生長の家「本流復活」について考える(続したらば版)
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@阪田成一先生のこと(阪田先生をご存知でない方のために) (57785) |
- 日時:2023年04月06日 (木) 07時47分
名前:志恩
阪田成一先生 発行・編集 令和3(2021)年5月発行の 『光明の音信』第1号より、 ほんの一部のみ抜粋ー ━━━━━━━━━━━━━━━━ 昭和39(1906)年4月、人類光明化運動に生涯を捧げんと 決意し上京し(兵庫県神戸市より)、4年間の学生生活 (早稲田大学)を経て、昭和43(1968)年4月「生長の家』本部に 奉職し、38年間勤め、平成18(2006)年3月末を持って、退職し、 郷里の神戸市へ帰ってまいりました。
それは尊師・谷口雅春先生のご生涯の編纂と生長の家の 教義の類纂に専念するためでありました。
退職して間もなく生高連時代に ご指導くださった 福島正俊先生から、
「立教五十年史が、先生の渾身のご努力によって完成され ましたことは教団の中心となっており、全信徒の魂でございます。 先生が兵庫の地に還ってこられたことは、まさに住吉大神様の ご神命でございます。よろしくご教導くださいまして、発祥の地にて 確固たる実相をあらはしていただくことを、切に願ひ奉ります」という 身にあまる丁重な葉書をいただきました。
かって兵庫県教区の教化部長をされた 亡き佐脇嘉久先生が 「兵庫教区を遺跡にしてはならない!脈々と尊師の思いが息づき 愛と真理が明明と灯る光明化運動のメッカとならなくてはならない」 と言っておられたことを聞きました。
私は昭和20(1945)年10月に発祥の地・神戸で生まれ、「生長の家」に 触れたことを誇りに思っておりました。 それは今も変わりません。 略
志恩ー この次のところで、阪田先生は、「学ぶ会」「ときみつる会」 が宗教法人になり生長の家にも分派ができたことに対して 谷口雅春先生、輝子先生に申し訳なく思った、 と書いたことで、「学ぶ会」代表の前原先生の怒りをかわれ たのでしたが、
私が、ここを読みましての感想は、阪田先生は、 離婚すべきでないと思っていたたいせつな夫婦が離婚した時と 同じような、切ない、残念な、お気持ちで述べられたのであり、 決して「学ぶ会」や 「ときみつる会」を非難して仰った言葉だとは 受けとれませんでした。
そんなこというのでしたら、分派が、できた教団への 残念な気持ちも、含んでいるでは、ないですか。
教団を、38年間にわたり、支えて生きてこられたお方でしたら そのように思われても仕方のないお気持ちであり、お言葉だったと 私の場合は、思いましたけれどね。
これは、見解の相違でしょうけれど。
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A話が後先になりますが「生長の家五十年史」編集委員でいらした阪田先生のこと (57787) |
- 日時:2023年04月06日 (木) 08時34分
名前:志恩
第1号より ━━━━━━━━━━━━━━━━ 阪田先生が「生長の家五十年史」を、その時の編纂委員会の 委員長の山口悌治先生の元で、一番若い編纂委員の 阪田先生に「通史」を担当するように山口先生に指示されて、
阪田先生は、 「五十年史」の 「谷口雅春先生と生長の家人類光明化運動」の 「五十年の軌跡」を担当することになりました。
略 今、人類はかってない一大変革の時にあります。 それはこれまでの唯物論的世界観から唯神実相論への 近くの転換期にあるということです。
それ故、今ほど「生長の家」が必要とされている時はありません。 それには生長の家の本来のあるべき姿を、あるべきところに あらしめるとともに「生長の家」を伝えていかなければなりません。
そのために五十年史の編集者の一人として、この度、 『光明の音信』紙を発行することにいたしました。 ━━━━━━━━━━━━━━━━
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B阪田先生が輝子先生から過去の生長の家の歴史の詳細を伺った年と場所 (57788) |
- 日時:2023年04月06日 (木) 08時49分
名前:志恩
まだ第1号からです ━━━━━━━━━━━━━━━━ 五十年史のために 輝子先生に親しくお会いすることになったのは 昭和五十四年(1979)11月11日の午後、生長の家総本山の 総裁公邸の二階で「生長の家五十年史」の取材をさせて 頂いた時からでした。
この時のことを輝子先生が「理想世界」(昭和55(1980)年3月号)に 「明治維新と私の祖先」と題するご文章で次のように書いて くださいました。 《....じっくり落ち着いて話し合うために、私は二階の6畳へ 招いて座ってもらった。.... 私は阪田君のテキパキと歯切れの良い質問に、古い記憶を 辿りつつ答えていたが、私の女学校二年の交友誌に載っている 作文を読まされたり、卒業式の写真を見せられたり(中略) 殊に大本教の私の作品であった短編小説や短歌の 数々は、私の手許にあるものは、全部関東大震災で焼失 してしまったものばかりなので、なつかしいとも、珍しいとも 感じた(中略) 私たちは、五十年以上古い過去にさかのぼって、いろいろな 話題を取り上げて話あった。》
