているのは間違いないわけですし。


 >いつの時代の生長の家が好きですか?
 
 その前提の上で、あえて誤解を恐れずに神の子様のこの問いに答えさせてもらいますね。

 私にとって最も好きな生長の家は、“これからの生長の家”です。
 私が好きな時代は、今この瞬間より後にある未来です。
 そこには、何の色もない真っ白なキャンバスであり、どのような理想的な世界をも自分の中で“創造”できるのですから。

本音の時代様 (60117)
日時:2023年07月27日 (木) 23時05分
名前:梶猛弩

 投稿有難うございます。

 本音の時代様の一言一言は、とても重みがあります。
 私も、時折、本音の時代様の何年も前の投稿を読みながら思索を深めております。
 どのようなお考えであれ、ぜひ投稿を続け足跡を残してください。
 10年後、20年後になっても、その時々に生長の家を考える人達が、このときに本音の時代様はこういうふうに考えていたんだなと、検索し、観じ、信仰を深めていくと考えます。
本音の時代様が真っすぐに長年に渡り続けている投稿は、これからもずっと多くの人達に影響を与えていくことと思います。

これからの生長の家を考える (60134)
日時:2023年07月29日 (土) 23時42分
名前:本音の時代

あなたが谷口雅春先生だったら、どうする?


谷口雅春先生だったら、あんな裁判をしただろうか?
谷口雅春先生だったら、自分が作った日本教文社からの『生命の實相』の出版を断っただろうか?
雅宣さんが、自分が谷口雅春先生だったらと考えたら、今のような教団にしただろうか?

本音の時代様 (60135)
日時:2023年07月30日 (日) 00時00分
名前:梶猛弩

 >あなたが谷口雅春先生だったら、どうする? 
 >谷口雅春先生だったら、あんな裁判をしただろうか?
 >谷口雅春先生だったら、自分が作った日本教文社からの
 >『生命の實相』の出版を断っただろうか?
 >雅宣さんが、自分が谷口雅春先生だったらと考えたら、
 >今のような教団にしただろうか?

 生命の實相を著された谷口雅春先生が、信徒の皆様全ての精神的指針であり財産である生命の實相を、排他的に独占しかねない裁判や出版を拒絶する行為を為されるはずもないと思いますが。。。

 (60136)
日時:2023年07月30日 (日) 02時00分
名前:神の子

でも久保理事長も雅宣総裁も神の子。ただの神の子じゃない完全円満な神の子さんなんですよ。

それは実相の話であって現象的には馬鹿野郎です。じゃダメなんですよ。

 (60137)
日時:2023年07月30日 (日) 02時09分
名前:神の子

彼らにもそうせざるを得ない事情が有って自分なりに良かれと思ってやっている。
だから批判するより慈悲の心を持っていたいのだ。正しい人と優しい人はそれぞれ必要で価値が有る。それでも優しい人の方が美しく人格が上のように思う。

自分なりに良かれ  と言うけれど (60139)
日時:2023年07月30日 (日) 07時30分
名前:本音の時代

その結果、人を不幸にしてはいけない。
生長の家は人を幸せにする教えです。
自分が良いと思っても、他の人がどのように思うかわからないものです。

 (60151)
日時:2023年07月31日 (月) 03時19分
名前:神の子

誰が誰をどのように不幸にされたんでしょう?

雅宣総裁が本音さんをぶん殴ったなら、そりゃ不幸にされたよね。と認めますけど。

RE; (60151) (60153)
日時:2023年07月31日 (月) 06時13分
名前:本音の時代

生長の家がおかしくなったと思っている人です。

信徒を拝まない総裁はいらない (60154)
日時:2023年07月31日 (月) 11時25分
名前:本音の時代

信徒を拝まない総裁がいることは不幸です。

 (60290)
日時:2023年08月08日 (火) 21時36分
名前:神の子

信徒に対しては開口一番で「合掌ありがとうございます」と言えない総裁なら要らないんですか。
でも彼は雅春先生の孫ですからね。
血脈はどう考えたら良いんでしょうね。

 (60291)
日時:2023年08月08日 (火) 21時38分
名前:神の子

生長の家の本部は、本当の本部は霊界にある。

そんな事が何処かに書いてありましたね。
最近はそう考えるようにしてます。

神の子様 (60299)
日時:2023年08月09日 (水) 21時36分
名前:梶猛弩

 >生長の家の本部は、本当の本部は霊界にある。
 >そんな事が何処かに書いてありましたね。
 >最近はそう考えるようにしてます。


 神の子様のお立場で、こういう悟り方は上策ではないと思います。
 変革する情熱も、前進する心意気も失うことになりかねませんから。

本当の本部と本当の自分 (60301)
日時:2023年08月09日 (水) 23時24分
名前:本音の時代

じゃ、この世の生長の家本部は何なのでしょう?
じゃ、この世に自分とは一体なんなのでしょう?


《生長の家の本部は、本当の本部は霊界にある。》
そうだったら、何なのさ? って感じ。

若者の職業選択への願い (60342)
日時:2023年08月13日 (日) 20時16分
名前:梶猛弩

 最近のニュースで、東大生の官僚離れとか、霞が関に“ゆとり”をとかいうニュースが流れていて、個人的には日本の将来に多少なりとも危惧を感じています。
 霞が関の官僚には、日本の国益のため米国や中国と渡り合う気概が必要だし、世間一般の普通のサラリーマンのような“ゆとり”を重視しすぎた職場環境で、果たして天下国家の舵取りを担えるのだろうかと。。。
 昨今の不祥事や政策の失敗も、官の側が利権誘導型の政治家や業界団体を手練手管で抑え込む調整能力を失いつつあることが、主な要因のように思います。

 私見ということで言わせてもらうと、高校生・大学生のようなこれから職業選択を考えている若者で、利潤追求より社会貢献を担いたいと思っているなら、別に東大入らなくても公務員への道を選択肢としてほしいですね。

 もちろん、理系が得意だったら、公務員でなく、医師や看護師、建築士といった国家資格系へ進めば、ベストな自己実現・社会貢献になりますし、 
 公職でも、体力に自信があれば、自衛官、警察官、消防士と言ったストレートに人を救う仕事もあり、こうした理想を描けるなら最高です。

 ただ、文系で、漠然とサラリーマンやOLとして就職先を考えているのだったら、生長の家で学んだ者として、公職への道を選択肢に加えてほしいというのが率直な願いです。

 総合職・一般職に関わらず、希望と熱意があれば、環境や伝統文化など自分の理想とする施策に関わり、政治家や市民団体よりもはるかに直接的な影響力を行使できる。

 好ましい比較ではないかもしれないけれど、創価大学出身のキャリア官僚は外務省を中心に100名以上存在していて、政策の脚本・演出を担う黒子側に同大学OBがいることが、現在の自公政権のインセンティブを握っているのも事実。
 一方の生長の家では、生高連・生学連出身の教師や政治家というのは比較的よく聞くけど、なぜかしら公務員(行政職)を志望する人はとても少ないです。
 昭和の時代も令和の現在も。

 東大生の官僚離れというマイナスのニュースは、天才・秀才君でなくても志さえあれば国や社会の舵取りを担うチャンスであるというふうに捉えられます。

 己の政策スタンスが、日本国実相顕現であっても、平和や新エネルギーであったとしても、
 自らの職業を社会的使命と合致させることができるというのは、何よりも替え難い魅力ですよ。

学校を作れなかった生長の家 (60345)
日時:2023年08月13日 (日) 23時34分
名前:神の子


生長の家は
創価や幸福が簡単に作った学校が作れなかった。

リーダーが自分の意のままになる人材が国の中枢の良いポジションにいれば、かなり影響を与えられる為、それは必要だったのでは??
生長の家は、学校さえないからねー。
あった一つさえ解体したのは、総裁です。

野望のない団体ですなら、下位に甘んじるしかない、


自分は快き普通の人間でありたいと思う。 (60346)
日時:2023年08月14日 (月) 01時42分
名前:神の子

と云う言葉が生命の実相生命編にあります。
上海支部の人が言った言葉なんですがこれには自分も感心しました。

 (60347)
日時:2023年08月14日 (月) 01時43分
名前:神の子

政治の話が入るとどうも汚くなって嫌です。
生命の実相にもどりたいですね。

 (60348)
日時:2023年08月14日 (月) 01時53分
名前:神の子

人にはそれぞれの天分と云うか才能が有るので政治家や官僚に成れる人がなったら良いし社会の評価では底辺と云われる職業も必要でそれも
十分に社会に貢献している。
サラリーマンでも水道屋でも携帯ショップ店員でも、それでいて快き普通の人間ってのを多く養成して社会を少しでも光明化できるような。
そういう生長の家であって欲しいと思う。

 (60349)
日時:2023年08月14日 (月) 02時08分
名前:神の子

ウクライナ戦争が起きてこれをどう考えたら良いか?と思って似たような出来事と思ってハンガリー動乱の時の雅春先生の文章を読んでみました。『我ら日本人として』第十章の『民族自立闘争の教えるもの』なんですが。

とても勉強にはなりました。しかし…

 (60350)
日時:2023年08月14日 (月) 02時15分
名前:神の子

ハンガリー動乱は冷戦時代でもかなり昔の話でスターリンが死んで次のブレジネフ?に代替わりした直後の1950年代の出来事で。
現代のウクライナ戦争と比較すると本質的には同じだと思うが周囲の状況は全然違う。
今の時代に雅春先生がご存命なら同じような意見を言うかわからないな…とか思ったり。

 (60351)
日時:2023年08月14日 (月) 02時23分
名前:神の子

今の日本の諸問題についてもどう考えたら良いのかわからない。出生率の低下とか当時は無くてむしろ子ども生まれ過ぎ問題については文章が有るんだが。

雅春先生の政治的な文章はその当時の状況を踏まえた上での意見だからそれをそのまま現代に当てはめるたら違うような。

 (60352)
日時:2023年08月14日 (月) 02時28分
名前:神の子

つらつら書いてきたが何を言いたいのか?と言うと。

政治の話は難しいので関わりたくないのだ。
頭の良い人に頑張ってもらって自分は日本が世界が良くなるように世界平和を祈りたい。
宗教は政治に関わり過ぎない方が良いと思う。
たぶん。

 (60358)
日時:2023年08月14日 (月) 08時53分
名前:神の子

> 頭の良い人に頑張ってもらって自分は日本が世界が良くなるように世界平和を祈りたい。


呵呵大笑 老人か!
若い人がこのように考えるなら生長の家自体を解体したがいい。

 (60360)
日時:2023年08月14日 (月) 16時06分
名前:元信徒

これからの生長の家を考える

には、今まで何をしてきたか?

をまずひもといてから考えた方が良くない?

今まで、生長の家は何をして社会的にはどういうポジションにいたか?

など、先にはなしませんか?

 (60362)
日時:2023年08月14日 (月) 16時52分
名前:神の子

こちらは生長の家ってのは生命の実相だと思ってるんですよ。
生長の家を何か別の違うように観ている人とは話が噛み合わないですね。間違ってるとは言わないが。
生長の家が学校を作るなら入ってくる生徒の為人間の幸福の為であってそれは洗脳して組織の意のままに動く人間を養成して政界に送り込んで団体が政治に強い影響力を発揮する為では無いでしょう。

 (60363)
日時:2023年08月14日 (月) 19時40分
名前:元信徒

最初のスレには

> >宗教法人 生長の家は、いよいよ衰退が決定的になりました。

>この危機に、信徒はどうするべきかを、じっくりと腰を据えて議論をしたいと思います。


ですから、本のみではないのでは。?

 (60365)
日時:2023年08月14日 (月) 23時26分
名前:梶猛弩

 一つのスレッドに複数の神の子様がいらっしゃるようですね。。。
 
 なお、職業を考えるときに、二元論で論じるのは、意味がありません。
 
 世の中の職業は、すべて素晴らしいものです。人間の生活はあらゆる人達のあらゆる仕事の果実を享受して成立しているものであり、何か一つの仕事でも誰かがやらなければ社会は成立しなくなります。
 そのことと、仕事に野心を持つこと、大志を抱くこととは、次元の違うもので、相対立するものではありません。

 “職業に貴賤はない”ということは当然すぎるくらい当然の前提とした上で、高校生・大学生のとき、自らの将来の職業をイメージすることも大切なのです。

 青少年は(どこの国でもそうですが)、スマホゲームの世界で優劣を競ったり、ユーチューブの世界で有名になることに一生懸命になる人が多いです。そうした自己承認欲求や成功願望をいたずらにバーチャルな世界で消費するのではなく、リアルなパワー・ポリテックスの世界で力を競う方が、健全であり有意義です。

 昨今、官僚・官吏という職業が、安月給でブラックなイメージで語られることが多くなってますが、たとえそうであっても、自己実現という面ではとても有意義な職の選択肢なんだよということをわかってもらうことも、大切であると考えています。

 (60366)
日時:2023年08月15日 (火) 00時12分
名前:神の子

吉野家で牛丼を食べてたら隣の客が牛丼に紅生姜をどんどん入れてたんです。
いや自分も入れますけど少しですよ。1掴みですね。んで隣の人がどれだけ入れるんだろうと見てたら牛肉が見えない程に丼が真っ赤になってもしばらく入れ続けて丼が紅生姜で山盛りになったんです。

 (60367)
日時:2023年08月15日 (火) 00時15分
名前:神の子

無料でセルフで好きなだけ入れて良いにしてもモラルの問題かなと思ったが。
紅生姜はスパイス的な物だと思うんですよ。
これだと牛肉と紅生姜の味の割合が逆転していると思った。

バランスの問題 (60368)
日時:2023年08月15日 (火) 00時23分
名前:神の子

生長の家も政治に関わっても良いけど政治に前のめり過ぎる。宗教団体なんだから教祖の教典を学んで行を行うのが本懐だと思う。信徒も意見が右にしろ左にしろ政治の話になると元気になる人が多くて。
教団も学ぶ会も政治の話は少し引っ込めて欲しいですね。

神の子様 (60369)
日時:2023年08月15日 (火) 01時08分
名前:梶猛弩

 話の論点が若者の職業選択の話から政治の話へと思いっきりずれていますが。。。

 政治への関与で大脳基底核をドパミンで満たすというのは、一番オーソドックスな人心掌握策ですからね。
 ローマ帝国の時代から繰り返されている古典的なやり方です。

 しかし、今の本流派の政治参画は、いいように政治家に利用されているような感じがします。
 森友事件以前の日本会議なら、椛島さんもちょっとしたフィクサー感を醸し出していたので、それはそれで味があったのですけど。
 
 バランス感覚が大切なのは、もっともです。
 ただ、今の組織は、バランスを持って梶をとる優秀な参謀がいないようなので、多分無理でしょう。
 特に、本流系は、さんざん動員や票稼ぎに利用されて、最後にポイみたいな。

 雅宣氏(教団)の方は、政治家に利用されるというのは無さそうですけど、代わりに再エネ業者やゼネコンのプレゼンに巧みに乗せられて、食い物にされるのではと心配したくなる危なっかしさは感じています。

 

78年のトキ (60375)
日時:2023年08月15日 (火) 21時16分
名前:梶猛弩

 8月15日。
 終戦記念日。

 78年前の今日、昭和天皇の御言葉が玉音放送として流れ、大東亜戦争(太平洋戦争)が終結しました。
 今日の皆様のSNSを読んでいても、英霊への感謝、平和への願い、、、様々な気持ちが投稿されています。
 そして、その多くは、今日という日を忘れてはならないとか風化させてはならないという言葉で結ばれています。

 率直にその気持ちを受けた上で、ふと、私が感じたことを書いてみます。(不謹慎とかアマノジャクとか言われてしまうかもしれませんが。)
 私が感じたのは、78年という年月は、“記憶に留める”“風化させない”という言葉では如何ともし難い長すぎるトキ(時)が流れているということ。

 78年というトキに焦点をあててみました。

 昭和20年(1945年)は、令和5年(2023年)の78年前。
 では、昭和20年当時の人達にとって78年前は、どういうときだったのだろうか。
 昭和20年(1945年)当時の人達の78年前は、慶応2年(1867年)。
 すなわち、徳川将軍家が大政奉還を行い、天皇家へ日本の政権をお返ししたとき。
 昭和20年を生きた人達は、“記憶”という認識で徳川幕府の崩壊を捉えていただろうか。

 1867年の78年前ならどうだろう。
 1867年の78年前は、1789年。
 日本は寛政元年。119代光格天皇の御代で、11代将軍徳川家斉の治世。
 日本史で言えば、幕府老中松平定信が寛政の改革を断行していた最中。
 世界史で言えば、フランス革命の年。ルイ16世の王政が終わり、謂わば人類の歴史が民主主義へと移行しようとする始まりの年。

 こう考えると、78年は、“記憶”という概念で捉え続けるには長すぎるように感じます。

 もちろん、戦争で散った兵士たちへの想い、戦死した人達への哀しみを感じていくというのは、とても大切なことですけれど、
それは、“悲”“怒”“怨”ではなく、“崇”“敬”へと昇華していくものなのかなと思っています。

 “記憶”から“伝説”へと移り行くことにより、本当の意味で戦後から脱却し、未来への“礎”と自覚できる“今”を考えることができるのではなかろうかと。。。

 (60379)
日時:2023年08月16日 (水) 04時22分
名前:神の子

英霊にはひたすら感謝と尊敬ですねえ。
毎年この時期には靖国に行ってみたいと思うが混んでそうだし暑いから結局未だに行けてない。涼しくなったら今年こそは行きたいと思う。

フランス革命 (60380)
日時:2023年08月16日 (水) 04時38分
名前:神の子

ルイ16世の王政が終わって人類が民主主義に…
の件が自分はちょっと引っ掛かりますね。
否定はしませんけど。
その後はナポレオンが皇帝になって周囲の国と戦って終いには何故かロシア帝国に攻め込むんでしたね。フランス人がユダヤ人の書いた絵図の通りに踊らされて王様をギロチンに掛けた血生臭い事件みたいに思って、違うのかな?

 (60381)
日時:2023年08月16日 (水) 04時47分
名前:神の子

でも民衆が王政を倒したいと思ったからそれで良いのか。
有名な絵画が有りますね。
死体の山で女がフランス国旗を掲げてるの。
中世のヨーロッパは恐ろしいイメージで、まあそれはどうでも良いんだけど。

今の時代は民主主義じゃなくて資本主義だと思うの。 (60382)
日時:2023年08月16日 (水) 05時00分
名前:神の子

過去1000年の人類の歴史を振り返って最大の事件って何だろうと考えると新大陸が発見されてコルテスがカリブ諸島やらアステカ帝国を征服した辺りだと思ってんです。
損害保険とか株式会社が出来て資本主義が回転し始める。資本家が力を付けて王侯貴族との力関係が逆転していく過程の始まりですよ。

 (60383)
日時:2023年08月16日 (水) 05時07分
名前:神の子

今では資本家が金儲けの為なら大統領をも動かして戦争を始める時代になって現代人は資本主義に

何の話でしたっけ?
独り言でした。

神の子様 (60394)
日時:2023年08月16日 (水) 19時43分
名前:梶猛弩

  >ルイ16世の王政が終わって人類が民主主義に…
  >の件が自分はちょっと引っ掛かりますね。

 “民主主義”という言い方が引っかかるようでしたら、“広義の民主主義の揺籃期”とか“現代の民主主義の原初にあるブルジョア民主主義”となりますかね。
 “ブルジョア民主主義”“プロレタリア民主主義”“社会民主主義”といったような厳密な区分は、政治思想家でも政治学者でもないので、個人的にはあまり意味を持っていません。
 
  >今では資本家が金儲けの為なら
  >大統領をも動かして戦争を始める時代に
  >なって現代人は資本主義に

 今の日本は、資本主義と社会主義の折衷案みたいなものでしょう。いい意味でも悪い意味でも。
 
  >フランス人がユダヤ人の書いた
  >絵図の通りに踊らされて

 “ユダヤ”に関しては、生長の家人の語る歴史とか民族とは、少し違った考え方を私は持っています。
 現在の“ユダヤ人”の概念もそうですが。
 ふと思いついたのですが、古代ユダヤやヘブライ語聖書について、興味を持っていた時期がありますのいで、近いうちに私なりの捉え方を書いてみたいと思います。

宗教の方の話に軌道修正してみる (60395)
日時:2023年08月16日 (水) 23時05分
名前:神の子

大河ドラマとか見てると昔の日本は起請文ってのが有って武士が約束をしてそれを破らない証として仏様に誓う書類を作って相手方に持っていくの。破ったら無間地獄に落ちるから約束は破れなくなる。
昔の人は仏教を宗教を当然のように信仰してたんだけど現代人は宗教を信仰してる人が少ない。

 (60396)
日時:2023年08月16日 (水) 23時13分
名前:神の子

古代から中世までの人類は心の中に神と宗教が大きな位置を占めてたと思うの。
狩りが成功した時に畑が豊作だった時に豊穣の神に感謝して雷が落ちたら神の怒りと思って恐れていた。いつからか人類の心の中の神と宗教が科学と資本主義に取って代わって…病気になったら今は病院に行くのが普通で祈祷師を呼んで神社にお百度参りする人はいなくなった。

 (60397)
日時:2023年08月16日 (水) 23時21分
名前:神の子

生長の家が衰退してるのは、まあ三代目の失策も有るけど実は最大の要因は現代人が宗教を必要としなくなった事と言うところでしょうか。
天理教や幸福の科学とかの新宗教は軒並み信者が減って西洋でもキリスト教を信じない無神論者が増えている。
生長の家もどう転んでも将来は厳しいですよ。

神の子様 (60398)
日時:2023年08月17日 (木) 00時36分
名前:梶猛弩

  >生長の家が衰退してるのは、
  >まあ三代目の失策も有るけど実は最大の要因は
  >現代人が宗教を必要としなくなった事と
  >言うところでしょうか。

 これに関しては、このスレッド中の投稿
  “ (58299)多くの信仰上の流浪の民を出したのは誰なのだろうか”
で私見を述べておりますが、宗教の中でも生長の家だけが顕著な減少の動きを示しています。
 今の人は宗教を必要としなくなったという理由だけでは、生長の家の衰退は説明できないと思いますよ。


  >天理教や幸福の科学とかの
  >新宗教は軒並み信者が減って
  >西洋でもキリスト教を信じない
  >無神論者が増えている。

 別の視点で時系列を書いてみます。
  昭和58年 ・生長の家は生政連の活動を停止し、
         保守政治からの脱却を図ります。
        ・2年ほど前にメンタル系の疾患で
         大手商社を辞めた中川隆という人
        (生長の家地方講師の息子)が
         東京のアパートの一室で
         数名の若者と霊言サークルを
         始めます。(後の幸福の科学)
  昭和62年 ・幸福の科学は“谷口雅春霊言集 
         如来界から生命の実相を語る”を
         出版します。
  平成2年  ・中川隆氏と兄、その父親
        (生長の家元地方講師の中川忠義氏)
         を中心に出版を軸とした宗教活動を
         始めます。
         ノウハウは日本教文社のやり方を
         踏襲します。
        ・中川隆氏は、大川隆法という名前を
         名乗り始めます。
        ・この頃から、生長の家信者減少に
         合わせるかのように、幸福の科学は
         急速に信者数を増やします。 
         十年ちょっとで、数人→数十万人と
         いう拡大ペースです。
  平成7年  ・幸福の科学は、愛国保守系の読者を
         ターゲットとした“ザ・リバティ”を
         発刊します。
    以降  ・生長の家の本流派分裂劇と同時進行的に、
         幸福の科学は(あくまでも公称)
         数百万と呼ばれる規模に膨れ上がって
         いきます。
 
 現在は幸福の科学も下降線を辿っていますが、見事なまでに、生長の家の出版戦略と、保守系宗教の立ち位置をターゲットとして、現在の規模に膨れ上がってきたと言えるでしょう。

 逆に言えば、生長の家は、現代人の宗教離れでなく、保守系宗教を求める日本人の取り込みに失敗した(本来なら本流派が頑張るべきところを他の宗教団体に持っていかれた)という分析の方がより的確と考えます。


  >生長の家もどう転んでも将来は厳しいですよ。

 これに関しては、このスレッドの一番のテーマです。
 今夜は就寝時間ですので、明日か明後日に改めて投稿しますね。

 (60399)
日時:2023年08月17日 (木) 03時48分
名前:神の子

保守系の、宗教ですか。
信仰は政治と関わりなくやりたい方なんですけどね。

しかし日本人としては (60400)
日時:2023年08月17日 (木) 03時57分
名前:神の子

自分が小学生の頃は原爆被害者支援の為の平和の鐘と云う鉛筆が有って、今はもう無いかな?

鹿児島に行った時に特攻平和会館で遺書を読んだら泣けてきて最後まで読めなかった。

英霊の尊い犠牲と原爆被害者の苦しみを日本人として忘れずにいたいですね。

神の子様 (60403)
日時:2023年08月17日 (木) 23時09分
名前:梶猛弩

 ヒトの脳から偏桃体の働きが失われない限り、ヒトから宗教心や信仰を求める心が無くなることはありません。

 神の子様の言われている現在の状況は、“宗教離れ”というより、それを担う宗教団体の低俗さが表面化してしまったゆえに、組織としての宗教が低迷している“宗教団体”離れといえるでしょう。

 “宗教団体離れ”は、ヒトの心をスピリチュアルやパワースポット、バーチャルな世界での疑似的な神秘体験に向かわせています。
 しかし、一時的に流れではあっても、根底にある、ヒトがサムシンググレートを畏れ敬う精神がなくなることはありません。
 
 それならば、現在のリアル宗教低迷の一因を作った、組織としての宗教の問題点を分析し、将来に向けた課題を抽出し、これからの時代に適応した信仰のあり方を見つけ出すことで、今の宗教の抱える問題を解決できるのではないだろうか。。。

 生長の家で言えば、環境に寄りすぎてしまった教団であっても、裁判絡みで本質を見失った本流系団体であっても、もう一度原点に戻り、その上で最適な将来戦略を選択すれば、再び輝きを取り戻すことは不可能ではないと思います。

 未来が、どんなに科学的・合理的な社会になっても、ヒトから宗教心・信仰心がなくなる社会は来ない以上、数多のおかしな似非宗教、権力が民を統制するための体制宗教、あるいは無神論という疑似宗教ではなく、生長の家のような本当に素晴らしい教えが、将来の日本の社会に伝わり続けてほしい、、、
それが、“これからの生長の家を考える”として投稿し、描いてみようと思った、一つの理想のカタチです。

本当は現代でも宗教に興味を持つ人は少なくないかも。 (60406)
日時:2023年08月18日 (金) 03時46分
名前:神の子

宗教に関わると最初は歓迎されて良い対応をされてもしばらくすると高額の寄付金を要求されて嫌になる。辞めると言っても直ぐには了承しない。しつこく連絡してきて面倒になるから関わらない方が良い。みたいなのが今の宗教のイメージでしょうか。
しかし実際は専従職員に給料を払わなければならず会館を建てるのも金がいる。高潔でいようと思っても難しいところでしょうか。

 (60407)
日時:2023年08月18日 (金) 04時21分
名前:神の子

生長の家の場合は組織の運営には他にも問題がありそうに思うのだ。雅宣総裁がいなくても組織がおかしくなるのはそれ以前から決まっていたと思います。

これは与太話ですが…鎌倉幕府の源氏は3代目で滅亡して北条に乗っ取られた。豊臣政権は2代で終わった。徳川幕府は16代250年続いて新政府に実権を譲って一族は今も存続している。
源氏豊臣氏と徳川氏の運命を分けたのは何だったのか?と考えると源氏豊臣氏の政権が短命に終わったのは彼らは組織を健全に長期的に存続させるコツを知らず徳川家康は彼ら…頼朝と秀吉の失策をよく研究した上で体制を作ったからと云う事らしいです。生長の家は教義は素晴らしいと思うが、そこらへんの研究が足りなかったかな?と。

 (60408)
日時:2023年08月18日 (金) 04時27分
名前:神の子

これを言うのは畏れ多いですが雅春先生は何故、総裁職を世襲で婿の清超先生にしちゃったんだろうなー。と。

言っちゃった(笑)

その次もその次も世襲でやるしかない事になっちゃって、それがこの体たらくですよ。

 (60409)
日時:2023年08月18日 (金) 04時37分
名前:神の子

前のトキ管理人も『宗教では世襲制は最悪の相続形態で…』と言ってましたが。
血脈では無い他の人が、血脈を受け継いだ人でも良いけど次期総裁の選出は幹部達の投票で決めるようにすればその時に最も相応しい人が選ばれると思うんですよ。
カトリックの枢機卿によるコンクラーベなんかそれですよね。

神の子様 (60411)
日時:2023年08月18日 (金) 08時28分
名前:志恩

(神の子様ー)
>前のトキ管理人も『宗教では世襲制は最悪の相続形態で…』と言ってましたが。
血脈では無い他の人が、血脈を受け継いだ人でも良いけど次期総裁の選出は幹部達の投票で決めるようにすればその時に最も相応しい人が選ばれると思うんですよ。
カトリックの枢機卿によるコンクラーベなんかそれですよね。<

志恩ー
たとえ、雅宣総裁ご夫妻が、自分たちが引退するから、幹部同士で
総裁を選びなさい、と言ったとしても、
雅宣総裁ご夫妻が、総裁より上の立場の会長とかの意識で、
部下たちに、そのように指令しましたら、

結局、自分たちと同じ、環境問題とノーミートを主とする考え方の
人間でないと、次期総裁になれないと思います。

雅宣総裁ご夫妻の息のかかった人間でないと、次期総裁には
なれませんよね。

ということは、
誰がなっても今と、まったく変わらない組織が構成されると
予想されます。

生長の家が、本当の復活を遂げるためには、今の生長の家の
教団の考え方をいったんサラにして、0にしてからの
原点回帰での再出発でない限り、生長の家の崩壊は、目に見えて
います。

だって、今の生長の家は、谷口雅春先生の時の、生長の家とは
全然別物の、
谷口雅宣総裁のための生長の家教団になっていますもの。

畏れ多いことながら、正直な気持ちを申し上げますと、

本物の生長の家を見てきた人間だから、本物か偽物かの違いが
鮮明に、わかるのだと存じます。

私は、年を取りましたし、昔のような、英雄的行為を実践する
気力体力は、今は、ありません。

今後、本物の宗教を理解できる若い方々の出現を期待しています。

 (60413)
日時:2023年08月18日 (金) 15時00分
名前:神の子

トキ管理人が亡くなってから教団の実情がわからなかったので貴重な情報ですね。
相当ヤバいみたいですけど内部に浸透して乗っ取ってく手法はやはりあの団体かな?

これからの生長の家 (60417)
日時:2023年08月19日 (土) 10時04分
名前:神の子


意味不明な石積みをやめて住吉大神の復活。
組織の浄化。他宗教スパイ信者の排除。
から行う。

 (60418)
日時:2023年08月19日 (土) 13時57分
名前:神の子

娘さんもダメ?
そんなあ…

実相円満完全…実相円満完全…

 (60419)
日時:2023年08月19日 (土) 13時57分
名前:神の子

イユー

 (60420)
日時:2023年08月20日 (日) 00時19分
名前:梶猛弩

 未来のある谷口暁子氏に関して、私がどうこういう事は避けるべきかもしれません。評価というのは、何かを行った結果に対して論ずるものであるわけですし。
 ただ、このスレッドが“これからの生長の家を考える”であり、将来を考えるうえで避けて通れないこと、今のスレの流れが暁子氏に関することが中心となっていますので、現段階での私の感じていることを述べたいと思います。

 WEB上で誰でも視聴できるようにアップされている暁子氏のお話は、2年以上前の“未来を変えるひと手間”というタイトルのお話をFacebookで1回だけ公開しただけであり、教団公式のホームページやラジオ番組・幸福への出発でも見当たりません。
 これについて思いを巡らせますと、以前に、志恩様が暁子氏がどのようなお話をされているか、ぜひ皆に紹介してほしいとの要請をしていました。その後、頻回にトキ掲示板でも話を聴いてみたいという投稿で盛り上がりました。トキ掲示板は環境偏重の教団に対する批判が主の掲示板ですから、暁子氏のお話に対する批判を前提とした投稿であったと思いますが、それでもあえて、1回のみ動画を投稿されました。
 教団上層部がトキ掲示板を読んでいないはずもなく、1回のみ動画で投稿したというのは、急先鋒的な批判・意見に対して向き合い自身の言葉で発信していこうという姿勢の顕れだと感じました。

 動画を観た率直な感想を申し上げますと、暁子氏は決して話好きでなくむしろ苦手とするタイプかなと思います。それでも、相当な事前準備(原稿の読み込み、話し方、表情・身振り等も含め)行っているというのが見受けられ、私には素直な真面目さに感じ、一人の人間としては私的には評価が高くなっています。
 また、この動画は、雅宣氏の思想を自身も継承するという決意をWEB上で表明したのようにも感じられます。

 氏の本部での業務は、プリントメディア課長補佐→講師課長と、事務・管理畑の仕事に日常を費やされています。後継者として考えれば、伝道・祭祀・教学を押さえなければなりませんが、完全な事務系の仕事です。
 これは、不惑の歳を迎える中での後継者育成戦略としては疑問を感じます。
 マネジメントの観点なら、仮に事務・管理畑のみでキャリアを形成するにしても、総裁室付→総務→理事という方が帝王学的には王道でしょう。奉職してかなりの年数が経っているわけですし。

 思うに、暁子氏の雅宣氏の思想の継承と、血統として雅宣氏の後継であることは、予定された道筋ではあったとしても、祭祀・伝道・救済としてのシンボルとしての位置づけは別の方向に進むのではないだろうかとも思っています。
 あくまでも個人的な見立てですが。

少しだけ希望が持てるかも。 (60421)
日時:2023年08月20日 (日) 01時46分
名前:神の子

暁子氏が雅宣総裁の路線を引き継ぐならその一点だけで期待出来ないと思いきや…人前で話すのは苦手なタイプならそれが良い方に作用するかもしれない。
暁子氏は父親の路線は引き継いでも自分で新たに長編詩は書かないんじゃないかな。

雅宣総裁が引退して暁子氏が押しの強い性格で無ければ組織内で自浄作用と言ったら失礼ですが雅春先生の教義に立脚した宗教に戻したい人たちの意見が強くなるかも。

 (60424)
日時:2023年08月20日 (日) 12時03分
名前:神の子

詳しいですね。
じゃあ親戚の呼び戻しはやらない出来そうに無いので復活の可能性は無いと云う事ですね。

トキの継承 (60428)
日時:2023年08月20日 (日) 20時34分
名前:梶猛弩

 この掲示板に“管理人交代のお知らせ”というスレッドが立ち上がり、前管理人のトキ氏の訃報が伝わったのが、今年2月19日(日)のこと。
 ちょうど6か月が経過したわけで、本当にトキ(時)はどんどん流れていくのだな〜と実感しております。

 私(梶猛弩)がこの掲示板に投稿するようになったのは、このお知らせを聞いて以降のことですが、それまでも閲覧者として長年トキ掲示板のファンだっただけに、万感の思いでいっぱいです。

 トキ氏の本当の正体は誰も知らないというところがミステリアスだったのですが、長年にわたり一貫し生長の家の将来を憂いている姿は、大いに惹かれるものがありました。
 投稿内容等から察するに、教化部職員と書かれていますが、教化部長として直接信者さんとの対話に当たっていた方だろうと想像しています。そうした立場から、一人一人の信者さん軽視に繋がりかねない本部の組織教学に警鐘を鳴らし続けてきたのかなと。私個人の勝手な妄想ですが。。。

 トキ氏の情熱が、絶滅危惧種のトキ(朱鷺)“ Nipponia Nippon”のようにいつの間にか廃れて行ったのでは、あまりに惜しいです。

 一サラリーマンである私にできることは少ないですが、自分の独特な人生から培ったものをもって、生長の家を理想とする気持ちをカタチにしていきたいというのが、今の心境です。

 (60429)
日時:2023年08月20日 (日) 21時32分
名前:神の子

谷口雅春先生の著作を読んでると、これかなりインテリ向けの宗教だよね。言ってる事をちゃんと理解出来る人は少ないと思うのだ。良い物だとは思うが大衆向けじゃないし規模が縮小して純粋化するのも悪く無いかもしれんね。

ドロドロは削除します (60431)
日時:2023年08月21日 (月) 00時57分
名前:神の子



ドロドロスレッドは削除します。

酔っ払いの書いたのは消すにかぎる。

他宗教のスパイの排除 (60503)
日時:2023年08月24日 (木) 08時46分
名前:神の子

排除って一人二人ならともかく一杯まぎれこむと難しいね。
先ずあぶり出しが難しい。
踏み絵でもやらないと。
解雇するにも労働法の制約があるんで具体的な損害…例えば他宗教への勧誘からの引き抜きとかの証拠でも無いと排除出来ないでしょう。


 (60507)
日時:2023年08月24日 (木) 11時43分
名前:神の子

排除は現実には難しいでしょ。
そう言う奴らは、ものすごく外面がよく、腰が低く、絶対にバレないよう敵を作らない人間だろうから。

やれるなら、新時代にある程度、教団内に真理を満たして宇宙の法則を熟知させて、住吉大神様を前面にだしたら、雅宣時代の職員は全員切ってしまえ。ま、現実ではないけど。

テレビ ドラマのビバンみたいな人なんだろうか。

今も、忍者の系統が続いているみたいだし、世界は彩り豊かだ。笑



 (60515)
日時:2023年08月25日 (金) 03時30分
名前:神の事

神の子は5.6人くらい存在していそう、どの神の子の話だろうか。

「小聖は山にこもり、大聖は街中に潜む」 (60520)
日時:2023年08月25日 (金) 06時34分
名前:神の子

「小聖は山に隠れ、大聖は市井に暮らす」、「小聖は山に入り、大聖は市にかくる」ということわざがあるそうです。
自分たちだけ自然環境のいいところに移動して気分よくなればいいのかとか、都会に象徴される消費中心生活を物理的に離れたとしても自分のなかの消費やそれを通した差別化への衝動は何も解決されておらず意味がないのではとか、このことわざを眺めていると、何を目指しているのか問い直す必要も感じてしまいます。

 (60521)
日時:2023年08月25日 (金) 06時54分
名前:神の子

譲って言えば『山に入る生活』を自分で実践してその良さを語り信徒にもオススメする。それは良いですよ。自力で木を切って草を刈って家を建てたなら。
でも彼の場合は信徒から集めた金で立派な建物を清水建設の契約書にサインして業者に建てて貰っただけじゃん。自給自足とは真逆で人の金で遊んで暮らす宗教貴族だから尊敬できんわ。

 (60523)
日時:2023年08月25日 (金) 07時38分
名前:神の子

ここだけは一応真面目に話すスレッドだと思うのでテレビドラマとか芸能の話は他でやって欲しいかな。

遊んでいる間に 教団は腐った (60524)
日時:2023年08月25日 (金) 07時51分
名前:神の子


> 人の金で遊んで暮らす宗教貴族だから尊敬できんわ。

あはは、笑ってしまいました。
本当に、環境のために自分達がモデルになると、勝手にきめて、山の環境を壊して、引越しの日、雪が屋根まで積もって玄関が開かなくて、本部の職員数名を呼んで雪かきしてから家に入って、道路までの道も本部員数名にやらせて。。。失笑。
これで、何がモデルなんだろうか。?
どこも家族のみで、誰も召使いなどいない家庭なんだよ? 

総裁が一番夫婦2人だけで生活してないじゃん。
毎年の雪かきは、本部員の仕事。
笑わせてくれるわ。環境を守る為の自称リーダーで誰も認めん。
あと、教団が腐ったのは、
住吉大神を隠したから、教団が浄化されず、別の目的を持ったヤクザがかった人物が幹部に座っているのだ。


 (60527)
日時:2023年08月25日 (金) 08時48分
名前:神の子

梶猛弩さん、
何番の神の子さんに質問してますか、番号を明記して頂いても構いませんか。
返ってどの事がよく分からないのでしょうか。

8月19日 の二百字日記には宇治の大祭の本祭で斎主を務めたと書いているが (60530)
日時:2023年08月25日 (金) 11時27分
名前:神の子

https://www.facebook.com/photo/?fbid=779512587507160&set=a.133634892094936&__cft__

谷口雅宣総裁は、当日、
谷口雅春先生が建立された
「精霊招神神社」にも
「全国流産児無縁供養塔」にも、
参らず、それらは宇治の総務に任せて、
平成25年8月にご自分が建立し、石の塔にも字を書いた
「自然災害物故者慰霊塔」だけを、お参りして、帰って行ったと
宇治の関係者のお方から聞きました。
それで宇治の大祭の斎主を務めたと言えるのだろうか。



「自然災害物故者慰霊塔」

 (60533)
日時:2023年08月25日 (金) 16時51分
名前:神の子

石参りだけ?本当?暑いから?笑


毎年、流産児とか、霊牌供養には昇殿するけど、本当に今年はいない。写真で。
流産児はまだアップされていない。

送霊祭や浄化の火の写真があった。
総裁がいなくても、浄化の火って有難いな。
谷口雅春先生、良く毎年一回は、浄化してくださり、総本山では永代を。
谷口雅春先生は、本当に有難いです。
たとえ子孫がどうあろうとも、浄化の火で我々の先祖の業を焼いてくださるのは有難い。
事です。

以前はあの浄化の火の周りで信徒が沢山集まり、甘露の法雨を読誦しましたが、写真では確認出来ない。
今年は暑かったから、いないのかも。 宇治の神官さん達がしてくれてありがたい。
有難う、有難う。

総裁が職務怠慢ならまた教団で浄化されるわ。
何か起こると思う、神様が気づかせる、何かを。



 (60728)
日時:2023年09月02日 (土) 02時26分
名前:神の子

議論が紛糾してますなあ。
清超先生まで批判するとは良い度胸だと思ったり。
この件でもそうだが同じ生長の家を信仰してる人同士なのに掲示板では意見が一致しないね。

それは何故だろうか?

待機説法 (60729)
日時:2023年09月02日 (土) 02時31分
名前:神の子


谷口雅春先生の思想は待機説法だよね。

だからこれをどうやって適用するかで意見が分かれる。
久保理事長も阪田氏も清超先生もある意味では正しくて別の角度からの視点では皆間違ってる。
難しいところですね。

 (60730)
日時:2023年09月02日 (土) 02時41分
名前:神の子

そこをどう考えるかだけが建設的な議論になるかも。
著作者人格権の事も侵略戦争の事も意見が違う人が議論をしても永久に平行線なんじゃないかな。

 (60731)
日時:2023年09月02日 (土) 05時22分
名前:神の子

対の間違いやね。たぶん。

反省 (60742)
日時:2023年09月02日 (土) 14時42分
名前:元信徒

> 清超先生まで批判するとは良い度胸だと思ったり。


そうですよね、いけませんね、雅春先生を継いだ大先生に対して、失礼すぎますね。
反省し、謹んで削除いたします。
ご注意をありがとうございました

いい度胸しているのは、3代目総裁の谷口雅宣先生のことですよ (60743)
日時:2023年09月02日 (土) 14時51分
名前:志恩

> 清超先生まで批判するとは良い度胸だと思ったり。<

"谷口雅春先生も、間違うことがある"と
批判しているのは、どこのどなたでしょう。

 (60798)
日時:2023年09月02日 (土) 22時07分
名前:神の子

雅春先生も間違う事がある。

それは自分も同意見だがわざわざ言う必要は無いかな。雅春先生もGHQに忖度したり本心とは違う事をいわれても真っ向から否定する必要は無いと思ったら相手に合わせる事もあると思う。
本音を読み取るのが必要かな。

1巻 (60799)
日時:2023年09月02日 (土) 22時12分
名前:神の子

生長の家は哲学的思想運動として始めたのが世間から宗教として認められたのはありがたい事でも有り迷惑な事でも有る。

迷惑な事って思ってると読んだ。
書いてる人が本当にありがたいと思ってたらこういう表現はしない。

幸福を招く365章では (60800)
日時:2023年09月02日 (土) 22時16分
名前:神の子

この件について迷惑に加えて悦ばなかったの表現まで出している。
宗教だと思ってる人に完全にダメ出ししてる。


 (60801)
日時:2023年09月02日 (土) 22時21分
名前:神の子

優れた思想家だが間違う事は無いと思うのは非現実的かな。
意見は時代によっては変化したり前言を撤回したい時もあるだろう。

神の子様 (60803)
日時:2023年09月02日 (土) 23時12分
名前:梶猛弩

 大東亜戦争をどのように捉えるべきか、また谷口雅春先生や谷口清超先生の御著書の真意については、本音の時代様が別スレを立ち上げて積極的に意見交換をしておりますので、より議論を深めるためにも、そちらのスレッドに投稿される方がよろしいかと思います。
 なお、私個人の見解については、“梶猛弩の館”スレッドの方で、“歴史の伝承 〜“トラと漂流した少年”と“インド独立解放の大義” 〜 ”で想いを述べております。

 神の子様の本スレの表現で違和感を持ったのは、大東亜戦争が聖戦か否かという生長の家人としての歴史観を語るとき、また、各講師の主義主張に関して“対機説法”という言葉を使われたことです。

 対機説法や仏教の方便品は、相手の理解度に合わせて、比喩やものの喩えに工夫を凝らすというあくまで手段のことです。
 真理や本質に繋がりかねない部分で表現が異なることを対機説法というのは適切とは思えません。そこに、専門的解釈という名で“詭弁”が加えられる恐れがあるからです。
 神の子様は、仏典にも造詣が深い方と存じます。よろしくお願いいたします。

 (60804)
日時:2023年09月02日 (土) 23時58分
名前:神の子

あ、後でよく思案してみます。
ありがとうございます。

雅宣先生と精神分析編 (60805)
日時:2023年09月03日 (日) 00時04分
名前:神の子

雅宣先生は本人は少なくとも現在意識では先代は勿論、初代の総裁の築いた物を発展させて皆の期待に応えようと思ってるし悪意は無くて全く善意から行動してる。

しかし隠されている心、潜在意識ではどうだろう?

にんにく (60810)
日時:2023年09月03日 (日) 05時09分
名前:神の子

シオンさんにはニンニクがもっと必要のようですね。

ニンニクね (60813)
日時:2023年09月03日 (日) 12時24分
名前:志恩

慶應スポーツクラブの友達のKさんから
月一で、自分で作ったという黒ニンニクを
1ヶ月分づつ、私はいただいていますからね。

毎朝、黒ニンニクを一粒ずつ食べる習慣が
ついてます。自己免疫力を、高めるそうです。
そのおかげかしら、私は痴呆症にもならず、
無病でいます。

私は、もういいから、あなたこそ、ニンニク食べてね。
ニンニクっていっても、熟成黒ニンニクのことだけど。
最近は、東急デパートでも、安く売るようになりました。
どこでもだと思います。お求めやすくなったようですよ。

 (60822)
日時:2023年09月03日 (日) 21時40分
名前:神の子

黒ニンニクを毎日一粒ずつ食べるのは良さげな習慣ですね。
健康に良さそうだ。

六波羅蜜 (60823)
日時:2023年09月03日 (日) 21時42分
名前:神の子

仏教では六波羅蜜と言って仏の境地に至る為の物が6つあるそうな。
その一つがニンニクらしいのだ。

聖光録 (61088)
日時:2023年09月18日 (月) 00時26分
名前:神の子

表紙に必携と書いてあるそうな。
生長の家信徒必携とか?
持って無いから詳しく知らないが。

生長の家信徒ならトキ掲示板の閲覧は必須? (61089)
日時:2023年09月18日 (月) 00時36分
名前:神の子

シオンさんによるとトキ掲示板はせっかく掲示板では閲覧1位らしいが界隈での影響力ってどんなもんなんだろう?

生長の家信徒なら誰でも見てるのが常識なのかな?書き込みは限られたコテハンが殆どだから一部の人が内輪で話してるように見えてもROM専は遥かに多いのかな。

聖光録が読みたいです。 (61090)
日時:2023年09月18日 (月) 00時52分
名前:神の子

とか書いても雅宣総裁はここ見てないだろうな。
小閑雑感だっけか総裁の昔のブログはまだやる気に溢れていたが今はもう耄碌しちゃったみたいだ。

これからの生長の家 (61136)
日時:2023年09月22日 (金) 23時32分
名前:本音の時代

雅宣教ではなく生長の家を広めていきましょう。

元来「生長の家」は人類の思想中よりその転倒妄想(まよい)を去らしめ人類生活の全面を光明化せんがために出現した(『生命の實相』頭注版 3頁)

つづく

これからの生長の家 (61136)のつづき (61145)
日時:2023年09月23日 (土) 11時38分
名前:本音の時代

徳久克己先生の「生長の家指導者のための生命の實相講義」からです。

生長の家の人の中には、生長の家は素晴らしいけれど、政治運動をしたり選挙運動をするからイヤだという人がいるけれど、そういう人は人類生活の全面を光明化するという全面を忘れている。そういう人は目的をハッキリ読んでいないですね。政治はイヤだという人はとんでもない。生長の家は何も政治運動をしているのではないのですよ。ハッキリここでみなさん考えてください。政治家の思想を変えていく運動ですよ。政治運動じゃないのです。政治家の思想を変えて政治家の思想の中からマヨイを取る運動なんです。そのために我々は、生長の家の考え方を持った政治家を国会に送って国会の中において我々の思想運動をしてもらうのが目的なんです。
以上です。


生政連の活動停止は、この目的を忘れてしまったからだと思ってます。


谷口雅春先生は生政連の活動停止をどのように思っていたのかの私見です。
明窓浄机(昭和49年12月号『生長の家』誌)において、『政治のことは今後、副総裁に全托してやつて頂くことにする。』と書いていますので、忠実に実行なさったのだと思います。

 (61146)
日時:2023年09月23日 (土) 11時50分
名前:元信徒

じゃ、政治運動をやめたらいけないじゃん。

しかも、政治家を送り込むと書いているのに、自民党に擦り寄って、

当時の副総裁に智慧や決断力が希薄だったのかも。
雅春先生の念願の叶う日が来ると良いね。

 (61149)
日時:2023年09月23日 (土) 13時11分
名前:元信徒

> 雅宣先生と精神分析編 (60805)
日時:2023年09月03日 (日) 00時04分
名前:神の子

雅宣先生は本人は少なくとも現在意識では先代は勿論、初代の総裁の築いた物を発展させて皆の期待に応えようと思ってるし悪意は無くて全く善意から行動してる。

➖➖➖➖➖

雅宣先生がそうだと信じたい。


ては、根拠はどこにあるのでしょうか。

ヘタで簡素で子供な感想 (61153)
日時:2023年09月23日 (土) 14時33分
名前:元信徒

>
古(いにしえ)の聖域に住まう方々と出会うという奇跡 (61135)
日時:2023年09月22日 (金) 23時00分
名前:梶猛弩

 > 私の家系は江戸時代まで遡れる由緒正しい(?)お百姓さんで、この掲示板に写真を投稿する実家も農村地帯にあります。

☆素晴らしいです、日本の日本昔話に出てくるような、優しい田舎の田園風景最高です、憧れます。村全体が家族の様に声かけやら野菜の交換やら仲良く近所のお茶飲み会など、本当に和やかで優しい日本人の原点の風景があります。
日本の農村ほど温かい愛があるところはありません。

> 一方、大正・昭和を生きた曾祖父・祖父はそれなりに社会的に成功した関係で、私が生まれたとき、祖父はたいそう喜んで、大きな城下町の家老屋敷のあった場所に新たな家を構えました。
 地方の農家出身だと、生涯を過ごす土地というものに、大きな意味を見出してたからこそのことだと思っています。
 ところが、私の父親は残念なことに、金銭に無頓着な人間で、平成バブルの後、巨額の借金を背負い、その支払いのために、返済能力のない父親ではなく、私が立て替えるという形で、祖父からいただいた城下町にある一軒家を売りに出さざるを得なくなりました。
 
☆ 日本中。バブル期は、皆んなやられました。大きくは、ニューヨークの世界のロックフェラーセンタービルやハワイのホテルオーナーは、こぞって日本人でしたよ。
まるでアラブ諸国のようにお金が踊り、皆、国の方針で銀行から投資をさせられて。見せかけの財を成していました。
原因は、お父様では無いのでは?
あの時代は、土地持ちを狙い、国の命令で、銀行がお金を貸したくて仕方ない時期でしたから。
もう、担保の土地が無いとなっても、急な崖で使用出来ない場所さえ担保にして貸し出しをしていたの時代です。
だから。お父様のやり方が悪い訳では、無いと思うのですが?
ご先祖の土地家屋のおかげで助かって良い方だと思います。お写真の素敵なご実家が残されていて、素晴らしいと思います、、、。
生長の家の神様のおかげかと。


> その後、住宅ローンを組んで、実家から車で2時間ほどかかる全く別の場所で建売分譲住宅を購入し、親と離れて住むようになったのですが、現居が、伝統とかとあまり縁のない新興住宅地にあるだけに、なおのこと土地というものには、愛着というよりもっと深い感情を抱いています。

☆ 城下町は城下町で素敵な幼少の頃の思い出や、又農村地帯では、その飾らない温かい雰囲気など、あちこちにある自宅などを通して、温かい人情に触れて、全てが宝物と思えた幸せな時期を育まれたからでは無いでしょうか。
その様にかんじとれました。
日本で、一番可哀想なのは、天皇家ではないですか。親戚の財閥はほとんど解体されて、ほとんど領地没収ですから、生きていればいろいろな事を味わい、経験値を上げていけますから有難いです。
又、次に生まれ変わったら、先祖代々続く家に希望して生まれ変わるかもしれませんから、人生とは楽しいですね。
永遠不滅の生命の教えを頂きましたおかげですね。


 
> 本題としたいのは、私のことではなく、このトキ掲示板の方々のことなのですが、

☆ いえいえ、私どもにとりましては、ガジモド様も掲示板の方、しかも素敵なお家を拝見させて頂きましたからには、いろんな事に興味が沸くのは仕方ない事。
何県かな? ロシアの食器があるから貿易かな。など興味深々です。


> 本日の則天去私様のブログの記事に、則天去私様の本家の庭は、神代古墳の一部であるといいうことが書かれていました。古代・飛鳥時代の聖域であった地。推古天皇・聖徳太子の時代なのでしょうか。その地を有する家門一族の末裔が則天去私様だと思うと、素晴らしい尊い方が生長の家の信徒であり、そのブログを日々、私は拝読させていただいているんだなと改めて感激しております。

☆ 私の実家の一つも古代の古墳群の中の上に建設された家がありますが、則天去私様所は知りませんが、
どなたの古墳だか分からない上に、そこを開発した不動産屋さんから購入してますから、
その古墳の先祖代々の子孫がわざわざ、墓の上に住居って建設するかな?
私の所は、おそらく何千何百年と経過し、普通の山林になり、お寺が建設され、お経があがり、小京都風になっていて、南方のみに川からできた湖があり、高台の良い雰囲気のする場所だから、昭和40年頃の昔、土地とは何ら関係ない父が不動産屋に付き合って購入しました。
子孫が先祖代々のお墓に家を建設するかな?と、少し疑問に思いました。
夢を壊したらごめんなさい。でも単純な疑問?です。



> 古の聖域にお住まいになられている方は、もう一人、トキ掲示板にいらっしゃいます。まったく異なる場所ですが、この御縁は本当に凄いこと、私にとって奇跡のような人の御縁だと思います。
 則天去私様は方墳ですが、この方のお住まいは円墳。時代は更に遡り応神天皇あるいは仁徳天皇の頃のその地方を統率した有力豪族の若き姫の墳墓なのでしょう。気の遠くなる奇跡です。

☆ それは、スゴイですね。
お墓主が、分かっているなんて、、奇跡です。
でも、何故公開したりして、お話を聞かせてくれないのでしょうか。
伺いたいものです。一緒に感動したいですわ。笑

 日本の伝統と文化に対し崇高の念を抱くからこそ、古事記編纂年よりもさらに歴史を遡る“古(いにしえ)の聖域”に住まう方々と、この掲示板を通して知り合うことのできたというのは、私にとってこれ以上ない喜びと感じています。

☆ 一人だけで、喜ばないで、
皆んなでシェアしましょう。
ってか、ガジモド様は、もしかして、三代目管理人さんなのかな?
そうだとしたら、事情があればごめんなさい🙏

私のにとっては、古墳もガジモド様のお話もどちらも甲乙付け難い大切です。



生政連活動停止に関する所見 (61161)
日時:2023年09月23日 (土) 23時11分
名前:梶猛弩

 本音の時代様、元信徒様の投稿を受けて私なりの見解を述べさせていただきます。


>政治家の思想を変えていく運動ですよ。
>政治運動じゃないのです。
>政治家の思想を変えて政治家の思想の中からマヨイを取る運動なんです。
>そのために我々は、生長の家の考え方を持った政治家を国会に送って国会の中において我々の思想運動をしてもらうのが目的なんです。