取材は三時までの二時間の予定でしたが、三時のお茶の 時間を挟んで、夕方の五時近くにまで及び、私は何度も 輝子先生の抜群の記憶力に驚嘆いたしました。
その後も五十年史のことで、谷口雅春先生ご夫妻に お会いする機会が何度かありました。 略 ━━━━━━━━━━━━━━━━ 志恩ー まだまだ皆様にも読んでいただきたい大事なことが いっぱい書いてございますが、ほんの一部のみの抜粋で、 失礼いたします。
つづく
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C第6号、第7号には谷口清超先生のことが、大変好意的に書かれてあります。阪田先生は、清超先生が総裁先生でおられる時まで、本部に奉職されておられましたので。 (57798) |
- 日時:2023年04月06日 (木) 16時32分
名前:志恩
令和3(2021)年10月、11月発行の 『光明の音信』第6号、第7号より、 ほんの一部のみ抜粋ー ━━━━━━━━━━━━━━━━ 第6号より
谷口清超先生は、大正8(1919)年10月23日に 裁判官であった荒地清介(せいすけ)氏、母多賀代さんの 長男として、広島市南竹屋町に誕生され、平成20年10月28日 午後10時21分に老衰のため、東京渋谷の生長の家総裁公邸にて 亡くなられました。89歳であられました。この10月28日は、亡くなら れて13年になります。
清超先生は、昭和21年11月13日、谷口恵美子先生と結婚され、 養嗣子として谷口家に入られ、昭和23年3月、谷口雅春先生が公職 追放になったため、生長の家教団の教主となられ、谷口雅春先生が 昭和60年6月17日にご逝去された後 同年11月22日に生長の家 総裁に就任されました。
清超先生が「生命の實相」を初めて手にされたのは、島根県浜田の 陸軍病院の結核病棟に入院され、ベッドの真向かいにいた田中という 上等兵の「生命の實相」を借りて読まれた時でした。
当時の清超先生は 《私はそれまで唯物論者でありました。神や仏というのは、 勝手に人間がでっち上げた代物であって、そんなものの在る という証拠はないではないか。人間は死んだら灰になって、結局 なくなってしまうんだ、というような実に単純な考え方に陥って いたのであります。(中略)この病院において書物に飢えていた 私は、貸してもらった「生命の實相」を丹念に読み始めたので あります。
すると、なんという素晴らしいことが書いてあるのでしょう。 私の心は今までにない感激を覚えて、高鳴るのを止めることは できませんでした。
というのは、私は今まで、神という名前は使わないようにしても、 確かに「神」を求めていた。それを今この「生命の實相」によって 与えられた、ということをはっきりと知ったからであります。〉 (「通い合う夢」)と言われています。
昭和20年11月、尊師谷口雅春先生は、「生長の家」と「白鳩」を 復刊され、生長の家誌の巻頭に、戦後の人類光明化運動の 発進宣言ともいえる「生長の家社会事業団の設立」を発表され ました。
それは、日本再建のための一大方策であり、戦前、もっぱら 個人の救済に向けられていた教化方針を、戦後は、さらに 政治力にまで発展せしめ、真の政教一致と世界救済を目的とする 十項目の提唱でありました。
谷口清超先生は、その十項目に心から賛同され、その中の九 項の「欧米科学文献および文学書類の翻訳者の募集」に対して 応募の手紙を谷口雅春先生に出されたのでした。
この提唱の文章によって、生長の家人類光明化運動は、荒地清超 という法燈を継承すべき人を、得ることができたのでした。
(志恩注;次に荒地清超様が谷口雅春先生にあてた、熱意あふるる 長文の手紙の全文が掲載されておりますが、すごい長文なので 私では、書き写すのが困難なため、残念ながら省略させていただ きます。)
内容としては、人生観の転換、生長の家社会事業団設立の御企ての 欧米科学文献及び文学書類の翻訳の光栄ある務めを与えていただき たくお願い申し上げる次第でございます。
というものです。 ━━━━━━━━━━━━━━━━ 第7号より
かって谷口清超先生は「谷口先生が日本国にお生まれになり 「生長の家」を始められたことには、極めて重大な意義があり、 これは決して偶然のことではない、先生が日本に誕生され、 日本に於いてこの御教えを説かれたのは、この国でなければ、 「生長の家」の教えは説かれない本質があったからである」と 言われました。
そもそも「生長の家」が、地上に出現し 「神の子・人間」「実相国・日本」の真理が宣布されたのは、単に 個人救済だけでなく、国家の救済と全世界の浄化とを約束せんが ためでありました。