 谷口雅春先生の生政連創設当時の理念はまさにそのとおりでしょう。



>生政連の活動停止は、この目的を忘れてしまったからだと思ってます。

 しかし、玉置和郎氏が自民党内で隠然とした影響力を持ち始めたころから、生政連は“目的”と“手段”が逆転し始めたような気がします。
 少なくとも、昭和58年参議院選でその矛盾が顕在化していました。いったん、活動を停止し問題点を洗い出そうとしたと考えるならば、昭和58年“突然の活動停止”は、理解できます。


元信徒様の
>政治家を送り込むと書いているのに、自民党に擦り寄って、
という投稿に関して、この一行は完全同意です。

 数十年生長の家の信仰を続けた信徒を国会に送り込むのなら理解できます。
 また、既存の政治家に“人類光明化”の理念を叩きこむならわかります。
 しかし、生政連推薦の候補者に生粋の信者や職員出身者はほとんどいませんでした。

 宗教が組織的に政治に関与するならば、
政治家を操るくらいの気概を持って、政党や派閥ボスに相対すべきです。
 本部は教化部(支部)や信者組織に指示するだけと思っていても、それを受ける末端の信者さんは、手弁当で応援して、家族ぐるみで投票に行くのです。自らが汗水垂らして当選させた政治家が利権まみれ、自己顕示欲丸出しの政治屋であったなら、彼らに理想を見出すことが出来ず、結局、政治家の走狗と化した組織としての宗教に虚しさを感じてしまいます。

 今後、生政連的な組織を復活させるならば、宗教組織側に政治家を抑え込む力量を持った幹部がいなければなりません。同じ轍を繰り返すだけでしょう。
 まず、そこからだと思います。

宗教組織側に政治家を抑え込む力量を持った幹部がいなければなりません。 (61170)
日時:2023年09月24日 (日) 21時03分
名前:本音の時代

生長の家はダメ人間の集まりということですな。
衰退の家になるのも致し方ないか。


これからの生長の家は、人づくりというか熱狂的谷口雅春信者をつくらないといけませんな。

本音の時代様 (61172)
日時:2023年09月24日 (日) 22時25分
名前:梶猛弩

 生長の家には、隠れた逸材が沢山いるはずです。
 ただ、組織として見たとき、必ずトップの思想や器に拘束されてしまいます。

 私が、この掲示板で何度か世代交代を提言していますが、このままでは大きく生長する筈の人材がいても、芽を出す以前にダメにしかねないという危機感を持っているからです。

 本音の時代様やここに集う人達が、名伯楽として次の生長の家を担う原石を見つけ出し、大きく飛躍することのできるようWEB上から応援していくというのも、トキ掲示板の大切な役割なのかもしれません。

ひとりごと (61229)
日時:2023年10月01日 (日) 20時16分
名前:梶猛弩

 この掲示板の魅力は沢山ありますが、私が愛読していた最大の理由は教団の中の人である故トキ様が、教団内の立場から生長の家の改革を提言されていたことでした。
 トキ様が亡くなった後、寂しい思いをしていたのですが、最近“中の人”という名前の方が時折投稿されるようになりました。
 とても心強いです。
 中の人様が、これからコテハン化して、積極的な問題提起をしただけるようになると、掲示板が今まで以上に活発化していくだろうと期待しています。

 よろしくお願いします。
 

赤坂9丁目6番から連想する (61289)
日時:2023年10月07日 (土) 20時31分
名前:梶猛弩

 私は、下戸なので普段はお酒はほとんど飲まないけれど、20代の頃は、無理してカッコつけて飲めるふりして夜の街に繰り出していたミーハーな若者でした。
 当時はまだバブルの余韻があった平成ヒト桁時代。都会志向の田舎出身者の虚栄心で、プライベートで飲みに行くのは六本木が多かったです。
 大江戸線がなかった時代なので、地下鉄で六本木まで行こうとすると、千代田線で乃木坂で降りて、ぶらぶら歩きながら、今は無い防衛庁庁舎を横目に六本木交差点まで来て、交差点にある個人書店で立ち読みをしながら時間を潰していました。

 乃木坂駅の近くにある乃木公園とか乃木将軍邸も雰囲気が好きでよく散策しましたし、学生時代には何度か赤坂9丁目6番と住居表示された生長の家の建物に行った記憶があるので、生長の家関係の看板とか見てると、幽霊青年会員と化している当時の自分も、何だか心が落ち着くな〜とか思いながら。
 赤坂9丁目6番には、原宿本部ができる前、大東亜戦争前のことですが、本部機能は全て集約されていたとも聞いたことがあります。

 幽霊青年会員という言葉で思い出しましたが、乃木坂も乃木将軍のお屋敷ができるまでは幽霊坂と呼ばれていたらしいですね。幽霊坂46では洒落になりませんね。余談ですが。
 
 なぜ今、赤坂9丁目6番という地番を限定したタイトルで話を書くかというと、この数か月、ネットやニュースで、遠い昔に歩いた場所を頻繁に見かけるようになったため。
 世界聖典普及協会の文字のあるビルの横にあるジャニーズ本社ビルが、社名変更の看板付け替えで頻繁に映ってます。

 ジャニーズ本社の入る赤坂9丁目6番のビル(旧SME乃木坂ビル)が竣功したのは、平成13年。ジャニーズ事務所が移転したのは平成30年。
 生長の家本部は平成25年に山梨県北杜市に移転し、原宿本部のあった場所には原宿いのちの樹林が、赤坂旧本部跡には赤坂いのちの樹林が整備されました。
 なので、ジャニーズ本社と生長の家赤坂本部は入れ違いです。
 ただ、現在でも、日本教文社の所在地番は赤坂9丁目6番44号、世界聖典普及協会の所在地番は赤坂9丁目6番33号と、ジャニーズ事務所地番の赤坂9丁目6番35号を東と南から挟み込むような形で残っています。
 生長の家社会事業団も、国立市に移転するまで赤坂本部にあったので同じく赤坂9丁目6番です。

 いろんな意味で、赤坂9丁目6番という地番は奥が深そうです。
 ※ジャニーズ問題に関する私見は稿を変えて改めて。



 写真は、大東亜戦争前の赤坂9丁目6番に本部があった頃の生長の家の建物です。

梶猛弩様 (61292)
日時:2023年10月08日 (日) 08時30分
名前:志恩

(梶猛弩様ー)
【赤坂9丁目6番から連想する 】

赤坂に生長の家本部があったこと、
貴重なお話をありがとうございました。

梶猛弩様が、学生時代に、あのあたりを散策されたり
六本木へいらしたり、されていらしたなんて....

今から60年以上も前から、六本木の交差点の
角のところに、「アマンド」という喫茶店があったのですが、
昨年、日本在住の妹と六本木に用事がありまして、
あのあたりに行きましたら、その「アマンド」が、
まだ六本木の交差点の 同じ場所にありましたので、
驚くやら、すごく懐かしいやらで、妹と二人で、
「アマンド」に入り、ケーキと紅茶を注文して歓談しました。

赤坂9丁目の幽霊坂(乃木坂)には、昔は、
その他にも、日本教文社、
世界聖典普及協会、それに、昔の、学生寮のあとだったか、
昔の子供の国寮を、生長の家の職員寮にしたのかの、古い
木造建ての建物も、ありました。

乃木将軍のお屋敷ができてから、
あの坂が幽霊坂から乃木坂に
変わったのでしたか。

私は原宿本部が建てられて、7年目に
原宿本部に奉職しました。
原宿本部が、建ったばかりの時は、
まだ、私は、生長の家の存在を知らない時代でした。

先に書きましたように、私が原宿本部に奉職した時は、
赤坂9丁目に、日本教文社もありましたが、その裏あたりでしたかしら、
古い木造建ての生長の家の職員寮がありました。

私はその職員寮へは、何度か行きました。
婦人局局長であり、白鳩会全国会長であり、理事でもあった
古川恵偉先生が、娘さんと二人で、その1室に住んでおられました。
私は、古川先生に、ある時、遊びにいらっしゃいと、招かれて
そこへ行ったのでした。
驚くような、ものすごく、ボロボロの 古い部屋でした。

当時、その寮には、古川先生の他には、
本部職員の、奥田寛本部講師ご一家、
結婚前の、本部企画局の、林光彦本部講師がお母様とお二人で。
本部職員で、婦人局の経理担当の事務員の藤田様、
本部職員で、お掃除担当の庶務部の銘田様。

が住んでおられました。

つまり、地位など関係なく、
本部職員の希望者が、そこの寮で暮らしていたのでした。




今から60年前の六本木交差点の街角に建つ
「アマンド」店の写真

肉食系中年男の視点から  〜“ノーミート”と“食の多様性”を考える〜 (61357)
日時:2023年10月14日 (土) 22時56分
名前:梶猛弩

 現象世界の私は人に自慢できることは少ない人間ですが、一つだけ他人に負けないことは、誰よりも沢山食べられる強靭な胃袋の持ち主であるということです。
 呑みに行くと、(私はあまり酒を飲めないので)皆が酒を嗜んで会話に熱中している間に、勝手に他の人の注文したメニューまで平らげてしまって素知らぬ顔をしているので、世界が滅んでも梶猛弩だけは生き残るだろうとその生命力と厚かましさで、夜の街では名声を轟かせています。

 旺盛な食欲は、学生時代から遺憾なく発揮。松屋の焼肉定食が大好きで、朝昼晩と一日三回の松屋通いが生き甲斐でした。
 肉食系女子という言葉が一時期流行ったことがありますが、私は“肉食系中年男”と堂々と胸を張れる自信があります。もちろん、高級焼肉とか高価なしゃぶしゃぶとかは食べたことなく、行きつけの店は、松屋、吉野家、ステーキ宮、ファミリー系ハンバーグレストラン等々。 

 ハンバーガーも好きです。マクドナルドよりはモスバーガー派です。最近は、家族で月1回、モスバーガーへ行くのが恒例イベントになっています。
 ハンバーガー店に行くのは、ハンバーガーを食べるために行くのであり、他の品には目もくれなかったのですが、
今日は、メニューを見て“ソイバーガー”の文字が目に留まったので、物は試しにというくらいの感覚で注文してみました。
 “ソイバーガー”は初めて、というより、“大豆ミート”を食べるのは、今回が人生で初めてでした。

 さて、食べてみて感じたことは。
 結構旨い、、、というより十分美味しい。。。
 肉の代わりでなく正式食品として十分ありかなと。
 “代替肉”というと、“人工加工食品”というイメージを持ってしまいますが、“ソイパティ”という食材として考えれば、逆に抵抗感なく美味しいメニューとして捉えられますね。

 私は、ベジタリアンは個人の嗜好・主義主張の範疇なので是非を論評することはしません。正しいと思う人はすればよいし、反対の人もまた然り。
 ヴィーガンは成人男女ならこれも、個人の判断の問題と思います。ただ、幼児・青少年に関しては発育に大きな問題を生じかねないので、子供への押しつけは反対です。

 宗教的・霊的には・・・という話と、現象的・生物学的な人類の生体維持のための食性とは明確に分けて考えないといけません。
 現生人類(ホモ・サピエンス・サピエンス)が誕生して20万年間、動物性タンパク質を摂取しないで種を継承した事例など皆無でしょう。

 人間が人間らしく健康で文化的に生きるためには、基本となる食生活に動物性タンパク質は欠かせないのであり、
肉・魚・乳・穀物・野菜その他をバランスよく取っていく多様な食生活が大切です。

 生長の家(教団)では、“ノーミート”を“新しい文明の基礎づくり”の一番最初に挙げています。
“ノーミート”の“NO”は、“ノーウォー”の戦争反対と同じ“否定”のニュアンスを持っています。
“少しでも減らしていこう”という趣旨を一般の人には汲み取ってもらえません。
 生長の家の教えが、社会全体へと浸透していこうとしても、これではヴィーガニズムと捉えられかねず、大きな輪として拡がっていくことは有り得ないのです。

 もう少し柔和に、
週1回くらいは、モスバーガーに“ソイバーガー”食べに行こうぜっ!みたいな気軽さを打ち出すくらいの若者的ソフトさをアピールするべきでしょう。

 まあ、それでもやっぱり私は肉食系中年男なので、私にとっての“食の多様性”とは、
吉野家や松屋で牛丼ばっかり食べずに、たまには、かつやのかつ丼とか、なか卯の親子丼とか食べて、多様な肉食生活をエンジョイしましょうって意味になりますけれど。
 


※写真は、モスバーガーの定番メニュー“ソイモスバーガー”

梶猛弩様 (61360)
日時:2023年10月15日 (日) 04時05分
名前:志恩

>モスバーガーの定番メニュー“ソイモスバーガー”<

志恩ー
すごく美味しそう!
これ、すきになりそ.!

日吉の「モスバーガー」店で、ネット検索したのですが、
残念ながら日吉には、マクドナルド、松屋、はあるのですが
「モスバーガー」店は、日吉には なくて、日吉から二駅先の
武蔵小杉にはあるので、今度、武蔵小杉に行ったときに、
是非、食べてみたいです。


 (61406)
日時:2023年10月17日 (火) 19時08分
名前:神の子

谷口雅春先生の主張する肉食禁断ですが。
大本の教義から来てるのかな?霊界物語に4足は食べないようにとかの記述があるらしいです。

神の子様 (61409)
日時:2023年10月17日 (火) 21時49分
名前:梶猛弩

 出口王仁三郎氏の“霊界物語”は、KINDLE(Amazonの電子書籍)で読めます。
 “生命の實相”の電子書籍はないのに、“霊界物語”は電子化されている、、、
文書伝道に重きを置くにも関わらず、時代に乗り遅れてしまっていることを改めて実感します。

 さて、本題の“肉食忌避”の話です。

 大本の肉食忌避については、“四大主義”の中で“タブーじゃないけど、食べ過ぎは健康によくないよ”というニュアンスで説いています。
 
 また、どの宗教の戒律でも、何らかの肉食忌避について書かれていますよね。キリスト教、イスラム教、仏教・・・。
 これらの戒律は、最初の頃から、云わば“手を挙げて横断歩道を渡りましょう”的な、ルールとして定めておくけど、実は誰も実践していないねみたいな戒律だったと思っています。
(イスラム教の豚肉禁忌は有名ですけど、これは民族に根付いた生理的嫌悪感だと思います。同じ禁忌でもギャンブルや預金利息や飲酒は普通に…(略)…。)

 日本の最初の肉食忌避は、天武天皇の御代。
 毎年4月から9月までの季節限定で牛、馬、猿、犬、鶏の食用と狩猟が禁止されたのが最初です。
 以降、肉食禁止令的なものが時代ごとに出されているので、日本人は昔は肉食をしなかったという誤解があるようですが、実際には機会あるごとに食べていたようです。
 
 漁師、マタギ(猟師)という職業は太古の昔から日本中どこでもありましたし、江戸時代の普通の農家集落でも、鯉や鮒、猪、鹿とか最大の御馳走ということで、皆で分け合って食べたとかいう記述が当たり前のように残っています。

 自分的には、昔の肉食忌避が健康上の理由とか殺生の禁止とかいうのは後付けの理屈だと感じます。
 まずは、家畜は使役・運搬具としての役割が大きいので、簡単に人様の胃袋に入ったら困るからでしょう。
 それ以上に私が一番納得できるのは需要供給論です。
 鉄砲も無かった時代、四肢の獣肉なんてめったに仕留めることもできなかった。
 一方で、皆が味を知って欲しがったら、特権的に食べられる人が恨まれるのが必然です。
 戦(いくさ)で平気で人命を奪っていた時代でも、政策的に肉食忌避が必要だったわけで、需要供給の極端なアンバランスの中で皆を納得させるためにルールや御託宣が存在したと考えると、戒律一つ一つに社会的な必然性があったことが理解できます。

 (61413)
日時:2023年10月18日 (水) 00時07分
名前:元信徒

谷口雅春先生ご自身の著書に
なぜ肉食がダメなのか書いてあります。

それを他宗教の影響と考えなくて大丈夫。
なぜか?って?

谷口雅春尊師は、直接神様とお話しが出来ますから。

影響なら生長の家大神様の影響です。

 (61415)
日時:2023年10月18日 (水) 14時05分
名前:元信徒


> 61406)
日時:2023年10月17日 (火) 19時08分
名前:神の子

谷口雅春先生の主張する肉食禁断ですが。
大本の教義から来てるのかな?霊界物語に4足は食べないようにとかの記述があるらしいです。



何で谷口雅春先生の本を読まないのですか。

大本教は、弾圧時の写真を拝見しましたが(当時のホーカスみたいなグラフですが)警察が角材を横に持って神殿を取り壊している所です。
先生は一時はそこにいましたが、神教えが人を脅かすのは間違いと、いち早く気が付き、き出て行かれた事が書かれてあります。

何で
生長の家の本を読まないの?

読んでから投稿しよう

ガジモド様 (61416)
日時:2023年10月18日 (水) 14時55分
名前:元信徒


ガジモド様、

最新の生長の家教団の方針は、自分では分から無いのですが、

ノーミートとは、肉食を少しでも減らそう と言う事なのですか?

全くいけない と言う事では無いのですね?
ちなみに、道場では、絶対にお肉はでませんでした。

教団の方針が、それなら信徒にキチンと伝わってないのでは?
私は、肉食がいけない みたいな話しか聞いてなくて、うちは、これではダメだわ。と思ったし、環境のはなしが偉い退屈だった。


減らそうくらいなら大丈夫たなー。

でも、これ、本当に正式や教団の方針?ですか?
ガジモド様の教区の方針ですか?








ガジモド様、 (61417)
日時:2023年10月18日 (水) 15時02分
名前:元信徒


本当の初期の生長の家本部を🆙 掲載下さり見せて下さりありがとうございます。

これで、生命の実相の中のお話しが想像でしか無かったのが、ハッキリした映像が頭に入ってきました。

その場所は、今は何になっていますか?

今度見に行ってみたいと思います。

素晴らしい情報を ありがとうございます。


肉食の是非は信仰上の論点とすべきでないと思います (61421)
日時:2023年10月18日 (水) 19時11分
名前:梶猛弩

 元信徒様
   
 肉食に関する私の投稿は、あくまでも私見であり、何らかの組織や団体の主張を代弁するものではありません。
 谷口雅春先生の肉食観については、“心と食物と人間と”(日本教文者刊)があるようですね。
ただ、当時の食生活・食文化と、現代のそれはかなり異なるものであり、今の現役の信者さんでこの本を読んでいる人は少ないと思います。
 
 言うまでもなく、谷口雅宣氏や純子氏の“ノーミート”は有名ですよね。
 ただ氏夫妻も厳格なヴィーガニズムを主張しているようには思えません。
 むしろ、地産地消とかオーガニックとか、穏健な結論を落としどころとしているようです。
 今の生長の家(教団)のホームページを見ても、
 “肉食を控える”とか“できるだけお肉を使わない”とか“ノーミートをお勧めします”という表現を多用しており、
過激な肉食禁止を主張していると思われないよう気を使っているのでしょう。

 私は“肉食”に関しては、宗教的な対立に持ち込むよれも、個人の自由や嗜好に任せるものだと考えます。
 

聖地“赤坂” (61422)
日時:2023年10月18日 (水) 19時14分
名前:梶猛弩

 元信徒様 

 旧赤坂本部の住所を今GoogleMapで確認すると、赤坂いのちの樹林や、世界聖典普及協会のビル、日本教文社のビルが所在していますね。
 私も長らくこの界隈には行ってないので、今度、何かの折に、久しぶりに散策してみたいと思います。
 故鈴木邦男氏の文章を読んでいると、赤坂にあった生長の家学生寮のことが書かれています。
 鈴木邦男氏の大ファンであった私としては、赤坂は“聖地”といってもいいのかもしれません。

 (61423)
日時:2023年10月18日 (水) 20時07分
名前:神の子

確かに肉を食べないようにするのが信仰の要点では無いですからね…

皆さんの言いたい事は良くわかります。
要するに『肉が食べたい』って事ですね。
わかりました。それで異論ないですよ。

これをリアルな誌友会で持ち出してもやっぱり皆、嫌な顔をしますからね。

「アミ小さな宇宙人」三部作が絶版にされた理由の1つに、地球人は肉食をしているという箇所があるからだと聞いています。 (61427)
日時:2023年10月19日 (木) 07時21分
名前:志恩

1986年作、
エンリケ・バリオ著、さくらももこ挿絵の三部作
「アミ小さな宇宙人」
「もどってきたアミ」
「アミ三度目の約束」は、
お伽話風に書かれていますが、あれは実話だったのか
と言われている小さなアミという宇宙人と少年の物語で、
もう一人、宇宙人が参加しますが、地球以外の星へ行って
宇宙外生物を見て回る不思議な物語です。

この著書は、ベストセラーになりまして、世界各国に翻訳されて
売られていましたが、ある年に、突然、絶版になり、そのため
プレミアがついて、今では、メルカリで、三部作が25000円とか
35000円で売られているほどです。

私は幸いにも、三部作は、買ってあり、
娘と孫たちも、読み、
すごく面白くていい本だ、地球人として、いい生き方をしなければ
という気持ちにさせられるいい本だと、皆、言っていました。
でも、皆、肉は、普通に食べていますが。

宇宙人アミによりますと、映画に出てくるような銀色の悪い
宇宙人は、地球の人間が作ったもので、本当の宇宙人は、
いい宇宙人であるということを、この物語の中で語っています。

そして、地球以外の生物である人間は、ものを食べていなかったり、
葉っぱだけを食べているベジタリアンだったりなのだということも
言っています。

つまり、地球人が、肉食をしていることを次のように言っている。

(注意:肉を食べている地球人には、不愉快な表現がある。)

アミ(宇宙人)がペドロ(地球の男の子)の家の食卓にのっていた
ビーフステーキを見るシーンで。

アミ:「よく死骸が食べられるもんだ!」
ペドロ:「死骸だって?」
アミ:「ウシの死骸さ。ひと切れの死んだウシの肉。殺されたウシの肉だ」

というセリフです。
これが絶版になった理由の全てではないけれど、
地球人を馬鹿にしているという、絶版になった1つの理由なのだと
聞いています。

確かに、谷口雅春先生は、肉食はしない方がいいという本を
出されておられますが、谷口雅春先生が総裁先生でいらした時代は、
本部職員にも信徒たちにも、肉食は、控えるようにとか、肉は食べるな、とか
一度も、おっしゃったことはありませんでした。

人間の中には、肉どころか魚も野菜も食べない無食の人もいます。

肉食を控えるということを、
今の時代、ほとんどの地球人が、普通に
肉を食べている時代に、前面に出して主張しますと、
人間の日常の食生活がひどく制限されますので、
ノーミートを前面に出す組織には、
特に若者は、食生活が、不自由になりますから、
近寄らないと思います。




ガジモドさま、お願い🙏 (61430)
日時:2023年10月19日 (木) 11時08分
名前:元信徒


ガジモド様の
赤坂の本部編とお写真を 元信徒も欲しいです。
すみませんが、原宿本部編に頂きたいのですけど。

ガジモド様の名前で、投稿してもらいたいのですが
お願いできませんか?

厚かましいようでしたら、
自分でコピー したいですが。でも、せっかくだからガジモさまに投稿して欲しいです。


志恩様 (61431)
日時:2023年10月19日 (木) 12時05分
名前:元信徒


面白そうな御伽話しですね。

志恩様の3冊の御本、もう絶版なんですね。

他で買うと、異常に高値で買えません。

よければ、それぞれのあらすじを簡単に教えて下さいませんか。

若者は関係ない。肉を食べたいのは自分でしょう。 (61434)
日時:2023年10月19日 (木) 18時15分
名前:神の子

しかし、そういう誤魔化しをしていてですね。
それは良しとしてもそれでいて久保理事長や清超先生を批判できるのは調子が良いなあ。と思いますよ。
誰でも自分には甘くて他人に厳しい。
自分の事は棚に上げて人の欠点はよく見えるものですよ。

三界は唯心の所現とか言うらしい。 (61443)
日時:2023年10月19日 (木) 22時20分
名前:神の子

私には久保理事長は完全円満な神の子さんにしか見えませんね。まして卑劣な…とか理解出来ないです。それは『我が心の王国を支配せよ』が出来てない貴方自身の問題でしょう。

肉を食べ過ぎて屠殺される動物の怒りの毒素で体が汚染されているかもしれません。
するとやっぱり肉は控えた方が良いかもしれませんね。

ガジモドさま (61446)
日時:2023年10月19日 (木) 22時47分
名前:元信徒

カジモド様、
依頼いたしました、赤坂の初期の本部のお写真とコメントをありがとうございました。
真理第1巻に赤坂の家庭光明寮と言うのはこちらの建物の中にあったのでしょうか。当時から素敵な建物でしたね。


お手数をおかけしました、ありがとうございました。

ご存じの方がいたら教えてください。(学び直しについて) (61464)
日時:2023年10月21日 (土) 19時39分
名前:梶猛弩

 出身者の方とか、よく知っている人がいたら教えてください。

 私は、長年畑違いのサラリーマンやってきたもので、セカンドライフは、日本の伝統とか文化とか宗教とか、そうした自分が心から好きな分野を学び直してみたいと考えています。
 先頃まではアーリーリタイアしたら本格的に生長の家で学んでいこうと思っていたのですが、今は“争い”が前面に出過ぎていて、本来の姿になるにはもう少し時間がかかりそう。

 なので、今、ぼんやりと考えているのが、神道の研究や教義を深めること。
 大学もアリだけど、より深い知識という点では大学院の方がいいかなと悩んでいるところです。

 そうすると選択肢は、
大学院なら、
 ・國學院大學大学院 文学研究科 神道学・宗教学専攻(博士課程前期(修士)・後期(博士))
 ・皇學館大學大学院 文学研究科 神道学専攻(博士課程前期(修士)・後期(博士))
大学なら、
 ・國學院大學 神道文化学部
 ・皇學館大學 文学部神道学科
の4パターンに絞られてきます。

 渋谷には土地勘がありますが、伊勢は生長の家関係の行事で数回行ったきりで地理には疎いです。
 卒業大学はまったく別の大学(MARCH)、学部もまったく畑違い(社会科学系の学部)、
 仕事も普通のサラリーマン、社家の出身ですらない、
という人間。

 知りたい点は3点です。
 1.大学3年次編入は可能かどうか。
 2.畑違いから大学院入学は可能かどうか。
 3.1、2それぞれの場合において、階位(正階、明階)の養成課程または神職課程を履修することは可能かどうか。
   
 上記3は、職業とするわけではないものの、せっかく学ぶなら資格取得の夢を持って学びたいため。

 トキ掲示板を含む生長の家掲示板の複数の投稿者がこの大学の出身者であると感じられたのと、、
 私自身、より具体的な道が見えてきたら、直接、大学に問い合わせるつもりですが、それまでに聞くのに恥ずかしくないくらいの予備知識を持っておきたいというのが投稿理由です。

 よろしくお願いします。

もう一つの選択肢 (61601)
日時:2023年10月31日 (火) 09時27分
名前:神の子

雅宣総裁の元に馳せ参じて一緒に石を拝んでみると云うのもありますよ。

古神道の世界 (61602)
日時:2023年10月31日 (火) 09時31分
名前:神の子

総裁によると石を神そのものとして拝む石神と石に神が降りてくるから石はその台座、依り代の役目を担う磐座ってのがあるそうな。

神の子様 (61603)
日時:2023年10月31日 (火) 12時01分
名前:志恩

石を拝むで、調べてみましたら
古神道にも石を拝むというのがありますが、

アニミズム信仰というのが、石を拝む信仰だ、と
ネットに載っていました。

>アニミズム信仰である「石の宗教」は、
巨石信仰、山岳修験、列石(ストーンサークル等)、
積み石(賽の河原)、陰陽石(男女石)、石搭(卒塔婆)、
祖神、石仏(地蔵・馬頭・如意輪)など多岐にわたります。
と。<

旧トキ掲示板で、初心者様というお方が、
自分は「生命の實相」を読んだが
何も得るところも感じるところもなかった、
自分はアーノルド・ミンデルのアニミズムに
心が傾倒していると述べておられましたが、
シャーマニズム信仰でもある
あのアニミズム信仰を、雅宣総裁も信仰されて
おられるのでしょうか、と、ふと思いました。

アニミズムでは、神想観に代わってドリーミングという瞑想を
やるのですが、その時の初心者様は、自分は、ドリーミング
をやっていて、他者からのコンタクトも受けていて、常時
幸福感に満たされいるのだともおっしゃっておられました。

外から見た場合、神想観をやっているのか、
ドリーミングという瞑想をやっているのか、
区別は、つきませんけれどね。

今では九州総本山の練成会では、石を拝む行事が取り入れられて
おりますよね。

今は、練成会のたびに、全練成会参加者に石を拝むことを
させていますよね。

北杜市の国際本部でも、石上げの行が行われています。

谷口雅春先生が総裁先生の時代は、石は拝んで
おりませんでした。

生長の家は、創始者である谷口雅春先生の生長の家の教えは、
消されてしまって、

谷口雅宣教に、とって変っており、それは、今後も変更する
キザシは、皆無と、お見受けします。

真偽の程はわかりませんが。

昔からの信徒から見ますと、そのように見えております。

石積みで罪滅ぼし 青森県恐山 (61605)
日時:2023年10月31日 (火) 12時22分
名前:元信徒

> https://hirotravel.com/aomorikenn/osorezan/page_thumb8.html


石積みして祖に罪滅ぼししているのだろうか。贖罪なんだろうか。
何の
罪の潜在意識が現れたのだろうか。

> 境内に積まれている石について 恐山の地蔵信仰
 
  恐山を象徴する光景のひとつに賽の河原に無数に積まれた石塔があります。これらの石は亡くなった幼い子供を弔うために両親が積んだものです。ではなぜ賽の河原で石を積むのでしょうか?それはこのような話に基づいているのです。
 幼くして亡くなった子供は父や母を不幸にしたという罪で地獄に落とされてしまいます。その罪を償うには、自分の背丈より高く石を積めば成仏できるといわれ、地獄に落ちた子供達は一生懸命に石を積むのです。なんとも痛ましく目頭が熱くなるお話ですがこの話には続きがあり、幼い子ども達が一生懸命に石を積んでいると地獄の鬼どもが現れ鉄棒で崩してしまいます。この為子ども達はいつまでたっても救われず苦しむのですが、そんな時に現れ地獄の鬼どもを追い払い子ども達を救ってくれるのが地蔵菩薩です。
 恐山のご本尊は「延命地蔵菩薩」ですので、この話に基づき地獄の賽の河原に見立てた境内に石を積み亡くなった子ども達を弔うという風習が根付いているようです。
 ちなみに恐山の賽の河原に積まれた石は、亡くなった者を弔うために遺族の方々がつんだものです。よく見ると名前が彫られた石もあります。間違っても崩したりいたずらなどしないようにして下さい。






 (61606)
日時:2023年10月31日 (火) 12時37分
名前:元信徒

そう言えば、初代トキ管理人が雅宣総裁にもお声かけして投稿しに来て下さい。と言った。と仰っていました。

いろんな方か自由に投稿して、勝手に誰かぼいな。と感じて楽しんでいました。笑



だから
志恩様の投稿を読みまして、点が線になりました。
初心者と名乗る奴は、なんてトンチンカンな奴だ。と思っていました。

なるほどー、
そのままの自分でいるんだー。世代交代したら石なんか捨ててしまって、即座に住吉大神様にお戻り頂きませんと、生長の家ではないですよね。


元信徒様 (61607)
日時:2023年10月31日 (火) 13時07分
名前:志恩

いつも勇気ある発言を、ありがとうございます。

ここの掲示板では、〇〇は、〇〇さまでは?

と言ってはいけないことになってるそうですから、

初心者様は、実は、〇〇様です、ということも

言えないのです。

ガジモド様 (61608)
日時:2023年10月31日 (火) 13時50分
名前:元信徒


ガジモド様の進学の事、
神社に行って宮司さんに相談する方が早い気がして。
その方が良くない?
願書って今月くらい?
頑張ってねー。

志恩様 (61609)
日時:2023年10月31日 (火) 14時01分
名前:元信徒


ルール、分かりました。

はい、従います。教えて下さりありがとうございました。^ - ^

梶猛弩様 (61610)
日時:2023年10月31日 (火) 14時42分
名前:志恩

(梶猛弩様-)
>私は、長年畑違いのサラリーマンやってきたもので、
セカンドライフは、日本の伝統とか文化とか宗教とか、
そうした自分が心から好きな分野を学び直してみたいと考えています。
 先頃まではアーリーリタイアしたら本格的に生長の家で学んでいこうと
思っていたのですが、今は“争い”が前面に出過ぎていて、
本来の姿になるにはもう少し時間がかかりそう。

 なので、今、ぼんやりと考えているのが、
神道の研究や教義を深めること。
 大学もアリだけど、より深い知識という点では
学院の方がいいかなと悩んでいるところです。

 そうすると選択肢は、
大学院なら、
 ・國學院大學大学院 文学研究科 神道学・宗教学専攻
(博士課程前期(修士)・後期(博士))
 ・皇學館大學大学院 文学研究科 神道学専攻
(博士課程前期(修士)・後期(博士))
大学なら、
 ・國學院大學 神道文化学部
 ・皇學館大學 文学部神道学科
の4パターンに絞られてきます。

 渋谷には土地勘がありますが、
地理には疎いです。
 卒業大学はまったく別の大学(MARCH)、
学部もまったく畑違い(社会科学系の学部)、
 仕事も普通のサラリーマン、社家の出身ですらない、
という人間。<

--------------
🙋

梶猛弩様の知りたい点、3点は。

 >1.大学3年次編入は可能かどうか。
 2.畑違いから大学院入学は可能かどうか。
 3.1、2それぞれの場合において、階位(正階、
明階)の養成課程または神職課程を履修することは
可能かどうか。
   
 上記3は、職業とするわけではないものの、
せっかく学ぶなら資格取得の夢を持って学びたいため。<


志恩ー
上記について、残念ながら
答えてくださるお方が、おられませんので、
梶猛弩様が、直接、その学校へ問い合わせるしかない
ように思います。

石上げの行 (61611)
日時:2023年10月31日 (火) 16時52分
名前:本音の時代

自分は間違って使ってしまいました。
石積みの行ではなくて石上げの行でした。

本音の時代様 (61612)
日時:2023年10月31日 (火) 18時01分
名前:志恩

「石積み」でなく、「石上げ」、でしたか。

どちらでも、石に願い事を込めるのですからね。
言い方は違っても、やることは、変わりませんよ。

-------------------------------------------
総本山のFBに、次のように、
石上げの行のことが載っておりました。

(志恩;これは引用してもいいのですよね。
個人情報保護のため、
質問者のお名前を、一字、伏せ字に いたしましたが、
引用が、よくなかったら、よくないと、おっしゃってくだされば、
すぐに削除いたします。)
-------------------------------------------
生長の家総本山
2022年2月26日 ·

本日、石上げの御祭りを執り行いました。
石探しから始まり、石掘り、祭壇の設置、石上げ、御祭りと
ほぼ一日かかりました。
「石上げの行」は、学ぶより実践することで、多くのことが実感できる行です。
 この石上げの行の詳しい様子は、『顕齋』4月号にて掲載予定です。

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岩■ 久美代
 何を祭られますか?石ですか?
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返信する

生長の家総本山
岩■ 久美代 様 合掌 ありがとうございます。

総本山では、お祭りする場所の“ムスビ岩”として、
霊宮近くにある大きな円盤形の岩を選びました。
そこに“造化の三神”の祠を設置して、自分で彫った石を
スビ岩の下に置き、お祭りを行いました。
「石上げの行」の詳しい行い方については、
総裁 谷口雅宣先生御監修の『誰でもできる 石上げの行』
世界聖典普及協会・税込み250円)に掲載されておりますので
そちらをご参考にされてください。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
返信する

岩■ 久美代

退会しまして長くなります。
失礼ですが、雅治(春)先生の建立なさいました本宮です。
信徒の献資があります。
石になんの意味がありますか?
悲しいです。拝
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
返信する


投稿者
生長の家総本山
岩■ 久美代 様 ありがとうございます。

仰るような、石が龍宮住吉本宮に取って変わる
というものではございません。
『誰でもできる「石上げの行」』の中にも、
「「浄心行」や「実相円満誦行」と同じ「行」の一つであり、
「石上げの行」が浄心行などと違うところは、
自然を強く意識する点である」と解説されています。
つまり、従来の練成会で行われてきた様々な行の中に、
“自然を深く感じる行”が一つ加わったと
思っていただければと存じます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
返信する

岩■ 久美代
生長の家総本山 様

連絡ありがとうございます。
自分の中で納得が出来ないから 
生長の家の信仰を辞めました
戻るつもりはありません。お許し下さい。
お元気で精進なさいますようにお祈りします。
奥津城のお参りに行きたいです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

https://www.facebook.com/105810271176937/posts/501174508307176/?locale=ja_JP

志恩ー
石上げに不信感を抱いて、
生長の家をやめた人もいますね。

“石”が持つ意味 (61613)
日時:2023年10月31日 (火) 22時10分
名前:梶猛弩

 “石上げの行”というと、普通の一般人の方なら尾張富士の“石上げ祭り”を思い浮かべます。
 祭りとしての歴史は比較的浅く、江戸時代後期なのですが、
 木花開耶姫命が夢の中に顕れ、尾張富士が隣の本宮山より標高が低いことを嘆いたことから、村人達に石を拾っては尾張富士の山頂に運び標高を高くするようにとのお触れがあったのが始まりとのこと。
 “背くらべ”に勝つ、すなわち念願成就であり、環境とか自然といったものでは無いものと思います。

 これは、“磐座”や“アニミズム”に源郷を求める古神道とは一線を画す、現世に生きる民衆達の御利益信仰であり、
人々の活き活きとした、いい意味で俗っぽい神道の一形態です。もちろんいい意味で。

 由来の異なる“石上げの行”に、環境とか自然信仰の意味を取り入れても、信徒の心の中には浸透していかないでしょう。
 生長の家(教団)では、5年程前に熱心に“インタープリテーション”というのを、教区や青年会で取り入れようとしていたことがありましたが、日本人の心の中にある“自然崇拝”は“インタープリテーション”や“石上げ”とはまったく別の概念です。実際“インタープリテーション”は信徒の皆様から見向きもされず見放されていきました。

 私は、今の生長の家の“環境調和”の主張は決して嫌いではありませんが、ただ、西洋的合理主義とか市民派的環境教育に寄りすぎてしまって、“あはれ”や“わび・さび”に真・善・美を見出す日本人固有の自然観を損なってしまっていると感じています。
 結果として、環境とか自然とかの主張を声を大にするほど、皆の心から信仰が離れていくきっかけを作っているのです。

 “石”というものに意味を見出そうとするのなら、人が手にすることも憚られる聖なる存在としての“磐座”と、“石上げの行”の“石”は、信仰的にも理性的にも感性的にも似て非なるものであるということに気づくべきなのでしょう。

雅宣さんが我を出さずにはいられない性格だから雅宣教、三代目教になってしまう。 (61614)
日時:2023年10月31日 (火) 23時44分
名前:本音の時代

『我』を抜くことが、そのままに神のいのちを生きる事となるのだという。
『生命の實相』を読み込まないと、『我』が出てきますよ。『我』が出てきて善いことはありませんよ。教団を見ていれば参考になります。あっ! 教団だけではなかったですね。気をつけましょうね。

学ぶ会を見ていると、昔教団でやっていたことを再現することで安心するみたい。高齢者が多いですっていうか、高齢者の集まりです。(自分も高齢者ですが)
それでも生長すればよいのでが、昔を懐かしんでいるだけのようにも見えます。

これからの生長の家。純正品と互換品の区別が出来ていないように感じます。

 (61641)
日時:2023年11月03日 (金) 06時59分
名前:神の子

私は神の子完全円満

クーエ・メソッド (61642)
日時:2023年11月03日 (金) 07時00分
名前:神の子

これから毎日あらゆる点で

 (61643)
日時:2023年11月03日 (金) 07時02分
名前:神の子

一層よくなる

 (61644)
日時:2023年11月03日 (金) 07時05分
名前:神の子

人間神の子の免許証を持って心の法則と云う交通規則に従って人生を運転してくださいな。

 (61645)
日時:2023年11月03日 (金) 07時06分
名前:神の子

無免許とか交通違反とかはダメですよ。

エミール・クーエの法則 (61654)
日時:2023年11月03日 (金) 19時39分
名前:梶猛弩

 クーエ・メソッドは、誘導自己暗示療法(クーエ療法)を確立された心理学者の提唱された心理法則のことですね。
 エミール・クーエ氏は、医師ではなく薬剤師という珍しい経歴の方ですが、谷口雅春先生の御著書にも、「自分はこれから毎日あらゆる点で一層よくなる」と朝晩20回繰り返すことで願望が実現するというクーエ療法について述べられている箇所があったと思います。

 なお、せっかく神の子様がクーエ氏のお名前を出してきたので、私見を交えてクーエの法則について述べてみますね。

 “人間本来無限力”の言葉の力を法則化したエミール・クーエの法則ですが、最近の心理学の傾向としては、“願望実現の法則”よりも、“努力逆転の法則”の方にスポットライトが当たる傾向にあります。
 “努力逆転の法則”とは、端的に言えば“想像は思考に打ち勝つ”というものです。これは、逆説的なものであり「こんなに努力しているのに、うまくいかない。」という壁にぶつかったときに、その原因を明らかにする上で有効な手法なのでしょう。
 
 生長の家系の方のSNS。時折、“努力逆転の法則”を地でいっているような話題もありますね。
 例えば、本流派組織の幹部らしき方のボヤキで、
「毎日、こんなにも一生懸命やっているのに、うちの組織は批判ばかり受けている。」
という発言。
 あるいは、教団の一会員らしき青年の
「正しいことを言っているのに、悪者にされている。」
という発言。
 まるで“努力逆転の法則”の典型例のようです。

 どちらも「努力しているのに・・・」の原因を、意志と想念の不調和というエミール・クーエの法則の視点から自己分析していけば、課題や解決策が案外簡単に見つかるような気もします。
 努力の矛先が想念と不調和を産み出しているからこそ悪しき結果となるのだと、今一度、着眼点を転換してみましょう。

 もちろん、分かっているけど気づかないふりをして安定した精神状態を保っている場合は、(むしろ、こちらの方が多いかもしれませんが、)ある意味、自ら失敗(低迷)することが前提ですから、仕方がないのかもしれません。

先生と言われる程の馬鹿でなし (61662)
日時:2023年11月05日 (日) 20時22分
名前:梶猛弩

 保育園で園児たちが「せんせ!せんせ!」と言いながら保母さんに話しかけているシーンは、とても微笑ましいですね。保母さんがしゃがんで園児たちと同じ目線で分かりやすく話しかけているのも、いい光景だなと心が穏やかになります。
 病院で高齢の親族の病状を熱心に医師が話すのを真剣に聞いているとき、「先生!大丈夫ですか?」と問いかけるとき、その“先生”という敬称には相手に命を委ねる真剣な気持ちがこもっています。それに対して、できるだけわかりやすい言葉で説明してくださる医師の気持ちもストレートに伝わってきます。
 こうしたとき、相手方への敬称は、“さん”ではなく先生でしょう。それが何よりもその場に適した敬称だからです。こうした先生と呼ぶ関係は、そうした特別な環境が終わった後も生涯にわたり続くものです。相手を先生と呼ぶことに安心感と過去の恩義が含まれ、相手方も対等な目線で返してくれる関係になるからです。

 …という話から入りながら、今回のタイトルは“先生と言われる程の馬鹿でなし”。
 このフレーズは、今では中学生でも知ってますね。
 もともとは、川柳だとか、太宰治の小説だとか、新聞の社説だとかいろんな説がありますが、
先生と呼ばれる場でもないのに、「〇〇先生!」と呼ばれて、喜んでいる人達を皮肉った言葉ですね。
 ぱっと思い浮かべると、権力欲丸出しの政治家か、飲み屋で鼻の下を伸ばしている脂ぎったオヤジみたいなイメージでしょうか。
肩書に酔っている情けない人間になりなさんなよ、という少し毒の入った戒めなんでしょう。

 本来、先生と呼ばれる肩書は存在しません。
 私もリアル社会では、原則、先生という呼称はつけないです。必要な場以外はすべて“さん”。仕事関係で呼称を付けなければならない場合でも、議員であればそのまま議員ですし、医師であれば、ドクター、そのときの役職で医長とか教授とか呼んでいます。
 先生と奉った結果、威丈高な態度で返されると途端にちっぽけな存在に見えるので、可哀想という気持ちも湧いてきます。


 宗教の世界では、どうでしょうか。

 私は伝統仏教の檀家ですが、
 私の亡き祖母は仏教僧のことを、住職様、和尚様と田舎らしい素朴さはありますが、最大限の敬意を払ってお話していました。お互いに敬意を払ってそれが普通でした。
 今は、どこのお寺へ行っても、方丈さんで統一されています。話し言葉も、葬祭・法事など厳かな儀式以外はタメ口ですね。それが当たり前になっています。
 方丈さんとは四畳半一間(一丈四方)で慎ましく生活しながら修行を行う僧侶の意味。謙遜・謙譲の美が感じられます。

 ただ、とある宗教団体では、組織からお給料を貰っている役職者(要は寄附や奉納金で生活している人達)を先生と呼ばせてるところもあるようです。もちろん故人となった方はその業績を最大限に讃えるという意味において先生の尊称を付けることに何の違和感もありません。既に現象を超えたところにいらっしゃいますので。
 ただ、今も御存命で現役の方で先生と呼ばれている方の話で、上から目線に閉口したなどという話を一信者さんから聞くと、こうした役職者の方々ももう少し謙虚になってほしいなとか感じてしまいます。
 そもそも、現役の役職者が先生と呼ばれるのは、その御教えや奥にある真理に対して限りない尊厳を抱いているからであり、いったん、普段着に戻れば皆平等な一人の求道者なのだと。

 現役の講師の方を、谷口清超先生や谷口恵美子先生と同列でお名前を書かれて、“立派な先生なのだから…”という論調で言われた方がいましたが、総裁先生として尊ぶべき存在、霊界から見守っていただいている崇高な存在と並べて、現象に生きる一人を謂わば尊敬を強いる表現することにかなり落胆しました。
 
 谷口雅春先生、輝子先生、清超先生、恵美子先生という敬称としての尊い先生という敬称と明らかに異質な、先生がいらっしゃるわけです。

 こうした増長した先生が現世にいるからこそ、先生という呼称の劣化を招き、
“先生と言われる程の馬鹿でなし”というフレーズが当たり前の世の中になっているのでしょう。

先生というのは豚では無いので (61663)
日時:2023年11月05日 (日) 20時40分
名前:神の子

先生と言われるのは余程危うい事だと青年の書と静思集にも有りますね。

 (61664)
日時:2023年11月05日 (日) 20時44分
名前:神の子

自分も人を無闇に先生付けで呼びたく無い方だけど。

他の人が誰かを尊敬しての先生付けて呼んでるのに同じ場で自分はさん付けで呼ぶのも、ちょっと。
どう考えたら良いものか?

 (61665)
日時:2023年11月05日 (日) 21時50分
名前:梶猛弩

 異なる敬称を使うことで、相手の器がわかるかもしれませんね。

 一番無難なのは“講師”でしょうけど。

 (61666)
日時:2023年11月06日 (月) 00時18分
名前:神の子



雅宣講師で大丈夫?

 (61667)
日時:2023年11月06日 (月) 00時35分
名前:梶猛弩

 オフィシャルなシーンなら谷口雅宣総裁、
 それ以外なら、雅宣さんで、OKだと思いますが。

 そもそも神の子様は教団批判派の方でしょうし、組織会員でもないと思いますので、全然失礼に当たらないと思います。

 (61668)
日時:2023年11月06日 (月) 11時59分
名前:神の子

環境講師で、教えの講師はイメージない?かも。

開祖以外、清超氏なども外部、部外者なら さん づけ呼びで妥当か。

文書仮説 〜聖書学の視点から日本神話を考える〜 (61855)
日時:2023年11月18日 (土) 19時15分
名前:梶猛弩

 私は、二十代から四十代の頃、宗教に対する興味を失っていた時期がありました。
 きっかけは、様々な宗教の原典に、難解という言葉で片づけることができない矛盾を感じ取ったからです。

 例えば、古事記。
 “古事記”と“日本書紀”を比べると、出来事の登場人物や場所が異なるものがあること、一の神様に複数の名前が付されていること、ある天皇の業績が他の天皇の業績となっている箇所が多数あること等々。
  こうしたことは、江戸時代以降の国学者がいろんな解釈で説明しようと試みていますが、説明そのものが循環論法、帰納法と弁証法の便宜的選択、転化、感情と理性のすり替えといった、詭弁のオンパレードとしか思えませんでした。

 しかし、50歳を過ぎた今は、、、
 古事記の持つ一つ一つの文章に、日本を創った古代の人達の息吹を感じ取り、今まで矛盾と感じていた事跡が実は大切な意味を持つものだと考えています。

 私の考えが根本的に変わったのは、ヘブライ語聖書(旧約聖書)の“文書仮説”について学んだこと。“文書仮説”というのは、実はどの民族・国家の古典的神話に当てはまると考えるようになったことです。それは日本においても当然に成立し得ると。
 
 ユダヤ教、キリスト教で絶対不可侵とされている“聖書”
 その根本である世界の創造、そして神の名に決定的な“???”があります。
 聖書を学んだことがある人なら、誰でも知ってるよと言われそうですが、クリスチャンではない私にはかなりの衝撃でした。

 世界の始まりである創世記。
創世記1章では動物がつくられた後で人間がつくられているのに対し、創世紀2章ではまず男がつくられ、次に動物、最後に女がつくられています。

 そして、神の名。
 聖書の神の名については、谷口雅春先生の御著書において、別の視点から言及されている箇所がありますが、異なる視点での洞察ですのでご容赦ください。
 神の名の一つは、“エホバ”。言語の違いで“ヤハウエ”“ヤーウェ”“ヤーヴェ”等の違いがありますが、これはそれぞれの時代あるいは国の発音の違いで、すべて同じ神をさします。
 もう一つは、“エロヒム”。“エロヒム”は明らかに“エホバ”と異なる神です。そもそも単一の神は“エール”“エロア”“イル”であり、“エロヒム”では複数形になり、多神教信仰の名残を有します。

 今のキリスト教系の宗派では、信仰の根本である、創世神話、創造主に矛盾があったら困りますので、相当強引な解釈を使ってこの違いを、違いではないと説明しています。
 ただ、その強引さ、“神を疑う不届き者”、“素直に従いなさい”といって議論を封殺するやり方は、私のように理性的・論理的に紐解こうとする人間には、宗教の持つ傲慢さにしか思えませんでした。

 その私の中で、“宗教の矛盾”を“宗教の素晴らしさ”にコペルニクス的大転換を図ったのが、聖書学の基本とも言える“文書仮説”です。

 紀元前を更に遡る遠い昔、
 ユダ王国の国教としての“ヤハウエ信仰”=J。
 北イスラエル王国の国教としての“エロヒム信仰”=E。
 数百年程時代が下りユダ王国宗教改革時代の“申命記”=D。
 そして、バビロン捕囚で新バビロニアに囚われた知識人が著した“祭司資料”=P。

 ユダヤ人国家が征服され、多くのユダヤ人たちが幽閉・離散し、ユダヤの民族的アイデンティティが失われようとした正にそのとき、民族結集の志ある学者・宗教人たちがバラバラになったユダヤ資料J・E・D・Pを集約・編纂し、ノアの洪水に代表されるメソポタミア神話も取り入れ、統合した聖典が“ヘブライ語聖書”(旧約聖書)なのだと。

 これを知ったとき、
 私が矛盾として感じていた内容が、実は矛盾などではなく、民族の統合の象徴・結晶としての究極の抒情詩であり叙事詩であるゆえだと、ストンと心に落ち、大きな感動となったのです。

 それは日本も同じです。
 古事記、日本書紀の中で私が矛盾と考えていた文章には、日本民族成立のとても深く尊い魂の成立譚が奥底に存在している証左なのだと気づくに至りました。

 私の齢五十からの信仰回帰の原点がここにあります。

梶猛弩様 (61869)
日時:2023年11月18日 (土) 21時48分
名前:志恩

宗教のことから、古事記、日本書紀のことまで
緻密に根本的なことをよく勉強されておられますね。
大変教えられました。
昔でしたら、基礎文化研究所の所長さんにって
外部のおかたなのに、スカウトされそう。
山口悌治先生、阪田成一先生の後輩として。

日本神話への大いなる知的探求心 (61984)
日時:2023年11月27日 (月) 00時26分
名前:梶猛弩

 我が国の神話・古代史研究は、比較神話学の中で多様な学説が提示され議論が展開してきました。
 ポリネシア、インド、ユダヤ、扶余様々な地域に伝わる伝承との類似性を検証しながら、日本という国の成り立ちを考えていくというものです。特に近年では遺伝子研究で日本人のルーツを探るという試みも盛んに行われ、古代史研究に更なる深みを増してきています。

 こうした視点での研究には、私もとても興味があります。
 しかし、最近になって、私が自分で、日本神話・古代史を研究するのなら、既に多くの学者が侃々諤々議論し尽くしているようなところに、一緒になって入っていくよりも、
今までの歴史研究家や宗教学者が入り込まなかった分野を開拓した方が、一層の知的探求心を満たせて有意義ではと考え始めています。

 例えば、前回投稿したような、聖書の文書仮説を日本に当てはめてみて新たな仮説を提示できないかとか。

 712年に成立した古事記、720年に成立した日本書紀。
 たった8年しか違わない、日本の神話・歴史書になぜ多くの相違点があるのか。
 単に国内向け・国外向けの違いなら、国産み伝説や神々の名前・事跡をわざわざ異なるものとする必要はないはず。
 また、日本書紀には、なぜ“一書に曰く”として、通説と異なる複数の神話、異なる歴史を書く必要があるのか。

 これは何らかの意図があったとしか考えられない。
 ヘブライ語聖書(旧約聖書)が、北イスラエル王国のエホバ信仰と、ユダ王国のエロヒム信仰という二つの創世記・神話をベースに、出エジプトの史実、メソポタミア神話の移入、バビロン捕囚時の祭祀という複層的なユダヤ精神が融合・昇華し、原型が出来上がったように。

 古代日本が後世にあえて伝えようとした複合的・重層的な伝承の意味することを解き明かしたい。

 もし数年後に、アーリーリタイアした中年サラリーマンが、今まで全然違う仕事をしていたにも関わらず、突然、こうした研究テーマで大学院の社会人入試を受験しに来たら、それが梶猛弩です。

梶猛弩様 (61989)
日時:2023年11月27日 (月) 13時41分
名前:志恩

(梶猛弩様ー)
>古代日本が後世にあえて伝えようとした
複合的・重層的な伝承の意味することを解き明かしたい。

 もし数年後に、アーリーリタイアした中年サラリーマンが、
今まで全然違う仕事をしていたにも関わらず、突然、
こうした研究テーマで大学院の社会人入試を受験しに来たら、
それが梶猛弩です。<

志恩ー
私は、それまで生きていられるのかどうか、わかりませんけれど
もしも私が死んじゃったとしても、梶猛弩様の新しい たのしそうな
門出をお星様になって見守っていますから、がんばってください。

志恩様 (61992)
日時:2023年11月27日 (月) 23時07分
名前:梶猛弩

 有難うございます。

 志恩様の部屋を改めて拝見させていただきましたが、DIYとか油絵とか、本当にいろんな才能を持っていらっしゃって、感嘆!しきりです。

 志恩様のお庭ではっさくを作られているんですね。私が子供の頃、田舎の家にはっさくの木がありましたので、懐かしくなりました。志恩様のような都会じゃないので、先に猿とかの野生の獣に食い荒らされて、食べられる果実がほとんどなくて悔しがっていた子供時代を思い出します。

梶猛弩様 (61993)
日時:2023年11月28日 (火) 00時28分
名前:志恩

梶猛弩様、シオの部屋を見てくださったそうで、
ありがとうございます。光栄に思います。

はい、私は以前からですが、
DIYとか、絵を描くことも好きですし、
小学生時代の娘の服は、全部ではありませんが、
私が布地を買って来て、ミシンで縫って、娘に着せていました。

梶猛弩様のご実家のお庭には、
子供時代、ハッサクの木も、あったようですね。
田舎の方ですと都会には、いないような獣も庭に来て、果実がみのると
食べていくのでしょう。