これまでにも仏耶諸聖によって「蓮華蔵世界」や「神の国」といわれる 本源の世界について説かれはしましたが、それらは暗示しただけであって、 しかも具体的に地上に展開する手段を示されることはありませんでした。
ところが生長の家では、谷口雅春先生によって、本源の世界すなはち 「実相世界」の根本構図が明らかにされるとともに、それを実現せしめる メソッド(方法)をも示されました。
日本の国は、神武天皇建国以来いつの時代も天皇陛下が中心にましまし 今上陛下まで1116代の天皇が連綿として続いているところに、他の国と 異なる素晴らしさがあります。
それは尊師が明示された「実相世界は、久遠不滅の中心があり、一切の 物が中心に帰一して秩序整然とした世界である」という根本構図が、 そのまま日本国において現成しつつあるからでした。
さらに天皇陛下が連綿として続いているということは、久遠不滅の中心 (皇位)が不連続 の連続という表現によって、時間空間の現象世界に 実現されているということです。
谷口雅春先生は、 《..生滅つねなき変化の無常世界において、実相世界(実在世界)の 不滅の価値を実現するには「死すべき個人の肉体」於いてはその不滅を 実現することはできない。そこで個人は死によって交替しつつあっても、 連綿として不滅に続く、家系の存続によってのみ、実在世界の不滅の 実在価値を実現することができるのであります。 (中略)この家系連綿の価値を国家に於いて実現しているのは、 万世一系の聖天皇をいただいている日本国のみであります。〉 (「秘められたる神示」)
と教えてくださっています。 略 こうした国である日本に谷口雅春先生がご誕生されて、 仏耶諸聖が、なし得なかった「実相」の全的開示をされ、 「万教帰一にして、しかも真理国家の形態を明らかにする 宗教」 として出現したのが「生長の家人類光明化運動」なのです。
━━━━━━━━━━━━━━━━ つづく

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D第8号、第9号より(阪田先生が、社会事業団の久保さんから訴訟裁判を起こされた問題の著作権問題の箇所です)正しく説明できるかどうか、時間はかかりますが、私なりに真剣に書きますのでよろしくお願いします。 (57800) |
- 日時:2023年04月06日 (木) 17時37分
名前:志恩
令和3年12月号、令和4年1月号’ 第8号、第9号より ほんの一部のみの抜粋ですが
(⭕️は、志恩がつけました。) ーーーーーーーーー 志恩ー 著作権については、これを読む限り、阪田先生は、社会事業団に 著作権がないなどと一言も書いておられません。あると明記されてます。 ━━━━━━━━━━━━━━━━ 谷口先生は「開放への二つの道」の中で著作権について 次のように書いておられます。
⭕️〈生長の家の教えの書物なる「生命の實相」や「眞理」は、 著作権が社会事業団にあって、その方へ印税が入ることに なってゐます。これで遺児孤児が養はれたり、色々文化的な 仕事をする費用に寄付されてゐるです。》
また先生は、生命の實相頭注阪第1巻の”序”には、
⭕️《本書の印税は、財団法人生長の家社会事業団に 全部寄付されているのであるからいくら頒布されても 私的な収入になる物でないことを申し添えておく》
と書かれていることはご存じでしょう。
ーーーーーーーーーー 志恩ー 第9号の4ページに載っていた 新版 「真理」別冊(谷口雅春先生著)のお言葉をここへ 引用させていただく予定でしたが、他スレッドにてtapir様が それを書かれましたので、おかげさまで、助かりました。 それを、一つだけ、ここへ転載します。(徳久先生のは載せませんが)
(tapir様ー) >谷口雅春先生が、篇の並びを重視される御文章を遺されており、 構成順序の変更が雅春先生のご意思に反すると推察できまることがあげられます。<
@新版 「真理」別冊(谷口雅春先生著)
“ 《『生命の實相』の第一巻は、「總説篇」と「實相篇」(頭注版では、第1、2巻)であります。「總説篇」は、総括した真理が書かれているのであり、「實相篇」は、唯今申しました「人間」の実相は如何なるものかと云うことが説かれているのでありまして、これは一番中心になっておる 真理が書かれているのです。その次の第二巻には「光明篇」(頭注版では第3巻)があります。実相の完全なことを知って、それを生活に応用する方法を示すのが、「光明篇」で、病気の非存在の事を読み、潜在意識の底の底の阿頼耶識(あらやしき)までその真理を知りますと、現象の心で病気があると思っておっても、その病気がすぅっと消えてしまうのであります。『生命の實相』の文章はずいぶん苦心して書かれているのです。「病気はない」と云う事が、言葉の力を尽くして書いてある。「病気はない」と圏点を打って書いたり、文体のアクセントに色々の工夫がしてあって、それを何べんも読んでゆくたびに「病気は無い、ない、ない」と云う観念が潜在意識に強く印象される様にしてあるのです。”
(谷口雅春著『新版 「真理」別冊』113頁〜114頁 日本教文社)書きます<