都会のうちの庭にも、どこから来るのかわかりませんが、
夜暗くなりますと、時折、ハクビシンが今でも来ています。
ハクビシンは、イチジクとか、びわの実とかは、
甘いので食べて行きますが、
柑橘類は、酸っぱいせいか、食べていかないので、おかげさまで、
ハッサクは、ハクビシンに食べられずに、そのまま 実っています。

私が、庭にハッサクの苗木を植えたきっかけは、
先先代のトキ管理人様が、昔、トキ掲示板に、

「僕はハッサクが大すきで、風邪をひくと、妻がハッサクを
買ってきてくれるので、ハッサクを たくさん食べて 風邪を
治しています。」

と書かれたことがありましてね、
それを読んだあと、私はあの時、ものすごい早さで、
ハッサクの苗木をネット通販で買って庭に植えたんです。

しかし、私はただ庭にハッサクの苗木を急いで植えただけでして、
苗木は、植えたは 植えたけど、それだけで終わりまして、
どこのどなただかわかないトキ様には何もお役にもたたなかった、
うちのハッサクでした...........。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
再掲:旧トキ掲示板より
部屋板4
2161:志恩:2013/11/16(土) 17:32:58

ハッサク好きの、 トキ様。
風邪をひかれて、ハッサクばかり食べていたので、
全身、ハッサクになったトキ様です。

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メソポタミア (62014)
日時:2023年11月30日 (木) 18時52分
名前:神の子

メソポタミアって言ったら現代で言うとイラクの辺りですね。
約1万年前、メソポタミア地域は人間が農耕を始めた地域で人間がネコを飼い始めたのもその頃だそうな。 

 (62015)
日時:2023年11月30日 (木) 18時53分
名前:神の子

ネコは肉食動物なのでハッサクなどの柑橘類を食べさせてはいけませぬ。

南泉斬猫 (62016)
日時:2023年11月30日 (木) 18時55分
名前:神の子

ネコを斬るのもいけませぬ。

アブラハムの故郷 (62018)
日時:2023年11月30日 (木) 22時56分
名前:梶猛弩

 メソポタミアがユダヤ人にとってとても重要な地であったというのは、聖書の記述からもわかりますよね。
 ユダヤ人の始祖アブラハムは、ユーフラテス川の先にあるウルという都市の出身であり、アブラハムの父テラは、そこで異教の神に仕えていたという記述です。

 この文章からは、必然的に二つの仮説が導き出されます。
 一つは、聖書の記述そのままで、ユダヤ人はメソポタミアの出身で、そこから、何らかの事情で、カナン(パレスチナ)へと移住した。
 もう一つは、バビロン捕囚でメソポタミアに強制移住させられたユダヤ人達が、そこでの異教の神を捨て脱出し、カナンへと帰還した。

 どちらの仮説が真実かはわかりません。
 ただ、私は定説となっている前者の説よりも、後者の説の方が理にかなっているように思います。
 理由として、
 第一には、古ヘブライ文字は、フェニキア文字と瓜二つであること(フェニキア人は古くからカナンの地に住み地中海貿易に従事していた民族であること)。
 第二には、カナンの地の古くからの民族であるサマリア人の宗教は、古代ユダヤ教の原型を残していること
 第三には、聖書の記述を裏付けるとする遺跡がカナンの地で複数見つかっていること。
 第四には、預言書には、カナンの民間伝承が基層にあると考えられること。
 第五には、“ノアの箱舟”は、バビロン捕囚時の祭司達が、“シュメルの洪水神話”“ギルガメッシュ叙事詩”から移入・再編した可能性が高く、そのノアの息子セムから数えて10代目となるアブラハムの出生からカナン移住までの遍歴は、メソポタミアに囚われた祭司達の望郷の想いが強く入れ込まれていると推し量れること。
などです。
(あくまでも梶猛弩的推論)

 一方、エデンの園は、チグリス・ユーフラテス川流域にあったという説もロマンが詰まっており、前者の説もなかなかに捨て難いです。

 ただ、どちらにしても、現代に残された資料では実証することができませんが。

猫とかけて何ととく (62042)
日時:2023年12月03日 (日) 21時32分
名前:梶猛弩

 神の子様が、猫のことを話題にあげましたので、私も猫について思い浮かべました。
神の子様は、禅の公案の“南泉斬猫”を挙げられました。さすが信仰篤き神の子様です。
 一方、私が、猫を題材にして議論をするとなると咄嗟に頭に浮かぶテーマが、“シュレーディンガーの猫”です。
 
 改めてこの2つの話を並べてみると、どちらも猫が死んでしまうという話なのに、色合いが異なります。片や宗教思考。片や科学思考。

 “南泉斬猫”というのは中国の禅宗のお寺を舞台にした禅問答です。
 子猫を巡って言い争いをしていた弟子たちに向かって、高僧南泉が「何事だ?ちゃんと答えられなければ猫を斬ってしまうぞ!」と問うたのに、誰も答えられなかったので、子猫は斬死。南泉は弟子たちに対立の愚かさを説きます。
 その後、外出先から趙州という弟子が戻ってきたので、趙州にその話をすると、趙州は草履を頭の上に載せて外へ出ていってしまった。
 それを見ていた南泉は、「趙州があの場にいれば、子猫は斬られずに済んだのに」と呟いたという話。

 もう一つは、 “シュレーディンガーの猫”。オーストリアの科学者の素粒子物理学の思考実験です。
 外から見ることのできない箱の中に猫を入れる。ある事象が誘因となり致死量の放射線が照射され猫は死に至る。しかし開けてみないと箱の中がどうなっているか窺い知ることができない。
 すなわち、科学的に言うならば、開けてみる(観測する)までは、猫は生きているかもしれないし死んでいるかもしれないという、生と死が重なり合った状態(同時に存在する状態)であるということ。

 何を申し上げたいかというと、
 どちらも猫を殺める(あやめる)という恐ろしい話ですが、そこで仏教の話を連想するのか、科学の話を連想するのかの違い。
 その発想の違いが、神の子様と梶猛弩の違いであり、“トキ掲示板”における“生長の家”議論のアプローチの違いとなって現れてきているように感じられるということです。
 この掲示板で猫の話をすることも、一種の思考実験のようで、中々に興味深いものがあります。

猫関係でも、そのような難しいことはわからなかったので、調べてみました。 (62043)
日時:2023年12月04日 (月) 09時46分
名前:志恩

ネット検索した結果です。

「シュレディンガーの猫とはどういう意味ですか?」

シュレーディンガーの猫
(シュレーディンガーのねこ、シュレディンガーの猫とも、
英: Schrödinger's cat)は、1935年にオーストリアの
物理学者エルヴィン・シュレーディンガーが発表した
物理学的実在の量子力学的記述が不完全であると
説明するために用いた、猫を使った思考実験。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「シュレーディンガーの猫」の意味や使い方
わかりやすく解説 Weblio辞書

weblio.jp
https://www.weblio.jp › content › シュレーディンガーの猫
検索: シュレディンガーの猫とはどういう意味ですか?

「シュレディンガーの猫の答えは?」

「わからないのは私たちにそれを決定するための
情報が不足しているからであって、
箱の中身は最初から決まっているはずだ」
というのが彼の解釈です。

つまり「観測するまで答えはわからず確率でしか言えないが、
正解は最初からこの世界に存在している」というのが
アインシュタインの考え方です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
志恩ー
でした。

ネコに蜜柑は食べさせてもいいのか (62048)
日時:2023年12月04日 (月) 12時56分
名前:志恩

ネット検索
>好奇心が旺盛な猫ちゃんは、なんでも匂いを嗅ぎたがります。
もちろん、みかんの匂いもくんくん嗅いで、
匂いの確認に余念がないことでしょう。
しかし、人間がみかんの皮を剥くと突然逃げ出しませんか?

猫は、そもそも柑橘系の匂いが苦手です。
それは、酸っぱい匂いがするからです。
「酸っぱい匂い」は、肉が腐った時に放つ腐敗臭に近いのです。

そのため、猫は酸っぱい匂いに敏感に反応します。
「酸っぱい匂いがするものを食べたらおなかを壊す」ということを本能で知っているからです。

猫にみかんの果肉は与えても大丈夫!ただし注意が必要
そんな猫が苦手な柑橘系ですが、もし万が一、愛猫がみかんに興味を示したら、みかんの果肉や果汁は与えても大丈夫です。
みかんは人間が食べても、ビタミンやミネラルによって免疫力を向上させたり、健康の維持に役立ちますが、猫にも同じ効果が期待できます。<


志恩ー
私は、ネコにも犬にも、ミカンは、あげたことはありません。
あげて、悪くはないようですが、あげない方がいいようです。
ネコには、ドックフードも、あげてはいけないそうです。色々と
あげてはいけないりゆうは、ネットに書いてありました。

ドッグフードを食べさせてはいけないけどミカンはOK? (62051)
日時:2023年12月04日 (月) 21時06分
名前:神の子

そのネットの記事は素人が適当に書いたんでしょう。
ネコ科の動物は完全な肉食だから雑食性の人間と同じ感覚で考えない方が良いと思います。

これからでなく、今すぐに、 (62063)
日時:2023年12月06日 (水) 17時06分
名前:元信徒


年末になると、よその神社から神札の注文書がくるのだけど、
生長の家は、困ったねー。

 住吉大神のお札を新しくしたーい‼️

総本山ではもう発行してないと。

随分、勝手な事をしてくれるじゃないよ。


ぞうさんの三振なんていらないよ!


住吉大神様のお札が欲しい。


 (62074)
日時:2023年12月07日 (木) 19時54分
名前:神の子

ゾウさんの三振?

ゾウさんも柑橘類を食べるそうです。
動物園のゾウさんは鼻で器用にミカンの皮を剥いて食べるそうな。

 (62075)
日時:2023年12月07日 (木) 20時00分
名前:神の子

アフリカゾウは陸上の動物では最強。
攻撃は踏みつけるか鼻を振り回しての打撃か投げたりするらしい。

肉食動物最強のネコ科のライオンとかトラもタイマンでは全く相手にならないそうな。

 (62076)
日時:2023年12月07日 (木) 20時02分
名前:神の子

そんなゾウさんに鼻で3回ぐらいビンタしてもらえば良いんですよ。 

誰が?

ゾウさんの鼻で (62081)
日時:2023年12月08日 (金) 14時47分
名前:元信徒


それは、
貴族生活してる、クイズ作成車。

オイ‼️ お前‼️ 仕事しろ‼️

と、言ってから思いっきり!やってくれ、ゾウさん。

宇宙に飛ばして、帰還できないように、宇宙ゴミと一緒に漂わせておいて。



谷口雅宣様へ (62094)
日時:2023年12月09日 (土) 08時06分
名前:志恩

生長の家総裁フェイスブックより
14時間 ·

 >今回の季語は「寒風」です。
ここ大泉地域は夜、すさまじい風が吹くことが少なくなく、
一昨日の夜の強風で、わが家に設置したシカ除け用の門戸が
壊れてしまいました。
もうシカさんは夜、自由に家の庭に入って来れるのです。
近況報告でした。<

志恩ー
すさまじい風が吹いて、お家に設置したシカ除け用の門戸が
壊れてしまったそうで、大変ですね。私のうちは、丘のてっぺんに
建っていますので、私のうちの庭にも、時折、すさまじい風が吹きます。
そういう時は、やはり、強風にあちこち壊されたりします。
でも、私は、クラフトが得意ですから、私もやりますが
娘夫婦も手伝ってくれて、メンテナンスしています。
雅宣様もお得意のクラフトで、シカ除け用の門戸を、
より強度な作りのものに、作り直してくださいね。
クラフト、ガンバレ!

ゾウさんが現れた世界 (62098)
日時:2023年12月09日 (土) 23時19分
名前:梶猛弩

 猫は猫、鹿は鹿だし、犬は犬。狸は狸で、象は象かな。

 突然、五七五七七が頭によぎったのですが、短歌でも狂歌でもありません。
 先の投稿で、猫や鹿や象といった動物の話が出てきて、ふと閃いたので書いてみました。

 “造化の三神”のことを“ゾウさんの三振”ってギャグも面白いな〜とか(^o^)。

 ところで、動物のゾウは漢字で象と書きます。
 ここで思ったのは“現象世界”という言葉です。子供ならこの四字熟語を読んで“ゾウさんが現れた世界”と解釈しても違和感ないし。

 “象”という漢字は、もともとは“ゾウの長い鼻をイメージして成り立った文字。

 一方、“現象”の“象”は、“すがた”とか“かたち”の意味です。
 小学校の授業なんかでは、なぜ動物のゾウの字なのかについて、ゾウはとても大きくて目立っていて存在が大きく認識できるからと教えるようです。
 また、大学の文学部の講義では、“像”という漢字が先にあり簡略化したという教え方もしているようですね。

 ユニークなのは、古代中国の兵法書“韓非子”に、“象”という文字について述べている箇所があること。

 そこでは、“人が生きている象を見ることはめったにない。だから地中から発見される死んだ象の骨を見たときに、その生きている時の姿を考えようとする。その結果、人が心の中で思い浮かべたすがた・かたちを“象”と書くようになった。”と語源が書かれています。

 ちなみに“韓非子”は、私も若い中二病だったころ、“孫子”“呉子”“兵法三十六計”といった兵法書を読むのに熱中していた時期があり、その頃に読んだ本の中の一冊です。

 動物のゾウから、“象”という漢字の成り立ち、そして“現象世界”という生長の家の書物でよく出てくる言葉にイメージを膨らませていくというのも、“言葉遊び”“連想ゲーム”をしながら智慧が広がっていくようで、なかなか楽しいです。

象と中国と将棋 (62099)
日時:2023年12月10日 (日) 00時31分
名前:神の子

連想ゲームしてみますか。

象は西アジアでは紀元前から軍事利用されてたそうな。
長槍と盾を装備した重装歩兵が陣形を作っても怒り狂った象が突進してきたら崩されてしまう。中世でも火器が大規模に使われるまでは意外と。

古代の中国でも使われたんじゃないかな?
昔の将棋は酔象とか云う駒があるから、たぶん。

☆ 日本の星 ☆ (62155)
日時:2023年12月13日 (水) 23時10分
名前:梶猛弩

 “日本の星”というタイトルで投稿すると、ロサンゼルス・ドジャースの大谷翔平選手のことと思われるかもしれませんが、今回は、本当の夜空に輝く星の話。

 たまたま、夜空に流れ星らしきものが見えたので、北朝鮮のミサイルかなと思っていたら、夜のニュースで“ふたご座流星群”のことを放送していたので、あっ!これか!と思った次第。
 実は私は、流れ星というのはあまり観たことがなくて、記憶を辿っても人生で数回あるかないかぐらいです。
 子供の頃、祖父の実家のある田舎へ行くと、夜空を埋め尽くすかのように無数の星が輝いていて、子供心に感動しながら空を眺めていたのですが、それでも、ほとんど流れ星というのは観たことがありません。

 こうして、昔の星空を思い出してみると、今のようなネオンや空気の汚れた時代と違って、星空は神秘的な世界でした。
 ギリシャ、ローマ、インド、中国…と世界中の神話で、星を神に見立てた物語が数多くあるのも、よくわかります。

 では、日本はどうでしょう。
 興味深いのは、古事記には星のことが一切出てこないのです。
 唯一出てくるのは。日本書紀の香香背男として“天津甕星”(アマツミカボシ)の名があるのみ。それも悪い神として。
 すぐ隣のアジア諸国では、仏教や道教、陰陽思想、ポリネシア神話など、古代日本に影響を与えたであろう宗教・思想が多々あるのに、日本では星のことなど眼中にないという雰囲気です。
 それでも、キトラ古墳など考古学の発掘現場では、北斗七星や天文図などが壁面に描かれているのも知的好奇心をそそります。

 星々の輝く夜の世界を死者の世界として考えたという仮説も成り立ちますが、古事記の黄泉の国の記述を読む限り、星々を闇−黄泉と見立てたとは考えにくいです。

 そうすると、天照大神に象徴される天孫族が日本という国を形作っていく中で、天の川や北斗七星など神話必定のシンボルさえ記すことも憚れた何かがあり、結果として、古事記には星々の物語は一切描かれず、日本書紀では一説の紹介として、邪神達を平定した後もなお、最後まで従わなかった星の神という記述が残るのみとなったのだと考えます。

 日本に存在しない“星々の神話”。書かれぬ物語にも大きな浪漫があるようで、古代日本の奥深さに感じ入ります。
 人生何度目かの流れ星を観て、そうした想いに至ります。

梶猛弩様 (62157)
日時:2023年12月14日 (木) 05時16分
名前:志恩

(梶猛弩様ー)
>たまたま、夜空に流れ星らしきものが見えたので、北朝鮮のミサイルかなと思っていたら、夜のニュースで“ふたご座流星群”のことを放送していたので、あっ!これか!と思った次第。実は私は、流れ星というのはあまり観たことがなくて、記憶を辿っても人生で数回あるかないかぐらいです。
 子供の頃、田舎の祖父の実家のある田舎へ行くと、夜空を埋め尽くすかのように無数の星が輝いていて、子供心に感動しながら空を眺めていたのですが、それでも、ほとんど流れ星というのは観たことがありません。<

志恩ー
”流れ星らしきもの”を見ることができたとは、幸運でしたね。
私も”流れ星らしきもの”を見たいと思いまして、昨夜は夜中も
何度も起きて夜空を仰ぎ見ていましたが、見れませんでした。

梶猛弩様の今回の”星”に関するご文章にロマンを感じました。


私は、星の物語といいますと、
宮沢賢治の「よだかの星」という短編小説(童話)を思い出します。
よだかは、星になりますが、その星の名を「チコの星」とも呼ぶそうです。

トキ掲示板に時たま現れる神童会のチコちゃんは見たことはありませんが、
たぶん夜鷹(よだか)のようには醜くくは ないと思います。
よだかのチコちゃんは、神童会のチコちゃんとは別のチコちゃんです。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%88%E3%81%A0%E3%81%8B%E3%81%AE%E6%98%9F




電波望遠鏡が捕らえた残留熱を放つ
よだかの星=チコの星(左上のバラ状のガス)です。
(写真は ウィキからお借りしました)

三宝帰依 (62166)
日時:2023年12月14日 (木) 23時10分
名前:梶猛弩

 宮澤賢治の“よだかの星”は、醜いヨタカが、美しいハチスズメやカワセミと同じ種属の呼ばれていたにも関わらず、嫌われ、居場所を失い、自分の居場所を求めて夜の空へ飛び立っていき星になったという哀しい物語ですね。

 私(梶猛弩)の真髄をついたかのような童話のご紹介、有難うございました。

 ヨタカは、昔は、ハチスズメやカワセミと同じブッポウソウ目に属する鳥だったそうです。今は、生物分類学的にもヨタカ属という独立した分類になってしまっているというのも、何か物語を象徴しているような哀愁を感じさせます。
 また、ブッポウソウ目は、鳴き声が、仏教経文の“ブッポウソウ”=“仏法僧”に似ているということからきているらしいですが、実際には、ヨタカもハチスズメもカワスズメも全然違う鳴き声だということで、これも深読みすればいろんな想いが感じられそうです。

 話は変わります。
 “仏法僧”は日本人なら誰でも知っている“三宝帰依”“三帰依”の言葉ですよね。
 「自ら仏に帰依し奉る。
  自ら法に帰依し奉る。
  自ら僧に帰依し奉る。」
既存仏教のどの宗派も、新宗教系の団体も多少の文言とニュアンスは変わっても、基本は、このフレーズで唱えていると思います。

 また、人々が心のよりどころとするのはこの3つの宝であるという解釈も、大乗仏教の流れを汲む日本では同じでしょう。僧が在家仏教や新宗教の場合、お寺や宗門や信徒団体、信仰者集団という意味で解釈する場合もありますが、究極の意味するところは変わるところではありません。
 多分、この解釈を大幅に変えた講釈をしてしまうと、いっぺんで異端扱いされてしまうでしょう。それくらい“三帰依”は、日本人の宗教の基本精神として浸透しているのだと思います。

 と言いながら、、、
 私は曹洞宗の檀家なので、禅宗系の説話を良く聞く機会があるのですが、この全宗派共通の解釈が基本となるのですが、もう少し突っ込んで、異なる教義解釈を聴くときがあります。
 大乗仏教的な衆生救済の視点ではなく、初期仏教(原始仏教)的な自己完成の視点として。
 一般的な解釈の三帰依は、仏(信仰の対象)と法(真理や聖典)と僧(出家者・聖職者、在家の場合は信徒全体)の3つを宝物として大切にしなさいというお話。
 私が、曹洞宗の説法で聞いた話は、この話は前提として説明された上で、仏と法を信じ修行に励むことにより、自分自身(=修行僧)がかけがえのない宝物であることにも気づくというような内容だったと思います。そのときの見事な説法を私の拙い文章力では正しく表現できず誤解して伝わってしまったらごめんなさい。

 私はこの話を聞いたとき、
 生長の家の神様を信じ、聖典を拝読することにより、自分自身は神の子なんだと自覚するという生長の家の講話に脳内変換されて心の中に入っていきました。

 異なる宗教・宗派の応用的な話も、このように自分の中に染み入るように入っていく。
 これが自分の生長の家が何よりも素晴らしいと思っていることの根幹です。

 そもそも、もし、幼少の頃から、生長の家に触れていなかったら、今ここに梶猛弩という人間は存在しなかったわけですし。

謎の人 (62169)
日時:2023年12月15日 (金) 00時54分
名前:元信徒


謎の人、カジモドさん。
正体は何でしょう?

よだかの星を自分の真髄と言ってみたり、
> もそも、もし、幼少の頃から、生長の家に触れていなかったら、今ここに梶猛弩という人間は存在しなかったわけですし。

なんか、怖いミステリーそのもの発言。
ネームがカジモド、、、さん。全てが謎。

一方で、ジェントルマン風なインテリ。
これから神官を目指し大学院に行こうかと、時間も金もあるセレブ。
謎、謎、謎。

正体を見てみたい。 もしかして、ヤバイ方なの?
それなら知りたくない気もするけど、、、


謎だわ。謎。笑



星のお話、壮大ですね、

本当に古事記に星についての神秘な話しがないですね。

太古の昔から
日本人は勤勉だから、朝は日の出とともに起きて、陽の沈みと共に寝たら、星の存在に気付けなかったのかもね。

知らんけど。😛笑

なんだろうね。




生長の家よ、住吉大神さまの神霊札を欲しい人に出しなさい。

今ある手書きの札なんて欲しくもない、ハッキリ言っていらない。

神社なんだから、
普通に神札を発行しなさい。

欲しいのは、

住吉大神様の神札 だよ。 年末に取り替えさせろ‼️


信徒への裏切りじゃないか‼️ 会費も講習会も行かないぞ、と考える。















梶猛弩様 (62190)
日時:2023年12月16日 (土) 04時59分
名前:志恩

宮沢賢治は法華経(日蓮宗)の熱心な信者でしたから、
信仰面でも生命に関することで悩んでいました。

彼は「食物連鎖」についての、深い悩みを持っていたそうです。
『よだかの星』(短編小説、童話)でも、

生き物が生き物を食べるということは、
彼自身が抱えていた悩みの重要な問題でもありましたから、

よだかは、そうした食物連鎖のシステムに気がつくと、
大声を上げて泣き出します。

ああ、かぶとむしや、たくさんの羽虫が、毎晩僕に殺される。
そしてそのただ一つの僕が、こんどは、鷹に殺される。
それが こんなにつらいのだ。ああ、つらい、つらい。と。

彼は、仲間の川せみや蜂雀にも、
必要以上に生き物を殺して食べないようにと言います。

よだかにとって、それほどまでに食物連鎖という仕組みが
哀しいものだったのです。

だからこそ、彼は、惑星になり、
生命の食物連鎖から、逃れたかったのかも しれません。

そして最後、彼は、チコ星という星になりました。

では、彼は、弱虫(弱鳥)だったのかといいますと、
けっこう、性格は、強かったと思います。



「よたか」の写真です。
その理由は、
鷹に「名前を変えたら生かしてやる」と言われたら、
よだかは、すぐにこのまま生きていくことよりも、
死ぬことを 決意したからです。
(自殺奨励では、ありません)

よだかにとって、名前を変更する選択肢など
はじめから無かったからです。

ここに、よだかのプライドが見えます。

そして、東西南北の星々に、
「私をそこへ連れて行って下さい」と願います。
ですが星々はみな、よだかを手伝おうとはしませんでした。

よだかは仕方なくうなだれて、最後の力をふりしぼって
星をめがけて飛んでいきます。
もちろん星には届きませんでしたが、
その姿からは彼の強い意思と強い性格が伝わります。

つまり、よだかは決して弱くは ない、
むしろ強い心の持ち主だったのです。

鷹という強い権力の力に屈しないよだかの姿に、
美しい星の色が重なります。
とても幻想的な物語なのでした。

梶猛弩様にも私にも、いえることですが、生きていれば、
いいことばかりではなく、様々な理不尽なことや、ひどく辛い出来事
にも ぶつかります。

しかし、私たちは、表面的にはどうあろうとも、
決して 権力には屈せず、自分の心の内なる声に
純粋に正直に従って、自分で自分を励ましながら、
決してくじけずに生きていくことが、真に強い生き方なのだと
『よだかの星』の物語から、私は学びました。




ネットに「よたか」の写真が載っていましたが、
想像していたよか、見た目、かわいいじゃん。

“食物連鎖”と“適者生存”と“社会からの疎外”と (62210)
日時:2023年12月17日 (日) 01時22分
名前:梶猛弩

 志恩様は素晴らしいですね。
 私は、宮澤賢治というと“雨ニモマケズ”“注文の多い料理店”といった王道の童話しか知らなかったので、今回の“よだかの星”に関する志恩様の投稿を読んではっとさせられるものがありました。

 “よだかの星”に刻まれた生命尊重の視点から見た食物連鎖。。。 そういう奥深い話なのですね。

 以下は、宮澤賢治の童話というよりも、志恩様の投稿を読んで、志恩様と梶猛弩の“食物連鎖”とその感じ方について。

 多分、物質的・財産的・社会的な意味で、リアル現象世界では、志恩様も梶猛弩も(現在は)十分に恵まれた立場にいるのかもしれません。
 もちろん、志恩様は生長の家の方ですので、心の中で、そうした功利主義、優越主義的な感覚はまったく持っていらっしゃいませんが、志恩様が好むと好まざるとに関わらず、現象世界の一般人の感覚では、志恩様の社会ステージはそうなのでしょう。

 志恩様を鳥に喩えれば、(童話から離れるかもしれませんが)オオワシのような存在でしょう。
オオワシはタカのようにヨタカに向かって「名前を使うな」などと言うチンケな器ではありません。大空を悠然と飛翔する余裕を持ち、小さな虫や小鳥たちへの配慮も忘れない紳士・淑女の鏡のような存在。
一方の梶猛弩は、ヨタカ。

 突然、別スレの映画感想の話になります。
志恩様と梶猛弩のそのスレで書かれた映画感想を比較すると、感じ方が全然異なっています。しかし、実はこの感想の違いは、浅いか深いかとか、恋愛観か人生観かといったものではありません、
“JOKER”や“悪人”のような映画を観たときに、「可哀想」と感じる志恩様と、自らの内面にある心の傷を抉り出す梶猛弩の違いは、
 オオワシの視点からヨタカの心情を感じたか
 ヨタカが自身を投影して何を観じたか
の違いだろうと思います。

 “よだかの星”の奥底にあるのは、宮澤賢治の“法華経”(日蓮宗)の信仰観から来たものでしたか。
 “法華経”は、私自身、もちろん歴史に残る童話作家である宮澤賢治のように細やかな心情を以て宗教観を描き出すことなど到底できるはずもありませんが、それでも私になりに“法華経”について書きたいことが沢山あります。

 昭和初期から大東亜戦争にかけての戦争観に大きな影響を与えた報国運動としての日蓮主義、また戦後宗教における、一方で立正佼成会のような協調主義、他方で創価学会のような折伏主義と、同じ法華経・日蓮の教えを同根としていると思えない異なる主義・社会観に分かれていったという歴史。
 私には、宗教社会学的な興味を掻き立てられます。
 信仰としての“法華経”と、日本における“法華経”の社会的影響を、それぞれ稿を分けて改めて投稿してみたいと考えています。

梶猛弩様   (62217)
日時:2023年12月17日 (日) 12時35分
名前:志恩

書き忘れましたけれど
梶猛弩様が、よたかは、「よたか属」である..ということを
補足して書いてくださいましたが、その通りでして、
「夜鷹」(よたか)は、名前に「鷹」がついていますが
体の色や模様が鷹に似ているので、そのような名前が
ついたみたいで、実は、よたかは、鷹の「タカ科」に属する鳥ではなく、
「よたか科」に属する夜行性の鳥でして、夜になると、飛翔しながら、
大きな口を開けて、飛行中の昆虫類を捕らえ、餌にしていると
ウィキに載っていました。