tapir様が親スレッドを立てられたスレッド https://bbs5.sekkaku.net/bbs/toki2/mode=res&log=7792 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

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(57801) |
- 日時:2023年04月06日 (木) 17時57分
名前:⊕「訊」⊕
>>志恩さん
阪田先生のご許可があれば、私が画像で紹介しますがいかがでしょうか。
そして、事業団の横暴が目に余るように感じます。彼らは「光明の音信」がweb公開されないのをよいことに、書きたい放題になってませんか。まあ本当、これが同じ日本人なのかと思いますと、情けなくなります。
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訊けさん (57802) |
- 日時:2023年04月06日 (木) 18時32分
名前:志恩
本当にそうですよね。 ずいぶん前に聞いた時は、裁判中でしたからなのか 許可されませんでしたが、今ならどうでしょうね。 全部は多いですから、8、9、 20、21、22、23かしら、 20、21、22は陳述書ありで、23も陳述書、ありました。
まだ高等裁判の前だから、ダメかも、4月13日過ぎてからならと いわれるかもです。来週の木曜日です裁判の日は。
私は今でも、右手の人差し指一本で、キーボードを打ってるので、 打つのが、皆様よりも、ノロいのです。
来週の13日の木曜日は、午後2時半から高等裁判所の裁判が ありますので、私は、傍聴に行きます。
(4/13の、中目黒庁舎の高等裁判所の法廷室は、 3階の303号室です。)
その時、阪田先生に、トキ掲示板へ 「光明の音信」を公開する件、直接、阪田先生にお願いしてみます。
公開して、皆様に読んでいただければ、 阪田先生は、何一つ間違ったことは書いていないことは、 常識があり、まともに判断できる普通の頭の人でしたら、どなたでも 正しく理解できることだと、私も確信を持って、そのように言えます。
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証明書の怪 (57843) |
- 日時:2023年04月09日 (日) 07時14分
名前:本音の時代
【昭和21年1月8日、東京都長官より、財団法人生長の家社会事業団の設立が許可され、同日、法人が成立しました。 また、この日をもって、聖典『生命の實相』の著作権の全部(聖経甘露の法雨や収録されている全ての神示を含む。)が財団法人生長の家社会事業団に譲渡されました。 そのことを証明するために、谷口雅春先生が、東京都に提出された正式な文書が、以下の画像の「證明書」であります。 この文書の原本は、東京都の公文書館に永久保存されており、東京都の情報公開条例に基づき請求すれば、公開されます。 この文書の原本は、東京都の公文書館に永久保存されており、東京都の情報公開条例に基づき請求すれば、公開されます。】(護法の天使さんの投稿文より)
設立の許可日が昭和21年1月8日なのに、昭和22年8月1日付の証明書が東京都に提出されたって、どういうことなの?
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本音の時代様 (57845) |
- 日時:2023年04月09日 (日) 07時36分
名前:志恩
(本音の時代様ー) >設立の許可日が昭和21年1月8日なのに、昭和22年8月1日付の証明書が東京都に提出されたって、どういうことなの?<
志恩ー そうですよね。私にもわかりません。
こちらが原稿用紙に書かれた 谷口雅春先生自筆のサインの写真です
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今朝、第二掲示板に疑問点を投稿された本音の時代様のスレッドを、削除される前に、こちらへ転載します。 (57847) |
- 日時:2023年04月09日 (日) 09時08分
名前:志恩
第二掲示板より ━━━━━━━━━━━━━━━━ >証明書の日付が昭和22年8月1日なのは何故でしょうか?NEW (14686) 日時:2023年04月09日 (日) 07時52分 名前:本音の時代
設立申請のためのものなら不思議?< ━━━━━━━━━━━━━━━━ 志恩ー 護法の天使様(久保理事長)の解答を お待ちいたします。
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本音の時代様 (57890) |
- 日時:2023年04月09日 (日) 20時29分
名前:志恩
護法の天使さまからの回答があって、よかったですね。
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