梶猛弩様
大変もったいないお言葉を、ありがとうございました。
でも私は、そのような立派な人間じゃございませんの。
私は、わからないことは、わからないので、深く考えない
タイプなんです。
ですから、人間が浅いのだと、自分では自分の現象面のことは、
あきらめて考えております。

私は、前にも書きましたが、映画はほとんど観てこなかったのです。
梶猛弩様のおかげで、最近は、ぼちぼち観るようになっております。
最近は、
梶猛弩様の映画塾に入塾したような幸せいっぱいの気持ちでおります。

しかし、私は読書は好きで趣味でした。
宮沢賢治の小説も童話も詩も
結構深刻な内容のものが多いのですが、
メルヘンぽいので興味が湧き、娘時代に、よく読んでいました。

宮沢賢治は岩手県出身の人ですが、宮沢賢治には弟さんがいて、
お名前は、たしか清六さんっていったかしら、その弟さんは、
宮城県に住んでいたとかで、その弟さんと渋谷晴雄先生が
奇遇にも昔から、親しい友達だったのです。
弟さんも素朴でいい人だったと、渋谷先生からうかがっておりました。

その弟さんの清六さんと渋谷先生のエピソードは、
渋谷先生から私が、原宿本部にいるときに、直接に
色々と聞いていましたので、なおのこと、私は宮沢賢治に
親近感を覚えまして、熱心に、宮沢賢治の本を読んでいたのでした。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
Wikipedia
宮沢清六
宮沢 清六(みやざわ せいろく)、
1904年(明治37年)4月1日 - 2001年(平成13年)6月12日)は、
宮沢賢治と宮沢トシの実弟。全集の校訂者として賢治研究に貢献した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
(梶猛弩様ー)
> “よだかの星”の奥底にあるのは、宮澤賢治の“法華経”(日蓮宗)の信仰観から来たものでしたか。
 “法華経”は、私自身、もちろん歴史に残る童話作家である宮澤賢治のように細やかな心情を以て宗教観を描き出すことなど到底できるはずもありませんが、それでも私になりに“法華経”について書きたいことが沢山あります。

 昭和初期から大東亜戦争にかけての戦争観に大きな影響を与えた報国運動としての日蓮主義、また戦後宗教における、一方で立正佼成会のような協調主義、他方で創価学会のような折伏主義と、同じ法華経・日蓮の教えを同根としていると思えない異なる主義・社会観に分かれていったという歴史。
 私には、宗教社会学的な興味を掻き立てられます。
 信仰としての“法華経”と、日本における“法華経”の社会的影響を、それぞれ稿を分けて改めて投稿してみたいと考えています。<

志恩ー
梶猛弩様の次のご投稿、楽しみにお待ち申し上げております。
ありがとうございます。


宮沢賢治の弟さんの、宮沢清六さんは、
お兄さんのことを書いた本を出版されていました。
「兄のトランク」(ちくま文庫)1991.12.1
(私は未読です)

日本神話に内在する多元的宇宙観 (62255)
日時:2023年12月20日 (水) 22時35分
名前:梶猛弩

 何事にも“所与の条件”とか“規則”があります。
 例えば、日本では車は左側通行だけど、アメリカの車は右側通行。左が正しいか右が正しいかで議論をしても意味がありません。ここでは、そうしましょうねとあらかじめ決めているだけだし、そのルールを破ると大混乱に陥ります。

 実社会だけでなく、ゲームの世界でも学問の世界でも同じです。
 最初の共通の前提・ルールがあり、それに則ってプレイしたり理論を構築します。
 
 さて、古事記や日本書紀を読み始めると気づくのですが、そこに描かれた日本の神話では明らかに複数の世界観が展開されています。俗っぽい表現ならパラレルワールド。それが重要な意味を持っていると思いますし、ロマンを感じてワクワクするのですが、今の日本の歴史家や研究者の人達は、異なる世界から面白いところをつまみ食いのように持ってきて繋ぎ合わせて自説を展開していて、かえってややこしく、とっつきにくくしているように思えてきます。

 例えば、有名な五穀誕生の物語。
 古事記では、須佐之男命(スサノヲ)が食事を準備してくれた姫を斬り、その身体から稲・麦・粟・大豆・小豆が産まれるわけですが、
 日本書紀では、月夜見尊(ツクヨミ)が保食神を斬ると牛馬・粟・蚕・稗・稲・麦大豆小豆が産まれます。
 古事記と日本書紀では、主人公もテーマも意味も異なるファンタジー。

 また、日本誕生という最も大切なパート。
 大八島(大八洲)の産まれる順番も島も異なります。
 更に日本書紀では、本文・一書合わせて六通りの国生みのストーリーが展開されています。
 それぞれごとに異なる伝承があり、それぞれを書き残したかったのでしょう。
 
 複数の世界観があれば、それぞれ前提・主題・秩序が流れるので、その体系を無視するわけにはいきません。
 ところが、現在見受けられる日本古代史の数多の書物を読んでいると、一つの説を展開するのに、Aは古事記、Bは日本書紀の本文、Cは日本書紀の一書、Dは先代旧事本紀・・・というふうに繋ぎ合わせて起承転結を展開している。
 確かに冒険譚として面白いかもしれませんが。。。

 私としては、
 国家の正史として伝えようとした神話と歴史、天皇家としての神話と歴史、各氏族や諸国の神話と歴史、その中に垣間見える天孫族・国津の民それぞれの想い・・・
それぞれを混在させることなく秩序立てたマルチバースとして日本の神話を捉えることの方が、大切な意味があるように考えます。

 (62402)
日時:2024年01月01日 (月) 20時42分
名前:神の子

数日前から下痢が治らず、さっきケツを拭いたらトイレットペーパーに血が付いてました。
地震と津波も来るし…
なんだか不穏な始まりの新年ですが今年もよろしくお願いします。

 (62403)
日時:2024年01月01日 (月) 20時47分
名前:神の子

破邪さんが書いてますが今年は新編生命の実相を完結させるらしいです。
そこは粛々と進めて欲しいと思います。

社会事業団が著作権を保有する著作はこれでほぼ出し切った形になりますでしょうか。

神の子様 (62404)
日時:2024年01月01日 (月) 21時09分
名前:志恩

(神の子様ー)
>数日前から下痢が治らず、さっきケツを拭いたら
トイレットペーパーに血が付いてました。
地震と津波も来るし…
なんだか不穏な始まりの新年ですが今年もよろしくお願いします。<

志恩ー
下痢の時は、正露丸が効きますよ。
ケツ拭いたらトイレットペーパーに血がついていたとは、
私は、心配です。
生長の家の人は、医者へもいかず、薬も飲まない
って人もいますが、早めに、医者に行って薬もちゃんと
飲んだほうが、長引かずに早く治ると思います。
お大事になさってくださいね。

あちらの掲示板は 私は閲覧も、今も、不可能な状態です。 (62405)
日時:2024年01月01日 (月) 21時14分
名前:志恩

神の子様

今回は、何が書いてあったか文章で
載せてくださったので、助かりました。
URLを貼る方がおられますが、入れないので
谷口雅春先生に帰りましょう第二掲示板は、
私は読めないのです。

アマゾンコムで調べてみましたら、
”新編 生命の實相 第60巻 幸福篇 日輪めぐる(中)
(新編生命の實相) Bath Book – 2024/1/15”

と載っていました。第60巻が1月15日に、出版されます。
今年中に、第65巻まで、出版するということですね。



このような表示が出ます。あちらは。

明けましておめでとうございます (62406)
日時:2024年01月01日 (月) 22時11分
名前:梶猛弩

 本年もよろしくお願いします。

 神の子様は年末年始、お辛い思いをされたのですね。

 便に血が混じる方の7人に1人は消化器系に何らかの異常があり、50人に1人は大腸がんの疑いがあると聞いたことがあります。
 神の子様は、まだお若い方ですので、早めに専門医を受診された方がいいのかと。

 どうか、ご安全にm(__)m





幸福編 (62413)
日時:2024年01月02日 (火) 01時17分
名前:神の子

たぶん肛門の拭き過ぎで切れたんだと思いますが。

で幸福編。これは良いですね。
短い章で区切ってあるからどこからでも読めて。
生長の家に初めて触れる初心者にも生活編と並んでオススメできる。上中下の三冊に分けて上巻59巻まで進んだんですね。

聖火北陸を過ぐ (62414)
日時:2024年01月02日 (火) 01時31分
名前:神の子

私のケツも大変ですが今回の地震で能登半島が大変のようです。

七尾市ではビルが倒壊して人的被害が出てるみたいです。七尾って言ったら生命の実相聖霊編によく出てくるあの七尾ですね。

 (62436)
日時:2024年01月02日 (火) 21時04分
名前:梶猛弩

 今回の能登半島沖地震。本当に痛ましい限りです。
 また、本日の羽田空港衝突事故。乗客の皆様もとても辛い出来事に遭われました。更には海上保安庁航空機の方は6人中5人が亡くなられたとのこと。海保機は能登半島へ物資を輸送するために出発しようとしていたとのことで、あまりに悲しい出来事です。

 
 先の投稿で神の子様は、七尾の話をされました。
 私は、子供の時に、一度だけ、親族に連れられて生長の家の七尾道場に行った思い出があります。
 今、改めて、WEBで生長の家能登光明道場の写真を閲覧してみたのですが、あの当時は確か木造だったと思うので、新しく建て替えられているのですね。もしかしたら場所も変わってのかも。

 震災に遭われた全ての方々が御無事であることは勿論のこと、信徒の皆様がお怪我無く過ごされていますことを祈念しております。

 

信仰の大切さ (62440)
日時:2024年01月02日 (火) 23時06分
名前:梶猛弩

 元旦の能登半島沖地震。
 2日の羽田空港衝突事故。
歴史的な惨事が立て続けに起きて始まった
令和6年です。

 大災害時の宗教の重要性は、とても大きい話なので、後日投稿とさせていただきますが、
本日の羽田空港衝突事故は、災害とは別の視点で感じるところがありました。

 それは、着陸寸前の衝突、みるみる火や煙に包まれる機内の中で、大きな怪我人も出すことなく、わずか数十秒間で370人という乗客を脱出させた機長・客室乗務員の素晴らしさ。
 当時の映像を見ても全員無事脱出は可能とは思えなかったし、誘導一つ間違えば狭い機内でパニックが起きることも十分あり得た事態。
それを見事に切り抜けた乗員達の手腕・技術・精神力いずれも卓越したものと感嘆しきりですが、
私のような普通の人間が絶体絶命の危機に陥ったとき、自分は神様に救いを求めたり信仰に拠り所を求めることにより、心の安定を保ち事態を打開します。

 困難に動じず自らに内在する無限の力を出し切るという、心の持ち方を自然と身に付ける場が、宗教の一つの存在意義なのでしょう。

 投稿者の皆様が、日々の神想観の大切さを諭されていますが、私も今一度、心の修養に重きを置き実践し、またこの掲示板でも、その精神に基づき観ずる処を述べていきたいと思います。

ガジモド様 (62441)
日時:2024年01月03日 (水) 00時39分
名前:元信徒


事故は別スレでお話ししてください。
見やすいですので、大切なお話しそうなので。

最後の一句 (62850)
日時:2024年01月25日 (木) 21時39分
名前:梶猛弩

 別投稿の記事で、幕末の国学者である浅井幽清が纏めた“摂津徴”のこととが話題になりましたので、派生的に感じたことをこちらに投稿します。
 “摂津徴”には、大田南畝の“一話一言”の中の一話が書き写されているので有名です。
 大田南畝は、江戸時代の狂歌師ですが、蜀山人という雅号の方が現代ではよく知られていますね。

 この“一話一言”の中の“元文三午年大坂堀江橋近辺かつらや太郎兵衛事”という話を模写って結末に意味深な言葉を加えて世に出したのが、明治大正時代の文豪、森鴎外です。その作品の名前は“最後の一句”。タイトルにもなった“最後の一句”は原作の“一話一言”“摂津徴”にも出てこない言葉。原作に無い言葉をタイトルにしたのですから、この作品が世に出た大正時代当時、大変な議論になったというものです。
 
 その言葉は、「お上の事には間違はございますまいから。」

 江戸時代の商人・太郎兵衛は無実の罪で奉行所に捕えられ、死罪を言い渡されます。理不尽な罪状でした。まだ子供だった娘は、父を助けるために奉行所に嘆願書を出します。それを読んだ奉行は、今度は太郎兵衛の妻と、5人の子供を捕縛し激しい拷問を加えようとするのです。それでも冷静に奉行に父親の無実を訴え続け、自分が父の身代わりになると主張する娘。奉行は娘に詰問します。「そんなら今一つお前に聞くが、身代わりをお聞き届けになると、お前たちはすぐに殺されるぞよ。父の顔を見ることはできぬが、それでもいいか。」
 それに対する娘の返事は「よろしゅうございます。」と、そして次の最後の一句を付け加えるのです。
「お上の事には間違いはございますまいから。」

 森鴎外はなぜ、原典に無い言葉を付け加え、“最後の一句”というタイトルにまでしてこの短編小説を発表したのでしょうか。

 ちなみに、このトキ掲示板でも、時折「上の言う事には素直に従いなさい」という投稿が散見されました。最近は見かけなくなりましたが。。。

 (62851)
日時:2024年01月26日 (金) 01時25分
名前:元信徒

真理の三文の定やんみたいかな?

ちがう?

教団の事象を観て何を学ぶか? (63093)
日時:2024年02月05日 (月) 12時56分
名前:神の子

現象は無い。無いから無いんだって事だと思うんですね。

神はこの世界を完全に作ったのに現象がデタラメなのは雅宣総裁から始まったんじゃない。

 (63094)
日時:2024年02月05日 (月) 13時04分
名前:神の子

相食むものなく病むものなく、苦しむものなく乏しいものない調和した世界だけが実在でその実相を観るようにしたいのだ。

でも現象では生物が殺し合って食べ合ってる残酷な世界が進行してるのは生物が誕生した頃から当たり前で、それは見ない見ない。

さんざる (63095)
日時:2024年02月05日 (月) 13時57分
名前:元信徒

あ、そう言う事か。

三猿って、現象を見るな。ちゅーこっちゃな。


しかし、教団にいて、
総裁の実相観て、ありがとう ゆうてな、

自転車乗って絵手紙書いて、工作しとるだけでいいんかいな。




死にたくなりそうな位に暇な作業だわ。

生き甲斐なんて感じないよ。




まず、生長の家教団内で秩序を正してそれからだよね。

この雅宣さんが招いた大混乱の落とし前をだれがつけんのよ?


おもちゃをぶっ壊して散らかしたまま、死ぬのかも。

後が大変だわね。





現実のぶっ散らかっている部屋を実相だけ拝めば良いってもんじゃないよね。


片付けないとね。



これからの生長の家とは、



雅宣氏がぶっ壊して、散らかせたものを、片付ける事から始まるのだろう。。。


大泉なんて、、、




大水の出る地名ですから、鉄砲水で建物ごと吹き飛ばされそうやな。


早めに移転したが良い。まずそこからや、片付けは。


あくまでも個人の感想です






拝み方が足りないんじゃないかな? (63141)
日時:2024年02月06日 (火) 23時34分
名前:神の子

拝んで拝んで拝みきったら総裁が自分の散らかしたのを片付けてくれてきっと良い方向に行くと思う。
完全円満な神の子さんの総裁を拝み出したら良いのだ。

拝んだら (63142)
日時:2024年02月07日 (水) 08時12分
名前:神の子



拝んだら  あとは、 自分が動くのだ。

総裁を動かす為ではない。

本流復活について考える (63143)
日時:2024年02月07日 (水) 09時37分
名前:神の子

この掲示板のタイトルはこのようになってるが。

本流復活について考える必要は無いと思う。

 (63144)
日時:2024年02月07日 (水) 09時39分
名前:神の子

そんな事を論じる暇が有ったら生命の実相を読んだ方が良い。

不動産登記  〜ご先祖様の財産を子孫に承継する必要不可欠な法律行為〜 (63260)
日時:2024年02月10日 (土) 22時22分
名前:梶猛弩

 私(梶猛弩)は一応、先祖代々続く農家の長男なので、田舎に戻れば田畑山林が沢山あります。ただ、田舎の不動産は負動産と言われる程、資産価値はまったくありませんが。。。

 ただ、土地というのは、管理するだけで結構大変だし、売り物にならなくてもトラブルの類は多いです。特に死んだ祖父・曾祖父のままの名義になっている不動産の場合。

 今、私は街暮らしですが、結構驚くのは、地価の高い都会の土地でも、土地名義人が死亡してから何十年もそのままにしておく不動産がいっぱいあること。

 なぜ突然、このようなことを書くのかというと、
 あと2か月後、令和6年4月1日から相続不動産登記義務化という制度が始まり、登記せずに放置しておくと、法務局から催告が来て最悪10万円以下の過料という行政罰を受ける可能性があること。

 子々孫々に面倒な手間をかけないうちに、自らの土地の登記は、死亡した先祖名義になったままになってないよう今一度、確認した方がいいかもしれませんね。

 登記って、司法書士に依頼すると何十万もかかりますが、本人登記でやると法務局登記官も丁寧に教えてくれて、簡単にできますし、安価で済みます。

 まだまだ元気だと思っていても、自分の代で親・祖父母名義のままなら、自分が死んだあと、今度は子供・孫達や兄弟甥姪が相当大変な思いをすることになります。

 生長の家の皆様は裕福な方が多いですし、もし名義変更の済んでいない相続不動産を持っていらっしゃるようでしたら、これを機会に是非お手続きを。



神の子は事業団支持ですが。 (63727)
日時:2024年03月03日 (日) 22時04分
名前:神の子

社会事業団への批判が盛んですね。
そのための掲示板になったのかと。

まあ確かにちょっと異論を言うと内容証明と刑事告訴とか言い出すのは法的手段の濫用かなあ…

普通にネット内で相手に説明なり反論したら良い。それで変わらず支持し続けてくれる人は居るし、その態度自体は問題の本質と別の部分での評判を落とすと思うのだ。

人生の鍵シリーズ (63728)
日時:2024年03月03日 (日) 22時12分
名前:神の子

新編生命の実相の表紙はいかにも宗教くさいと批判する人もいるがこれはどうだろう?

字が大きくと言うか本が大きくなって以前より確実に良くなっている。日本教文社のは単行本みたいなショボい本だったから。

事業団に以前から今も批判的な人はともかく本流支持の人を失望させな

過去の功績も有る。 (63729)
日時:2024年03月03日 (日) 22時19分
名前:神の子

途中で送信しちゃった(笑)

失望させないで欲しいです久保理事長。

変化のトキ。変革の波 (63731)
日時:2024年03月03日 (日) 23時00分
名前:梶猛弩

 トキ掲示板を読み返してみると、私(梶猛弩)が“初めての投稿です”というタイトルの投稿を書き込んのが2023年2月26日(日)でしたから、1年が経過しましたんですね。
 あっという間の1年でしたが、私も、トキ掲示板の魅力的かつ個性的な皆様に感化されて、どんどん常連投稿の深みに嵌っていきました。(*´▽`*)

 しかし、1年の間に、掲示板を取り巻く環境もずいぶん変わったなと思います。
 トキ様という稀有の人材も谷口雅春先生のもとへと旅立たれましたし、常連投稿の人も少なくなってきたのも寂しいですね。
 全体の流れを見ると、阪田先生の裁判も終結し、教団・本流派間の裁判も終盤になってきたこともあり、裁判後を見据えた活動の再構築というのも見えてき始めたように思います。
 ときみつる會がWEB上で積極的に伝道を始めたのも大きいです。

 どの組織に属しているかにより、それぞれの考え方もあると思いますが、
 時間は必ず流れ、時代は確実に動いていきます。
 飛躍・前進に向けて、これからが光輝くトキなのでしょう。

 逆に、もし現状に胡坐を掻いたままなら、それぞれの組織に属する会員の方も、今、変わらなければいつ変わるのか!と厳しい声を上げなければならない。その危機感を持たなければならないトキなのだろうと考えています。

 (63998)
日時:2024年03月18日 (月) 21時31分
名前:神の子

さて、なんか書きますか。

慣用句なのかわからんが『点と点が繋がる』とか云う言葉が有りますね。
最近そんな感じなのよ。

トキさんの本流派への評価 (64000)
日時:2024年03月18日 (月) 21時37分
名前:神の子

トキさんが以前、本流派は自分とは意見が違うがそこに属する先生方は概ね能力が高く士気も高い人達だと評していた。
ただ、その顔ぶれを観ると一部には少し怪しい人物が混ざっているとか言ってたような。

 (64001)
日時:2024年03月18日 (月) 21時39分
名前:神の子

あの弁護士さんの事かもしれないな…と思ってるんですよ。
こうなる事をその頃から予見していたのかも。

最近、旧トキ掲示板などを時折、読み返して、懐かしく思っています。 (64002)
日時:2024年03月18日 (月) 21時46分
名前:志恩

昔は、もっと投稿者が多かったように思います。
私の大好きだった常連投稿者でいらした
義春様、管理人のトキ様、復興G岡先生は、
お星様になられました。
うのはなシャンソン様が出てこられなくなって、早1年近く
なります。うのはな様は、いったいどうされたのかしら。
るん吉様も最近、全然、いらしていませんね。

 (64003)
日時:2024年03月18日 (月) 21時50分
名前:神の子

新編に対する意見の違いは宗教観の違いでコップの中の争いかと思うけど。

墓石販売とか結婚紹介所とかの事業を登録しちゃうのはちょっとね…

初耳でした。 (64004)
日時:2024年03月18日 (月) 21時54分
名前:志恩

墓石販売とか結婚紹介所とかの事業を登録しちゃってる
というのは、まるで宗教を金儲け目的で、、という感じがして、
いい感じはしません。

 (64005)
日時:2024年03月18日 (月) 22時03分
名前:神の子

トキさんは、まあ色々HN変えて出てきてると思うけど。突然、創価の話を始めたりしてるのはトキさんしかいないでしょう。

白光真宏会も五井昌久研究会とか云う団体が独立して存在しているようで意見の違いから分かれていくのが宗教の常だと思うのだ。

パン (64007)
日時:2024年03月18日 (月) 22時11分
名前:神の子

アンパンから始まってジャムパンとクリームパンとメロンパンにコッペパンが登場しまして。

あと何が残ってる?
カレーパンかな?

神の子はクロワッサンが好きですね。

オーソドックスが一番 (64008)
日時:2024年03月18日 (月) 23時32分
名前:梶猛弩

 私も歳をとったからなのか、お菓子っぽい甘いパンよりも、王道の食パンが恋しいですね。

 焦げ焦げになるまでチンして、バターたっぷり塗って食べるとか、
 白い生地そのままの片を牛乳漬けにして食べるとか、
想像するだけでウキウキしてきます。

 外食するなら、昭和っぽい雰囲気のお店でモーニングとか、もうサイコーですね☆
 サラリーマンをリタイアしたら、行きつけのカフェ見つけて、毎朝、モーニングセットでまったりするというの生活にも憧れます。
 

梶猛弩様 (64009)
日時:2024年03月19日 (火) 04時17分
名前:志恩

>オーソドックスが一番
私も歳をとったからなのか、お菓子っぽい甘いパンよりも、
王道の食パンが恋しいですね。略<

志恩ー
>私も歳をとったからなのか<
なんて、あなた、30年 はやいわ!!☺️
現役の時には、現役の時の楽しみや喜びがあり、
年金生活者になれば、年金生活者の楽しみや喜びがありますよ。
おいしいものを、おいしいと感じて食べられるのは、健康
でいられるからだと思います。私も今のところ、好き嫌いなく
なんでも、おいしく食べられているので、毎日が天国です。

食べ物の話には食いつきが良いですね。 (64016)
日時:2024年03月19日 (火) 22時59分
名前:神の子

神の子は他にガーリックトーストと言うかガーリックフランスパンとか明太子を塗ったフランスパンとかも好きなんですが最近は歯が悪くなってフランスパンはどうもダメになりまして。

食べたい物を好きに食べられるのも健康な体があってのことだと痛感しているところなのだ。

毎日が天国 (64017)
日時:2024年03月19日 (火) 23時23分
名前:神の子

生長の家が目指す地上天国の建設は未だ成らずですが、それでも人によっては現にシオンさんは今を天国のように幸せに感じている人もいる。

幸福を感じる脳内物質のセロトニンが多いのかな?

神の子様 (64018)
日時:2024年03月20日 (水) 05時12分
名前:志恩

:(神の子様ー)
>生長の家が目指す地上天国の建設は未だ成らずですが、それでも人によっては現にシオンさんは今を天国のように幸せに感じている人もいる。

幸福を感じる脳内物質のセロトニンが多いのかな?<

志恩ー
ありがとうございます。無理にとかセロトニンが多いから
毎日が天国のように幸せに感じているのではなくて、
実際の私の日々が、幸せな日々だからです。
谷口雅春先生の教えを真面目に実行していましたら、
自然とそのようになっただけです。

それから、食べ物の話題が最近多いですけれど、
歯は、大事です。私は、虫歯はすぐに治療してもらい
に行き、今は虫歯はないので、半年に一回は歯医者に
行き、歯垢を取ってもらったり、歯のお掃除をしてもらい
に行っていますので、入れ歯にもならず、堅いものでも
なんでも美味しくいただけます。

生長の家の信仰をしている人の中には、体は神様から
いただいたもので、医者に、いただいたもんじゃないから、病気に
なったら、神に祈れば良い、と言って、決して病院へは行かない
人もいますが、あれは、間違った考え方です。

虫歯は、神想観しても、消えません。
昔、お山に住んでいらした時代の谷口雅春先生ご一家様も
皆様お近くにあった歯医者へいらしてました。
ですから皆様、虫歯ができたら、ちゃんと、歯医者へ行きましょう。

歯だけじゃなく、目も体もそうですよ。
メンテナンスしながら食事や運動に、気をつけて生きて
いれば、いつまでも病気にならずに、私のように健康体で
たとえ高齢になっても痴呆症にもならず元気に幸せに生きられます。

あと、精神面では、感謝を忘れずに、他人に深切を
心がけること。自己中心的な生き方はしないこと。

が、谷口雅春先生の人生を幸せに生きる人類光明化運動の
教えの一環だと思って、ずっと、自分なりに心がけて実践して
今日まで生きてまいりました。

そのおかげです。

2階に住んでいる娘が私によく言います。
「母さんぐらい幸せな高齢者は、世の中に滅多といない
と思うよ」と。

私は、決してお金持ちではありません。
お金には困っておりませんし、借金もありませんが、
ささやかに暮らしている普通の年金生活者なんです。

私は、子供たちにも弟妹たちにも友達にも愛されて
大事にされている幸せな生長の家の一人の信徒なのです。

主祭神が話題のようです。 (64298)
日時:2024年04月04日 (木) 09時32分
名前:神の子

生長の家の主祭神が何かは知りませんが主斎神は知っています。宇宙大生命(省略)ですね。

住吉大神は副斎神ですね。

 (64299)
日時:2024年04月04日 (木) 09時35分
名前:神の子

これについては谷口雅春著『神の真義とその理解』を読んでみたら良いと思われます。

主祭神。主宰神。主斎神。 (64310)
日時:2024年04月04日 (木) 20時40分
名前:梶猛弩

 なるほど。
 神の子様のおっしゃる通り、言葉によって真意が異なりそうですね。

 “主祭神”や“主宰神”は、何となく意味が理解できそうです。

 “主祭神”は、その神社を代表する神様。
 例えば、宇佐神宮では、主祭神は八幡大神(応神天皇)、そして配祀神として、比売大神、神功皇后の二柱をお祀りしているということになるのでしょう。

 “主宰神”は、神様たちの中で中心的な存在となる神様。高天原の天照大神、国津神の主宰神は大国主神。といった立場の存在の神様。

 神の子様のおっしゃられた“主斎神”については、“神の真義とその理解―類纂 住吉大神顕斎の意義”(生長の家本部刊)を読んで勉強させていただきます。

梶猛弩様 (64313)
日時:2024年04月04日 (木) 23時21分
名前:志恩

“神の真義とその理解―類纂 住吉大神顕斎の意義
(生長の家本部刊)は、私も持っておりますので、
読んで勉強させていただきます。

よくわからないけれど (64317)
日時:2024年04月05日 (金) 09時06分
名前:本音の時代

生長の家としては本尊。
お宮、神社としては祭神なのでしょうかね。

ちなみに生長の家の本尊は
【生長の家の本尊は「生長の家の大神」と仮に称していますが、「生長の家」とは「大宇宙」の別名であり、大宇宙の本体者(唯一絶対の神)の応現または化現のことであります。正しい宗教の本尊は、この唯一絶対なる神を別名で呼んでいるものであるとして、いかなる名称の神仏も同様に尊んで礼拝します。また、生長の家では、本尊を現す像などは造らず、あらゆる宗教の本尊の奥にある「実相」(唯一の真理)を礼拝するため、『實相』と書いた書を掲げています。】(生長の家ホームページより)

止揚(アウフヘーベン) (64320)
日時:2024年04月05日 (金) 22時09分
名前:梶猛弩

 素晴らしいです!
 生長の家は、大宇宙そのものですから、“生長の家の大神”は大宇宙の本体としての“唯一絶対の神”。
 唯一神であることは他の神を認めないということではなく、大宇宙の本体としての神であるゆえに、いかなる名称の神仏も同様であると尊び礼拝するものということですね。

 宗教を学問的に考えてしまうと、“一神教”と“多神教”を対称的な概念で考えがちですが、相対立するものではなく、包括・止揚したところに“生長の家の大神”は在ると理解できました。

 普段使っている“万教帰一”という言葉も、理念的に捉えるだけでなく、論理的にも胸にストンと落ちてきます。

谷口雅春先生著「神の真義とその理解―類纂 住吉大神顕斎の意義」の中古本は、まだ数冊、Amazonコムで売っています。とても素晴らしい本です。 (64321)
日時:2024年04月06日 (土) 07時16分
名前:志恩

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神の真義とその理解―類纂 住吉大神顕斎の意義
単行本
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「神の真義とその理解―類纂 住吉大神顕斎の意義」を拝読して (64327)
日時:2024年04月06日 (土) 08時16分
名前:志恩

━━━━━━━━━━━━━━━━
(本音の時代様ー)
>生長の家としては本尊。
お宮、神社としては祭神なのでしょうかね。

ちなみに生長の家の本尊は
【生長の家の本尊は「生長の家の大神」と仮に称していますが、「生長の家」とは「大宇宙」の別名であり、大宇宙の本体者(唯一絶対の神)の応現または化現のことであります。正しい宗教の本尊は、この唯一絶対なる神を別名で呼んでいるものであるとして、いかなる名称の神仏も同様に尊んで礼拝します。また、生長の家では、本尊を現す像などは造らず、あらゆる宗教の本尊の奥にある「実相」(唯一の真理)を礼拝するため、『實相』と書いた書を掲げています。】(生長の家ホームページより)<
━━━━━━━━━━━━━━━━
(梶猛弩様ー)
【止揚(アウフヘーベン)】

(※止揚(アウフヘーベン)とはどういう意味ですか?
アウフヘーベンの日本語訳は「止揚」です。 「しよう」と読みます。 思想の対立をいったん止め、互いの考えの要素の一部を保持したままより高い次元へと引き上げ、新たな一つの概念にするという哲学の用語です。)


>素晴らしいです!
 生長の家は、大宇宙そのものですから、“生長の家の大神”は大宇宙の本体としての“唯一絶対の神”。
 唯一神であることは他の神を認めないということではなく、大宇宙の本体としての神であるゆえに、いかなる名称の神仏も同様であると尊び礼拝するものということですね。

 宗教を学問的に考えてしまうと、“一神教”と“多神教”を対称的な概念で考えがちですが、相対立するものではなく、包括・止揚したところに“生長の家の大神”は在ると理解できました。

 普段使っている“万教帰一”という言葉も、理念的に捉えるだけでなく、論理的にも胸にストンと落ちてきます。<
━━━━━━━━━━━━━━━━
志恩ー
本音の時代様と梶猛弩様のコメントで、答えは完結していると
思いました。それに私が追加して書きますと、蛇足になるかもしれませんが、
一応、書きますので、お許しください。

本音の時代様が、生長の家のホームページから引用されましたように、生長の家では、
あらゆる宗教の本尊の奥にある「実相」(唯一の真理)を礼拝するため、『實相』と書いた書を掲げています。
であり、

梶猛弩様が書かれましたように、
 生長の家は、大宇宙そのものですから、“生長の家の大神”は大宇宙の本体としての“唯一絶対の神”。唯一神であることは他の神を認めないということではなく、大宇宙の本体としての神であるゆえに、いかなる名称の神仏も同様であると尊び礼拝するものということですね。

 志恩ー
『神の真義とその精神の著書』には、
谷口雅春先生は最初から最後まで、一貫して
生長の家の本尊は、住吉大神であること、

別の道場や集会所に顕斎する主斎神または安置仏がない、
幽斎というのは形を顕さないで、心でお斎リするのであります。
ということと、

生長の家の「主斎神」は、宇宙大生命(日本の呼び名を持ってすれば、
天之御中主神、幽なる神として天照皇大神、、、、と書いてありました。

そして、生長の家の「副斎神」は、住吉大神、と明記されてます。

ご説明の詳細は、
長文になりますので省かせていただきますが、

谷口雅春先生は、「主斎神」は、心の内でお祀りする幽なる神
であると記されておられますが、

谷口雅宣先生になってから、谷口雅春先生時代は、
幽なる神であるとしていた造化の三神を、お社に入れて、
全国の組織の大道場の
實相額の前に、著わして、祀られたわけです。

実は私は、新教連の本部講師であられた亡き野木先生の和耕軸という
古事記の勉強会の長年、会員でありまして、その会で古事記を学んでまいりました
人間なのですが、和耕軸の野木先生著「古事記物語」という本によりますと、
天之御中主神様と、その他の2神は、3神ではない。あとの二人の神様は
根と芽のお働きを持ち、 天之御中主神様を支えている神で、
3神ではなく独身、
つまり、3神に見えるが、独りの神なのであるという解説がしてあります。

そこが、谷口雅宣先生の古事記のご解釈とこの2点が、異なる点だと
思いました。

その点も、今の、雅宣先生の考え方である雅宣先生主導の
新しい今の生長の家の運動方針に
変わったというふうに感じているところです。

しかし、どちらが、正しいお考えなのかは、私には不明です。



古事記研究家・野木清司先生が書かれた
「古事記物語」、p11より

3人とか独りって言うか人格神じゃないイメージで考えてますが (64329)
日時:2024年04月06日 (土) 09時32分
名前:神の子

造化の三神を祀る事は天之御中主之神を祭神にしてる神社も有るらしいのでそれ自体が悪いとは思いませんけど。
心で幽斎する宇宙大生命とそれと別に副斎神の住吉大神を祀る総本山だっけ?雅春先生はそう決めたのにそこ変えてんじゃん。
ここで明白に雅宣教に変質したと思ったんですよ。

一段間違えて大谷翔平を投稿しました (64342)
日時:2024年04月06日 (土) 13時24分
名前:元信徒


大谷翔平の投稿がなくて探していました

一段間違えて投稿していました、スレッド内の記事を予め読んでから投稿して無くて、記事を集めてすぐに貼り付けていたので、最初の記事も確認しておらずで、分からなくてすみません


お邪魔いたしました、
大谷翔平の記事は削除いたしました。



神の子様 (64347)
日時:2024年04月06日 (土) 17時30分
名前:志恩

(神の子様ー)
>3人とか独りって言うか人格神じゃないイメージで考えてますが

造化の三神を祀る事は天之御中主之神を祭神にしてる神社も有るらしいのでそれ自体が悪いとは思いませんけど。
心で幽斎する宇宙大生命とそれと別に副斎神の住吉大神を祀る総本山だっけ?雅春先生はそう決めたのにそこ変えてんじゃん。
ここで明白に雅宣教に変質したと思ったんですよ。<

志恩ー
全国の神社のご祭神を見て見ますと、確かに造化の三神を
ご祭神にしている神社は、ありますよね。

だからと言って、生長の家の教団も
それの真似をして、造化の三神を、
谷口雅春先生が、決められた元のご祭神である住吉大神を
脇神によけて、造化の三神を合祀して、造化の三神の方を、お社の
中心に置いて、お祀りしてよいかと言いますと、それは、
間違ったやりかたであると、私も思っております。

創始者のやり方は、そのままその件は、あとに総裁になられた方々は、
継承すべきであると思っております。

ところで、雅宣先生は、なぜ天之御中主様を、ご祭神の中心におき
直されたのでしょう、住吉大神様より、天之御中主様の方が、知名度が
高くていいと思われたのでしょうか。その点が、よくわかりませんが。

別に、大本教と揃えなくてもいいように思いますけれどね。

生長の家の本尊について就いて (64363)
日時:2024年04月06日 (土) 21時40分
名前:本音の時代

生長の家の本尊について就いて
谷口雅春

本尊たる生長の家大神についての解説は「宗団法による宗教結社届解説(『生長の家』誌(第十一輯第十一號所載))には次の如く示されております。

(略)

奉斎主神、安置仏等の称号
 道場又は集会室に特に顕斎せる主斎神又は安置仏なし。心に幽斎する主神としては宇宙大生命【ミオヤノカミ】(その幽之幽なる神として天之御中主神、幽なる神として天照皇大神、現人神として天皇)を礼拝す。宇宙大生命【ミオヤノカミ】は宏大無辺にしてその仁徳一切に及び一切を包容するが故に、各自は祖先伝来の宗教を信じ又は自宅にて如何なる斎神又は安置仏を奉ずるも差支なし。宇宙大生命【ミオヤノカミ】の道を顕揚し、日本国威を発揚し、皇威を顕揚する東道(みちびき)の神として心に幽する副神として生長の家大神(古事記日本書紀に顕れたる住吉大神即ち後に鹽椎神(しおつちのかみ)、仏典に顕れたる釈迦、観世音菩薩及びその応化仏、基督教の黙示録第一章に顕れたる七つの燈台の点燈者)礼拝す。
 宇宙大生命【ミオヤノカミ】は宇宙生命の根本實相にして、宗派に偏らざる哲学的表現を用うれば『生命の實相』なり。この意味にて道場又は集会室に『生命の實相』又は単に『實相』のカケジクヲ掲出することあり。

(略)
転載は以上です。


住吉大神の顕斎のために建立されたのが龍宮住吉本宮ならば、そこに造化の三神をお迎えするのは根本的に間違いなのではないかと考えられる。また、雅宣さんは「龍宮住吉本宮の御祭神として、天之御中主神とともにタカミムスビ、カミムスビのムスビの神様を正式にお迎えした」と言うのだが何をもって「正式」するのか疑わしい。

「住吉大神がこの現象世界に出御」に関連して。 (64389)
日時:2024年04月07日 (日) 09時02分
名前:本音の時代

「住吉大神がこの現象世界に出御」に関連して。
以下、生長の家誌 昭和53年9月号 明窓浄机より

○ブラジル国駐在の、ラテンアメリカ伝道本部教化総長の松田己代志さんから、熱烈で信仰深い、そして真剣に考へる人でないと迂闊に散漫に見のがしてしまふ重要問題に触れた信仰に関する論文が送られて来ました。
 その全文を次に掲げさせて頂くことにします。

 “顕斎”の意義と新生について
           松田己代志

 今年の正月から私は何故か、長崎の住吉本宮の落慶の事がしきりに考へられて仕方がなかった。特に“顕斎”といふ事がどういふ事か分らなかつた。総裁先生が「日本の危機的状態を打開するためには人間力ではその術なし。もはや住吉大神のお力による他に道なし」と仰せられるその御心中はよく分るのであるが、また生長の家の運動が住吉大神の御力によることは、生長の家立教の当初より今日の世界的発展をみるまですべて大神の御神業であり、そのことは総裁先生御自身語り続けて来てをられることであり、私は総裁先生御自身が住吉大神のお姿であると考へて来ててゐるので、住吉本宮御造営の意義は分るのであるが、さて、“顕斎”となるとどういふ事なのか雲を掴む様な気持で全然分らなかった。
 幸い正月の月は月一ぱいイビウーナの南米練成道場で諸種の練成会が連続的に行はれて、その担当をしてゐたので、あの神気満つる聖地で神想観の中で無意識のうちに“顕斎”の事について真剣に考へ続けてゐた。すると『聖使命』紙の一月十五日号に総裁先生の“新生宣言”が発表されてゐた。「米寿には今より更に若返り海外に道伝へんと神に誓ひぬ」とあり、“新生について”の先生の御法話の内容も紹介されてあった。私はその“新生宣言”のお歌を拝誦して何か身の引きしまるのを感じた。米寿の年には(明後年は)今よりさらに若返って、ブラジルまで眞理の伝道においで下さるといふのである。そしてその御決意を神にお
誓ひになっていらっしゃるのである。私は“ハッ”と“顕斎”の意義が分った様な気がした。それは“顕斎”とは“新生”することだった!と叫びたい気持だった。先生の“新生宣言”のその“新生”の文字が私に大きく、力強く迫って来る思ひがした。
 私はこの“新生”について真剣に考へねばならないのではないかと考へた。それは我等は本筋に新生せねばならないといふことである。では新生するとはどうすることかと考へてみると、「人間・神の子」といふ真理がただごとではないといふことに気がついたのである。「人間・神の子」といふことは、人間は神の生命であって、本当の人間はこの肉体ではないといふことであると心得てをるし、誰でも『生命の實相』を読めてすぐ分る様に教へられてゐる。だがそれで人間神の子が分ったといふことであってはならない。勿論そのことを知ることは一番大事なことであるが、然し「人間・神の子」といふことは「人間は神」であるといふことであり、余りにも荘厳偉大な眞理である。そこで、それでは「人間・神の子」と知ってゐる我々は果して「俺は神だ」と魂の底から言ひきり得る自信と強い信仰に生きてゐるであらうか。と考へてみると身の毛のよだつ思ひがするのである。私の心の何処かでは、この問ひに対して「それは心の表面で知ってゐるだけだ」といふやうな声が聞えてくるのである。私はこれは一大事だと思った。
 我々生長の家の同志は『生命の實相』に触れた時新生してゐる。肉なる人間から霊妙極まりなき人間に新生してゐる。然し新生するといふことは自覚の問題であるから、いくらでも何度でも新生してよいし、新生すべきである。「人間・神の子」の真理にしても、人間は神の生命であり、神そのものであるといっても具体的には、肉体をもって生きてゐる。生きてゐるからといって神とみるならば大きなつまづきとなる。従って人間を神とみるならば、結局現象を否定しなければならない。然し現象を否定することの如何に難事な事か。それは恐ろしい程の達人・聖者によってのみよく悟徹し得る心境であらうと考へられる。だが、現象を否定するといふことは、現象を成就することであるから、どうしてもこの問題に取り組まなければならない。現象世界は、神の自己表現の世界であるから、現象を否定し、現象の奥なる實相を見ることによって、観るものが現われるの法則によって、現象世界が成就すると教へられてゐる。
 さて次に考へられる事は、人間が神であるならば「私には出来ません」といふ考へやコトバがあってはならないのである。またすべての人類が神であり、神の生命の兄弟・姉妹であるならば、誰それの悪を批評することもあってはならないのである。人間が紳であるならば、その人の行く所謂和の世界が、健康の世界が、豊かな世界が現はれて来なければならないと老へられるのである。
 次には我々人類が神であり、神の生命の兄弟・姉妹であっても、それは實相のことであって、現象に於いては具体的に男性であるか、女性であるかでなければならない。また親であるか、子であるか。兄姉であるか、弟妹であるか。夫であるか、妻であるか、嫁であるか姑であるか、主人であるか下僕であるか、普通の会員であるか。役職人であるか、どのやうな職業の人間、何処の国の人間で、何処に住んでゐるか等々数へればキリがない程であって、それは平等であると同時に差別があり、差別があって平等であるのが人間神の子であり、この眞理を完全に生き切ることが人間・神の子であり、人間・神の子の眞理を知ったといふことになるのではなからうか。
 私は練成会含の講話の中でこのやうな話ばかりを話しはじめた。これがわからなければ、総裁先生の住吉本宮御造営の御精神が分らないやうに思はれるし、顕斎の意義も、新生の意義も分らないやうに思ったからである。世界を浄めるといふことは、世界の思想を変へることであり、世界の思想を変へるには先づ自分の思想の徹底的な転回が行はれなければならない。しかも、長崎の龍宮住吉本宮と顕斎殿の落慶は我々の思想が徹底的に“我神なり”の自覚に昇華する、新生する是非なき機会と考へなければならない。この慶事によって日本のみならず、世界に多くの奇蹟が生ずるであらう。
 斯のやうな事を眞剣に考へてゐると、日本本部の内報“ひかり”が送られて来た。その中に伊藤陽夫祭務部長が“顕斎奉祀心得”を書いてをられる文章を読んで私は仰天した。まさに、祀りをする立場の総裁先生が祀らるる立場にお立ちになるのが“顕斎”であって、歴史上に神武天皇と神功皇后が御顕斎をしてをられる事が書かれてあった。何といふ荘厳極まりない慶事であり、重大なる神事であり、祭典であらうか。私共は襟を正してこの祭典を凝視し、その意義を徹底して生きねばならない。
 この様な深い意義ある顕斎であればこそ、総裁先生は年頭早々「新生宣言」を御発表になってをられるのである。総裁先生は已に新生していらっしやるのである。七月号の神誌“明窓浄机”欄には「私は光である」とお書きになってゐられる。先生の新生のお言葉であると思ふ。そしてさらに「近頃私は頭髪の白毛が減り、薄くなってゐた部分の毛が殖え、それが黒髪になって来たやうに思ふ。わたしは米寿になれば海外巡錫に出ると神にちかったと短冊を書いて神前に奉納したのだから、その契ひにそむかないやうに、あらゆる努力を集結してゐるのである」とお書きになっていらっしゃる。已に顕斎は行はれてゐる。驚くべき奇蹟が続出するであらう。私は「顕斎」の意義を完全に知る事が出来た。私はこの頃の話に殆どこの顕斎の話をする。肉体を人間と見て来た旧思想の残骸を潜在意識の中に蓄積したまま人間・神の子の思想を抱いて、そして、それで生長の家の信者だと満足してゐては、生長の家ではないし、総裁先生が心魂をこめて御造営の龍宮住吉本宮のこの荘厳極まりなき顕斎の意義にお応へすることが出来ないと思ふからである。
(以上、松田已代志の論文)

○顕斎とは形に顕して神祀ることであり、幽斎に対する宗教上の用語だと言へば、ただそれだけで簡箪なことであるが、それを人間自身の新生に、そして国家の新生に関連してこのやうに深く考へた人は少いのではないかと思ふ。キリストは「主よ、主よといふ者、必ずしも“神の国”に入るに非ず。神のみ心を行ずる者だけが“神の国”に入るのである」と聖書の中で喝破してゐられるのである。「顕斎」といふものを、表面の儀礼的儀式的形式的祭祀だと単純に考へてしまふ者があるならば、その人は、このキリストが警告したところの「主よ、主よと言ふ者」に当るのであって、その人の信仰は形骸に堕してゐるのであって、その人の信仰には魂の真摯さが欠けてゐるのである。まことに住吉本宮の「顕斎」とは、眠ってゐた實相の魂が、その眠りから目醒めて、自己が“神の子”であるといふことを開顕する、そしてその開顕され實相の誠實さが現實生活にあらはれる「新生」でなければならないのである。わたしは日本国民のすべてが住吉本宮の建立を契機としてその誠實を結集して、自己を「神の子」として礼拝し、住吉大神の分身として宇宙浄化の、そしてその浄化の中核体たる日本国浄化のために起ち上り、単に「主よ、主よ、神よ、神よ」と呼ぶ者たるに留らず、神の御心を行ずる者となって下さることを希はずにはゐられないのである。

この世に事実は無い。有るのは解釈だけ。 (64439)
日時:2024年04月08日 (月) 10時46分
名前:神の子

ニーチェの言葉だったかな?
この掲示板を見てるとそんな事を思ったりする。

 (64440)
日時:2024年04月08日 (月) 10時59分
名前:神の子

護法さんが悪いの大合唱だが護法さんが悪いと解釈する人がここには多いんだろう。
しかしそれは自分の解釈で事実では無いのだ。

突き詰めると事実なんてこの世に一つも無い。
悪いとか正しいとかはそう感じる人間の心が有って初めて存在する。
心が無かったら物質も時間も空間も存在しなくなる。

さて (64688)
日時:2024年04月21日 (日) 15時29分
名前:神の子

たしか今日は学ぶ会の全国大会ですね。
東京の明治神宮も曇り空で過ごしやすい1日だと思います。
神の子も暇なら行くつもりでしたが疲れてるのでパスしますが今頃は閉会式の時間でしょうか。

 (64689)
日時:2024年04月21日 (日) 15時33分
名前:神の子

学ぶ会に否定的な人からは支部の減少とか教勢の低下が伝えられていますが学ぶ誌を見る限りそんなに支部が減っている印象も無いですが。
参加人数は気になるところです。

神の子様 (64695)
日時:2024年04月21日 (日) 17時58分
名前:志恩

今日は「学ぶ会の全国大会」の日だったのですね。
谷口雅春先生に帰りましょう第二掲示板には、お知らせが
書いてあったのかもしれませんが、私はあちらの掲示板は、
だいぶ前から、書き込み禁止と、閲覧禁止処分をくらって
おりますので、だいぶ前から、見ておりませんから、存じませんでした。

学ぶ会のブログを拝見してみました。
今日のゲスト講師は、石平氏と書いてありました。

「新編生命の實相」は、4/20に第62巻目が出たそうですから、
あと3巻で全巻の65巻に達しますね。年内に達成すると、
書いてありました。

本日の参加者は、どのぐらいだったのでしょうね。
のちほど、元学ぶ会会員だったお方に一応お電話して
みますが、もうやめているので、不参加だったかもしれません。
わかりません。

神の子様 (64698)
日時:2024年04月21日 (日) 18時58分
名前:志恩

阪田先生が被告にされて、社会事業団が原告になり、
内田弁護士が間に入り、なんども裁判が行われていた時、
阪田先生応援のために、私とともに、裁判所にいらしていた
元学ぶ会のお方に、今、お電話してみました。

彼女は、今日の「学ぶ会の全国大会」には、学ぶ会はやめたので
参加しなかったとおっしゃっていました。

ですから、今日の参加者数は、わからないそうですが、
彼女の友人の学ぶ会の人は行ったかもしれないから、
聞いてみますと
おっしゃってくださって、わかり次第私に電話でお知らせくださる
そうです。

もう、しばらくお待ちください。

学ぶ会の大会 (64700)
日時:2024年04月21日 (日) 19時24分
名前:神の子

ゲストは保守系な国際評論家の石平氏。
南京大虐殺など無かった。少なくとも自分が中国にいて聞いた事も無いような話を中国は途中からでっち上げているとかの主張をしている人らしい。
学ぶ会らしいですが面白そうだしこれは聞いてみたかった。

でも本当は外部からの講演は要らないと思う。
宗教なんだから政治的主張は程々にしてね。

橿原参拝 (64704)
日時:2024年04月21日 (日) 23時18分
名前:梶猛弩

 この土日は、奈良県橿原市へ行ってきました。

 先月末に敬宮愛子様が神武天皇陵に比定される畝傍山東北陵を参拝されたとの報。また、今月初めまで橿原博物館で“蛇行剣”が展示されたということもあり、急遽行ってみたいと思ったのです。

 橿原神宮、畝傍山東北陵とお参りした後、橿原考古学研究所博物館へ。“蛇行剣”こそありませんでしたが、常設展示の、旧石器時代→縄文時代→弥生時代→古墳時代→飛鳥時代…と発掘遺物を順番に観察できたことは、自分にとって大きな収穫でした。

 国津神、葛城、邇芸速日命、長髄彦、神武東征…といった神話のイメージが橿原市を初めとする奈良県中部の紀元前後数千年にわたる遺跡・遺物によって“実在の歴史”としてインプットされてきたのです。

 勉強とか研究とかいうのは、書物だけでは限界ですね。
 週末とか夏季休暇ちか利用して、座学から実地へと思想・宗教・哲学・歴史への探求を進めていきたいと思います。

ふと思うこと。 (64936)
日時:2024年05月04日 (土) 15時20分
名前:神の子

酢豚にパイナップルが入ってるのは有りか無しか問題と云うのが有ります。

個人的には無しですね。
果物はデザートです。
料理の中に果物を入れるなボケと思います。

似たような話で (64937)
日時:2024年05月04日 (土) 15時25分
名前:神の子

カツ丼とかチャーハンに入ってるグリーンピースも好き嫌いが分かれるところで嫌と思う人もいるようです。

これも個人的には要らなくね?と思います。

 (64938)
日時:2024年05月04日 (土) 15時30分
名前:神の子

しかし好き嫌いが激しい訳では無い。

刺し身のツマとシソの葉は食べる派なのだ。
菊の花は食べないが。
しかし実はあの菊の花は食用らしくて食べられるらしい。

で、生長の家。 (64940)
日時:2024年05月04日 (土) 15時36分
名前:神の子

雅春先生はこれをカクテルにも例えた生長の家、他の宗教から『宗教の混ぜご飯』と言われた生長の家ですが。

好き嫌い無く食べてますか?

 (64941)
日時:2024年05月04日 (土) 15時41分
名前:神の子

トラインとかニューソート系は好きだが霊界とか精神分析は要らない子に感じるのだ。

酢豚のパイナップルみたいな奴ですよ。

パセリ (64942)
日時:2024年05月04日 (土) 15時44分
名前:神の子

洋食の付け合わせのパセリ、あれは栄養がメッチャ有るらしい。

残したらもったいないのだ。

神の子様 (64947)
日時:2024年05月04日 (土) 20時10分
名前:梶猛弩

 何が言いたいのか、よくわかりません。
 ごめんなさい。

 わからないなりに、お返事を書くとするなら、
“蓼食う虫も好き好き”
ということでしょうか。。。

旅先での祈りのために (65189)
日時:2024年05月19日 (日) 21時36分
名前:梶猛弩

 最近は少なくなったけど、ビジネスホテルには必ずといっていいほど各部屋に“新約聖書”が置いてありました。
 ホテルの中には、和英対訳の仏典とか置かれているところもあって、どちらも和英対照のハードカバーの聖書・聖典ですがキリスト教や仏教は凄く熱心に布教されているんだなとか感嘆していたものです。
 20代の頃だったか、そうした宗教書とともに生長の家の普及誌が置いてあったときもあって、やっぱり嬉しかったですね。

 ちなみに、こうした聖典や冊子は、すべて無償で各ホテルに提供されているようです。

 当時の私は、布教活動のために置かれているのだと思っていたのですが、聖書については、世界各国からやってきた旅行者が、来日しても欠かさず朝夕の御祈りができるようにと既に信仰を持たれている外国人の方のために備え付けてあるとのことです。

 キリスト教も仏教も、特定の宗派色をなくし万人に受け入れてもらえるように、財団法人を設立して出版・配布。

 令和になってからは、あまり見かけなくなったのですが、先日宿泊した全国チェーンのホテルの部屋で久しぶりに発見。
 いつか再び、こうした一般の方が宿泊するホテルで生長の家と書かれた書物と出会えたらいいなと思わず願ってしまいました。


久しぶりに教団の動きを考察してみます (66090)
日時:2024年07月11日 (木) 21時12分
名前:梶猛弩

 どなたかのスレッドでも投稿されていらっしゃいましたが、
谷口暁子氏がこれまでの本部講師補・講師教育課長から、5月1日付で本部講師に、6月1日付で講師部長・非常任理事・非常任参議という役職になられたようですね。
 現象社会のサラリーマン・OLであれば、「御昇任おめでとうございます。」か「御栄転おめでとうございます。」とのお祝いの言葉を述べることになるのでしょう。

 ちなみに、法的には“常任・非常任”の正確な定義はありません。
 “常勤・非常勤”という言葉も厳密な意味では法令上の定義はないのですが、これに関しては慣用的に、常時雇用されている方を“常勤”、パートタイムや不定期で出勤される方を“非常勤”といいます。
 このため、教団の部長職である暁子氏が“非常勤理事”になったということであれば、慣用的な用語の使い方としてはおかしいということになります。
理事とは株式会社でいう取締役と同義でしょうから、“非常勤取締役”(社外取締役〔会社法第2条第15号〕)に常時雇用の社員がなり得ないのと同じです。
 ただ、今回、“非常任理事”になられたとのこと。“非常勤”ではなく“非常任”ですので、教団組織としては、正規・非正規とかフルタイム雇用か否かとは違う意味を持たせているのではないでしょうか。
教団規約も役職員規程も私は存じ上げておりませんので、何とも言えませんが、
 たとえば、“常任”とは常時役員としての役員会への出席その他の責務が義務付けられ、“非常任”には役員会へは任意参加とか、そのように組織内規で決めているのであれば、それはそれで有り得ると思います。

 もう一つの“理事”と“参議”の役職ですが、
 “理事”という役職は、宗教法人法では“代表役員および責任役員”のことを指します。宗教法人法では“理事”という規定はおかれず、民法上の“理事”の任にあたるのが“代表役員および責任役員”であるとの読み替えを行います。〔宗教法人法第18条、第51条〕
 会社で言えば、“取締役”のようなものです。財団法人では“理事”という職名が法律で明記されています。
 すなわち、“非常任理事”に就任されたということは、暁子氏が教団の役員の一人になったということは間違いありません。

 “参議”という職名は、営利法人・公益法人・宗教法人どの法人であっても法的に明確な定義づけはありません。
 よって、個々の法人が自らの組織内規で“参議”にどのような役割を持たせるかによって、その職の意味づけが異なってきます。

 直感的には、公益財団法人の“理事”と“評議員”のような違いで、“評議員”的役割に“参議”の役割を持たせると考えるのが普通ですが、今回の発表では、“理事”の職にある者と“参議”の職にある者が同一であるということですので、“評議員”の役割を果たすことができませんので、もっと別の役割があるのでしょう。〔一般社団法人・財団法人法第172条〕

 そうすると、宗教法人という独特の組織であることから、
法律的・組織としての意思決定を行う“理事会”と宗教的・教義としての意思決定を行う“参議会”があり、それぞれの構成員を“理事”“参議”としているのかもしれません。
 ただ、宗教組織の一般論として、宗教上のトップと、法的・実務的な代表は別の者が行うのが普通(精神的・祭祀的な指導者に法的責任は負わせないため、宮司・住職は代表役員とは異なるのが普通)ですから、この分け方も何となく違和感があります。

 結局のところ、教団の教規や組織規程を読まない限り、何とも言えないし、外部からの推測ではわかり得ないのでしょう。

 ただ、今回、谷口雅宣総裁のご息女である暁子氏が“講師部長”“本部講師”“非常任理事”“非常任参議”という役職に日を置かずに就任したという事実は、“これからの生長の家を考える”というスレッドを立ち上げ、様々な考察を行う上で、極めて興味深い出来事であるのは間違いありません。

これからの生長の家を考えるきっかけ、そして、夢 (66795)
日時:2024年08月09日 (金) 22時45分
名前:梶猛弩

 梶猛弩が立ち上げた“これからの生長の家を考える”スレッド。
 このスレッドを立ち上げてから1年5か月近くが経っていますが、投稿のきっかけは、“したらば版”の方にあったTapir様の文章に触発されたことです。

 それだけに、Tapir様はお元気にされているだろうか、辛いお気持ちになっていないだろうか、と案じている次第。

 トキ掲示板でTapir様の語った夢、今一度、読み返してみました。
 どのようにすれば、その夢に向けて一歩を進めることができるか、私自身、真剣に考えてみたいと思います。
 
 

神の子は事業団と学ぶ会を支持します。 (66891)
日時:2024年08月15日 (木) 02時14分
名前:神の子

だから今でもこの団体が将来は発展する事を願っています。
しかし…潰れちゃっても良いかな?とか最近は思ったりする。

 (66892)
日時:2024年08月15日 (木) 02時23分
名前:神の子

事業団を支持する自分はこの掲示板では少数派で大半の人は護法さんを嫌っているように、今の本流派の活動が頓挫するのを願っているように思える。

そんな事は無い、護法さんを憎んではいない護法さんに間違いを気付いて反省して改めるべきトコは改めで欲しいだけだ。と反論を言う人もいるかもしれない。

 (66893)
日時:2024年08月15日 (木) 02時36分
名前:神の子

この掲示板は現に護法さんらを侮辱するような内容で溢れている。一連の活動を巻き起こした阪田さんにいたってはヤクザまがいだの邪悪だのと手厳しい批判と言える範囲を超える表現で相手を批判をしている。

間違いを犯す後輩達を諌める先輩の正しい態度とは思えず文章からは強い恨み憎しみしか感じられない。

 (66894)
日時:2024年08月15日 (木) 02時44分
名前:神の子

雅春先生はそういう風に教えて無いしそりゃ違うだろう…と思うが、その一方でこんなに匿名掲示板で非難が殺到する護法さんて何なんだろう?とも思う。
先輩らの活動を引き継いで降りかかる火の粉を払って必死に組織を守ってきたんだと思うが…

 (66895)
日時:2024年08月15日 (木) 02時55分
名前:神の子

双方に言い分も有って、どちら側の主張がより理屈がまたは筋が通っているか、この掲示板の皆さん一人一人がそれぞれどう思うかの問題はあると思う。
でもそれはこの掲示板で散々激しい議論が行われているから、それは一旦、脇に置いてみて。

この掲示板参加者だけが生長の家の信従では無いが (66896)
日時:2024年08月15日 (木) 03時10分
名前:神の子

過半数以上の人が護法さんのやり方に否定的な意見かなと云う印象。これだけの人にそう思われるなら、やっぱり何か間違っていたんだろう。と考えるのが自然かな。

それかもし間違っていなくて、この活動が正しくても…

 (66897)
日時:2024年08月15日 (木) 03時18分
名前:神の子

こんなに皆に嫌われる本流活動なら社会に必要無いかもしれない。
前原代表が前に言ってた『教団を辞めた人へ用意した受け皿』は実際は『スラップ訴訟を繰り返す受け皿』でこの掲示板の人らに言わせれば、こんな受け皿いらない!と云うトコだろう。

新編生命の実相 (66898)
日時:2024年08月15日 (木) 03時32分
名前:神の子

自分は字が大きくてより現代的にリニューアルされて良いと思うがこれも批判的な意見のが多いようでさらに商売としては採算が取れていないだろうと容易に想像出来る。
資金が枯渇した時には終焉になる。のも仕方ないかも。良くは無いと思う。けど本当に他に打開策が無いから当に仕方ないの表現がピッタリ。

 (66899)
日時:2024年08月15日 (木) 03時42分
名前:神の子

今の本流派活動が潰れて新編生命の実相が終売になった後、この宗教はどうなるんだろう?

教団が正常化するか、ときみつる会か?
誰か代わりに先頭に立って新生本流派が誕生するか?

先細りになって限界まで矮小化していくだけの可能性が高いと思うの。

で、結論! (66900)
日時:2024年08月15日 (木) 03時50分
名前:神の子

ただ、ひたすら暗澹たる気持ちにさせられます。

で仕方ないかな?ス栫B

蛇足を (66901)
日時:2024年08月15日 (木) 04時09分
名前:神の子

テパさんに言わせると…この阪田さんのムーブメントは大調和の生長の家が現れるための生長の家の大神の御働きと考えているそうな。

と言う訳で生長の家を未来に残したい人がいたらどうか頑張ってもらいたい。
その時に神の子は参加しませんが。
まだ未熟でそこまで人間出来てない故にここらへんが限界のようで。

 (67013)
日時:2024年08月21日 (水) 16時21分
名前:未來の子

神の子サンにとって未來って十年以上先を指すの??二十年??

EV雑感 (68015)
日時:2024年10月20日 (日) 22時33分
名前:梶猛弩

 10年超乗り込んできた愛車(2000ccのガソリン車)が壊れました。 
 やむなく新しい車を買おうと思っているのですが、最近の車の高いこと!高いこと!
 昭和生まれの保守派中年だけに、マイカーは国産中型セダン一択なのですが、このクラスになると今では標準装備なら軽く500万くらいするのですね( ゚Д゚)。
 
 購入価格が高いとなると維持費を安くしたいのが本音。私は教団の会員ではありませんが、会員でなくても教化部で電気自動車の充電は無料なので、生長の家の家系に生まれ育った自分としては、EV車買えば燃費節約できるのではという考えが思い浮かびます。
 定期的に現居と実家を車で往復する関係で特にメリットが大きい。

 ただ、セダンのEV車はまだ種類的に限りがあるのと、この車種だと値段が跳ね上がるのが難点。

 また、政府は2030年を目標に全自動車のEV化を進めると言っていますが、今はEV先進地域であるヨーロッパでも実現困難とエンジン車回帰への風潮が見られるなど雲行きが怪しそう。

 ということで、我が家の自動車買い替えは、今回もガソリン車(ハイブリッド含む)辺りで落ち着きそうです。
 
 

梶猛弩様 (68021)
日時:2024年10月22日 (火) 00時12分
名前:志恩

>E V雑感
10年超乗り込んできた愛車(2000ccのガソリン車)が壊れました。 
中略
 ということで、我が家の自動車買い替えは、今回もガソリン車(ハイブリッド含む)辺りで落ち着きそうです。<

志恩ー
カタチあるものは、何でも壊れるものですよね。
中古車でなくて、新車を買われたのですか。
私は運転もできませんし、夫亡き後は、
今は車も持っておりませんが、
息子たちや娘の家でも車は生活の被需品のようです。


ところでこれからの生長の家のことですが、

雅宣総裁のFBを拝見しましたところ、
「大自然讃歌」の後に、今度は雅宣さん作の「飛鳥讃歌」を
発表されてました。
ご自分作のその詩をご自分で得意げに朗々と読み上げて
おられますね。
ということは この「飛鳥讃歌」も、
今後、生長の家の「聖経」として出版し、
全国組織を使って販売促進してゆくおつもりなのでしょう。

私は、ちっとも魂に響かない意味不明な詩に感じておりますが。
ーーーーーーーーーーー
生長の家総裁(FB)
2日前 ·
『飛鳥讃歌』の前編をポッドキャストとして公開しました:https://open.spotify.com/episode/1dTFIuqI21n8uz5975xrBW?si=bGMaYOPAQam4TFVgnBZZZA&fbclid=IwY2xjawGDUi5leHRuA2FlbQIxMAABHYD805cqux_n2nmwX

『飛鳥讃歌』の後編を登録しました:
https://open.spotify.com/episode/60cLd9isYUDfufd6ZEQUs7...


 (68033)
日時:2024年10月22日 (火) 09時04分
名前:神の子

大自然を讃嘆する歌だから大自然讃歌。
飛鳥を讃嘆する歌だから飛鳥讃歌。

飛鳥…?

チャゲ&飛鳥?

飛鳥讃歌 (68040)
日時:2024年10月22日 (火) 21時37分
名前:梶猛弩

 “飛鳥讃歌”ですか。

 ちなみに“飛鳥”は、“あすか”、“とぶとり”ではなく“ひちょう”と読むのですね。

 “ひちょう”という発音からは、太宰治の小説の中の文章を想起しますが、太宰文学的人間讃歌を源としているのか、
あるいは、空を舞う鳥の俯瞰した視点から、大地を渡り自然を観じたり人々の営みを謳いあげるということなのか、ファースト・インプレッションではそのように感じます。
 
 ただ、私にとっては、初めて見聞する詩ですので、現段階でコメントや感想は控えさせていただきます。

学ぶ会の『谷口雅春先生を学ぶ』誌に望むこと (68098)
日時:2024年10月27日 (日) 10時37分
名前:神の子

かなり前になるが『谷口雅春先生とロシア文学』と云う記事がありましてね。
その時は影響されたのかドストエフスキーを読んだりして。

こういう切り口の記事はもっと増やして欲しい。『憲法改正を実現しよう!』とかはもうお腹いっぱいです。

 (68106)
日時:2024年10月27日 (日) 19時09分
名前:梶猛弩

 宗教と文学は親和性が高いというか、文学や芸術は、宗教が心の中に染み入っていく上で、非常に大切なものですね。

 私は、30代の頃、ウラジオストックやナホトカ、モスクワ、サンクトペテルブルグといったロシアの街に行ったことがあるため、結構なロシア贔屓でして、帰国してからも、日本各地にあるロシア料理店を巡ったり、ロシア正教のイコン画を収集したりしていたことがあります。

 当時は、文学作品も、ドストエフスキーやトルストイとか読み漁りましたね。
 ただ翻訳された長文はちょっと苦手で、自分の中で、今でも心に残っているのは、ゴーゴリの短編くらいです。

 浅学菲才なもので、生長の家とロシア文学の関わりについてはよく分かっていませんし、教えにどのような影響がみられるのかも考えが及びません。
 “谷口雅春先生とロシア文学”のような精彩を放った論考があれば拝読したいと思います。

 (68108)
日時:2024年10月27日 (日) 20時33分
名前:神の子

神の子もロシア行ってみたい。

タージマハルとかソフィア大聖堂みたいな玉ねぎ形の屋根が好きなんですよ。
ロシアのは玉ねぎがカラフルだし。

雅春先生はトルストイの方が好き? (68109)
日時:2024年10月27日 (日) 20時41分
名前:神の子

ドストエフスキーは『死の家の記録』に少し触れてる文章があるだけかも。

トルストイは大学生の時の同棲生活がアレだし本人が大きな影響を受けたと自伝で書いていて菜食論も引用して他にも色々ありそうね。

おっ! そっ! ロシア (68110)
日時:2024年10月27日 (日) 21時45分
名前:梶猛弩

 ロシアのカラフルな玉ねぎ屋根の教会は確かに面白いですよね。

 インドのタージマハルやキーウの聖ソフィア大聖堂のような厳かで壮大な宗教建築物と違い、非常に独特で、実際に観る価値はあります。

 観光でロシアに行かれるのでしたら、やっぱりサンクトペテルブルグでしょう。
 エルミタージュ博物館は必見ですし、ロシア帝国の帝都だけあって、街の建築物一つひとつに趣があります。

 私は、観光客が行かないようなところをふらふらするのが好きな人間ですので、一番印象に残っているのが、ウラジオストックです。
 かつては閉鎖されていた軍港都市だけあって、質実剛健たる街並み。そこに廃車寸前の日本から輸出された中古車が“かみのこ運送”とか“カジモド商事”とか車体に書かれたままの状態で走り廻っているのは、なかなかに見ごたえがありました。
 日本ではただの社名を書いただけでも、異国の地を走ってるだけでイカしたロゴマークのように見えてきます。
 
 極東に行かれるのなら、
 ナホトカのシベリア抑留日本人墓地もお参りされるとよいと思います。

 日本では、現代でもロシアは仮想敵国のような存在ですが、敵味方を超えた魂の交わりという意味で訪問されると、大きな学びがあると思います。    

同姓婚判決にはやはり違和感を感じます (68173)
日時:2024年10月31日 (木) 21時38分
名前:梶猛弩

 私はLGBTに対して、一個人として好まく思っていませんし、LGBTを否定する発言をした途端、社会全体で袋叩きにするような社会の風潮は正直嫌いです。
 ただ、他の人がLGBTであること自体は、それぞれの趣味・趣向・信条と考えており、人それぞれLGBT容認を主張することを否定するものではありません。

 しかし、いくらLGBTの権利を認めるのが国際社会の趨勢とはいえ、今の日本で、下級審レベルで、次々と同性婚を認めない法律や制度を違憲とする判決が、こうも沢山出てくる現状には、強い危機感を持っています。

 宗教的には、婚姻は男と女の間で成立するものというのが大前提でしょう。

 生物学的にも、種の保存が生きとし生けるものの究極の使命というべきものであり、男女間の婚姻を、同性愛と同列に考えるのは、人類は自ら滅亡への一歩を踏み出したと言っても言い過ぎではないと思っています。

 大上段な話にしなくても、先日の高等裁判所の判決概要を読んでも、日本の法曹は一時の時代の流れに与して非常に安直な判断を下しているのではないのかと心配になってきます。

 そもそも、同性婚を認めない民法や戸籍法の規定が違憲判決と言えるのだろうか。
 憲法の規定は、
“〔家族関係における個人の尊厳と両性の平等〕
第二十四条 婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。”
 とされている以上、憲法は明確に婚姻を男女が行うものであるとしています。
 同性婚の方が憲法違反だと断じた方が、確実に理に適っています。

 また、高裁判決文中の“同性間でも配偶者として法的な関係をつくることは、充実した社会生活を送る基盤となるもので、男女間と同様に十分に尊重すべきだ。性的な指向が同性に向く人の不利益は重大である”のくだり。
 性的な指向と婚姻は“別物”であり、極めて短絡的です。

 人々には様々な主義主張があり様々な愛のカタチがあるのは当然です。
 判決のような論法を使えば、同性婚以上に、幼児婚、重婚、近親婚、一夫多妻、多夫一妻を認めていない日本の法律の方が、違憲であり、多様性や個人の権利を無視しているとなってしまう。
 社会秩序に収拾の尽かない事態を招きかねない論法を司法自ら使ったことになりかねません。

 偽装結婚の問題も出てきます。別に性的マイノリティでなくても、日本に居住したい外国人男が日本人と婚姻し一定の要件を満たせば日本国内での永住権を獲得できる。
 悪智慧の働く人なら、異性間だと嫌な行為もしなくてはならなくても、同性同士ならビジネスライクに婚姻できますよと言って、客集めをして起業する手も考えるでしょう。低賃金重労働の研修生として来日するより、はるかに効率的ですから。

 また、日本人同士でも、合法的な結婚離婚を繰り返すことによる財産分与が可能となり、養子縁組以上に、財産の奪取や、合法的な脱税も可能となります。
 悪人でもない、一介の普通のサラリーマンである私でさえ、同性婚法制化を利用した悪質な金儲けなどいくらでも思いつくのです。

 保守派を名乗る組織や政治家の皆さんは、こうした真に重要な問題にこそ全身全霊を持って同性婚反対の声を上げていただき、存在感を示していただきたいと思います。

同姓婚はまだかわいいかも (68175)
日時:2024年10月31日 (木) 23時48分
名前:本音の時代

中絶は女性の権利だとか言ってそれを肯定することが世界で蔓延しているようですが、殺人をして人は真に幸せのなることができるのでしょうか。
どの時代になっても、男を愛する男はいるでしょうし、女を愛する女はいるでしょう。また体は女なのに男であるとして女を愛する人もいりし、その逆である人もいる。こうような人を広い意味で病人とした場合、病人が健常者と諸権利について差別されないと同じであると考える。そう考えると結構における夫婦という配偶者の権利と同性婚における配偶者の権利に差別があってはならないと感じる。
多分最高裁でも同性婚を認めないのは惟謙となるでしょうね。
法律や社会の仕組みでは、人間がもつ根本的悩みは解決できないようです。

 (68176)
日時:2024年11月01日 (金) 00時12分
名前:梶猛弩

 中絶に関する本音の時代様の御意見には賛成です。

 その後の同性婚に関しては、イマイチ趣旨がわかりません。

 同性婚に異性婚と同じ権利を認めないのは差別だということでしょうか?

 ちなみに、同性婚と同じ権利とは何でしょう?

 財産分与とか扶養とかいう財産を分かち合うことでしょうか?
 それなら、結局おカネの問題に過ぎません。

 同じ姓を名乗れない同じ戸籍に入れないということでしょうか?
 であるとすると、不思議なのは、同性婚を主張する論者の多くが、夫婦別姓を声高に主張したり、伝統的家制度に反対を唱えている理由がわかりません。

 愛情の証明なら、旧態然とした婚姻届よりはるかに愛情表現を形に示すパートナーシップ制度を取り入れている地域がどんどん日本で増えています。

 にも関わらず、憲法条文を真っ向から否定したり、宗教的なもの、生物学的なもの、人類の種の保存までも否定しかねない同性婚を国家が認容するなど、代償が大きすぎると私は考えています。

雑感  ハラスメント対応なのかな? (68231)
日時:2024年11月02日 (土) 21時08分
名前:本音の時代

>同性婚に異性婚と同じ権利を認めないのは差別だということでしょうか?
>ちなみに、同性婚と同じ権利とは何でしょう?

高裁が同性婚を認めないのは違憲と判断しました。いずれ最高裁でも同様の判断が出る可能性は大です。たぶん出るでしょうね。
そうなれば立法化するでしょう。
その時には、同性婚における配偶者(従来の結婚の夫婦)の権利も明確になるでしょう。

夫婦別姓については選択制ですので、人間には選択の自由があるように、同様に選択の自由を与えるほかないでしょう。自由があると同時に選択した結果に責任は生じると思います。リスクがあったとしてもそれを承知で夫婦別称を選択するのでしょう。

伝統的家制度ですが家系が絶えた場合、伝統的家制度にどのような意味があるのでしょう。




家制度、種の保存、同じ姓を名乗る権利、、、そのいずれにも意味を見出さないなら (68232)
日時:2024年11月02日 (土) 21時50分
名前:梶猛弩

 家制度、種の保存、同じ姓を名乗る権利、そのいずれにも意味を見出さないなら、同姓カップルを戸籍なんてカビの生えた古臭い制度の枠に押し込む必要はないでしょう。パートナーという愛を祝福し尊重する公的制度が整備されつつあるわけですから。

 私が最大の危機感を抱いているのは、今の法制度で、人類の種の保存を最大限に尊重できるのは、男女間の婚姻制度だけであり、それを一時の権利尊重の流れや指向で安易に変えてしまう脆いものとすることです。
 LGBTでも子供が欲しいという気持ちがあり、結構なパーセンテージで異性婚をしています。
 異性嫌いでも、一人が好きという人でも、家庭を作るという何となくの義務感や、周囲の流れでしょうがないから結婚したでも構わないのです。
 合計特殊出生率が2.1以上ないと子孫に未来を残すことはできません。21世紀に生きる我々は、我々の性的嗜好云々で100年後に誰もいなくなったという日本を創るわけにはいきません。
 
 子孫繁栄という未来に希望を残す唯一の法的手段が、異性間の婚姻であり、男女の結婚を神聖不可侵の聖域として法的にも道徳的にも宗教的にも捉えることなのです。

(誤解のないように言っておきますが、私は同性婚は絶対反対ですが、同性愛は個々人の趣味指向の範疇ですのでLGBTを差別するつもりはまったくありません。)

>家制度、種の保存、同じ姓を名乗る権利、そのいずれにも意味を見出さないなら、 (68233)
日時:2024年11月02日 (土) 22時42分
名前:本音の時代

見出せないから、自分たちの価値観に見合うものを法制化したいのでしょうね。
谷口雅春先生の説かれた教えから見れば、彼らは迷いの中にいると言えるでしょう。
教えから見ると根本な解決方法はあるように思うのですが、現実の社会ではその術を持っていないようです。
本質的な善(実相)を求めるか、迷いの中において楽を求めるかの差のように感じます。

本音の時代さんの考えではないのですね (68237)
日時:2024年11月02日 (土) 23時14分
名前:梶猛弩

 同性婚に関する本音の時代さんの投稿は、本音の時代さん御自身の主張や考えではないのですね?

 谷口雅宣総裁の御主張を代弁されているということですか?

 雅宣総裁は同性婚を法制化されるように主張されているのですか?

 ジェンダーフリーを認めるということと同性婚は、同一ではありませんので、念のためお尋ねします。

>本音の時代さんの考えではないのですね (68246)
日時:2024年11月03日 (日) 16時10分
名前:本音の時代

私の考えです。雅宣さんは全く関係ありません。

性差に関して私見をとりとめもなく書いてみます (68250)
日時:2024年11月03日 (日) 20時43分
名前:梶猛弩

 私は、今のジェンダー論は、多くの論点を十把一絡にしてしまっているように感じます。
 特に、“多様性の尊重”と“性差による区別”と“人権侵害としての差別”は、賛否いずれの立場であっても、まったく別の論理構成で議論をすべき性質のものであり、それをごちゃ混ぜにしたところで社会的利益も個々の幸福追求も導き出されません。

 話を難しくしても仕方がないので、簡単に触れられるところだけ、私のスタンスを述べます。

 まず、男性としての外形的機能を有するものが女性を名乗れば、女子更衣室や女風呂に入れるかという問題。これは当然ダメなのです。警察に通報されれば当然逮捕案件となります。
 しかし、この単純なことを、さも一番の論点のようにして感情論を沸騰させて、却って本質的な問題をややこしくしてしまった。
 どこかのホテルの社長が「女風呂に外形機能男性の人が入れません」とxで宣言したら、愛国ネット民から絶賛されたというニュースが流れましたが、その当たり前のことを某ネット層がはしゃいで英雄視するということ自体、単細胞すぎです。

 出世レースとか政治家の選挙なんかで“ガラスの壁”という言葉を聞くこともありますが、公的にはそんなものはありません。実力主義か権力闘争の結果だけです。
 検事総長も日本航空社長も連合会長も東京都知事も社民党党首も共産党委員長も、皆、女性トップです。
 管理職の女子割合が低いから数値目標をという論評も聞きますが、これも詭弁です。出世の野心を持つ者とか総合職採用とかを性別で母数にして、その母数に対してどれくらい管理職になったかの割合を比較すればいっぺんで男女は逆転するでしょう。

 職業での男女の“区別”も必要だと思います。
 助産師とか女性エステ施術師は絶対に女性になってもらわないと困ります。それは男性を差別しているわけではなく、あくまでも区別です。
 組織のトップという点でも看護協会の会長は女性であるべきだと思います。これなどは政治的に女性がなるべきという意味での区別でしょう。

 スポーツにおける男女区別はいわずもがな。

 男女の性差の問題に関しては、XYorXX染色体の違いと外形的機能の違いを解決せずに、ジェンダーフリーの議論を深めても、今の推進論者はいつかは壁にぶつかると思います。
 
 結局のところ性同一性障害や心の問題で、生物学的・宗教的に根源的な部分の本質を変えようとしても、議論ベースならいいのですが、現実に制度化して走り出すと致命的な矛盾を露呈することになるでしょう。

 私は、こうした社会的区別や心の問題を“差別”として捉えてしまうことによって、本源的な部分で本当に差別で苦しんでいる人達がなおのこと苦しんでしまうということの方が問題です。
 医学的に言えば、“両性具有”や染色体の型と外形上の性が異なるという少数ゆえに苦しんでいる、本質的に差別される側にいる人達。世界中には(おそらく日本にも)一定数存在します。

 私は、人口の半分を占める性差を“差別”と規定することによって、“差別”の本質も見誤ることになっていると感じています。
 男女差を問題にするなら“差別”という言い方をせずに、“非合理的で認容しがたい区別”というように“区別”と言い換えた方が適切と考えます。

 (68342)
日時:2024年11月11日 (月) 22時41分
名前:神の子

難しい話してますなあ。
LGBTとか変なのが増えると少子高齢化が進んで人口が維持出来なくなるのは困った問題ですね。

古事記と日本国の世界的使命 (68343)
日時:2024年11月11日 (月) 22時49分
名前:神の子

伊邪那美が死んで寂しくしてた伊邪那岐が黄泉の国から伊邪那美を連れ帰ろうとしたエピソードがありましてね。

伊邪那岐が伊邪那美と黄泉醜女に追われた時に岩で黄泉の国との出入り口を塞いだんです。

 (68344)
日時:2024年11月11日 (月) 22時55分
名前:神の子

伊邪那美が青人草を1日に1000人ぶっ殺してやると言ったら伊邪那岐がそれなら1日に1500の産屋を建てると言い返したそうな。
それから日本では人が増え続けるようになったとさ。

さて現在はどうなったんでしょうね。

出生数ー死亡数 (68345)
日時:2024年11月11日 (月) 23時29分
名前:梶猛弩

 >伊邪那美が青人草を1日に1000人ぶっ殺してやると言ったら
 >伊邪那岐がそれなら1日に1500の産屋を建てると言い返した
 >そうな。
 >それから日本では人が増え続けるようになったとさ。
 >さて現在はどうなったんでしょうね。

 神の子様の言いたいことがいまいちよくわかりませんが、
算数レベルで単純化するなら、
 (1,500人−1,000人)×365日=182,500
で、年間18万人以上日本の人口が増えるということですか?
1,000人という数に天寿を全うした場合が入っているか不明ですが。

 ちなみに、令和5年の出生数は758,631人で過去最少、死亡数は1,590,503人で過去最多。この結果、日本は1年間で−831,872人の自然減で過去最大の減少だったそうですね。
 このままでは、22世紀初めには日本の人口は半分以下になる計算ですね。

 現状でも危機的状況なのに、更に同性婚を異性婚と同一の権利と規定し、婚姻は男女間のみ成立するという出生を促す制度的・社会的・心理的・宗教的インセンティヴが無くなれば、日本人がゼロになるのも、そう遠くないかもしれませんね。




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